2001.2.4 更新

2000年4月1日(土)五嶋みどりさん

五嶋みどりさんのベートーヴェン・ヴァイオリンコンチェルトとショスタコーヴィチ交響曲第14番「死者の歌」を聴きにNYまで行った。

初めはニューヨーク・フィルのウェブサイトでチケットをとろうとしたの。そしたら「売り切れ」。では、とNYまで出かけて、リンカーンセンターの窓口に。窓口のおばさんが「1枚ならある」と言ったので、ちょっと迷った。2人で聴きたいし。でもダンナだけでも行った方がいいと決めて、並び直したら「1枚もない」だって。数分の差で!? あきらめきれないダンナは、後日電話で申し込んだ。そしたら……2人分の隣り合わせのチケットが手に入ったのです。どうしてなの(^^;?

五嶋みどりさんはすごかった。上体が揺れる、髪が揺れる……。楽器はからだの一部なのねぇ……。かっこいいし、すごい音です。この前のバシュメットもすごかった。「ああ、こんな音が出るんだ……」って感じ。よかった……!

指揮はマズアではありませんでした。若い指揮者。演奏が始まる前に、簡単に作品の解説をして(14番はあまり演奏される曲じゃないし)、「どうぞ、静かに聴いて下さい」って注意も(^◇^;)。リンカーンセンターの椅子は日本のホールの椅子と同じようなサイズだしアメリカ人は体がデカイし、演奏中もなんとなくガサゴソしてるのよね。この指揮者には好感を持ちました。なんて名前だったかな……。

聴衆は紳士淑女だから、終演後は整然と並んでタクシーを待つのかと思ったら、われがちに駆け出して全然争奪戦だった。呆然としているわれわれのそばでタクシーが人を降ろしたので、これ幸いとペン・ステーションへ。運転手さんはずーっとひとりでアラビア語(?)をぶつぶつしゃべって、くすくす笑って、ちょっと怖かった……。


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2000年4月2日(日)小さな博物館

ウェンディからメールが来て、「すぐそばに昔小学校だった建物があって、いまは月に一度公開する博物館になってる」と教えてくれた。どんなものか覗いてみた。

2階建て、煉瓦づくりの小さな建物。丘の上に建っている。1階は集会室のようで、何人かの人がいた。博物館は2階。町の歴史を紹介していて、いろいろな器具や当時の服が飾ってある。説明はもちろん英語だから、じっくり読まないと意味がわからない。家族連れが2組ほど、展示を見ていた。

町のChatham という名前はチャタム伯爵大ピット(イギリスの首相。息子も首相)にちなんでつけられたそうだ(町と彼がどういう関係なのかは不明(^◇^;))。そして1806年にモーリスとハノーバーから別れて Chatham Township となった。この学校は1860年に建てられ(江戸時代じゃん)、以来、多くの生徒を送り出してきた。1956年から88年までは町役場となり、その後郷土史研究会が使うことになった。そして毎月第一日曜日の午後2時から4時まで博物館として公開している。

ボランティアの人が運営していて、説明もしてくれる。「この写真の建物(いまも町に現存する農家)は、逃亡してきた黒人奴隷を匿ったのですよ。秘密の地下道があって、たくさんの人を逃がしたんです」。うひゃ〜、黒人奴隷! 南北戦争! そう、ここはアメリカなんだっけ!!

「チャタムに住んでるの?」と話しかけてきてくれた。ちょっと立ち話などする。「私も日本に行ってみたいと思ってるの」。いまチャタムや周辺のきれいさに圧倒されているので、日本のどこを見てもらったら喜んでもらえるんだろうか、と考えてしまった。やっぱ、浅草、京都、奈良ってことになるのかな。そうだ、西都原(さいとばる、宮崎県)なんてどうかしら?

NJは古い州なので、ヨーロッパの香りがする古い建物がいまも数多く見られる。由緒ありげな教会も「これでもか」というほどある。それぞれが長い時を経てきたんだ。ミテの知らない時を……。

今日から夏時間。Day time saving って言うのね。知らなかった(^^;。日足は急速に伸びてきている。

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2000年4月3日(月) 免許・7番窓口の女

免許を取りに行きました。申し込んで、お金を払って、筆記試験を受けて。試験の内容は安全自動車学校で予習したのと違ってた。試験用紙も新しかったし(何回も使い回すので、解答が書いてあるような用紙もあるという話を聞いていた)、最近変わったらしい。問題数も30問に減っていた。問題は英語と日本語が併記してあるんだけど、日本語と英語の意味がちょっと違っている(多分)ところも……(^^;。幸いダンナもミテも合格して、視力検査もすんで……。

ダンナは無事取れたんだけど(実地試験免除、即日交付)、ミテはだめだったの。パスポートについてるI-94(米国滞在許可証)にいちゃもんをつけられて……。すっごく腹が立った。I-94を書いた係官が、なんどか字をなぞっていたので、「書き換えたんだろう」と決めつけるの(そもそもあり得ない滞在期限が書いてあるのではあるが)。「移民局に行って、I-94を更新してこい」の一点張り。

文句を言っても(英語になってたかな(^◇^;)?)、全然聞いてくれない。思わず "Do you hear me?" と言ったら、すっごく怒りだした。なんかまずいこと言った? 「聞けよ、てめえ」のつもりだったんだけど、「わかったか?」って意味だったんだよね(たいして変わらない?)。やばい言葉らしい。気をつけなくちゃ。

この係官(通称「7番窓口の女性」)はとにかく困ったちゃんで、日本人仲間では有名。わたしたちも「注意しましょう」とは聞いていたのだが……。日本人に限らず、ありとあらゆるイヂワルをするんだそうだ。

思い出すたびに腸が煮えくり返って「てめぇ、殺す!」と思ったり、「きっとすげートラウマを抱えてるんだ。それはそれでかわいそう……」と思ったり。かなり狼狽してる。怒りと恐怖が交錯してて、ときどき理性が顔を出す感じ。「どんなカルマなんだ!」「このことから、なにを学べばいいんだ?」とジタバタして、「まだこんなものすごい怒りを抱えてたんだ」ってびっくりして、我ながらすごい動揺ぶり。それに「私は悪くない」って心が主張してる。「いい」も「わるい」も本当は存在しないんだと頭ではわかったつもりでも、まだ強烈にこだわってるんだなぁ。

最寄りの移民帰化局はNJ州ニューアークにある。危ない町というウワサだ。NYで銃を突きつけられてもお金を出せば命は助かるが、ニューアークだったら殺される……んだって(もちろん空港はその限りではありませんヨ)。人口流出では、全米でも五指に入る町だもん。人々が逃げ出してるってわけ。

とにかくI-94は更新しなくちゃいけないが、……前途多難。

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2000年4月4日(火)移民帰化局

ダンナの運転でNYまで出かけた。ニューアークはやっぱり怖いので、NYの移民帰化局に行くことにしたのだ。マンハッタンではスキあらば人々が道を渡ってるし、一方通行だらけだし、道は不案内だしで、けっこうヒヤヒヤ。でも、すぐクラクションを鳴らしてくるので、かえって助かった。地図を見ていて、信号が青になっても気がつかないと後ろの車が教えてくれるし、気づかずに他の車にぶつかりそうになると相手が鳴らしてくれるし。

移民局の役人がまた……(~_~メ)

総合案内(?)で聞いたら、用紙を出してきて「65ドルを添えて郵送しろ」だけ。その場でできると思ってたので、詳しく聞こうとしたら、「速く行け! うしろがつかえてるんだ!」。追っ払われてしまいました。んも〜、ひどいっす。

どうしよう、ってうろうろしていたら、私たちの後ろに並んでいたイタリア系(?)のご夫婦が「いいですか、ここ(用紙提出の窓口が別の階にある)で提出するんですよ。郵便はなくなるかも知れませんからね」と小声で教えてくれました。ああ、この人たちもいろんな目に遭ってるんだろうな……すごうくうれしかった。とはいえ、ものすごい行列に恐れをなして、書類は提出せずに帰ってきてしまいました。なんていうか、人々がごったがえしてるし、けだるいうんざりした雰囲気がずーんと重いし……。はぁ。

帰り際、ここまで来たからとチャイナタウンに寄ってお昼を食べた。ものすごく安かった! チャタム周辺より安い。マンハッタンなのに! 面白そうな雑貨屋さんもあるし、おいしいし、ここはまた来なくては。アルファベットの町に忽然と現れた漢字文化の一画。中国人てすごいなぁ。

場合によっては、一度外国に出ればいいんだとひらめいた。ナイアガラはカナダなんだよね〜(10年滞在許可は消えちゃうけど……)。書類を郵送して65ドルもとられて、「まだ届かない」とやきもきするより、楽しんで新しいI-94をもらったほうがいい。

あ〜あ、みんながどこの国でも自由に行き来できるようになれば、こんなことで大変な思いをしなくていいのになぁ。日本にいる外国人はもっとイヤな思いをしてるかも。日本もアメリカも移民がどどっと入ってくることが怖いんだろうな。「神との対話」の神様は、地球の資源は人間全員に十分にいきわたる量だって言ってるのにね。

アメリカでは自分の権利を主張しなくちゃならないとか、決して自分の非を認めてはならならいとか、いろんな人が言ってるよね。日本人は泣き寝入りしてしまうが、それでは駄目だ……とかね。ほんとにそうなの? 精神世界で言ってることとは逆だし、ワシントンは「ボクが枝を折りました」って正直に謝ったんじゃなかったっけ? でもそういう、愛とはほど遠い環境(たぶんある意味では日本よりも)だからこそ、ここで愛と許しの実践ができたらホンモノかなぁ、って気がしてる。まぁ、一朝一夕にはいかないけどね。くじけながらも、がんばってみるよ〜。

小渕くんはほんとに倒れたんだねぇ。意識不明とか……。友だちからのメールで知ったときは、なにかの比喩かと思った。

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2000年4月5日(水)気まぐれな空

好景気がわざわいして、いい人材を雇えない、という記事を読みました。客に暴言を吐くようなバイトでも、やめさせたら次が見つからないからクビにできないんだって。お金を払うのにもたもたしてると、「ばばあ、ぐずぐずすんなよ!」なんて言うらしい。でも、まだ実際にそんなにひどいのは見たことない。役人をのぞいて……(^^;。ニュースなんて、社会の全部を見て書いてるわけじゃないもんね。

でも、ブスっとしてる人も多い。これが南に旅行すると、行けば行くほど人々がにこやかになるという話もある。気温と愛想の良さは比例する?

桜の話を書いたら、いま窓の外は雪が風に舞ってる……(^◇^;)。さ、寒そう。花たち、凍えないといいなぁ。桜、モクレン、名前のわからないピンクの花、白い花、黄色い花。クロッカスに水仙。緑も萌えはじめてキレイです。

あれ? さっきは雪が舞っていたけどもう晴れた。気まぐれな天候……(^◇^;)。

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2000年4月6日(木)マイレージ

寝室のテレビ、音がしません。ぶっこわれたのかな? つけたら音がしたので、気のせいかと思ったらそのうちまた消えてしまいました。まぁ、古そうなテレビだったけど。

ANAマイレージクラブのウェブサイトで、マイレージを確認。今回、ダンナがNYからの往復、ミテが片道を使った分がカウントされている。はて? ミテのマイレージの方が大きい。ダンナは往復周遊エコノミー、ミテはは片道エコノミー普通料金。片道だと周遊(?)にならないため、普通料金になり、少々お金がかかるようです。往復の方が安いのか。不思議。んでも、……ずいぶんためないとただにはならないんだねぇ……。

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2000年4月7日(金)ワイルド・ターキー?

引っ越し荷物も一日に一個段ボールを片づけるかどうかってペースでのんびりしたもんです。掃除もさぼりつつ、ご飯を作るくらいかな。時差ボケはもう大丈夫(そりゃ、1ヶ月もすりゃあね)だけど、昨日は久々に昼寝をしてしまいました。

最近は面白い夢をたくさん見て、覚えています。古〜い、ときには忘れていたような友人が出てきて(小学校の同級生とか)送別会を開いてくれるようなことが多いの。

こっちでも携帯電話を使っている人は多いよ。でも、機械はちょっと大きいみたいね。少々の重さは気にならないのかもね。

この前、NYに行く電車から窓の外を見ていたら、線路際に七面鳥さんがたたずんでました。一瞬のことでしたが、ダンナと「見た?」「見た!」。きゃ、すごい! 羽根が孔雀やチャボみたいにきらきらして、きれいだったよ。あれこそワイルド・ターキーか! (識者の話では野生はほぼ絶滅しているので、クリスマスまでのお約束で飼われているのでしょう、ということです。それであんなに憂いを含んだ顔をしてたのか……)。

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2000年4月8日(土)ウサギ

家のそばを流れるパサイック川のほとりは小さな公園になっている。椅子付きのテーブルもあって、なにか書いている人もいる。詩作? いいねぇ。少し散歩してみる。急にがさがさと藪が動く。ウサギが逃げていった。尻尾だけしか見えなくて残念。

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2000年4月9日(日)なごり雪? 

目を覚ますと、雪が積もっています。2インチくらいつもるらしく、お昼前の今もどんどん降り続いています。夜中には、すごい風が吹いていました。現在の気温は1度です。さっきまでは風があったせいか、体感気温はマイナス15度なんて情報も。

昨日は晴れてとてもいいお天気でした。気温も20度くらいまであがり、半袖の人も見かけるくらい。いったい、なんなのぉ!? テレビの天気予報でも「すごい変わりようです」って言ってるからアメリカ人にとっても驚きなんでしょうね。明日は最高気温16度の予報です。やれやれ。

車、ついに公道に出てダンナの会社まで運転練習しました。15分くらいかな。そのまま買い物に出かけたら、あるショッピング・モールの駐車場で奇妙な生物と遭遇。カピバラのような顔をして、ネコぐらいの大きさ。しっぽはちょっと突起があるくらいで、とても短いです。しばらくお見合いしてましたが、ふっと消えていきました。

午後になると雪はすっかり溶けてしまいました。帰りにはワイルドオーツから家まで運転。

ナゾの生物、プレーリードッグかなと思ったけど、生息域が違うし、個体数が減ってるそうなので、ペケだろうな。後日、石弘之教授が「マスクラットでしょう」と教えてくれました。毛皮をとるために乱獲されたけど、いまは増えてきているそうです。よかったね。

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2000年4月10日(月) 雷よけを買う

日通トラベルに電話してナイアガラのことを聞いてみたです。したらカナダ、メキシコだとI-94(米国入国許可証)を更新してくれないことが多いそうです。げ。I-94更新が主眼の旅行なのになぁ。係官によるのだけど、更新してくれないのに、「更新して」というと怪しまれますよって。どうしても更新しなくちゃいけないのなら、ヨーロッパが一番近いってさ。ちなみに、ロンドン往復航空券税込みで752ドル。行きは7時間、帰りはすこし短いとのことです。

「それなら、日本の方が安いですよ。5月3日までなら往復610ドルです」だって。どうしよう(;_;)

事務用品の店 STAPLES に行って、雷ガード Surge Master を買う。雷の時、過大な電流が電気機器に流れるのをふせぐもので、コンセントと機器の間に取り付ける。電話線までガードするの。なんだかしょっちゅう雷 Thunder Storm があるからね〜。

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2000年4月11日(火)銭形平次は字幕つき

今朝はみぞれ混じりの雨。天候不順です。

火曜日夜の日本語放送は「銭形平次」です。北大路欣也さん主演で、真野響子さんがおかみさんです。日本では一昨年くらいに放映したのかな。意外に手の込んだ筋立てて、下手人を推理するのが難しくて楽しんでます。で、この放送には英語の字幕がつきます。英語ではこういうのか、と勉強になります。

普通のスーパーでも green tea 緑茶のティーバッグを売っています。パッケージも富士山に安芸の宮島の鳥居をあしらったデザインで日本風。でも、入れ方のところに「お好みにより、砂糖や蜂蜜を入れてお楽しみください」だって。そういえば中国系のペットボトル入りウーロン茶も甘いんだよね。

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2000年4月12日(水)会社で花見

ダンナの会社で、昼休みに花見 HANAMI がありました。ほんとは屋外で計画していたのですが、すごく寒かったので、会社の会議室にケンタッキーとお寿司をもちこんでいろんな部署の人(日本人が半分くらい)が集まりました。日本に出張に行ったとき、花見を体験した女性社員が企画してくれたんです。彼女は「でも日本ではお酒飲むのよね!」とびっくりしてました。

わたしも顔を出して、すこしおしゃべりできたので、満足。「英語もなんとか通じるじゃん!」と、うれしくなりました。

オフィスを覗いたら、ひとりひとりパーティションで囲った個室になってました。それも広くて、17インチモニターも4,5台は楽に置けちゃうかんじ? 扉を閉めることもできるので、お昼寝もできるのです。いーなー、すごいなー、かっこいーなー。日本で見てきたどのオフィスとも違う〜。ダンナは当初、電話が一人1台あるので驚いたそうです(ナイものなの(^^;?)。

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2000年4月13日(木)ナイアガラ旅行手配

トロント&ナイアガラ1泊は一人241ドル(航空運賃215ドル、宿泊26ドル……どんなホテルや?)。ニューアーク発着でございます。4月21日金曜日発、22日土曜日着。

トロントからナイアガラへの鉄道は、旅行社の人の記憶が確かならば、ひとり15ドルだって。でも、一日2本くらいしかないらしい……(ニュージャージートランジットより少ない(^^;)。できたら電車のチケットもとってもらおうと思ってます。

中国系スーパーはとても面白いです。不思議なことに日本の食材のふりをした中国(台湾?)食材があるのです。「淡口甘醤油を仕込ませ、刻んだ焼き海苔をぱらりと振り付けたお仙貝」。なんだか変でしょ。しかも「焼」の書体がなんかアヤシイ……。これはおせんべいの袋に書いてある文章なのだ。台湾産の揚げ煎餅で、おいしいんだけど、なにもワザワザ日本語かかなくても……と思うです。お菓子に限らず、お豆腐、急須などにも変な日本語(ミテがしゃべってる英語もこんなかな)が書いてあったりします。ある人によると、「日本産」だと高く売れるからとのことです。実は Made in Japan てのはブランドなのね。緻密だし、丈夫だし。こっちにいるとなんとなくわかります。

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2000年4月14日(金)安心フェデックス

トロントからナイアガラまでの電車のチケットがとれないので、月曜日までキャンセル待ちをしてもらうことにしました。料金はチェック(小切手)で送りますが、出発までに届かなかったときのためにクレジットカードの番号とカードのコピーをファックス(あれ? 郵送だったかな)しなくてはならないということです。ちなみにトロント・ナイアガラ1泊プランより、ナイアガラのみのほうがいいホテルということざんす。

チケットはフェデックスで届くそうです。それなら安心。UPS は届かないことがあるって評判だからね。

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2000年4月15日(土)NYのブック・オフ

マンハッタンには紀伊国屋書店と旭屋書店があって、日本語の本が買えます。でも、日本の価格の50パーセント増しなのでちょっと大変。そうそう気前よくは買えません。そしたら昨日、古本チェーンの BOOK OFF が開店しました。日本でもアチコチで見かけてたけど、とうとうNYにも! すごい〜。場所は41丁目、五番街とマディソン・アヴェニューの間。図書館のそばです。

さっそく行きました。ふむふむなかなか。面白いことにコミックスを物色してるアメリカ人も散見されます。日本語、読めるのかな? 立ち読みし放題だし、ゆっくりと時間をつぶしました。ダンナはいまテレビでやっている「サラリーマン金太郎」を、ミテは成田美名子さんの「NATURAL」を買いました。NYを舞台にした「CIPHER」や「ALEXANDRITE」を読み返せばまた面白いかもね。

歩き疲れて、マックに入りました。なんかアイスクリーム系のものと、シェイクを頼んだら、アマイのなんのしつこいのなんの……。2人でいてもデザート系を2つ頼むのはやめよう……。反省。

マックのトイレは人が並んでいた。NYはトイレが少ないというが、日系の書店のほか、Barnes & Nobel (本屋)なら、必ずある。あとリンカーンセンターや、レストラン、デパートもオッケー。駅は怖いと聞いていたけど、ペン・ステーションは全然平気だった(地下鉄はわからないけどね)。

帰りの電車はドーヴァー行きなのだが、何番線から発車するか、数分前までわからない。みんな電光掲示板の前で、表示を待つ。で、ホームがわかるとドドッと電車に殺到していく。座れなかったことはないけど、2人掛け、3人掛けをひとりで占領してる人も多い。

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2000年4月16日(日)ロアンタカまで運転

近くの公園ロアンタカまで運転する。家から15分くらいのところ。ロアンタカ周辺は牧場なのかな、馬場なのかな、広々とした野原に見える。運転しながら「広い〜」と叫んでしまう。

駐車して外に出たが、ちょっと寒い。遊歩道が向こうへ続いているが、森の中なので、先は見えない。今度また来ることにして、車に戻った。

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2000年4月18日(火)旅行チケット届く

しばらく暖かい日が続いたのに、また寒くなって昨日今日は雨が降っています。気温も一桁台。日本から持ってきた半纏をきています。

今週末はイースターで3連休になるので、ナイアガラに行く予定。今日、無事チケットが届きました。週末にかけてはすこし暖かくなるというので期待しているのですが……。

普段使っていた包丁を船便で送ってしまったので、いまは予備の包丁を使っています。切れない……。家に備え付けの包丁も切れない……。思いあまって、両方とも研いでみました。けっこう切れるようになったじゃない。よかった。これからはちゃんと時々研ごうかな。

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2000年4月19日(水)最終引越荷物到着

日通さん、約束より1時間ほど遅れてやってきました。荷物は27個(だったかな?)、一部を開梱、また空き箱を持っていってくれました。作業は2人。ひとりは日本人です。

これで日本から送り出した荷物は全部届きました。ダンナとミテの出発が別々だったので、それぞれの出発に船便、航空便を1回ずつ出したのです。つまり4回届いたことになります。壊れたものも、なくなったものもなくてよかった。

でもプリンターが動きません。引越案内をつくって出そうと思ったんだけど、ザセツ。(こわれたのではなくて、接続線の問題だった)。

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2000年4月20日(木)美東市場

明日はトロントです。天気予報は「21日金曜日 shower (訳すと?)最低気温3度、最高気温8度」「22日土曜日 ときどき曇り 最低気温2度、最高気温13度」。寒そうだなぁ。

近くに住むお友だちが22号沿いの美東市場 アジアン・フード・スーパーに連れていってくれました。来週の献立を考えていないので、あまり買いませんでしたが、面白かったです。まだ新しいらしく、広々としてきれいです。中国、韓国、日本ばかりではなく、タイやベトナム、インドらしき食材も売っています。アヒルの舌、豚の耳、豚の足、牛の胃、砂肝……その他よくわからないものも。見ていて全然飽きない(^^;。

椰子の実、みかん、台湾産のビスケットを買いました。椰子の実はすぱっと上の部分を切り落とせば穴が空いておいしいジュースが飲めるはず……でしたが、固い! 千枚通しで穴を開けて、ボルトをねじ込んで穴を大きくしました。苦労したのに変な味。誰か正しい飲み方、教えて!(アフリカでは少年が青龍刀のような大きな刃物で、すぱっ、すぱっと穴を開けて飲ませてくれたのだ。……おいしかった! やっぱり新鮮でなくちゃダメなのかな)。

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2000年4月21日(金)トロント経由ナイアガラ

旅行社の人も、ダンナの会社の人も、「カナダは外国だけど、I-94 (米国滞在許可証)は更新されないことが多い」という評判だったけどミテは賭けました! ニューアーク空港から飛行機で、トロント(カナダ)に飛んだのです。搭乗口でパスポートを見せるんだけど、そこにいた係官は日本人だった! (コンチネンタル航空の人なのよ。ラッキー!)。「数日の滞在なら、I-94 の更新は必要ないんですよ」という彼に「実はカクカクシカジカで……。カード、取って下さい〜」とI-94 を押しつけたのでした(^◇^;)。英語だったらちゃんと説明できたかどうか。よかった!

定刻で搭乗し、飛行機も滑走路に向かい……あれ? 離陸しません。外は土砂降りです。「悪天候のため、離陸許可が出ません」とか言っている模様。結局、朝の8時半にはトロントに降り立つはずが、午前11時すぎになりました。

空港では税関の人も、バス乗り場の人もみんな愛想がいいのです。アメリカでブスッとした人ばかりを見てたのでびっくり。カナダっていい国じゃん!(単純(^^;)

ちょうどイースターでどこもかしこも閉まっていましたが、トロントの町はすごく気に入りました。NYよりずっとゆったり広くてきれいだし、古い建物がたくさんあって、かっこいいんです! 電車の駅は石造りで、天井がすごく高い。「大英帝国の栄光」って感じ。トロント大学も含めて、そういう建物がそこかしこにあります。

大学をうろうろしていたら、トイレに行きたくなりました。でも建物にはみな鍵がかかっています。女性がひとり、ドアの鍵を開けていたので、頼んでトイレを使わせてもらいました。アメリカではbathroomですが、カナダに行くとwashroomと言うんですね。知らなかった!

夕方、1日2本というナイアガラ行きの列車に乗りました。チケットはキャンセル待ちまでして手に入れたんですが、車内はがらがら。なんだったの? およそ50分で到着します。小雨がぱらつく寒い日ではありましたが、流れる景色もなんか寒々としています。広くて、葡萄か何かの果樹が延々と続き、ぽつぽつと家がある寂しいかんじ。乗客のひとりがコーランを唱え始めました。わびしさが増すようです……。着いた駅も小さくて、ちょっと迎えの人がいるだけ。これが世界的観光地の駅なの??

滝に近くなるに連れ、やっと賑わってきました。観光シーズンはこれからなのですが、それでもたくさんの人がいます。滝を背にして写真を撮る人も多く、「写真撮って下さい」と頼まれるので、こちらも見ず知らずの人にお願いします。みんな快くオーケーしてくれてなんか連帯感(?)を感じます。そして、「チーズ!」。あれ? これは日本人の発明じゃなくて、輸入もんだったのね。

夜は大きなホテルで食事。日本人の団体さんと遭遇。関西弁だったけど、大量の生の日本語が聞けて、なんかよかったです。

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2000年4月22日(土)飛行機は遅れる?

日中は気温6度で寒かったです。滝の脇には少し雪が残ってました。

寒さに震えながらも「霧の乙女号」で滝壺のそばに行き滝の飛沫をあびたり、スカイロンタワーからの眺めを楽しんだり、やっぱり行ってヨカッタです。アメリカ側からは滝が流れ落ちるすぐそばまで行けます。手を伸ばせば、水にさわれそうなぐらい! 見てて飽きるってことがありません。

そうそう、カナダから歩いて橋をわたり肝心の再入国を果たしました。係官が「国籍は?」と聞きます。「アメリカ」と言うと、ノーチェックで入国できます。でも我々は日本人ですから、パスポートチェックがあります。「I-94は?(カナダに来ても持っているのが普通)」「ニューアーク空港で係の人が取りました」「オーケー。じゃ、ひとり6ドルね」。やった〜!! 移民局で再発行してもらうと、65ドルだか85ドルだかかかるはずが、6ドルですみました

滝からバッファロー空港までタクシーを拾うつもりでしたが、町には流していないようです。観光案内所でたずねると、電話で呼んでくれました。感謝!

空港でチェックインすると2時間ほど出発が遅くなると言われました。まぁ、急ぐ旅ではないし、ビールでも飲んで待ちましょう。店を探していると「定刻通りの出発」とアナウンスされました。搭乗口の案内に確かめると「いえ、2時間遅れです」。うむ、ミテの聞き取りはあてにならんのぉ。ビールを買って、乾杯して、「プハァ、おいし〜」。するとまたアナウンスが。気になってさっきの案内まで行くと、「ただいま搭乗中です」。おいおい(~_~メ)! 大慌てでビールを片づけ、機中の人となったのでした。

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2000年4月24日(月)免許とれる

運輸局に行ってきました。ミテの書類には「ID不備」ってスタンプが押してあります。筆記試験には合格しているので、その書類とパスポート、I-94を提出すればいいはずです。係官はこのまえのイヂワル女とは別のオジサン。書類を手にどこかへ電話をかけたので、どきどきしましたが、「なにが不備なんだ??」とかぶつぶついいながら手続きがすみました!! 後はお金を払って、写真を撮って、免許証をもらうだけです。苦労(?)しただけに感慨深いモノがあるです。運転条件の「眼鏡等」が抜け落ちているのはご愛敬? 他州に引っ越したら、またそこの免許を取らなくちゃならないけど、アメリカ全土を運転できます。やったね!

免許も取れたので、生まれて初めて車を買うかも知れません。日本みたいに軽があればいいのに、デカイ車ばかりですじゃ……(~ヘ~;)。新車、中古車、レンタカー、リースという選択肢があります。ダンナの車はレンタカー、会社のほかの人はリースです。大家さんご夫妻もリースカーなんだそうです。その方が得なのかな?

中古車業者サンはたくさんあります。でも、アメリカでは個人売買も多いみたい。後部座席の窓に"FOR SALE"(売ります)と書いたカードをつけておくのです(ときにはフロントガラスに直接"4 SALE"と書いてあることも……)。そういうカードを売ってるらしい。で、道から見える庭に置いておいたり、つけたまま走っていたり。カードには電話番号が書いてあるので、「電話でご相談」なんでしょうね。中古車の価格をまとめた"BLUE BOOK"という本を書店で売っており、値段の参考になるそうです。

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2000年4月25日(火)広いキッチン

料理は嫌いなんですが、やることないから本見てつくったりしてます。肉が安いし、台所用品および設備が整ってるので、やる気になるよね。コンロは4つも口があるんだよ〜。でも「広いキッチンは主婦のアコガレ」と言うけど、それは程度問題だよ。広い広いキッチンだと、あちこち歩かなくちゃいけない。片足を軸にして向きだけ変えれば全部手が届く、という環境にいたので、疲れる〜。身にあった広さが一番。

船便がやっと届いて、日本で使っていた掃除機と再会! うれしいよぉ。この家に備え付けてある掃除機は重たくて、耕耘機みたいなんだもん。広いカーペットを耕すにはいいんだけど、細かいところはてんで駄目。アメリカ人はどのように掃除をしてるんだろうね、と思います。日本から持ってきた掃除機のコンセントプラグ(というのか?)には125Vと表示してありました。使用中にコードが燃え出したりはしないってこと? モーターがどこまでもつか、が問題でせう(変圧器は使ってない(^◇^;))。

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2000年4月29日(土)鹿

鹿が描かれた道路標識があちこちにある。「鹿に注意」という意味だ。とは言え、冬の間は姿を見せない。ある個人セッションに行ったとき、ミテの守り神は鹿だと言われた。早く会いたいな〜。

ウェンディに聞いてみたら、"Deer is everywhere!" (鹿はどこにだっているわ!) このフレーズは気に入って、我が家でははやり言葉になっている。でも、ウェンディも含めて庭仕事が好きな人には、鹿は厄介者なのだ。せっかく育てた植物を食べてしまうから。それに車と鹿がぶつかる事故も多いらしい。去年はジョンが鹿とぶつかって、鹿は無事だったものの車の修理代が20万円にもなったんだって。

さて、今日はまたロアンタカの森に行った。近いので、ミテの運転練習にいいらしい。遊歩道をちょっと行くと、目の前を鹿の群が横切った! 5,6頭の群。なんか思ったより小さい感じ。森の中に入っていったけど、密林じゃないのでよく見える。あちらで草をはんでいる模様。アメリカ人も「鹿だ〜」と見ている。見慣れてて珍しくもないのかと思ったけど、やっぱり嬉しそうじゃん。

うわぁ、とうとう出会ってしまったよ! いやあ、ははは!

ウェンディに守り神の話をしたら、「じゃあ、あなたは守り神に囲まれて暮らしてるってことね」。そう言えばそうか。なんかうれしい。

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