2001.2.4 更新

2000年5月2日(火)カナダのお金

iBookをつけっぱなしにしといたら、なんか不吉な音がしてる(なんかが猛烈に廻っているような音)ので、ちょっと休ませようと思います。HDの音みたい。APPLE のホームページを見たら、同じような症状の人がほかにもいるらしい。動作に支障はない……ちょっと遅くなったかな? 音と関係あるんだろうか?

カナダのお金体系はアメリカのと似てました。コインは1、5、10、25セントです。大きさもほぼ同じ。1ドル、2ドルコインがあるところが違うかな(アメリカにも1ドルコインはあるのですが、友だちにもらった1枚しか見たことがない。わざわざテレビで「使えるお金です」とCMしてるくらい)。

カナダ国境近くの町に住んでいた人の話では、米ドルに混じってカナダ・ドルが流通していたそうです。カナダ・ドルは換算すると米ドルの7割ぐらいのはずなんだけど。スーパーのお釣りなんかに紛れ込んでるんですって。「カナダのお金です」と抗議しても、「それがなに?」って取りあってくれないんだって。で、試しに支払うお金に混ぜてみたら、全然おとがめなし。いっそ同じにしちゃえばいいのにね。

でもカナダはマイルではなくメートル法を使ってるのです。わーい仲間。親近感がわきます。

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2000年5月5日(金)生きていていいんだ

鈴木秀子さんの「死者と生者の仲良し時間」を読んでいたら涙、涙。涙だらけになってしまいました。そしてぼんやりと思ったの。この本に出てる人はみんな癒されていくのに、私は癒されないんだろうかって。それにしてはなんでこんなに泣いてるんだろう。

ふと、自分の深い深いところに「なにもできない」「生まれてくるべきじゃなかった」という思いがあることに気づきました。「生きていてはいけない」「わたしは場違いなんだ」っていう思い。うすうす感じてはいたんだけど、ハッキリわかったの。とても悲しい……。

だから、あんなことや、こんなことが起きたのか。だから朝起きるのが辛かったんだ。数分で消えていく気分ではあったけど、「また今日も生きなくちゃいけない……」といつもドンヨリと疲れていた。朝は苦しみの始まりだった。

ぽろぽろぽろぽろ泣きながら、「いまここで生きていていいんだ」って許可をもらったみたいに思いました。それからは新しい料理に挑戦したり、朝いい気分で(昔にくらべたら)起きられるようになったりしてます。

自分の中に隠れていた思いにやっと直面できたので、きっと少しずつ変わっていける。時間はかかるかもしれないけどね。シスター、どうもありがとう!

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2000年5月6日(土)タイヤが落ちてる

近くでガレージセールをやっていた。ホントにガレージに品物を並べるのね。3軒の共同開催。古びた運動器具、20年前(ぐらい?)のテレビ、しわしわの服、食器類など「売れるの(^^;?」ってものもたくさん。それでも小さなワゴンを買ってしまいました。だって5ドルだったんだもん。安い。

ウェンディに報告すると、「値切るカケヒキが楽しいのよ」って。十分安いって感激したんだけど、値切ればもっと安くなるものかしら? こんどやってみよう。

ミツワ(日本系スーパー)まで買い出しに。不思議なんだけど、高速道路には大きなタイヤが破裂したようなゴム片がたくさん落ちているのだ。トレーラーのような大きな車が落として行くらしい。いくつもタイヤがあるので、1個や2個バーストしてもダイジョウブなんだって。そうなったタイヤは「上から塗る」んだそうだ。どこまでホントの話なの(;_;)?

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2000年5月7日(日)食品保管術

ついこの前、零度近い日があったのですが、今日は気温が30度(摂氏)を超えました……。この温度差はなんなんでしょう? つい1週間まえまでは曇りがちで、暖房していた日もあったんですよ。

こう暑くなると食品の管理にも気を配らなくてはなりません。なんてそんなに大袈裟じゃないんだけど、往復2時間もかけて買いに行った食べ物をあたら腐らせるわけには……。という訳で、食品保管術を伝授しましょう。

ねぎ 薬味のように切って冷凍する。

だし すこし多めにひいて、ヨーグルトの容器に入れて冷凍する。製氷皿でもいいけど、こっちのヨーグルトは1個230グラムとでかいので1カップでみそ汁1人分の見当になる。円錐形だから氷が取り出しやすい。

にんにく 1片ごとにばらしておくと長持ちする。

油揚げ 線切りにして湯通ししたものを冷凍。

もやし 水に浮かせて冷蔵庫で保管。もやしは自分の出すアクで傷んでいくんだってさ。

え? もしかして常識? 失礼しました(^◇^;)。

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2000年5月8日(月)枢機卿の追悼ミサ

家中の窓を開けております。少し風が入るな……。天気予報専門のWeather Channelでも、「ほとんど記録的な暑さ」とゆってました。ううう、おそろしい国だの……。

こっちでやることがそんなにないので、なんと料理に手を出しております。o(^o^)o いままで新しいことは躊躇して手を出さなかったのに、呪縛がはずれたとでもいいましょうか? ハンバーグなんて買って暖めるモノかとおもってたけど、お肉から作ってみたり、クッキーを焼いてみたり。もちろん凝ったことはしてないんだけど……。

少し自由になった気がするですよ。

テレビをつけたら、枢機卿Cardinalのお葬式(ミサ)をやってたので、ずっと見てしまいました。2時間半か、3時間くらい? ずっとCMもなしで、中継してたです。すげーね。クリントン大統領夫妻、ジュリアーニNY市長、ブッシュ前大統領など著名人も来てました。警備が大変? 枢機卿も十数名いたらしいし、アメリカ中の大司教、司教さまも来てたみたい。場所は5番街のSt. Patric Cathedral。

亡くなった枢機卿は、ユダヤ教との和解にも尽力した方らしくて、ユダヤ教その他の宗教の司祭(ラビか?)もたくさん見えてました。多分、カトリック以外のキリスト教関係者もいたんだろうな。

カトリックはマイノリティーなので(多分)、スタジオに神父さまとシスターが一人ずつ来ていて、解説してました。聖体拝領もしてました。人数が多くて大変だのぉ。でも、カトリック以外の人はもらえないから(多分(^^;)、実質的には少なかったのかな。

バチカンから来ている枢機卿が中心になってミサが行われてましたが、でかい杖を持っている(羊飼いとかいう意味でもってるんだよね?)のは初めて見たので、なかなか面白かったです。

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2000年5月9日(火)アメリカ人の感想

いまリビングの温度計は29度。昨日よりはすごしやすいかな。午後になるとまた暑くなるのかなぁ。やれやれ。おとといから最高気温が30度を超えてます。つい10日くらい前は家の中でも肌寒くて、シャツにトレーナーにと重ね着していたというのに……。ほんとうはいまごろの平年気温は20度前半くらいで、とても過ごしやすい季節なハズらしいのね。やっぱ、地球的に異常気象なんだなぁって実感、実感!

アメリカ人は合理主義とよくいわれるものの、全然効率重視の生活じゃないなと思います。てきぱきしてない。スーパーでも銀行でも、免許証発行するところも……。並んで待つのは平気みたい。日本人の方がせかせかしてますね。だからスーパーで支払いをもたもたしても、車の発進がちょっとばかり遅れても、大丈夫って感じでうれしいo(^-^)o。「グズね!」とか「早くしなさい」とかって言われないで育ったんだろうな。うらやましいぞ! アメリカ人でせかせかしてるのは、ウォールストリートの人だけという話も(^^;。

いまのところ、アメリカ人の感想。
1.うるさい(大きな声で話す。電車の中なんて賑やかだよ)
2.のんびり
3.お金が好きらしい(どこの国でもいっしょか?)
4.お店の人なんかは無愛想(特にNJでは……)
でもまだあんまり日本人と違う……って気はしないです。

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2000年5月11日(木)車を買うか?

いま車は1台。もう1台買うかどうか、悩んでいます。確かに車がないとどこへも行けません。ダンナの会社まで片道20分くらい。送り迎えをすれば1台で済むのです。どうせ仕事もできないし(ビザの関係で)、一日ヒマだし……。まぁ、いま車を手に入れても一人で運転してどっか行くとは思えないから、もうちょっとゆっくり考えようっと。ダンナの分は会社がお金を出してくれてるの。

中古車のレートがわかるWWWをお友だちに教えてもらいました。近所に"FOR SALE"(売ります)の車があって、「買おうか?」と話していたので、さっそく値段を調べました。ワーゲンのゴルフだと思ってたんだけど、GTI というものらしいことが判明! そして……マニュアル5速なんざんす……。あうと! 教習ではマニュアルに乗ってたけど、もう体がオートマになっちゃったからね〜。(追記:これに関してメールいただきました。引用ここから「たしかゴルフGTIっていうバージョンがあったハズ! スポーツ走行もいける、ハイパワー仕様車(165馬力?)だったと思います。(違ってたらごめんなさい!(^^;)」。わはは、スポーツ走行? ハイパワー? ますますミテ向きじゃなかったデス(^◇^;))

日本ではほとんど車の運転をしていなかったので、すんなり左ハンドル、右側通行に慣れたみたい。道も広いところが多くて助かります。狭い道だってあるけどね。この前は運転中にリスが飛び出してきて、あわててブレーキを……。幸い、リスは途中で考え直して、引き返してくれました。リスやアライグマの死体はいたるところで見ます。われわれは「ミンチさんが〜(;_;)」「毛皮さんが〜(;_;)」と呼んで、冥福を祈ります。

一昨日までの3日間は気温が30度を超えて死にそうでした。それが、昨日は10度くらいまで落ちて、いまも肌寒いのです。なんでこんなに気温の差があるのぉ???って感じ。昨夜は雷が鳴ってすごかった。雷もスケールがでかいです。

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2000年5月14日(日)プリンストン

プリンストンに行ってきました。目的は大学と中古CDショップ。テレビでCD屋さんのCMを見て、行きたがっていたのです。またプリンストン大学はアインシュタイン(アメリカ人は「アインタイン」と発音する。ちょっと違和感(^^;)がいたところ。ダンナの「大学Tシャツ、トレーナー・コレクション」にまた新たな一枚が。

プリンストンまでは車で30分くらい。ナビと地図を頼りにまったく知らない道を行きました。と言っても1本道で、わかりやすいんだけどね。

大学があるだけの小さな町ですが、ちょっとした観光地みたい。賑わっています。大学の中にも自由に入れて(いちおう塀や門はある)、大学美術館は無料です。無料だと思って、なめて入ったらすごかった! 閉館まで30分て時に入ったので、少ししか見てませんが、日本や中国、エジプトなどの美術品がたくさん。聖徳太子の画や、日本の根付けや、面白くてたまりません! ぜひぜひまた行って、じっくりと見なくては。大学にこんな施設があるなんてすごいなぁ。

東大や一橋のキャンパスが広くていいなぁと思ってたけど、もっと広いし。緑が多くて、噴水もきれいだし、リスは遊び回ってるし。なんかいいなぁ……。大学ショップも充実してて、面白かった。プリンストンという名前入りのグッズはTシャツ、トレーナーに限らず傘やベルト、鞄など種類が豊富。日曜日だけど、お店が開いてるし。日本の大学生協もこんな風に商売すればいいのに。

町をぶらついて、チベットなどアジアの雑貨を売っている店をみつけました。うれしい♪ ダライ・ラマの写真も飾ってあったりして。こういうお店を探していたのです。絵はがきを買いました。

帰り道、高速道路に鹿の死体がありました。外傷は見えなくて、ごろんと道ばたに横たわってました。はねられたんですね、かわいそうに……。

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2000年5月15日(月)不機嫌のわけ

昨日は楽しかったけど、帰りには不機嫌になってしまった。もうすぐ知っている圏内に入るというところで、ダンナがもう1カ所寄ると言ったから……。自分でも制御できない不機嫌。とめようとしても、だめ。答えは意外なところにあった。

プリンストン関係の日本語ホームページをみつけて、事前にながめていたのだが、そのリンク集に「自閉症のままで」が載っていた。なにげなく「自閉症Q&A」の「自閉症にはどういう特徴があるの?」を読んだ。そのなかに「 同じ道順、同じ着替えの順序、同じ日課などのこだわりを持つこともあります。これらの決まり事に少しでも変更が加えられると、自閉症の人は、たいへんな苦痛を感じます。」(かっこ内は引用)とあった。ああ、そう。そうなの! これなの!

いつもと違うことをしたり、違う場所に行くのはすごくコワイ。でもまだ理性でおさえることはできる。ただそれが長引くと限界がきて、怖くてたまらないから不機嫌になってしまう……。この文章にふれたとたん、「味方がいる、わかってくれる人がいる」という気分になってしまいました。実際に自閉症者と暮らしている人には「なんなの?」と言われてしまうかも知れないけど。自分でもわかっていなかったことが、すごくはっきりしました。目から鱗。

新しいことを始めるのが苦手なのです。アメリカにきて、いろいろなことがあって、ほんとうにそうなんだなぁってわかりました。でもそのうち、そういう恐怖もなくなっていくでしょう(楽天的(^◇^;))。そういうことをよくわかるために、ここに来たって気がする……。

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2000年5月17日(水)仁神術の発見

ニューメキシコ州で森林火災があり、広島に落とした原爆の製造元(?)ロスアラモス研究所まで火が行きました。いまもウランなどを貯蔵しているというので心配でしたが、火は外壁をなめただけみたい。よかったよかった。

今日はガレージドアの点検があるというので、ドアを開けっ放しにしてました。ガレージにいろいろモノを置いているので、落ち着かない……。2人組の業者さんがやってきて浴室にあるスイッチを見たいというので、家に入ってもらいました。「靴を脱いでね」と言ったら、「Sure!」と気軽に脱いでくれました。安全靴でひもがめんどくさそうなのに、ありがとう! 幸い、どってこともなく終了。

ガレージを整理していたら、雑誌のコピーが出てきました。「仁神術(じんしんじゅつ)」という針を使わない鍼灸(?)についての記事でした。誰かにもらったんだっけ? 雑誌名もなにもわかりません(^^;。人間の体にある左右対称のエネルギーポイント(セーフティ・エネルギー・ロック)に指先を置くだけ、といういたってシンプルなものなのです。やってみるとエネルギーの流れがわかります。うーん、これは面白い! でも、ネットで検索してもあまりヒットしないんだよね。誰かなにか知っていたら教えて♪

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2000年5月18日(木)大雷雨と停電

会社のアメリカ人が亡くなりました。親しい人ではなかったけれど、会議で数回顔を合わせ、たびたびメール交換していた人だそうです。39歳の突然死……。だんなにはショックでした。昨日お通夜(a Wake)があり、今日お葬式(御ミサ)だそうです。お通夜や御ミサに出てもいいものか、ウェンディに聞いてみました。「出席すればきっと喜んでくれるでしょう。でも、気が進まないのなら行かなくていいのですよ」とのことでした。「何を着ればいいんだろう?」と悩んで、黒いスーツに普通のネクタイをしていきました。枢機卿の御ミサでも、クリントン大統領は青いネクタイしてたしね。

夜は大雷雨になって、2時間ほど停電しました。停電はこれで3回目。しょっちゅうあるのだ。ろうそくを灯して料理してたら、そのうち回復しました。コンロの着火は電気なので(電池じゃないの)、停電の間はマッチやチャッカマンを使わないと火がつかない。大発見した気分。電気はやっぱり明るいのぉ。ありがたみがわかります。停電が多いから、こっちの人はろうそくが好きなのかなぁ?

その後テレビを見てたら、もっとすごい被害だったことがわかりました。「朝までに電気が回復するといいですねぇ」なんてニュースで言ってました。3万世帯以上が夜中電気なしだったらしい。突風で木は倒れるは、あちこちで洪水がおきるは、交通事故は増えるは……。水に落ちて死んだ人もあったらしい。なんてこった!

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2000年5月19日(金)銀行

明け方にもゴロゴロやってて、いまは静かだけど雨が降ってます。昨日の昼間は25度くらいあって暑かったけど、きょうは打って変わって涼しい〜!

この前チェイス・マンハッタン銀行に行って、ダンナの銀行口座から引き出せるワタシのキャッシュカードをつくってきました。ジョイント口座というのかな? ソーシャルセキュリティナンバー(SSN)がないので、窓口のおねえちゃんが不審そうな顔をしたのですが、上司が「SSNがなくてもつくれるわよ」と言ってくれたおかげで、なんとかなりました。でも、なんつーか、ゆったり時間が流れてるんだよね。日本の銀行と違って、窓口まで行かなくちゃいけない用件が少ないのか、銀行内はほとんどお客さんがいないのだ。とっても静か。そういえば横浜のシティバンクも静かだったっけ。

そうそう、日本には全国規模の大銀行がたくさんあるけど、アメリカには大銀行ってないんだって。小規模な地方銀行ばかりらしい。なんか意外〜。

「ID見せて」と言われて運転免許証を出したらスンナリいきました。パスポートより、全然実力がある感じ。住所の確認ができるからかもしれないけど、所詮パスポートは訳のわからん外国が発行したモノ……なのか?

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2000年5月20日(土)鹿と日本語

彼の会社まで運転の練習。週末なので広い駐車場にはもちろんほとんど車がなくて、静か。駐車場のほとりに森があって、森から出てきた鹿を発見しました。ゆっくり車を近づけて、そっと降りていったら3頭は森の中に入っていったんだけど、1頭がきょとんとこっちを見てたの! だんなが思わず日本語で「こんにちは!」ってご挨拶。おかしかった〜! 首をかしげて、3歩4歩と近づいてくるの! といっても10メートルは離れていたんだけどね。鹿はすぐ逃げちゃうので、まだじっくり見たことはなかったんだけど、このときばかりはしっかり拝みました。うれしかったなぁ。日本語がわかる鹿なのか?

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2000年5月21日(日)Shogi World Championship in NY

NYで将棋大会があるので出かけました。ダンナとミテは将棋がきっかけで出会ったのです。ダンナは二段、ミテは永世十級を名乗っています(将棋は十級がいちばん弱いの。そっから抜け出す気がない(^^;。負けると悔しいので指さないというファン(?)なのです……)。参加資格を満たしていないので(海外在住何ヶ月以上だった)、今年は見学だけです。昨日今日の二日間あって、大半の人は泊まりがけで楽しんでいたようです。

場所はマンハッタンからうーんと北上したWHITE PLAINS近辺のホテルでした。車がないと行けません。ミテたちも2時間くらいかかって着きました。日本からプロ棋士が来ていて、ちょうど指導対局をしていました。日本のように参加者が押すな押すなって訳ではないので、空いてるところに入れば対局してもらえます。のんびりしてていいなぁ。

さまざまな景品もあって、勝又清和四段の最新刊「つみのない話」を無料でゲット! ミテには難しすぎますが、ダンナが読むことでしょう。いちろ、ありがとね♪(謎)

参加者にはもちろん外国人(てゆーか、非日本人だよね)も。決勝戦は大盤解説されましたが、英語通訳付き! 棒銀はClimbing Silver、「成る」はpromote、歩はpawn……。面白い〜。外国の人は少なくとも駒の漢字は読めるんだよね? なんかすごいなぁ。将棋は囲碁ほどインターナショナルではありません。もっとファンが増えるといいな。

帰りはフォート・リーに寄って韓国料理を食べました。辛くてヒーヒー言いましたが、おいしかった。ハングルはありがとうぐらいしか知りません。なので注文も英語でしました。最後に私たちのテーブルについていてくれたオネエサンに「カムサハムニダ(ありがとう)」と言ったら、ほんとにパッと笑顔がはじけました。ああ、すっごくうれしい。

今日は新しい場所に行きましたが、「新しいコトは怖い」ということを自覚できたためか、不機嫌にはなりませんでした。よかった〜。

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2000年5月22日(月)お尻

ジョンが新しいテレビを買ってきてくれました(うちは家具付きを借りているので)。「いま買ったので、持っていっていいか?」と電話がかかってきました。「ああ、どうぞ待ってます」「ところでユーキ(「ス」にアクセント)はうんぬん……?」。ユスーキ? そんな単語あったっけ? なんども聞き返し、「ユスーキってなんですか?」「きみのハズバンドだ」。ユウスケがユースキー(「ユ」にアクセント)になり、いつの間にかユスーキになったのかぁ! こりゃわからん(^◇^;)。

25インチというでかいテレビです。重いので、ジョンは箱に入ったテレビを床に置き、ごろんごろんと転がして運びました。ダイジョウブなんだろうか(^◇^;)? 古い壊れたテレビを台から降ろし、新しいテレビを設置します。ちょっと腰をかがめる姿勢になるのよね。そしたらズボンとシャツが離れて肌が見えてしまいました。しかも割れ目も。「あれ? お尻……?」。びっくりしてマジマジと眺めてしまいました。ジーンズだったけど、どういう位置ではいてるんだろう? 昔、朝日新聞にいたアメリカ人も、たいていシャツがはみでてたけど……(^◇^;)。

息子さんも一緒でした。ミテのiBookを見て、「Cool! (「こー」と聞こえる)」。えへ、ちょっと得意(^◇^;)。

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2000年5月23日(火)鮭

料理はいろいろ挑戦しているのだが、昨日のは絶品だった! 鮭にパン粉つけて焼いただけなんだけどね(^◇^;) ダンナ曰く「鮭は日本で食べるよりおいしい気がする」。産地に近いからなんだろうか。一切れもデカイのよぉ。2切れで1ポンド=454グラムくらいあったもんね。

最近、ミテ思うに「変化はゆっくりと起きる」。人間が存在し始めてから200万年とか言われてるんだっけ。200万年かけてここまで来たんだもん。それはそれはゆっくりとした歩みだよね。いまちょうどいろんなことの節目なので、変化は少し加速しているのだけど、やっぱり個人の感覚からしたらゆっくりだよ。それでいいんだと思う。っていうか、そうであったほうがいいんだろうな。変化が速いと、心と体と感情とがついていくのタイヘンだもん。

ミテ自身にも言い聞かせてることだけど、「のんびり生きましょ!」。(行きましょ、と変換するつもりだったけど、これも気に入った!)

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2000年5月24日(水)差出人不明?

申し込んでおいた銀行のキャッシュカードが郵便で届きました。でも封筒のどこにも「チェイス・マンハッタン銀行」とは書いてないのだ。「宛先の確認のためのなんとか」って書いてあって、開けてみたらカードが。盗難防止のためらしい。郵便配達の人は多少住所が間違っていても届けてくれる優れた人なんだけど、どこで誰が封をあけちゃうんだろう。電話のコーリングカードは、いつも封が開いて到着するんだよね。

郵便物の宛名にはほとんど敬称がついてない。つまり「様」「御中」って書いてないの。呼び捨てとか、失礼という感覚はないんだろうな。JALやANAなど日本系企業からの郵便にはMr.、Mrs.と書いてある。これも文化の違いってやつなのね。

スーパーのチラシも郵便で届くが、この場合宛名には「current resident」などと書いてある。「どこそこに今住んでいる方へ」って感じかな。郵便料金は日本より安いけど、郵送料と効果とひきあうのかなぁ? でもまぁ、鍵がないと郵便受けにモノを入れられないから、しょうがない?

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2000年5月26日(金)ヴァイオリンの練習

今年の夏は猛暑になるということです。あーん、どうしよう。この前の暑い日に、クーラーがあまり利かないことを発見。去年は猛暑と水不足に見まわれて、暑さで亡くなったお年寄りもいたんだって。どは〜……。

長いことサボってましたが、ついにヴァイオリンの音を出してみました。ここは隣に音が聞こえる心配はないのです。問題は上の人だけ。でも足音がしないときは、多分いないからダイジョウブだよね。温度のせいか、湿度のせいか、弦がゆるんでました。うむ、調弦がたいへんだ〜。2ヶ月以上ぶりなので、なんかぎこちないです。右手の手首が固まってますね。だめですね。音もきたないですね〜。まぁ、気長に練習しましょう……。

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2000年5月27日(土)レニングラード

クルト・マズア指揮、NYフィルのショスタコーヴィチ交響曲第7番「レニングラード」をマンハッタンまで聴きに行きました。終演が午後10時ごろになるので、帰りが心配です。車で行き、リンカーンセンターの駐車場に泊めました。ひっろーい駐車場があるのです。料金は25ドルだったかな。安くはありませんね。

この前の14番「死者の歌」はマズアではなかったので、初めてマエストロの演奏を聴いたわけです。ああ、すごかった! 途中から瞑想状態になってたのか、隣にショスタコがいて一緒に聴いてくれているような気になっていました。「ほら、ドイツ兵もレニングラード市民も、具体的に誰が憎くて戦ってるわけじゃない。ヒトラーとスターリンに踊らされてるんだよ(この曲はナチス・ドイツによるレニングラード包囲を描いている)」「それでも来るべき変化には必要なことだけどね」「レニングラードまで侵攻してきて死んだドイツ兵も、ソビエトの土になっていく。大地には国境も国籍もないのだからね。そして春が来れば、大地は新しい生命を生み出す……。ドイツ人がソビエトの緑を芽生えさせるのだよ」。パパ(個人的にショスタコのことをこう呼んでます(^◇^;))はそう教えてくれました。

演奏が終わるとスタンディング・オベイション。こんな充実した演奏会は滅多にない! 拍手してもしたりない夜でした。

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2000年5月28日(日)美容院

だいぶ髪が伸びたので、切りに行きました。日本語でも「適当に短くしてください」くらいしか言えないので(困った客だの)、こりゃ、英語じゃ無理です。ミツワのモールにある日本語美容院にダンナともども行ってきました。シャンプー、ブローもついて男性35ドル、女性40ドル、それとチップです。ああ、さっぱりした。終わりに肩ももんでくれるんですよ。ミテはド近眼なせいか、肩がすごく凝ってます。うっひゃぁ、いたいー。でもやって〜。

ミツワそばのモールにバーンズ&ノーブルという大手の本屋さんがあるので、立ち寄りました。マンハッタンにも何軒か店舗があって、しかもトイレを開放してくれてる優れモノです。ダライ・ラマの本があって、装丁がすごくきれいでした。レジに行くと、「この本はほんとに素敵な本なのよ」と係の人がとろけそうな笑顔を向けてくれました。ダンナの戦史、戦略の本も一緒に買ったのですが、それらの本を見た瞬間、彼女は無表情になり、しだいに嫌悪感まで顔に出てきたのです。うーん、とってもわかりやすい人ですね。でもいちいち買う本から人を判断してたら身がもたないんじゃないかな〜。

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2000年5月29日(月)ブルックナー in 大聖堂

今日はメモリアル・デーで休日です。そしてまたまたマズア指揮、NYフィルで演奏会があるのです。でも、リンカーンセンターではなく、セントラル・パークの北の端にある聖ヨハネ大聖堂で、しかもタダ! 演目はブルックナーの交響曲第7番。これは行くっきゃない!

大聖堂は現在も建築中、いつ完成するかもわからないという荘厳なものなのですが、ハーレムに近いのです。シヴァやアレックスが通う(うはは(^◇^;))コロンビア大学に近いのですが、「危ないよ〜」という忠告も受けました。でも、ダンナは「死ぬほど怖くてもやってみる」タイプ(ミテは「怖いのでなにもしない」タイプ)。お友だちご夫婦も誘って、またまたマンハッタンに車で乗り入れました。

午後8時開演なので余裕をみて5時半に到着したのですが、もう列ができてます。どこかで食事をするつもりだったのですが、女性2人が列に並び、男性2人が食料を調達してきて、並びながら食べました。あの中華はおいしかったな〜。列はどんどん伸びていきます。来た人はみんな列の長さに驚いて、「オーマイガー」とか「ボーイ」とか嘆いてました。途中で整理券が配られて、と言ってもそのまま列に並び続けて会場に入りました。この聖堂には1万人入るらしいので(ホントか?)、全員入れたのかもね。

聖堂は細長くて、はるかかなたにオケがいました。音もこもってしまって、テンポの速いところはワンワン言ってましたが、ゆるやかなところはほんとにオルガンみたいに響きました。感激(ブルックナーはオルガンの名手だったのです)。

ブルックナーを聴いているうちに、実は前世で彼と同じ時代に生きていて、彼にすっごくイヂワルをしていたんじゃないか、って気持ちになってしまいました(田舎モノで変人だったので、ずいぶんばかにされた人なんです)。「ごめん、ごめん、許して〜」って感じ。なんか面白いなぁ。それでいまブルックナーを好きなのかもね(5番を除く)。

聖堂内には、大きな水晶のクラスターが飾ってありました。きれい! 興味があったら、見に行ってね。昼間なら全然問題ないと思うよ。

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2000年5月30日(火)米食

日本からの出張者を囲んで晩ご飯を食べに行った。場所は中国人経営の日本料理店「水車」。サラダバーに生のブロッコリーがあるのはぶっとんじゃうけど、それ以外はおおむね好き。

今日はブルックリン・ロールという巻きずしを食べた。スモークサーモン、クリームチーズ、アボガドが入っている。これはおいしい! カリフォルニア・ロール(アボガド、かに)もキライじゃないけど、数段うまいな〜。チーズとお米が合うんだよね。そーか、おもちとチーズもおいしいから、そういうノリなんだな。

話をしててわかったんだけど、ほかの人の家はそんなに停電しないんだって。え〜、チャタムだけ〜? でもどこの家にも最低1個はしまらないドアがあって(うちはクローゼット)、傾いた床があることが判明。キッチンの床のはしっこが目で見てわかるぐらい傾いてるもんね。そういうもんなんだな。

誰かがアメリカの食事のことを「米食(べいしょく)」と表現した。「それって、米の飯ってことじゃないの?」という意見も出された。はて、どっちだと思う?

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2000年5月31日(水)日本からの移民

瞑想していたら、前世が出てきた。横浜から西海岸に来た移民だった。なんとなく流されてやってきたみたいね。「よし、やるぞ」じゃなくて、「日本にいても半端もんだし〜」って。熱意もないし、要領も悪いしで、若く死んでしまったよう。でも下宿の窓から見える町並みとか、アメリカの食事は好きだったみたい。日本では奉公してて、そんなにいいモノを食べてなかったせいかな。アメリカを嫌いだけど、好きだったのね。うーん、そうか。そんな過去があったか……。出てきてくれてありがとう。

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