2001.2.4 更新

2000年6月2日(金)これが原書だ!

昨日からまた暑くなりました。西向きなので、午後からはいよいよ部屋の中が暑くなります。あぢぃ〜。

ホームページで紹介したい本があって、拾い読みを始めました。だいぶ前に読んだので、記憶がおぼろげだったんです。アメリカ人の霊媒が書いたその本はほんとに素晴らしくて、涙があふれてとまりません。「この本だったら、原書と比較しながら読めば英語の勉強になるかも……」。ふとそう思いました。で、読み続けていたんですが、居間の本棚にある洋書が頭に浮かんで来るんです。買ったままツンドクになってるその本。タイトルだってうろ覚え。まさか、あれが? 気になって確かめると……! その本こそ、読んでいた「もういちど会えたら」の原書 "Talking to Heaven" だったんです。こんなこともあるんだ! とても嬉しくなってまた泣いちゃいました。(涙もろいのはトシのせいですかね?)。本を紹介するとき、原題もあるといいかもしれませんね。少しずつそうしていこうっと!

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2000年6月3日(土)ランチによばれる

ウェンディがお昼ご飯に誘ってくれたので、2人で出かける。車で10分くらいの距離。今日はいいお天気で、すごく気持ちがいい。

お家についたら、ウェンディの車はハッチバックが開けっ放しで、玄関も網戸になって開いていた。安全なのね。会ったのは2度目だけど、「メールのやりとりをしてるから、昔からの知り合いみたいな気がするわ」と言ってくれてうれしい。裏庭に案内してくれる。ハンモックに私たち2人を寝かせて、「そこで待っててね」といたずらっぽく言って行ってしまった。あれ〜? ゆらゆら、木漏れ日。夢心地……。

庭の花を見せてくれて、「すごい秘密があるのよ……」。家の前のしげみにロビン(小鳥)の巣があって、雛が2羽。親指の先ぐらいの大きさで、毛もまだ少ししか生えていない。こんな腰ぐらいの高さにあるなんて!

お昼はチキンの入ったシーザーサラダだった。裏庭のテラスで、テーブルクロスは真っ白で、きれいにお花が生けてあって。すごいなぁ。表情豊かに、楽しい話をいっぱいしてくれる。ある朝、煙突にアライグマがつっかえていたこと。フェンスにウサギがからまっていたのを助けたこと。庭で子どもが熊を見たこと。ここら辺の人はセカセカしてるけど(そうは思えないけど(^^;)、南部に行くとほんとにゆったりしていること。

旦那さんはお仕事で不在。子どもたちもいるんだけど、出てこない。途中で、試験を受けて帰ってきた高校生の息子が来た。「こんにちは」って握手をするの。なんかかっこいい。しばらく試験の報告をして、行ってしまう。「ニュースではティーンエイジャーの犯罪もたくさん報道されてるけど、うちの子たちはみんないい子なのよ」。

メニューはサラダとデザートだけだった。お昼は軽いのね。でもデザートはすごく豪華。フルーツをたくさんつかった一品に、クッキー、そしてフルーツ。件の高校生は時々来ては、クッキーをつまんでいく。おかあさんが「一緒にお話ししましょうよ」と言っても、照れたように行ってしまう。とっても楽しかった。

帰ってからダンナが言った。「日本だったら、『うちの子はゲームばっかりして、勉強しなくて』とかけなすけど、あんな風にほめないよね」。あら、確かにそうだわ……。

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2000年6月4日(日)銃用品!!

大きなモールにスポーツ用品店を見つけた。スニーカー、ゴルフ用品が並んでいる。テニスラケットもずらり。コミュニティにあるテニスコートでプレイしてみようか? バドミントンは……あれ、全然種類がない。シャトルもプラスチックのだけ? テニスとはえらい違いだ。でも、ネットも込みのセットを売っている。バスケットのゴールもある。さすがにサッカーのゴールはないか……。

大きな金庫があった。いや違う……銃の保管庫だ(~ヘ~;)! カモの置物(デコイ)もあるし、射撃の的も売ってる。銃社会なんだったっけ。ショック。

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2000年6月5日(月)中国で一緒だった

暑い中で瞑想していたせいか、蒸し焼きになって死んでいくシーンが5つも6つも同時に見えた。時代も人種もさまざま。暑い夜は寝苦しくて悶々とするし、息苦しく感じるのはそのせいなのかな。

別の前世も見えた。中国でウェンディがおかあさん、私が娘だった。仲良しの親子だったが、異民族が侵略してきて、大人は殺され、子どもは捕らえられた。私は異民族の男と結婚させられて男の子(いまのダンナ)を産むが、夫は一族の敵なので憎いだけ。愛情などなにもない。息子もかわいがることができない。でも夫の母は優しい人で(私は頑なだったが)、孫をすごくかわいがってくれた。その姑がウェンディの母親……。それでウェンディのおかあさんはこんなに中国の家具を集めていたんだ……。嘘か真かはわからない。でもなぜだかワンワン泣いてしまった。あんまり泣いて、泣き疲れてぐったり。

そう、理不尽だけど、私を守りきれなかったおかあさんを恨んでいたの。でもあの状況では誰もどうしようもなかった。何百年たったのか知らないけど、やっと「ごめんなさい」が言えたのでした。

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2000年6月6日(火)赤子狩り

エジプトなんだかどこなんだか、私は命令されて赤ちゃんを殺す兵士だった。母親たちの怒り、恨み、憎しみ、悲しみ……。人々の激しい感情がシャワーのように降り注ぐ。自分だって苦しい。自らの子どもも手に掛ける。妻の悲しみと怒り……。罪悪感。自分を許せない。でもどうしようもない。「わたしは子どもを壊してしまう」という恐怖はそこから来てるのか?

最近そういうシーンを本で読んだから出てきたのかなと疑いもした(クライアントさんには「疑うな」と言うのに、本人が疑ってるのだ〜。ごめんなさい〜)。でもいろんな情報がテレビや本から入ってくるのに、やっぱりそれをピックアップするってことは、なにかあるってことだ!

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2000年6月8日(木)パキマン・カード

日本からのお客さんと晩ご飯を食べに行く。食事前に酒屋さんに寄って、レストランで飲むビールを仕入れる(免許の関係で、お酒を置いてない店の方が多い。そういうお店は持ち込みオッケー)。インド料理。持ち込んだビールを見て、店の人がぎんぎんに冷えたグラスを持ってきて、栓を抜いてくれる。ほかのテーブルではワインを飲んでいる人が多い。カレーにはビールだろうと思うんだけど……。

お客さんは明日帰るので、おみやげ探しにスーパーマーケットに行く。24時間あいているアメリカ系のお店だ。青いデコレーションケーキや、お店の広さに驚いてくれるので、来た甲斐がある。ポケモンの図鑑をお子さんに買って(こちらでは「パキマン」と発音する)、レジを出ると目の前に自動販売機があった。ポケモン・カードを売っている。「ミュウ(?)のカードがある!」と彼は目を輝かせる。珍しいカードなの? 表示どおり3ドル入れたが「金額を確認して下さい」と表示が出る。返金ボタンをおしたが、出てきたお金は25セントぐらい足りない。故障? それともセコイの? 彼はめげないで、再チャレンジする。ほかのキャラクターのカードと見比べて、「ミュウが3ドルのわけがない。5ドルくらいはする」。5ドル入れたら、ほんとに出てきた。

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2000年6月9日(金)自我の悲しみ

自我が悲しがってる。邪魔にされ、見捨てられると思ってる。そう言えばそうだ。そう思ってた。「自我なんて余計なモノ。なけりゃいいもの」。

でも違う。自我と体がなければ、この世で生きて学ぶことができない。大切なものなんだ……。悲しい思いをさせてごめんね。高次の存在が言うには、「自我も体も全部ふくめてあなたを愛している」。みんなあって私なのだ……。これから自我は変化するかも知れないけど、でもずっと一緒なんだって。

月曜日に大泣きしたせいか、なんとなくだるくて沈んでた1週間……。

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2000年6月11日(日)ビール飲み比べ

真夏のような日射し。会社のお友だちに誘われて、コネティカット州の海岸まで行く。アメリカ1平均所得の高い州なんだって。2位はニュージャージー州。うーん、海っぺりの家はたしかにお城のようだ。

ビールを造っている醸造所(ブルワリー)のレストランに寄る。お試しセット(Sampler)ってのがあって、全種類のビールを小さなコップに出してくれる。わお、こんなに味が違うもんなのね〜。おもしろ〜い。それにしてもこりゃ「小さなコップ」じゃないな。全部飲んだら酔ってしまうじゃないか〜。

帰りには気になっていた「Cafe Beethoven」に行く。夜は曜日によって生演奏もしてるみたい。珈琲とケーキで、音楽を楽しむ。いいですねぇ。でもケーキは甘すぎることもあるので、ご注意!

夜はまたまた雷さまの大暴れでした。

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2000年6月12日(月)少年マンガ回し読み

日本語の雑誌は貴重なので、みんなで回し読みをすることもあるみたい。ダンナが少年マガジン、少年サンデー、ヤングサンデーをどっさり抱えて帰ってきた。提供者と今までの経路は不明。いまさら少年誌かよ〜と思いつつ、どうもやる気が低迷してるので、マガジンを読み始める。

あれ? これはラーメン屋さんで読んだぞ。そう去年の夏ごろのマガジンなのです。"GTO"は沖縄に行ってるし、"KYO"は鬼目の狂が目覚めたとこ。"MMR"はやめてよ〜ってくらいひとこま一こま笑えるし、「ラブひな」かわいいし。「カメレオン」もギャグセンスに敬服してしまう……。早く続きが読みた〜い。

どうしようもなく停滞してるときには、こんな日があってもいいよね〜。てゆーか、みんな面白いんだもん。

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2000年6月13日(火)やふーでホテルの予約

瞑想。また自我が出てきて、すごく怖がってる。これから起こることがわからないから。どうしてあげたらいいかなぁ。

来週ボルチモアに行くのでホテルの予約をする。YAHOO!で料金や場所、設備などを調べることができる。「地球の歩き方」と併せて検討。で、YAHOO!に登録すると、ホテルの予約もネットでできる。すごーい(常識?)。と言っても、あちこちネットをさまよっって、だんだんコツがわかってきたんだけどね。

アドレスシールが届く。差出人(ミテとダンナ)の名前と住所を印刷したシール。注文書を郵送してから1ヶ月かかったです。シール200枚で送料税金含めて9ドル弱。模様や書体も選べるのだ。安いな〜、面白いな〜。自分でもプリンターで作れるかも知れないけど、いまのところは満足ざんす。

この前、ガレージセールで手作りのCDラックを買ったので、整理を始めた。四段のラックなのだが、二段目が設計ミスで狭くなってる! CDが入らないぞ! 手直ししたいけど、木工は得意じゃないんだよね〜。

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2000年6月14日(水)瞑想中の客人?

月曜昼すぎから気温が下がってきて、寒い。でも、調子は上向いてきたみたい。

夢で母親と話をしていた。思ってることを遠慮なくばんばん言って、しかもあまり腹を立てないでいられた。進歩!

瞑想の途中で、誰か部屋に来たみたい。頭をぎゅうっと押さえつけられた。しばらくするとスゥ〜っと涼しい感じがした。ちょっとこわいけど、気持ちはいい。頭の辺りにあるエネルギーのつまりをとってくれてるようだ。何日か前にも感じたんだよね……。

エゴの恐れは相変わらず。いまはだだっ子みたいに全力で抵抗している感じ。

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2000年6月15日(木)自分を愛する

昨日からだいぶ元気になった。今日も昨日も曇り。カリフォルニアは記録的な暑さらしい。上の人は引っ越していったみたい。どたどた荷物を運び出す音がしてた。楽器、弾き放題だね!

「リビング・ウィズ・ジョイ」を読んで、自分を愛することを学んでいる。でも自分を愛するってどういうことだろう? 自分のイヤなところから目をそらさないで認めて受け入れることかな。 そしてそれを恥ずかしいって、思わないことかな。自分を愛している分だけ正直にホームページに書くことができる。「イヤだ」「恥ずかしい」って思ってることは書けないもんね。ってことは、昔に較べるとずいぶん自分を好きになってきたんだな。うれしいな!

大学の同窓会報が船便で届いた。国内連絡先経由ではなくて、直接届いたので感激! うれしさのあまり、いつもより丁寧に読む。訃報欄に母が高校の時に教わった先生の名前があった。こんど教えてあげよう。

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2000年6月16日(金)マザー・テレサ

マザー・テレサの本が届く。日本人がマザーの映画を撮ったときの体験が書いてある。世界最悪の居住環境といわれるカルカッタ。撮影隊の人たちも怖い思いをしたらしい。石を投げられたこともあったとか。そのとき一緒にいた修道士はでも、石を投げた人を許した。あたりどころが悪ければ、死んでしまうかも知れないのに。もしわたしがNYで同じような目にあったら、怖くて怖くて許すどころではないだろう。

マザー・テレサのように愛を伝える人になりたい。でもまだ、マザーやシスター、ブラザーのようなステージにはほど遠い。まだまだたくさんの傷や重荷を負っている。共感できるところ、ひかれるところは心にとめて、自分のいまできること、なれることを大切にしよう……。ゆっくりいこう。「マザーは聞く人だった」んだって。心惹かれるなぁ。あこがれちゃう。

ある国際会議でマザーはカナダの首相に向かって、「質素な身なりをして、質素なものを食べなさい。そうすればほかの人たちも真似をするでしょう」と言われた。そうだった。身なりが貧しいからって恥ずかしがることはないんだよね。目から鱗。

会社の一帯が停電になって、ダンナは4時ごろ帰ってきた。変電設備から煙が出たとか。信号も止まってたそうだ。

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2000年6月17日(土)HIBACHI

KYOTO(京都?)にHIBACHI(火鉢??)を食べに行く。ステーキと寿司の店だ。日本酒樽のオブジェや、相撲取りののれんがあるけど、日本語は通じない。中国人の経営かな。テーブルに鉄板があって、目の前でステーキやシーフード、野菜、やきそばを焼いてくれる。鉄板焼きだな。焼いてくれる人はコックさんの帽子の赤い奴をかぶって、「闘魂」とか「龍」とか書いてある鉢巻きをしている。で、ゴォッと炎を燃やしたり、輪切りのタマネギをばらして塔のように重ね、中にオイルをついで燃やしたり、道具をお手玉のように投げたり、パフォーマンスが派手。お客は白人ばかりだった。こういうのが受けるのね。

ほかの家族と相席だった。おじいちゃんと娘夫婦2組という感じ。それぞれ赤ちゃんが1人。彼らはワインをもちこんでいて、私たちにもご馳走してくれた。こういうのって、うれしい。でも、なんだか沈んでいて、会話も弾んでないし、ほかのテーブルがキャアキャア盛り上がっているのと対照的。この家族になにがあったのかなぁと心配してしまう。もちろん余計なお世話だけどさ。

このテーブルでパフォーマンスしてくれた人は、胸のネームカードにKATOだか、SATOだかと書いてあった。でも、ずっと英語を話していて、みんなの皿に盛りつけ終わり、「ごゆっくりお楽しみ下さい」と英語で言った後、ひとこと日本語をしゃべった。「お休みなさい」と。これからご飯を食べる人には使わないよね……(^◇^;)?

午後10時近くに店を出た。まだかすかに西の空が明るい。

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2000年6月19日(月)赤子殺し再び

瞑想していたら、また赤子殺しの兵士が出てきた。「私のせいじゃない! 命令を下した王のせいなんだ!」。人のせいにしても罪悪感からは逃れられない。よけい正当化しようとして、人のせいにする。悪循環にはまってる。

人から受ける非難や怒りにおびえ、怖くて人に会えない。外に出られない。目の前には殺戮シーンが何度も何度も繰り返し現れる。「もう、見たくない!」。酒びたりになっていく。

「この人生の目的はなに?」と兵士に尋ねた。自分で責任をとることを学ぶこと。命令されたにしても、拒否する道もあった。謝罪することもできた。自分の悲しみや苦しみに向きあって、涙を流し嘆くという道もあった。「それにしても大きすぎる。重すぎる。とても一回の人生で理解しきれるものじゃない!」。悲鳴のような思い。ほんとにそうだね。

「この人生がいまの私の人生に与えている影響は?」。子どもを壊してしまう、汚してしまうという恐れ。車の運転が怖いことの一つに、子どもを轢いてしまう、潰してしまうという恐怖がある。そしてその子の親から非難されるのが、なにより恐ろしい……。ああ、そうなの! よくわかる……。

「もう十分に苦しんだのだから、終わりにしましょう」と伝えると、「気持ちを吐きだすことができた。聴いてくれてうれしかった」と答えてきた。そして彼を光の中に見送った。いっぺんで全部行ったかどうかはわからない。また出てくるかも知れない。そしたらまた話を聴こう。耳を傾けよう。なにも急ぐことはないんだもんね。

夜、ボルチモアのガイドを読んでいた。「あれ? そういえば内容を理解してる」と気づいてびっくり。大学に入ってから軽い読書障害(読んでも理解できない)に悩まされていて、知らない土地のことを書いたガイドブックは特に難関だった。断片しか頭に入らなくて、地図とも連動しなかったんだけど。うれしいな。

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2000年6月20日(火)自分は自分。だけど……

ワイス博士の新しい本("Messages from the Masters" ISBN 0-446-52596-0)を読み始める。ここにも最近考えてることが書いてある。「誰一人として同じ人間はいない」「自分のペース、自分のやり方、自分の考え、自分の思いを大切に」「変化するペースはゆっくりなんだよ」って。

そう誰かと較べても意味がない。でも実生活では、いろんなところで比較して自分ひとりで焦ってたり、嫉妬していたりする。「この人はフラワーエッセンス・セラピーもチャネリングもできるのかぁ」とか、「この人のホームページはこんなにアクセスが多い」とか、様々なクダラナイことで……。

本で読んで「理解したこと」を実生活でほんとに実践するのは難しいよね。そんでも自分のペースでゆっくり行くしかないし。嫉妬しても、焦ってもいいぞ! そういう自分を観察して受け入れるように努力してみるからね。

ワイス博士も「前世療法」を書いたころに較べてまぁるくなったなぁって感じ。つまづいたり、転げたり、起きあがったりして成長してる仲間なんだな。

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2000年6月21日(水)読書障害

夏至

瞑想はこころをあそばせること。「あ〜、雑念オンパレード……」と瞑想中に思っていたら、そういう考えが浮かんできた。ホームページのアイデアも浮かんで来るんだよね。面白いものだなぁ。

頭と胸にエネルギーが淀んで溜まってつらい。瞑想すると緩和するし、仁神術の1番も効くけど、すぐ元に戻ってしまう。

なんで長いこと読書障害があったんだろう。繰り返し読んでも意味がさっぱりわからないし、頭に入らない。日本語はもちろん、英語も辛かった。どうにか英語を日本語に訳すことはできても、日本語の意味がわからない……てゆーか、現実の世界にどういう意味をもつのか、現実とどうつながるのかわからない。英語を読んでると軽い発泡スチロールのブロックが重なっているように感じていた。ひとつひとつ単語を調べているうちに、次々ブロックが落ちてきて、ひとつ押さえても、別のところが崩れて収拾がつかなくなる……。よく論文を読む生活をしていたものだと感心しちゃう。取材に行くにしても、事前に資料を読もうとしても無駄なだけだったし。耳から入る情報は理解できて、記憶にも残ってたんだけどな。「私は読んでも理解できない」なんて人に言えないし、言ってもわかってもらえそうもないから、そこが一番辛かった。

読書障害の意味は、本からの情報ではなく、生の声や体験に接することを学ぶためかな。ハーキマーダイアモンド(水晶なんだけど、こういう名前なの)がすごい浄化の力をもってるみたい。

せっかくの前世療法のスキル、やっぱり使いたいなぁ……。

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2000年6月22日(木)人と人をつなげられたら

昨日、ホームページを一括してたくさんの検索エンジンに登録するってのをやってみた。登録しすぎて、検索エンジンのアドレスがわからないのまで出て来ちゃった(^^;。がーん。まぁいいか。登録してくれた検索エンジンにリンクすることにした。お互い様だもんね。

自分のページで、もっとたくさんのセラピストやヒーラーを紹介することにしよう。そうしたらセラピーを受けたいけど、どうやってセラピストを探せばいいかわからないって人の助けになると思う。人と人をつなげられたらうれしいもんね。きっと人と人はタタミイワシみたく((^◇^;)?)ネット状につながってて、そこにまた一人ひとりが支えられているんだろうから……。

今日は友だちの家でサンドイッチパーティー。思いついて「不思議クリニック」全巻を持っていった。前世とかカルマの仕組みとかがすごくよくわかるし、読みやすいマンガだし。ファンが増えるといいな。

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2000年6月23日(金)初ひとり運転

沖縄慰霊の日

ダンナを会社に送迎した。生涯通じて一人で運転するのって初めて! 割と冷静だったかな。感謝。まだちょっと怖いくせに、嬉しい気持ちがわき上がってくる。

会社への途中で郵便局に寄った。日本に手紙を出したかったの。航空便で、はがき55セント(50セントじゃないの?)、封書60セント。日本より、郵便料金ははるかに安いなぁ。55セント切手を買ったら、はがしてはるだけのシールだった。日本でもドラエモン切手かなんかがそうなってたよね。

新発見! 郵便配達車は右ハンドルなのだ! 右側通行だから家々の郵便受けは道路の右側にあるよね。運転席に座ったまま郵便を配ることができるわけ。すっごーい、合理的イィ!

運転をやり遂げて興奮しながら瞑想に入ったせいか、瞑想にならなかった。次々に楽しい雑念が……(^◇^;)。でもね、楽しみがいっぱいあって、いいなぁって思ったのさ。

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2000年6月24日(土)バビ・ヤール

ボルチモアまでショスタコーヴィチの交響曲第13番「バビ・ヤール」を聴きに行った(ユーリー・テミルカーノフ指揮、セルゲイ・アレクサーシン バス独唱、ボルチモア交響楽団)。車で4時間半。ひたすら高速を走って行きましたよ。

バビ・ヤールはキエフ共和国にある地名で、日本語にすると「婆谷」くらいの意味。ここで第2次大戦中に、ナチスによるユダヤ人その他の大虐殺がありました。イェフゲニー・エフトシェンコという若い詩人が、それを題材に詩を書き、ショスタコが曲をつけて1962年に完成(同年12月18日初演)。バス独唱とバス合唱がついた交響曲なのです。ダンナの所属するアマチュア・オーケストラ「ダスビダーニャ」でも演奏したので、馴染みがあるし、とても好きなの。

しかも今日の演奏会には当のエフトシェンコがやってきて、詩を朗読するというではありませんか! そう、ショスタコは1975年に69歳で亡くなっていますが、彼は存命中なのです。だいぶ前にアメリカに亡命してきて、こちらで暮らしています。すっごいチャーンス! ダンナは日本で自分たちが演奏したときのビデオを渡して、今度の演奏会(2001年2月)では、やはり彼が詩を書いた「ステパンラージンの処刑」(もちろん作曲はショスタコ)をやることを知らせたいと準備してました。でもどうやって、彼に会えばいいんでしょ?

ボルチモアは土曜日のせいか繁華街にも人気がなくて、ちょっと怖い町でした(でも、初めてNYに行ったときほどの怖さには感じなかったかな。ミテの中の「恐怖」が薄れてきたのかもね)。コンサートホールまで、行きは明るいから歩いてもいいけど、帰りはどうしよう? ホールの周りだけやけに活気があって、急に照り輝いて、聴衆もNYより盛装している感じ。

席についてダンナがスコア(全楽器が載ってる譜面)を見ていると隣の人が話しかけてきました。なんとチャタムの隣の隣の町モーリスタウンから聴きに来たんですって。奇遇です。

演奏会はエフトシェンコのお話(英語)、詩の朗読(ロシア語と英語)で始まりました。なまってて(なくても(^◇^;))全然意味はわかんなかったけど、すっごくいい声だったなぁ。そして演奏はもう! 感激!! スタンディング・オベイションだけではすまず、手拍子(「アンコール、アンコール」ってやるときみたいな)で終わり。ここまでの賞賛は珍しいんだって。でもホント、それに値する演奏だった……(チケットは35ドル)。

そしてロビーでエフトシェンコのサイン会が始まりました。ドキドキしながら順番を待ち、ビデオを渡し、スコアと買った本にサインしてもらい、握手して、そのシーンを写真に撮りました。「ステパンラージンをやる」と言ったら、彼は急に目を輝かせました。「え? 日本で!?」。もしかしたら来年の2月、日本に現れるかもしれませんよ?

興奮さめやらぬダンナと2人、ホテルまでの道すがら「あ、忘れたっ!」。曲中に出てくる誰も知らない謎のカブール・ソース」ってなんなのか聞けばヨカッタ!! きぃ〜、くやしいっ。

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2000年6月25日(日)星条旗よ永遠に

昨日から、この世で出会う人すべて、出会うべく出会ったのだという感じが強くしている。ホテルのフロントのねーちゃんも、レストランで隣り合ったおっさんも、町ですれ違うあんちゃんも……。

ホテルではミニバーのついた部屋を頼んだのに、部屋の冷蔵庫が開きません。夜明けに喉のかわきにたまりかね、フロントに行って開けてもらいました。水を飲んで一息ついてまたオヤスミ。起きてからコーヒーメーカーでコーヒーを入れて飲みました。ん……で、でも……コーヒーのせいなのか、急速に体力がなくなっていく感じ……。ミテもダンナも刻一刻と弱ってきて、楽しみにしてた水族館はやめて、ご飯を食べたら帰ることにしました。

ボルチモアの観光の目玉はインナー・ハーバーと呼ばれるチェサピーク湾添いの一画です。昨日のホール周辺とは打って変わって、人・ひと・ヒト! ほとんど白人、ときどき黒人、アジア系はちらほらとしか。名物のシーフードのバフェに腰を落ち着けたのです。はぁ、やれやれ。お水を飲むと、すこし体力が戻ってくるよう。脱水症状だったのかな? カニは苦手なのですが、コックさんがお皿に盛ってくれたので、しぶしぶ食べてみました。あれ、おいしいかも? アメリカにてカニに開眼?

帰るまえにマクヘンリー要塞に寄りました。アメリカ国歌ができたところなんですって。ちょうどビジターセンターで「国歌ができるまで」の映画を始めるところでした。映画の終わりに館内のカーテンがひかれると、外に巨大な星条旗が見えて、館内には国歌の男声合唱が流れます。みんな椅子から立って、帽子を脱ぎ、ある人は胸に手を当てていっしょに歌ってます。なんたることか、ミテは胸がじーんと熱くなり、涙まであふれそうになる始末。いったいどうしたのぉ? なんか前世であったのかもね。

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2000年6月26日(月)レイプされた娘

土曜日の演奏会後、ホテルに向かっているときに黒人にレイプされている白い腿のイメージがちらついたので、瞑想で探ってみた。ボルチモアに生まれて育った白人女性。少女時代にレイプされ、男を憎み、黒人を憎んだ。理解してくれない家族も憎んだ。ひとりで町を出て、一生独身を通した。教会に通い、信心深く振る舞ってはいたが、ほんとうは神を呪っていた。その人生では許すことを学ぶはずだったが、きっかけも手がかりもつかめず、憎しみ続けるしかなかった。心は固く凍りつき、悲しみも憎しみも語ることはなかった。

「いまは許せますか?」……完全にとはいかないかもしれないけど。「それで大丈夫。それでいいのよ」、と語りかけたとき、彼女は光り輝いて天に消えて行った。最後に名前を聞いたらアイリーンといった。

大きな解放をしたのでグッタリ……。そのあとシビアにお腹こわしてしまった。

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2000年6月28日(水)お庭に鹿が

ダンナを送っていき、帰りに買い物をした。祝・初ひとり買い物

夕方迎えに行った帰り道、さるお屋敷のそばを通ると庭に鹿の群が。庭と言っても「農場?」ってぐらい広いのだけど、2,30頭はいたかなぁ。おとぎ話のような光景でした。

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2000年6月30日(金)スウェット・ロッジ

ときどき息苦しさを感じるので、瞑想でそれをみた。息苦しいといっても「死んじゃう」って感じじゃなくて、「意識を失えば上の世界とつながれる」っていう感じ。でもって、それがイヤなの。

ネイティブ・アメリカンのスウェット・ロッジを思い出した。小さいテントの中を蒸し風呂状態にして、意識をとばすヤツ(むかし、テレビでキムタクが体験してた)。そう、それなんだよ。もうイヤで苦しくて、逃げ出したいほど辛かった。白人社会に行けば、こんなことしなくてすむのに……。いままで何度も蒸し焼きになって死んでいるから、ことさら辛いのだろう。

白人とネイティブ・アメリカンの混血だったときのようだ。とうとうシャーマンを殺して逃げようとする(シャーマンは現世で知ってるヒト)。だってシャーマンは「イヤだ」という気持ちを全然汲んでくれないから。そして怪我をして、荒野に放置されたのだ。恋人とその父親が怒っているシーン(ミテの前世のページにあるやつ)はそれだったのね。

自分がイヤなことは断ることを学ぶ人生だったの。できないなら、できないとはっきり言うのだ。白人だ、インディアンだと自らこだわって、自分を制限してたんだ。「そんなことを学ぶために、あんなに辛い人生を送ったのか?」。しばらくぷんぷん怒っていたけど、少しずつ納得していった。光の中に彼を見送った。

彼の名前はイーグルホークだって。ほんとかよ? ニヤニヤしちゃった。

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