2001.2.4 更新

2000年11月1日(水)魚を買うには

今日も友だちと2人で22号沿いの中華系マーケットに行く。この前試したケーキ屋さんでまたしてもケーキを買ってみた。丸いパンのようなのを買ったんだけど、あまりに硬くて歯が立たなかった。ちっ、今日は失敗!

お魚コーナーでエビを買った。新顔の店員さん、英語が一言も通じない……。「ハーフ・パウンド」って言ったら、困ったように首を傾げて、センパイに聞きに行った。意外に中国人じゃないお客さんも多いんだよね〜。大丈夫かな〜。

まだお魚を丸のまま買ったことはないのだ。英語で「内臓取って」って言えないから(^◇^;)。彼女の提案。「紙に『請内臓除去』と書いて見せたらどうかしら?」。うーん、いいかもしれない!

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2000年11月2日(木)近所に池が

お散歩に出かけて、家のそばに池を発見。白鳥一羽とグースさんたちがいた。足元を見ると、グースさんの糞だらけだけど、景色はホントにきれい……。うーん、のんびり〜。

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2000年11月4日(土)パーティー

いつも一緒に買い物をするお友だちがパーティーに呼んでくれた。彼女の英会話教室の先生、生徒のエクアドル人と日本人。日本語を勉強しているアメリカ人。いっぺんにたくさんの人と出会った。

エクアドル生まれのマルシアさんは、英国人と結婚して、ヨーロッパにも住んでいたそう。彼女の人生を聞いていると、すごくびっくりしちゃう。アメリカ人たちは夕方には帰っていき、日本人と彼女が残った。アメリカ人は一見オープンだけど、お友だちになるには時間がかかるんだって。でもヨーロッパの人は閉鎖的なので、アメリカの方が好きみたい。彼女はしゃべれるけど、読み書きが苦手なよう。

今日のメニューはちらし寿司、天ぷら、そうめん、お鍋……。いいなぁ、いつかミテもパーティーをひらく日がくるだろうか!? どっちかというと、お料理は苦手……。だいぶ改善したけど。

主催の彼女がピアノを弾き、うちのダンナがチェロを弾いて合奏。アメリカ人の一人がフルートを吹いて、3重奏。なんかいいなぁ、かっこいいなぁ。そういえばヴァイオリン、放りっぱなしなんだよね〜。「楽器の才能はない」って思いこんでるし……。でもちょっと刺激された。

日本人の一組のご夫婦と話していたら、ダンナ同士が同じ大学だということがわかった。日本にいたときはすぐ近所に住んでいたのだ! わぁ、偶然。もう一組は現在、徒歩5分くらいの距離に住んでいることが判明! 前世療法の話をしたら、興味をもって下さった。うれしいなぁ。「不思議クリニック」を読んでもらおうっと。こちらに来てから、たくさんの人に「不思議クリニック」を回覧してるの

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2000年11月5日(日)石展

近所のワッチュング森林公園で鉱物ショーがある。楽しみにしてたんだ〜。講演や、石の研磨の実演、販売、野外教室など盛りだくさんなんだけど、お目当ては販売! 駐車場、満杯だった。この前来たときは閑散としてたのに、みんな石が好きなのかな〜? 展示館のホールに芋の子を洗うような人。入場料1ドル("Dollar each" と言われてよくわかんなかった。何分かしてわかった)。石屋さんが何軒も出張してきてる。ふっふっふ。

玄武岩(かどうかは知らないが)みたいな石、化石、貴石。お店によってちょっとずつ違う。うーん、迷うな〜。なにを買おうかな〜。ひととおりざっと見てから、クリソコラマラカイトを買った。クリソコラはアリゾナ産。きれいな青緑色。70グラムもあるのに、5ドル! マラカイトは1個2ドル。やっぱり日本で買うより安い?? 欲しいと思っているクリア・クォーツのクラスターはなかったけど、大満足。

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2000年11月7日(火)エネルギー感じる?

米大統領選投票日 Election day

ホームページを見て下さった方とメールのやりとりをしている。最近、エネルギーを感じる人が増えたみたい。「こっちはまだよ〜」なんてちょっと焦っちゃう。もっと自分自身を信頼できるといいんだけどな。

パーティーで新しい人と出会って、気づいた。ミテって神経質だな〜。というか、「いつ怒られるか」とビクビクしている感じ。すぐ傷つくし。考えちゃう。まだまだインナーチャイルドの癒しが必要だね。なせいか、いま"Baby blue eyes"というエッセンスを飲んでいる。「世界が安全であることに気づく。信頼できるようにする」ためのFES。うーん、ちゃんとモノゴトは繋がりをもって起こっているね。

「ずっとしたかったのに、先延ばしにしてきたこと」を考えてたら、ホームページで石の紹介をすること、って思いついた。写真を載っけて、どんなエネルギーなのか書いてみたいのだ。ちょっとずつ始めよう!

(書いてて思ったんだけど、1段落目で「エネルギーを感じない」、3段落目で「エネルギーの紹介したい」ってなんか矛盾してるね〜(^◇^;))

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2000年11月8日(水)お散歩企画

ロアンタカへのお散歩にお友だちを誘ってみた。weatherplanner.comを検討して、暖かい日を選んだの。ドンピシャ! このページはよく当たるなぁ。

まず中華料理店「BEAN CURD」で腹ごしらえ。オクサマたちだけで、外食したのは初めてかな〜。あとでわかったんだけど、入れ違いにダンナたちがお昼を食べに来たんだって! 顔合わせたら、面白かったかな。

駐車場に着いたら、向こうの方に鹿発見! 道路を渡った牧場には馬がいるし。うれしいな〜。キッチェル池を目指してブラブラ歩く。もう葉がだいぶ落ちて、見通しがいい。落ち葉ががさがさ言ってるのは、リスくんたち。よく追いかけっこもしてる。途中で猫の鳴くような声が聞こえた。「なんだろう??」とキョロキョロ。リスが枝の付け根に座って鳴いていた! こんな声出すんだ〜。

池に着いてベンチに座ったら、お日様はぽかぽかしてるし、お昼寝したいほどの気持ちよさ。グースさんやカモメさんたちは、せっせとご飯食べてるし。静かだし……。日本ではこんな環境は望めないだろうなぁ。落ち葉の清掃車がやってきて、盛んに木の葉を池にふきとばしてた。水に落としていいのか〜??

駐車場までの帰り道、森で雄鹿(前に習いましたね。buck, stag)を発見! 立派な角がついてた。なかなか角付きのはみかけないの。うれしいなぁ。遠かったので、写真には撮れず残念。ズームがないから難しいのだ。一緒に行った一人は町に住んでいることもあって、あまり生きてる鹿を見たことはないんだって(道路ではよく死んでる鹿を見る)。喜んでもらえて嬉しい。「美穂さんは生き物をよく見つける」って言われた。そういえばダンナにも、別の友だちにも言われたことがあるなぁ。だてに生物学科じゃない?

仕上げに牧場の柵まで行って馬とご対面。1頭寄ってきて、顔をそばまで持ってきたのでナデナデ。満足〜! 池まで往復で3マイルちょっとの道のり(5キロ弱)。気持ちのよい日であった。

大統領選はフロリダ州でゴアとブッシュの票差が小さいため、数え直しとなった。「数えなおしたら、結果が変わるっての?」とミテ。「ここはアメリカだよ」とダンナ。納得! おおらかというか、おおまかというか、いい加減なところ、あるもんね。

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2000年11月9日(木)車修理

ミテの人生の目的は「人を愛すること」かなぁって思った。ずっとそのことで悩んだり、苦しんだりしてきたから。瞑想で確かめようとしたら「直感を信じればいいじゃん」って言われた気がした。

車、この前5,000 マイルごとのInspection (車検)に出した。オイル交換もやってもらったようで、気分がいい。今日は別のところにエアコンの修理に出した。まったく効かない訳じゃないけど、4段階の強さのうち1と4しか使えないので不便だったの。

1日で修理が終わって、夜、伝票を見ていたらいくつかリコールの修理もしてもらったことがわかった。詳しくは見てないんだけど、車のリコールってそんなにしょっちゅうあるものなの???

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2000年11月10日(金)ワタシは誰?

昨日車がガレージに帰ってきたとき、なんとなく焦げ臭かった。途中で火を噴いても何だし、とダンナに運転して行ってもらった。ダンナなら運転中に火を噴いてもいいのか!? うーん、鬼ヨメ。

「私は誰か」というライトボディの瞑想をした。ほとんど寝てたんだけど、ほかの人とは全く違うことになるので、他人を羨む必要なし、と。ふーん……。

栗ご飯を作った。栗を焼けば皮が「簡単にむけるゾ」とクッキング・パパが言うので、やってみた。ウソじゃーん、むけないじゃーん! ぱりぱりっとむけるのも1個か2個はあったけどさ。四苦八苦して指が傷だらけになっちゃったよ。

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2000年11月11日(土)美容は敵!?

顔を洗うのがキライ。お風呂に入ったとき、仕方なく洗うだけ。お風呂もキライ……。けど最近、朝晩顔を洗っている。どうしたんだ。エッセンシャル・オイルも美容に使ってみようという気になった。いままでは瞑想に使うだけ。どうしたんだ。どうやら美容やおしゃれをすることに罪悪感があったようだ。「そういうことはしてはイケナイこと」だったのだ。修道生活をしていたとき(過去生)の影響? 友だちに「いつもきれいでいるように」と言われて、腹が立ち、絶交しようかとまで思っていた。でもさすがに「ヘンだな〜??? そんなことで???」と引っかかっていて、気がついたの。

フェリーでマンハッタンへ。紀伊国屋書店にオーラソーマの本があった。さいきんオーラソーマの問い合わせを受けたばかり(なぜ(^◇^;)??? オーラソーマのことは知らないのに〜)。これも縁かと手に取った。なになに、ミテには「サイキックなヒーラーになる能力」がある? え、そうなの!?

今日は心に余裕があって、ヘンに気負ったり、焦ったり、不安になったりということがなかった。でも喉が痛くなったり、頭が痛くなったり。人が多いマンハッタンは苦手……。

今日は初EZ PASS(イージー・パス)。高速の料金所でいちいちお金を払わなくても、機械が読みとって口座から引き落としになる。車につける機械をこの前郵送してきたので、自分で取り付けたのだ。ちゃんと動作するか! どきどき! お! うまくいったみたい! 家に帰ってインターネットで口座の金額を確認。おお、引き落とされてる。すごいラクチン♪

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2000年11月12日(日)高速運転

「ライトボディの目覚め」の中のお祈りを一日に一つ、声に出して読んでいる。最近は「喜び」の祈りばかり選ぶ。こういうこと、もっと信じよう!

どんな人もそれぞれの方法で成長している。だから他人のことをとやかく言う必要も、権利もないんだ。「リヴィング・ウィズ・ジョイ」を読んで、すっごく納得。腹を立てることが減ったような……。

今週のヒューストン旅行に備えて、ちょっと離れた安売り店まで、服を買いに行った。ダンナのナビでミテが運転。「高速に乗るよ〜」。ちょっと怖かったけど、「よっしゃ!」。複雑で短い合流。最悪の条件だけど、なんとかなった。「合流して、I-80(アイ・エイティ)に乗るよ〜!」。え〜っ! 

I-80 というのはInterstate 80。州道は州が変わると名前が変わるけど、インターステートは州を貫いて走っている高速道路なのだ。州間高速とか、州際高速とか訳してるみたい。I-80 はニュージャージー州からカリフォルニア州のサンフランシスコまで(かな?)、大陸を横断している高速道路。ミテの頭んなかでは「高速中の高速」「高速道路の王様」! そんなところを走るなんて〜!(設備的には単なる高速)。

「すぐ降りるから……」「わかった〜(;_;)」。ところが降りるべき出口が、向こうの車線にしかなかった! 「あれ? 行き過ぎちゃった……」。そんなぁ〜。「つ、次で降りればいいよね……」。でもなぜか「次」がなかなかない。思いがけず高速ロング・ドライブ……。はーっ、やれやれ。でもちょっと自信がついたかも。

無事、店にたどり着いて服と靴を買った。いまはいてる靴は幅が狭くて、足が痛くなっちゃうのよね。安い店だけあって、売場は広いけど種類は少ない。あ、でも! 発見。wide width (幅広)ってのがあるじゃない! あ〜ラクチン! そうだよね。ガイジンだって、足の幅がある人はいるよね〜。安かったし、るんるん♪

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2000年11月13日(月)オーツ、つぶれた!

土曜の夜、ワイルド・オーツまで水を汲みに行ったら(水を入れるボトルを買って、店でリフィルできる。1ガロン=約4リットル、39セント)閉まってた。時間を間違えたかと思って、出直すことにした。

で、朝。一抹の不安を抱きつつ、店の駐車場に入れ、入り口に。張り紙がある。「残念ながら、11月11日をもって閉店することになりました」。

そ、そんなぁ〜(;_;)!! よりによって、われわれの入籍記念日に……。

フラワーエッセンスは、エッセンシャル・オイルは、再生紙利用のトイレット・ペーパーは、オーガニックのハーブティーは、どこで買えばいいの〜?? ホホバ・オイルは? ケフィア(あやしい乳飲料)は?? バッグ・クレジット(買い物袋を持っていけば、5セント値引きしてくれる)は?????

こちらに来たてで、なにかにつけてビクビクしてたとき、この店なら安心して落ち着いて買い物できたのに……。お客さんが少なくて、ガランとしてるから……(だから潰れたんだ(^◇^;))。いわばミテのゆりかごだったのに……。しくしく。おかあさんがいなくなって、途方に暮れてるみたいな寂しさ。 

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2000年11月14日(火)差別妄想

オーツがないから、ほかのスーパーに行かねばならん。STOP & SHOPKING'Sに行ってみる。ストップ・アンド・ショップは庶民的、キングスはちょっと高級。

キングスにいると、オドオドしてることに気づく。お客さんは白人ばかりだもんね。「差別される(>_<)」っていう被害妄想が心の中に広がるのだ。

たとえばこっちのお店でレジの人が不機嫌だとする。「あ、あたしがアジア人だからなのねっ! ひ、ひひ、ひどいわっ」って思っちゃうんだよね(「日本人だから」ではなく……)。でも、よく考えれば東急ストアにも、ファミリーマートにもそういう店員さんはいた。無愛想な対応にいちいち傷ついてたっけ……。

そのことに気づいてからは、家の近所やロアンタカにお散歩に行くことは苦にならなかったんだけど。まだちょっぴり残ってるのね〜。

などと思いつつ、売場を物色する。うわぁ、やっぱりオーガニックのハーブティーはなし! 通り一遍のしかない。あれ、おいしかったんだけどな〜。ここらへんは金持ちが多いはずなのに。オーツ、つぶしちゃうくらいだもんな〜。前世療法を教えてくださったトリシアさんがおっしゃってたっけ。「ニュージャージーの人は保守的なのよ〜」って。

家では瞑想三昧。以前参加したセミナーのMDを聴きたくなって探した。頭の中に、ある段ボール箱のイメージが浮かんでたんだけど、あちこち探し回った。結局、思い浮かべてた箱の中にあったよ。ヒーリングをしたり、クンダリニーを感じたり、面白かった。

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2000年11月15日(水)ヒューストン旅行

今年はソ連の偉大な作曲家ショスタコーヴィチの没後25年(ジョン・レノンの5年前だね)。と言うわけで、テキサス州ヒューストンでショスタコーヴィチ・フェスティバルがあり、お出かけ!

今回はコンチネンタル航空のE-TICKET イーチケット。チェック・インが楽、と言ってコンチが売り出しているのだ。クレジット・カードを機械に入れると、乗る予定のフライトが表示され、指示に従ってイエス・ノーを答えていけばオッケー。「チケット、持ったっけ!?」「な、なくしたの〜???」なんてことがなくなるね。

ちなみにヌアーク=ヒューストン往復で200ドル! アメリカの航空運賃はよくわからん。片道3時間半も乗るんだけどな〜。

機内食はハンバーガー、ベイビーキャロット(指先くらいのかわいい人参)のゆでたヤツ袋詰め、トルティア・チップ、チョコレート。すっごくアメリカな気分。

午後1時半、ジョージ・ブッシュ国際空港(ジョージ・W・ブッシュではない。オヤジのほう)に到着。カリフォルニアと違って、緑豊かな土地。きれいじゃん。テキサスは南部なので、ダンナはちょっと人種差別を心配してたんだって。でも、レンタカーの受付で、そんな危惧はぶっとんだ。とっても元気で陽気で愛想がいいのだ! 人は南に行くほど、愛想がよくなる?

演奏会場、ホテルともヒューストン大学の構内にある。しかもそのホテルはヒルトン」(Hilton University of Houston)! ヒルトンに泊まれるなんて〜(ツインで1泊95ドル)。でもなんで大学なの??

大学は町の南。とりあえずホテルにチェックインして、演奏会場を探す。音楽学部に付属するオペラ・ハウスなのだ。位置を確認したモノの、入り口にもどこにもショスタコのショの字もない。学生会館(と言っても日本のモノとはイメージが違う。ファスト・フード、バー、ビリヤード、ボーリング、ゲーセン、本屋、ショップ、床屋などあり)にもポスターひとつ張ってない。ホントにやるのか? ガセじゃないのか、とちょっと不安……。

アメリカにはDSCH・ML(ショスタコ・メーリングリスト。ドミートリー・ショスタコーヴィチをドイツ語で書くと頭文字がD・SCHになる。ドレミで言うとレミドシ♪)があり、ダンナも参加してる。MLで開催を知ったので、主催者ともうひとりヒューストン在住の人と事前にメールをやりとりしてたんだって。「会場で会いましょう。こちらに着いたら電話ください」とのこと。電話はムズカシイが、彼は果敢に挑戦。電話を切って「女の人だった〜!」。Nora さんなら女性だよ〜(^◇^;)。

早めに会場に行く。よかった、ホントにやるんだ〜。蝶ネクタイの紳士が「ニューヨークから見えた方ですか?」「いえ、ニュージャージーです」「それは失礼……!」。50代くらいの女性が「ニューヨークからですか?」「いえ、NJです」「ごめんなさいね」。???? でも蝶ネクタイはどうやら主催者のよう。こちらから名乗ると、「ああ、やっぱりあなたでしたか! ヒューストンへようこそ!」と握手(ほかにアジア人はいなかったもんね)。くだんの女性もノラであることが判明。ご挨拶した。テキサス人にとっては、ニュージャージーもニューヨークも同じなのか??

ノラがDSCHジャーナル(ショスタコ・ジャーナル)の編集長とライターを紹介してくれた。またニューヨーカーのリチャードも。人と出会えて、なんかうれしい。

今日は「ボルト」「バレエ組曲」などバレエ音楽の特集で、しかもバレエ付き!!! ミテはバレエを習っていたし、踊り大好きなのですっごく楽しみ。音楽を聞くと、ついつい振り付けを考えちゃう人なの。実際にショスタコの曲で踊りが見られるなんて〜〜〜! しあわせ♪ 舞台は期待に違わぬものだった。こんな至福の時をすごせるなんてね〜(日本の友人も誘ったんだけど誰も来なかった。これを見逃すとは〜!)。

初日を祝ってか、終演後ロビーでシャンパンをふるまってた。もちろんいただいて帰りましたとも♪

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2000年11月16日(木)ヒューストン2日目

すんごい雷鳴で目が覚めた。ニュージャージーのもなかなかだけど、テキサスの雷もすさまじい……。ときどき雨がぱらつく曇り空。暖かい。

ルームサービスで朝ご飯。わーい、初めて。紅茶を頼んだら、何種類ものティーバッグが来た。もって帰りたいくらいだよ! ホテルの部屋で飲むために3個くらいがめた。コーヒーのセットは備え付けだけど、どうしてお茶がないかな〜。

まずはAAA(トリプル・エイ、日本のJAFみたいなもの)のオフィスでヒューストンの地図をもらおう! ……と英語のガイドブックを頼りに車を出す。あれ〜? ないよ。それらしいところを回ったけど、全然影も形も。古いガイドなのかな〜。

じゃ〜、同じ本に載ってるアジアン・レストランに行こう! あれ〜? ないよ……。しくしく。適当に見つけたお店に行く。"Taste of Asia". ベトナム料理かな。ランチの時間はもう過ぎてたけど、出してくれた。新しい綺麗なお店。おいしかったな〜。

次はヒューストン自然科学博物館 Houston Museum of Natural Science へ! なんたって、鉱石がいっぱいあるっていうもんね! まっさきに石に会いたいけど、「まぁ、化石から」とダンナ。恐竜の化石、元素の周期表、フーコーの振り子。わかりやすいように、展示が工夫してある。大人だって、英語だって面白い!

マヤ・インカ展もしていたので覗く。不思議な形。不思議な模様。親しみは感じないけど、楽しい。

そして石! 室内の照明を暗くして、石の一つ一つにスポットライトを当てている。静かにチャイコフスキーが流れてる。なんてステキな雰囲気なんだろう! 平日だけあって人は少ないし。素晴らしい! コレクションそのものはベリル族が多くて、種類はそんなにないかも知れない。でも、石の解説コーナーもあるし、スミソニアンより落ち着いているし。ヒューストン在住のノラに言わせると「世界一!」。スミソニアンから引き抜いた人が展示を担当しているそう。ちなみにノラも石の収集家なんだって!!!! コレクションを拝見したいな〜。でも初対面だし、言い出せなかったですよ。

あと、ここで有名なのはチョウチョ館 Cockrell Butterfly Center。温室に熱帯の気温と植生を再現して、本物のチョウチョが舞うのだ! あいにくの曇り空で、そんなには飛んでなかったけど、でもひらひらとキレイだったよ〜。アゲハや、モルフォ蝶もいるし、シジミみたいのも。

次はニュージャージーにもある日本食料品店・大道(だいどう)を訪問。目的は焼酎。でも残念、日本酒しか置いてなかった。お隣の「寄り道」さんで聞いたら、日本酒・ワインなどのお酒の販売免許と、焼酎などでは違うんだって。日本語新聞に広告に「いいちこ」を売ってる韓国系のお店があると教えてもらって、レッツ・ゴー! しかしながら、土地勘がなくてたどり着けなかった(^◇^;)。

「もうホテルに帰ろう」と諦めたとき、小さなリカーショップを発見。入ってみた。東洋系の女性がお店番。ウォトカを買う。お勘定の時に話したら、中国系ベトナム人で、アメリカに来て17年だそうだ。親切な人なつこい感じの人。わざわざ出口まで見送りに来てくれた。なんか感銘を受けたの。何でだろう……。

今日のショスタコ・フェスティバルは室内楽。ピアノ五重奏曲 op.57、チェロとピアノのためのソナタ op.40、ピアノトリオ第二番 op.67。ソナタではチェロの弦が演奏中にゆるんでしまい、弾き直すというハプニングがあったけど、よかった。楽しかった。今日の演奏はヒューストン大学音楽学部の先生方なのかな。

DSCHジャーナルの編集者ハワードが「明日NASAに行かないか?」と誘ってくれた。ノラのお友だちがNASAにいるので、特別に見て回ることができるという。ずっと英語か〜と思うとちょっと気が重いけど、ホントは英語を話したいし、「特別に」なんて聞くと、ね! 朝9時、ロビーに集合と約束して別れた。

ホテルのレストランに行くと、もうバーしか開いてなかった。でも、親切にフルーツとケーキを出してくれた。係の男の子が「お国はどちらですか?」「当ててみて」「タイ?」(インド系の服を着ていたからか?)「ノー、日本だよ」。そしたら日本人の女の子を連れてきてくれた。ヒューストン大学でホテル学を勉強してて、この大学付属(?)ホテルでバイトしてるんだって!!! そっか、それで大学内にホテルが……。学生さんにとっては実地研修の場なのね。そして学生なら、ホテルに40ドルくらいで泊まれるそう。アメリカの大学は実学がいっぱいあって面白いな〜。

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2000年11月17日(金)ヒューストン3日目

ノラとリチャードの車2台でNASAに出かける。我々はリチャードの車。うーん、なかなか飛ばしますね〜。ゲートに10時の待ち合わせなんだけど、誰も来ない。実はジョンソン・スペース・センター(本物のNASA)の入り口のハズが、スペース・センター・ヒューストン(観光用)で待っていたのだった。

ジョンソン・スペース・センターの受付に行き、ノラのお友だちを呼び出そうとしたが、なんだか手間取っている。われわれは彼女に任せて、キョロキョロ。一人、日本人が来ていてちょっぴりお話しした。NHKの番組に毛利さんが出演するので、そのテキストの写真を借りに見えたんだって。時間はかかったが、彼は首尾よく中に入っていった。

で、ワレワレ。すったもんだして、リチャードが「パスポート持ってる?」。んんん? そんなもんがいるの??? ところが、結局、ガイコクジンには見せてあげない!!!ってことになってしまったのだ。

ガイコクジンは私たち夫婦と、英国人のアレン。ノラは「なんてことでしょ! ほんとに恥ずかしいわ!」と言うし、リチャードは「これが『自由』の国だからね。不自由だらけだ!」。わぁ、そう思ってくれるんだ。なんかうれしー。(移民局などでこの手のことは経験済みなので、われわれは「こんなもんだ」と思っていた)。

で、みんなでスペース・センター・ヒューストンへ。寒かったけどトラム・ツアーに(壁がない長いバスみたいなものに乗る)出かけて、ミッション・コントロール・センター(スペースシャトルなどのコントロールをするところ。「こちらヒューストン!」って交信するとこだな)などを見る。なんにも飛んでなくて暇そうだった。そしてそれぞれ展示を見て、お昼を食べて、お土産を買って……。IMAXシアターもあるし、面白かった。お土産には「宇宙食のアイスクリーム」を買った! 乾ききったビスケットみたいなものだった、ケド……。

3時ごろにはホテルに戻って解散。ありがとう! 楽しかった〜。われわれはそこから本屋さんを求めて車を出した。もちろん日本語の本屋さん。大きなモールにあるのだが、モールはお店があんまり入ってなくて、人影も少なくて……??? 目指す本屋さんは、ギャラリーがあって、和紙などを売っていて、古本のコーナーもある、というお店だった。ちょっと想像と違ってたね。でも、ダンナがずっと探していた文庫があった! そして名香智子さんの「パールパーティー」2,3巻も!!! 日本でずっと探しててなくて、だから1巻を手放してしまったというのに! 残念だけど諦めよう。

今日の演目は「ミケランジェロの詩による……」「室内交響曲」「ラヨーク」。ダンナがラヨークには作品番号がないことを発見! 強烈な風刺劇(オペラ)なので、発表しなかったんだっけ?? 

舞台の中央、オケの手前に「議長」がいて、ソビエトのなんとか委員会が進行する。書記と委員たちが、議長の発言や、発表者のコメント(荒唐無稽な説をもっともらしく歌う)に拍手をしたり、首を傾げたり。あんまり楽しくて、委員が拍手するところでミテも一緒に拍手しちゃった。客席は手をたたいてないのに〜。いいんだもん! 舞台と一体化してたんだもん(^◇^;)!

最後には委員会全員が踊り出す。すると指揮者が議長に指揮棒を渡して、自分は踊りだしてしまった。議長はしょうがなく、おそるおそるオケを振って、幕! ああ、笑い転げた! 楽しかった!!! ラヨークを生で見られるなんて! なんてラッキー♪♪

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2000年11月18日(土)ヒューストン4日目

高速で初めて「最低速度制限 SPEED LIMIT MINIMUM」を見る。話には聞いていたけど、NJでは見たことない! 妙に感心しちゃう。40マイルだったかな?

昨日オープンした日本食バフェTodai(とうだい)でお昼を食べる。広いお店で食べ放題! 時間制限は……なしだと思う。お寿司、うどん、ラーメン、シュリンプカクテルなどなど。アジア人のお客さんもいるけど、白人も結構多い。味はまぁまぁ。でも、バフェって何かそそられちゃうね。

同じモールにテキサス土産のお店があった。カウボーイハットとか、インディアン・グッズとか、ビーフジャーキーとか。「幸せを呼ぶ」お守りを買っちゃった。羽根と天然石を組み合わせたもの♪ なんだか羽根って好きなのよね〜。

個人の美術収集品を公開しているメニール・コレクションに行ってみる。シュールレアリズムもあれば、太平洋やアフリカの民芸品もあって面白い。1万点も収蔵品があるそうだけど、美術館自体はこぢんまりした平屋なので、全部が展示されてるわけじゃない。なにが出てるかは「お楽しみ」、なのかな? 見る人が見れば垂涎ものなんだそうだ(ミテには猫に小判)。ついでに近所のByzantine Fresco Chapel Museum に行く。小さな近代的なチャペル。古いフレスコ画が飾られている。と〜っても静かなの。ちょびっと瞑想。

今日のタコ・フェス(ショスタコーヴィチ・フェスティバル)は「ユダヤの詩による……」と「交響曲第10番」。ダンナと出会ったころに10番を知ったので、とっても印象に残ってるのだ。うれしいなぁ!!! でも、演奏は今日で終わり。最終日の明日はエフゲニー・エフトシェンコのお話なの。エフトシェンコとはボルチモアでも会ったけど、「交響曲第13番バビ・ヤール」と「ステンカ・ラージンの処刑」の詩を書いた詩人。ショスタコと一緒に仕事をした人!!!(興奮!)

演奏終了後はレセプション(打ち上げ)だった。主催者が「どうぞ」と言ってくれたので、またまたただ酒にありつく。オケの学生さんたちも続々とやってくる。ヴィオラのトップが日本人だったので話しかけると、「わざわざニュージャージーからですか〜!?」って驚かれちゃった。そこにヴィオラの先生がやってきて、「演奏、よかったよ」って彼女をほめる。彼女が先生を紹介してくれる。先生も「え! NJから?」ってびっくりして、指揮者を紹介してくださる。指揮者ともお話しして……! なんかみんな暖かくて嬉しい。ヴィオラの先生は11月末にリサイタルでショスタコのヴィオラ・ソナタを弾くことになっている。校内にビラがあったの。「聴けなくてとっても残念です〜」と伝えると、月曜日午後0時半からリハーサルだけど、時間があったらと誘ってくださった。ああ、飛行機は2時発なのよね……。く〜っ、残念! だけど、聴きにきてもいいよ、って言っていただけるなんて!

レセにはエフトシェンコも来ている。ダンナは彼に尋ねたいことがあるのだ。彼の所属する日本のオケが来年2月に「ステンカ・ラージンの処刑」を演奏する。でもこの曲は「ステパン・ラージンの処刑」とも言うので、どっちがいいのか確認したいのだ。ずぅっと詩人を見張っていて(?)、やっとお話しすることができた。

「処刑」を日本初演することはボルチモアのサイン会でも話してあったので、覚えていてくれたようだ。で、エフトシェンコの言うには「ニックネームのステンカの方がいい!」。ふんふん、日本に伝えよう! 「で、演奏会の練習はどうなってる?? ときどき様子を連絡してほしい」って、住所を教えてくれた。(ミテの手帳に書いてもらったの。家宝にするか!?)

彼は「頑固者」って感じで、いつも眉間に立て皺がある無愛想なおっちゃんなの。でも、ダンナとツーショットの写真を撮らせてもらったら、まぁ! にこやかな笑顔!!! あ〜っはっは! さすが!

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2000年11月19日(日)ヒューストン5日目

お昼は地元に住む日本人に教えていただいた韓国料理屋さん"Asiana Garden" に。銀座のクラブみたいな入り口でちょっとびびったけど、普通の料理屋さんだった。日本食もあったので、牛丼を頼む。カルビ丼が来るのかなぁとわくわく。来たのは厚切り肉とタマネギがのっかったもの。あと冷麺の焼きそば(?)を頼んだ。これはおいしかった〜! 2人で20ドル。

タコ・フェスの締めくくり、エフトシェンコのお話は午後3時から。場所も移して、虐殺記念館で。ナチスによる大虐殺を忘れるな、という記念館。写真パネルや、ビデオ、証拠の品などが見られる。ドイツと同盟国だった日本。自分が非難されているような気持ちにもなる。だけど、虐殺はぜったい是認できない。怒り悲しみはもっともだ。でも、虐殺されたのはユダヤ人だけじゃない。しかもパレスチナでいまも殺しあいをしてるじゃないか! 様々な思いに心が沸き立って、素直にそこにいられない……。

主催者が「特別席に座っていいよ」って言ってくれた。でも、エイゴ、半分もわかんないから、遠慮して後ろに座る。ダンナは許可を得て、MDで彼のお話を録音。エフトシェンコはロシア訛りの英語で、時折ユーモアをまじえてショスタコとの想い出を話す。バビ・ヤール(ナチスの虐殺があったキエフの谷)の詩に曲をつけていいか、とショスタコから打診があったときの気持ち。駆け出しの詩人に大作曲家からの依頼。びっくりして嬉しかった! 「当時の私は、第13交響曲『バビ・ヤール』がファンファーレで終わらないことを不満に思ってました。でも、今はその意図が痛いほどわかる。若い私はほんとにバカでした」。

そしてなんかの話に関連して、彼はこう言ったのです。「わたしはナショナリズム(国家主義、民族主義)がキライでして。申し訳ないが、ユダヤ民族主義も含めて、です」。この場所で、臆せず堂々とそう言えるなんて! さっき展示を見ながらウジウジ思ったことを、彼はスパッと口にしたのだ。頑固で無愛想なロシア人。のちにはショスタコと意見の相違もあった彼。でもこの一言で、私の中のエフトシェンコ株はピーンと跳ね上がった! 祖国からアメリカに移住してきた人生には、いろんな思いが刻まれているのだろう。

互いの文化を尊重するための民族主義なら、どんなにいいことか。でも、現実には自分を正当化するため、相手を支配するため、殺すための民族主義になってる……。憎しみが憎しみを産むだけでは、悲しすぎる。

講演後は彼の本の販売とサイン会。エフトシェンコに会うと聞いた日本の友だちが、「サインをもらって〜」とCDのライナーノートやスコア(オケ用の譜面。総譜。由緒ありげなロシア語のものであった。どこでめっけたんだろうね!)を送ってきていた。たくさんあるから「機嫌よくサインしてくれるかな〜?」とちょっぴり懸念。相変わらず無愛想だったけど、顔は覚えてくれてるものね。全部にサインをもらえた。

先日レセプションでお話しした指揮者やチェロの先生がスコアを見て、「ああ、彼は音楽をやるんだね」って。心の中で「そーなんですよ!」なんて誇りに思ったりして(^◇^;)。

最後だからハワード、ノラ、リチャードたちにご挨拶をしたいと思ったけど、もうみんな帰ったあとだった。さよならも言えないなんて、寂しいね〜。さっさと帰るのはアメリカ流なのかな〜。

それでなくても「終わってしまった!」という寂しさ。毎晩ショスタコの音楽を楽しみ、シャンペンを味わい、演奏についてあれこれ話し……! あの人もこの人もショスタコのファンだといううれしさ(日本同様、アメリカでもそんなに名前は知られていない)。近くの公園で夕暮れをみながら祭りの余韻を楽しんだ。

さて! テキサスに来たからには、ステーキを食べなくては(次期大統領ジョージ・W・ブッシュも農場主)! 適当に車を走らせステーキ・ハウス「オールド・サンフランシスコ」を発見(テキサスでカリフォルニア(^◇^;))。予約はしてないけど、すぐに入れた。高〜い天井の1階建て。壁には古い写真や古い宣伝ポスター(ステッカー?)がびっしりと張ってある。前方にはステージがあって、ブランコが天井からつるしてある。子どもたちが行列して乗っけてもらってる。

リブアイ・ステーキをレアで(ステーキはレアに限る!)、それとミックスグリルを頼む。そのうちピアノ演奏が始まると、色っぽい衣装のねーちゃんがブランコをこぎ出した! どんどんどんどんゆらして、ついには天井から天井まで180度スイング! 天井につけてある鉦を鳴らす。お客さんはやんやの拍手!

ステーキは絶品! 付け合わせのベイクド・ポテトにはウェイトレスさんが、これでもかとバターを練り混んでくれた。これもおいしー! ミックスグリルは焼きすぎのチキンがカチコチになってて、失格! 2品ともステーキにすればヨカッタ。2人で70ドル。ワレワレにしては贅沢しちゃった〜。満足。

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2000年11月20日(月)ヒューストンから帰る

快晴。こちらに来てからずっとお天気が悪かったし、2日目をのぞいて寒かった。きのう、エフトシェンコの話が終わって、外に出たら初めて青空だった。タコ・フェス終了と同時にお天気に!? ……!

午後2時のフライト。ヒューストンの南にあるリゾート地ガルベストン島を見てから帰ることにした。だだっ広い土地にまっすぐな高速道路が走っている。「アメリカだー!」って感じ。ニューヨーカーのリチャードも「真っ平らだ〜」って感嘆してたもんね!

ガルベストン島にはなにがあるか? わからない……。地図しか情報がない。小さな島なので、メインストリートを行ってみる。「ビーチ」の標識にしたがっていったら、たんに野原を貫く一本道に出た。所々に乗用車が止まっていて、中に人がいる。「なにしてんだろ?」とダンナ。「麻薬の密輸……」と冗談半分のミテ。それでもなんか現実味を帯びてるので、怖くなって引き返した。

海岸沿いの道を行く。お土産屋さんが点々とある。トイレに行きたくなって、スーパーと書いてある店に入る。なんか違うぞ!? 服が3ドルとか5ドルで売ってる。古そうな電化製品もある。貧しい人のために寄付であつめたものを売ってるお店だった。こんな活動もあるのか。

おみやげ物屋さんを物色する。カブトガニの殻を売ってる! え〜、いいのぉ!? かわいい! ほしかったけど、においがしたらやだなと思ってやめた。ガルベストン島、よくわからぬままに後にした。

アメリカの都市には、町をぐるりと回る環状線があることが多い。ヒューストンも2重の環状線がある。渋滞に巻き込まれたくないので、環状線で町を迂回する。東側をぐるりと北上。西側と違って、家も少なく、車もすいている。ヒューストンは西へ西へと伸びているのかな?

空港でジョージ・ブッシュの銅像など撮影する。郷土のホコリなのね。飛行機は定刻通り。ヌアーク空港に午後6時半に着陸。ううう、ゲロ寒!

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2000年11月21日(火)引っかかり消えた?

昔より英語が聞こえるような気がする。聞こえても意味はわかんないけどね。

ホームページを通して知り合った人たちに、スラスラというか、ペラペラとメールの返事を書いている。なんかひっかかりが消えたような……。「よく通る」と言うべきか。こんな変化もうれしーな。

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2000年11月23日(水)七面鳥のごちそう

Thanksgiving Day 感謝祭

楽器を弾いていて不幸だった人生が何回かあったので、楽器を弾くことが怖かった。「私は楽器が弾けない」という思いこみは、小さいころの母の一言「だめねぇ」が原因だと恨んでいたのだが、もっと根深かったか……。音を出すこと、ほんとに恐ろしかったもんね……。

感謝祭のディナーにウェンディが招待してくれた。「アメリカの感謝祭を見てもらおうと思って、古いスタイルにしたのよ」。ターキー(七面鳥)の丸焼き、ベイビーキャロットの甘く煮たヤツ、マッシュポテト、ヤム芋(サツマイモの親戚?)のマッシュポテト・マシュマロつき、コーン、芽キャベツ。それぞれ大きな皿に盛ってあって、銘々が自分の皿に取って食べる。特に食前のお祈りはなくて、勝手に食べ始めたのだった。

アメリカ大陸にヨーロッパ人がやってきた当初、暮らしはとても大変だった。先住民のアメリカ・インディアンがいろいろなことを教えてくれて、やっと生き延びることができた。それを記念する感謝祭なんだって。 合衆国の憲法はイロコイ族の考え方が基本になっているそうだ。ずっとそういう関係だったらよかったのに、って思う。

今日はウェンディ一家のほかに息子のガールフレンドと私たちがいる。7人で食卓を囲む。「子どものころの感謝祭はおばあちゃんの家に親戚が集まったものだ」とジョン。「16人が座れるテーブルがあったんだよ」。ええっ、すごぉい!

メインの七面鳥を切り分けるのは一家の主のお仕事。ジョンが切ってくれたターキーにクランベリーソース(甘い!)かグレービーソースをかけて。えへへ〜、おいしい♪ 丸焼きなんて初めてだもんね。芽キャベツもかわいいし。ちょびちょび取って食べてみた。子どもたちは嵐のようによそって、がばっと食べて、あっさりと部屋にひきあげていった。その間20分くらい? ティーンエイジャーはそういうもんかな。でもみんなちゃんと自分のお皿はキッチンに片づけるのね。

ガールフレンドもジョナサンと一緒に部屋に戻ったので、「あの子は彼の恋人なの???」ってウェンディに聞いてみた。「そうなのよ……。でもね……ちょっとね。お嫁さん daughter-in-law にはなってほしくないの」って声をひそめた。ふんふん……。しばらくして彼と彼女は2人でデザートを食べにやってきた。あらぁ、彼女はジャージに着替えてるよ(さっきまでいちおうロングスカートだった)! 得意そうにろうそくの火を指で挟んで消してみせる彼女。「やってみて!」ってジョナサンをけしかける。やってみようとする彼。「まぁ! やめなさいよ」というウェンディ。ジョナサン、前途多難!?

デザートはアップルパイとパンプキンパイ。パンプキンパイがおいしかった〜! ウェンディの手作りなのだ♪ ご馳走様でした! ありがとう!

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2000年11月24日(金・祝)通算カウンタ

昨日からホームページにフレームを作る作業をした。試行錯誤して、できた! するとカウンタが「」になってしまった。なんで〜??? プロバイダのページで、カウンタの説明を読む。好きな数字から始められることがわかった! それなら前のプロバイダのときからの累計を出したい! ダンナに手伝ってもらって、できた〜!! すっきりした! うれし〜!

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2000年11月25日(土)エッセンスの波動

このごろはレジの人が不機嫌でも平気。

フラワーエッセンスを飲んでる。優しい波動が体の中に入る。微妙な波動は意識できないかも知れない。でも、それはそこにあってもっと深くもっと広くしみとおっていく。そして私も優しい波動になっていく。それは具体的な世界の一部と同調していくこと。神さまが花の香りであり、吹いている風であり、日の光であり、やさしいてざわりであるように、それが私の中に入ってくる。そしてそれが自分であることに気づく。神とわたしは同じものである、と。

「足首から先のないおばさん(過去生? 別の誰か?)」がわたしを家の中に引き留めてる??? ような気がする。

ミツワのそばにあるWhole Foods がワイルド・オーツと同じ様な店であることがわかった。ダンナが気づいて連れていってくれたの。わぁ、エッセンシャル・オイルもフラワーエッセンスもある! ケフィアもある! あーん、うれしーよーo(^o^)o!

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2000年11月27日(月)きゅう靴

白いスニーカーを履いて散歩に出た。こっちに来てすぐ買った靴。やっぱりちょっと窮屈で足が痛かった。この靴でマンハッタンを歩いて、足の痛さに何度泣いただろう。それならさっさと手放せばいいのに……。自分を苦しめてきたエネルギーに執着してるわけだ! ふーむ、バカみたい!

旅行社のパンフレットに出ていた「テオティワカン(メキシコにあるピラミッド)で初日の出」ツアーに申し込んだ。返事待ち。

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2000年11月28日(火)ふりをする

無意識には現実と想像の区別が付つかないから、「ふりをする」のがきくんだって。本に書いてあった。「エネルギーを感じている」って想像すれば、エネルギーを感じるようになる! そっか。やってみよう。

滞在記を書きながら「1ヶ月前はこんなこと考えてたのか〜。あはは」って思う。まるでそこから脱してしまったかのよう。エッセンスのおかげかな〜。気が軽くなってきたのか。

テオティワカン、いままで申し込みがなかったので旅行社が飛行機やガイドを解約しちゃったんだって(人気ないのか!)。再手配するからって、また返事待ち。

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2000年11月29日(水)セドナ?

テオティワカン。日本語ガイドさんがみんな押さえられてて、英語ガイドだって。じゃ〜いいや。となったら……アリゾナのセドナに行きたい! エネルギーを感じに行きたい! 2001年をセドナで迎えたい! たしか雑誌の記事をコピーしたはずだ〜っ。どこへやったっけ??? (コピーは見つかったが、飛行機が満杯で行けなかった)。

前に友だちと会ったとき、腹が立つことが再々あった。怒りを隠すのに苦労した……。そのことをずっと一人でもんもんと抱えていて、もう絶交しちゃおうかなんて思い詰めてた。でも、理由を告げずに離れてしまったらきっと相手は戸惑うだろう。じゃぁ、「あんたにゃ、頭に来た」って伝えるのか? うーん、やだなぁ……。そういうのって苦手。さんざん悩んだ末に「わたしは怒ってた」とメールした。あ〜、ショック受けるだろうな。やだなぁ……。でもこんなことができるようになったとは……。進歩!

遠隔ヒーリングをやってみたくなって、相手を探して打診中。

風邪気味? 葛根湯のんで早めに寝る。

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