2001.6.27 更新

2001.5.2(水)小澤・ボストン響

今日は演奏会。小澤征爾指揮のボストン・シンフォニーがショスタコの交響曲第五番を演奏する。おまけにダンナの好きな歌手トマス・ハンプソンが、これまたダンナの好きなマーラーを歌うのだ。これ以上ない、ってほどの組み合わせ。

会社まで迎えに行き、駅に車を止めて電車に乗り込んだ。時間的には余裕があるので、カーネギー・ホールのそばでラーメンでも食べよう! (「なんでラーメンなの〜?」って思う〜? ラーメンって日本文化だから(?)中華屋さんにはなくて、NJではあんまり食べられないのだ。マンハッタンまで行けば、わりとまともなラーメンが食べられる!)

ワクワク……と思っていたら、電車がストップ。ある駅に停止しちゃった。そしてなにやらアナウンスが……。「申し訳ないけど、なにが起きてるかわからないけど、ちょっと時間がかかりそう」とかなんとか。バスがどうの、とも言ってる。どうしよう? とりあえず電車を降りてみる。何人かの車掌さんもホームにいて、乗客に説明してる。携帯で連絡を取ってるようなんだけど、そのわりには「いや〜、なんでしょうね?」。いったいなんなの〜(^◇^;)。

今日のプログラムを逃すわけには絶対いかない! 引き返して車でマンハッタンに行く、と決めた。なら切符の払い戻しをしてもらおう。車掌さんの一人に頼むと、「だれから買った?」「(@_@)?」「売ったヤツじゃなきゃ、払い戻せないよ」。車内で車掌さんから買ったんだけど、誰かなんて覚えてないよ!? そんなバカな! ……でも、思い直す。ここはアメリカだ。こういうことがあっても不思議じゃない。ほんじゃ、別の車掌さんに聞くまでだ。

すると紙に電車番号を書き込んで渡してくれた。「この紙と切符を持って、駅に行けば払い戻してくれる」。なるほどね、ありがとう。さすがアメリカだ! 同じ職務でも人が違えば、対応が全然違う〜反対方向の電車に乗り込んで、駅まで戻った(この運賃は「電車が止まったから引き返す」と言ってタダにしてもらった)。

通常、家からマンハッタンまでは車で約1時間。駅で車に乗り込んだのが午後7時。演奏会は8時に始まる。間に合うのか!? ああ〜神さまっ! (続く)

じゃなくて……(^^;。

夕方のラッシュはもう終わっている。高速は意外に空いていて、ほぼノンストップでリンカーントンネルに。ここをくぐれば、マンハッタンだ。去年、駐車違反でtow (レッカー移動)されてから、初めてのマンハッタン……。ああ、あのゴチャゴチャして、タクシーが無法に割り込んでくるマンハッタン。通行者がスキを見て道を渡る、イヤなマンハッタン……などと思うけど、今日は仕方がない! 8番街を北上する。カーネギー・ホールそばに駐車場を見つけ、乗り入れ。キーをつけたまま、係に渡すと、車種を書いた紙をくれる。「SUBARU GRAY」。うちの車は黒なんだけど……ほこりかぶってグレイに見えるって(^◇^;)?

さて、ダッシュだ〜!

そして着席。午後7時50分。間に合ったのだ! チャタム駅から50分? 新記録ではなかろうか。ああ〜、神さま〜、ありがとう!

日本はゴールデン・ウィークの真っ最中だからか、日本人が多い。小澤征爾さんだから、ってのもあるんだろうね。出入りの時、ドアを押さえていたら、日本語で「あら、すみません」って言われた。ごく自然にそう言っちゃうほど日本なのだ。演奏会はアジア人のお客さんが多いけど、今日は格別。

はじめにトマス・ハンプソン。とにかくオペラグラスで表情を見る。実にいろんなお顔。ああ、楽しい! ビデオでは何回も見てるけど、実物がそこで歌ってるよ〜♪ マーラーはピアノ伴奏で歌う、と言ってたけど今日はオーケストラと。宗旨変え? とにかくいいなぁ。

で、大好きなショスタコの5番。どきどき……。でも。

いい音なんだけど。きれいなんだけど……。パパが降りてこない。終わると同時に万雷の拍手。ブラボーの声が飛び交う。なのに……。技術的にもすばらしい演奏だったんだと思う。だけど、だけど……。

初めて5番を聞いたのは、市民オケだった。あんまりうまくなかったと思う。だけど、もうもう感動して、涙が止まらなかった。

日本の市民オケとボストン響。較べようがないはずだ。だけど、下手な市民オケの方がすばらしいものを伝えてくれることもある。音楽って……不思議。技術だけではない、なにかがある。もちろん受け手にもよるのだけど。……ちょっと呆然としながら、そんなことを思った。

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2001.5.3(木)虐待の後遺症

幼いころ、性虐待を受けた人の手記「甦える魂」を読んでいる。辛い子供時代をおくると、こんなにいろいろな障害が出る。イヤと言えない。感覚、感情、記憶と切り離される。人との距離がわからない。だからその人に全てを求めてしまう。その人の関知しないところまで、全部。白か黒かしかなくて、中間がない。怒ってもいいと知らない。過度にいい人になる……。

これは性虐待に限らない。親から「ばか」「ぶす」など、絶えずひどい言葉を投げつけられたり、故意に無視されたりする言葉による虐待や精神的虐待。殴られたり、蹴られたりの肉体的な虐待。世話をしてもらえない場合もそうだし、逆に過度な期待をかけられたり、過保護でプライバシーがなかったり。愛がお金や物にすり替わっていて、充分な愛情をもらえない……などなど、家庭が「安全な場所」でない場合、多かれ少なかれ、「自分には価値がない」「生きていてはイケナイ」などの思い込みをもって日々を送ることになる。この手記は極端な例だとしても、むごい。自分にも当てはまるところがある。だけど、だいぶ癒されてきたと感じてる。

人に悩みを打ち明けられる、というタイプがある。そういうタイプの友だちが言った。「でも、私はこんな風に、他人に悩みを言えないって気づいた。私に悩みを打ち明けてるこの人はすごい、って思ったの」。ほんとにそうだ! ミテにもできない。相談する人、される人。どっちが上とか下なんてほんとにないんだなぁ。気づかせてくれてありがとう。

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2001.5.4(金)優越感と劣等感

おととい、カーネギー・ホールでたくさんの日本人を見ながら、「きっとお休みでNYに来たんだろうな。でも私なんか、こっちに住んでるんだもんね〜」と思っていた。で、そう考えてる自分に気づいた。優越感にひたってる! いままでなら「ああ〜、こんなこと考えるなんて、私ってばダメ〜」と自分をいじめただろう。

でも、違ったの。「どんなに深い劣等感があるんだろう。よしよし」って優しくしてあげられた。優越感は劣等感の裏返し。競争を強いられたり、人と較べられて育ってきたからしょうがない。学校は成績で競争する場所だし、家でも弟と較べられた(ような気がしてる)し。社会全体が、なんでも競争なんだもんね。

誰だって、ただ存在するだけで尊い。もう劣等感はいらないんだよ……なんて自分に語りかける。

「甦える魂」のなかで純さんは苦しんでいる人をこう見る。「すごい、こんなに苦しいのに生きてる。強い人だ。かわいそうなんかじゃない」。昨日の「相談できる人ってすごい」という言葉と一緒になってミテの中に入ってくる。かわいそう、なんて同情は上から下を見下ろしている意識。そういう優越感、たしかにあった。でも、もういらないんだ。みんないろんな体験をしてるだけ。上も下もない。だれでも尊い。

許すと言うことを「我慢すること」と考えてる人って多いかな。憎しみや怒りを表現するのを我慢したからって、相変わらずそれは心の中にある。抑圧してかえって、ものすごい怒りを抱えたりするより、とことん憎んで苦しんで恨んでのたうちまわって、ある日「もういいや。飽きた。疲れた。どうでもいいや」なんて思えたら、それがほんとの許しなのかも。自分の中に怒りや憎しみがあることを、真っ正面から受けとめなくては許しまで行かないような気がする。……と思っていたら、「甦える魂」にまさに同じことが書いてあった。ああ、ほんとにそうだよね、ってうれしかった。

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2001.5.5(土)ヴァイオリン・レッスン

Fort Lee にある Jimbo Music School に行った。この前、リサイタルで弾いた日本人の先生だった。いろいろお話をして、楽器もちょっと弾いてみた。緊張して、すごい音がした。音程も弓もメチャクチャ。

いったい何歳のインナーチャイルドが出てきてたんだろう。弾き終わって「怒られる(>_<)」と身をすくめるミテ。そしたら、「いいですね〜」。え? ホント? 怒んないの?

虚をつかれた感じ。それほど怖い思いをしてきたのね〜。このインナーチャイルドはすごく喜んだ。すなわちミテもうれしかった。

そして弓に松ヤニをもっと塗るようにと教えてもらった。いままで少なすぎたのだ。肩当ても調整してもらった。いままでちょっと変な位置だったのだ。弦を抑える左手の力が抜けないと言うと、ちょっとした実験をしてくれた。力が入ってなくても、弦は鳴るんだ! いままでは「力が抜けない」と思っていたが、そうじゃなくて「力を込めて弦を押さえなければ」と思いこんでいたから、抜けようがなかったみたい。

目から鱗! いままで何を教わってきたのだ……という感じ。ダンナは「先生によってやり方が違うんだから、前の先生を恨まないように」と言った。でも〜、やっぱりミテは前の先生、苦手だったんだ。インナーチャイルドをケアしないで、怯えっぱなしにさせてたんだ……。

先生は一生懸命「ヴァイオリンは簡単なんですよ〜」といろんな言葉で言ってくれた。なのにミテの反応は、「いいえ、難しいです」「できません」「ムリです」……。そんな言葉ばっかり口をついて出てくる。あらま〜、こんなにダメダメ君になってたのか……。自分でもビックリ。

今日は体験レッスン。どうしようかな。この先生なら……オッケーだよね。

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2001.5.6(日)NJSO

会社から車で1時間くらいのところに、ニューブランズウィックという町がある(例のユーリ(仮名)が住んでいる)。今日はそこでニュージャージー・シンフォニー・オーケストラ(NJSO)がマーラーの交響曲第6番をやるので、出かけた。チャタム周辺の町って、どこもこじんまりしてるので、どうせ小さな町だろうと思ったら大違い! 都会だった! びっくり〜。

会場はNew Jersey State Hall なのだ。つまり州立ホール……といっても、かわいらしい規模。なかなかいい感じ。低音がずしんと響いて、曲の始まりでゾクゾクした! 上手だったし、いい演奏会だった。マーラーはダンナの趣味なので、ミテはショスタコほど要求水準が高くないみたい(^◇^;)。うまければいい? ははは。

演奏会の前には久々にプリンストンに行った。こっちのワイルド・オーツは潰れちゃったけど、プリンストンにはあって、FES のフラワーエッセンスもあるし、エッセンシャル・オイルも数銘柄が置いてあった。うれしいなあ〜。ちょっと遠いけど、また来ようっと。世界の雑貨を扱ってるSolty Dog にも行って、水晶クラスターに敷く布を買った。うれしい〜!

帰りには、ニューブランズウィックそばにある焼き肉屋キムチ・ハナへ。マンハッタンの焼き肉屋さんと違って、値段も味も満足できた。この町には中国系、コリアン系の人たちがたくさんいるみたい。また来たいね、と言って帰ってきたのでした。

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2001.5.8(火)PTSD

心的外傷後ストレス症候群(Posttraumatic Stress Disorder= PTSD)の本を読んでいる。比較的新しい考え方で、日本では阪神淡路大震災で名前が知られるようになった。

人はトラウマ(心的外傷)を負うような体験をしたあと、さまざまな症状を呈する。たとえば戦場で過酷な体験をすると、上官の命令に背いて逃亡したり、人殺しができなくなったり、あるいは友軍を攻撃したり。考えられない行動をとる。むかしはこれを「卑怯者」「軍律違反」として、営巣行きにしたり、処刑したりしていたらしい。第1次大戦のころまでというから驚きだ。

これを「病気」ととらえるようになるまで、長い時間が必要だった。第2次大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、フォークランド紛争……たくさんの命をなくして、やっとわかってきたのだ。

そう言えば、ガダルカナルで戦った人が言っていた。食物もなくやせ細っていく兵隊。まともな地図もなく、毎日むしむしと暑い戦場で、今日明日をもしれない命。戦友は何人も目の前で死んでいく。銃撃戦の最中、飛び出せば死ぬとわかっているはずなのに、たこつぼから躍り出て撃ち殺された人がたくさんいたらしい。「狂って死んだ」という表現だったけど、それもPTSD だったんだろう。

ふと思った。うちの両親は戦争体験者だ。もしかして彼らもひそかにPTSD に苦しんできたのかもしれない。わたしはその余波を受けたのかもね。

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2001.5.11(金)愛を受け取る資格

変化なのか、調整なのか。なんか疲れてる〜。だるい〜。

おととい、眠れなかった。もんもんとして、気づいた! ネガティブなことばっかり考えてる!! そういう傾向がすっごくある! 水晶を流水にさらして、その気分を洗い流してみる。効いたみたい、少し楽になった。

ロアンタカの森に行ってぼ〜っとする。珍しくシマリスの写真が撮れた。すぐ隠れちゃうから、難しいのよね。ちょっとぼけてるけど、かわいーでしょ?

鴨もカナダ・グースも子育ての真っ最中。グースは家族単位で行動してる。つまり、雛の群には親鳥2羽が必ず付き添ってる。写真では鴨もファミリー単位でいるように見えるけど、ずっと観察してると、そのうち雄はどっかに遊びに行っちゃう。ときどきしか子供と一緒にいない。写真はたまたま逆のように見えるね〜。グースはフレームの外にもう1羽の親鳥がいるんです。

5キロ歩くし、疲れるんだけど、やっぱりいいな。歩くとき、丹田を意識してみる。これはいいみたい。からだを意識することを、長い間忘れていたかな〜?

"SEDONA Journal of EMERGENCE!" にこんな言葉が載ってた。読んで泣いちゃった。

「私は、そして誰もが愛そのものである。精神、心だけでなく肉体も愛なのだ。愛がほしければ、そう願いなさい。でも、多くの人は願っていながら、『私は愛にふさわしくない』と考え、尻込みしてしまう。

しかし無条件の愛であるなら、受け取れない理由などありはしない。太っていても、バカでも、意地悪でも、なんの関係があるだろう?

子猫や子犬たち。よろけそうな幼い仕草を、誰もが愛らしいと思う。神があなたを見るのも同じだ。未熟さも、不完全さもすべてを愛してくれるのだ。愛にふさわしくない人など、いはしない。今すぐ、愛をうけとり始めなさい。『ふさわしくない』などとささやく理性に、だまされないように」。

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2001.5.12(土)レッスンを始める

ヴァイオリンの2回目。楽しかった。なーんも考えないで無意識に弾いてしまうんだけど、ほんとはいろいろ気をつける点があるんだね。音符をおうのに精一杯で、音の強弱は無視してきた。今日はその弾き方を教わった。

強弱なんて、そんな高度な技はまだ私にはふさわしくない……なんて考えていたのよ、ぼんやりとね。「ふさわしくない」って気持ちはもっともっと潜んでるんだろうなぁ。ちょっとずつでいいから出てきてね。

レッスンが終わったあとは、近くの喫茶店でお茶を飲みながら、注意されたことを譜面に書いていく。ダンナもレッスンに付き添ってるから(ステージ・パパ(^^;?)、「こんなこと言われたでしょ?」と補足してくれる。ミテが理解できなかったところは、ダンナなりの言葉で説明してくれる。ありがたいなぁ。楽器は違うけど、彼にも参考になるらしい。

帰りの高速で、ハーレー・ダヴィッドソン軍団に遭遇。何台ぐらいいたかな〜、かっこよかった! 大きなバイクは安定感があるしね〜。そろいのジャケット(全員が着ていたわけではないが)に"BLUE KNIGHTS" (青い騎士)と書いてあった。グループ名なんだろうね。

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2001.5.14(月)鈍感

母の日の花を注文した。母の日は昨日だったんだけどね……。いろんなチラシを集めつつ、ずるずる先送りにしていたら、どの会社も締め切りをすぎてしまったの。お花屋さんたち、母の日が終わるまで忙しいだろうから……と今日まで待っていたのだ。KDDI で注文。ウェブサイトから申し込めるかと思ったら、ウェブには電話番号があるだけだった。なんだ〜。でも電話応対が感じのいい人だった。

夕方、ちょっと寒いなぁと感じて、もう1枚上に着た。すると「ちょっと寒い」のではなく、「とっても寒かった」ことに気がついた。身体感覚が鈍感なのかな?

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2001.5.15(火)だるい

母から花が届いたと電話が来た! 昨日の今日なのに、すごい〜はやい〜。喜んでもらえてよかった。

ロアンタカの森に行ったものの途中で引き返してきた。元気ない〜。でも、今日はリスの写真が撮れた! セントラルパークのリスト違ってすぐ逃げちゃうんだよね。今日はラッキー。

ダンナがアマチュア・オーケストラに合流した。先週練習を見に行ったの。指揮者と話したら、「来週楽器を持ってこい、本番に出られるか見てみよう」とのことだった。本番まで3回しか練習ないのだ(^^;。で、今日。無事オーケーが出たらしい。よかったね〜。練習は火曜日の夜、高校の講堂でやってる。放課後の学校をいろんな団体が利用してる。せっかくの設備なんだから使っちゃおう、ってことかな。日本だと、管理がどうのってことになるのかもね。

昨日の「ちょっと寒い」の続きかな? だるいと思ったら、夜から熱が出た。

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2001.5.16(水)またか

ほとんど一日中、おとなしく寝ていた。

こういうときに限って、例の「受け入れがたい人」からメールが届く。このまえ、「これが最後」と自分から書いてきたはずなのに……。アタマだけ読んで、怒ってあとは捨ててしまった。はぁ〜ぁ、もういい加減にして。

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