2001.12.21(金)統合のヨロコビ
冬至。ダンナの会社は午前中でお終い。早く帰ってきた。
ボチボチと荷物を開けている。NJのコンドと違って家具なしだから、自分でレイアウトを決めなくてはならない。けっこう楽しい。
NJの家には引き出し付きの家具が充実していた。ところがこれも善し悪しで、とりあえず引き出しにしまっちゃうと、そのあとは整理しなくなっちゃうんだよね〜。で、工具があっちこっちに散らばったり、文房具が分散していたり。これを今回は統合中! 「キミのお友だちはこっちだよ〜」とまとめると、なんとなく気分がいい。満足。
2001.12.24(月)歓迎会
アパート探しに来たときに歓迎会をしてくれた面々が、パーティーに呼んでくれた。広い一軒家。子どもたちも遊んでいて、賑やかだった。NJではあんまり子どものいる人とおつきあいがなかったから……。でも、ここにいるほとんどが、もうすぐ帰国なの。入れ替わり、みたいなものだね。
2001.12.25(火)松ヤニの役割
ずっと家でごろごろ。昼寝をしたり、リンク用のバナーをつくったり。
せっせと開梱せずに、こういう関係ないことをしちゃうんだよね。バナーはフォトショップで作ったの。いままで使ったことのない機能に挑戦。なかなかおもしろかったけど、どうしてそうなったのかわかんないところもあったから、同じものを二度とは作れない(^◇^;)。
楽器の練習もちょっとした。ダンナは弓の毛替えをしてから初練習。日本の馴染みのお店では、松ヤニを塗ってくれるんだけど、今回はまだ松ヤニが着いてなかった。するとどうなるかというと、弦にひっかからないから、まったく音が出ない! おもしろいね〜!! ふたりで大騒ぎ。
2001.12.26(水)楽器屋さんめぐり
引越屋さんが梱包材を引き取りに来てくれた。でも、手で運ばないで3階から投げおろしちゃうんだもん。びっくり。ボスが叱ってたけど。
ケーブルテレビの設置が来る。これで朝1時間、フジテレビ系のニュースが見れる。いままで気づかなかったのだが、ダンナはテレビ大好き人間だったのだ。ミテはテレビなんてあとで買えばいい、と思ってたけど、一番に買ったもんね。
電話帳で楽器屋さんを調べて、一軒一軒回ってみる。楽器店といっても、ギター中心、ピアノ中心、弦楽器中心……いろいろあるのね。なるほど、行ってみないとわからないもんだぁ。「ヴァイオリンの先生を探してるんだけど」と相談してみたら、2軒のお店で先生のリストをくれた。名前と電話番号があって、備考にSuzuki Methodなどのメモがある。ここまではトントン拍子だが……電話してない〜。面と向かってしゃべるのならともかく、電話で英語ってもっともイヤなのだ〜。
夜はテレビでバレエ「くるみ割り人形」を見た。イギリスのロイヤルバレエ団の公演で、吉田都ちゃんが出ていた。松山バレエスクールで、一緒にお稽古した仲なのよ……というと、ミテも上手なように聞こえるけど、お稽古好きな都ちゃんが下手くそクラスにも出入りしていたってだけ(^◇^;)。それでも親しみを感じちゃう。活躍していて嬉しいな。一度だけ、清水哲太郎さんもわがクラスにいらしたことがあった。バーレッスンでは隣だったので、ドキドキ。足がさわった〜♪なんて、はしゃいだっけ。すごい汗の量にビックリしたのを思い出す。
いまうちの車はレンタカーのトヨタ・カムリ。トヨタ車を運転するのは初めて。なんかいうことを聞かない車で、運転しにくい。ゆっくり走ってるとき、思ってる速度にならないの。くせがあるって、こういうことか。ちょっとやだな〜。
2001.12.27(木)違う英語!?
バスルームにタオル掛けをつけたり、クローゼットの整理をしたり。そのあと、車を出す。南東の方角(グレート・プレーリー)にいくと、なにもない場所があってビックリ!
食べに行ったりすると、英語が聞き取れない! NJとは違う英語なのか!? それとも若者言葉なのか? それもビックリなんだけど、一番のビックリはみんな愛想がいいことだ。ウェンディが言っていたとおり、北の方の人は無愛想。
でも無愛想の国から、愛想のいい国でよかった。逆だとホントに辛いだろうな。
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ときどきダンナがいなくなったらどうしようという漠然とした不安に襲われる。いてもたってもいられないくらい不安。でも、逃げないで踏みとどまってみる。不安を感じてみる。効果があるみたい。
2001.12.28(金)コロラドの免許証
お風呂の排水がワルイのでリーシング・オフィスに言いに行く。「留守中に入ってもいいか?」「いいよ」と言って、おでかけ。帰ってきたら、玄関に「留守中に修理しました」という札が貼ってあって、水もよく流れるようになっていた。素早い対応! すごい嬉しい〜。
NJで換気扇が壊れたときは、時間がかかって大変だったのだ。まず2人組がやってきて、「これは部品を取り替えなくては」と言いおいて帰っていった。しばらくたったある日、一人が部品をもってやってきて、「あ、この部品じゃないや」とそのまま帰った。その後はなしのつぶて。しびれを切らして電話をしたら、やっと正しい部品を持ってきて、取り替え完了。途中、テロがあったこともあって(当日来るはずだったのに、来なかった。ダンナのオフィスも閉鎖になったけど)、1ヶ月くらいかかったんだよね〜。
見かけと違って、アメリカって非効率的な国だなって思う。いや、NJが……なのか?
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運転免許の更新に行く。州毎に免許も法律も違う。ナンバープレートも違う。NJで免許を取るときはトラブって大変だったから、ちょっと緊張。でも、明るくて広くて清潔なオフィスだった。それだけで驚いてしまう。
NJの免許証を出して、「引っ越してきました〜」。視力検査をして、指紋を採られて、身長・体重を申告しておしまい。身長はセンチ、体重はキロで言うと、向こうで換算してくれた。それだけでもすっごい親切! 「○○キロ(読者には秘密!)」って言ったら、「あら、ほんとー?」なんて言ってくれるし。
あとは手数料31.20ドルを払って(クレジット・カード可。便利!)、写真を撮って、その場で免許証ができてくる。カメラにはちっちゃなぬいぐるみをつけてあって、「はーい、この子を見てね〜」。「かわいー♪」って楽しそうに笑ってる顔の免許証ができた! すごい〜。NJとはエライ違いだ〜。
カリフォルニアに引っ越した人は筆記試験が必要だったそうな。コロラドはラクチンでよかった。
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中古家具屋さん、救世軍のお店などをまわった。アンティークショップも楽しかった〜。
2001.12.29(土)ブル8名演
指揮者の朝比奈隆さんが亡くなった。93歳。ステキなブルックナーをありがとう! 大阪フィル・8番のCDは宝物だなぁ。一度でも、聴きに行っておいてよかった……。
デンヴァーまで出かけて、大島ラーメン(写真→)に行く。餃子がおいしかった。I-25 を降りて東に。右手にある大きなショッピング・モールの一画。
そのあと、ひとつの公園を見つけた。名前はBabi Yar(バビ・ヤール)。なぜここに!?
バビ・ヤールとはロシア語で「婆谷」という意味。ウクライナにあって、ナチスによるユダヤ人(だけじゃないらしいが)大虐殺があった場所。
詩人エフトゥシェンコ(現在は米国在住)が虐殺についての詩を書き、旧ソ連の偉大な作曲家ショスタコーヴィチが合唱付きの交響曲第13番に仕上げたのだ。
ダンナがオーケストラ・ダスビダーニャで弾いたこともあり(名演だったと思う)、バルチモア(メリーランド州)とヒューストン(テキサス州)でエフトゥシェンコにも会ったことがあり、なんとも思い出深い曲。
彼の詩は「バビ・ヤールに記念碑はない」で始まるが、こんなところに記念碑が……。
碑文は英語、ロシア語、ヘブライ語で綴られている。英文にはこう書いてあった。
ソビエト連邦 ウクライナのキエフ「バビ・ヤール」
1941年9月29日〜1943年11月6日
犠牲者20万人
大部分はユダヤ人であり、ウクライナ人その他も含む。
2001.12.30(日)不満指向
うちのアパートは2年前にできたばかりでまだ新しい。でも、住んでみるといろんな欠陥が目に付く。窓は二重ガラスだけど、サッシがきちんとはまってないから鍵が閉まらない。壁に湾曲があったり、床がでこぼこだったり。作りつけの電子レンジのうしろからコンセントが半分見えていたり。見えるだけで使えない〜♪ なんか悔しい。
……と不満たらたらだったのだ。でも気がついた。そりゃそうだけど、なにはともあれ住めるじゃん。ちゃんと雨風をしのげるじゃん。このアパートを建ててくれた人、ありがとう!
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「許す」ということは、傷を癒して初めてできることなんだろうなぁ。
2001.12.31(月)おみそ汁
出会うものみんなが「瞑想せい」と言っている。本もメルマガもなにもかも。それじゃ、瞑想に精を出すか〜。
ふと気がついた。私はおみおつけが嫌い! サラダとみそスープなら、サラダを頼む。みそ汁をつくらなくていいときはすごく嬉しい。
小さいころはご飯は食べても、おつゆだけ残った。特に実が多いといやだった。貧乏故にみそ汁に具を入れられない、という話を聞いたとき、どんなに羨ましく思っただろう。
すっかり忘れて、実だくさんのおみおつけを作ってきた。ご飯のたびに最後まで残ってるから、なんでだろうと思っていた。
そっか。そうだよ。おつゆキライなんだった! なんで忘れてたんだろう?
それからは実の少ないおつゆを作るようになって、しあわせ。
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年越しそばが食べたいとダンナが言い出した。それじゃあと、日本食レストラン「Suehiro」に行く。いっぱいで入れない。お鮨屋さん「Nimo」に行く。貸し切りパーティーだった。「Mt. Fuji」に行く。がらがら。よかった。
天ぷらそばを頼んだ。
えびの天ぷら。そばとは別の入れ物できた。見事なまでに大きな衣がついていた。身はちいちゃいのに、どうやってここまで、と感心! 衣だけがうんと長くなっているので、「えびスティック」のよう。隣の外人さんは(自分がガイジンだろ!)、手づかみでもりもりと食べていた。なんだかスナックのようだ。
そば。ラーメンのような黄色い麺だった。あれはなんであったろうか?
つゆ。チキンコンソメかなんかか?
めんような「天ぷらそば」を前に、ダンナは撃沈……。
夜に入って降り出した雪で、道は真っ白けだった。つるつるのノーマルタイヤだったが、無事ご帰還。