2002.4.26 更新

2002.1.2(水)本を譲る

つららダンナは仕事始め。

♪♪♪♪♪♪

「捨てる技術」を読む。なるほどねぇ。

そのせいだろうか、読まない本は人に譲ろうと思いついた。HPで呼びかけてみよう。NYなら古本屋さんがあるけど、ここにはないものね。

アメリカでは日本の本は高いから、アメリカ在住の人に譲って、送料はチェック(小切手)かなんかで送ってもらえばいい。そしたら本棚から本があふれて困ることもなくなるだろう。

♪♪♪♪♪♪

夢を見た。母がものすごく理不尽なことを言っていた。ミテは激怒して、大きな声で怒鳴り返した。すごい勢いだったから目が覚めちゃった。こんな風に、思っていることを言えるといいのになぁ……。

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2002.1.3(木)いま学ぶこと

昨日は米国南部で大雪だったらしい。今日は名古屋で大雪というニュース。

少し暖かくて、外を散歩してみた。住宅ばっかりでガッカリ……。森がない(;_;)。

♪♪♪♪♪♪

いまは前世療法もできないし、お金ももらえないし、メールのやりとりだけ。これは「人によりそう」ことを学んでいるのかもしれないなぁ。自分の中の対人恐怖を自覚し、怒りっぽいことを自覚し、超能力を身につける前に愛を身につける。

「この人を治してあげよう」「なんとかしてあげよう」ではなく、受け入れることを学んでいる。とても大切な過程に思える。誰だって、自分を癒す力があるんだって、もっともっと信じるようになるために。自分の中に定着させるために。

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2002.1.4(金)譲る第一号

さっそく「本を譲って」という人が現れて、発送する。おお、なかなかいいじゃないか!

貸出も考えたのだけど、本が返ってこないとその人を悪く思ってしまうので踏み切れずにいる。顔を合わせてお貸しするのならいいんだけどねぇ。

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2002.1.6(日)フレンチ・コーヒー

デンヴァーに行く。さくらスクエアにあるYoko'sというお店がお気に入りだけど、しまってた。残念。

夕暮れ中国系スーパーに行く。同じモールにベトナム麺のお店があった。麺もお粥もおいしい! French Coffeeというのを頼む。すんごく濃いコーヒーの底にコンデンスミルクが! うひゃひゃ、甘くっておいしい♪ 満足!

♪♪♪♪♪♪

「インナーマザーは支配する」を読んでいる。親教(世間様教)ってよくわかる! 著者の斎藤学さん、はじめはごく少数の重症の人だけを親教信者と言っているのかと思った。でも、日本人のほぼ全員がそうであり、そういう社会を変える必要があること、そのために洗脳を解除する必要がある、というところまで話を広げていた。とても共感する!

ただ、この親教。

おそらく日本だけではなく、西洋文明にもはびっこってると思うんだよね。

♪♪♪♪♪♪

「天国との会話」も読んでいる。これもすばらしい!

♪♪♪♪♪♪

自分ではわからなかったけど、たぶん「100%カンペキいい人」を目指して生きてきたんだろうなぁと思った。だからこそ、他人にも批判的で、厳しいんだろう。

♪♪♪♪♪♪

ウィーン在住のお友だちがNew Year Concert 評(日本語・複数)をメールしてくれた。コンサート全体と言うより、もっぱら小澤評。初のニューイヤー・コンサートだからね。うちでも偶然テレビで見たんだ。

読みながら、泣けて泣けてしょうがなかった。なんで?

批評って、単に筆者の人柄なんだな……と思ったからかな。意地悪な人は意地悪な批評をする。心優しい人は心やさしい批評をする。小澤さんがどうだった、って実はあんまり関係ないみたい。きっとそういうものなんだろう。

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2002.1.7(月)お風呂って楽しい!?

きのうはイライラしてた。今日はだるくて、あちこち痛くて、熱っぽくてダラダラ。寝付きが悪いし……。疲れがたまってるのかも。

熱めのお湯にゆっくり入ったら汗をかいてきもちがよかった。お風呂って好きじゃないから、こんなに気持ちがいいって初めて知ったような感じ……。40年間もなにしてたんだ〜!?

♪♪♪♪♪♪

「天国との会話」にこんな一節があった。地上ではみんな美しくなることに汲々としてるけど、天国では一番美しい姿でいられる。生きている間はもっと霊的に成長することやスバラシイ人生を送ることに意を用いればいいのにって。

それもそうだなぁ。

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2002.1.9(水)嫉妬

親が子どもに嫉妬する。それはままあることだと「親から自分をとり戻すための本」に書いてあった。

「あんたたちはいいわよね」と母はよく言っていた。時代的に、物質的に、経済的に恵まれている、というようなことだ。うちの両親は戦中派。たしかに私たちは恵まれている。だけど、そう聞かされる度に罪悪感を抱いてきたのだろう。「あんたたちを育てるために、楽しみも諦めた」と言われたときと同じように。

そういえば、母は自分の姉妹もずいぶん羨んでいた。好きなことをさせてもらっていた、彼女が逃げ出したおかげで自分が苦労するハメになった……などなど。人をたくさん憎んでいる人なのかもしれない。自分は「犠牲者」だから、ますます憎しみが募っているのかも。そのように溜め込んだ憎しみが無意識にあふれ出して、ミテを直撃していたのかもしれない。

♪♪♪♪♪♪

どんなセラピーも、どんなヒーラーも全ての人に利くわけない。それなのに、「自分はどんなケースでも対処できる」という幻想に陥っていた気がする。対応できないケースがある、と認めるのが怖かったのかもね。ああ、恥ずかしい。

そしてまた、「××療法を受ければ、一発で楽になるハズ」という幻想を抱いて、セラピストを渡り歩く人もいるのだろう。変化はゆっくりとしかおきないのにね。

陥りやすい罠なんだな。

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おなじようにセラピーをしている人のホームページを見て、嫉妬したり焦ったりする。「わぁ、アクセスがすごい!」とか、事業が発展している、とか。

「人と比べない」。もっとしっかり心に刻み込めるといいなぁ。ミテの道は、ほかの誰とも違うのだ。みんなひとり一人、違う人間なんだから。

何度も言い聞かせていると、そのうちいつか信念になるだろう。よしよし。

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2002.1.10(木)無意識の攻撃

しろい朝、雪が嬉しくて散歩に出た。プレーリードッグのいる野原まで行った。お日さまがすごくまぶしかった。雪目になっちゃうかも。サングラスが必要だ。

♪♪♪♪♪♪

「親から自分をとり戻すための本」に親から子どもが受ける「無意識の攻撃」というのがあった。

これだ!

自分では知らないうちに母はすべてのものを攻撃しているのだろう。その中にはミテもいた。たえず攻撃されて、拒否されていたに違いない。二人とも気がつかなかっただけで。

きれいだからミテは攻撃を極度に怖れ、極端な反応をするんだ。どんなささいな攻撃でも「殺される」とまで思ってしまうのだ。どうでもいいことで「no」と言われても、いちいち生存そのものを絶たれたと感じてしまうんだろう。

だから、攻撃的な人が苦手なのだ。

そして自分自身も「虫も殺さぬ顔」をして、ものすごく人を攻撃するのだろう。そういえば、すごく批判的だし……。

幼いころから、自分より小さな子どもを「壊す」のではないかと怖れていた。自分が攻撃的であることをどこかで知っていたからだ。

よくダンナを架空の刀で袈裟懸けにしているのも、そうなのかもしれない。一刀両断。そして串刺しにするのだ。自分でも、なんでそんなことをしているのかわからなかったのだが……。

抑圧を続けると、一生、人を攻撃しながら生きていくことになる。攻撃を意識化していこう。かくすのをやめて、明るみに出していこう。

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