2002.6.9 更新

2002.3.16(土)見て盗め

職人さんは弟子に技を教えないという。「見て盗め」。合理的じゃないぞう、と思っていた。

NHKの番組に、ある工場の新入社員が出ていた。「これを磨いて厚さ○○mmに仕上げろ。誤差は○○以内だ」。上司から課題が出る。彼はひとりで作業をする。「できました」「どれどれ。ここが○○mmになってないぞ。やりなおしだ」。上司はどのように直したらいいか教えてくれない。職人の世界なんだ。

新入社員は四苦八苦。教えてあげればいいジャン……と思った。でも彼は思いつく。「こうやってみたらどうだろう!」。なんども不合格をもらったけど、最後には自力でやり遂げた。そうか、どう工夫すればいいか、彼は自分で見つけた。それは彼の力になったんだ。いつも教えてもらっていたら、教える人がいなくなったらそれでおしまいになっちゃう。考える力、工夫する力を身につけたら、いつまでも伸びていける。そういうことだったのか。

番組では、企業に寄せられた苦情を活かして、いい製品をつくっていくという話もやっていた。苦言や指摘を素直に受け入れるってすごい力をもっているんだ。

苦言を非難ととらえて、自己防衛に走るミテにはすぐ実行はできないけど、目から鱗が落ちるような……。

♪♪♪♪♪♪♪

夜、気持ちが悪くなって目が覚めた。吐くかと思ったけど、水を飲んだら収まって、眠れた。なかなか辛いものだなぁ。

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2002.3.17(日)タコ・ファン

もう着ない服や鞄、使わない食器などをまとめてGOODWILLに持っていった。無料で寄付されたものをお店で安く売り、収益を慈善事業に使っている。日本では救世軍が知られてると思うけど、こういう団体がいくつかあるのだ。

気に入って買ったハズなのに、実際は使わないものって案外あって溜まっていく。えへへ〜、ちょっとスッキリ。

receipt 受領書がいるか、と聞かれたのでもらってみた。なんか印刷してあるただの紙キレだった。寄付した金額は免税になるらしいケド、自己申告でいいのね〜。

♪♪♪♪♪♪♪

本屋さんのバーンズでCDを買う。ついでに会員になる。会費は必要だけど、買い物のたびに割引になる。本は英語だからたいして買わないが、CDは買うからきっともとを取れるであろう。

申込書を見た店員さんが「ショスタコーヴィチのファン? ボクもだ」と聞いてきた。ダンナのメールアドレスにはショスタコゆかりの語句が使われているのである。そういう彼はマーラーの顔がついたバッチをつけている。1月にボールダーでマーラー・フェスティバルがあるのだそうな。もう終わっちゃったんだ!! 二人のショスタコ&マーラーファンはしばしおしゃべり。こういうこともあるですね。

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2002.3.18(月)ぶよぶよ

だいぶ元気になってきたみたい。掃除に洗濯を片づける。水晶をきれいに飾る。本「アカシア全史」が届く。DVDで映画を見る。そういえばクチナシが咲いた! うちでは初。うれしい。

♪♪♪♪♪♪♪

体重を量ってみると○○キロ。ぜんぜんやせてない〜。去年の夏から、なんか太ってきたんだよね。そうと知って、すごく落ち込む。「怖い」と思ってしまう。怖がることはないだろうに……どうしてなんだ?

よく母は「鍛えた体は美しい」と言っていた。だらだら暮らしていると太って醜くなる……ダラダラしていてはダメ、という思いから、太ることで自分を罰しているんだろうか?

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2002.3.19(火)アトランティス

「アトランティス」を読んでいると、涙が出て来ちゃう箇所がいくつもある。……アトランティスを滅ぼした人を憎んでいた。もういないソウルメイトを探す人を憎んでいた。アトランティスを滅ぼした自分を憎んでいた……。

まだハッキリとはわからない。でも、そういう思いがある。

もう許していい。自分を許すときだ、と強く感じる。

4月22日と5月1日が重要な日として出てきた。あらまぁ……。4月22日はミテにとって特別な日だからビックリ。

♪♪♪♪♪♪♪

ニュージャージーなどの東部、アリゾナ/ロッキー山脈のあたり、ここらへんも史上最悪の雨不足なんだって。

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2002.3.21(木)水晶とお日さま

「アトランティス」を読んでから、体調がもどった。魂の思うように生きる大切さに気づいたから? 親との葛藤を手放そうと決めたから?

きのうは水晶さんたちの飾り付けを完了した。ラベンダーのオイルで磨いて、お皿などに砂を入れて、そこに立てて。よく日の当たる窓際に並べた。光を浴びてすごくキレイ。うっとり。

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2002.3.23(土)散髪

髪を切りに行く。さくらスクエアに「野中」というお店がある。日本語の方がいいと思ってためしに。

電話番号を知らなかったので、直接顔を出して、「ふたりお願いできますか?」と聞いてみた。「何時においで」と言われるだろうと期待していたんだけど、「ああ、どうぞ」といまにも始められそう。「あ、ごめんなさい、先にご飯を食べたいので」とすぐ隣のYOKO'Sで急いで食事をすませる。

ミテはおばんさんが、ダンナはおじさんが切ってくれた。おばさんはアメリカに来て三十数年という方。だいぶ英単語が混じった日本語でおしゃべり。「もう日本には帰れない。変わりすぎちゃったから……」。そうかもしれない。

「子ども産むなら、こっちで」。またか〜と思う。でもそのあとに続いたのは「こっちで産まれた子はアメリカの市民権もてるから」。それは羨ましいよね〜。あんなに渡米を怖がっていたミテだけど、今はアメリカの暮らしの方が好き。日本に帰るのイヤだもん。

でも最近は長年こちらで暮らした駐在員さんたちでも帰国命令が出るケースが増えているとか。泣く泣く日本に帰る人が多いらしい。テロの影響、不景気の影響もあるのかも。

ダンナとおじさんの会話も聞こえてくる。はて? 英語でしゃべってる?? おじさんは日系アメリカ人なのだそうだ。カリフォルニア生まれだけど、太平洋戦争の時コロラドの収容所に連れてこられたとか。コロラドの南東にGranadaという町がある。収容所はそこにあった。

そういう歴史の体験者とお話しできるなんて。なんかすごい。

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2002.3.24(日)水晶クラスター

一昨日から、フォート・コリンズのLincoln Center (ふふ、なんて名前だ(^^;)でミネラル・ショー(石の展示即売会)が始まった。一昨日はお友だちと行き、今日はダンナと出かける。

クリア・クォーツ(水晶)のクラスターを買う。透明な水晶が好きなのに、なぜか白い水晶に惹かれた。最終日で半額だったことも大きいけど……。

なんとなく悲しげな感じがするんだよね。このクラスター。一緒にいようね。ほかにすんごく透明な水晶も買った。うれしいなぁ。

家に帰って、前からあった水晶クラスターをあらためて眺めた。あれ、こんなに透明だったかしら〜??

♪♪♪♪♪♪♪

夜は再びリンカーン・センターへ。メンデルスゾーンの「預言者エリア」を聴きに行った。エリアって何語なんだろう? 英語では「イライジャ」になってしまうのだった。マザーメルザードとか、トリケライジャを思い出しちゃう(^^;。

さすがにソリストの発音は聞きとりやすい(意味なんかとっちゃいなかったけど)。コーラスはなにを言ってるかサッパリわからん。

やっぱりニューヨークとはちょっとレベルが……。

会場を出たら、雪が降っていた。

♪♪♪♪♪♪♪

そういえば、歯茎からの出血が止まった。ここ数年、続いていたのだ。歯を磨くと口ん中、真っ赤ということもあったし、ただしゃべっているだけなのに歯も歯茎も血まみれだったときも……。そういうときに居合わせた相手は怖かっただろうなぁ。

それがとまった。よかった。

あれは「私の心は血を流している。苦しんでいる。助けて」というサインだったのかもしれない。

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2002.3.25(月)ごろごろ

風邪ひいたのかな〜。一日中ごろごろしてすごした。ダンナも午前中休んで午後から会社。二人ともお腹コワしちゃった。

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2002.3.26(火)掘り出し物

同じアパートのお友だちとGoolwillに行く。お店はOld Townにあって、建物は古い倉庫のようなカンジ。けっこう広い。服、靴、鞄、台所用品、絵、雑貨、かご、電気製品、ベッド用品……などなど寄付されたものを安く売っている。パンツやブラジャーまであるけど、中古の下着って……抵抗あるなぁ(^◇^;)。

主に食器類、雑貨類を漁る。みんな2ドル、3ドルなんて値段。掘り出し物を探すのが楽しい。お友だちがじっくり選ぶタイプの人だから、時間を気にせずにゆっくりできる。ダンナだと退屈そうなので、つい焦っちゃうのよね。

水晶を飾るのに使えそうなものをいろいろ探す。たくさん買って満足して、でも十数ドルで済んじゃう。ああ、楽しかった。

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2002.3.30(土)母に会う

朝8時半に家を出て、高級スキー場Vail(ヴェイル)に向かう。I-25でデンヴァーまで行き、I-70を西に。ロッキー山脈を通る高速道路。高低差も大きく、カーブカーブカーブ! ブレーキがいかれたときのために、急な上り坂の退避道路も造ってある。

良い景色だなぁ〜。楽しい。

ヴェイルに入ってから、ホテルを探すのに手間取った。Yahoo mapをプリントしていったのだけど、わかりにくい〜。「会いたくない」気持ちがあらわれたのかな……。でも11時半に到着。再会。

ホテルでお昼ご飯を食べる。アメリカでは注文を取りに来るのも、食事がでてくるのも遅い。ゆったりしている。せっかちな母はじれじれして、「ちょっと、(「まだ?」って)言いなさいよ」なんてせっつく。「これで普通なのっ」と早くもイライラ……。

母はスキーツアーで来ているのだが、スキーとローラーブレードで2回も足を折ったため、今回はスキーをしない。なので、みんなが滑りにいっている昼間は一人。スティーブに薦めてもらった鉱山の町Leadville(レッドヴィル)までドライブすることに。

お目当ての鉱物博物館はお休みだった。がっかり。ひとつだけ博物館がやっているというので、行ってみる。まだ雪の残る山にホッ建て小屋がひとつ。そのむかし、銀山王と不倫の末むすばれたBaby Doeの住んでいた小屋なのだった。この二人はすごい年の差で、人々は金目当ての結婚と陰口をきいた。ところが銀山王が破産して、一文無しになっても彼女は彼を支え、未亡人になってからは一生一人でとおした。一転、「世紀のロマンス」として語り継がれている、というわけ。

小屋は小さく、造りも雑。すきま風を防ぐために、壁には新聞紙が貼ってある。でも、こんなことでは冬の寒さはしのげまい……。ある冬、何日も煙突から煙が上がらない。不審に思った人が訪ねると彼女は亡くなっていたそうだ。いまの豊かなアメリカと比べてしまう。いったいどういう暮らしだっただろう。

今日もデジカメを持っていて、いろいろと写真を撮る。「ああ、これが撮りたいな」と独り言を言うと、母が「どうせ撮れないわよ」と言ったのでビックリ。なんなの? 「やってみなくちゃわからない」と口では言いながら、ことごとに「ダメだ」と否定する。ずっとこうやって育てられたのか……。混乱するはずだ。

それでもある時期まで、うちの両親は「理想の人たち」だと信じ込んでいた。このような一貫性のないメッセージも、なんとか処理して首尾一貫したものと解釈してきた。きっと事実をねじ曲げ、おかしな正当化をして、誤謬に気がつかないようにエネルギーを使っていたのだと思う。それならどこかでひねくれ、ねじくれてしまっても不思議はない。

素直にありのままを見つめていたら、たちまちミテの価値観は崩壊するのだ。価値観の崩壊は、個人にとって非常にオソロシイものだからして……。

そのことに気づいただけでも、今回は大きな収穫だった。

ヴェイルのゲレンデは夕方でおしまい。夕方以降はゴンドラが無料になって、上にあるレストランまで行ける。そこで晩ご飯を食べる。また日本はダメで、ガイコクはすばらしい……ようなことを言うからウンザリ。ウンザリを素直に口に出せればいいのだけど、抑え込もうとするのでギクシャクして疲れてしまう。まだまだ心の傷が生々しいんだなぁ……。

ヴェイルのホテルは高いので、西にしばらく行ったEagleのホテルをとった。「また明日ね」と別れて、ホッとした……。ホテルのプールとスパでのんびりして、眠る……。

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2002.3.31(日)ありがとう

午前中、Vailに戻り、母と合流。おいしいと評判のスウィート・バジルでお昼を食べた。期待しすぎのせいか、普通の味だった。お店の人は感じよかったけどね。ウェイター君が「小さいころ、サッポロにいました」なんて言っていたっけ。

観光地故、夕方には渋滞すると聞いていた。お昼すぎにはヴェイルを発つ。母がずっと車を見送っていた。デンヴァーによって、PHO99でコーヒーだけ飲んで帰る。

母と話していて気づいたこと。

誰かがしゃべり終わらないうちに、自分の話を始める。しかもそれはまったく別の話だったりする。これでは、「向き合ってもらえない」と思っても当然だ。ダンナも「話がかみ合わないね」と評価してくれた。端から見てもそうなのね。

一人でしゃべっていても、話がアチコチに飛ぶのでワケがわかんなくなる。昔からこうだったろうか。普段は無口な父と二人きりだから、しゃべるのが下手になったんだろうか。

まだまだわだかまりがある。でも、遠いところまで来てくれてありがとう。

この1週間、母と会うことの怖さから悪いことばかり考えて、自分をいじめていた。体調を崩して大変だった。思いがここまでカラダに影響するとは……。

ずいぶん疲れた。眠れなかったし、夜になって熱が出たらしい。身体が熱い……。ダンナ、一緒にいてくれてありがとう。

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