2003.1.5(日)親との物語
今日は、日帰り里帰り。朝、東ちづるさんの『<私>はなぜカウンセリングを受けたのか──「いい人、やめた!」母と娘の挑戦』を見かけ、買った。行き帰りの電車で一気に読了。
いつのころからか、インナーチャイルド・ヒーリングに力を入れようと思うようになってるんだけど、ますます「そうしたい」「そうするぞ」って気分に。
おとといは母ともごく気楽に会うことができた。去年3月には会うのが怖くて、イライラ。落ち込んで、ダンナに泣き言を言ってたものなのに。自分の変わりようが嬉しい。
ミテ自身のインナーチャイルド・ヒーリングは7年かけてひとまず目標達成かな。とりあえず、フツーに話せたからね。
2003.1.6(月)迷惑?
「他人様(ひとさま)に迷惑をかけてはイケマセン」。
多くの人はそういわれて育ったと思う。親だけじゃなくて、先生もいうし、親戚だって評論家だってそういうことを言う。ミテも「そらそーだ」と鵜呑みにしてきた。
まんが『光とともに… ──自閉症児を抱えて』(戸部けいこ著、秋田書店)を読んで考えてる。
自閉症児のおかあさんたちはひたすら謝らなくちゃイケナイみたいなんだ。子どもがパニックを起こして騒ぐから。ひとの畑で大根を全部抜いちゃうから。断りもせず、人のものを取ってしまうから。話しかけても返事しないから。……つまり「迷惑をかける」から。
そうか。
「ひとに迷惑をかけない人になってね」という言葉には裏の意味がある。つまり「迷惑な人は排除せよ、隔離しろ、あっちへ行け、許さない」ということだ。
そもそも「迷惑」ってなんだろう。
人は誰でも、他人との関わりのなかで生きてる。「迷惑をかけない」ってことは、人との関わりを極力なくすこと、なのか? 「人を大切にしなくってもいい」って意味合いを帯びて免罪符になっちゃってるかも。考え直すことがたくさんあるニャ。
2003.1.8(水)人間の情報処理
まんが『光とともに… ──自閉症児を抱えて』(戸部けいこ著、秋田書店)を読んで考える。
主人公・光(ひかる)くんは話すことが苦手。聞くよりも見る方がわかりやすい。でもこれは健常者(なにをもって普通と言うんだろう?)にもあることだと思うの。前世療法でも、前世が「見える人」「聞こえる人」「感じる人」とそれぞれ。
ミテは大学入学から十数年間、本を読んでも理解できない時期があった。字は認識できるし、単語の意味もわかる。でも、文章になるとまったく意味がわかんない。苦労した。そんなときでも耳から入ってきた情報はよくわかった。おなじ「見る」でもマンガならスッと入った。字と絵は違うみたい。
どの感覚器官からどんな情報が入るか。それによって脳での処理経路が違ってくるんだろう。
活字離れと言われるけど、マンガははやってる。字より絵の方がわかりやすいタイプの人が多いのかも知れない。それぞれが自分のタイプを知って、特性を活かして暮らせるといいね。
自閉症のおかげで、人の感覚器官や脳の研究が進むのかもね。
2003.1.11(土)諜報活動?
ドラマ「X ファイル」にこんなセリフがあった。
「日本の諜報活動についてはほとんど知られていない」、と。
日本大使館の暴露本やマンガ「ゴルゴ13」を読んでると、日本に諜報活動は存在しないんじゃないかと思う。新聞社の特派員だって、東京から情報をもらってるなんて聞いたことあるし(もちろん全部じゃないけどね)。
あのセリフはやっぱ皮肉? 知ってて言ってるのかしらね。
♪♪♪♪♪♪♪
ミテにとって食べ物は「食えりゃいい」ってもんだな、としみじみ思う。
モヤシはしゃきしゃきしてるんだ、って最近気づいた。トウガラシや胡麻などの薬味が、食べ物の風味や味を変えるってやっとわかるようになった。おせちのヤツガシラも今年初めて味を認識した。
……料理専門記者の試験に落ちてほんとによかったよ(かつて応援して下さった方々には、あらためて感謝だけどさ)。
小さいころはほんとうに食が細かった。生涯初めてついたあだ名は「鶏ガラ」。初めての子だし、母はいかにたくさん食べさせるかに心を砕いたのだろう。
でも、それは私にとっては拷問だった。だって、適量以上に食べれば、お腹は苦しいだろうし、食べなきゃ怒られるし。板挟みだよね。小学生のころはよく胸焼けを起こしていた。
「生きるのが辛い。死にたい」という思いは食事と関係があるのかも。毎日毎日三度三度の食事が辛く苦しい体験なら、それぐらい思うようになるよね。
幸い今は人並以上の体重だ。そして食べることに無頓着。
どの料理にどんな薬味が合うのか、まったく音痴。おかず同士も不響和音。本を見ないでつくると、とんでもない味になっちゃう。遅蒔きながら自覚できてよかったなあ。
薬味の選択や、おかずのとりあわせはダンナに聞く。彼は好き嫌いが多いけど、舌は信頼できるのだ。
精神世界には食にも気を配る人がいっぱい。今まではそういう人たちに劣等感を抱いてきた。でも自分を知って認めることで、「ミテはミテでいいんだ」って思えるようになってきた。たいした進歩だって思う。
2003.1.12(日)進化の時
象は密猟される。象牙をとるために……。最近、象牙のない象が生まれるようになっているという。それなら殺されないから。
いま、この地球で進化が起きている!?
そうだ、子どもの歯がはえる順番にも変化が起きているンだっけ。
すごいことなのか? けっこうフツーのことなのか? わかんない。でもビックリ。
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「シャロン・イスラエル首相の男らしいイメージが云々」というフレーズがニュースにあった。ちょっとびっくり。
アリエル・シャロンが男らしいって?
「弱い犬ほどよく吠える」とも言うけれど、戦いたがる人ってとっても恐がりなんじゃないかと思う。恐ろしいから、攻撃する。銃をもちたがる。威嚇する。
弱虫で臆病なのを必死で隠しているんじゃないかな〜。「男は強くなきゃ」なんて吹き込まれて、そうでない自分を憎んでるんじゃないのかな〜。
だってミテが必死でイイコをやってたのは、自分はイイコじゃないと思っていたからだもん。劣等感のカタマリだったから、優越感にひたって傲慢だったんだもん。自分がどっか間違ってると思うからこそ、理論武装して、いいわけ考えて、正当化してたもん。
蛇の道は蛇。けっこう当たりだと思うぞ。
2003.1.14(火)見下された!
つい最近まで、引越その他で弱り切っていた。落ち込んだり、無気力だったり。メールにもホームページにもそう書いた。
「頑張って」「はやく元気になって」「そのうち日本にも慣れますよ」なんて言っていただいた。そしてますます傷つき、無気力になった。「そういう言葉はプレッシャーになるから、やめてください」とお願いもした。
でも、ミテが特別ひねくれてるからそう感じるんだろうか……。そんなことで傷つくのは恥ずかしいことかも、という気もしていた。
そういうときはシンクロニシティが起きる。読んだ本やマンガに、同じような場面が出てきて、言われた方は傷つき、怒りを募らせるとわかった。ミテだけじゃない。そう感じる人は多いはずだ。やっと安心。傷ついたと感じてもいいし、それを相手に伝えてもいい、と受け入れることができた。
ふと、わかった。
どうして傷つくか。見下されてるように感じたからだ。
「まぁっ、元気ないの? あなたは落伍者ね。ワタシなんか元気よ。あなたは負け犬、勝ったのはワタシっ! ほ〜ほほほっ。惨めな姿をさらしてるがいいわ!!」と言われているように思ったのだ。
「祖国である日本に慣れないなんて、信じられないわっ! バカじゃないの〜??」と言われてるように感じたんだ。発言者の意図とは関係なく。
畜生っ! バカにしやがって! 畜生っ! 負けたっ!
そういうことだったんだ。……自分で自分を負け組にして傷つける。骨の髄まで序列意識がしみついているんだった。うひょー。
2003.1.20(月)それでいい
「神との友情」を読んでいたら、ちょうど序列意識に関連する箇所にぶつかった。民族問わず、文化問わず、地球人ならもっているとも言える意識。
自分は優れていて、他人はダメ。この宗教はよくて、あとはダメという教え。日本人は良くて、外国人はダメだったり、または逆だったり。他人を押しのけ、蹴落とし、一番でなくちゃという思い。
その意識(インナーチャイルドでも、シャドウでもいいや)を抱きしめて、ナデナデして、優しい言葉をかけてあげる。やっぱりその奥にあるのは怖れだから。いつも他人と較べてビクビクしてるんだもんね。怖がってる子を殴ったってしょうがない。暖かい飲み物でももっていってあげよう。
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さいきん、ちょくちょく意識にのぼることがある。
「どんな道を通っても神(合一、ワンネス、All That Is、なんでもいいや)に至る」「どのみち、どの道も(シャレですー)神に通じてる」。どんな生き方も、行き方も、どんな人生もそれでいい。
早く進みたい人は、こうすればいいってのはあるけど。
やくざだろうが、判事だろうが、学校に行こうが行くまいが、意地悪だろうが、優しかろうが、自己防衛に終始していようが、誰でもみんな神への道を歩いてる。
回り道も、迷い道も、険しい道もあるだろう。でもいいんだ。
そんな考えが、わりかし実感を伴ってやってくる。
ミテの場合、怒りは大問題だけど、怒ったっていいんだ! ……そういう意識が育ってきてる。嫌いな人もいっぱいいるけど、それでいい。
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なんだか風邪だ。ハッキリしないけど、調子悪かったりよかったり。引きこもってるワリには、流行に乗ってるのねー。
2003.1.21(火)壮大な物語
「さんま大先生」をみていたら、「おかあさん、急に機嫌悪くなるのやめて」という訴えがあった。あれ、うちと一緒だ! すると、子どもたちが「うちも」「うちのおかんも」と口々に言い出した。
訴えられたおかあさんは「だって、女だから仕方ない」。自分でもワケわからず、急に腹が立ったりするみたい。
こういう人って多いんだ。ミテにとっては大発見。母のそういう態度にさんざん苦しめられた、という意識が強いだけに……。
たくさんの人が、親のそういう苛立ちで傷ついて、自分も子どもに同じ態度をとってしまう。母がそうだったのは、きっとおばあちゃんにそういう部分があったんだろう。それは、ひいおばあちゃんから、そのおばあちゃんから、代々受け継いできたものだろうな。
壮大な物語。終わらせるのは私たち。
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風邪かなー、気のせいかなーと思っていたら、だるーくなって寝込んだ。やっぱ風邪なんだな。
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カトリックには(キリスト教には、と言った方がいい?)主祷文(主の祈り)ってのがある。とても大切なお祈りだ。
そこに「われらが人を許すごとく、われらの罪を許したまえ」って文章がある。「自分が許した分だけ許されるのですよ」って中学生の時、シスターに教わった。ショックだった。ミテがだれも許さなければ、ミテは全然許されないんだ……。げー。
あれ、でも待てよ。
神さまはすでにすべての人を許してるのに、どういうわけなんだろう。
これは「人は自分がされたことを、人にする」「自分を許したぶんだけ、人を許せる」ってことを言ってるのかも。「人は自分にしてあげられることしか、人にしてあげられない」。
やっぱりそういうこと!? 「自分には厳しく、他人には優しく」なんてあり得ない。自分と他人はひとつのものであるらしいから。まだ確信をもって実践できてはいないけど、おぼろげにわかってきてる……。
もっともっと自分を許そう。「壮大な物語」を終わらせるのは、今生きている私(たち)なんだから。
2003.1.23(木)脅す、だます
9.11をきっかけに、アメリカのメーリング・リストに入った。いま彼らはイラクとの戦争をやめさせようと運動してる。署名を集め、地元の議員に会って彼らの声を伝える。ブッシュに声を届けるよう請願する。
英語なもんであんまり読まないんだけど、今日はたまたま読んだ。たくさんのアメリカ人が「戦争はもうやめよう」と声をあげている。
アメリカ人は本土で戦った経験がないから戦争を甘く見てる、わかってないんだ、なんてステレオタイプに思ってしまう部分があった。でも、そんな気持ちはふっとんじゃった。またまた「アメリカ人は」って十把一絡げにしてたんだよね。アメリカ人だって様々なのに、この癖はなかなか変わらない。でもいつかきっと変わる。気がついて良かった。
勇気をもって戦争反対って言う。なんて美しいんだろう。なんてパワフルなんだろう。世界はやっぱりいい方に向かっている。すごいな。ありがとう。
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人を脅してなんかさせる。そりゃ、犯罪だ。だましてなんかさせるのも詐欺だよね。やくざ屋さんがやってきて、ゴム紐を10万円で買えとすごんだら犯罪だ(いまどきゴム紐はないか(^◇^;))。
でも……そういうこと、けっこう日常。
引っ越してすぐ、換気扇のフィルター売りが来た。ここの換気扇は強力なシロッコ・ファンなのですぐ汚れるという。「1年でこうなります」と汚れた換気扇の写真を見せる。「これは業者じゃないと掃除できない。それには×万円かかる。でも、このフィルターを使えば云々」と。「そんなに汚れるのかぁ」とびびったけど、フィルターが1万円もするというので、お引き取り願った。
なんかひっかかった。だまされてる気がする。なんだろ?
そーだ! 「こんなに汚れる」という写真。うちがどれくらい汚れるかなんて、やってみなくちゃわからない。料理の種類、頻度、つくる量で変わるはずじゃないか。うっかり鵜呑みにしちゃったんだな。
今度は「水道局……にごり水……」と言う単語しか聞き取れない言語不明瞭な人が来た(わざとそういうしゃべり方をしていたらしい)。台所に通したら、水道水の塩素濃度を測定するといい、水に試薬を垂らした。比色表(濃度を決めるためのもの)を使わないから、正確な濃度を調べてるわけじゃないみたい。ミテは大学で「上水(水道水)」の講義をしたことがある。「上水」「下水」の実習も受けもった。講義の中身なんかもう忘れちゃったけど、おぼろげな記憶に照らしてもなんか変だった。で、彼はモゴモゴとうちの浄水器を褒めて出ていった。なんなんだ?
友だちに聞いたら、「家にあげちゃダメだよ。浄水器の押し売りなんだから」。
「水が汚い。からだに悪い」と脅して、買わせるんだ。シーガルフォーをつけといてよかった(アメリカで買うと日本より安い)。
なんでこんなに脅したり、だましたりが多いんだ? テレビでも「あんたはしわだらけ」と脅かして化粧品を売ってるし。そういう目で見ると、あれもこれも……。
むむ、そういえば、ミテもやってる!
「片づけないなら、捨てますよっ!」とダンナを脅してる。脅せば片づけるかと思うんだけど、実際は効力なし。でも口癖のように繰り返す。
小さいころは親がミテを脅してた。「早くしないと置いて行くわよ」「おみおつけ食べないと、デザートはあげませんよ」。してみると、脅してなんかさせるのも親からもらった財産なんだな。親はその親から、その親はその親から……延々ともらってきたんだ。聞くところによると学校では先生が「○○しないと、内申書に響く」と生徒を脅す。政治家も「○○だったら、離党するぞ」とかなんとか。
「脅してだまして相手を操る」って、国民的に日常茶飯事? で、これが例の「コントロールドラマ」なんだ。してみると、相手の意志、相手の行動、相手の態度、相手の言葉を尊重するのってなかなか大変。ミテにはあんまりできてない。
きっと無理矢理なにかをさせられたとき、子どもだったミテは悔しさや怒り、悲しさを感じたはず。でもそれを表現することは許されず、いまでも心の中でくすぶってる。このインナーチャイルドを癒すまで、閉じこめた感情を表現するまで、ひとを脅し続けてしまうんだろうな。この子を静かに見守って、抱きしめてあげよう。愛を注いであげよう。
世代間連鎖をいまここで断ち切るためにも。
2003.1.25(土)問題は……ない!
昔っから、親に相談できなかった。小学生のとき、給食が怖くなって学校に行くのを渋った。「全部残さずに食べる」というのがプレッシャーで、給食のたびに不安が爆発。ちょくちょく保健室にいってた。
朝起きて、「学校に行きたくない」と言ったんだと思う。驚いた母に説得されて登校した。あとは担任の先生が話を聞いてくれて、卒業まで問題は起こしてない(卒業まで給食はちょっとしか食べられなかったけど。そんで、いじめられたりしたけど)。なんで親には話せなかったのかな。なんで担任の先生だったんだろう。
中学校の時、一貫校の高校生が自殺した(生徒には「薬を間違って飲んだ」という説明だった)。そして「悩みがあったら、こうしなさい」なんて授業があった。そのひとつに、当然だけど「悩みを親や先生に相談しましょう」ってのがあった。従順な優等生だったミテなのに、カッと頭に血がのぼった。「親に相談なんてできるわけないっ! 大好きなシスターがそんなこと言うなんて……」。裏切られた気がした(言わなかったけどね)。
でも、なんでなんだろう……?? 一番身近な人に相談できないって。
そういう人が多いってこともわかってきた。「心配かけたくないから」「どうせわかってもらえないもん」という理由も聞くけど、なんかしっくりこない。
きのう、閃いた。「我が家には(私には)なんの問題もない」「問題なんてあるはずない」って気持ちだったんじゃないかな。問題を「悪いこと」ってとらえて、認めるのを拒んでた。
「誰でも生きてる限り、問題とは道連れなんだよ」。そう思えるようになったから、わかったのかもね。
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ああ、飛行機がうるさいな。米空母キティホークは艦載機ごと横須賀を出てったはずだけど……自衛隊かな。
厚木飛行場が近いので、うちは難視聴地域。NHKの視聴料が半額なの。飛行機(とくにジェット戦闘機)が飛ぶと、うるさくてテレビどころじゃないからね。以前住んでいた南林間よりはマシなんだけど……。
2003.1.27(月)結構難しいがね
「本のカバーは結構ですか?」。
本屋で店員にこうきかれてびっくらこいた、という投書が新聞にあった。おお、これだっ! ミテも経験した。宅配ピザを頼んだとき、「お飲物は結構ですか?」って言われたんだ。
わはは、おかしー! と、ダンナに言ったら、キョトンとしてる。むむ、こいつも若いからなぁ。で、説明した。「結構です」は断る人が言う言葉であって、問いかける人が使うもんじゃないんだよ。えっと、謙譲語? そこらへんは忘れたけど……。
敬語は難しい。40代のミテだって、ずいぶん間違って使ってるだろう。だって、実践する場があんまりないんだもん。国語の授業で習ってはいても、「勉強の知識」と「身に付く」のとは別のこと。繰り返し使って聞いて、間違ったら(優しく!)訂正してもらって、失敗を重ね恥をかいて、場数を踏んで、身に付いていくもんだ。
件(くだん)の店員さんたちはきっと若者。家でも学校でもテレビでも敬語を聞く機会はそんなにないんじゃない? ましてや自分が使うとなると……。間違って使ったって、あったりまえだよね。ミテも訂正してあげなかったし(誤用が広まるかも知れないよね)。社会に出ていきなり正しい敬語を話せったって、そんなの無理。
きちんとした敬語が身につくような社会に変えていくか。いっそ、敬語など消えるに任せるか。
謙譲語や尊敬語をなくしたら、上下関係にこだわらなくなっていいかもね。「みんなひとり一人が大切な大事な存在だよ」っていう社会になるかも。言葉遣いがどんなにぶっきらぼう、乱暴であっても心の方が大事、みたいな。
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だいたい「目上の人を敬いましょう」って変だと思う。じゃあ、目下の人は敬わなくていいのかよ??
いや、そうじゃない。もっと……。
いまさら「小泉さんを日本国の首相に!」と唱える人はいない。もう小泉さんは首相だからだ。「目上の人を敬いましょう」とことさら言うのは、現実に目上の人は敬われてこなかった、ということなのかも。敬われてきたのなら、なにも口を酸っぱくして言い聞かせなくていいわけだもの。
なんでだろ。年をとると、頭硬くて、頑固で、聴く耳持たず、くどくて、手が掛かって、うんざりだわ、面倒だわ??
そうして敬遠された年寄りが「まったく近ごろの若いもんは……」って、いにしえの昔からブツブツ言ってたのかもね。「老い=賢者」ばかりではないってことか。
そりゃそーだ。うちのおばあちゃんだって、賢かったかもしれないけど、母との冷戦は強烈だったもんね。ミテはそれで家に寄りつかなくなった。二人とも敬遠したわけデス……。
エリザベス・キューブラー・ロス博士も、アリス・ミラーもスイスの人(ちょっとカンチガイ。アリス・ミラーはポーランド出身、スイス在住)。ユングもそうだった。スイスの人には大変お世話に(?)なってるんだなぁ……。スイスに行ったことはないけれど。
ロス博士の「人生は廻る輪のように」(角川書店)を読み直した。え、散歩するユングをよく見かけた!? わぁ、すごい。渡米してしばらくNYに住んだ後、コロラド州デンヴァーに暮らしたことも知った。
以前読んだときは、アメリカの地理を知らなくてわかんなかったんだ。デンヴァー!? うれしい〜。ドライブしてモニュメントヴァレーにも行ったんだ! それだけで、もう舞い上がっちゃった。いまはアリゾナ州在住。ああ、もう忘れられない大好きな場所。ドキドキして勝手に親しみを感じる。
ミテの将来の夢ってなんだろう、と思い描いてみたことがある。自然の豊かな場所にヒーリングセンターをつくること。そこでワークショップやセミナーをする。畑で野菜を作り、花を咲かせる。鶏や牛やラマを飼って、一緒に遊ぶ。音楽や踊りも楽しみたいし、ただぼーっと景色を眺めたいし……。
たくさんの人が訪れる。ある人はワークショップが気に入るかも知れない。ある人は森をお散歩して、なにかに気がつくかもしれない。ある人は踊りや音楽を通じて、自分の魂に目覚めていく……。ありとあらゆる癒しの機会が、わかりやすく転がっていればいいなぁ。死に場所として来てくれてもいいかも。
でも、すでにロス博士が実行されていたのね〜。前に読んだときは、そういうことに気がつかなかったな。
でもまぁ、とりあえずセラピーを始めっぺ。……という気分になりかけてきた。夢のためにも、自分のヒトギライや対人恐怖ももっともっと愛してあげよう。
今年はロス博士が蝶になる年(ご自分で予言されてる)。心からお祝いできたらいいなぁ。そのときには「怒りにたじろがない頑固ばぁさん(文章からそういうエリザベス像が浮かんでくる)」が柔和になってらっしゃるのかしら……? ほんとうに、博士がおっしゃるように苦難は成長のための「贈り物」だけど、彼女の愛もまた最高の贈り物だと思うんだよね。
「人生は廻る輪のように」(エリザベス・キューブラー・ロス著 上野圭一訳 角川書店)から抜粋。太字はミテがつけました。
「みんなで自分を愛すること、自分をゆるすこと、いつくしむこと、理解することを身につけましょう」ワークショップの終わりに、わたしはいつもそう訴えた。それはわたしのすべての知識と経験の要約だった。「そうすれば、その贈り物をほかの人たちにあたえることができるようになります。人を癒すことによって、母なる大地を癒すこともできるのです。(p.346)
いのちの唯一の目的は成長することにある。究極の学びは、無条件に愛し、愛される方法を身につけることにある。
あらゆる人はひとつの同じ本源からやってきて、その同じ本源に帰っていく。
わたしたちはひとしく、無条件に愛し、愛されることを学ばなければならない。
人生に起こるすべての苦難、すべての悪夢、神がくだした罰のようにみえるすべての試練は、実際には神からの贈り物である。それらは成長の機会であり、成長こそがいのちのただひとつの目的なのだ。
まず自分を癒さなければ世界を癒すことはできない。(p.374)
だれだってみんな、無条件の愛を身につけるための道を歩いてる。目標がどんなに遠くても、一歩一歩進むしかない。一生、十生、千生かかってもいいのだ。自分のペースで歩いていこう。
2003.1.29(水)祝・たびだち
ベランダに鳥さんが落ちていた。ご遺骸であった。壁かガラスにぶつかって亡くなったのかのぉ。
「ああ、かわいそうに……」。ゴミに出すんじゃ、あんまりだ。そうだ、庭に埋めてあげよう。
で、気がついた。やっぱり「死んだ→かわいそう」って思っていた。その子は「蝶になった」のにねぇ。頭で考えないと、「お祝いしてあげるね」って思わないんだ。
いつか心から理解するだろうか。いつか言えるようになるだろうか。「主人が亡くなったの」「あら、卒業なさったのね! おめでとう!」って。
(袋叩きにされそうな気もする……)。
2003.1.30(木)共通点
むかし、自閉症の人が書いた自伝「自閉症だったわたしへ」を読んで、とても安心したものだ。世の中には読書障害ってものがあるってわかったから。
大学入学から十数年、字は読めるのに文章の意味がわからなくて苦労した。自分だけが変で、バカになったと悩んだ。誰にも相談できなかった。でも、著者のドナは同じような体験をしていた。「ああ、私だけじゃない!」。
彼女のあげる症状のいくつかに当てはまった。うれしかった。自閉症と健常って、ベツモノではなくて「程度の問題」って部分もあるのかなと思った。
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ミテには被害妄想(?)もある。
「きっと近所の誰かが『あの人の洗濯物の干し方ったらひどいもんね』って思ってるに違いない。いいもん、気にしないから……」。
「近所の人は、『あの人、いつもヨレヨレのかっこして』って思ってるに違いない。いいもん、気にしないから……」。
文字にするとあほらしいし、自作自演であることがよくわかる。でも、この思いはうんと昔からある。いつもいつも考えてる訳じゃなくて、干し物をしてるときだけ、玄関を出たときだけ浮かび上がる。
20代のころは、それに加えて「狙われてる」ような気もしてた。帰宅してカギをあけるときに、「狙われてる」と不安になる。早く入って鍵をかけないと、奴らが侵入してくる……。できるだけ急いでドアを閉めていた。
「ミテってやっぱり変なのかしら?」という思い。これも分裂症(いまは統合失調症)の家族が書いた本(題名を失念)を読んで、ちょっと安心した。その患者さんは「近所の人が私の悪口を言ってる」「組織に狙われている」と家族に訴えていたそうだ。なんだー、おんなじじゃん。いつもいつも考えているか、刹那こころをよぎるだけかって違い? 四六時中考えるようになったら、「病気」なんだろうか。誰でも(?)もってる思いなのに。
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で、こんどは境界性人格障害。治療する人に怒りをぶつけ、攻撃する。治療者は傷つき、怒る。扱いが難しく、治療困難。前世療法講座でも「こういう人は引き受けないように」と言われた。手に負えないもんね。
雑誌「こころの科学」(2000年9月号Vol.93、p.72、日本評論社)で高橋正雄・筑波大学助教授がどうしてそんな態度をとるのか、ディケンズやドストエフスキーの作品をもとに読み解いていた。
「おそらく彼らは、治療者の態度に、誠実で慈悲深い医師といった偽善的な取り繕いに苛立ちを感じているのである」「まして、治療者──患者関係という心理的な上下関係が生じやすい状況の中では、境界例のように、優劣意識で(ママ)敏感で傷つきやすい自尊心の持ち主が、自分に精神科の患者という立場をとらせている医療者に、潜在的な敵意を募らせても不思議ではない」と。
ひらたくいえば、「治療者に見下されてると感じて、攻撃しちゃうのでは?」ってことだ。それって、「頑張って」「元気になって」と言われて傷つくミテとおんなじこと?
いつも内心、「この人には勝った!」「負けた」と秘かに考えてる。なんだか了解。治療困難と言われるような人にも、おなじようなことが起きてると考えていいのかもしれない。
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いつも人との勝ち負けを考え、順位づけする自分を恥ずかしく思っていた。そういう部分を憎んでいたし、誰にも知られちゃいけないと思った。隠そうとしてきた。でも、もうやめよう。自分でしっかりそれを認めよう。
セラピストになろうと思った心には、クライアントより「上になれる」という気持ちがあったのかも知れない。だからこそ、「先生とは呼ばないで」と逆にこだわっていたのかも……。
「あんたなんか、セラピストの資格はない!」と罵られて、激怒したのも、そういう類の負い目を感じていたからかも。そう考えると、罵られて気づいたから、よかった? あんまり聞きたい言葉ではないけれど……。
2003.1.31(金)人を変えるのは
どうも風邪っぽいのが去らない。今日は一段と低空飛行である。
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不良少年が介助犬の訓練をする、っていうテレビを見た。更正プログラム。犬とつきあううちに、少年たちが変わってくる。最後には、飼い主となる身体障害者と犬と少年とで数週間をすごし、犬は引き取られていく。
そうか。
人間って、人間とか社会とかの中で生きてるんだ。人間同士のつながりの中で、必要としたり、必要とされたり。居場所があって、すっぽりはまると安心する。居場所がないことの不安。
ボクがこの犬を訓練するのを、待ってる人がいる!
「必要とされてる」ってことが少年に大きかったんだね。
夫に暴力をふるわれている女性は、なかなかダンナさんと離れようとしない。「あの人には私が必要なんです」。そうだ、それほど大きいことなんだ……。
セラピストになった理由の一つもそれなんだろうな。誰かに必要とされたかった。逆に言うと、「わたしは誰にも必要とされていない」って、心が叫んで泣いていたんだろう。
♪♪♪♪♪♪♪
「他人様(ひとさま)に迷惑をかけてはイケマセン」は、人と人の絆を弱める呪文だって気がしてきた。「いいんですよ、お互い様ですから」ってほうが好きだ。あったかい。
♪♪♪♪♪♪♪
赤ちゃん連れの友だちがお寺で講話を聞いたそうだ。途中で、赤ちゃんがお茶をひっくり返した。「あ、私が悪い!」。瞬間的に思った彼女。
すると、お寺の人が新しいお茶と座布団を下さって、「誰が悪いんじゃないからね」「あなたのせいじゃないからね」って言ってくれたんだって。
そのメールを読んで、泣いちゃった。世の中には、こんな優しい人もいるんだ……。書いていて、また涙が出てくる。
そうなりたい。人を責め、自分を責めるのはもうやめたい。もうやめよう。いままで何度も決心してきたけど、また。
変わるために、自分が「責める人」であることをしっかり認識する。受け入れ、そして許す。愛する。インナーチャイルドを抱きしめる。いままで自分が責められて感じてきた怒りや悔しさ、悲しさを癒してあげないと、いつまでも責める人のまんまだから。
この話に泣くたびに、インナーチャイルドの心がほどけていく気がする。
人の心を変えるのは、暖かさ。責めたって、人は変わらない。ほんとうにそうなんだ……。