2003.2.3(月)自ら拒否する自分
自分を受け入れるのが大切と気づいてからしばらく経つ。で、またまた気がついた。いかに毎日、自分を否定しようとしているか……。
雑誌で記事を読んだ。魂は成長していく。ある成長段階では、どちらかというと一人でいることを好み、子供ももたないかもしれない、と。
読んでホッとした。一人でいる時間があってもいいんだって思えたから。子どもがほしくなくてもいいんだ、って思えたから。
それだけ、「自分はおかしいんじゃないか」「こんなのイケナイかも……」って思っていたんだと気がついた。
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UFO 関係のテレビを見て、「アブダクション──宇宙に連れ去られた13人」(ジョン E. マック著)という本を知った。読んでみようかな。すると図書館でみつけることができた。
宇宙人に誘拐(アブダクション)された人は、暗闇を怖れる傾向があるらしい。よる一人でいることを怖がることも。
そこでもホッとした。こわくったっていいんだ! ミテだけじゃないんだ。そんなの子どもっぽくてバカなことなんじゃないかって、やっぱり自分を責めていたんだよね。
ただ、困ったことになった。その夜は、一段と夜の闇が怖かった。夢にまで見るほど……(^◇^;)。
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ときどき、怒りをカァ〜っっと感じることができるようになってきた。ぼうぼうと上半身を駆け抜ける感情をカラダで感じる。
ロス博士によると、ちゃんと怒りを感じれば長くても15秒しか続かないと言う。まだ上手じゃないから、15秒以上かかるけど……。
で、気づいたんだけど、ミテってやっぱり、すんごく怒りっぽい。
2003.2.6(木)わからないとわかる
ああ、書きたいことがたくさんありすぎて。どこからどう手をつけたらいいか。とにかく書いてみよう。
1週間ぐらい前だったか、ふと気がついた。私は他人(ひと)を理解しようとしていない、と。
ときどき相談のメールをもらう。それに対しての返事は質問に満ちている。「そのとき、どう感じた?」とか、「それは○○ということ?」とか。
質問するのは、自分で気がついてほしいから。
そうなんだけど、ミテの意図はもっと意地悪だった。「なんで気がつかないのよぉ!」「ああ、ここ矛盾してる。早く気がつけー」という気分に満ちていた。
牛の首根っこをつかまえて、水に口を付けさせようとしていた。「ほらほら、飲んでよー」と無理強いをしていたに等しい。
うわぁ、なんてことをしていたんだ! 牛が水を飲みたくなるまで待つことができなかった。水を飲まないわけを尋ねなかった。
最近、ある人に言われたのを思い出す。「○○さんのセッションを受けたら、『あなたがこの状況をひきつけてるんでしょう? なんで気がつかないんですか?』と責められた。もうあの人は信用できない」って。「あなたが悪い」って言われたわけだから当然だ……。それに対して「え、そんな無理強いはイケナイねぇ。でも、ミテもやっちゃうことあるんだ。モゴモゴ」と答えた。
ちっとは自覚していたんだ。やっとそのことの意味をカラダでわかってきた、という訳か。腑に落ちた。意識化できた、というか。
いままで無理強いにつきあわされた皆様、ごめんなさい。みなさんのご辛抱のおかげで、やっと気がつきました。
ありがとう。
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自分は「こころの仕組み」を一般よりはずっとわかっていると思っていた。宇宙の仕組み、人生の意味もわかっている、と。だけどそれは単なる思い込みで、錯覚なんだ、とやっと気がついた。
もっともっとわからないことがある。たくさんのものが理解の外にある。ヒト一人の心のうちだってそうなんだ。
どうしても、すべてを「自分の理解できる枠組み」に納めたくなってしまう。「あ、なるほど。こういうことね」と早合点したくなる。理解できないことは切り捨てて無視する。あるいは怒りをもって排除する。「私にわからないことがある」なんて屈辱なのかも知れない。
だからガリレオは殺されるし、魔女は火あぶりになるし。前世やUFOもキワモノ扱いだったりするんだろう。わが教授殿も「生まれ月学(生まれた月……年と月のこともある……によって罹りやすい病気がある)」を唱えたために、学会では非主流だった。ドラマ「Xファイル」のモルダー捜査官も「変人」と評判だ。
ついでに言えば教授(元・帝京大学医学部衛生学教室の三浦悌二先生)には感謝してる。誰がなんと言おうと、「こういう現象が現にあるのだから、仮説を立て証明する」という姿勢を貫いておられた。それこそが科学だ。当時はなんとなく「そうなんだ」と思っただけだった。やっといま腑に落ちた感じ。
そういうスゴイ人と接していながら、わかるまでに十数年もかかるなんて。でも気がついてよかった。
「わからないことがたくさんある」。肝に銘じよう。
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こういう気づきと相前後して(絡まりあって)、「アブダクション──宇宙に連れ去られた13人」(ジョン E. マック著)と出会った。
UFO を目撃するだけじゃなく、宇宙船の中まで連れて行かれる。宇宙人に精液や卵(らん)を採取されたり、身体検査を受けたり……。それは屈辱的な体験なんだけど、そのうち自身も「エイリアンでもあり、地球人類でもある」と発見したり(「Xファイル」のモルダー!?)。
たしかに荒唐無稽に見える。でも、著者はハーバード大学の教授。知的エリート(大学のセンセイのすべてがそうでないことは身に沁みてるが(^◇^;))。催眠療法を用いて、アブダクション(誘拐)体験の記憶を引き出していく。
ミテの所にそういう人がみえたら? 「この人はオタクだ、マニアだ」と決めつけて、その人の体験にケチをつけるのか? 理解できないから??
わからないから、理解しようとする。そうでありたい。
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ここに出てくるアブダクティー(誘拐体験者)は霊的・精神的にすごく成長していく。宇宙の意味、地球の苦しみ、人類のあり方、生き方、いのちの意味に目を開く。「誘拐なんてあるのか?」「UFO なんてデタラメ?」「本当かウソか」なんて、もう関係ない。彼らのメッセージや自分の生き方を見なおすことの方が大切。
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多くのアブダクティーは小さいころから疎外感に悩まされている。
あ、なんだ。
ミテも一緒なの。疎外感を感じていてもいいんだ……! これは心強かった。
この疎外感。幼いころに感じていた「なんで、『いま』『ここ』にいるの?」という疑問。みんなの輪に入っていけない気分。自分はみそっかすで半端者、よけい者という意識。「みんなと違う」とか「どうせ変人なんだ」とか。
これを癒さなくちゃいけないと思っていた。原因を探らなくちゃ、と。
曰く、母が弟をひいきしたから。対人恐怖だから。ヒトギライだから。父も変人だから、とかなんとか。ずいぶんと母のせいにしてた。ごめんね。
一方で疎外感を無視しようともしていた。治さなくちゃと焦っていたから、その影響にまで気が回らなかった。
「他人のこころはなかなかわからない。理解しよう。わかろう」と決心してから、たまったメールを読み返して気がついた。
ミテは本当になんにでも腹を立てていたんだなあ(この前の日記にもあるように)。
「元気になって」「頑張って」「期待してます」に怒り、知らない映画・ドラマ・本に言及していることに怒り、「ホームページに××を載せて下さい」という要求に怒り、「この人はなんで自分の思い込みに気がつかないの?」と怒り……。
疎外感の果たしてる役割が大きかった。
「アメリカ滞在記」に「ひがみまくり」という項がある。そのころから薄々気がついていた。ミテはすぐ僻む。いじける。なんでも悪くとる。
それは「どうせ私は仲間外れなんだから。ふん、どうせ仲間になんか、なりたくないしー」と思っているから。
どうもそうみたいなのだ。
どうせ理解されない。どうせとけこめない。どうせ嫌われる。「なによ、そんなドラマ知らないわよ、仲間外れにして!」と思っていた。あーあ、これはすごい。
こうしてよそから眺めるとバカみたいだけど、本当に怖かった。バカにされ、仲間外れにされることが……。
疎外感はこれからも感じるだろうが、少なくとも怒りはなくなっていくだろう。
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ミテがアブダクティーかどうかはわからない。そうであってもなくてもいい。「選べれた」人なら嬉しいな、とは思うけど。
そうでなくても、疎外感を肯定できたから感謝してる。「わからないことがある」と肝に銘じられた。性的虐待を受けた記憶はないのに、強い関心を抱いていることにも説明がつくかも知れない。
さて、また続きを読もうっと。
2003.2.8(土)平和に賛成する運動
学生のころ、学内で原爆写真パネル展をやったの。見に来てくれる人はほんとに少なくて、がっかり。仲間の一人が「ちくしょうっ、なんで見に来ないんだよっ!」と毒づいた(ちなみに女性)。確かにそう思った。目を背けるなよっ。
一方でこうも思った。とてもぼんやりと、だったけど。
この憤りと戦争とどう違う? こういう気持ちが戦争を生むのかも、と。
イラク攻撃、ないといい(もうすでにイラク国民は悲惨な暮らしを強いられているんだけど……)。
あるウェブサイトから反対の署名もした。だけど署名チェーンメールはミテのとこで止めた。「戦争に反対しないの?」と非難されるかも知れない。ちょっと怖かった。ホームページにもなんか載っけた方がいいのか悩んだ。
でも、戦争反対のために戦うのはいかがなものか、という気分がひっかかる。ひとり一人のこころが平和でなければ、戦争はあり続ける……でも確信にはなっていない。迷った。
今朝、山川亜希子さんのメルマガが届いていた。
さっきアメリカから入ってきたメールに、次ぎのようなマザーテレサの言葉が載っていました。
「みんなになぜ、あなたは反戦運動に参加しないのですか、と私はよく聞かれます。私は反戦運動には絶対に参加しません。でも、平和に賛成する運動があれば、すぐに参加します」
これだっ!
やっとわかった。そうなんだ。本当にいいタイミングでメッセージがやってくる。マザーテレサ、ありがとう。亜希子さん、ありがとう。亜希子さんにメールを書いた人、ありがとう! インターネットをつくった人もありがとう! たとえそれが軍事技術として生まれたものだとしても……。ああ、神さま、ありがとう!
2003.2.9(日)ブッシュに愛と光をおくる
スペースシャトル・コロンビア。いきなりの事故で7人が亡くなった。衝撃を受けた。マスメディアで人々の悲しみなどを見ると、余計そう思う。
そしてまた気づく。死は移行の過程なんでしょう? いつかはお祝いしたいと思っていたはずだ。でも、こういう事故はやっぱり悲惨。例外なんだろうか……? 迷う。
一瞬、脳裏にイメージが現れて消えた。青い空に、白いシャトルの航跡がかかる。そこに女性の満面の笑み。悲しまないで、心配しなくていいんだよといわれたように感じた。
ホッとした……。
そしてまたまた今日、山川紘矢さんのメールマガジンにこんなことが。
さて、最近、チャネリングが始まったという方が宇宙飛行士からメ
ッセージを受けっとったということで知らせて来ました。「私達の任務は、スペースシャトルの事故を示すことで、この地球がああなってはいけないということを見せること、そして、まずブッシュ大統領に愛と光を送ること、この美しい地球を私達で守っていくことを伝えたかったのです。
今、この瞬間からブッシュ大統領に愛と光を私達とともに送っていただきたいのです。私達の肉体の死において、全世界の人々が私達のことを思ってくださったことに深い感謝を申し上げます。
その関心を、どうぞ今、世界の平和に向けてください。ブッシュ大統領に愛と光を送ってください。私達の任務は、皆様とともにあります。私達は、この任務を与えられたことを大変誇りに思っています。
今、この瞬間から全世界の人々で、平和の祈りをささげていただきたいのです。
この美しい私達の地球を守りましょう。」
「(彼らは)悲しんだり、苦しんだりは、いっさいされていません。それより強い意志でこの任務にあたりたい、この任務につかせていただいたことを誇りに思うとおっしゃっていらっしゃいました。「神に感謝していす。」とおっしゃっています。」
死の意味を確認できた上に、昨日確信したことをさらに強めることになった。憎むのをやめて、愛と光をおくる。平和をつくっていくのだ、と。
嫌いな人全部に愛と光をおくろう(たくさんいる(^◇^;))。
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半端な時間にお菓子をつまんだ。ごっくんと飲み下したとき、罪悪感を感じていることに気がついた。不適切なものを食べた……と後ろめたかったのだ。
よく味わって感謝する、とはほど遠い。
今日の夕飯は一人。スーパーでお総菜を買いながら、やっぱり罪悪感があった。できれば料理したくないくせに、インスタント食品、出来合いの総菜、冷凍食品にはひそかに抵抗があるみたい。
食べるものがない! なにが食べたいかわからない! いままで、ほとんどの食事を罪悪感と一緒に食べていたのか??
あれまぁ。そしてそれに気がつかなかったなんて……。びっくり。
2003.2.10(月)ころび科学者
「UFO誘拐事件の真相--MIT からの報告」を読んだ。いろいろひっかかった。
自分から「誘拐されたかも〜☆☆☆」なんて言う人は、頭の弱いUFOマニアなんて箇所があった。そうかい! そう思ってるミテはニセモノかい。けっ。
ニュー・エイジの催眠術師に間違ったことをされた、とホンモノの催眠術師があざ笑う箇所もある。そうかい! 悪かったねっ。
正規の精神科医が辛い目に遭わすから、「ニューエイジのセラピスト」に来ることもあるゾ。なんだってんだ……と思って気がつく。自信をもてない自分がいる。「大学教授が認めるような資格」が必要なのか……なんて。
「愛と光をおくる」という観点から考えてみる。
たがいにけなしあってどうする。「誰かと共に歩む」道はひとつじゃない。体の医者、こころ・精神の医者、看護師、カウンセラー、療法士、宗教者、ヘルパー、ニューエイジ系(彼らの言葉を借りるなら)のセラピスト、ヒーラー、占い師。あるいは世話好きなオバサン。おいしい食事を作る人、きれいな服をつくる人、園芸屋さん……ありとあらゆる道がある。
だから、選べる。それぞれに特徴がある。それでいいじゃん。桜と桃と梅がある、ってことだ。
「ニュー・エイジの催眠術師」を嫌いな人もいる。それだけだ。ならその人にどう接する? わたしは愛と光をおくる! ブッシュにそうするように……。その人が嫌いでも。
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でも、「学者が認めるような資格」にこだわるってことは……。
やっぱりコンプレックスがあるんだろうな。はじめたキャリアは学者・研究者だったのに挫折したんだから。
でも、この本を読んでいて、「科学的で」あろうとする人々にちょっとウンザリもした。そんなこと、どうでもいいじゃん、という気持ちがある。逆に言うと、私自身は「科学の決まり事」を理解できない人だったんだな。やっとそう思った。認めた。
物理で「ただし直線は○○であるものとする」という前提があると、「どうして? 事実と違うのにそれでいいわけ?」なんて、気持ちが脇にそれてしまう。実験を計画するときには、すごく細かいことに気がいって迷い道に入り込む。
つくづく科学者には向いてなかったんだな。クビになったときは真っ青になったけど、それでよかったんだ。
2003.2.15(土)キライだから愛を
「愛と光をおくる」ことにちょっと懸念を感じた。それは自分が感じている憎しみや悲しみ、寂しさに蓋をすることになってしまわないか? ネガティブな感情を抑圧しないか?
ポジティブ・シンキングとおなじように、そう誤解する人も多いかも知れない。自分の中の後ろ向きな感情を無視して、無理に明るくふるまう……みたいな。
でも、ほんとうはそうじゃない。
たとえばブッシュを嫌いとする。それはブッシュの中に、自分を見ているからだ。自分自身が嫌っている、まさにその部分が大統領に映し出されてるからブッシュはキライと思うのだ。
つまり自分が嫌い。
で、そのときはどうするか? どうキライなのか、何がイヤなのか考えてみる。卑怯だから、優柔不断だから、アホだから。
でもアホである理由がある。卑怯な振る舞いをする理由がある。それをインナーチャイルドに語ってもらう。耳を傾け、抱きしめる。
自分のインナーチャイルドに愛と光をおくるとともに、私を映し出してくれた鏡としてのブッシュにも愛と光をおくる。彼を嫌いだからおくる。卑怯だと思うからおくる。アホに見えるからおくる。
「嫌いな人」は自分が成長するために欠かせない。感謝しなくちゃ。
でも、考えただけで吐き気がする人もいる。それについちゃー……先延ばしにしようっと。
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光の十二日間にはいろんな葛藤が浮かび上がってくる。それは葛藤を手放すチャンスだし、自分が大きく変わる時期である。
その変化の様子は面白かろうと思って、この日記を書いてるんだけど……なんてゆーかすごく膨大でさまざまで速くて、とても追いきれない!
ほとんど一日中家にいて、ぼーっとしてるだけなのに。
2003.2.18(火)明るみに出す
友だちから「会いたいね」といってもらったのに、わだかまりがあって返事ができなかった。2ヶ月以上経って、「返事が遅れてゴメン。わだかまりがあったんだけど、もう会っても大丈夫だと思う」とメールした。
そしたら今朝から落ち着かない。
「ひどいやつだ」と怒りのメールが来る気がして、怖くてたまらない。意識的に観察していると、「もう人生どうでもイイや……」と投げやりな気持ちになり、「ほんとうの気持ちなんて言うべきじゃない」と後戻り。どうしようもない無気力に襲われる。ちらと「死んじゃおうか」とまで思ったりする。
朝からゲリ気味で、身体もフワフワした感じ。これも、返事を怖がっているせい? わかんないけど。
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意識の上ではともかく、無意識の領域は不安でいっぱい。
人はみんな私を攻撃し、仲間外れにし、悪口を言う存在だと信じている。だからメールが来ないと、「あの人は怒っている」と思うし、行間を読むときには相手が悪意に満ちている、とカンチガイしてしまう。
無意識に起きていることだから、うすうすは気づいていても、いままでハッキリとは気づかなかったけど。気づいてみれば、兆候はいつでもあった。気がつきたくなかったんだな。
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アブダクションの本を読んで腑に落ちたように、根深い疎外感も大きな役割を果たしているんだろう。
とはいえ……。まったく、なんだって世の中をこんな風に思っているんだろう?? 意識の上では、呆れてものも言えない、と思う。なんてネガティブなんだ!
この傷つきやすさや、怒りっぽさ、そして不安や恐怖は、イジョウだとさえ思える。日常生活ではフツーの人に見えるだろうけど、心の内はまるで境界性人格障害とも言えるのでは? ミテはここまでヘンなのか?? ビョーキなのか?
けっこう深刻に悩んだんだ。そしてパチンとはじけた。
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別にいいじゃないか。自分はそういう人なんだ。それだけ。
投げやりではなく、しっかりと地に足をつけた状態でそう思う。
いままで自分にも隠していたことを明るみに出す。いまやっているのは、そういうことだ。否認するのをやめる。抑圧するのをやめる。ただ受け入れる。眺める。
変えようとするのは、否認。否認すれば、それはどんどん大きくなって困ったちゃんになっていく。ふりまわされてしまう。
これだけヘンで陰湿に思えるような感情も、ああそうか、と認める。いらないものなら、消えていくだろう。残ったって、それはそれでいい。
簡単だ!
「明るみに出す」ことにはすごいパワーがある。だからショックや怒り、心配、オロオロを大切に見つめよう。かっこ悪く弱音を吐こう。そうすることでしか、こころの大掃除はできないみたいだから。
で、返事は来るのか? いまはあんま怖くない、かも。
2003.2.23(日)疎外感
疎外感をとっくり考えてみた。
いつもあったような気がする。学校のように、「いることが義務づけられていて、することが決まっている」場所や、だれかと二人でいるときにはあんまり感じない。でもそれ以外、たとえば二人以上の他人がいる場合から苦しくなる。相手がどんな人であっても。
その結果、「みんな意地悪で、私がいないところで私の悪口を言ってる」という被害妄想を意識下に養っていた。ここは自分の居場所じゃない、間違ってここにいるんだ、どうしようと思っていた。家庭で、大学で、職場で、さまざまなワークショップで。
母が弟を贔屓してたから……と考えていたけど、どうもそうじゃない。「疎外感に苦しむ」ことも人生の課題に決めて生まれてきたのかも。
こんなに強烈な疎外感は、ほとんどビョウキかもしれない。またもや私は「正常な人間」じゃないのかもしれない。
……とお友だちに話してみた。社交的で明るくて前向きに見える人。
すると「あるある!」。え、そうなの? ミテ、ビョウキじゃないかも??
彼女の場合は、たとえば学校でクラス替えがあったとき。仲良しのお友だちと離ればなれになって、寂しさを感じる。そして「早く友だちを作らなくちゃ」と焦る。
あ、そうそう。そうなの。
疎外感を感じていてはダメ、早くとけこまなくちゃ、という強迫観念があるんだよね。仲良くしなきゃダメ、明るくふるまわなくちゃダメ。
河合隼雄さんの本に、日本人やアメリカ・インディアンは知らない人にも早くうちとける、というようなこと書いてあった。悲しかった。ミテにはできない。日本人じゃないのか……?
自分はダメだと自分を責めた。
どうしても外部の基準に自分を照らしてしまう。基準から外れていると、自分を責める。基準がヘンなのかも、とはなかなか思わない。
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大学時代は、他大学の人とばかり遊んでいた。女性の多い職場では、グループでお昼に行く人が多かったけど、勝手に一人で食べるのが好きだった。で、違う部のおっさんと飲みに行ってた。
自分と違う属性の集団を好んでいたようだ。それならば疎外感・違和感を感じて当たり前だから。年齢が違う、性別が違う、職場が違う……のが望ましい。
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するとお友だちが、「あ、そこが違う」。
彼女の場合は、疎外感をどうにかするためにグループの人と同じ服装、同じ話題、同じ髪型……をして、その集団にどっぷりはまっていた。違わないように気をつけた。
戦略は違う。でも動機はおなじ「疎外感」だったかも。職場で徒党を組んでた人たちも、根っこは同じだったのかも。気が楽になった。
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それにしても。
この疎外感に、行動も感情もずいぶんと支配されていたんだな。タバコをすいはじめたのも、お酒の席を好んでいたのも、マジメなお茶大のクラスメイトと自分とを差別化するためだったかも。
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いまはこの疎外感をどうこうしようと思わない。そのまま自分のものとしてもってようと思う。受け入れて愛してあげたい。
去年暮れ、前世療法の講座に出たの。知り合いが少なくて、居心地が悪かった。どうしよう、とどきどきした。「とけこまなくちゃ」と焦った。それができないようじゃ、「ダメな人間」だと思っていたから。でも、グループに入り込んだら、いっそう強い疎外感に悩まされた。話題に共感できなくて、ひそかに腹を立てたりもした(完璧に八つ当たりだ)。
来月はべつの講座に出る。もう誰かと仲良しになったりしなくていいや。ミテは一人でいる方が楽なんだから。もちろん誰かが話しかけてきたら、おしゃべりするだろうけど。
なりゆきにまかせよう。無理するのはヤメだ!