2003.3.2(日)ひとランク
気をつかわれるのってイヤだ。心配されるのがイヤなのとおんなじかもしれない。大変ね、頑張ってねと言われるのもイヤだ。「引越大変ですね、頑張って下さい」とかね。
そんな自分はひねくれてるのかと思うから、同じように感じてる人がいると嬉しくなる。友だちと話していて、「ああ、この人、気をつかってるよ、ヤダなぁと思った」「そうそう、そうだよね! ヤダよね」なんて盛り上がってしまう。
先日読んだ「女流棋士」(高橋 和 著、p.185)にもこんな箇所があって、ひとり嬉しかった。
幼いときから病院になれ親しんできた私にとって、何か障害があるというのはその人の個性と同じくらいの感覚で、それが「普通ではない」とは思わない。もちろんそれによって失われた機能や不自由なことなどもあるのだろうが、だからといって彼らが特別に一生懸命生きているのではなく、みなと同じように淡々と日々生活しているだけのことではないだろうか。そこに「大変ね」とか「頑張ってね」などという言葉を投げかけるのは、大変失礼な気がしてならない。
体や心に障害のある人に限らない。親しい人をなくした人、離婚した人、酒に溺れてる人不元気な人、悲しみに沈んでいる人、苦しんでる人……。
同情なんかいらない。気をつかってほしくない。
同情するなら金をくれ! けだし名言。
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しかしながら。
テレビにある役者さんが映っていた。お連れ合いを亡くしたことを知っていたので、もうお元気なのかな、と反射的に考えていた。
うわ。
人には気をつかわれたくないのに、他人にはそーゆー目を向けている。こういう視線がいちばん刺さるのだと知ってるくせに。
どうして色眼鏡で見てしまうのか。
今回はその人に起きたことを、たまたま知っていただけ。みんなそれぞれ苦しんで生きている。たいていはそれを隠してるから、あるいは親しくないから知らないだけだ。
人間は一人独り違うからみんな「変人」だし、みんなそれぞれの課題をこなすのに苦しい。みんなかわいそう。という意味でみんな同じ。
かわいそうな人なんていない。自分が人をランクづけしてるから、「頑張って」や「大変」に反応する。いつも人と自分を較べてるから。
もうすこししたら、もっと深い気づきが来るだろう。……だからまぁ、そういう新しい感覚がからだにしみこむのを待つとしよう。
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生まれて初めて鍬を買った。わくわく。
賃貸だけど庭付き。新築だから庭といっても石ころがゴロゴロしてる。耕すと舗装材だったのか、アスファルトのでっかい切れ端が出てきたりする。
開拓団だ、開墾だ。
石を篩い分け、石灰やリンをまき、耕す。試行錯誤してる。あれもこれもやろうとして、遅々として進まない。
考えたとおりにいかない。だけど……だからかな、おもしろい。
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開梱した引越荷物の段ボールもやっと出した。3年にわたってお世話になった日通さんともお別れだ。ちとさみしいが、なんていうか一区切り。
春の気配と時を同じくして、新しい住みかに根づき始めたようだ。
引っ越した場所に慣れるまで、人と較べて遅い、早いとやきもきしてた。だけど、そういう必要はないともわかってきた。ミテペースで生きてるのは、ミテだけだから……ね。
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来年あたりからアセンションする人が増えるのかしら。行方不明扱いになるのかな。生命保険は出るかしらー?
2003.3.7(金)コアラな心臓
アパートの契約ってきらいだ。契約書にはあれもダメ、これもダメって書いてある。息苦しくなって、悲しくなって、腹が立ってくる。なんどやっても慣れない。
壁にくぎを打ってはダメ。だからといって絵を飾るためのレールもない。
コロラドのアパートは大丈夫だった。「穴を開けてもつぶせるから大丈夫よ! お部屋をきれいに飾ってね」。前の住人が開けた釘穴は大ざっぱに塗り込めてあって、それもご愛敬だった。日本人はそんなんじゃダメなのかしら? 細かいから?
「部屋はきれいに使え、傷をつけるな」って言われると、私たちは大事にされてない、と思う。不動産屋さんはわれわれが出た後の、次の借り手に興味が移ってるのか。いま話してる私は「汚す人」「壊す人」であって、迷惑なのか……?
今回は引越疲れ、帰国疲れ、時差ボケ中の契約だったから特にこたえた。
せっかく庭があるのに、「出るときは現状回復して下さい」。きれいに草花が咲いていても、抜き取って更地にしろって?? すっかり落ち込んで、「庭なんかいじらないっ!」とダンナに宣言したものだ。
でもね。
庭が使える家に住む前に死んじゃうかも知れない。これから何十年もここに住むのかもしれない。未来なんてわかんない。
だから、やりたいことならやってしまおう!
「いまの自分」を大切にしてあげたい。「いつかやろう」から、少しずつ卒業。
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庭に出てるとキモチイイ。ほかにいいこともある。近所の方が花の苗を下さったり。庭に埋まっていたアスファルトに難渋してたら、たまたま来た業者さんが掘り出してくれたり。
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でも、いつも以上にいまは神経過敏なんだよね。些細なことで傷ついて落ち込んで怒って無気力になってしまう。無気力になると「生きていたくない」なんてとこまで落ちてしまう。もうクセになってるんだな。
そんなときはなにに反応してるのか自分を観察。自分の意見に人が賛同してくれなかった、とかイロイロ。わかると楽になる。そうなると、「どうしてこんなことに過剰反応したのかしら?」なんて自分でも不思議だったりする。
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それにしても、こんなにいろいろひっかかるのにビックリしちゃう。数年前までは自分の怒りにまったく気づいてなかった。それはさらなる驚異だ!
こんなに抑圧してたのねぇ。抑え込むのにすごいエネルギーを使っていたはず。
まだまだ怒ることを全面的には受け入れてない。怒りを感じる自分を恥じてしまう。でもちょっとずつ確実に進歩してる、気がする。
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土いじりはすなわち大地とのオツキアイ。地球からのエネルギーをもらって、きっとまた日々成長するって。
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テレビにコアラが出ていた。野生のコアラにはさわっちゃいけないんだって。心臓が弱いから、抱いただけで死んでしまうことがあるそうな。ミテって、動物占いではコアラじゃなかったっけ?
繊細で当たり前なんだわ♪
2003.3.9(日)変な人なわけだ
そういえばそうだった。
前世で魔女だからって殺されたことがあった。切支丹だからって殺されたこともあった。
被害妄想的になってもしょうがないよね。人が怖くて当たり前だ。
ある人からヒントをもらって思い出した。そうそう、そうだった。
魔女も切支丹も当時の集団の中では少数派だった。「変な人」だった。いまに始まったことじゃないんだ。「変な人」「疎外感」。
なんだか嬉しくなった。
ミテって「そういう人」なんだ。少数派のことが多いんだ。Macユーザーだし。子どもいないし。ダンナひと周り年下だし。引越人種だし(3年に1度は引っ越してる計算!)。理系だし。洗濯も髪を洗うのもせっけんだし。朝すっきりと目覚めないし……。
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神経過敏なのもいいことかな。だから葛藤に気がつく。だから手放せる。
そういえば「光の十二日間」なんだもんね。葛藤が浮かび上がってくるんだった。なんだか忘れてたよ。
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ダンナが風邪をひいて耳の聞こえが悪くなった。普段の声では聞こえないらしくて、努めて大きな声を出す。それが意外に気持ちよかったりする。
そうか渡米以来カラオケも行ってないもんね。あ、NJで一度行ったか。もっと気をつけて声を出すようになるのかもしれない。
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庭を耕していたら、お向かいの奥さんに声をかけられた。頭の回転がついていかなくて、ちゃんと受け答えができなかった(^^;。言いたいことがいっぱいで、迷ってるうちにおいてかれたようなカンジ。
かっこ悪い気もするけど、こういうゆっくりペースもいいよね。
2003.3.11(火)庶民とは仲良くしたいのよね
成田を発ち、NYに降り立ってからほぼ3年。なんだかいろんなことがあったなぁ。ものすごく昔のことに思える。
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教育テレビでドキュメンタリーをやっていた。
テロに遭い、自らも負傷し、友人を失ったイスラエル人女性がいる。犯人はすでに22年服役している。いま彼女は犯人を釈放するよう嘆願書を書いた。
志願して従軍し、「イスラエルはすばらしい」と思っていた人だった。でもいろいろな経験から、報復は報復を生むだけだと気づいた。パレスチナ人の暮らしを目の当たりにする機会もあって、すごく驚いたようだ。
長い時をかけて、意識が変わっていったんだろう。
テレビや街頭で「テロリストを許そう」と言う。「信じられない! 子供を失った私の苦しみがわからないの!」と責められる。街頭集会に通りかかって、「パレスチナ人は出ていけっ」と憎しみをあらわにするオジサンもいる。体格のいい、屈強なおじさんだ。見ていて怖い。暴力を振るわれるんじゃないかと心配になる。
9.11のテロをテレビで見て、彼女は迷う。テロリストを釈放する、許すなんて本当に正しいことなんだろうか? パレスチナを取材し続けているジャーナリストと話に行く。
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強い人だと思う。それは自分の弱さを認め、迷ってしまったらそれを認めているから。困って悩み、怒り、自問自答を重ねる。自分をごまかさない。
すごいな。
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「許せない!」「テロリストなんか殺してやる」という人に苦い思いがする。その人が「イスラエルの民は世界で一番寛容な民族だと思う」なんて言う。おいおい、冗談だろっ……とため息が出るようだ。
どうしても「それは違う、あんたは間違ってる。どうしてわかんないんだ」と思うから苦い。
憎しみに苦しんでいるのなら、そのままそっとしておいてあげる。その人の憎しみを尊重する。そうなりたい。
いいとかわるいとか判断して、自分に賛同させたい、説得したい、なんて思っちゃうと、自分もまた苦しむことになるね。自分の考えと同じでも違っても、ありのままのその人を受け入れるようになりたいなぁ。
自分の意見をはっきりもつのとは、また別のことなんだし。
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久しぶりに見たWTC崩落の瞬間。だめだ、涙が止まらない。よく晴れた美しい日。オフィスが閉鎖になって早く帰ってきたダンナ。憔悴して一寝入り。その間に友人の家まで一走り。途中の橋に警察の車が止まっていた。マンハッタンがよく見える場所だから、野次馬が停車しないように。
逃げ出した人の談話が地元紙に載った。「ガラスのカケラがキラキラと降ってきて、ああ、キレイだと思ったの」。生きるか死ぬかの瀬戸際に、そういうことにココロ奪われるのか……。などなど……。
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見終わってお風呂に入った。長風呂してもせいぜい40分で出てくるのに、なんと1時間40分も入っていた。長風呂記録!? 入浴中に宇宙人に「誘拐」されたのかしらー??? 番組のこと考えて、ぼんやりしてたのは確かだけど。そんなに長く入っていたとは思えないよ〜。
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戦争反対のデモが日比谷公園であったんだね。アメリカ製品不買運動のポスターを掲げた人が新聞の写真に載っていた。「反米」と言ってる人もあるのね。
ブッシュ政権にはやれやれだけど、アメリカって国が嫌いなワケじゃないからなぁ。むしろ「アメリカで産まれた子供には米国籍を与える」なんてとこはステキだと思う。日本では、いつまでも「在日」なんとか人としか認めないもんねぇ。アザラシには住民票をやっても……。
つまり日本もアメリカもそれぞれいいとこも悪いトコもあるわけで。
それにアメリカ人のスティーブもウェンディもヴィクトリアも好きだし。
テロからしばらくして、換気扇修理に来たおっちゃんに「戦争をどう思う?」って聞かれた。「日本は戦争の惨めさをよく知ってるから、戦争はイヤ」と答えたら、「日本人はわからんね」だって。でもそのおっちゃんだってキライじゃない。
中国人とケンカして、「まったく日本人は」なんて捨てぜりふはいてたオヤジには、中指立てちゃうカンジだけどね。
アメリカ製品不買でも、困るのはアメリカの庶民なんだろう。政治家や権力者、金持ちには痛くもかいくもない。巡り巡って中国人やメキシコ人が困ったりするのかも。アメリカにはmade in China があふれてるから……。
やっつけたいのは権力愛好家なのにね。
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なんかね。どの国も政治と国民が分離してるような気がする。「民主」主義でもそうでなくても、民の声と政治とはベツモノ? 国を動かす思惑は目に見えない闇からやってくる?
政府抜きだったら、国民同士仲良くできるのかも。ほんと、スペースシャトルから見たら国境なんてないんだもの。コロンビアで亡くなった一人は、毎日「イマジン」(ジョン・レノン)で目覚めていたそうだよ。
2003.3.18(火)Do not judge!
週末、インナーチャイルドヒーリングの講座を受けてきた。行くまではイヤでイヤで……。たくさんの人がいるかと思うとすごく気が重かった。風邪ひかないかな、そしたら行かなくてすむのに、とまで思った。
当日の朝、起きてみると私の中のどこかが(魂が?)すごくうれしそうだった。ウキウキしていた。「あんた(魂?)がそんなに喜んでるなら、行かずばなるまい」ってカンジで出かけた。
会場に入ったとたん、3年以上会ってなかった懐かしい顔に思いがけず会った。すうっと緊張がとけていった。
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クラスの間、先生と目が合う。するとニッと笑ってくれる。何度もお会いしてるし、アホな質問も重ねてきてる顔なじみだから。
そのたびにうれしくなる。……というか安心する。
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これって、昔から変わらない。小学校以来、私は先生にまとわりつく子どもだった。幼稚園の時は分離不安で泣いて泣いて、それどころじゃなかったが。
「6歳児から成長してないんだなぁ」と思いながら、自分を観察する。
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目があっても、ニカッとしてくれないとき、心にかすかな不安がよぎる。その底には「怒ってるの? 不機嫌なの?」って気持ちがある。
そうそう、常に「愛してるよ」って承認がないと不安なんだ。それがよくわかる。いつ怒り出すかわからない母の顔色を、いつもうかがっていたんだもの。相手の反応に一喜一憂してるわけだ。
ふむふむ、やっぱりね。
いまはそういう自分をゆったりと見守ってあげよう。母は「ひとの顔色をうかがうような子どもは嫌いっ」と言いはなっていたけど、それは彼女の考えであって、その言葉に自分が縛られることはない。
ニコっ。うれしい! ニカッ。えへへ。……。あ、笑ってくれない! ショック。ニッ。あ、よかった。……
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ふと、わかった。
目が合おうが合うまいが、笑ってくれようがくれまいが、先生の心の中には私がいる。一喜一憂することなんかないんだ。安心していていいんだ、と。
気をひくためになにかする必要もないんだ。このままの私を受け入れてもらっているから。
講義を聴きながら、自然に起こったインナーチャイルドヒーリングだった。
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「いつも疎外感があって苦しい」と認めたおかげか、この前に比べてとても楽に二日間をすごすことができた。そして「私も魔女だった」というお友だちもできた。すごくわかる! わかってもらえる! 彼女とはびっくりするような偶然の一致もいっぱいあった。
私はヘンだ。人と違う。どうしてもとけ込めない。人が怖い。でも、それでいい。これが私なんだもの。
この思いが深く深く心にしみこんでいった。
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ひとつには私の魔女と話すことができたから(しばらくはほっとくつもりだったけど、先生に促されてやってみた)。「いい悪いって判断しないで(Do not judge.)。批判しないで」と彼女は言った。そう、私は人を批判して、なかでも自分を一番非難している。「なんて変人なの? バカじゃないの? フツーにできないの?」と。
いつもいつも自分の変なとこや失敗やその他諸々を恥ずかしいものとさげすんでいたんだ。
批判して非難して、排除しようとする。でも、逆の側、つまり排除される辛さを何度も体験してきたんだった。なんども殺されてきたんだった。だから不信感と被害妄想が今の人生にも大きな影を落としている。
「そうでしょ? もう誰かを判断するのはやめて」と魔女は言ってくれた。
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「批判しない、判断しない(judgeしない)」という姿勢はセラピーには大事なこと。ゲリー・ボーネルも言っている。「神秘に携わる者は絶対に判断してはいけません。葛藤を手放しなさい。判断は葛藤を生みます」と。
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被害妄想や疎外感を認めたことで、なにかがスルッと通った。とても重大なことが。
私の魔女はとても賢い人だったのだ。「魔女にはたいていすばらしい知恵があるのよ」と先生も笑った。ありがとう! 魔女、魔女仲間、そして先生(きっと魔女仲間だよね)。
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会場のとなりにはショウルームがあって、オーラソーマのボトルが目を引いた。気に入ったボトルの番号を覚えておいて、家に帰って意味を調べてみた。
「たくさんの注目と認識を必要としてる人」。おお、その通り!
「人を判断しがちですぐ非難する」。あちゃー。
「あらゆることをネガティブにとらえる。自分の属している文化とつながっていないと感じる」。え、どうしてわかるの!!
「神経が非常に繊細で傷つきやすい。子どもの頃、おもに両親といろいろ問題があった。ここにいたくないと思っていることがある。理想主義に走りがち」。まったくそのとおり!
ボトル、使ってみようかしら(^◇^;)。
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ブッシュくんが「外交努力は終わった」などと言っている。へ、笑っちゃうぜ。テキサスしか知らないくせに。外交努力ぅ? 「ボクは戦争するぅ! するんだもん」って言ってるだけじゃないか。
でもそうか。
いい悪いと判断しない。批判しない。非難しない。
難しいな。でもわかりかけてきた気もする。
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戦争が始まって、たくさんの犠牲が出るだろう。でも、だからといって平和が遠のいたわけでも、絶望的状況になったわけでもない。きっとこれも平和へと続いている道だ。
9.11からも平和は広がってきている。事件直後と違って、「こんなことをしていたら、アメリカを憎む人が増える」と公言しているアメリカ人もたくさんいる。平和への気づきは深まっている。
たとえこれからなにがあろうと、平和は広がっていく。しっかりと根を下ろし、深く深く根を張っていく。そのことをいつも意識していよう。
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ジョージとサダムに。ドナルド(ラムズフェルド)に愛と光を。
2003.3.22(土)私が起こした戦争
有名人もホームページで戦争反対を呼びかけている、という新聞記事を読んだ。ふむふむ、それはいいと思う。でも「戦争に無関心な人は戦争をしてる人と同罪だ」と続いているらしい。……それは違うぞ。
他人を非難してる! それはアメリカ政府がやってるのと同じ。気にくわないから非難して排除しよう、って?
……と、ここまで考えて気がつく。「ひとを非難するなんて、戦争愛好者と同じだ」と私はその人を非難してる。それじゃあジョージやサダムと同罪だ!! 非難って「戦争」をしかけてる。
非難しない、と魔女に諭されたのにまたやってる。うーむ、ぐるぐる非難合戦。でもさー、どうすりゃいいのよ??
非難するのも戦争始めるのも反戦運動も人間の盾も、それはその人の生き方。それでいいのよって、認めればいいじゃん。自分自身の非難傾向もね。それでいいんだよって言ってあげよう。
それより、そんなに非難しちゃう原因を探してみよう。なにをどう感じてしまうの?
−−やっぱりさぁ、「あんた間違ってる」と正したくなる。
でも知ってる? ジョージもドナルドもアリエルもサダムも、「自分は正しい」と信じてるんだよ。純一郎は本音を言ってるんだかなんだかわからんけど。
ミテが「正しい」と思ってるのは、ただミテにだけ当てはまる。他の人の生き方にはなんら関係ないの。
−−うーん、そうは思うけど。なんつーかまだ悔しさってあって、なかなか自分と違う意見を承認できない……。
−−それにいまのところホームページに「戦争反対」とは書いてないし、「そういう人は……」って非難されるんじゃないかって恐れてもいる。
戦争反対?
−−もちろん平和がいいんだけど……。戦争は20日に始まったんだろうか、とも思うの。私たちがいろんな理由をつけて誰かを非難している状況は、戦争と同じなんじゃないかしら。空爆したり、虐殺したりだけが戦争? 日々の暮らしの中で、私は平和なの?
いま私にとっては、誰かを非難するのをやめることこそ平和への道なの。私の中の戦争要素(ロス博士がヒトラーと呼ぶところのもの)をしっかりと見つめること。嫌いなこと、腹の立つことを静かに見つめること。自分の中にネガティブなものが「ないふり」をするのやめる。ネガティブなものを叱りつけるのをやめる。
マザーテレサがいかなる反戦運動にも参加しなかったということを知ってから、いろいろ自分の心を探ってる。まだまだ迷いがある。でも、ここんとこ、だいぶはっきりしてきた。
周りのどんな人も大切にする。そうでなくては平和とはいえない。そして自分を大事にしなければ、誰も大事にできない。だから自分を非難するのをやめる。
なんだ。
今までもやってきたことじゃん。周りになにが起こっても、変わらずこの道を歩いていくだけ、のことじゃん。派手じゃないし、歩みはのろい。そうなろうとして失敗することも多い。
それでいいや。七転び八起き! 自分に正直に。
それが私の平和活動。自分を癒すこと、それが地球を癒すこと……。
うん。非難されたら腹立つだけ。そうそう、わかってるじゃんね。
2003.3.26(水)解き放つ!
ここんとこ、二日に一度くらい声を上げてオンオン泣くことがある。戦争がらみの記事を読んでいるときが多いけれど、なんで泣くのかわからないこともある。過去生の誰かが反応してるのかもしれない。
泣きたいなら、泣いてね。
静かに見守っている。
昨日はある人のホームページを読んでいて、「ちょうど1876年に コロラドが州として誕生した頃から」という文章をみたとたん涙がこみ上げてきた。
これはまた! まったく訳がわからない!
やっぱり前世なのかなぁ。そのときコロラドにいたのかな? だから今生でもコロラドに暮らすことになったのかも……。
ああ、いまはいいや。謎解きは。
泣くことで、なにかやり残したことを解き放っている気がする。そのとき表現できなかった感情。前世からもちこしたなにか。時を越え、空間を越えて、おそらく次元も貫いてもういらなくなったものを手放している。
……ような気がする。きっととても大切なことだ。
こういう大きな解放でエネルギーの組み替えが起きているのか、なんだか風邪っぽい。だるいーー。
それならそれでのんびりしようっと。春だしね。種まきは気になるけれど……。
2003.3.31(月)パットン
映画「パットン大戦車軍団」をテレビで見た。第2次世界大戦で戦った米国の将軍だ。大きな星条旗の前で演説するところから始まる。
「伝統的に我が国の国民は戦いを好み……」とだみ声をあげる(本物はキンキン声だったそうだが)。あらー、やっぱり? 彼には前世の記憶がある。アレキサンダー大王やナポレオンとともに戦った記憶。口が悪くて、放言失言してはアイク(連合軍総司令官アイゼンハワー)を困らせる。
彼は戦うこと、軍を指揮することが大好きなのだ。ともに戦うブラドリー将軍にも言われる。「私はそのように訓練を受けたから戦う。しかしあなたは戦いが好きなのだ!」。おなじ軍人にも変人扱いされるパットン。
「怖い! もう耐えられない」と泣いていた兵隊を殴って左遷されるパットン。彼にとっては勇敢に戦う戦士だけが価値をもつ。そして政治はからきし……。
ああ、こんなオヤジがそばにいたらいやだなぁ。
でもさ、彼には反戦運動なんてこれっぽっちも理解できないんだろうな。兵士殴打事件を謝罪するけど、なんで責められたのか、わかってなかったに違いない。
政治的配慮ができないから、ずいぶん不遇の人生を送る。見てるうちにかわいそうになってくる。戦うためだけに生きてるのに、戦えないなんてね。敵のドイツ兵がパットンを研究して言う。「彼は16世紀の人間だ」と。そうそう生まれる時代を間違ったようだよね。
いまの私は平和を愛しているけど、見てるうちにこう思った。なにが正しくて、なにが間違ってるなんてないんだなぁ……。やっぱり時代を間違ってるドナルド(ラムズフェルド)やディック(チェイニー)を「悪い!」なんて言うことはできない……。そうそうパットンのファーストネイムは奇しくも(?)ジョージなんだけどね(ついでに演じた役者さんも!)。
「私は平和がいい」と言おう。でもそれは誰かの考えを変えさせるためじゃない。ただ私の考えを表明するだけ。私が平和がよいと思ったのは、いままで戦いに明け暮れ、殺し殺されてウンザリしたからだ。誰かに言われたからじゃない。カラダで知るまでわからないもんね。
パットンは終戦の年の暮れに交通事故で死んでしまう。謀殺説もあるけど、ほんとうに戦うためだけに生まれてきたようで不思議だ。