2003.5.30 更新

2003.5.7(水)ネコジタと知らず

ミテって、猫舌なのかもしれない。

40年以上生きてきて、いままで気づかなかったなんて。びっくり!

最近、猫舌になったのか? いいや、そうじゃない。

昔、家でカレー・パーティーをした。お代わりを所望する人にカレーをよそっていると、「あっためなおさないの?」って言われた。そんなもんかな、と驚いて鍋を火にかけた覚えがある。

せっかくちょうどよく冷めてるのに、わざわざ食べにくくするなんて。……と心の底で感じたのかもしれない。

よく考えたら、お茶もコーヒーもぬるい方が好き。いまは飲まないけど、ビールも冷えたのより、ぬるくなって、しかも適度に気が抜けたのが好き。

なんで猫舌だと思わなかったんだろう? いままで猫舌の人と出会ったことは、それこそ星の数ほどあるのに。

♪♪♪♪♪♪♪

自分は「変」だとずっと思ってきた。これ以上「変」になりたくなかったのかもしれない。いまのままでも苦しいのに、これ以上「猫舌なんていう変な」要素が加わっては……みたいな。

そうか。「猫舌は変」とも思っていたんだ……。なんていう、ゆがんだ、自己防衛……。

♪♪♪♪♪♪♪ ♪♪♪♪♪♪♪

ちかごろ叔母とよく話す。叔母は母の妹である。自分以外の視点から母という人を描いてもらえてすごく助かっている。

子どもの時から、「うちはつめたいなぁ」と思っていた。もうひとりの叔母の一家と較べてそう思った。

あるときから、母は暖房をしなくなった。「こんなすきま風だらけの家、暖房したって……」というのが言い分だった。たしかに古い家だった。広島県に較べれば、神奈川県川崎市はあったかい。でも、寒かった。

そのころ、家の中では母と祖母が冷戦をしていて、それだけでも寒かった……。

♪♪♪♪♪♪♪

このことを友だちにメールすると、「それは笑える! でも、マジに考えると怖いね」と返事が来た。

うすうすおかしいとは思っていたんだけど……やっぱりそうなの?

それで勇気をもらったので、叔母にも話してみた。「ほんとに美穂ちゃんのおかあさんって……極端よね」。そう言ってくれた。

♪♪♪♪♪♪♪

つらかった、寒かったって思っていいんだ……。

「母は正しい」と思わなければ生きてこられなかったので(子どもって、みんなそうだけど)、そりゃ変だよ、寒いよ、ストーブ買いなよ、って当たり前のことを考えつくこともできなかった。

あれは母の「こころが寒いよ」っていうSOS でもあったのかもしれないが……。

ゆがみ具合は母譲り、か。彼女も誰かからもらったんだろう。

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2003.5.17(土)only one

「でも誰かと較べないと進歩しないよね」って言われて、はてなと思った。うーん、どうも違うような気がする。

そのときは「神との対話」では人と較べるのではなく、以前の自分と較べればよい、って言ってると答えた。その方が妥当だと思う。

けど、まだ自分のものになってない感じ。つっこまれたらわかんない。

♪♪♪♪♪♪♪

それから「人が否定されないルール ── 妹ソマにのこしたい世界」(日木 留奈 著、講談社)を読んだ。私に響いてきたのは「人と較べない」ってことだった。自分は自分。唯一の自分。

そういえばSMAP がそういう歌を歌ってるんだって?

♪♪♪♪♪♪♪

あるアマチュア・オーケストラ(アマ・オケ)の演奏会に行った。気がつくと、ダンナが所属しているアマ・オケと較べていた。客の入りは? うーん、おんなじくらいか。ホールの大きさは? こっちのほうが小さいかな。コンサート・マスターのソロは? ウチの方が上手。選曲は? あんまり興味ない作曲家だ……などなど。自分自身を観察していると、延々と比較して「勝った」「負けた」と思っているのだった。

雑念だらけで楽しむどころじゃない。

こんなにも人と較べることが私の中に根を下ろし、根を広げてるのかーーー。びっくり。うんざり……。やんなっちゃうなぁ、と思った。こんなこと人に知れたら恥ずかしいなぁ。

そういえば人のホームページを見るのも苦手。だって「勝った」「負けた」って思っちゃうんだもん。

♪♪♪♪♪♪♪

人と較べることを「はてな?」と思いつつ、常にやっている。

そうだったのか。

♪♪♪♪♪♪♪

するとまたこんな文章にぶち当たった(なにに書いてあったのか忘れた)。「人と較べることで、あなたは自分自身の力を失っている」。

うーん、そうそう。そんな気はするんだよね。でもなんかまだ腑に落ちないっていう……自分自身で消化しきれてないっていう感じ。うーん、うーん、うーん……。なんだかなぁ……。

♪♪♪♪♪♪♪

そういえば「人と違ってる」「人より劣ってる」って気持ちが強いんだっけ。それは人と較べるからにほかならない。

較べた結果、「あ、やっぱり私はダメだ」「変人だ」「辛い」「生きててもしょうがない」なんてどんどん自分をいじめていたんだ。

「勝った!」より「負けた」と思う方が多いし。インパクトが強いし。

「勝った」と思ったって、それは砂上の楼閣。いつでも容易に崩れ落ちる。その「勝った!」はとんでもなくもろいものだから……。

♪♪♪♪♪♪♪

そうだったのか。たしかにこれじゃあ、健全とは言い難い。なるほどねぇ。合点がってん合点!

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2003.5.19(月)信頼

「幼子のように100%信頼しましょう」って言葉とであった。ギクッとした。ほんとうはそれが正しいのか? また間違ったのか?

さて、幼子のころ、私は信頼していたんだろうか?

ひとつ「信じていた」ことがある。母は私をおいてどこかに行ってしまう、と信じていた。

幼稚園ではずうっと泣いていた。私がいない間に、母が弟を連れてどこかに行ってしまう……と思いこんでいたから。捨てられる、と怖かった。

大人になってからも、それは無意識にずっとあった。本屋に行くとする。母はたとえば女性作家の棚をみる。ミテは生物学の棚をみる。でもいつ私を捨てていってしまうかと思って、つねに母の姿を目で追っていた。

理性的に考えれば、自分で電車に乗ってどこにでも行けるのだから、母だけ先に帰ったってどうってことないんだ。でももうそれは心の底にこびりついた恐怖になっていて、理性や知性で対処できるものではなかった。ダンナと出会うまでは……。

幼子のように……? うーん、モノゴコロついてから誰かを信頼できたことがないのかも??

♪♪♪♪♪♪♪

「メールの返事が来ないと、相手が怒ってるかと恐れてしまう」。このテーマをいろんな人と話した。相手が忙しいとか落ち込んでいてメールできないこともある、ってわかるようになってきた。

するとある人が「相手をよく知ると、イライラすることもなくなる」って言った。なんか都合があるんだろうな、と思いやることができる。ミテならばよくわかってるから返事が遅れても大丈夫だよ、と言ってくれた。

会ったことはないけど、とぎれとぎれにメールのやりとりをしてる人。「これ、どういう意味なの!? 傷つくんだけど」なんて苦情を言ったり、カンチガイを謝ったり、といろいろあったのだ。最近はその人に、暖かいものを前より感じるようになった。

そうか。と思った。

これが信頼? 信頼って……育てていくものなんだ。

いまさらながら目から鱗だ。

♪♪♪♪♪♪♪

信頼がなにか知らないウチから、「信頼しましょう」って言われてきた。だれであっても最初から信頼しなくちゃイケナイって思いこんでいた。そんなこと、不可能なのにね。

よく知らない人だと、悪いことばかり想像してしまう。

やはり長いこと、とぎれとぎれにメールをくださる人がいる。ミテのツボにはまることの多い人で、わりといつもイライラしてしまう。「腹が立つんですけど」なんて返事してしまい、でも「悪いコトした」なんて落ち込んだりする。

この人の場合は、なにをどう考えてる人かわかんなくて、ミテが怯えている感じ。だから怒りがでてくる、みたいな。

そうか! やっとわかった。

信頼できてないんだ。

ならば、怖いと思ったり、イヤだと思ってもしょうがないじゃないか。「どうしてミテはそうなんだ!?」と自分を責める必要なんてないんだ。

♪♪♪♪♪♪♪

幼子のように信頼できれば、そりゃいいだろう。

でも、信頼できていないのなら、これから育てていかなくちゃ。疑い深い、警戒心の強い自分を否定するのはやめて、警戒心や疑いに耳を傾ければいいんだ。彼らを押さえ込むのではなくて、ね。

♪♪♪♪♪♪♪

ところで、なんで「私は捨てられる」と思いこんでいたんだろう? なんかあったのかな。

……でも、それはもうどうでもいいや。ただその思いを抱きしめてあげるだけで。

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2003.5.27(火)願いは叶わない!?

「インナーチャイルド」(ジョン・ブラッドショー著、NHK出版)を読んでいる。以前はどうしても読めない本だったけど、「読んでいい」時期になったみたい。

インナーチャイルドが傷ついているかどうかチェックするため、はい・いいえで答える箇所がある。乳児期(生後9ヶ月まで)のテストで、ミテはたいていの質問が「はい」だった。

あらあら。まだまだたくさんの傷があるんだ。だいぶ癒されてきたと思っていたのにな……。

この時期の発達の課題は「信頼対不信」だって。この前、「ミテは人を信頼できてない」って気がついたことの裏付けのよう。そういえば、よく手が伸びるフラワーエッセンスはベイビー・ブルーアイズだしね。

するとお友だちが「私もおんなじ」。わぁ、そうなんだ。ミテ、独りぼっちじゃないんだ。ちょっとホッとした。

続けてぼそっと「だからお友だちが少ない」。

ああ、よくわかる。そうだったんだ。わたしたちは信頼を結ぶ、はぐくむ能力が育ってないから。人間関係のいちばん大切なところがわからない。

これからは乳児期のインナーチャイルドと会う時間をとって、意識して信頼ってことを考えていけばいい。

ミテの「不信」と名付けたインナーチャイルドはトカゲのような姿をして、脳と頭蓋骨の隙間や筋肉と皮膚の間を這い回っていた。「信頼できてない」って気づいた時点で粉々に砕けて、全身に散っていった。もうミテの身体の一部なんだよ、って感じ。切っても切れない、あんたなんだよって。

♪♪♪♪♪♪♪

友だちと話していて「こうしたい!」っていう強い思いほど叶わないみたいだね、なんて結論になった。

そういうときに限って「願いを明確にして、自分の現実を創ろう」という文章に出会うことになる。うーん、うーん……正反対? どういうことだ?

別な友だちに話すと「願いの裏側に恐れがあるからかな。お願いリストと一緒にお願いのウラにある恐れリストをつくって、恐れリストを捨てればいいと聞いたことがある」と教えてくれた。

なるほど!

ミテ、最後はアメリカに住みたい、って思ってる。それは日本が窮屈でイヤだから。狭くて気にくわないから。そうか、こんなふうに恐れや不安に焦点を当てて見てあげるといいのかも。

うーん、でも。

なにが起きても結局は自分の肥やしになる……と思うと、「なにが起きてもいいじゃん。願わくば、お手柔らかに」って感じ。あんまり「こうしたい」「こうなってほしい」ってわかんない。確実に「いいほう」に向かってるんだもん。生まれてからこっち。離婚だの首切りだのぷちヒキコモリだのあったけれども。

これって、うらになにか恐れや不安が潜んでる!? それを探るべき?? なんてちょっと不安になったりして。

でもいいや。いまはこれで。

♪♪♪♪♪♪♪

モーゼの十戒は普通、法律のように受け取られている。「盗むな」「殺すな」「姦淫すな」……。

それを「神との対話」では禁止事項じゃないよ、って言っている。アナタが十分に成長したら盗まなくなるし、殺さなくなるし、姦淫もしなくなるって。

そうかもしれないなー。

禁止事項だったら「殺すな!」「はいはい、ごもっともでございますとも。人間として、それだけはまったくもってしてはならないことでございます。でもね、戦争は別でございますよ。国を守っているんですから」なーんて正当化がまかり通ったりする。

「あらあら、殺しちゃったよ。まだ、たいして成長してないがね」ってほうがわかりやすい。

これって十戒だけかしらん?

「信頼しましょう」「感謝しましょう」「喜びを感じましょう」「愛しましょう」「人を敬いましょう」……。これもおんなじことかも。

強制された感謝、強制された歓喜なんてウソッコだもん。

でもこういうことってわかりにくいっていうか、だまされちゃうっていうか……。日木留奈さんが言う「似て非なるもの」ってやつかしら。

感謝はわいてくるもの。口先だけ「ありがとう」と言ってもしょうがない。感謝できてない……って感じたら、そういう自分を優しく見守ってあげる。そっちのほうが大事だな。

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2003.5.30(金)内在化

週に一度、植物にHB-1O1をやっている。天然植物活力液といって、植物が超元気になるっていうの。昔、試供品をもらったことがあって、ほんとに効くのかな〜と思いつつ、試しに撒いている。

昨日もじょうろで薄めて散水しながら、なんとなく気分が窮屈なことに気がついた。逃げ出したいような、ばれませんようにと祈るような、コソコソした気分。

庭の草が元気になるといいな、万が一ならなくても、杉やオオバコの抽出物だというから害もないし、と思ってやっているはずなのに、実はこんなことが頭のかたすみにあったのだ……。

ほんとに効くの、これ?
水がもったいないじゃない?
わざわざ水撒いて、なにしてんのって思われるよ。
ホントにあんたは変なんだから!
すーぐこんなの信じちゃって、馬鹿だね。……

理性、知性、意識とは別のところで、自分で自分を罵り、否定して落としてめていた。それでコソコソと、まるで悪いことをしているような気分になっていたのだった。

せっかく庭がありながら、さいきんは庭に居づらかった。そのわけもナットク。人の目にふれるようなときには、自分を罵る声がいっそう大きくなるから。

庭のアオムシや蜘蛛をじぃっと観察してるとき、「変な子、変な子、変な子、おかしな子!」ってフレーズがリフレイン。いままではそのことに気がつかず、「近所の人は私に敵意を抱いている」と被害妄想して、「ああ、どうして被害妄想なんて……こんなのおかしいのはわかってるけど……どうしてなんだ(;_;)」と。

ああ、おかあさんだな……。自分では気づいてないだろうけど、わりとなんでもかんでも、手当たり次第にけなすんだよね。あんまり頻繁だったから、自分の中にけなしや否定をとりこんでしまったんだ。

♪♪♪♪♪♪♪

母はかねがね「音楽をやる人はいいわねぇ」とカンタンしていた。それで今のダンナを紹介するとき、こんどこそ気に入ってもらえると思った。彼は趣味のチェロ弾きだから。

「ね、いいでしょ? ステキでしょ?」「でもねぇ……」と浮かない顔。

おかしいな。なんで……? そのときはわかんなかった。

せっかく気に入るような人を見つけたのに(むむ、愛してるからじゃなくて、母の賛同を得られると思ってダンナを選んだのか? いや、そんなことは! ……いや、でも一部はそうだったのかも?)。

いまならわかるな。誰を連れて行ってもダメなんだよね。なんでも一度は難癖を付ける。お気に召さない。

そんなこともわからず、なんとか褒めてもらおうと子どものころから空回りしてきたんだ。けして手に入らない、と知らず。

♪♪♪♪♪♪♪

わかってしまえば、楽になっていく。……と思う。

内在化した自分を罵る声にも「そうね、けなしたいのよね。いいよ。だからといって、ミテがそれに当てはまるワケじゃないし。うん、ミテは大丈夫だから、言いたいだけ言ってね」って優しくしてあげられる。……ようになると思う。

♪♪♪♪♪♪♪

ミテは自分を「みっともない」「不器用」「気が利かない」「のろま」「間抜け」「ずうずうしい」「ぶかっこう」「うっとおしい」(まだまだ続く)……と思っている。そう言われてきたから、そうなんだと思いこんでる。

のろま、ってのは本当で、人よりテンポが遅いらしい。でもそれがマイペース。

ふと、「そんなにミテはみっともないかなぁ?」って思った。

そりゃ、コカコーラのビンというより、コカコーラの缶というような体型だけど。だから体型を隠すような服ばかり着てるけど……年の割に手足は長いし、人によっては器量よしだって言ってくれることもあるし。

そんなにみっともなくは……ないんじゃないかなぁ?

自分に向けて放たれた言葉をあたまから信じてきたけど、ひょっとしたら当てはまらないのかも知れない。すべて真実とは限らない、のかもしれない。

それに「あなた、みっともない」って言葉は、失礼だよ……。槍のようにこころに刺さっているこういう言葉をもう抜いてあげてもいいよね。

♪♪♪♪♪♪♪

そして、「こういうこと、言ってね」って母に頼んだのはミテだと思い出そう。生まれる前、そう約束してきた。「悪役」を演じてもらった。

ありがとう!

「いまのシーン、とてもよかった! 30分休憩して、次のシーンいきますよ」なんちゃってね。

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