2003.8.31 更新

2003.8.3(日)うまくやんなきゃ(>_<)!

新しい先生とヴァイオリンのレッスンをはじめて、もう一月以上たった。で、あがるので、レッスンではいつも以上に弾けない(^^;。

でもま、ヴィクトリアのときもそうだった。そのうち、慣れるだろう……。

先生はマルコさん(仮名)の妹さん。マルコさん曰く「でも彼女も、緊張してるみたいよ」。ははは、お互いそうなんだ。ミテって、とっつきにくいしね……。

ミテ「ああ、でもいつになったら、あがらずに弾けるようになるんだろう?」。

やや間があって、「……ならないんじゃない?」とマルコさん。

ええ〜っ、そうなんかっ!? 不可能? そんな日は来ない!?

♪♪♪♪♪♪♪

マルコさんはピアノの先生。おかあさんもピアノの先生。おかあさんは頼まれて演奏するとき、いっぱいひっかけたりするそうだ。そう言えば、我が背の君も演奏会前に飲んだりする。ミテもしらふの時は、小唄もカラオケもうまく歌えず、酔うほどに上手になったものであった。

うまくなればあがらない、というものではないらしい。

「だから芸能人がお酒やクスリやったりするのかも」。なーるほど……。

来るべき発表会にそなえて、ちったーお酒を飲めるようにするかなぁ。……と、ふたくちばかり、ダンナのビールを失敬してみる。ふらふらするぅ、だるくなるぅ……。

うーむ、酒もなぁ……。

♪♪♪♪♪♪♪

叔母のつる子さん(仮名)は母より10歳年下である。あるとき、つる子さんが母に「あなたと同じ高校だったのよ」と告げた。母は「そんなはずないっ」と否定したのだそうだ。

察するに、「私が行ったようなスバラシイ、ヨイ高校にあなたが通うなんて、あり得ない」ってことらしい。妹をバカにしてたワケだ。

♪♪♪♪♪♪♪

母は「らでっぃっしゅぼーや」で食物を買っており、そのすばらしさを吹聴したりする。つる子さんの娘ポリちゃん(仮名)も「らでぃっしゅぼーや」を始めた。母に「ポリちゃんもやってるみたいよ」と報告すると、「そんなハズない!」と確かに言った。

あれ? いいことだから、利用者が増えて嬉しいんじゃないの? 自分の宣伝が功を奏して、ほくそえむ場面じゃないの?

びっくりしてつる子さんに話すと、高校の話をしてくれたのだった。

♪♪♪♪♪♪♪

なんていうんだろう。

母には「自分が一番で、すばらしくて、そうであるためには、他の者の追随は絶対に許さない!」みたいな意識があるんだろうなぁ。だからこころの中で、妹や他人を蹴落としているのだ。

なんでわかるかって?

ミテもそうだから(~_~メ)。そういうとこ、「もらっちゃった」。

♪♪♪♪♪♪♪

「我が家族はすばらしく、なんでも上手にできて、失敗はせず……ほかの人とは違うのよ」っていう語られない呪文が家族の中にあって、ずいぶんと縛られていた。誰も口にはしないけど、なんとなくそういう雰囲気が家中に漲っていた……というか。

ガーデニングなんてやったことないのに、「うまくできるはずだ」ってどこかで思う。楽器も「うまく弾けるはずだ」、家事も「きちんとできるはずだ」、英語も「しゃべれるはずだ」……。

実際にどれくらい熟達してるか、自分がそれに向いてるか、ってこととはほぼ無関係。根拠のない思いこみ……。だから維持するために、他人を軽蔑する。厳しい批判を胸に秘め、反面、そういう自分を嫌い……。

でまた、「そんなこと、私なんかにできるはずがない」って強烈な恐怖があって。これは呪文によって、生じる恐怖とも言えるね。「失敗したら、おしまいだ」って。

ああ、だからすぐにあがっちゃうのかも!

なんと辛く、愚かなことであったろう。低い自己評価の結果とも言える。

だからお茶大に入った、って部分も確実にある。「この大学なら、誉めてもらえるだろう」って思ったんだよねー。

自分自身の価値を自分で認めてないから、なにかと付加価値をつけたかったのさ。

(生物学をやりたい、ってのもあったから、それだけが理由じゃないけど。ふーむ、いままで選んできた諸々には、それぞれいろんなレベルのいろんな理由があるものだなぁ……)。

♪♪♪♪♪♪♪

わたしは特別な存在。そして、ひとはみな特別な存在」。

今は、このあたらしい信念に移行しつつあるところ。だから、母……というか私の「古い信念・呪文・呪縛」をはっきり見渡す機会がきたのだろう。

移行のためには、戦うのをやめて、ただ静かに見つめよう。「ああ、私ってそういう人だ」と認めよう。

明るみに出された「古い呪縛」は、しばらくすると消えていく。ふふふ、さよーならー。

また楽になる。

目次に戻る


2003.8.5(火)みんなソウルメイト

この前、「アンビリバボー」で前世療法のことをやっていた。ホームページにも、いつもの5倍以上のアクセスがあった。びっくり。

今回はソウルメイトとの関係だけど、主人公が何度も何度もおんなじ人に殺される、というもの。一部でダーク・ソウルメイト(だっけ?)と言っているものだろう。

解説してくれたアメリカのセラピストが、ソウルメイトを3つに分類していた。こういう邪悪な(?)ソウルメイト。恋人同士にはならないが、支えてくれる存在。そして本当のソウルメイト。

……っていうか、人生で出会う人はみんなソウルメイト、って言ってもいいんじゃない? この広い宇宙で、「いま、ここ」で出会うなんて! すごい縁だよ。だからもっと、パターンもあるだろうし、分類不可能かも知れないよね。

今回の彼女はいつも女性で、いつも男性に殺されていた。でもミテの場合、男性になったり女性になったり、殺したり殺されたり、って「ソウルメイト(!?)」もいる。相手にとっては、ミテって邪悪な存在だったりするだろうなー。

「ソウルメイト」って言葉はどうして人気があるんだろう? 「運命の人」って意味で広まっちゃったから、か?

♪♪♪♪♪♪♪

でも、おもしろいよね。テレビの彼女はめったやたらに殺されてるワケじゃない。殺人者はひとり。ほかの誰かに殺されることはない。

ふたりの間には、なにかのパターンが繰り返されている。そのパターンに今生で気がついた。もう殺されることはないだろう。

彼女の場合、そのパターンとは「自分に害をなす男なのに、離れられない」ってものだった。虐待されるままでいるのも、一つの選択。だけど、自分の意志で離れることができる。自分の中に自分を守り、大切にする力がある、ってわかったんだね。幸せになるのは、自分次第。

彼女はカルマを解消した。学べば、気がつけば、成長すれば、消えていく。「自分は自分のままでいい」んだって、気がつけば……。

こう書いちゃうと、すごーく簡単。だけど、自分で理解し、行動するまでには、いくつもの人生で何度も辛い体験を重ねなくてはならなかった。やっぱり学びはゆっくり。

だけどそろそろみんな、「総仕上げ」の時期に入ってるんだよね。さぁ、もう一息!

目次に戻る


2003.8.7(木)太っても体(たい)!

ふと予感がして、体重計に乗った。げっ……。

なんと5%増量。自己最高を更新中!?

うーん……。あ〜、ヤダヤダ。どうしよう!? 痩せなくちゃ! でも、やせないんだよーーー。

……と考えていて、不思議になる。

どうして、太ることがこんなに恐怖なんだろう?? 太ったって、生きていけるのに。「この世の終わり」ぐらいの気分になってしまう。誰かにバカにされたらどうしよう……、とか。

友だちにあったら、彼女も増量してしまったとのことで、ケーキは我慢。「運動しなくちゃね」なんて話に。そうなの、ホント運動不足だし。もっと野菜を食べようかな、とか考える。

体重を気にしてるのは、ミテだけじゃない。多くの人の関心事。本当に太っている人だけではなく、どう見ても痩せてる人だって「やせなきゃ」なんて言う。あるいは体型維持にすごく気を遣う。

いまから10キロやせていたとき、ミテも「自分は醜い、痩せなきゃ、太ったらお終い」って恐怖してたんだった。

♪♪♪♪♪♪♪

その夜、寝しな。

「でもさー、あんたは本当にカラダに感謝するってことをしないねぇ」という声だか、考えだかがやってきた。「体重が増えたときだけじゃない? 運動しようとか、食べ物を考えようなんて、わずかに思うのは」。

むむ。おっしゃるとーり。

そう言われれば、この高度に精巧なカラダはほぼ正常に機能している。歩ける。見える。聞こえる。考える。汗をかく。動く……。

でも普段は不平不満しか意識にのぼんない。ウェストが、胸が、脚が、二の腕が、お腹が……ブツブツブツ。

こんなに多機能で、精巧で、面白いモノを手に入れておきながら、関心があるのは重さとカタチだけかい!!! もしもしっ!

いまはこのカラダで体験する、っていう時期なんだよっ。面白がって、もっと遊んでごらん。もっと気にかけて、もっと感謝していいんじゃないっ??

そうだねぇ。ぐぅの音も出ないねぇ。

カラダを厄介者みたく思ってました。ごめんねーーー! 教えてくれて、どうもありがとう!

目次に戻る


2003.8.11(月)罪悪感のチカラ

久々に北杜夫さんのご本を読んだ。中学生のころ、猛烈にはまっていたのだった。実に30年ぶりの再会!

そう、あのころ北さん、遠藤周作さん、ムツゴロウさんを読みまくっていた。加えて、シャーロック・ホームズ。すでに「ワタシは変人」という自覚があって、それに磨きをかけようと、それぞれのマネをしたりしたのだった。ホームズさまのように、足音をたてずに歩き、声を出さずに笑い……。

久方ぶりのどくとる・マンボウはなんだか懐かしく、心地よく、「ほんと、変人だからって悩むこと、ないんだよなーーー」なんて思った。

中学生のあのころの方が、そういうこと、わかっていたのかも……。そっか、転校して辛くなったのかな?

♪♪♪♪♪♪♪

母は暖房もしなかったが、おなじく冷房もしなかった。エアコンがあったのは、広島の家だけで、いとこが来たときくらいしか使わなかった。

だから、クーラーかけるのって、なんか罪悪感があるんだよね。もちろん電気代だってかかるし。

でも先週のムシムシで撃沈。あんなに湿気と気温が高いと、体がきついし、頭も働かない。なにが罪悪感だーー、あるものは有効に利用しようではないか!

……と、文明の利器を運転する。ああ、生き返る……。よかったー。

考えてみれば、いままでの夏はどっかの職場にいて、昼間はそれなりに涼しくすごしていたのだった。家にはなくても、まぁ、クーラー漬けだったワケ。

クーラー使ったからって、堂々としてればいいんだわ、なんてこう考えるからには、まだまだ罪悪感があるのね。

♪♪♪♪♪♪♪

暑い中、楽器のレッスンに行った。茹で蛸のようになって到着。クーラーがありがたい。すると、先生が「でも、ワタシはクーラーが苦手で……ほとんどつけないの」。

世の中には、クーラーなしで暮らす人もいるのだ……! その事実ががびーんと迫る。

罪悪感がむくむくと頭をもたげて言う。「ほーら、やっぱり。クーラーなんかかけるもんじゃない……!」。ああ、ワタシってばなんてことをしてしまったんだ〜〜っ。クーラーを使おうとするなんて〜〜、人として失格だ〜〜。

♪♪♪♪♪♪♪

……んん? ちょっと待て!

それは体質ってもんでしょ。苦手だから、イラナイ。必要だから、使う。それだけのことじゃない。

暑いと思考も停止して、無気力になって困るんでしょ? 罪悪感の罠にはまってるよ!

あれ? いつの間に、そんな罠に……。どうも全てに翻弄されてますね! そのたびに右往左往。よく気がついた! 偉いっ。

目次に戻る


2003.8.12(火)インボー

ミテにはいろんな被害妄想がある。最近気がついたのは、「陰謀妄想」。

平たく言うと、「仲間はずれにされたのでは?」妄想。友だちが、ワタシ抜きに会ったのではないか? それはワタシを陥れる陰謀なのでは、とか。ご近所はみんな仲良しで、うちだけ仲間はずれで、悪口を言われてるのでは? とか。

なんだろうねーーー。書いてしまえば、アホらしいこと、この上ない。なんの陰謀だよ、ってつっこんでみたくなる。

これも、意識と無意識スレスレのところをかすめる想念だから、気がつくようで気が付けない、言葉にできるようでできない……。それなのに、なんだかずっと苦しんでた。なにせ陰謀の渦中にいるのだから……。

やっとこうやって文章にできたっていうか。

なんだろうね。面白いね。仲間はずれ、イヤなんだね。悲しかったり、焦ったりするんだ、ね。

しばらく、その存在を認めていてあげよう。

♪♪♪♪♪♪♪

こういうのって、「異常だよ」って思ってしまうじゃない? 陰謀に巻き込まれた上に、ワタシって異常なんだ、ビョーキなんだ! って悪循環にはまりそう。

たとえば、家から出ようとしたとき、話し声が聞こえて近所の人が外にいるとわかり、玄関の内側で息を潜めてしまう……。いなくなるまで、出るの延期! なんてね。

でも思い切って話してみると、「ええーー、実はワタシもーー」「なんか出づらいよねーー」なんて反応が返ってきて。

自分だけじゃないんだーー、って安心したりする。

一人ひとり違う人間だけど、同じような文化にいて、同じような傷をかかえていたりもするんだよね。

こういうときは、「自分はこのままでいいんだな」って思うのがたやすい。自分はおかしいんじゃないか、って思いは、それだけでかなりのストレスなんだろうな。

目次に戻る


2003.8.26(火)どうしよう!

先週はせっかくダンナがお休みだったのに、風邪をひいてしまった。たかが風邪……でもとっても苦しくて、珍しく薬を飲んだ。

おお、薬を飲むと楽になるのかーー!

たしかに「草冠に楽」だもの。「絶対飲まない!」ってのもあほらしいし、「ほいほい飲んじゃう」ってのもアブナイ。必要なときに飲む。

そうだな、それがいいや。

♪♪♪♪♪♪♪

この風邪。週末には出かけられるまでに快復した。

おお、治りが早い!

帰国してからよく風邪をひき、なんだか長引いて風邪なんだかなんなんだか、って日々が続いていた。精神免疫学の本によると、強いストレスを感じている人は、そうなんだって。いつも風邪っぽくて、なかなかよくならない。心と体って、ほんとうに密接な関係にあるのね。

いまは風邪がさっさか治る。エネルギーが満ちてきたんだ。

♪♪♪♪♪♪♪

小学校に入ったころから、小さな子が苦手だった。小さい子がいると可能な限り逃げ出す。逃げ出せないときは、できるだけ離れてる。見るだけならまだいいけど、コンタクトしてきたら……と思うと、生きた心地もしない。

一言では言えない、いろんな恐怖があった。そのうちの一つは、「どう接していいか、わからない」だった。

日々、子どもと接してる人から見ると、「あはは、どうって……ふつーにしてればいいんだよ」って言われちゃうんだろうなーー。

そして気がついた。

いろんな場面で「どう接していいかわかんない」「なにを言えばいいの?」って戸惑っていた。

♪♪♪♪♪♪♪

たとえば、高校や予備校で出会った在日朝鮮人。関東に帰ってきて初めて出会ったので、なんだかショックだった。そして「どうしよう?」と思った。予備校の数学の先生がそうだった。でも授業を受けてるうちにわかった。

どうしようもなにも、タダの先生。タダって言うか、教え上手な先生だった。そっかー、ほかの先生に接するのと一緒でいいんだ。……。

♪♪♪♪♪♪♪

ご主人を亡くした友だち。どうしよう! なんか特別なことを言わなくちゃ、とシドロモドロになってしまった。

赤ちゃんができた友だち。ど、どーしよーー! フツーに接していいのかな、とドキドキ。

重い病気の友だち、離婚した知り合い、町で見かけた車椅子の人。そうだ、本を出す前の乙武さんに早稲田ですれ違ったことがあった。あのときも、そうだった。外人、黒人、アジア人、お年寄り、ゲイの人……。

♪♪♪♪♪♪♪

で、気がついたんだ。

離婚したとき、まわりの「心遣い」がどんなに痛かったか……。特別に扱ってほしくない。腫れ物にさわるようにされたくない。相手が「どうしよう」と話題を避けたりすると、それが手に取るようにわかって、悲しく辛かった。

♪♪♪♪♪♪♪

そっか。誰とでも、フツーに接すればいいんだ。特別な振る舞いや、特別な言葉なんて、いらない。

相手をひとりの人間として、尊厳をもつ存在、おなじ存在、すばらしい存在として、相対すればそれでいいんだ。「へんな心遣い」はもう打ち捨てちゃえ。そうしてることに気がついたら、「ほらほら、してるよ!」って自分に言ってみよう。

そしたら「どうしよう!?」なんて思わなくてすむ。

差別感情から「どうしよう」と思うのなら、差別感情に向き合えばいいや。ないふり、なんてやめて、さ。

目次に戻る


2003.8.30(土)泣くだけでいいのに

女の子に会ってみたくて、キツネのこんすけはガンバる。吊り橋を渡れば、女の子に会えるのだ。「そうよ、ガンバって!」。読みながら、応援してしまう。でも、こんすけは吊り橋をわたりきることができない……。そこで、物語は終わる。

という童話があるという(「つりばしゆらゆら」もりやま・みやこ作)。

中井貴惠さんが読み聞かせをしていて、思わず泣いてしまったのだ、と。

「しかし、自分を振り返れば、がんばってもできないこともたくさんあった。いや、がんばってもできないことの方が多かった。そう思ったとたん、それがたとえようのない不思議な感情となり私の胸にこみ上げた。なつかしさに似た切なさが一気に涙となって私の頬をつたった。」(毎日新聞2003年8月27日東京朝刊から)

♪♪♪♪♪♪♪

どういうワケか、「がんばれば、できる!」「なせばなる!」って思いこまされてる。

だから、がんばっても成果がないとき、「今回はたまたまなんだ。次こそは……」「もっとがんばんなきゃ」って思ってしまい、悲しむ時間と空間を奪われる。はたの人も「今度はがんばろうね」って励ますかも知れない。

こんなに「がんばった」ことは、評価されない。認めてもらえない。

ダメだったよぉ、悲しいよぉ、って泣きたいインナーチャイルドが凍りつく。

そして人は、どこまでも果てしない強迫観念に駆られて、自分がボロボロになっても、がんばり続けるのかもしれない。病に倒れるまで? 死ぬまで?

泣きたい気持ちを思いっきり表に出す。

それだけでいいのに。よほど大切なことなのに。どうせガンバルのなら、ガンバって泣きわめこう。

♪♪♪♪♪♪♪

うん、ステキな童話だね。

目次に戻る


2003.8.31(日)隠すのはやめる!

人は動揺や痛み、不具合を隠そうとする。大丈夫大丈夫、問題ない、平気よ、ってふりをする。

わたしはそうだけど、「人は」なんて言っちゃっていいのかなー、と一瞬思う。でも話を聴いてみると、けっこうみんなそうだよね。だから、別にいいか。

♪♪♪♪♪♪♪

子どものころ、母が着物を縫ってくれた。仮縫いができあがって、実際に私に着せ、大きさなど検分していた。母の邪魔をしないよう、おとなしく立っていたが、脳貧血が起きてきた。気持ちが悪い! 目の前にお星様がちかちかする。だんだん増える。目が見えない。耳がきーんとする。聞こえない!

突然、倒れた。

「どうして言わないの!」って叱られた(?)。けど、「我慢しなくちゃ」とか、「迷惑をかけちゃいけない」とか、すでにいろんな「しつけ」が染みついていたんだろうな。小学校2年か3年のとき。

♪♪♪♪♪♪♪

高校一年、化学の時間。先生が生徒二人を志願させて、ある実験をした。「やりまーす」って前にでた。

掌に試薬をちょびっと置く。そして、水を加える。すると熱くなる!

あ、熱い……と思いながら「がまん」していた。もうひとりの生徒は、「あれーー、熱くなったぁ!」って、大きな声でみんなに言った。つられてミテも「うんうん」って、ジェスチャーをした。

見てるみんなにわかるように説明した方がいい、気がついたのは後だ。熱いの我慢して、平静を装ったって、なにが起きてるか誰にもわかんない。恥ずかしかった。でも、もう我慢がクセになってるし……。

♪♪♪♪♪♪♪

そうそう、もっと前の記憶。

幼稚園の時、池に落ちた。足がたわない(福山弁:足がとどかない)。「もう死ぬのかナー」と思った。必死で草に掴まって、自力で這い出した。そのときも、びっくりしてる周りの子どもたちには目もくれず(目もくれてないから、ほんとうに驚いていたかはわからない(^^;)、泣きもせず、平然と(?)家に帰った。

池に落ちたなんて、ばれたら叱られる。母になんと言い訳しよう、とそればかり考えていた。「しんちゃんに水をかけられた」とウソをついた。ウソついたから、「落ちて怖かったよー」って、泣くこともできなかった。いやいや、「水をかけられた」と言いつけながら、泣いたことは泣いた。

考えてみると、つくづく「アブナイ」私である。親は未だに知らない(それとももう話したっけ? しんちゃんちに怒鳴り込んで、真相を知ってる……なんてことも!?)。

♪♪♪♪♪♪♪

こんな風に、動揺を隠す、恐怖を隠す、涙を隠す、怒りを隠す、不調を隠す、やばいデキゴトを秘密にする、自分を誤魔化す……が習い性となっている。もう自動的にスイッチが入る。でもそれは辛い、と気がついてきて、もっと正直になることにした。

「傷ついた」と感じたら、思い切って相手にも言ってみる。

「ホームページ、これからも期待してます」「がんばってください」とのメールをもらって、「すみません、『期待』と『がんばれ』にはプレッシャーを感じてしまうのです。絶望的な、死にたい気分になってしまいました……」なんて返事をもらった方も多いだろう。

そういうの、かっこわるい……相手を無駄に不快にさせて……ほんとにこれでいいのかなー、との思いもある。「ミテクルって、セラピストのくせに、人間ができてない」って言われちゃう……っておそれたりもする。

でもねー、客観的に考えてみると、やっぱり正直がいい。

言いまくったおかげか、「期待」「がんばれ」って言葉にも平気になった。自分では使わないように、気を付けてるケド。

♪♪♪♪♪♪♪

年賀状に家族や子どもの写真が印刷されているの、けっこう好き。「へぇ、大きくなったねぇ。おとうさんにそっくり」なんて思って楽しい。でも、ときどき「やめてほしい、つらい」っていう投書が新聞に載ったりもする。そう感じる人もいるんだなぁ、とわかる。

でもさ、「家族写真の年賀状は、地球上から撲滅してっ」というのは現実的じゃない。もらって嬉しい人もいるのだから。

差出人に「ごめんなさい、わたしは苦手で……」と伝えられれば、いいのになぁ。わざわざ人を不快にさせたい人は(あんまり)いないだろうし、写真抜きバージョンの年賀状をくれると思う。受取人それぞれに合った、もらって嬉しい年賀状をもらうことができる。

♪♪♪♪♪♪♪

そんな世の中になったら、いいよなーー。知らずに傷つける、ってことが減る。相手を具体的に尊重できる。ひとりひとりの違いを知ることもできる。平和がいっそう近づく。

みんなが正直な気持ちを伝えあう。それが、できさえすれば……。

♪♪♪♪♪♪♪

「自分で認める、相手に伝える、口にする」ってのが、それこそ一番の難関だったりする。それは痛いほど、よくわかる。

でも、ミテクルはこれからもかっこわるく動揺して、「傷ついた」って口にする(決意表明(^▽^)。

怒りや動揺を隠そうとしてると気がついたら、やさしく「ほらほら、隠さなくていいよ」と自分に言ってあげる。「えーーん、無理だよぉ、言えないよぉ」ってときには、「いいよいいよ」ってヨシヨシしてあげる。

何度も何度も練習したら、ちっとずつでもうまくなるだろう。怒って攻撃的に「傷つきましたっ(~_~メ)」って言うのではなく、おだやかに優しく言えるようになるだろう。

そうして傷ついたインナーチャイルドと出会っていけば、やがては傷つくこと自体、減っていくだろう。

道は長い。ゆっくりゆっくり、歩いていこうっと。

次に進む 目次に戻る

inserted by FC2 system