2003.9.27 更新

2003.9.1(月)ただ、そうしたいから

なにかするとき、なんらかの成果を期待する。だれかに働きかけるときも、それなりの反応を期待する。

「好きです」と告白するときは、相手も「好きだ」と言ってくれたらいいなぁって思う。

そんな大事(おおごと)でなくても、メイリング・リスト(ML)に投稿したら、なにか楽しい反応を期待する。メールを書けば、返事が来るのを楽しみに待ってる。「おはようございます」って挨拶したら、挨拶がかえってくるものと思う。

♪♪♪♪♪♪♪

いや、ちょっと違うかも〜。

あ、違うって言うか、そうなんだけど、べつの面から見ると。ややこしいが、つまり、だれも反応してくれないと、悲しくなる。無視されたら、イヤだ。告白しても「ごめんね」と言われたら、絶望しちゃう。ほかには、質問して笑われたりしたら、穴があったら入りたい、と思う。

……というわけで、MLに投稿するのをやめてしまう。質問があっても、黙っちゃう。挨拶をするのが難しくなる。メールしたくても、控える……。昨今は「告白」する機会はないが。ははは。

♪♪♪♪♪♪♪

相手の反応を予想して、したいのにやめちゃう。

だけど……なんだか心が、「おーい」と小さな声を挙げている。

「自分が何かすること」と、「相手が反応すること」はまったく別々のデキゴトではないだろうか。「やりたいことを、やんなよ。ただ、それがどういう結果になるかは、期待しないことだ。なにが起きても、ただ受け入れる。それがベスト」。

書きたいことがあったら、MLに投稿する。まったく無視されても、それでいい。だれかに挨拶して、無視されても、それでいい。電車で席を譲って、辞退されてもそれでいい。告白して、恋が終わっても、それでいい……ってこと??

もちろん「挨拶はやめてください」って相手なら、その人の意志を尊重してやめる。

♪♪♪♪♪♪♪

挨拶が返ってこないと、呼びかけにこたえてもらえないと、私、すごく恥ずかしくなっちゃうんだよね。アリス・ミラーも言ってる。そういうとき、「子どもは恥じ入るものです」(読みながら、ああ、この人にはわかってもらえるんだって、すごくうれしかった!)。

それはね、と心が言う。

「自分が悪い、なにか悪いことをした、私には答えてもらう価値がない……なんて考えてるからじゃない? 相手が挨拶を返さないのは、単に相手の問題。おかあさんが子どもの呼びかけを無視したとしたら、悪いのはおかあさんであって、子どもが責任を感じることじゃない。

それを理解したら、ちょっとは楽にならない? やりたいことをやる。ちょっとやってみる気になるでしょう?」。

「無視されても平気になれ」ということではなくて、なにが起きてるか、どこに責任の所在があるか、を冷静に見ていけば、自分が傷つく必要も必然もない、とわかってくるってことなのかー。

♪♪♪♪♪♪♪

なんかわかってきた、できそうな気がしてきた。

成果や反応を気にするのをやめて、やりたいことをする。

いままでの人生では「ご褒美」目当て(誉められるとか、評価されるとか)にやってきたことの方が多いかも。だから方向転換には時間がかかると思う。やっぱ、成果が出ればうれしいし、誉められたいし、「すごいなーー」なんて言われたいし……。

でもなーー、この新しい考えのほうが魅力的にみえる。自由だよ。

♪♪♪♪♪♪♪

思いがけず、二人の人がリーディングをしてくれたんだけど、言われたことにすごく動揺してしまい、かえって相手を恐縮させてしまった。でもまー、いまんとこ、これがミテなのよ!

あらためて、自分はめちゃくちゃ感受性が高くて、すごく傷つきやすいと自覚した。そこらへんも含めて、「新しい考え」は意味深い。なんだかよい。チャレンジしていこう、って思えるよ。

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2003.9.3(水)ワンダ〜♪

セラピーを再開した。クライアントさんを待つ間、どんな方がみえるのかなー、とどきどきしてる。

……と思うよね? やっぱ、そう思っていたんですよ。それに、それはあながちウソでもない。

で、心細がっているインナーチャイルドを慰めてあげようかな、と語りかけてみた。「ドキドキしてる? 大丈夫??」。その子はぴょんぴょん跳びはねたり、リズミカルに両腕をあげたり下げたりしてる。不安でいてもたってもいられないのかなーーー、と思った。

でも……?? なんだか違うぞ??

「だってーー、た・の・し・み!」。

なんてこった! すんごく喜んでる。うれしくて踊っていたのだ。えええ、私ってこんな人だったの??

「だってさーー、人に会うのっておもしろいじゃない! いろんな人がいるって、わかるし」。

あのさー、あなたずっといた? あなた、私?? ミテってさ、ヒトギライだったりしたんだよ、去年から長いこと……。もう半分以上、ひきこもりだったしぃ。

その子は「なに言ってんだか!」って顔をして笑う。「新聞の取材行くの、楽しんでたじゃない。ある意味、最良の日々でもあったでしょ? ずうっと一緒にいたんだよ。でも、すっかり忘れちゃったんだよね」。

それはどうして?

「自分や人を批判ばかりしたり、自分の劣等感や優越感に翻弄されたりしてたでしょ? 自分を誰かと較べて、勝ったとほくそえみ、負けたと怯え……。そっちばっか目が向いてたから、すっかり自分を失っていたんだよ!! あはははは」。

「傷ついたインナーチャイルド」ではなく、ワンダーチャイルドだったんだねーー。いままで、「心の牢屋」に放り込んで、縛り付けていたんだ。出てきてくれたなんて、感動! ありがとう! いままでごめんね。

あなたに会えて、とってもうれしい〜〜♪ いまもあんなに嬉しそうに、跳びはねて踊ってる。ミテ自身はまだ戸惑ってるけど、ジワジワと喜びが……。

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2003.9.9(火)無理するいい子

友だちと3人で、英会話のレッスンを受けている。ある日、1時半からの約束だったのに、先生が来ない。携帯は留守電。2時半ごろ、やっとかかってきて、3時から開始。

レッスンは楽しかったけど……連絡もなしにこれは、ヒドイ。

でもまぁ、その日はほかに予定もなかったし、ヒドイと思う方がイジワルだ、なんて自分を責めていた。「ミテにはどうもイジワルなところがある。どんなインナーチャイルドがいるんだろう?」。

すると幼稚園の制服を着たインナーチャイルドが、とても驚いた顔をして出てきた。「どおして?」。口にはしないけど、雰囲気が語っている。

そりゃあ、「あんたはイジワル」なんて言われたら、ショックだろうけど……。

♪♪♪♪♪♪♪

一晩寝て、わかった。

イジワルじゃない。

先生の方がヒドイ! 怒って当然。連絡もなにもなく、何時間も待たせるなんて。しかも、ごめんなさいでもなかったし。そうされて、さらに自分をイジワルと思うなんて、またいい子ぶりっこしてたんだ。

そうだ、ダンナにも話して、そしたら「その人って、人間的にどう??」って言われたんだっけ。そのときは、「いや、でも」なんてかばったんだ。なかなか重症であった。

ごめんね。ミテの方がおかしかった。小さい私、出てきてくれて、ありがとう。気がつかせてくれて、ありがとう。

♪♪♪♪♪♪♪

そう。ついつい、気がつかないうちに「いい子ぶりっこ」しちゃう。自分で、目標を決めて、「こういうときには、『ノー』と言う」練習をする方法もあるんだよ。

いま「リンク希望」をほいほい受けないことにしてる。どうせなら、その人を知ってからリンクしたい。でも、正直言って、「こんなこと、イジワル??」って気分もあった。リンクなんてタダなんだし……。

だから、練習。これは、いい練習。「ノー」という練習。

いい子ぶるより、自分の感じたことを大切にするために。

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2003.9.12(金)子育てママ

長らく子ども恐怖症であった。

「自分は穢れている」という思いがあり、無垢な子どもを汚してはならない、と感じていた。あるいは「わたしは子どもを壊してしまう」とも思っていた。王様の命令で、赤子を殺して回った兵士の記憶も関係があるのだろうし……、いろいろあったんだろうな、これまで。

友だちの家に遊びにいった。まだお誕生前の男の子がいた。ママに抱っこされてのご対面。そのうち、伝い歩きをしてこちらに向かってくる。

ごく自然に、その子に触れ、遊んだり、話したりできる自分がいて、びーくりするやら、うれしいやら。こんなに柔らかいんだーー、こんなにキモチイイんだーーー。こんなにおもしろいんだーー。だから、フツーの人たちは赤ちゃんや子どもを触ったり、遊んだりしたがるのね。そうだったのかーー。

かといって、いまさら自分の子供をもつ気はさらさらないけれど。

「彼」にもミテを気に入っていただき、なんとも嬉しいことであった。

♪♪♪♪♪♪♪

その彼女の家に行くとき、うっかり電車に乗り遅れてしまった。いつもは「遅れてはイケナイ」という意識が強くて、出かける10分前には支度を済ませて、ソワソワしてるもんなんだけど。

メールを書いていて、夢中になってしまい、気がついたら……。

間に合わなかったのは初めてだけど、実はこのごろ、ギリギリに慌てて出かけることがある。おもしろいなぁ。

そこへもってきて、大遅刻も平気な英会話の先生と出会うなんて。なんとなく、おかしくもある。

♪♪♪♪♪♪♪

赤ちゃんのいる友だちに話を戻すと。

具合が悪くて、病院に行ったのだそうだ。ご両親が近くに住んでいるんだけど、たまたまお留守で、仕方なく赤ちゃん連れで。

今回はしょうがない、とスタッフが抱っこしてくれたりしたそうだが、「今度からは預けてきてね」とのこと。

まぁ、彼女の場合はご両親がいればオッケーだけど、そうじゃない人は? 具合の悪い体で、子供を預かってくれる場所を探して、連れて行って、その後病院へ??

病院で預かってくれれば、助かる人も多かろうに……。

そんなとこから、「少子化対策」をしてくれればいいのにね。

そうそう、藤沢には託児付きの美容院もあるんだって。タウン誌に出てた。こういう場所が増えていきますように♪♪

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2003.9.19(金)わお、私は私なんだぁ!

自分にないモノをもってるひとが、ずぅっと羨ましかった。ガイドと話せる、とか、チャネリングできる、とか、木や石と話せる、とか。なんでんかんでん。

「私にはデキナイ!」と焦りを感じていた。超能力もないしーーー、神秘体験もないしーー、しくしく(;_;)。

でもさーー、この前、思いがけない人がいきなりリーディングをしてくれて(って言うか、されちゃって!?)、「行くべき道をしっかりと歩いてる」って言ってもらったんだ。えへ? そお(*^_^*)?? うれしかったな。

それで、「そっかー」って思った。

ガイドと声や言葉でやりとりをしていなくても、しっかり導きについていってるって訳だ。節目では、声(?)もかけてくれていたし、そうでなくても見守ってくれている。だから、私には「いつも、声をかけたり、話し合ったり」する必要はなかったんだ。

ほかの人に必要なことと、わたしに必要なことは違う。違って当たり前。羨ましく思うこと、ないんだ。……そっか、そうだよねぇ。

改めて、腑に落ちた。で、気がついてみたら、焦りが消えていってる。

♪♪♪♪♪♪♪

最近は、ガイドに話しかけようとしても拒否される。「外部のチカラに頼るな」だって。「自分の内側に向かいなさい」。いや、これも言葉ではないやりとりなんだけど……。内側に全てがある、と。

その代わり(?)、自分が言った言葉、書いた文章に「はっ、そうだったのか!」と思うことが増えた。わたしにとって、驚きに満ちた新しい概念が出てきたりする。しゃべった自分が一番びっくり、みたいな。

♪♪♪♪♪♪♪

……というような話を友だちとしていた(マナさん、今日はありがとね)。

「だってーー、私は超能力もないしーー」と言うと、「へ? もしもし?? またこの人はこんなこと言ってるよ」。

ううむ……そうかぁ……。他人の「超」能力を羨ましがっていた私は、自分の「常」能力を「自分にだけあるかも知れない、特殊な(?)ステキな能力」であると認識できなかったのかも知れない。「自分にないモノ」ばかりを気にかけていたのだから。

深い意味で、「自分は大切な、ユニークな(唯一無比の)存在である」とわかっていなかった。だから他と較べてばかり、だったのね。

♪♪♪♪♪♪♪

最近はお気楽に、「口から出任せ」で過去生を語ったりする。とくになにも考えずに、浮かんできた印象だけを気軽に口にする。それが他の人のリーディングやチャネリングと一致したりもする。びっくり。

他人(ひと)ばかり見て、嫉妬に身を焦がしてるより、こっちの方がラクチンだし楽しいや。

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2003.9.21(日)見捨てられる

朝早く目が覚めて(最近、そうなんだけど)、なんだかサクサクとクリスピーだった夢の楽しさをちょびっと味わった。

きのうさぼった皿洗いなどを片づけてると、ふと「見捨てられる」って気持ちになっていた。それも具体的に、友だちのラムール(仮名)に、「見捨てられる」。

どうしよう、どんなワークをしなくちゃかな、と動揺して慌てて、やっと我に返る。そうじゃなくて、「静かに見つめよう」と。「いい」とか「悪い」と判断しない。原因を躍起になって探ろうとしない。出て来るにまかせる。

そうか、「ワタシは、『ラムールに見捨てられる』って恐怖をいま感じてるんだ。その恐怖を静かに認めてあげよう。それ以外のことはイリマセン。それで十分」。

「見捨てられる、って思ってるんだね」と自分に語りかけてみる。ひとつはハッキリしてる。ある前世でそう思ってしまったから。

兄妹としてふたりで暮らしていたとき、妹のラムールは、ある日、出かけたきり帰ってこなかった。目が見えず、妹に頼り切っていた兄のワタシは途方に暮れ、なすすべもなく死んでいった。いまならわかるんだけど、妹が出かけた先の村が襲われて、彼女もそこで殺されてしまったからだった。

村が全滅したので、誰も知らせに来ることはできず、ワタシはただオロオロ待って、「なぜ見捨てたんだ……(>_<)」と。ひとりで生き延びるチカラを潜在的にもっていながら、自分の足で立つことさえしなかった。

♪♪♪♪♪♪♪

そういう事情がわかってもまだ、見捨てられ恐怖があるのかーー、とちょっと自分を責めたりした。いや、それを知ったのは最近だから、もっと長い目で見てあげましょうよ。時間がかかるよ。ね、それでちっともかまわないのだし(自分を責めてると気がついたら、優しくしてあげましょうね♪)。

それとたぶん、ワタシがカトリック司祭だったときに、「見捨てられた」と感じた体験もあり、二人の間では何回か繰り返されたパターンだったのだと思う。しかも、ワタシは「見捨てられた」と感じていたが、事実としてはどれもラムールにとって不可抗力のデキゴトであったようだ。

裏返してみれば、彼女には「見捨てた」という罪悪感もあることだろうし。でも、21世紀のいまふりかえってみると、二人とも「思いこんで」いるだけ……お互い誤解……。ほんとうは、どんなに愛しく大切に思っているか。この気持ちの方が大切なのにね。恐怖や罪悪感より、ずっと。

♪♪♪♪♪♪♪

ああでも、見捨てられ恐怖って、ワタシにとっては大きなテーマなんだな。母に置き去りにされる、ってずっと信じていたし。それとメール……。

ホームページを通じて、相談メールとかご挨拶メールをいただく。何通かやりとりをして「楽しいな」と思っていても、やがてメールは途絶える。ある日、「そういえば、○○さんからのメールが来ないなぁ」って気がつく。そのたびに、「もうミテなんか嫌いになったんだ。ウンザリしたんだ。また見捨てられた。どうせ、ミテは誰にも好かれない。どうせ、友だちになんかいない……」とイジケ虫になっていたのだった。

あまりに悲しくてダンナに愚痴ると、「きっと次のステップに進んで、ミテという支えがなくても大丈夫になったんだよ」。ええーー、そうなのかなー? でも悲しいよ。しくしく……。それなら、いっそ相談メールからは金をふんだくってやるぅっ。……なんて悶々としてたんだよね。それを思い出した。

♪♪♪♪♪♪♪

こうして書いてしまえば、自分のこころがよくわかる。なるほどねぇ、って自分を認めてあげられる。

この恐怖を、いまはそっと大切に抱えていてあげようっと。白いふりふりレースをふんだんに使った光沢のあるやわらかな枕とお布団。揺りかごにその枕とお布団を入れて、そこに寝かせてほしいんだってさ、その子。

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2003.9.27(土)「できない」わけ

「車で行く」とダンナが言ったとき、酔っぱらいのたわごとかと思った。

不安が押し寄せてくる。友だちの車に乗るのは大好きなのに、身内のドライブは怖い。自分が運転するのも、怖い……。アメリカ滞在中にだいぶ薄れたとはいえ、日本に帰ってきて、初めての運転……。左側通行!? 右ハンドル!? ううう……。

信州にいる両親を訪ねようとしていた。とうぜん新幹線、バス、徒歩……と考えていたのだが……とほほ。

♪♪♪♪♪♪♪

「怖いよ、怖いよ、怖いよーーー」と思いっきり怖がっていたら、なんだかフゥっと気持ちが楽になった。あれ? 魔法のようだ。「ドライブ、楽しいじゃん」って気持ちになった。だって、みーーんな運転してるのに、私がデキナイなんて、そんなワケない。

いままで感じていた「怖さ」が非現実的であるとも思った。ひとたびハンドルを握れば、数人をひき殺し、車は追突され、あるいは追突大破し、いのちが終わるか、罪悪感のなかで生きていくか……。

不注意、無謀運転を旨とするならともかく……「必ずそうなる」と思いこんでいるとはね。クレイジ〜!

♪♪♪♪♪♪♪

さいきん読んだ本に、こんなワークが乗っていた。

「私は、〜できない」という事柄を書き出す。これを「私は、〜していない」と言い換えてみる。心静かにして、言い換えをじっくりと味わう。すると、「〜できない」は言い訳だとわかる。やればできることなのに、逃げている。逃げているのは、ワタシだ!

やってみた。「私は、楽器を上手に弾くことができない」を、「私は、楽器を上手に弾いていない」。くりかえし自分に言ってみると、なんかの理由で、わざとヘタに弾いてる、ヘタのまんまでいいや、と思っていると感じた。

もっとできるのにな。自分を客観視している自分がそう言う。

そういえば、弾いているときに、なんだか焦っていたり……。で、焦りが「できない!」を生む。「できない」が自分を萎縮させ、結果的にできなくなる。

あれ、こんな簡単な方法なのに、自分の一面がよくわかるなぁ。

♪♪♪♪♪♪♪

ダンナの運転で中央高速を走りながら、「運転できない、怖い」にも通じるものがあるなぁ、と思った。運転しながら、怖がっていれば萎縮する。なにか焦ってしまえば、「できない」という思いが強くなっていく。

もっと、楽しめるのにな。

そういえば、子どものころ、家族でドライブに出かけたっけ。でも、母が地図を読み違えたり、指示が遅れると、運転する父が冷たく怒り、楽しいどころじゃなかった。ピリピリとした息が詰まるような時間の連続……。これも関係あるんだろうな。ケガはしてないけど、事故にも遭遇してるし。

♪♪♪♪♪♪♪

目的地に近づいたところで、運転を代わった。家までのくねくね山道は楽しかった。

次の日は両親も一緒に、美ヶ原と別所温泉までドライブ。レンタカーについていたナビに興味津々の父。彼は「運転は好きじゃない」「出かけるのは好きじゃない」と言っているが、ほんとうは知らない道を運転するのが心細くて、険悪な気分になっていたのかも知れない。

「ナビがあったら、出かけるかも」なんて発言していた。

ダンナが運転するものと信じて疑わない両親。土産物屋に寄った後、「運転する?」とダンナ。「いいよ」とミテ。なんとなく「えっ!?」と思っている(らしい)両親に、キーをちゃらちゃらさせて、「んん? いやなの? 文句あるわけ?」とすごんで見せた。あはは。

なんだか、楽器にも運転にも、新境地がひらけた! ゆったりした自由な気分。ただちにひとりで車を乗り回す、とは思わないが、恐怖はゆるゆると退場するだろう。

♪♪♪♪♪♪♪

右ハンドル車は20年ぶりぐらいだったかな(いかに運転を怖がっていたか(^◇^;))。ウィンカーの代わりに、ワイパーが動いた。おもしろかったのは、うしろを確認するときだ。どうしても右上を見る。ミラーは左上にあるんだっちゅーの。

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