2004.1.26 更新

2004.1.14(水)のろまでよし!

たとえばお皿を一枚拭く。その一枚を棚に納める。戻ってきて、また一枚拭く……なんてことをするので、よく母に叱られた。「なんて効率が悪いのっ!」というワケである。「もっとまとめてやんなさい。全部拭いてから、棚に入れればいいでしょう!」。

まぁねーー、当然といえば当然かなー。世は高度成長時代。効率が最優先さ。

でもねー、ミテは効率の悪いやり方……つまり一枚一枚じゃないと気持ちが悪かったの。スッキリしない、っていうか。でもまぁ、時代には逆らえない。それなりに効率のよい方法を模索したりしてきました。

で、気がついたんだ。「効率よくしなくてはーー」と思っているとき、ミテってばすんごくプレッシャーを感じている。ストレスいっぱい。だからつい、「めんどくさい」「やりたくない」となってしまい、結局なにもしないズボラな人に……。

小学校一年のときの担任が「人よりテンポがのろい」と言ったくらいだから(先生ってのはたくさんの子どもを見てるだろう)、ミテの本来のテンポはものすごおぉ〜〜く、ゆぅ〜っくりしてるのではないだろうか。

そういえば、工事現場などを通りかかると足を止めて、じぃーーっと見ているような幼子であったそうな(で、ついたあだ名が「ペンギン」←南極のペンギンは人間のやることを何時間でも飽かず見てたんだって)。

♪♪♪♪♪♪♪

効率よく、さっさと手早く、現代的に、颯爽と生きようとしてた間、私ずいぶん辛かったんだろうなーー。死んじゃいたい、なんて思うのも、それ、あったのかもしれない。

自分のリズムで生きること。

大切なことなのかも……。

のろのろしてるかもしれないし、のろまかもしれないけど、2004年は自分がキモチいいペースで生きよう!!

♪♪♪♪♪♪♪

というわけで、メールの返事が遅くても許してくださいネ(……って言い訳かい(。o゜)☆\(-"-)!)。……ごめんなさーい、溜めてますぅ〜〜(^^;。

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2004.1.15(木)お褒めいただき……

少人数の集まりで、おもいがけず通訳をした。10年ほどまえよりスムーズにできて、嬉しかった。大学で第二外国語をやったときは、「若くないと、語学はダメだ」なんて思ったモノだけど、40すぎたって、ちったぁ進歩するんじゃん!

それとは別に、居合わせた方が誉めてくださったと、あとで知った。誉められれば嬉しい。

でも、しばらくして思った。「たまたまその方のお眼鏡にかなっただけ、だわねぇ」。

ミテが、その人の「好きなタイプ」だったんだわ。「相性(?)」がよかったって、それだけ。

♪♪♪♪♪♪♪

子どものころは(いまだって、そうかも?)、親に誉められたい一心だったと思う。「誉めてもらえなければ、注目してもらえなければ、死ぬ!」ってほどの勢い……。

なんにせよ、けなされたり、叱られたりするより、誉められた方が気分がいい。

でもさ、それで自分の価値が変動するわけじゃぁないんだ!

誰かが誉めてくれたら、それはその人が「人を誉める人」。あるいは価値観が似てる人。けなされるとしても、それはその人が「人をけなす人」「批判する人」であるだけ。あるいは価値観が違う人。それだけ。

♪♪♪♪♪♪♪

あんなに必死になって、なんとか褒めてもらおうと生きてきたのに。

なぁ〜んだあぁ〜〜、すっげえぇ〜勘違いだったんじゃん。

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2004.1.16(金)「おおばけ?」と思っとこ

12月から、なにかと低空飛行な感じ。抜け出そうという藻掻き・足掻きを極力排して、逆らわず、流れに乗ろうかと。体調不良も無気力も、そりゃイヤだけど、どっぷり浸からなきゃ体験してる意味がない……。

なんちゃって悟ったようなこと言っても正直、焦ったりもするのよね。これでいいのか、と疑問がアタマをもたげることだって。

だけどまぁ、「いまのミテは、とにかくなんにでも傷ついちゃうんだなぁ」と気がついたとき、こう思うことにした。

チョウチョだってカニだって、脱皮直後は、カラダがとても脆い。あやうい。だから物陰でひっそりと時を待つ。ハネが乾いてしっかりとのびきるのを。甲羅が強く固くなるのを。

そういうときがあっていいさ。ひょっとしたら、大化け中なのかもよ!? そう思えば気が楽だわ。

♪♪♪♪♪♪♪

で、さいきん気がついたんだけど、木や草花にちっと優しくなってきた気がする。いままでは義理でおざなりに世話をしていた感じ。「かわいがらなくちゃー」と義務感でやってた。だからすぐ面倒になって、ほっぽらかしちゃったりして。

植物の声なんか聞こえない!! そりゃ、あたりまえだって。

するってぇと、だんだん彼らを好きになってきたのかのぉ? いつの間に? どうして?

したくないときはテキトーに面倒みて、罪悪感を感じなかったのがいいのかもね。無理強いしたことは、結実しない。つーか、望みと逆の成果が得られたりして。テーゲーがいいさー。

♪♪♪♪♪♪♪

ってんで、メールの返事も溜めに溜めた。どうしても書けない。じゃあ、いいや、とほっといた。すると少しずつ書きたくなった。書いて楽しい。時を待って、よかった(待たされてる人には、気の毒だけど……。でも書きたくないときって、八つ当たりしちゃいそうだし)。

この日記だって、全然書く気にならなかった。だから書かない。書けるときに書く。おととい、やっと書く気になった。だから書いた。それでいいや。それが一番。

♪♪♪♪♪♪♪

「やる気」っておもしろくて、調子がすこし上向いてから、各種「やる気」があっちにひとつ、こっちにひとつ、顔を出す。そしてひっこむ。

いきなり料理に凝ってみたり(一日で終わった(-o-;)。いつもしないとこの掃除が気に入ったり。やろうやろうと思いつつ放置していたことを、なんなく実行してみたり。

そのときなにをしたいのか?

それはとっても気まぐれで、予想がつかない。何したいか、わかんないこともある。でもま、「あれをやんなきゃ」はなるべくおいといて、一瞬一瞬、したいことをやってみてる。

字にするとなんかご大層で、「これぞ精神世界!」みたいだけど、そんな大袈裟なことでもなく、布団干そうと思って干す。お茶、飲もうと思って淹れる。如雨露の穴をふさごう、と思って修理する。メール見よう、と思って受信する……とかそういう些細なこと。

ぼぉ〜〜っとしてる時間も多いけど、なんだか気に入ってる。

♪♪♪♪♪♪♪

ちなみに今日は、この日記とメールと書く気にはなって、「おお、復調!?」と思う半面、料理にはまったく気力がわかず「やっぱ不調!?」と思う。でも、そんならそれでイイや。それが許される環境なのだし……この環境を選んだのはワタシなのであるからして。

「すべてをきちんとこなす」「規則的に生活する」「すべきことをする」って世界から、離脱しつつあるのかしらね〜???

ただしたいことをする? それって、こんな感じ? むふふ♪

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2004.1.18(日)因果応報

ダイドコをやっていて、思い出した。そのむかしは、家事や雑用を頼まれるとムッとしていた。「なんでそんなゲセンなことを、このワタシがやんなきゃいけないの!?」って感じ。

前世に、お嬢様かお姫様だったことでもあるのかもしれないね。タカビーな私。

だから料理を楽しげにこなす人を見て、ビックリしたんだと思う。だから雑用係をアチコチでしてきたんだと思う。

オジョウサマも少しは我が手で成し得ることを喜ぶようになってきたかのぉ。

♪♪♪♪♪♪♪

ダンナが合宿に持っていったカバンがずっと廊下に置いてあった。片づかない。

そうなのだ。私が手を下さなきゃ、片づかないのだ。ダンナがやんないのなら、私がやらねば。だって二人しかここには住んでないんだもん。

窓が汚いなぁ、どんどんよごれていくなぁ、と思っていた。そうなのだ。私が拭かなきゃ、いつまでもそのまま。

因果応報、自業自得なんていうと、すごくオソロシゲに・特別に・大がかりに思えるけど、結局こういうことなんだ。わたしが掃除をすれば、きれいな部屋ですごせる。わたしがお片づけをすれば、スッキリした部屋ですごせる。私が散らかせば、散らかった部屋ですごせる。私が鉢植えを置けば、お花とすごせる。

イキナリ勝手に部屋が片づいたり、散らかったり、鉢に植わった観葉植物が湧いて出たり、はしないんだもんねぇ。

「わたしがしたこと」がわたしに返ってくる。簡単なこと、なのね〜。

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2004.1.21(水)ひとのせい

頭に来たり、気分を害したりしたとき、そのキッカケをつくった人を恨んでしまう。のちのちまで「あの人、嫌い」と思い続けたりする。その人のせいで私はショックを受けた、その人のせいでいい気分が台無しになった、その人のせいで不幸になった……!!

でも、事実は違うんだよねぇ。

私の中に「怒りの種」「ショックの種」があって、その人はそれを刺激しただけ。「怒りの種」や「ショックの種」は心のキズだから、キズが見つかったことを喜べばいい。見つかって初めて、治療できるんだもの。

♪♪♪♪♪♪♪

でもまぁ、どうも子どものころから「人のせいにする」のが習い性となっていて。すぐに「私じゃない、○○のせいだ!」って思っちゃう。

だからその原因人物を取り除いちゃえ、そうすりゃ、平和が訪れる、なんて考える。ブッシュを、小泉を、フセインを、ヒトラーを排除せよ!!

その人が変わってくれればいいかもしれないが、そんなこと、滅多にないし、消しても消しても、おんなじような人物は出てくる。歴史をみたって、自分の暮らしをふりかえったって……。

♪♪♪♪♪♪♪

で、「自分に原因がある」ってほうが、実は優しい・易しいんじゃないかって思い始めた。因果応報、自業自得っていうと「自分が悪いんじゃん、処置なしだよ」なんていうイジワルなニュアンスを感じていたんだけど、そうじゃないかもしれない。

他人は変えられない。他人を癒すことはできない。でも、自分のなかの怒りの種なら見つけることができる。自分のキズなら、癒すことができる。自分のことなら、変えることができる。

怒りや恨み、悲しみを手放すか、もちつづけるか、選択するのは自分。すぐに手放せなくても、充分にもちつづければ必ずいつかは手放すことができる。もちろん、「そうしたければ」であり、そうでなければ別だが……。

ひとのせいにしていたら、いつまでも状況は変わらない。その人がいなくなっても、別のだれかが現れて、同じことを永遠に繰り返す。そっちのほうが手の着けようがない。ひとをコントロールすることはできないのだから……。

だからつまり、被害者意識にどっぷり浸かっているうちは、苦しみから抜け出せないってこと? うーむ。おぼろげながら、コトの輪郭が見えてきたような……。いままでの道のりを考えても納得かな。なんでも「親のせいだ」と憎しみに凝り固まっていたときに、ふと「でも、自分だって……」って思った。そのときから少しずつ雪が解けてきたように思う。

でも「人のせいにする」ことが「悪い」のではなく、その間、「変化は起きない」ってただそれだけのこと。

それに「人のせいにする」ってのは一つの過程なんだろうな。「はてな、自分だって……?」って気がつくまでの、ひとコマにすぎない。まだ腹の底からわかってるワケじゃないけれど。

♪♪♪♪♪♪♪

「すべての現実は自分がつくっているんだよ。自分に起こることは、自分に責任があるんだよ」。

そう聞いて、あるときは「そりゃ、厳しい……!! やだなぁ、そこまで言わなくても」って思ったりしていた。

でも……!?

いまは「希望に満ちたメッセージ」に見えてきた。なんて優しいんだろ。シンプルだし……。

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2004.1.26(月)かびん

今回の落ち込みって、まるで神経がむき出しになってしまったような感じで、とにかくどんな言葉もぐさぐさと刺さって、満身創痍で、なすすべもなく「落ちていくぅ」……とでもいうような……。

あああ、辛いよぉ、いやだよぉ、なんでこんなに過敏なんだ……と恨めしかった。心のキズだって、ずいぶん治してきたはずなのに、まだダメなのか!? アタシなんてもう永遠にダメなのかも。ああああぁ、世も末だ。

……と、長いこと悶々としていたある日、「進級したんだ!」と閃いた。

五級に合格して、四級に進んだのだ。そのぶん、過敏になった。すると、いままで見過ごしていたようなことにも、目を向けざるを得なくなった、というわけ。

そうか。ちょっとホッとした。

たしかに、さらに深く考えざるを得ない、ってとこに追い込まれていたりして。

♪♪♪♪♪♪♪

気的過敏体質についてのメールをいただくことが多い。大半は「私だけじゃないとわかってホッとした」だけど、「治せないんでしょうか」という質問もある。

敏感だから、なんでも感じ取ってしまって辛い。でも、共存していくしかないんだろうなーーー。

きっとそういう人は、「成長した魂」だから。キミなら対処できるでしょ、というわけだ。そんで、成長に連れて「進級」し、ますます過敏になり、またまた悩み迷いながら智恵を思い出し……。

あはは、なんつーか、しょうがない。受け入れるかぁ……。

♪♪♪♪♪♪♪

こういうときにはまたまたぴったりの言葉を贈ってもらえる。「神との対話」文庫版3巻p.242

ほとんどのひとは、観察したままを言われるとむっとする。自分がもっていたくはないものを観察された場合にはね。
しかし、何かをしっかりともつまでは、それを手放すことはできない。何かを捨てるには、まず所有しなければならないのだよ。

受け入れないものは、変えることができない。

そのとおり。
悟りは、「ありのまま」を批判せずに受け入れることから始まる。それが、「ありのままの存在」を引き受けるということだ。ありのままの存在、そこに自由が見いだされるだろう。抵抗すれば、相手はますます強くなる。見つめれば、相手は消える。幻のかたちを保てなくなるからだ。あなたはありのままを見る。「ありのまま」はつねに変化しうる。変わらないのは、「存在しないもの」だけだ。だから、ありのままを変えたければ、それを引き受けなさい。抵抗してはいけない。否定してはいけない。否定するのは、宣言することだ。宣言するとは、創造することだ。
あることを否定するのは、相手を再創造することだ。相手をそこに据えつけることになるからだ。受け入れれば、あなたは相手をコントロールする立場になる。否定したものは、コントロールできない。だから、あなたは否定した相手にコントロールされる。

「わたしは過敏で、傷つくことが多い……。ひどいときには、どこまでも落ち込んだりする。『どうしよう』と、ただただオロオロする」。

認めマス。

「傷つくことなんかナイ! いつも元気です! 悩んだりしません!」なんてウソは言いませ〜〜ん。

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