2004.2.26 更新

2004.2.2(月)切り離せない

友だち4人で集まったら、ミテを含む実に3人が「年末から、なんだか不調なの」。さらにそれぞれの友だちにも不調・低調な人が多いようでビックリ。「イライラして、体調も崩した」「体調が悪く、入院した」「無気力で体調も悪く、気分が晴れない」「人と衝突してしまって……」などなど。別口の友だちからも、「○ちゃんが暮れから体調を崩して、休職中」と聞いた。うーむ?

「不調の波」とでもいったものが、日本(?)を襲い、多くが感応したものかしらん??

不調仲間のみなさん、焦らず、じっくり自分や自分のカラダ、ココロと向き合っていきましょうねぇ。

♪♪♪♪♪♪♪

友だちのひとりがまた、海外赴任。ダンナ同士、おなじ会社だから、うちにも起こりうるんだぁ。

密かに日本脱出を夢見てる身には、ビッグニュースであった。ずっと日本にいる、と思うと気が滅入る(どーしてだろう?)。低迷してる日々へのカンフル剤になるか?

♪♪♪♪♪♪♪

でも、生まれて初めて大阪に行って、それはそれで面白かった。ネギ焼き、ビフカツ(とんかつではなく、牛肉なのだ)という珍しいもの(とくに珍しくはないらしいが)も食べた。日本国内にも、まだまだ知らない食べ物がたくさんあるんだろうな〜。

関西で肉といえば牛肉をさすのだそうで、だから「豚まん」と言うんだって。「肉まん」だと牛肉が入ってると思っちゃうから。そうだったのか!

でも電車や駅のアナウンスは標準語なのね。ちょっとガッカリ。「次は天満(てんま)でっせ〜」とは言わないんだ。

♪♪♪♪♪♪♪

新幹線から外を眺め、いまの暮らしはホントに自然から切り離されてると痛感。感覚がおかしくなるはずだ。ココロのバランスが崩れちゃうハズだ……。

映画「ファインディング・ニモ」のヒットでクマノミの乱獲が起きているという。「ニモ(カクレクマノミ)を飼いたい!」という子どもが増えたから……。「映画の主旨と違うだろう!」と毎日新聞のコラムで古館さんが嘆いておられた。

大阪では水族館「海遊館」と王子動物園に行った。お魚にしろ、動物にしろ、生態系の中で生きているのに、生き物の個体だけを切り離せる、とつい人間は思ってしまう(なるべく生息地を再現する、という努力も最近はなされているが)。

食べ物を与え、温度や湿度を調節すれば生きていける。動植物にはそれぐらいの適応力はあって、生き延びてしまうかも知れない。でも人間も含めて、生き物は自然との繋がりの中で生まれて生きて死んでいくものなんだろう。

自然、母なる大地、わたしたちの地球をナイガシロにしたつけがいま、鳥インフルエンザや花粉症、エイズ、SARS、コイヘルペス、人間同士の殺し合い、人権無視として襲いかかっているのかもしれない。

いや「襲いかかる」のではなく、「当然の帰結」なんだろうけど。

そういえば、10年以上も前に日本のアチコチでウニが大量死したという話を取材したことがある(ような気がする)。この流れの走りだったのかしらね。

アメリカにいたときも、猟で穫れた鹿を食べて病気(鹿にもBSEに似た病気がある)になって死んだ、って話をちらりと聞いた。もちろん狂牛病の症例が出る2,3年前ってことだけど……。

じゃあ、どうやって日々の暮らしの中で自然と関わっていくか、ってことだよね。とりあえずは田圃をお散歩……?? 友だちがやってる自然農法の畑にもまた行きたいな〜。

♪♪♪♪♪♪♪

たしか高校生か大学生のころ、おなじように新幹線から外を眺めて、「なぜこんなにもたくさんの人間がいるのに、誰も『革命』を起こさないんだろう?」なんて考えた。その時の革命はロシア革命、フランス革命のイメージだったが。

いままた、革命を起こそうと思ってる。でも、今度は自分のココロから始める。自然と繋がり、カラダやココロと繋がり、自然体でいること、流れに乗ること。

革命の中身は違うけど、むかしから革命好きなのかしらね。だからショスタコも(^^;?? 来週は五番の演奏会!!

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2004.2.7(土)仙人暮らし

どつぼに落ち込んで、2カ月以上が経っている。でもまぁ、出かけるし、散歩するし、楽器も弾くし、ホームページに日記も書いてるし、そういう落ち込み方なんだけど。

越智啓子さんの本を読んだというメールをいただいた。すごく落ち込んでしまうとき、その人は光の働き手(ライトワーカーだな)であり、同じような霊に光を送ってあげているのだそうだ。

本人も苦しいし、端からもなんにもしてないように見えるかも知れないが、そうじゃない。そうなんだ。うれしいよね。

♪♪♪♪♪♪♪

母に電話をした。このまえ、「風邪ひいた」と言っておいたので、「風邪はどうなの?」と聞いてきた。「うーん、まだ……」。

すると、「やぁねぇ」だって。

だるかったり、アチコチ痛かったり苦しんでるのに、そのうえ嫌味を言われて、叱責されて……世話ないよ。

ああ、でもだから、さまざまな人生の不具合や不都合をこの人に相談するってことができないんだ。ほかの人に言うのも苦手だし、さしのべられた援助の手をふりはらって、かえって腹を立てるんだ。

だから「頑張ってください」「ダイジョウブですか?」「期待してます」の言葉に嫌悪をおぼえ、「こうするといいですよ」「これはお薦めです」「ミテさんの気に入ると思います」と言われて怒り狂ってしまうのである。……理不尽なのは重々承知。心の傷ってそんなものだ……理性や知性ではどうしようもない……。

ほんとにやぁねぇ! うちのヤァネェオバハンは……。と文句を言っても始まらないので、このインナーチャイルドに目を向けよう。

♪♪♪♪♪♪♪

それにしても具合わるいなぁ、ビョウキかしらん……と不安になったら夢を見た。「大きな災害を食い止めるグループに入っているから、エネルギーをたくさん使い、くたびれてしまうのです」だって。

じゃあ、しょうがないか。トラウマがあるほど、消耗も酷くなるそうで、やっぱコツコツと自分を知って、受け入れていく必要が。

♪♪♪♪♪♪♪

落ち込んで低空飛行の時、どうしようもなく不調の時というのは、同類の霊に光を送っているだけではなさそうだ。いつもより深く深く物事を考え、眺め、気づきを得、または怒りを手放しているように感じる。顕在意識ではわからないし、自分で意図しているわけでもないけれど。

人に会うことも少なく、活動レベルが低いから、紛れることなく自分の影に向き合っているんだろうな。

すこし気力が湧いてきて、そしたら自分がちくと変化してるって感じた。

冬眠、休眠、脱皮、引きこもり、隠棲、遁世、人里はなれて山籠もり、仙人暮らし……なんでもいいけど、いいものだな。

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2004.2.9(月)変でこそあれ

「わたしは傲岸不遜。傲慢だ!」

と、昨日イキナリ(といっても、いろんな出来事が重なり合って、徐々に導かれてきたんだろうが)気がついて、ああ、もうこんな私は恥ずかしくて生きていてはいけない、とがっくり落ち込んだ(またかい(-o-;!)。

「私が正しい」と思う。「私は知っている」と思う。人を差別する。見下す。優越感。劣等感……。

うすうす知ってはいたけれど、見たくない部分だったから、目の前につきつけられて転げ落ちる。うぉーー、ちきしょう! じゃあ、落ちるとこまで堕ちてやる!!

認めるために痛みを経験するのは当たり前だもん……。

ううう、はぁはぁはぁ……うーん、くくくく。逃げないっ!

寝床に入っても、眠りに落ちるまでに少し間があり、暖かい布団の中で体の中にわだかまっているなんかのエネルギー……ゴチャゴチャして、こんぐらかってもつれてるだいだい色の汚い……をカラダから吐き出した。

「そうしよう」と思うだけで、そのエネルギーが駆け抜けていった。何度も、できるだけ排出した。少しずつスッキリ。

♪♪♪♪♪♪♪

朝、起きて「魂の愛」(サネヤ・ロウマン著)を適当に開けると、こんな箇所だった(p.183)。

愛にゆだねるためには、怒りを手放すことが必要です。怒りはあらゆる感情の中で、変容させるのが最も難しいものの一つかもしれません。怒りは、攻撃/逃避反応の<攻撃>の役割を担っています。そして<逃避>の役割を担っているのが恐れです。……(略)……。怒りは分離感を伴う多くの感情──いらだち、優越感、自分が正しいと思い込む感情、自己憐憫──を生み出す元になっています。意気消沈もその一つですが、これは「自分自身に対する怒り」という意味です。

そうか、傲慢は怒りだったのかーー。そして意気消沈も……!!!

きのう吐き出したのは怒りだったんだねー。

♪♪♪♪♪♪♪

そしてまた、昨日、寝しなに読んだ「神との対話」(文庫版3巻、p.360)。

同一性よりも独自性を表現する、それが生きとし生けるものの基本的な本能だ。

「私は変だ」と悩むのは逆だったんだ。「人とおんなじ」「フツウ」と安心するのは逆だったんだ!! 変でいいんだ。そっちの方が「創造してるワタシ」。ただひとりの私。

早く言ってよぉ!

なんちゃって、いままで何回も読んでたのに。やっと気がついたのね。おめでとう。

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2004.2.13(金)みんな生きてる

オーケストラ・ダスビダーニャの本番当日は、大きなエネルギーボルテックス(パワースポット)に巻き込まれたようで、とても気持ちよく、楽しかった。

たくさんの、それぞれの考え方・感じ方をもった一人ひとりがひとつのステージを、ひとつの場を創りあげた。そこに居合わすことができただけでも、みんな、ありがとう!!

レセプション(打ち上げ)でジュースだと思ったら、お酒入りで、何年かぶりにちょっと酔った。いろんな人がいろんな話をしていて、ひとりひとり様々な反応を展開していて、それがセラピーやカウンセリングで「やっちゃいけない」とされていることだったりするけど、でもいいじゃん。こうやって、泣いて笑って悩んで迷って、怯えて躓いて、わかったり不満だったり、怒ったり逃げたり、そうやってみんな生きていて。

いいなぁ!

元気に笑顔で飛び回って仕事をこなしてるように見えた人が、実は深く深く悩んでいて、体調が最悪だったり……。言いたいことを少しでも吐き出せたり、それをかぶっちゃって傷ついたり……。

生きてるね! いいね!

♪♪♪♪♪♪♪

社会での成功を望んだり、お金儲けに走る人を「やだなぁ」と思っていた。価格設定でもよく「良心的」って言うじゃない? 不当に儲ける人は「極悪非道」ってイメージがあるんだよね。ビル・ゲイツとか!? まぁ、ヒガミもあるけど。

でも、そっか。その人たちは、成功してお金持ちにならなくちゃいけないんだ、って不意に閃いた。

成功するってどんなものか、お金をたくさん手にするってどんなものか、体験しなくちゃわかんない。身をもって知らなければ、次のステージに進めない。成長するためには是非とも、心ゆくまで味あわなくちゃね。

バブルで1億円以上損した友だちがいて、「けっ、テメー自慢してんじゃねーよ。ウスラトンカチが!」と思ったけど、撤回しま〜す。

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2004.2.14(土)排尿と精神世界

ダスビダーニャの演奏を楽しんだのは事実だが、前プロの「馬あぶ」ではおしっこに行きたくなって困った。用心深いワタシはもちろん、開演前にトイレに行っている。その日は特にトイレが近い、ということもなかった。不思議だ。

でもなんだか、「はは〜ん」と思わないでもない。

セラピー中ってなぜか、おシッコが近くなったりする。およそ2時間のセッションで2回、3回トイレに行くクライアントさんもあるし、ミテまで2回も行ったりする。なんだろう。

お腹がグゥグゥ、ゴロゴロ言うこともある。クライアントさんだけのときもあるし、ミテと二人してギュウギュウ共鳴(!?)してるときもある。なんだろう? マッサージを受けたとき、数時間後にお腹を下して宿便が出たことがあったけど、似たようなこと??

「ライトボディ覚醒化」の瞑想をしてるときは、お小水の色が濃くなったりもした。「毒素を出してる」みたいな説明を受けた気もする。瞑想と排泄機構には密接な関係が?? 「洗い流す」って感じなのかしらね〜??

「馬あぶ」は半分瞑想状態で聴いていたから、膀胱破裂の危機が訪れたのかも知れない。

♪♪♪♪♪♪♪

演奏会ではアンケートも書いていただくので、演奏をどう思ったか、一部を知ることが出来る。同じ会場で同じ時間に聴いても、感想はマチマチである。

ひとりひとりの受け取り手によって違うのだ、と頭ではわかっていても、批判的な意見を聞くとションボリしたり、畜生と思ったりする。

自分のことも省みてみると……技術的に劣っている演奏で感動することもあるし、高レベルの演奏水準なのに、感激できないときもある。どう感じるかは、ファクターが多すぎて分析不可能。ミッション・インポシブル。

♪♪♪♪♪♪♪

朝日が昇るのを、ひとが見るとする。美しさに感動する人、生きている感激を味わう人、感謝を捧げる人もいるだろうし、また始まる一日にうんざりする人、悲しいことを思い出して泣く人もあるだろう。

おんなじ人でも、感激する日もあれば、どうってことない日もあるだろう。一人ひとり感じ方は違い、おなじ人でも時間によって感じ方が違う。

♪♪♪♪♪♪♪

感想だの評価だのって、しょせん自分一人のものなんだなぁ〜っ、て。他人に言ってもいいけど、おしつけるものじゃない。てことは、言われて傷つく必要もないんだ……。誉められて天狗になる必要もない。その人がそう思ってくれた。その人も自分も尊重する。ただそれだけ。

♪♪♪♪♪♪♪

ミテは傲慢だから、それだけで人を傷つけてきた。でも意識では「こう言ったら傷つけてしまう」「こんなことをしたら傷つけてしまう」と考え、それを避けようとしてきた。

無意識に傷つけてんだから、ムダじゃん、笑っちゃうよ。

でも……こういうことなのかも。

自分が傷ついている人は、「傷つける」というキーワードで、グルグルしている。自分が傷つけられることに敏感で、意識では人を傷つけないように苦労する。でも無意識に人を傷つける。あるいは、わざと傷つけることを選ぶ。自分自身もなにかと傷つけてしまう。

「傷つける」ワールドにはまってるいて、それは自分がなにに、どんな風に、いつ傷ついたのか、知るまで続くんだろう。そしていつか……ほんとは「愛ワールド」にいる、ってわかるのだ。

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2004.2.19(木)底つきゃ上がる

オーケストラ・ダスビダーニャの演奏会を境に、身も心も元気になった。大きなエネルギーにふれたからかな〜。こうなってみると、あの低空飛行がウソみたいだ。

でもまぁ、なんど経験しても、どうしたら低空飛行になり、どうしたら抜け出せるのかは、わかんない。まぁ、これからもジタバタすんのはやめて、流れに沿っていこう。

♪♪♪♪♪♪♪

以前は傷ついた言葉を浴びても、平気になっていてビックリ。

もう2年くらい前、「お子さんは? 産んだ方がいいわよ」と言われて、数ヶ月引きずっていた。そのオバハンを今でも憎んでる。絶対会いたくない、と思う。こうして書いていても、動揺しちゃう。

今週になって別の人から、「子どもがいないから、暢気なのね」と言われたけど、「それがワタシの選んだ道なんです」と心の中で胸を張っていた。

こう発言したおばあさんは、許すも許さないもなく。だって別にショックじゃなかったし……。そんなら、先のオバサンも許せそうなものなのに……、不思議。

♪♪♪♪♪♪♪

あ〜あ、傷つかないでいるのはラクチンだな。

でも、ま。

また傷ついたら、素直に「傷ついた」と認めて、苦しもうと思う。「傷ついてなんかナイ!」と否定するのはもうやめだ。きっと今度はもうちょっと上手に受け入れられるだろう。

♪♪♪♪♪♪♪

と思っていたら、こんな文章と出会った。

祝福されたフランシスコが、ラ・ベルナ山の庵に引きこもっていた時、そこにいっしょにいたある仲間が、自分に喜びを与えてくれる聖書のみ言葉を何かフランシスコの手で書いてもらえたらと望んだ。その兄弟は当時、肉ではなく霊のひどい試練に遭って苦しみ悩んでいたからである。(「フランシスコと共にいた わたしたちは──レオネ、ルフィーノ、アンジェロ兄弟たちの報告記」あかし書房 p.19)

おお、「霊のひどい試練」か。

そりゃいいや。なにか必要があって起こってるのね、って思えるじゃない?

♪♪♪♪♪♪♪

今朝のお散歩では、カワセミのご夫婦がミテのすぐ目の前を横切って飛んでいった。ああ、きれいだった! 神さまの祝福。

カワセミがいるよ、と教えてくださったオジサマにも感謝。

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2004.2.20(金)口出し無用

あ、そうか。

昨日の日記に書いたオバハンとおばあさんの違い。おばあさんは「子どもがいないから、暢気なんだ」とただ感想を述べただけ。だからオッケーで、オバハンは「子どもを産め」と押しつけたから、許せないんだ……。

烏の勝手でしょ! 口出さないでよ!!

♪♪♪♪♪♪♪

大学時代の友人MLで、ひとりが沖縄への移住を表明した。するとひとりが「逃げたいしがらみがあるのでは?」と質問。

読んだとたん、「あんたの知ったこっちゃない!」とまず心の中で激しく反応してしまった。

そして少し冷静になって、「むむ、そーか。発言者こそ、逃げたいしがらみがあるんだろう」と気がついた。しがらみに苦しんでいるからこそ、そういう思いが浮かぶわけだ。

とすると、わたしの場合は??

構うな、大きなお世話だ、ほっとけ、って思いがすごくあるわけ。

♪♪♪♪♪♪♪

だから、上記のオバハンを許せないんだ、って気がついた。

押しつけないで! 期待しないで! 干渉しないで! 好きなようにやらせて! 決めつけないで! もう操られない! 自分で決める! 認めて! ワタシを尊重して! ひとりの人間として扱って!

さけび。

♪♪♪♪♪♪♪

母が昔の写真をアルバムにして送ってくれた。2歳のワタシ。小さい。かわいい。

きっと母もかわいいと思ってくれただろうに、あれこれ母に恨みをもっていて申し訳ない、と思った。あんなにかわいかったのに、いまはこんなになっちゃって(;_;)。すまない。

一晩たって思った。

おニンギョさんみたいにかわいいけど、お人形じゃないんだ。笑顔の下でいろんなことを感じ、考えていた。喜びもするし、怒りもするし、痛みを感じるし、傷ついたりしていたのだ……。ニンゲンなんだから。

あの笑みにだまされず、涙も思い出してあげないとね。それは私にしかできないことだから。

お人形と違って、自分の意志、自分の考え、自分の感じ方をもっていた。尊重してほしい。一人前のニンゲンとして扱ってほしい。命令ではなく、押しつけではなく、決めつけではなく、愛をもって。

♪♪♪♪♪♪♪

ひとからの押しつけに怒る私は、一方で幻想を押しつけてるんだろうな。自分に。そして、ひとに。

見ないようにしてるそれに、目を向けよう。(なるべく)愛をもって。……本音を言えば、やりたくないけどな。見たくないから(^◇^;)。

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2004.2.21(土)人権尊重

「かわいい」→「が、人形じゃない」と思ったということは? 私は「かわいい」をどう捉えているんだろう。

かわいい → 自分の意志がない。 → 私の意のままになる。言いなりになる。言うことをきく。反抗しない。どんな風に扱っても構わない……。

それって、やばくない? 相手の人格を認めない。人として扱わない。「ある種の犯罪者」「性格異常者」という言葉が頭をグルグル。私がそうだったなんて……。

カワイイからと誰かを誘拐したり、監禁したり、レイプしたり……、とおんなじなんだろうな。子どもを「子ども扱い」して、ひとりのニンゲンとして見ないときも、おんなじなんだろうな……。部下や患者や女性にハラスメントする、つまりひとりの尊厳あるニンゲンと認めない。それもおんなじなんだろうな。

ほとんど全ての人間がもっているが、あんまし見たくなく、明るみに出れば「異常」で片づけられてしまうようなこと。見たくないのも当然。でも見ちゃったよ。

おかあさん、写真、ありがとう。

♪♪♪♪♪♪♪

口出し無用、と言っても、世の中には忠告とかもあるわけじゃない? それはどうなの?

「神との対話」で、ニールが「それは厳しい告発ですね」と感想を述べたりする。すると神さまは「厳しくもないし、告発でもない。ただ観察してるだけだ。あなたがそう感じただけ」という。神さまの意図がどうあれ、ニールには「厳しい」「告発」に思えちゃう。

そうか。「小さな親切、大きなお世話」なんだ。

相手がどんなに親切でも、わたしにどんなにタメになることでも、私にとっては「口出し」「大きなお世話」「押しつけ」「攻撃」「批判」「非難」としか映らない。

どうしたらいい?

あ、そうか。どうもしないんだった。ただ、静かにそういう自分を認める。それだけなんだよね? (ガイドだかマスターだか私だかが「うんうん」と言っている)。

♪♪♪♪♪♪♪

帰国してからの低調ぶりを「帰国ショック」「逆カルチャーショック」と呼んでいたが、ひょっとしたら「首都圏ショック」なのかも。九州から帰ってきた友だちも、なかなかなじめず苦労してるというし。

高校一年の時、広島から川崎に帰ってきた。一大変調を来した。人生も人格もガラリと変わってしまったようだった。

そしてアメリカから藤沢に帰ってきて、もう青息吐息。

首都圏だからショックなのか、それとも産まれた場所だからショックなのか。産まれた場所は東京・大森。肉体をまとったとき(産まれたとき)、「ああ、窮屈だ、やっぱやめときゃよかった、死ぬ〜、くるしい〜」と思ったのかもね。

産まれたところに戻るたび、そのときのショックを繰り返す??

かもねーー。

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2004.2.26(木)正直な気持ち

またまた「神との対話」(文庫版3巻、p.512)から。HEBっていうのは、ニンゲンよりももっと進化した存在たちのこと。

HEBは自分の感情も他者の感情も知っている。誰も感情を隠さない。そんなことは自滅的だと知っているから、感情を隠しておいて、誰もわかってくれないと文句を言うなんてことが理解できない。

そうなんだよ。わかってもらうためには、自分を説明しなくちゃ……。そう思って正直な気持ちをあるメールに書いたの。でも、そのあと、「ホントに良かったんだろうか……」なんて悩んでる。ネガティブな気持ちも書いてしまったから、相手を傷つけてしまっただろう……と。

わたしたちだって、うまくいくことを「正しい」と言い、自分にとってうまくいかないことは「間違っている」と言うんでしょう?

あなたがたは、そういうレッテルに罪悪感や恥辱感をつけ加え──これもHEBにはわけのわからない考え方だ──(略)──。

そうなんだ、なんか罪悪感を感じている。それって進化した人たちには、わけわからない……んだ。合理的じゃないこと……なんだろうな。

たとえば人間の社会では、正直に気持ちを表すことは「間違っている」とされることが多い。HEBは決してそうは考えない。どんなコミュニティでも集落でも、感情を正確に伝えあうほうが暮らしの役に立つからだ。(p.514)

そうか、私もまんまと人間社会の考え方に染まってるんだ。そりゃ、当たり前か(-o-;。人間社会に生きてルンだから。だから、正直に気持ちを表したことを「間違ってる」と感じ、おまけに罪悪感をヒシヒシと感じてしまっている。

私が伝えた正直な気持ちは、「この部分は受け入れられない」だった。もし隠し続けていたら……私は怒りを爆発させたり、あるいは怒りを自分に向けて崩壊しかけたり、いきなりその人との関係を絶ってしまっただろう。その方がもっと、傷つけてしまう……。そう考えたんだった。

それに「隠してる」つもりでも、不思議なことに相手になんとなく伝わってしまう……。ハッキリと意識できないかも知れないけど、そういうことがある。経験としてそう思う。

いずれにしても、感情を隠すのは不可能だろう。HEBは他者から「振動」を受けとるから、感情は簡単に伝わる。HEBは他者の思考や経験を感じとれるのだよ。

HEBならずとも、ニンゲンでもオボロゲには伝わる……ってことだよね。

気的過敏体質ってのは、振動を受け取る機能がもうちょっと進化してる人間なのかも。「気的過敏体質だから、人生が辛い」と言われることがあるんだけど、機能が進化してるのに、考え方は人間のママだから辛いのかもね。

高度に進化した存在は次の二つをする。

 1 充分に観察する。
 2 真実を伝えあう。

彼らは「何が役に立つか」を見抜いて、「ありのまま」を言う。これも、小さいが根本的なちがいで、地球上の人生をはかり知れないほど向上させるだろう。(p.513)

ふーむ。現状では「ありのままを言う」ことに罪悪感や恐ろしさを感じている。でもそんな必要はないのかも知れない。とりあえず自分の感情の動きや、考え方をよく観察してみよう。

神さま、ありがとう。おわかりだと思いますけど、またいいタイミングでメッセージをいただきました。勇気づけられた感じ。

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