2004.3.30 更新

2004.3.2(火)ビョーキ!?

「職場で倒れて、病院へかつぎ込まれたトコ」

「だれが?」

「ぼくが……」

「なにぃっ!?」。

ダンナから電話がかかってきて、慌てて病院に行った。

(会社から付き添ってくださった方が脇で笑っていたそうだ。「倒れてかつぎ込まれた」。あながち間違いではないけど、さりとて、そこから連想されるような事態でもない(^◇^;))。

気持ちの一部は冷静で、一部はいろいろグルグル考えている。「自分で電話をするぐらいだから大したことないんだろうな」。

すると「ほんとは脳出血で、これから急激に悪化して意識を失い……」という考えにとりつかれる。そうして死んでしまった同僚の知り合いがいる。そういえば、電話では詳しいことは何も聞いてない。アホだ。

「ひょっとして脳腫瘍かなんかで、……」。職場で倒れて、病院に運ばれ、脳腫瘍とわかったものの、そのまま亡くなった友だちがいる。

♪♪♪♪♪♪♪

「悪いことばかり、考えるモノだなぁ」とどこかで思っている。「不安ではないなぁ」と思いつつも、「待てよ」と観察していると細い糸が球形になったようなかすかな不安が胸にある。意識してみると、やっぱり不安なのだ。「不安の中にどっぷり浸かっていよう」「紛らわしたり、逃げたりしない」。

なんとなく足もフワフワする。「地に足をつける」と思ってみる。

♪♪♪♪♪♪♪

「今朝はなんでもなかったのに〜」と考え始める。ああ、あの幸せをもっと大切にすればヨカッタ。もっと優しくしてあげればヨカッタ。

なんだか「後悔」している。

「むこうの両親に連絡しなくちゃ。電話番号どこだっけ? かけるのやだな」「生命保険ってどうなってるんだっけ?」「引っ越さなくちゃ」「仕事をどうしよう」。起こってもいない最悪の事態を想定して、現実的なことを考える。

♪♪♪♪♪♪♪

もう診療も終わった時間で、ガランとした診察フロア。内科の処置室にダンナが寝ていて、「どうしたの??」「わかんない」。

コートとカバンを持って来てるから、それだけの余裕はあったわけだ。

お医者さんが来て、「どうしました?」と聞く。あれれ? 電話が来てからだって、もう30分は経ってるだろうに、今ごろ診察なのかな。外で待っていると、別のドクターが来て説明してくれた。「めまいと吐き気があって動けないというので、入院も勧めてるんですが……。検査の結果には異常が見あたらないので、神経内科の先生に診てもらっています」。

丁寧だ。会社の病院だから? ほかにもう患者さんがいなくて、先生も余裕があるから?

「白い巨塔」とはちょっと違う。

♪♪♪♪♪♪♪

しばらくして神経内科のお医者さんから説明があった。「脳腫瘍、脳出血などの兆候はありません。これからMRI で確認しますが、良性発作性頭位性眩暈症だと思います。本人には辛いでしょうが、命に別状はありません。敢えて眩暈を起こすような姿勢をとってリハビリしてください。僕もなりかけたことがあるんですよ、これ」。

繊毛の上に小さな石が乗っていて、頭の向きが変わると、毛の向きが微妙に変わる。そうやって人間は姿勢を保っている。で、この小さな石が一個、ころりと落ちてしまった。繊毛の絨毯を石が勝手に動いちゃうので、眩暈が起こると言われているそうである。

♪♪♪♪♪♪♪

看護師さんと3人でMRIまで行く。ミテはどうもMRIが苦手なので、遠く離れた廊下で待つ。「核磁気共鳴」と聞いただけで、暗示がかかってしまうのか、頭痛、眩暈、吐き気がする。からだがフワフワと変な感じで、胸苦しい……。

エネルギーに過敏だから、そういう症状が出るんだ、と思っている。

すぐに結果の画像が出て、あらためて異常がないと確認できた。それにしても目ン玉ってでかいんだなぁ、なんてアタマ輪切りの画像を見て思う。せっかくだから持って帰らせてくれれば、心ゆくまで眺めることが出来るのに。

♪♪♪♪♪♪♪

吐き気止めだけもらって、無罪放免。タクシーで家に帰った。なんとも刺激的な夜。体重も減って、万々歳! そういえば、みんな親切だった。感謝。

♪♪♪♪♪♪♪

「生と死」をつねに考えて暮らしてるつもりだけど、やっぱイザとなると違うものだなぁ。まだまだ自分の知らない自分、いろんな不安、恐怖がある。頭で考えるのと違い、体験すれば、ものの見方も振る舞いもちょっと変わる。

いい経験になった。

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2004.3.8(月)器量

「ご自分と戦ってらっしゃるのですね」とメールをもらい、「戦いはやめたんです。静かに見つめる、受け入れる。すると消えていきます」と返事をした。

でも「違うっ! 違うんだぁっ!」と過剰反応していたので、まだ自分の中に「戦ってる部分」がいっぱいあるんだろうなぁと思った。

♪♪♪♪♪♪♪

新しく英会話学校を見つけた。学校というか、サロンかな。先生ひとりに、生徒が最多で8人。知らない人と数十分をすごす。

いちいち心の中で、「自分はこの人よりしゃべれる」「この人には負けた!」とやっている。「負ける」と悔しいとも思うけど、なぜか「恥ずかしい(>_<)」と思ったりする。

おお、やっぱ比較して、戦ってるじゃん。「いいよいいよ」と自分に言った。比較して戦っちゃうのがミテなんだから、それでいいと認めてあげよう。

はっ、わかった!!

ミテの現在の英語力は「いまもっている力」だけ。それ以下でもそれ以上でもない。もっとしゃべれるフリをしたとしても、フリはフリ。知らない単語は知らないし、知らないフレーズは知らない。

いまはこれで精一杯。それを恥ずかしがることはない。いまの力を認めてあげて、知らない単語は覚えればいい。また勉強を続ければいい。

なんだ、簡単なことじゃん。

比較したって役には立たない。「できない」とこだけ取り上げて嘆いたって、しょうがない。百害あって一利ナシ。

♪♪♪♪♪♪♪

お天気キャスターでおなじみの倉嶋厚さんのご本「やまない雨はない ── 妻の死、うつ病、それから…」(文春文庫)を読んだ。奥さまを亡くされて、「ああすればヨカッタ」「こうすれば……」とご自分を責め、うつで入院。どん底を経験して、こう思う。

今でも妻には申し訳ないことをしたと思っているけれども、人にはその人の器量というものがあります。そのなかで精一杯やってきたのです。それで足りなかったとすれば、要するに人間が小さかったということ、それが自分の限界ということです。つまり、「俺は俺なりにやったんだぜ」ということです。(p.207)

♪♪♪♪♪♪♪

いろいろ後悔することがある。セラピーを断ったり、メールをお断りしたり。ケンカ別れした人もいるし……。思い出すと恥ずかしいことがいっぱい。

どうしても自分を責めてしまう。でもそのときの自分の器量はそれだけだった。できないことはできない……できるフリをする余裕もなかった。ない袖はふれなかった。一瞬一瞬、それでも精一杯悩んで迷って、そのときの最善だった、のかも。

♪♪♪♪♪♪♪

「満足したら、そこで進歩がとまる」という考え方もあるけど、違うかもね〜と思う。いまんとこまだ直感だけど。

♪♪♪♪♪♪♪

ノースポールとリナリアとネメシアのタネをまいて育てた。ネメシアを定植したけど、様子がヘン。どうもノースポールらしいのだ。ノースポールはノースポールになってるし、リナリアもリナリアらしい。うーむ、ネメシアはどこに行ってしまったのだろう……。

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2004.3.9(火)ほんとは意地悪

違う新聞が入ってることがある。販売店が2種類扱っているから、ときどき間違える。その都度電話して、もってきてもらう。

はじめのころは、すごーく腹を立てていた。立つモノは立つ……もちろん抑えちゃっていたんだけど。

なんでだろう。いまは平気だ。怒んなくなったら、すごく気分が楽。

「あれあれ、また怒ってるよ」と自分で認めてあげられるようになったから?

♪♪♪♪♪♪♪

元気になると、不元気なときのことを忘れちゃう。なんでだろう。まぁ、いいか。

♪♪♪♪♪♪♪

「ミテクル」という名前を決めたとき、ミテクルの絵も決めた。いまでも署名に使ってる。当時は聖書研究会でつるんでいたので、天使ってコトにした。仲間はドジエル、マッテル、ヨリエルなどなど。

ミテクルはイジワルな顔をしてる。天使なのに意地悪なんていいじゃないか、と思ったのだった。私自身はブリブリに「いい子」してたのに、潜在意識がささやいてくれたんだろうなぁ。

ホントハ アンタ イジワル

イジワルを隠して「いい子」してくのに、すごくエネルギーを使った気がする。

意地悪を受け入れるまで30年もかかったんだなぁ。で、いじわるに振る舞うにはもっと時間がかかりそう。あはは。心のまま、ありのままでいられるようになるのに、こんなにも時間が。

心の枷をはずす作業は。

♪♪♪♪♪♪♪

「いい子」を演じてるとき、自分では「完璧ないい子」のつもりなんだけど、ほかの人に地がばれてないか、といえば心許ないよね。

ずっと茶番だったのかのぉ。

♪♪♪♪♪♪♪

去年よりは、庭をやる気になってる。去年より慣れてきた。

考えてみると、「手が汚れる」ことが嫌いなんだよね。手がどろんこになったり、挽肉の脂まみれになったり。なんでだろう。まぁいいや。

どうせ毎日手はどろんこだもん。手荒れし放題。

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2004.3.15(月)びくびく

庭をほじくっていたら、ミミズを発見! おお、ついにミミズの住むよい土に!? 一匹だけだけど、嬉しい。

しかしながら、でんでん虫といいミミズといい(どっちも大学で解剖したなぁ)、どうやって我が家へ?? アスファルトの道を渡ってきたのだろうか???

♪♪♪♪♪♪♪

「油が部屋中にはねるからって、揚げ物をしない人がいるのよ。バカみたいね」と母が言った。わたしは小学生くらいで、料理には興味もなく、揚げ物がどのような位置を占めるのか、どのような手順で作られるの知らないし、ふーん、そうなのか、と思った。でもいま、揚げ物なんかしないよーん。買ってきて食べるけど。

「防腐剤で腐らない食べ物を、便利でいいって人がいるんですって。バカじゃなかろか」と母が言った。料理に興味のない、ただ食べるだけの中学生のわたしは「ねぇ」と相づちを打った。

このまえ地元のお店で豆腐を買った。いつもの豆腐より足が速かった。食べ物は腐るんだった、と今さらながら思った。腐らない便利さにどっぷりだったのねぇ。

母が「バカだ」とあげつらってた人になっちゃったよ、わたし。あんまり人んこと、ばかばか言わんといて。

♪♪♪♪♪♪♪

いつも誰かに怒られるんじゃないかって、ビクビクしながら生きてるって気がついた。小さくなって、萎縮してしまっているのだった。

楽器を弾いたら、「うるさい」って怒られるんじゃないか。

練習室を使ったら、「下手くそは早く譲れ!」って怒られるんじゃないか。

電車でゆったり座ったら、「邪魔だ」と怒られるんじゃないか。

変なトコで車のUターンをしたら、「邪魔だ、違法だ」と怒られるんじゃないか。

庭を草ぼうぼうにしておいたら、「だらしない人だ」と怒られるんじゃないか。

庭をいじりすぎたら、「返すときは『原状回復』と言ったはずです」と怒られるんじゃないか。

道のゴミを拾ったら、「偽善者」と怒られるんじゃないか。

レジでお金を出したりしまったりにモタモタしたら、「遅い!」と怒られるんじゃないか(それでお金払うの苦手なのか!?)……。

常に……あらゆる瞬間に……なにをしているかにかかわりなく、ビクビク。

そりゃあ、人生大変だわ……。かわいそうだったね、わたし。

♪♪♪♪♪♪♪

健康診断の補助が出るという書類が、ダンナの会社から送られてきた。どういう手続きをしたらいいんだろう。説明を読もうとしてパニック。「ひーん、わかんないよぉ」。するとダンナが「ステップをいっぺんに一つだけ、見るんだよ」。

いっぺんに全体を理解しようとしてパニックになるんですね。

自閉症の子どもを描いたマンガで、あ、そういえばテレビドラマでも「この子(人に)なにかを伝えるときは、一度に一つずつ」って。自閉症に限らず、情報がいっぺんに入ってくるとパニックする人は多いかも。

一個一個、丁寧にやる。「のろい!」「ぐずぐずするな!」「さっさとしなさい!」という心の中の罵声には「はいはい」とテキトーに返事して、ゆっくり片づけることとしよう。

もともと、のろまなんだもんね、ミテ。

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2004.3.20(土)迷惑な存在

「怒られる! ビクビク(>_<)」ってことは、

「これをしちゃイケナイ」
「これをしなくちゃイケナイ」
「こうであってはイケナイ」
「こうでなくっちゃイケナイ」

……ってすごーくたくさん「イケナイ」があるからなんだろうなぁ。

♪♪♪♪♪♪♪

その中に「私からメールしてはイケナイ」「電話してはイケナイ」っていうのがあって、「私なんかのメールや電話は相手に迷惑」って思ってしまう。だから返事はするんだけど……。

ある人と会うことにしていて、でもミテのメールが迷子になって、当日になっても待ち合わせ場所・時間が決まらず、会わずにしまった。返事来なくておかしいな、と思っていたんだけど(相手もそう思っていたそうだ)、問い合わせたら迷惑かと思って。

♪♪♪♪♪♪♪

だから最近、友だちに誕生日カードを送って、「うれしい」と返事が来て、とても嬉しかったけど、ちょっとビックリ。ミテのカードを喜んでくれるなんて??

ビックリする自分を発見して、あらためて「私の存在は迷惑」「いてはいけない」「生きていてはいけない」「存在してはイケナイ」と思っている自分に気がついた。

でも、これはきつくて、ほとんど一瞬にしてどん底まで落ち込んでしまう。死んでしまった方がいいんだ、という気持ちがどんどん湧いてきて、もうにっちもさっちもいかなくなった。

♪♪♪♪♪♪♪

こんなとき、人は死んでしまうのかなぁ……。

♪♪♪♪♪♪♪

あっぷあっぷしながら、どこかで「ただ見つめよう」とも思い、少しずつ脱してきて、そういえば存在を消すなんてできないんだったなぁ……と。

この肉体は消えても、私という存在は永遠にあるんだもの。

だからどこかには必ずいるはずだし、なにごとにも偶然はないとすると、いまここにいて、それがどんなに居心地が悪くても、なにかの意味があるんだろうし。

まぁでも、どん底の時はだれがなにを言ってくれても、それはとても受け付けられないよね……。自分で何かに気がつくまで。

♪♪♪♪♪♪♪

きのうはサイバラ(漫画家・西原理恵子さん)の「毎日かあさん」の発売日。早速買って、東京に出る電車の中で泣いたり笑ったり。ミテはサイバラ・ファンなのだ。

すると東京の町でサイバラご一家(鴨ちゃんもいた)とすれ違った。ドキドキ……。偶然はないって? これも? 涙、出そうだよ。

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2004.3.21(日)こわいから

「自分からはメールしない、電話しない」って原則を、実はこのごろちょっと見直していたのだった。だれかのことがしきりに思い浮かぶとき、その人にメールをしてみたり、お誕生日にカードを送ってみたり。

いわば禁を破ってみたところ、「自分は迷惑な存在だ」という気分に逆襲され飲み込まれたのだった。まるで「こんなことをして(自分から連絡を取って)、ほんとうにいいんだな!?」と駄目押しをされたみたい。

「うん、いいんです」っていうほどの覚悟があるのか。試されているような感じ? 抜け出そうとすると、いっそう強い抵抗を受けるんだ。

♪♪♪♪♪♪♪

そんなこんなの昨日読んだ「神との友情」(上巻 p.180)

どれだけ多くのひとが、「どうせ自分なんかだめなんだ」という罠や、「自分が認められるはずがない」という思いこみにこり固まっているか知ったら驚くだろうね。

ああ、神さま!

「どうせ自分なんか……」って思いは、たしかにいろんな機会を潰してる。これは謙遜ではなくて、破壊だ。

「どうせ自分なんか」「自分は迷惑」はまた、身を守るための鎧でもあるんだよね。拒絶されたら? 怒られたら? 嫌われたら? 変な人だと思われたら?

人と関わらなければ、傷つくこともない……。そう思うから。

♪♪♪♪♪♪♪

「怒られる(>_<)」といつもビクビク怖がっているから……人生が辛い。

「救急精神病棟」(野村 進 著、講談社)にこうあった。タクシーの運転手さんが「あそこの入院患者は怖い」と言う。でも、ほんとうは患者さんの方が恐怖のただ中にあるんだ、って。

サイバラの「毎日かあさん」には別れたダンナ・鴨ちゃんへの言及もあった。鴨ちゃんは「会ったときから酒乱だった」。鴨ちゃんの中にはコワイモノがあるんだ、って。

きっと鴨ちゃんがコワイモノと、私がコワイモノは違う。ひとりひとりなにが怖いのか、趣はきっと違う。

でもその怖さが、人生を辛くする。ある人は酒を飲み、ある人は仕事におぼれ、ある人は命を捨てる。そのコワイモノに向きあうまで、それがなにかわかるまで……。

♪♪♪♪♪♪♪

とくに大学のころ、ときどき燃え尽きていた。雨の中、濡れるにまかせてさまよい歩いたり、発車間際の電車に飛びのってドアに挟まれたり。車に飛び込みたくなってしまったり……。

自分を壊そうと思ったのではなく、もうエネルギーが空っぽ。にっちもさっちも行かなくなって、なにもかもどうでもよくなってしまったのだった。

でもなんで自分がそういう行動をとるのか、よくわかってなかった。いまならわかるな。

「××してはイケナイ」「○○しなくてはイケナイ」にがんじがらめになって、自分じゃない者であろうとして、生きる力を使い果たしてしまったんだね。

カラクリがわかってよかったよかった!

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2004.3.23(火)うつ、ね

がんじがらめで弱っちゃう、っての、すごくうまい表現に遭遇した。新聞で見つけたのだ(毎日新聞3.22夕刊「売れてます ほんの森」【新書で読み解く うつ病】)。

『うつを生きる』(芝伸太郎著・ちくま新書・680円)は、日本人にとくに多い「メランコリー親和型うつ病」を、社会、倫理観などさまざまな角度から解剖した。「きちょうめん、仕事熱心、堅実、清潔、権威と秩序の尊重」という性格のひとがかかりやすい病で、著者は「平凡な日本人としての生き方を貫こうとするが、それがあまりに徹底しすぎて、行き着く先が<メランコリー親和型うつ病>なのである」と指摘。

そうそう。もともとはそういう人じゃないのに、そうなろうと無理するから……。自分を殺してるうちに、ほんとうに自分を殺しかねない。

少なくとも祭りがあればね。でも、ないし。

♪♪♪♪♪♪♪

昨日は寒かった。芽を出したミヤコワスレやユリはびっくり、かな〜。

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2004.3.25(木)窮屈な国

新聞で外国人の投書を読んで、「そうそう! その通り!」と膝を打ってしまった。来日して2年になるという姜尚希さんは「日本人は他人に気を使い過ぎる」と言う。

お母さんが「他人に迷惑だから」と子供をしかるのもよく見る。子供はあんなに注意されたら消極的になりがちだ。自由奔放にさせた方がいい。(毎日新聞2004.3.24付朝刊「みんなの広場」)

「他人に迷惑」がいきすぎて、メランコリー親和型うつ病に行き着くんじゃないかな〜。きっと昔は「もちつもたれつ」の関係があって、そのうえで「他人に迷惑にならないように」があったんだろう。いまは基本の人間関係がなくなって、単に「迷惑だから」が残ってしまって。それが人と人とを遠ざけ、周りにどんなにひとがいてもみんなが孤立して、うつが花盛り……。

迷惑をかけないようにと心を砕いてるから、いい社会かというと、さにあらず。なんだかここは生きにくい。帰国して感じる、なんともいえない窮屈さ。息苦しさ。閉塞感。

アメリカでなにがよかったって、解放感。困ることもあるけれど、あのいいかげんさ! てーげーさ! 停電だってフツウだから、ま、しょうがない、ですむんだよね。

坂本龍馬は自由な人で、だから人によっては「不作法なヤツ!」と感じたそうだ。たしかに庭でおしっこされちゃあ……(^◇^;)。「迷惑帝国」で自由に振る舞ったら、当然そういう軋轢は生じるよね。

いつか日本から抜け出したいなーー!! 「迷惑帝国」「イケナイ帝国」に自分を閉じこめてるのは、ほんとうは自分なんだけど……ね。

♪♪♪♪♪♪♪

英会話の時、おみおつけと納豆が嫌い、と言ったら、「ほんとに日本人〜!?」とガイジンと日本人に驚かれてしまった。

おみおつけ、「見るのもイヤ」というわけではなく、あれば口を付けるんだけど、「おいし〜」と言ったりもするんだけど、気がつくと最後まで残ってる。子どものころはよく怒られてた。残すな、と。泣く泣く食べたが……。

その反動で(?)、いまはおみそ汁なんて作らない。スープを食べてる。

♪♪♪♪♪♪♪

不調のミテに「霊的な問題では?」と言う人がいた。そういうのだいきらいです、と返事したら、その後、なんだかミテはいい感じ。いままではそういうこと伝えるのはイケナイ、と思っていたから、これまた解放感なのかもね。

人間は霊的な存在。肉体にいる間はほんとに一瞬なんだろう。でも、肉体にいて日々、貴重な経験をしている。なにか問題があるのなら、肉体にいる存在として解決したい。

霊的な面から解決したいという人は、それはそれでいいと思う。でもそう望んでない人に「霊がどうの」と言うのはどうだろう。

霊は憑いていて当たり前。類友で集まってくるというから、自分の考え方や思いこみを見つめた方がいいんじゃない? 解決できたら、オトモダチも光に還っていけるだろうし。

♪♪♪♪♪♪♪

「いつも元気でありますように」とある方に言っていただいた。ふーむ、そうかもしれないが……自分がどう感じているか点検してみた。たしかに不元気なときって、辛いけど……「病めるときも健やかなときも」自分を慈しんであげたいなぁ。不安や動揺も、自分を知る手がかりになるから……おそらくウェルカム。

「自分は迷惑な存在だ」「ここにいてはいけない」「生きていてはいけない」という思いこみにどっぷりつかって、行くトコまで行ったら、なんだか心が軽くなってきたもの。

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2004.3.26(金)もっと気軽に怒!

つまりこういうことなのだ。

なにか問題があるとする。それは霊的な問題であり、同時に肉体的な問題であり、精神的な問題でもある。だから、どの面からアプローチしてもいい。それは本人が選ぶ。

「それは霊的な問題です」と誰かに告げる。誰だって霊なのだから、それは当たり前のことだし、そういう意味では当たってる。けど、多くの場合、言われた人は恐れ怯える。霊なんて特殊なことだと思っているから。そこにつけこんで、相手を脅してコントロールしようとする人もいる。

そんで腹が立ったのね。

以前うちに来た浄水器売りや換気扇フィルター売りとおんなじだから。脅して売る。

(……モノでつる新聞屋さんもどうかと思うが。読み比べて新聞を選ぶ人なんざ、そうそういないのかのぉ)。

♪♪♪♪♪♪♪

問題だと思うから問題なのであって、問題だと思わなければ問題じゃない……。

はは、あたりまえか。

♪♪♪♪♪♪♪

「だいきらい」とか人に言っといてなんだけど、言ったらそれですんだかんじ。スッキリ。

以前は「怒ったらオシマイだ」と感じていた。もう絶対許さない! 二度と顔も見たくない! 信じられない! 極悪非道! 人非人! バカ! キチガイ! 人間のくず! くそったれ! 女の腐ったようなヤツ(おいおい(^^;)!

うちの両親って、怒りを抑えて、ためにためて、そのうち爆発して、そしたら兄弟姉妹と義絶も辞さないって人たちだから、その子どもである私がこう思っていたのも無理はないかも。「そういう人とはおさらば」と。

怒ったら最後である。だから抑える。だから大噴火まで行っちゃう。だから怒ったらすべてがオシマイ。The End。だからよほどのことがない限り、怒っちゃいけない。だから……ためにためて怒り心頭に発し……((1)に戻る)。

もっと気軽に怒っていいんだな。そして、そのあともその人との関係は続いていく……。泣いたり笑ったりいろいろあるうちの、ただのひとつのイベント。

その怒りが、脅しの道具として使われるのでない限り。人に言うことを聞かせよう、相手をコントロールしようという目的でない限り。

怒りはタダの怒りなんだ……!!! ただの感情。感情の一つ。

大発見。いままでいろんな言葉、いろんな表現で聞いてきたことがやっとわかった! それもイキナリ。なんてこった。

問題は……以前に腹を立てた相手には、当時の感情がそのまま姿焼きにはりついていることだな。ぬらりひょん、ゆるさねぇ(ブルースワットのショウの感じ)!! 反吐が出らぁ。……心の仕組みは面白いのぉ。

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2004.3.29(月)フツウ

「『だいきらいです』とメールしたら、絶交されちゃった。どうして怒るのかなぁ?」とダンナに言ったら、「そりゃぁ、フツウ怒るよ」だって。

すっきりして、すっかりできごとを忘れていたので、なんだか不思議。

「だいきらい」というのはただの好悪なのに、雑言とも言われちゃうし。なんだか面白い……とちょっと思ってる。でもまぁ、半日ぐらいはうじうじ落ち込んだ。

怒られたり絶交されたりして落ち込むのは辛いから、やっぱり怒るのはやめる? いや、爽快感の方が大きいなぁ。パッと怒って、すぐ忘れる。遺恨も恨みも後悔もなし。ぐじぐじと誰かを恨んでるのって、自分でもうっとおしいし、苦しいもんだよ。抜け出すのも大変だしね。

まぁ怒りをナマでぶつけちゃったのは、へまだったな。こんどは抜かさずに飛んで見せます。

♪♪♪♪♪♪♪

表面上は和やかだけど黙って憎み嫌い恨み続けてるのと(東先生と財前五郎か!?)、いっときイヤな思いをしても怒りや憎しみを表現することで手放し、おたがいの理解を深めるのと、どっちがいい??

な〜んていままでは、怒り狂って絶交がお得意だったので(怒りを抑えて溜めてしまうと、荒れ狂う怒りになってしまう。「腐ってやがる」って感じ)、なんたる変わり様。なんでだろう? 「きぃ〜〜っっ、悔しい〜っっ!!」てのがずいぶんと消えてなくなった。

まぁでも、「だいきらい」と誰かに言われたらやっぱショックかなぁ。怒り狂ったりして!

♪♪♪♪♪♪♪

今朝、山川さんのメルマガに、すごく勇気づけられた。うれしかった。

紘矢・亜希子の自由気ままに(2004年 3月28日)

変化の時期

こんにちは、亜希子です。

(略)

このところ、大きな変化を感じている人、自分の人生を変えたいと思っている人がとても多いそうです。私もその一人で、いろいろなことに挑戦した一ヶ月でした。占星術でも星の配列が私達に変化を求めさせる配置になっているそうです。今まで地球になかった強いエネルギーがやってきて、私達の影の部分までを照らしだしている、という話も聞いています。

そのエネルギーで自分の影の部分が明るくなり、今まで見たくなくて見なかったものを見て、落ち込む人が多くなるでしょう、というお話でした。(後略)

暮れからの年をまたいだ落ち込みも、時代を先取り(?)していたわけね。よかったよかった。

落ち込みの最中は、「私は平気」「大丈夫」と思っていたし、その間会った人にもフツウに見えたんじゃないかな。でもいまふり返ってみると、生と死の狭間をさまよっていたような気もする。けっこう根元的な危機だった。

♪♪♪♪♪♪♪

町で遭遇したサイバラ一家。ダンナの第一声は「フツウの家族だったよ!」。うむ、ハッピーファミリー。鴨ちゃん、お酒飲んで大吐血しても飲み続けたり、ふらりと家を出て行方不明になったと思ったらパレスチナで石を投げてる人には見えない。サイバラもきれいだったし。

なんていうのかなぁ、人間て無意識にフツウを保とうとしてるのかも。いや、見た目じゃ人間なんてわかんない、っていうか。自殺しようって人だって、その日も前日もフツウに見えたりするのかも。いや、見る側がフツウである、と見たいのか。

♪♪♪♪♪♪♪

「フツウ、怒るよ」か。だぁねぇ。

でもきっと、これからフツウがどんどん変わっていくだろう。ミテも微豹変を続けるのだと思う。

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2004.3.30(火)風と光と地面と

新聞記事(2004年3月29日付毎日新聞夕刊「この人、この時」【作家 金原ひとみさん】)。

アメリカ暮らしは不思議な体験でした。私の心を楽にしてくれた。(略)

だから日本には帰りたくなかったんです。帰国したら今度は日本でカルチャーショックを受けました。家はリカちゃんハウスみたいに狭くて。家にいても、どこにいても圧迫感があったんです。

カナダで暮らしていた人と「日本の圧迫感で落ち込む」という話をしたばかり。私も日本は苦しかった。「海外には旅行で行っただけだけど、わかる」という友だちもいる。さまざまな世代の人から、いままで何回きいただろう。「わかるわかる」「あるある」「私も感じる」……。

ブラジルに移住したかった父も感じていたのかな。

日本の圧迫感、窮屈さ、窒息感。けして家や道の狭さ、人の多さだけじゃないような気がする。正体はなんだろう。

どうして私はそういう日本に生まれたのかな……。

♪♪♪♪♪♪♪

池袋のホテルに泊まったとき、思った。コンクリートかなんかでできてる四角い部屋。窓も開かない。機械仕掛けの風。上にも下にも右にも左にも、だれかがいる。

どんなに調度がすばらしくても、デザインがステキでも、壁の色や床材が美しくても、もうこういう場所でくつろぐことはできない。風とお日さまの光、地面や草のにおい、花や虫の姿のないところでは……。

東京に行くと疲れちゃって、熱を出したりする。ここはいやだ、とココロが叫ぶ。

ココロもカラダも、地面に土に回帰してるようだ……。

♪♪♪♪♪♪♪

変わったといえば、テレビを見てたとき。「白い巨塔」で繰り広げられる権力闘争にイライラしてしょうがなかったのに、なんだかだんだん「うむうむ、よかよか」と思うようになった。「恋のから騒ぎ」でもはいり社長が苦手で嫌いだったのに、「うんうん、いいじゃん」と思うようになった。

どこがどうとは言えないが、なんか変わってきてるよねー。

♪♪♪♪♪♪♪

「絶交ってやっぱ、こたえる」とちょっとシュンとしてる。

一方で声が聞こえる。

怒ることをそんなご大層に考えるなよ。電車の中で、だれかに足を踏まれた。「痛っ!」って叫び声をあげる。そんな程度なコトだよ。キミはね、痛いという表現もせず、「踏んだのに謝りもしない」って相手を無言で恨む。そういう生き方をしてきたんだ。楽しいかい? 心の中には怒りが渦巻いてるんじゃない?

そうだよ!! だって、怒っちゃイケナイと抑えてきて、心の中ドロドロだよ。一触即発。いい人、いい子をやってた分、溜めに溜めてるよ!

もういいじゃん。いい人、やめな。無理にとは言わない。怖いかも知れないしね。ゆっくり、できるところから。

ゆっくり、できるところから……。

苦しんでいる人は苦しみを、怒りを溜めている人は怒りを、周りにまき散らしてるんだからね。なにをまき散らしたいのか、考えてみな。

そうだね。ハッピーなら、幸せをひろめていける……。自分が平和になってはじめて、平和を広げることができるんだね。

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