2004.5.7 更新

2004.5.4(火)アメリカ!

日本に帰って以来、旅行らしい旅行をしていない。アメリカではあちこち行ってたから、ダンナは活発な人だと思っていたが、時間が限られていたから意識的にでかけていたらしい。

ゴールデンウィーク。久しぶりに出かけようということになった。

ガダルカナルに行きたい、とダンナ。仕事で関わったことがあるし、縁があると感じてる。いつかは行くところ、とも。でもなーーー、冗談半分なら行きたくないし、それはなんか不謹慎、というか。最近まで治安が悪かったみたいだし〜。またユウレイさんたちに会うことになるだろうし〜。

なんだかんだなんくせつけて、断念してもらった。気が乗らなかったんだもん。

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奈良とか京都に行きたい、とミテ。熊野もいいかなー。

でも、タバコはどうだろう、とダンナ。ミテはアメリカできっぱりやめちゃったし、けむりフリーの生活が長かった。そのせいか、ダンナはすごく敏感になっちゃって、煙が辛いらしい。禁煙席があるお店はまだ少ないし、奈良はどうだろうと心配なのだ。ミテも煙に弱くなってきたしなぁ……。

それに日本国内の旅行はすごくお金がかかりそう。海外のほうが安くすむみたい。

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ということでアメリカに行くことになった。マイレージも使えるし。

そうか〜、アメリカに行けるんだ。「帰国したら絶対に行けないところ」じゃあないんだ! 大発見!

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戦艦三笠を訪ねたら、ゆーらゆら揺れて、気分が悪くなってしまった。でも三笠は係留してあるのではなく、地上に固定されていたのだ。下船してわかった。揺れたのはミテだったのね。だれかがなんか言いたかったんだわ。

これじゃー、ガダルカナルには行けないさ。ま、そういうことで。

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今週末からアメリカです。見かけたら、声かけてね。機嫌が良ければ、笑顔で答えることでしょう(どうせそんなことはない、と安心している)。

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2004.5.5(水)不動不変の存在価値

団体行動が苦手。それを欠点のように感じていた。母、ふたりの叔母と4人で会ったとき、叔母のひとりが「団体旅行とかイヤなのよ」。すると「わたしも」「わたしも」。なんだ血なの? なら、いいや。それじゃダメだ、なんて思わなくていいんだ。

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人に評価されればうれしいし、非難されれば傷ついて悲しい。

人がどう思うか、に振り回されてきたけれど、ほんとうにそうだろうか? 人がなんと言おうが、私はわたし。わたしの価値は変わらない。言葉なんかじゃ。だれかの態度なんかじゃ……。

振り回される必要なんか、ないんじゃないかな?

誰かがワタシの言葉に怒っても、その誰かの心に「怒りの種」「怒りのボタン」があっただけのこと。怒りの種やボタンや逆鱗(!)は見つけにくいので、発見のチャンス!

ワタシが誰かに「傷つけられた」と騒いでも、ほんとうはワタシの中にある「傷の素(もと)」を刺激されただけ。傷の素は見つけにくいので、発見のチャンス! 自分を知るよすがになる。

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イラク人質事件で「いいことだ」「悪いことだ」と騒がしかったけど(いまも?)、どんなに悪口が飛び交おうが、どんなに賞賛の声が挙がろうが、彼らの価値は変わらない。そのまま不変。

悪口を言った人の価値も変わらない。ただ「悪口を言う人」ということを表現しただけ……。だから、まわりにも「そういう人」とわかっただけ。

小泉純ちゃんは「『人質は迷惑な人だ、きらい』と思ってる人」なだけ。権力もってるから、ちょっとイヤだけど……。「そういう人は収容所送り」なんてパワハラされちゃうと困るけど(「日本は民主主義」だと信じていない(^◇^;)?)。

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だからって、まだワタシは誰かの言葉に傷つくし、腹を立てる。うれしくなったり、喜んだりする。

そう感じるうちは素直に感じていようと思う。そのうち「自分の中にある、周りに左右されない不変の価値」が腑に落ちるだろうから。五臓六腑に染み渡る、だろうから。

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2004.5.6(木)お節介

線路内にだれかの免許証や銀行の振込カードなんかが数枚、散乱していた。小田急に言う? 交番に届ける? とりあえず交番に。

お巡りさんがたくさんいた。若いのが「それは小田急に言ってもらわないと……線路には入れないし」。門前払いっぽかった。するとベテランの女性が「どこですか?」と声をかけてくれ、ミテは「この歯医者さんと床屋さんの前あたり……」と場所を地図で説明する。

「小田急に言ってもらわないと」とまだ言ってる若いの。それを後目に女性が「わかりました。小田急にはこちらから連絡をします。どうもありがとうございました」とキッパリ。

むむ、おばしゃん! かっこいいなぁ。

若いのは仕事とか面倒がイヤなんだな。

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出かけるので、郵便局に行き、取り置きを頼む。用紙がでてきた。しまった、ハンコ忘れたなぁ。日本では必要なんだった。いまだに!

身分証明に免許証を提示する。本人と確認できたから、ハンコはいらない……と言いかけた係の女性。やはりベテランらしきお年。でも念のため、ほかの人に確認。ああ、知ってる! その人は細かい人だから、「ハンコいる」って言うに決まってる。

申し訳なさそうにハンコ押して、と言ったおばさん。でも封筒も付けてくださった。ポストに入れれば、郵便局まで出向かなくていいんだって。

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女性がふたりとも、颯爽としてかっこよかった。ステキだな。さわやかだなぁ。親切であったかい。

それとは別に、イライラしてない自分にビックリ。こんなときって、心の中で怒り心頭ってことが多かったんだよね。たらい回しにしそうなヤツとか、書類のどうでもよさげな不備をねちねち言うヤツとか(某大学の事務官Mとか!!)。

やれやれとは思うだけですむなんて。成長したなぁ。

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お節介、をすごく恐れている。しちゃいけない、って思ってるフシがある。ワタシなんかメイワクだから……。

友だちに出産祝いを買ったのに、「ワタシなんかが贈ってメイワクかも」とあげなかったことがある。友だちに会ったとき告白したら、「やだぁ、美穂ちゃん! 残念だなぁ」って言ってくれた。悔やんだ。

線路に落ちてた免許証も、届けるのはお節介かな、メイワクかな、なんてちらと考えた。ドキドキした。若いお巡りさんにはメイワクだったかも。でも、なくした人にはよかったよね、きっと。

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だれかになにかしたとき、お節介と思われるかどうかは、相手のその人次第なんだった。クライアントさんと話していて、気がついた。その人がイヤそうなら、それ以上は押しつけない。それでいいのかな。

もうひとつ。「お節介だからイケナイ」とか言って、人との関わりを避けようとしているのかも。人と距離を置くための口実なのかもね。

あたまのなかで「去る者追わず」というフレーズが流れているけれども……(^^;。

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2004.5.7(金)敵もサル者?

「去る者は追わず」と思って、自分からはひとにメールをしないようにしていた。ウェブを見てメールをくれた方たちやクライアントさんには特にだし、友だちにも。

でもある人のことがなんどもなんども思い浮かぶこともあり、思いきってメールをしたりもする。

そっかー、それでも返事がなかったり、やめてと言われたら、そのひとは「去る者」なんだ。メールが来ないからって、「去る者」とは限らないのかも!?

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ダンナが雑誌「SPA!」を買ってきた。「勝谷誠彦のニュースバカ一代」ってコラムがあって、「賛否それぞれいただくお便りを読むほど愉しいことはない」とある。すごいなぁ、傷ついターなんて言わないんだ。「私にとって『中傷』などあり得ず、それはそれでこういう生き物もいるのかと、珍しい昆虫でも捕まえたような喜びを与えてくれる」。

おおーーー、すごい!! 私は否定されたら、生きる気力までなくしてしまう。まだいまは……ね。でもこういう人もいるんだぁ!!

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母の批判非難・不平不満のさまを見ていて思った。批判の的になるのは、自分と違うもの。「私はこんなことはしない!」。うむうむ、なるほど。わかるわかる。母のみならず、自分も含めて多くの人にこういう傾向はあろう。

そして「自分がよく知らないもの」も標的にされるかも。

事情を知れば知るほど、「とても非難できないなぁ」って気分になったりしそうだ。遠くにあるもの、のほうが言いっぱなしにしやすいんだろうな。

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30代半ばくらいまで、ずっと両親を理想的な人間と思っていた。ほんとはごくごく普通の人で欠点もあれば美点もあり、悩んだり迷ったり笑ったりしてる人たちだったんだけど。

「親だって凡人」って気がつく機会は、ふりかえればいくらでもあった。でも目が曇っていたというか、思いっきり偏向フィルターかけてたっていうか。イケナイことや間違ったことをしでかしても、なんだかんだ理屈を付けて彼らを正当化し、理想のまま祭り上げていた。

小泉もブッシュもどうして支持率が落ちないのかナーと不思議。かつての私のように、彼らを理想と思い込んで、ありのままが見えない、ってこともあるのかもしれないなぁ。価値観の変換って大変だもんね。

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母がある日「鍛えたからだってきれいよね」と言った。その時は中学生で細かったし、バレエで鍛えていたし、ふ〜ん、と思って聞いた。

だがしかし、どこかで「鍛えていない体はみにくい、みっともない」とも思ったらしい。広島から神奈川に来てバレエ、やめちゃったし、思春期で太ったし、それ以降「自分のカラダはみっともない」って思いが染みついていた気がする。離婚してやせたときを除いて……。

でも、ひょっとしたら「きれいなからだ」「みっともないからだ」なんてないのかもしれない。どんなカラダも──太っていようが、やせていようが、長かろうが短かろうが、黒かろうが白かろうが、どっか欠けてようが余分なものがくっついてようが──すべて「美しくすばらしいカラダ」なのではないだろうか。

……などと思うこのごろ。

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