2004.7.2(金)孫子(まごこ)の代まで……
なんでも悪く悪くとってしまうことに気づいて久しい。
いままでの日記にもちょくちょく出てきたように、「メールの返事が来ないと、相手が怒ってると思う」とか、それがちょっと変化して「相手がわたしを嫌いだと思う」などなど。
相手にそんな気があってもなくても、「わたしを非難してるのでは??」と赤くなったり青くなったりもしょっちゅう。ひとりで動揺しては落ち込んだりする。
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それをちょっと引いて眺めてみる。
「世の中は冷たく厳しい」「ひとは私を傷つける」と勝手に世界を創りあげてる。腹を立てて、「この人はひどい人だ!」なんて思ってると、相手だって面白からず思い、ホントにこじれて大変な目に。
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自分が創り出した「つめたい世界」に、自分が痛めつけられてるのねぇ。
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はぁあ、ため息。そういうクセがなくなったらどんなにいいか。
それを受け入れ、認めるまでなくなったりしないと知りつつ、まぁ、直感としてはそう思うよね。
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両親が結婚したとき、姑(わたしのおばあちゃんだな)は「学者の娘と結婚させたかったのに(なんじゃそら?)、あんなどこの馬の骨ともわかんないような女と!」と母を非難していたそうだ。
叔母が話してくれた。
あのバアサンなら言いそうなことだが……。そりゃあないよね。失礼な。それに自分の息子を否定してるじゃないかぁ。
まったく、どうしてそんなバアサンができあがったのやら。
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でも彼女は死の前に、すこしずつ自分の生い立ちを父と母に語ってくれたのだ。職業軍人だった父(わたしの曾祖父)は横暴な人で、母は乳飲み子を残したまま家を出てしまったそうだ。
それだけでもショックだろうに……父親は泣きやまない乳児をさして、「おまえの乳でも含ませとけ!」と花も恥じらう年ごろの祖母に言ったんだという。
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意地悪な曾祖父のおかげで、陰険な祖母ができあがり、そのせいでまた母もイヂワルになっちゃった。父もおかげで変人だし。そりゃ、わたしも筋金入りのいじわるな変人にもなるわさ。
だけど曾祖父だって、辛いことがあったんだろうよ。そのまた親も、その親も……。
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ご先祖様の思いがギュムと濃縮して詰まったこのカラダ。おいそれとは「悪く考えるクセ」が抜けるわけないよね。
こうわかってきたら、じっくり取り組める。わたしがぜんぶ引き受けるよ。
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血統からのいただきもので、辛い人生を創ってる。だけど、それは自分がしてるんだってわかってきたからね。製造物責任は私にあるんだから、私が変える。
いつも話を聴いてくれるふーちゃん(叔母)、ありがとう! おかげさまでいろんなことがわかってきたよ。
2004.7.6(火)誉める目を鍛える
折にふれ、ネットで見ていたオーラソーマの結果を、2,3年分いっぺんに読み返してみた。すると「そんなに緊張しないで、リラックスしてね」というメッセージが浮かび上がってきた。
え、そうかなぁ。私、緊張して……。
でもそうだなぁ。それは隠すべきと思い、自分からも隠してきたのだが、やっぱりそうだ。古い友だちなんか見事にだまされていたりするが。けけけ。
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あるメルマガで「緊張の強い人は、『××すべき』『○○すべからず』という制限の多い人」という文章があった。わかる気がする。
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ワイス博士の「魂の療法」を読んで、瞑想したらすごーーく楽になった。こんなにキモチイイのなら、1日中だってしちゃう!
いままで瞑想ってどちらかというと辛く、まるで苦行。「瞑想はこうであるべき」ってのが私の気づかない深いところにタシカに根強くあったなぁ、と思う。
ひとには「とらわれることはありません」などと言うておったに。
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一事が万事。
つまりやっぱり、すべきすべからず、人生のあらゆる面において、たくさんの緊張があったのだろうと思い至る。
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そして罪悪感。
辛く苦しい人間関係には、罪悪感と非難が満ち満ちているという。ぬけだすには、自分の本当の感情を感じること。そして罪悪感を受け取らないこと。ひとに罪悪感を押しつけないこと。
悪意ではないが、かなりショックなメールをもらって、なんて返事をしようかとクヨクヨ悩んだ。ちくしょうっ、目にもの見せてくれるわ!! 思い知らせてやるっ!!
そこで、ふとわかった。
ああ、そうか!! これこそ「罪悪感の押しつけ」なのだ。インナーチャイルドの講座で教わり、わかった気になっていたけど、ようやっといま、腑に落ちた。
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すると、芋蔓式に「あああ、なるほど!」ってことが。
「ノーと言えない」のは、罪悪感のなせる業でもあったのだ。ここで私が断ったら、この人、困るんじゃないか。傷つくんじゃないか。びくびく。
セッションの要望に応えられないとき。そうだ、わたし、罪悪感を感じていたんだ! 怒りを表明したときの心地悪さ。あれは罪悪感だったんだ。ああ、ここにも、あそこにも。
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「すべきすべからず」が多いと、それに抵触することが多く、そのときに罪悪感を感じてしまう。罪悪感が緊張を生む。「怒られる(>_<)」「いけない(>_<)! びくびく」と緊張する。
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あるセッションでこんなメッセージがあった。
わたしたちは自分が言ってほしいことを、ひとに言わせている。
なにか言われて、傷ついたとする。まぁ、相手を恨んでしまう。でも本当は、自分が相手にはたらきかけて言ってもらったのである。
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ってことは? 罪悪感を感じる必要なんてない? 罪悪感は百害あって一利ナシ? どうやらそうらしい。
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セッションって面白く、クライアントさんから出てくる至言は、わたしにも必要な言葉だったりする。
いろんないろんな人の助け(オーラソーマ、メルマガ、セッション、友だちとのおしゃべり、メール、レッスン、養成講座、本、マスメディアetc.)を借りて、どっかに身を潜めて隠れようとしている罪悪感を、見つけだせるようになってきた。
「お! おまえ、罪悪感だろ?」
「違いますよ」
「ふふふ、ウソつけ! わかっちゃうんだよ〜ん」
「しくしく(;_;)。見つかっちゃった??」。♪♪♪♪♪♪♪
日米の先生に楽器を教わった経験から、日本では「ダメなとこ」をほじくってでも見つけて「ダメじゃん」と指摘する傾向が強いと思う。
楽器に限らず、勉強でも子育てでも仕事でも評論でも、いろんな場面で「だめだめ! もっとこうしないと」「ああしないと」と言われ、たまに誉められても「よかった。でも、もっともっと頑張ってね」って、「いま」より「未来」を期待されてしまう。
「ありのまま」の「いま」を認めてくれることなんて、滅多にない。「わたしはこれでいいんだ」って安心感を得ることがない。
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そういう言葉にさらされると、「私はダメな存在」「居場所がない」「生きていていいの?」と思うようになって、すべきすべからず、罪悪感、緊張を抱えることにつながっていくと強く感じる。
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でもまぁ、そう言われ続けていれば、自分もそういう人になり、「ほめるとこを探す」目がまったく曇っている。つい「駄目」にばかり目がいく。ほめるのはなかなか難しいぞ?
練習が必要なんざんすね?
2004.7.9(金)なんでも「だめ」だったんだ
暑い!
今年は心おきなく「暑い〜!」と叫んでいる。いままではザイアクカンがあった気がする。こんなところにまで(^^;。
「もう〜っ、うっとおしいから『暑い暑い』、言わないでよっ」って怒られてきたんだろうナー。
かまうもんか〜。思ったことを素直に表現するんじゃあ! 暑い暑い暑い。
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ホームページの日記を読み返したら面白かった。
すごーい、誰が書いたの? ってワタシか。
書くとすっかり忘れたりするので、なんどもおんなじ事が書いてある。人生は3歩進んで、5歩下がる、だわね。気がついても気がついても忘れる。そして忘れても忘れても思い出す。
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ザイアクカンについても、何回もふれている。そして、今回やっと「罪悪感のない感じ方」ができたのだ、と理解した。
罪悪感は必要ない、いらないんだー、と何度も何度も繰り返し思い、その果てに実際に体験できた!
繰り返しって大切なんだなー。こうやって自分のものになっていく。
罪悪感がないと、すごくラクチン。
気兼ねなく、「暑い暑い暑い〜(-o-;」って叫べるから、ねーー。
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友だちの悪意のないメールで傷ついてしまって、彼女からメールが来るのが怖くなっちゃった。でも、怖さが怒りを誘発するので、怒り抜きにしようとすると、ながいこと自分の気持ちを伝えられず、やっと「実は……」と告白。
落ち込んでいたとき、どんな言葉がどんな風に心に刺さっちゃったか。なにがショックで、どうしてか。
説明の文章を考えてるうちに、自分でも「そうなんだー」と気がつくことがあり。
うつのときは「自分はダメだ」という強烈で基本的な思いが、いつもより浮かび上がってきているので、なんでも「自分はダメ」に結びついてしまう。
なんでもかんでもが罪悪感や劣等感と結びつき、落ち込みを酷くする。
「こうしたらいいよ」と言われれば、わかっちゃいるけどそうできない自分が惨めで「ダメだ」と思う。
だいじょうぶじゃないから苦しんでる。そこに「だいじょうぶだよ」と言われれば、そうできない自分は「ダメだ」と思う。
「あなたはこうだ」と解析されれば、わかってないくせに……と思い、せっかくの思いやりを受け取れない自分に「だめだ」と言ってしまう。
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辛さもハンパじゃないし。わかってよかったなぁ。こういう機会をくれた友だちってありがたい。比較的冷静に伝えられた自分もえらい。よかったなぁーー。
2004.7.14(水)その下にほんとうの
どろどろネガティブ人間関係は三角形。「迫害者」と「被害者」がいて、もうひとり「救済者」がいて完成する。三者はくるくるとすべての役割を演じる。
三角形を支えるのは、非難と罪悪感。抜け出すには、罪悪感を受け取らない、押しつけない。罪悪感のしたに隠れているほんとうの感情を感じること。
……と教わった。
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自転車のチェーンが外れて、高校生が直そうと四苦八苦していた。気になったけど、見て見ぬフリしちゃった。男の子だったし、な。
次の日、罪悪感を感じてた。やっぱ、声をかけてあげた方が良かったんじゃないかなー。人非人かなー。
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あれ? おお、これは「罪悪感」じゃないか、と気がつく。
えーと、なんだっけ。「本当の感情を感じる」んだった。
本当の感情? なんだろう。……あ、わかった!
自転車なんて久しくさわってないから、チェーンの直し方なんて忘れたよ。「どうしたの?」と声をかけたところで、直せないかも知れない。出しゃばって、失敗したらとんだ恥かきだ。
それが怖かったんだぁ……。
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近所の人ときちんと挨拶できないことがある。庭にいたら、隣の庭に人が出てきて、でもわたしは背中を向けているようなとき。いるのはわかるが、わざわざ振り向いて声をかけるとかできない。
そして「わたしって……」と自己嫌悪(自分を非難してるってことだ)となんとなく罪悪感を感じる。
この場合のほんとうの感情は?? あ、そうか。「挨拶して、無視されたらどうしよう」「声が届かなくて、返事がなかったら恥ずかしい」だったのだ……。
よく無視されてきたからね。それは身が縮むほど恥ずかしい。
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罪悪感って。
なにかほんとうのことから目を逸らすための仮面? 覆いモノものなんだ。ほんとじゃないから、いくら感じてもなにも進展しない。
「三角形の中にいたい」のでない限り、役に立たないんだ。
なんだか! すごいことがわかっちゃったな〜♪
2004.7.21(水)泣いてもいい。笑ってもいい
あつーーーいっ! 昨日の東京は39.5度ですって。観測史上最高値。ここ藤沢はもうちょっと涼しいようだけど……うう、あつい〜。
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越智啓子さんの本「人生のしくみ ── 夢はかならず実現する」を読んで、笑いの大切さを再認識。そりゃあ、暗いより明るい方がいいよね。そのほうがカラダにもココロにもよさそうだ。
しあわせな人と一緒にいると、こちらも幸せな気分になるし。
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でも、どうしてもそうできないときがある。暗く沈んだ気分。
それでも「光の働き手」で、必要なひとたちに光を送っているんだと、と啓子先生は言うけれど……。
この日記には「うつだ」「低調」「低空飛行だ〜」って記述が多い。こんなん読むより、「元気だー」「絶好調」と書いてあった方が読みたい人が多いだろうに。な〜んて思うとちょっと落ち込んだりして。
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今日、立ち読みした本に「みんなネアカで、なんでもテキパキやらないといけないのか」という文があった。ある父親の叫び。お嬢さんが自殺してしまったのだそうだ。人が怖くなって、苦しんで……。
明るいのはいいけど、オマケで「暗い=だめ」って方程式までできちゃったりして。それがたくさんの人を苦しめているような気がする。
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人には理想がある。
でも得てして、理想が高すぎると現実とのギャップが大きくなってしまい、理想が自己嫌悪を生んだりする。
「ああ、わたしは暗いーー。わたしはダメだー……(;_;)」って具合。
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そうだなぁ。「明るく元気」を理想とか目標にするのはやめていいかも。無理して意識して明るくしてると破綻する。
だから、じゃなくて、道標? リトマス試験紙?
「ああ、明るいなぁ。元気で余裕があるんだわ。むふ」「ちょっと暗いかも。疲れてる? ストレスあるかな。なにを無理してるんだろう?」って、自分の状態を知るために使えばいいのかもね。
明るさも暗さも、愛して認めて受け入れて……するとだんだん、明るく軽くなっていくんだろうな〜。笑いに満ちて、しあわせに♪ むふ。
どんな暗闇からでも、光に向かうことはできるものね。
2004.7.28(水)できれば、で、いいんだからね
猛暑を体験したせいか、30℃くらいならなんとか凌げるようになったかな。弟夫婦の住んでいる名古屋は今日も37℃くらいにまでなる暑さらしく、しかも弟はエアコン嫌いなんだって。
うーむ、どんな毎日なんだろう。
こちとら、この前はあんまり暑くて、脳味噌が機能停止。スーパーで、なにを買えばいいのか立ちつくしてしまった……というのに。
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なにをしていても、いつもいつも「こうしなくちゃダメなのでは?」と思っているらしいと気づき始めた。だからなんというか、心の中が挙動不審なんだなぁ。
全部を意識することはまだできず、でも勘ではその数は膨大なようで。いちいち「これじゃダメ」「あれじゃダメ」と思ってるんだから、それに抵触しないよう、あるいはやぶってしまった行為を正当化するためにすごーいエネルギーを費やしているんだろうなぁ。
「政治に関心をもたなくちゃダメ」「電車の席には詰めて座らなくちゃダメ」「道具は手入れしなくちゃダメ」「手作りのものを食べなくちゃダメ」「いつもどっしり構えてなくちゃダメ」「やせてなくちゃダメ」「きちんと挨拶しなくちゃダメ」「人を傷つけちゃダメ」「自分を知って理解しなくちゃダメ」「感じ良くしなくちゃダメ」「正直でなくちゃ」「素直でなくちゃ」「スピリチュアルなんて言ってるようじゃダメ」「笑いを忘れてはダメ」「敬語を使わなくちゃだめ」……。
クライアントさんのひとりが「呪縛」という言葉を使うけれど、まさにガスだね……じゃない、まさにそれだね。
これが積み重なると、母のように不平不満グチグチ人間に発展するのかもねー。疲れ果てちゃうんだろうなぁ。
「政治に関心をもつといいよ!」「きちんと挨拶するといいよ!」「素直だといいよ!」って言い換えて、「できれば、で、いいんだからね! できたら自分を誉めてあげようよ」って思えるようになったらラクチンになるだろうな。