2004.9.29 更新

2004.9.3(金)きっと大丈夫! ほんとかい?

洗濯の途中で、洗濯機が動かなくなった。ちょうど脱水が終わったところ。でも、せっけん液で洗ったところ? 一度くらいすすいだところ?

なんとか動かないか、といろいろいじってみる。水がジャじゃーーと出て止まる。でも脱水はできない。このままでは洗濯物がびしょびしょに濡れてしまう!! 台風が来るとかで、どんより曇り。夜は雨。

しょうがない……。

泣きながら、重たい洗濯物を干し、取扱説明書をとっくり眺めて、意を決して修理センターに電話をかける。つながらない!! ずっとお話中だ。ネットで調べると、違う電話番号があり、そこには一発でかかった。

もう保証期間を過ぎているので、有料になるそうだが、あさってには来てくれるって。よかった。

修理が来るまで、なんども洗濯機をいじってみる。来ていただいたのに、正常に動くんじゃ恥ずかしい……なんて思って。

動かない。よし! 動かない。よし! 動く……。あれぇーー?? どうしよう。

♪♪♪♪♪♪♪

修理の人がやってきて、故障の概略をきくと、早速作業が始まった。コントロールパネルをそっくり取り替え。お願いしていたゴミ取りネットも新品をもらった。

「おいくらですか?」「無料修理するように、言われています」。むむ???

得しちゃったな。それともリコールだったのかしら。ゴミ取りネット分、丸儲けだ。

♪♪♪♪♪♪♪

お医者に行くのも、修理を呼ぶのも、なんかドキドキした。「なんともありませんよ」と言われたらどうしよう? 「こんなことで来るな!」と言われたらどうしよう? 「怒られるかも(>_<)」と怖かったんだナー。

しかもお医者の時は、逆に「どうしてここまでほっといたんですか?」と怒られたら……とも思った。具合がいんだか、悪いんだか。なんだかよくわかんないんだ。

ほんとうに具合が悪い、どうもダメだ、困った、限界だ、と確信できるまで行動できないってゆーか。

ああ、だから「肺炎おこしてますねー」と言ってもらって、ホッとして、おまけに嬉しくもあったのか。よかった〜、怒られなかった、って。「この場合、お医者にかかるのは正当な行為であった」って。

なんだろ。このブレーキ? なんでモノゴトがはっきり見えないの?

♪♪♪♪♪♪♪

NHKの「ためしてガッテン」で正常性バイアスって言葉を聞いた。

地下鉄の車内に煙が充満しても、部屋に変な臭いがしだしても、地震があって津波がきそうでも、「いやいや大丈夫」って思ってしまうのだ。「なんでもない」と思って、避難行動がなかなかできない。被害が大きくなる。

今回のお医者や修理にしても、そうなのかも。

なんだろうなー。「ありのままの現状」を認識するってすごーーーくムズカシイってことなんだなー。

とくに私にとって、体調を把握するのは至難の業。外に出て歩けるのか、家で起きていられるのか、横になった方がいいのか、苦しいのか。よくわかんない。

「元気なのがよい」という呪文がかかってるからなのかしらーー???

「知らなかったんだ、この星がこんなことになっているなんて……」という「最終兵器彼女」のセリフも頭をかすめる。

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2004.9.9(木)私を全部生きる

そうか、自分のネガティブな部分を嫌ったり、見なかったりということは、私の人生を半分しか生きてないってことなんだ。

だれでも明るい部分があり、暗い部分がある。強いところと弱いところがある。暗いトコも弱いトコも私。そこにも目を向け、慈しんではじめてぜんぶ生きたことになるんだろうなー。

♪♪♪♪♪♪♪

エリザベス・キューブラー・ロス博士が亡くなって、肉体を抜け出したのだから、もうユビキタス……あそこにもここにもいつでも彼女のエネルギーがあるんだろうなぁ、と思った。

あるとき、弟が勉強していると、無意識に「死」という文字を書いていた。そのとき、NYでジョン・レノンが亡くなったのだった。

人は個々バラバラの肉体に見えるが、つながったエネルギーなんだなぁ。

それじゃあ、引きこもって「なにもしてない」ように感じて自分を責めているときでも、わたしのエネルギーがみんなに影響を与えているんだ。すねてればスネスネのエネルギーが。むくれてりゃあ、ぶんむくれのエネルギーが。穏やかなら、平安なエネルギーが……。

「なにをするかが大切ではなく、どういう存在であるかが大切だ」というのはそういうことか!

♪♪♪♪♪♪♪

ネガティブな私も愛してあげれば、愛はどんどん広がるって寸法。

嫌って見ないようにしてるときも、ネガティブなところはカクジツに存在する。嫌われたら、ネガティブちゃんはますます拗ねて超ネガティブになっていっちゃうもんね。

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2004.9.10(金)M.ムーアのファンです♪

「ブッシュはバカなんだよ」とマイケル・ムーアが言う。ここでわかることは、「マイケルは『ブッシュはアホだと思っている』」ということだ。

それなのに、「そ〜か、ブッシュはダメかぁ」と思ってしまう。それはマイケルの意見であって、ほんとうかどうかはわからない。それなのに、鵜呑みにするように教育・洗脳されてきたんだわぁ。

世の中には「ブッシュは利口だ」「ジョージは思慮深い」と思ってる人だっているのだ(たぶん……)。人の評判なんて、参考にはなっても当てにはならないよねぇ。

♪♪♪♪♪♪♪

尊敬していた人のワルイ評判を聞いて、失望したり、憎み始めたりしたことがなんどもある。いま考えるとアホだったなぁ、と思う。自分の感じたことを信じていればヨカッタのに。

♪♪♪♪♪♪♪

でも、「アフリカという国」だの、「ホワイトハウスは白い」だの言われると、「やぱし、現アメリカ大統領はやばいかも」って思う。教育費や福祉の費用を削るのを見ると、治安の悪化を望んでるんだなぁと思う。

在米サウジ大使館前にマイケル・ムーアがいると、警備員が飛んでくる。「なにしてるんだ?」とマイケルに問う。そりゃいいけど、警備員は大統領護衛官。こりゃ、ブッシュ家とサウジ王家の関係はホントかもって思う。2001年9月13日にサウジ行きの飛行機が飛んだって!? みんな地上を右往左往していたのに。

たくさんの会社を潰してきたというジョージ・W。次は国を潰すかも??

♪♪♪♪♪♪♪

名誉毀損というのがある。悪口雑言を言われたり、ひどいことを言われると、法律でさえ「それは犯罪」と決める。

でも本当は、発言者が「人をおとしめようとする人」であるだけで、たとえば高遠さんがなにを言われようと、彼女の価値はまったく変わらない。イラクの子供たちに手をさしのべる。その尊さは、誰がなんと言おうと変わりゃしない。

でもそういう風には教えられてないから、言われりゃあ傷つく。わたしたちは無用に傷だらけになっていないか?? ムダに辛い時間をすごしてるのでは??

♪♪♪♪♪♪♪

「人をおとしめようとする人」は自分がなんか次元が低い、とか思っていて、ついつい匿名で掲示板などに書き込むのかも知れない。うしろめたいから、自分の本名を明かすのは、ちょっと……なのかも。ミテも匿名なら、覆面座談会なら、悪口言い放題だったりして!

♪♪♪♪♪♪♪

誰かに拒否されたときもそうだ。自分の全部を拒絶されたように感じて、深く深く傷ついてしまう。でも本当は?

その人が「受け入れるキャパがなかった」だけだ。だから拒否した。

「その人が私を拒絶した」ということは、「わたしが拒絶された」とイコールではない。うーんうーん、なかなかうまく文章にすることができないのだけれど……。

5ccのビーカーしか持っていない人に、100ccのお水を上げることはできない。100ccを受け取る能力がないから。ただそれだけ。

やっぱりここでも、無用に傷ついてきたんだなぁって思う。なにもこんなに苦しむことはなかったんじゃないかなぁ。

いやいや苦しんだから、「え、そうなの!?」ってわかったのかもね。無駄なことはなにもないぞ、って。

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2004.9.12(日)私たちはひとつだから

一年前か二年前に見た「最高にポジティブな前世」。

ある巨大な文明が滅びる。天変地異が起きて、たくさんの人が死ぬ。災害を起こしたグループがいる。わたしはその一員。

そんなバカな! 破壊したことがポジティブ?? 滅亡が?

人々の悲鳴や恐怖。なんてことをしてしまったのだ……と、ホントかどうかわかんない(と前世療法家が言っていいのか(*^_^*)??)出来事に、強い罪悪感を抱いてきた。

そもそも人々の傲慢さがイケナイのだ、なんて言い訳も考えた。歴史がそういう流れだったのだから、仕方がない、とも思った。だから人間が嫌いなんだわ……とか。

でも罪悪感というのは強力でしつこい。その下に隠されている「本当の感情」を見つけようという努力もむなしく……。

♪♪♪♪♪♪♪

でもそうだった。相互作用……というか、成長しようとする人間全体の魂の望み。人類全体が、魂のレベルでやりなおそうと決めたのだ。そのために一つの時代をチャラにした。

そうだったんだ……。私たちは、ただそれを行っただけ。

長い間かついでいた肩の荷が、自主的に降りていってくれた。「ホントなの?」と問われれば「ウムム」だが、すごぉく気が楽になった。安心したのか(?)涙ぐんじゃうんだけどね。

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2004.9.13(月)これでいいのだ

そうか、ポジティブ・シンキングというのは、絶望的な状況でも、自分がヘロヘロなときでも、文明を滅ぼしてしまったときでも「いいんだ、これでカンペキなんだ」って思えることなんだろうな。

いままで誤解してたんだナー。

「絶対にネガティブな部分を認めないゾ、見ないぞ」という悪足掻きだと思ってたんだ。だから、ヤダナーと思ってたんだ。嫌いだナーと。

思い違いだったんだね。

♪♪♪♪♪♪♪

「神との対話」にあった。「疑いや不安にわずらわされず、罪悪感や自責にとらわれず、おおいなる愛を与えられているという輝かしい確信をもちつづけなさい」(文庫3巻、p.265)。

きっとそういうこと……。

♪♪♪♪♪♪♪

わが庭は賃貸なので、「出るときは原状回復」なんだって。どういうことか、よくわからないんだけど、咲いている花も全部引っこ抜くのかなぁ、と恐れている。

そしてそう決まっているかどうかもわからないのに、「そんな人でなしなこと!」と勝手に憤って、花を植えたり、ほっぽらかしたり。や、体調悪かったからさ……。

そのとき、咲いてる花があるのだったら絶対にそのまま置いていくぞ、なんて密かに戦っていたりして。見えない敵(?)と。独り相撲で奮戦していて、庭にいるとココロ穏やかじゃないのだ。

ハッと気がつく。

庭になにもはえてない状態を望まれたとしても、その人が人でなしなワケじゃない。単に見解の相違なのだから。従えばいいだけの話で、腹を立てる必要もないし、戦いを挑む必要もない。

次のところで、また好きに庭をすればいいんだ。それで人生が終わるわけでも、なんでもないのに……。

どうしてもなんだかワルイ方に、大袈裟に考えちゃう訳ね。いまの私はそう。それがありのままの私なんだわ。それでいい。

気がついて、ブラボー♪

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2004.9.21(火)成仏のチャンスなのね

ある日、ものすごく腹を立てた。傷つけられたと思い、強い怒りを感じていた。しかもそのことでダンナとまで気まずくなり、さんざんな気分。味方になってくれると思ったのにィ! きぃーーッ!

ずっとそれを引きずって、一人で悶々としていた午後。

いきなり「殺してやる!」という物騒な思いが湧いてきて、ビックリした。ひぃ、どうしたんだ!? いったい何が起きてるんだぁ??? その思いの強烈さと言ったら、目もくらむようだ。しかも後から後から……。

頭オカシクなったのかなぁ、とチラと考えもしたが、別の冷静な部分で、「これがいわゆる憑依かもしれないなぁ」と思う。わたしの怒りに同調して、「怒れる霊さん」がたくさん寄ってきたのかも。憑依は日常茶飯事と、江原さんも美輪さんもおっしゃってるもんねぇ。

♪♪♪♪♪♪♪

感情は人を殺さない。

でも抑圧すれば、感情は心の傷になる。そして凶暴になる。

必要なことは、この思いをただ流してやることなんだろう。抑えたり恥じたりせず、ただ感じよう。戦うことだけはすまい。きっとそれが、いまできる唯一のことだ。

♪♪♪♪♪♪♪

殺してやる! 殺してやる! ちくしょう、殺してやる! ……。

延々と出てくる出てくる。「まだかなぁ」と思いながらも、とにかく感じて、流す。私はというと、ソファにもたれかかって、毛一筋・指一本、動かすワケじゃなく、ただじいっと感じているだけ。いやいや、すごいなぁ、この怒り。なんて思いつつ。

始まりと同じく、突然、すべての怒りが消えた。跡形もなく。

すっきり!

充分に感じて表現して、私自身の怒りも、ほかの方々の怒りも光に還ったのだろう。霊の人たちも満足して、天に帰れたのではと思う。

♪♪♪♪♪♪♪

だれかを「殺してやる」なんてことは、ほとんどの人が感じること。「でも、実際に殺すことは稀だ。なにが一線を越えさせるのか」。よくそういう言葉を聞く。

ネガティブな思いに霊が集まり、圧倒的な感情になったとき……がひとつの答えかも知れない。

驚いて、「感じてはイケナイ(>_<)!」と抗えば抗うほど、思いはふくれあがり凶暴化し、人が感情に支配される。衝動がふくれあがれば、意志など消し飛んでしまう。操られて暴力を振るい、人を殺してしまうかも。

でもそうなれば霊も成仏できず、苦しむ魂がまた増えるだけ……。

♪♪♪♪♪♪♪

「どんな感情も感じていいよ」「感情は人を殺さないからね」「ただ感じ尽くそう」。

このことが広まれば、悲惨な事件は減る。きっと減る。必ず減る。

いやぁ、圧倒的なデキゴトではあった。ほぉ……っ。こうして文章にするまで、ずいぶんと時間が必要だったもんね。

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2004.9.22(水)ペテロは否認を認めたのね

あなたは鶏が鳴く前に、三度、わたしを否定する。

と、藪から棒に師匠に言われたペテロ。えええ〜っ、そんなことは絶対ありません!! 主イエスを否定するなんてぇ。一体、どうしちゃったんです……!?

ところがイエスは逮捕される。ユダの裏切りによって。

「あんた、あの男と一緒にいたろう!」と誰かに言われ、「なんだって?? あんなヤツ知らない。あそこには行ってない」。思わず否定したペテロ。鶏が鳴き、彼はハッとする。

主のおっしゃった通りだ! わたしはなんと言うことを……おお、主よ、憐れみ給え(>_<)! 彼は大声で泣いた。

♪♪♪♪♪♪♪

という場面の曲を、発表会で弾いた。キリストを裏切ったユダは自殺し、ペテロは悔い改めて使徒グループの長になっていく。なにが二人の運命を分けたのか。

それにしても、ペテロ、あほだな。いや、うっかりすると自分だって殺されちゃう場面だもんなぁ……、無理もないか。素直に「ごめんなさい(T_T)」と謝ったのがいいのか?

悲愴な感じで演奏すればいいのかしら。うーん、いまいちわからん。ひっかかる話だよなぁ。でもバッハの曲、キレイなんだもん。

♪♪♪♪♪♪♪

「神との対話」に「あなたたちはなんでも否定する。自分が体験したことさえ否定する」って主旨の文章があって(3巻ですが場所は忘れました)、「ペテロの否認」はそのことを現しているのだって。

ああ、正常性バイアスもそうだよね! 瞑想で見たことを「まさか?」と否定しちゃうし、あの日、WTCの場面を何度見ても、「ほんとうとは思えない。現実とは思えない」ってずっとずっと感じていた。いたたまれず、テレビを離れ、家を出てお散歩しながら、「ね、だってここはこんなに平和なのに!」って。

♪♪♪♪♪♪♪

ペテロは私だったんだ。みんなだったんだ。毎日やってることだったんだ!

自分を信じよう。自分の感覚を、体験を肯定しよう。尊重しよう。憐れみ給え! 力をお与え下さい。

……ああ、切実だけど、けして絶望じゃあないんだ。そうだったんかぁ。

♪♪♪♪♪♪♪

千葉の岩井海岸に遊びにいった。夜、なんだか寝付かれなくて、何度も目が覚めた。夢かうつつか、白い光の柱が天に伸びているのを見た。ここいら一帯を浄化してるんダァ、と思った。それで呼ばれてきたんだわ……。

「いや、あれは夢で」「こんなことしゃべると、頭ヘンって思われちゃう」「スピリチュアルかぶれってヤーね」なんて、体験を否定する声がゾクゾクと頭の中にやってくる。

あらまーーー、早速否定かい。いつも、なにかにつけ、こんなんだよねぇ。否定三昧。たしかに。

♪♪♪♪♪♪♪

すると「神との対話」の別の箇所に(3巻? たぶん……)、「誰でも自分のいるところを癒すためにそこにいるんだ」って。

じゃあ、あの白い光の柱。癒しの光。浄化の光。いいんだ! おかしくないんだ! 否定しなくていいよ、ってことだよぉ!

神さま、ありがとう。ずいぶんステキな連続技じゃない!?

♪♪♪♪♪♪♪

ちなみに内房・岩井海岸は天の川見えるし、地引き網できるし(10月、11月にも予定あり)、その後は海を見ながら海鮮バーベキューで朝ご飯。秋の海はあたたかいというけれど、とくに今年はまだ26℃もあって、人の少ない、遠浅の海で遊び放題。

アンドンクラゲはいるがな。

それでいて一人一泊1万円弱。眠れなかったけど、すご〜くよかった。ああ、楽しかった。こころもほかほか。

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2004.9.25(土)選びなおす時期

イチローのニュースを見て、すごいなぁと思う。発表会のステージで足がガクガクしちゃう私とは違って、いつも「今、ここ」に集中してるのかなぁ。気負わず、自然体でいるから、なんだろうか。

ここ数試合、安打数が伸びなかった。「やっぱりプレッシャー?」と思っていたら全打席安打とか一試合四安打とか、立て続けに……。すごいなぁ。

自分が現役のメイジャー・リーガーだったら、と考える。

「お、イチロー、打ってるなぁ。すごいぞ、俺も鼻が高い。こっちもいいプレイをするぞ!」と考えるか。

いいや、きっと「すげぇ……俺なんか逆立ちしたってかなわねぇ……どうせ俺はダメだ」と思ってしまう。人と比較して、自分のダメなところにスポットを当て、ひねくれて暗く落ち込みそう。ははは。

♪♪♪♪♪♪♪

なんでかっていうと、ほかのセラピストさんとかにそういう思いを抱いているから。「この人、ホームページのアクセス数がすごい。私はダメだ」「すごい、本を出してるんだ。私はダメだ」「すごくいいこと言ってる。私なんかダメだ」「すごくいろんな体験をしてるんだ。私なんかダメだ」……。

だめだめ・オン・パレード。

で、ひねくれて嫉妬して、その気持ちと戦って「こんな風に思うなんて、私なんかダメだ……」。

♪♪♪♪♪♪♪

ずいぶんとまぁ、窮屈で苦しそう。

学歴社会の中で、いまの文化の中で、競争すること、勝つこと、人と比較することを骨の髄まで叩き込まれて、疑問にも思わずにいようとしたんだもんね。仕方ないよ……こうなっちゃうのも。

成績上位でいることで誉められて、それが自分の存在価値だと思ってきたんだもんね。偏差値の高い大学(いや、あん時はけして高くはなかったんだよなー)、有名大学に入って、鼻高々だったんだもんね。レッテルと中身の違い、なんてことには気がつかないように、たくさん目をつぶっていたんだもんね。バカの壁。

さんざん辛い思い、苦しい思いをしてきたね。不登校、ひきこもりになるのも無理ない。無理して突っ張って、虚勢を張って……ヒツゼツに尽くしがたい、塗炭の苦しみ。はは、それは言い過ぎ? ちと大袈裟?? でも、ホント、自信なかったよね。ラベルは立派でも、なんか違うって思いが拭えなかったし。

♪♪♪♪♪♪♪

ねぇ、もう「それは苦しいことだ」って身に沁みたから、やめてみたらどうだろう。「すごいぞ、ほかの人たち! ステキだ。いいことだなぁ」って思ったら? そっちのほうがキモチイイ。そっちのほうがあったかい。

そういう「わたし」のほうが、ステキ。とことん体験したから、ふさわしくないと思うようになったから、この思いはもう手放そう。

いままで、ありがとね。「比較して、ひねくれて、嫉妬していた私」。「比較するたび、自分を悪く思って、自信を失っていったわたし」。「自分はダメだと、叱られると、いつもビクビクしていたわたし」。

ふと戻ってきてもいいよ。めいっぱい歓迎して、暖かく迎えてあげるから。安心して♪ そういう「わたし/あなた」もアイシテル。いとおしいから……。

そう言いつつ、やな顔したら許してね。失敗を重ねて、できるようになっていくから(-o-;!

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2004.9.29(水)話せないこと

母の妹(叔母)と話していたら、子どものころ言えなかったことをいろいろと思い出した。

母が「きちんと挨拶できた?」と聞く。挨拶はしたが、それが「きちんとしていた」かどうかはわからない。どんなのが「きちんとした」挨拶なのか、ずっと1人で悩んでいた。

「きちんとって、どういうこと?」と訊ける子どもだったらよかったのに。

池に落ちたことも、気軽に言えたら。週番でシャッターを閉められるか、不安だと言えたら。給食になると泣いてしまって、毎日、保健室に行ってることを言えたら。露出狂と遭遇したことを言えたら……。手術した足が痛いから、フツウに歩けないんだと言えたら。

些細なことだったんだなぁ。飲み込んじゃったんだなぁ。

親に相談できないことって、生きるか死ぬかって深刻なことじゃなかった。でも、こんな小さなことが積み重なって、たくさんたくさんため込んで、喉のつまりになっていった。

いまでも大切な一言を飲み込んで、後悔してしまったりする。ああいえばヨカッタのに、なんて時間が経ってから気づく。

「言ってはイケナイ。口にしてはイケナイ」というなんらかの制限があるんだろうな。

♪♪♪♪♪♪♪

「『やーねぇ』って言われるのが辛いから、体調が悪くても正直に言えない」と母に言ってみた。逆ギレしていたが、気持ちが晴れ晴れした。あとで謝ってきた。

これからはこういう「塵」を重ねていこうかな。制限の正体を探りながら。

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