2005.4.26 更新

2005.4.1(金)かおなし

よく一緒に仕事をしていたカメラマンが、あるとき言った。

「だってあなた、いつも顔が違うんだもん。会ってもわかんない」。

♪♪♪♪♪♪♪

精神世界もニューエイジも知らなかったし、心理学もまったくキョーミなかった十数年前。不思議なことを言う人だなぁと思った。

やっとわかった。

たくさんのペルソナ。会う人ごとに、違う仮面をつけていて、「自分の顔」がなかったんだ。

相手に合わせる。相手の気に入るようにふるまう。それは自動的に起こる。無意識のことだから……。

♪♪♪♪♪♪♪

だから「もてた」んだろうなぁ。

だからお酒もタバコも必要だったんだろうなぁ。なにかを誤魔化すために。

♪♪♪♪♪♪♪

「優しくしてほしい」が強烈に底に流れているから、自分を殺しても相手に構ってもらおうとしていたんだろうなぁ。

記事を書いて、「だれかの役に立つ」ってことがあれほどうれしかったのも、そうだったんだろうなぁ。「自分にできることがあれば、どんなことでもやらなくては」みたいなほとんど強迫観念もあったし。

それほど、ひとに、あたたかさに、愛情に、飢えていたんだなぁ……。

はぁ……。いまは……ペルソナ、すこしは減ったかなぁ。

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2005.4.3(日)そんげん

パパさま(ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世)が亡くなった。

愛と光と喜びと安らぎの中で、いま、まったき自由を満喫されているのだろう。おめでたいことではなかろうか。

もう亡くなるという昨日になって、インターネットで彼のことを調べた。教会の過ちを認め、ほかの宗教とも和解をされたすごい人だったんだねー。

愛と許しと平和。

スバラシイひとだ。すごい。

♪♪♪♪♪♪♪

うんと前、父が「老人ホームとかでチィチィパッパなんかやりたくない」と言った。

ほかの老人は知らないが、たしかに父がそんなことをやってるのは見たくない。子ども扱いされて、バカにされて。そうなったら、イヤだなぁ〜。

尊厳など、どこにもないじゃないか……。

ひるがえって、最近のヨロヨロとしたお姿のパパさま。尊厳って……なんだろう。

♪♪♪♪♪♪♪

たとえばりゅうとしたスーツ。士官学校やドイツ軍、パイロットの制服。プレスしてあるズボン、ぴかぴかの靴。蝶タイ。

そんなものに「尊厳」を感じちゃったり。

立派なすきのない仕事ぶり。言葉巧みなお説教。スマートな身のこなし。卓越した先見性、深い洞察力。豊富な知識。人徳。やさしさ。協調性。高く評価される業績。いわゆる「成功」……尊厳はそういうものに、付随するような気がしていた。

だけど、そんな人でもからだの機能が衰えたら? そして、もともと障害をもった人は? なにもできない赤ちゃんは?

お説教しようとしても声が出ない。ひとりでトイレにいけない。よぼよぼと歩く。チィチィパッパを強要される。受け答えが頓珍漢。的はずれ。忘れちゃう。失敗する。……

すると尊厳はなくなるのか? 激減するのか? 消滅するのか?

♪♪♪♪♪♪♪

なんか違うんだ。

なにをしたか、なにができるか、じゃない。どう見えるか、じゃない。まして社会的成功でも、お金の多寡でもない。

ただその人。その存在。そこに尊厳ってものがあるんじゃなかろうか。

ただひとりの人間であること、に。

♪♪♪♪♪♪♪

やさしくしてもらう、認めてもらう、誉めてもらう、受け入れてもらうためには、なんでもするって感じで生きてきたから、なかなかそういうことは見えなかった。

なんかできるから価値がある。怠けたり、間違ったりしたら価値がない。条件つきの愛。

でもパパさまや父のおかげで、目が開かれた感じ。

どんな人でも「尊厳をもったひとりの人間」として見るかどうか。わたしがそうするかどうか。

あれっ、これって無条件の愛!?

♪♪♪♪♪♪♪

パパさまのご冥福を……って、おしあわせなのはわかっているから、ただよかったと喜んでいればいいのだろう。

パパさま、おめでとうございます。ありがとうございました。これからもどうぞヨロシクお願いします♪

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2005.4.4(月)プチ呪縛2

エスカレーターのとこに逡巡している人がいた。白い杖。二機並んだどちらが、下りかわからないようだ。

上りエスカレーターに乗っていた私は、その人の目の前に行くハメに。

周りにいた何人かが「違いますよ」「そっちですよ」と言っていたけど、よく聞こえなかったみたいで、行きがかり上、声をかけて降りるエスカレーターの口まで一緒に行った。

その人が降りていくのを見届けて、歩き出した瞬間、ものすごい絶望感に襲われて、「死んでしまいたい」という気持ちになった。

いくらわたしの中に絶望が根を下ろしてるからって、「よいこと」をしたのに、なぜ???

理不尽。不可解。

♪♪♪♪♪♪♪

その温泉ホテルには図書室があって、でもほかの人は誰もいなくて。

思う存分、書棚の本を整理した。Book Offや本屋さんでも、棚を整理するのが大好き。同じ本、同じ著者の本を揃え、シリーズものは巻を順番に整える。でもなんだか「怒られる」「見つかったらイケナイ」と思っているので、周りにひとけのない時だけ。

……あれ!? これって……?

カトリックの(キリスト教の?)教えに、いいことをしたら人に知られないようにしなさいってのがある。右手のしたことを、左手にも知られないように、って。

♪♪♪♪♪♪♪

だからだ!!

困っている人に手を貸すのは、いいことだと思っていて、それを公衆の面前でしてしまったので、「人に知られた! わたしはイケナイコトをした、ダメな人間だ」と絶望したんだ……!

本来は「誉められようと思っていいことをするんじゃないですよ」って意味なのだろうけれど……この前の「一度決めたことは……」同様、字義通り受け取って自分の行動を縛っていたんだ。

電車で席を譲るのも、しなくてはという気持ちと、してはイケナイという気持ちがせめぎあって、譲った後にものすごく恥ずかしい、面はゆい、いたたまれない気分になってたんだな。自意識過剰ってだけじゃないんだ。

♪♪♪♪♪♪♪

こんな風に意識化できれば、ばかばかしい、勘違いじゃん、もういいんだよと思えるんだけど。

まだまだ無意識のとんでもない呪縛がたくさんありそう。

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2005.4.6(水)かくご

「なにかをする」のがとても億劫で、できれば一生布団でヌクヌクしていたいと思うときもある。

なんでだろ?

ずっと考えている。

「一度始めたら、やり遂げる覚悟でしなさい」……って言われたことがあるんだろうなぁ。

♪♪♪♪♪♪♪

バレエやピアノの体験レッスンでうっかり「楽しかった」と言ったばかりに、ずっとやめさせてもらえなかった。土曜日の午後って、重苦しかったのよね〜。放課後はレッスンの掛け持ち。いやだった……。

それで、懲りちゃったのかなぁ。

皿を洗うにも、トイレに行くにも、繕い物をするにも、庭にでるにも、布団干すにも、いちいち「カクゴが必要」なのかもしれない。覚悟するのは大変なので、結局なにもしなかったりする。

「気軽に始める」「気軽にとりかかる」ってことができないんだよねー。

♪♪♪♪♪♪♪

カクゴをもって取りかかるって、立派なことかも知れない。おっちょこちょいで、なんにでも手を出しちゃって、すぐ失敗して諦めてやりくさし……なんて人には必要かも。

でもまぁ、私の場合は、無為な時間と後悔を増やすばかりなのかも知れない。

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2005.4.11(月)思いがけない

「病気で食事制限をしなくちゃいけなかった。人から『食べる楽しみ』がなくなったら、ほかに人生に楽しみなんかあんまりないからね」と父が言った。

食べることが楽しみ、なんて人がいるのか!」とビックリし、そう感じた自分に驚いた。未だにわたしにとって食べることは苦痛なのか……??

もう「フツウに」食べていて、おいしいと感じることだってあるのに。料理だってちっとはするし、一般の人と変わらないつもりだったのにな。

こころの中って不思議。

♪♪♪♪♪♪♪

子どものころは食が細くて、残さず食べることが辛かった。母はほかの人よりは、私にとってどれくらいが適量かを心得ていたけれど、でも……。

おまけに納豆やおみおつけも食べなくちゃいけなくて。給食は最悪。拷問に等しかったし……。理解のある先生ならいいけど、強制ばかりする教師は鬼や悪魔の如くだった。

そういうのって、本人が忘れちゃっていても、心の奥底にこびりついてるものなんかなぁ。

わたしは父とは違うプロセスで「食べる楽しみ」を奪われているのかも?? 取り戻した方が得策なのかなーー?

♪♪♪♪♪♪♪

「なにかをする」のが億劫で腰が重いのは、怖いからかもしれない。

魔法に魔が集まってくるように、なにかすると目立つ、目を付けられると怖れていて、自分を埋没させるために、なにもしない……。

目を付けられると攻撃される、と怖れている。

朝の地震で目が覚めて、うとうとしながら、ずっとそう考えていた。

♪♪♪♪♪♪♪

仕事で日常たくさんの人に会うという生活をしていた時分には、絶対に気がつかなかった側面なんだろうな。父の発言で思いがけず浮上した気持ちと同様……。

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2005.4.13(水)狩られ殺され

中学か高校のころ、よく自分の未来を思い描いていた。

わたしは公害企業の悪を暴く。企業から殺し屋が差し向けられ、ある夜、わたしは拉致される。ひとけのない高い崖の上から逆巻く波めがけて、私は突き落とされ死んでしまう。

落ちるときの、肉体と魂がずれる感じ。よく知っていたし。

♪♪♪♪♪♪♪

この前、「目を付けられると攻撃される」という感覚が出てきてから、松明をもった人々の群が脳裏に浮かぶようになった。黒いローブを着て、頭巾で顔を隠した人たち。

魔女狩り? 恐怖。

♪♪♪♪♪♪♪

するとテレビで、ロシアの超能力医療のドキュメンタリー。国が認定までしているんだって。西洋医学と連携もしている。実績もあり、養成学校もある。

13歳の少女が超能力をもっている。6歳の男の子がいて、治療を望んでいる。期待によるプレッシャー、成功するかどうかの不安。決心する過程。

わんわん泣きながら見ていた。自分でも「なぜ?」と思いながら、あとからあとから涙が。「わたしはそれで殺されたの」と自分の中から声がする。

♪♪♪♪♪♪♪

前世療法って言うと、ときどき医療関係者その他に非難されたりする。そういうときは、大ショックで、あろうことか「殺される」とまでうろたえてしまう。滅多な人には言わないし、なるべくなら隠しておきたい。

その点、ネットはある意味、隠れたままで自分の思いを書ける。怯えている私には都合がいい。

♪♪♪♪♪♪♪

セラピストは天職だと思う。大きな喜びも感じる。

その一方で、「できるだけやりたくない(>_<)」という気持ちもある。だって一味に(だれ? 教会?)かぎつけられたら?? また殺されたら??

……うーむ、こんなに大きなブロックがあるんだ。ブロックがある、とは言われていたが。

♪♪♪♪♪♪♪

自分は怖がりだな、臆病だなってたびたび感じてきた。なにが怖いんだろう、って呆れたり、首を傾げたり。

恐怖は強くなったり弱くなったりする。忘れちゃうこともある。だから、もっと軽く考えていた。いまに消えてなくなるだろうとか、無視できるだろうとか、ね。

冒頭の「企業に殺される話」は久々に思い出した。そしてビックリした。けっこう昔から、ずっと心の底に流れているストーリーだったのね。

いまは「向き合え」ってことか。

「覚悟」とか「人前でよいことをしない」とかも、全部つながってる。お芋がずるずる……芋づる……。

一味に見つかって狩られてもいい、それでもやっていくなーんて「覚悟」はないもん。怖いもん。

人前でよいことをして、目立って、捕まるのは怖いもん。やだーやだーやだー。こわーこわーこわー。

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2005.4.23(土)見えてくる

目立つのがそんなに怖かったのに、どこに行っても変人呼ばわりされて、生きた心地がしなかったんだろうな〜〜。心の奥深い、自分ではなかなか気づかないところで……。

そんで、絶望していたのか〜〜。ナルホド。

♪♪♪♪♪♪♪

占いを見てると、なにかを突破する、なにかが終わって始まる、そんな時期らしい。

「思い知らせるのは逆効果なのね」とわかってきたような感じ。

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2005.4.26(火)情実も裏口もなし

「自分は嫌われる、ほれまた嫌われたっ!」という経験をしてるとする。

あるとき、それは自分の思いが実現しているのだとわかってくる。思いを変えればいいのだ、と言われたりする。別の思いを選べばいいのだ。

しかも恐怖や不安は自分で創り出した幻想だ。どんなにリアルでも実体はない。

そう聞かされて、なるほどと思う。

♪♪♪♪♪♪♪

すると、これまでにないほど酷い形で「嫌われる」体験をする。

「ああっ、やっぱりダメだ。私は嫌われる。幻想なんかじゃない」と振り出しに戻る。

それもまたいい。でも別の見方を選ぶかも知れない。

「むむ、辛いっ。なんてことだ。酷すぎる……でもまてよ、これは幻想。自分が創り出してるんだ。『嫌われた、まただ』と思い込んでいるだけかも知れない。不安なもんで、ついそう感じちゃう。ホントはなんでもないことなのに、大仰に反応してるだけかも」と思うこともできる。

すると「ピンポ〜ン! よくできました♪ クリアしたね。じゃ、先に進みましょう」ってことになる。

♪♪♪♪♪♪♪

合格不合格(?)の分かれ目はなんだろう。

充分に体験し尽くしたか否か。頭でわかったつもりになるんじゃなく、カラダもハートも辛さ苦しさを味わい尽くしたかどうか。食べ残しや勘違いがないか。

ひとつをクリアすると、もっと大きな問題に取り組むのだから、充分に噛み砕いて消化し、自分のものにして強くなって初めて合格。

弱いままのあなたを難問に立ち向かわせるような無慈悲なことは起こらない。自分の力で解ける問題だけ。そして、あなたが望めば、さしのべられているサポートにも気づくでしょう。

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