2005.5.1(日)手入れ
生まれて初めて、ヴァイオリンを修理に出して、弓の毛替え(馬のしっぽの毛なんだよ)をした。
すると、なんと!
音がでやすい。びっくり。
修理してくださったのは女性で(男性が多いと思っていたので、やや意外だった)、受けとりに行くといろいろ説明してくださった。感謝です。
楽器職人さんって、すごいなー。かっこいいなーーー。
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非難にさらされている人がいると、かばおうとする。でも、もともとはひとに批判的。
……という自分に気がついた。ちょっと変。いや、あまのじゃくなだけ?
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なにがどうなっているのかはわからないが、無気力状態から脱した。なんだか楽しくて、楽観的。
降る日があれば、照る日もある。
「なにもしたくない」傾向は子どものころからかも。学研の付録を活用した記憶がないもの。ちょっとでも面倒と感じると、撤退してしまう。
それなのに、ある時期、実験を生業としていたのはオカシイ限り。
庭にいる時間が増えた?
2005.5.4(水)母なる地球
なかなか寝付けなかった。
ダンナもよく眠れず、トイレに起きたり寝返りを打ったり。
眠れないワケ。
むかしは悩み事だと思っていた。でもそればっかりじゃないらしい。
出かけた先で、だれか(ユウレイ?)つれて来ちゃった、とか。あるいは地球や空の影響。このところ、脱線や墜落と事故が続く。寝苦しい夜となにか関係があるかなー。
天気で気分が変わるのは、多くの人が経験している。免疫系にも影響するという。天気に限らず、思ってるよりも人間は環境と結びついていて、反応しているのかもしれない。住んでいる土地との相性とか、ボルテックスに惹きつけられるとか、そういうのあるんだろーな。
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なんとなく息苦しい。
愛・地球博開催中だが、70年の大阪万博を懐かしむ催しもあるんだって。
思い出した〜!
当時は広島に住んでいて、車で万博に行った。夏だったのかなーー、暑かった。大阪にいる間、ずっと息が苦しかった。
空気が汚いからかな〜と思っていたのだっけ。35年も前だっけ。
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ニュージャージーに住んでいたとき、NYメッツの試合を見に行った。ベニー・アグバヤニ選手が珍しくも面白いミスをして、一発でファンになった。
コロラドに引っ越して、コロラド・ロッキーズを見に行った。知った選手がいないなか、なんとベニーが出ていた。わぁ、ベニーもコロラドに! うれしかった。
日本に帰ってくると、ベニーがロッテにいた。しかもメッツにいたバレンタイン監督も! だからいまはロッテファン。
次にベニーはどこに行くんだろう。われわれも一緒に行くのかな〜。
ちなみに友だちはSHINJOと共に移動している。NJ→カリフォルニア→日本。ははは。
2005.5.6(金)受け取り下手
コーヒーがマイブームだったので、多めに買いこんだ。そしたらイキナリ、ハーブティー・ブーム到来。
庭でミントとレモンバーム、タイム、ベルガモットなどを摘む。
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玄関脇に蕗が生えて、年々大きくなる。
思い立って食べてみた。おいしい。しかもタダである。もちろん無農薬。
家の周りにはそこの住人に必要な草が生える、とスイス人が言っていた。だからおいしいのか?
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こういう暮らしでいいのだろうか、という疑問が芽生えて、ふくらんできている。
食べるものでも何でもお金で買えばすむ。野菜でもお総菜でもお菓子でも……。子牛を育てることもないし、鶏の羽根をむしりもしない。漁どらない。野菜を育てたり、山菜やタケノコを掘りに行くこともない。
大地との結びつきが弱くなっていて、空や星との繋がりも消えそう。季節や旬とも……。
これを「暮らし」と言っていいのだろうか?
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大地はいつでも、恵みを与えてくれようとしている。
蕗はいつの間にか生えていて、知っていながらなかなか食べようと思わなかった。面倒くさい。どうやって食べればいいかわからない。いつの季節がいいんだ? ほんとに食べられる種類なのか? 子どものころから蕗は好きだが、そもそもこれはおいしーのだろうか?
猜疑心や怠け心があって、贈り物を受け取るのが下手なのだ。
同じように、わたしは宇宙の恵みも拒否してるんだろうな。
ほんとは豊かにそこにあるのに。
2005.5.8(日)よけいなお世話をされて、する
命令形で話したり、書いたりすることが多いなぁ、と気がついた。
「自分のこと、大切にしてくださいね」。
「感情をしっかり感じてくださいね」。
「自分がナニを考えているか、気がついてくださいね」。
「ご自愛下さい」。言葉は丁寧でも、命令の一種。
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わたし自身は命令どころか、ちょっとした指摘や提案にだって過剰反応して怒ってしまう。ご指導ご鞭撻を賜ったりしたら、余計なお世話だと怒り狂い、そのあと自分にガッカリして激しく落ち込む。
映画やドラマなんかで「俺に指図するなっ」なんて怒鳴ってるシーンがあると、ちょっとホッとする。わたしだけじゃないんだ〜。ホーマー・シンプソンもそんなこと言っておったな。
あまりにも命令され続け、指図され続けて生きてきたからかなぁ??
精神世界の本でも、英国のものはちょっと苦手。「○○しなさい」「○○でありなさい」って言葉が多いようで落ち着かない。
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セラピーをするときは「押しつけないこと」と教わっていて、どうすればいいのだろう、と悩んでいた。
でも、意外に簡単なことだったのかも。
「感情を感じてくださいね」には前段がある。
ほんとうの感情を感じるのはとても大切なことなのだ。感情を感じることで、癒しが起こる。自分の本当を見つけて、癒しが始まる。
そのことを説明して、聞いた人、読んだ人がどうするかは、その人たちの自由意志に任す。
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命令形が習い性となっているので(ずっとそうされてきたから)、その時々に「お、これは命令だ!」と気がつくことから始めている。
気がついたら、自分にご褒美。よく気がついたね! よしよし。
命令されてあんまり悔しいから、ひとにも命令してたのよね。悔しさ、悲しさ、怒りのなせる業。
2005.5.9(月)いじわるネズミ
実験用のマウスはひとつのケージに数匹を飼う。中の一匹がケガをしていることがある。カサブタになっている。
なにか均衡が破れたのだ……。
そのケガは日に日に酷くなる。どうしてなのか、怪我マウスをみんなが寄ってたかって虐め始め、そしてある朝、彼は骸(むくろ)となって発見される。
JR西日本を非難しているマスコミを見ると、マウスたちを思い出す。
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怒りでも悲しみでも、感情は自然なものであり、きちんと感じれば数秒で流れて消え去る、という。
でも「泣いちゃイケナイ」「怒っちゃいけない」と抑えてしまえば、感情はその人の中で凍りつき、増殖し、腐敗し、恐ろしいものに形を変えていく……。抑圧や否認をやめ、一番最初の姿を感じるまで、何度も何度も同じような舞台設定がなされる。それはどんどんエスカレートし、ときには破滅にまで至る……。
感情を感じなくする術はいくらでもあり、その代償はとてつもなく大きい。
怒りの対象はかんたんにすり替わる。八つ当たり。よくあるもんね。たびたびしちゃうし、されちゃうし……。
マウスみたいにJR西日本をつるし上げている記者やキャスターさんたちは、憎悪を身内に抱えながら生きているんだろう。脱線事故が、潜んでいた憎悪を隠れ家からいぶり出すキッカケになってくれたのだ。
おおもとの怒りはなんだったのだろう。誰に対してのものだったのだろう。おとうさん? おかあさん? 先生……? いったいなにがあった? 何歳の時だった?
本源を見つけるまで、苦しみは続く。まわりをも傷つけ続ける。
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ついついキッカケを憎みがち。でも、怒りも憎しみも自分の身内にあったもの。自分の責任で、自分の感情を見つめ続ける。
しんどいけど、成長というご褒美つき。
怒りや憎悪を垂れ流す汚染源になるのはもうやめて、自分を癒し、平安と調和を広げる源になった方がいい。わたしの人生の目的に照らせば……と思うようになったんだ。
そのために怒りや悲しみ、憎しみをきちんと感じる。一見、逆のようだけどね。
といいつつ、ニュースキャスターを見たくなくて、チャンネル変えちゃうミテでした(;^_^A。彼らに呼び起こされる感情に直面するのは、やっぱり一仕事(ひとしごと)なのね。
2005.5.10(火)飛行機でアメリカへ
テレビ「オーラの泉」で美輪明宏さんが、「ひとりでいる時間は自分を見つめるために大切。友だちが多ければいいってもんじゃないのよ」とおっしゃって、涙が出ちゃった。
「成長には人間関係が大切」と聞くたびに、読むたびに、いまの自分は「悪い」のではと悲しくなっていたのだ。「うまくたくさんの人間関係を結べない人はダメ」と言われているような気分だったから。
美輪さん、ありがとう。
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お隣さんに鉢植えの水やりをお願いして、成田空港に向かう。銀行でドルに両替して、お昼を食べる。インドネシア・ピラフがおいしい。
出国手続きを済ませ、雑誌を買う。もう国外なので消費税は免除。そうだったのか!
サンフランシスコで乗り換え。くりぬいたパンを器にクラムチャウダーをよそったボウル(写真←)を食べる。一年ぶりのアメリカ。やっぱり食物が大きい。
荷物を受け取り、再チェックイン。米国内のチェックは厳しい。靴も脱がなくちゃだし、スーツケースのカギは開けとかなくちゃだし、ライターは持ち込み禁止だし(マイケル・ムーアの主張が通った??)。
入国の時は、ビザなしの人も顔写真を撮られ、両手人差し指の指紋も登録。どんなに巨大なデータベースかと思っちゃう。
インクを使うのではなくて(コロラド州の免許取得時はインクだった)、ガラス板に指を押しつける。「もっと強く! もっともっと」。
なかなかうまくいかず、係官も笑っちゃって。わたしって非力なのね。
デンヴァー国際空港で(また来られるとは!!)プロペラ機に乗り継ぎ。UA(United Airline)系列のメサ・エアラインが運航している20人乗りの小さな飛行機。お客さんは9人、客室乗務員ひとり。
搭乗口の案内は手書きの紙だった(←写真)。なんだかほのぼのしている。いいなぁ。
コロラド州の南西部にあるデュランゴ(Durango)行き。メサベルデのそばの町。
上空では安定しているが、離発着時には揺れてドキドキする。雲が多い。山々が雪をいただいていてキレイ。肌寒い。まだロッキー山脈にはこんなに雪があるのね。
デュランゴ空港で予約していたレンタカーを借りる。単なる駐車場にぽんと置いてある。ゲートも柵もない。田舎なんだ。いいなぁ。
車は……、で、でかい……。シェビーのモンテカルロ。ネバダ州ナンバー。
ラスベガスで乗り捨てる予定。
そっか、われわれが乗って帰ってあげることになるのか。もういっこ小さいクラスにすると、けっこうな乗り捨て料金がかかってしまうので、仕方なく大きいのにしたのだった。ガソリンくいそうだけど、まぁいっか。
空港から町までは意外に遠い。20マイルくらい?
久々の車。運転。なんだか慣れなくて、不安。けっこう交通量もある。
Best Western Rio Grande Innにチェックイン。屋内プールがあり、カクテルアワーがある。ひとり2杯まで無料。部屋に冷蔵庫と電子レンジ。冷蔵庫はときどきあるが、スイート以外で電子レンジとは珍しい。
デュランゴからは山の中の町シルバートンまで電車(写真)が走っている。100万ドルの景色とかいって、すごい観光地。むかしドライブしたが、そりゃあキレイで怖かった(>_<)。断崖絶壁を走るのだもの。
中華料理店Shanghai Pearlでご飯。オウナーは上海出身の人。東京にも長く、日本語がペラペラ。反日デモについて、ああいうのはイカンと。非難し合っても憎しみが生まれるだけだもの。
うれしくなる。
中国、日本、アメリカで暮らして、アメリカが一番住み良いという。大都市ではなく、ここのような小さな町だと人も温かい、と。同感。なんだかんだ言って、アメリカのよさってある。わたしには居心地がよい。初日にこの人と会えてよかったなぁ。
午後8時をすぎてもまだ明るい。
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2,3日前だったか、自分の中の「敵意」をハッキリと意識した。人間が嫌いで怖くて、周り中敵だらけ……と思っているものだから、当たり前といえば当たり前。
わたしの隠れた敵意に感応して、中立の人だって「敵」になる。
そうだったのか。そうだよねぇ。
わかってから、すこし楽に。
2005.5.11(水)キャニオン・デ・シェイ
昨夜の中華ののこりを電子レンジで温めて朝ご飯。飲み物はセルフ・サービスのレストランから持ってくる。ウーロン茶がおいしい。
朝7時すぎにはホテルを出発。気温6℃。写真はデュランゴの町。
車内は静か。CDの音がよい。エアコンも運転者と助手席と別々に温度を調節できる。こんなの初めて。
高級車なのかも!! でも4WDじゃないので、未舗装路は避ける。
550号を南下。アステック(Aztec、ニューメキシコ州)のスーパーで水、ガム、ペリエを買う。ファーミントン(Farmington)を通り、シップロック(Shiprock)のバーガーキングでテイク・アウト。ひょっとしたらこの先、食いはぐれるかもしれないからね。地図を見る限り、町らしい町もなさそう。
シップロックという岩(写真→)があるから、町の名前がシップロック。ここらへんはもうナバホ居留地内。
アニマス川(Animas River)とつかず離れず来たが、ここでお別れ。US-666号(地図によっては491号??)を南に。でもいつUS-64号と別れたのかわからず、ちょっと不安。明らかに南に向かっているから、これでいいんだろうけど。
風が強く寒い。周りは砂漠だが、意外に緑が多く花盛り。今年は雨が多いのか、一面紫に染まっていたりする。ラスベガス在住のお友だちによると、例年より雨が降ってデスバレーがお花畑になりニュースになったそうだ。
州道134号を西にとり、山を越える。景色がいい。
インディアン12号、64号からキャニオン・デ・シェイ(Canyon de Chelly、アリゾナ州)のノース・リムに。デュランゴから5時間。200マイル弱(125キロ)。正確には64号は公園外を走っているが、3箇所に脇道があり谷底を見下ろすポイントにいける。
キャニオン・デ・シェイの谷底にはナバホの人が暮らしている。National Monument(国定公園、国定記念物)だけど、入場料は無料。グランド・キャニオンと同じく、われわれは崖っぷちから下をのぞけるのだ。
U字谷、V字谷というより凹字という印象。ちょうど新緑で、崖の茶色に萌え出た緑が映えて美しい。ここも白人との悲劇があった場所だけど、いまは静かでひっそりと平和な雰囲気。
ノース・リムは裏口のようなもので人影も少ない。
駐車場にはトイレもない。ひとりか二人のナバホの人が装飾品や焼き物を売っている。車の中でハンバーガーを食べていると、お土産売りの犬だろうか、人なつこくやってくる。わたしは噛まれたことがあって犬が怖いのだけど、この子は大丈夫。穏やかそう。欲しがるけど、なけりゃないでいいや、みたいな感じ。
去年いったズニの村の犬たちもそうだった。とても自由で気ままでいい感じがする。白人の飼っている犬は獰猛に吼えかかってきて、恐ろしかったりするけれど……。なでようとしたら、舐めまわされそうになって、断念。舐めるなぁ!
ビジターセンターに行き、サウスリムを見て回る。
笛のCDと装飾品を売っている人がいて、ちょっと話を聞いてみる。笛の実演もしてくれた。懐かしい、もの悲しい音色。日本も含めて、国内外のあちこちで演奏しているという。「この笛は映画××でだれそれが吹いたヤツ。こっちは『ウィンド・トーカーズ』でだれだれが吹いたモデル……」。けっこういろんな映画と縁があるのね。
ナバホはネイティブ・アメリカンの中でも最大の人口を持ち、居留地(reservation)の面積も最大。一番有名なアメリカン・インディアンなのかもしれない。ドラマ「Xファイル」でもモルダーを救ってたし(あの最終回は納得いかないが!)。
彼、Travis Terry のホームページはこちら。日本からの注文も受け付けるそうです。
観光客が谷底に降りるには、ナバホのツアーに参加しなくてはならない。でも一箇所だけ、自分たちだけで行けるポイントがある。ホワイト・ハウス遺跡(White House Ruin)へのトレイルだ。高低差300メートル、けっこうな断崖。
生きて帰れるのか!?
天気も良く、暑すぎず寒すぎず、大好きな岩に囲まれ、緑を愛でながらのお散歩。馬で行く人とすれ違ったり、小鳥の巣を見つけたり、のんびりと時間を忘れて歩く。
谷底の一部では砂岩がさらっさらの砂になっている。でも植物も逞しく。
遺跡(写真↓)には立て札も能書きもなく、ちょっと物足りない。トイレがあって、物売りが集っている。見たところ、メサ・ベルデやツジグート、シナグアと同じような家。だれが、どんな暮らしをしていたんだろうなぁ。ナバホのものではないのかも。
往復2時間ちょっとのお散歩だった。
ここで、ビジター・センターのそばにあるサンダーバード・ロッジにチェックイン。
メールで予約を入れ、クレジットカードナンバーは念のため国際電話で伝えておいた。なにしろここのほかは最寄りの町チンリー(Chinle)に宿が2軒(ホリデイ・インとベスト・ウエスタン)あるだけ。予約しといた方がいいって、「地球の歩き方」にもあったんだもん。部屋には冷蔵庫なし。もちろん電子レンジも。でも、きれい。いい感じよ。
ロッジのカフェテリアで晩ご飯を食べる。ローストポークとナバホタコ。どちらもおいしかったーーー。ナバホタコは、ナバホ揚げパンにタコの具を乗っけたもの。
居留地内ではアルコールは御法度。カフェテリアや屋外では飲まないようにとのこと。部屋でこっそり飲む分にはいいらしい。法度を尊重して、ビールの空き瓶は居留地外まで持っていって棄てた。
夕日を浴びて、ふたたびサウスリムを行く。道ばたに羊の群がいたと思ったら、牧羊犬が車に吼えかかってきた。すごい迫力。仕事熱心。プロ意識、ね。
一番奥のスパイダー・ロックで日の入りを見る。天空高く、コンドル(たぶん)の群が舞っている。感激。寒い。
日没は午後8時13分だった(アリゾナはコロラド州と同じ米国山時間帯だが、夏時間(Day Light Savings)を採用していない。だけどナバホ居留地は夏時間を採用。そしてナバホ居留地内にあるホピ居留地は夏時間不採用。ややこしい!)。
2005.5.12(木)モニュメント・ヴァレー
朝6時前には目が覚める。朝ご飯を食べにカフェテリアへ。まだそんなにお客さんはいなくて、地元の人が多い。パンケーキにフレンチ・トースト、ヨーグルト。
ギフトショップで買い物をし、8時半に出発。チンリーの町でガソリンを入れる。レギュラーでもガロン2.29。ずいぶん高い。
US-191を北へ向かう。US-160も突破して北へ。モニュメント・ヴァレーには南からではなく、北から訪れたいから……。途中にもたくさんのビュートやメサがある。砂漠のドライブ。向こうには雪山も見える。不思議な風景。
こんなところに馬がいて、ほいほい歩いていたりする。お願いだから、車が来ない時を見計らって渡ってね♪ 制限速度の65マイル(104キロ)で走っているのだから、ぶつかったら大惨事……。
2時間ほどで神々の谷(Vally of the Gods)にさしかかる。未舗装路。入口に大きな水たまりができていたので、引き返し、グースネックス州立公園(Gooseneckes State Park、写真→)に立ち寄る。一本道を行った先。デュランゴからシップロックまで一緒だったアニマス川がいまはサン・ホアン川(San Juan river )と名前を変えている。谷を削り、激しく蛇行しているのを鳥の首に例えている。
でもこの谷はまったく緑がなくて、不思議な光景。砂と石と水だけ……。
あまり人影もなく、ソルトレイク・シティから来たという人が話しかけてきた。ここら辺が好きで、よく来るのだという。「日本製のデジタル・カメラを持ってるんだ」と見せてくれる。テレビ局にお勤めで、長野オリンピックに来たとか。こうやって知らない人とちょっとでもおしゃべりができるとうれしい。
さて、ここから断崖絶壁が見える。シーダーメサ(写真では牛に注意のカンバンの奥の崖)という。この崖を上る道がある。げげ……。
ダンナはいきたそうだが、怖いよーー。ここも未舗装路。道幅も狭く、急勾配、そして路肩は柔らかいから気をつけるようにとある。モキダグウェイ(Moqui Dugway)という。
最初の方だけ走ってみる。やっぱり怖いからやめる。ホッとする。まだそんなに登ってないけど、景色はステキ(写真)。モニュメント・ヴァレーは右の崖の向こう側。
神々の谷のもう一方のハシで車を止め、行こうかどうか考えていると大きな車が止まった。「モキダグウェイはどうだった?」と白人の初老の男性。「ちょっと行って諦めた」と言うと、「どうして?」。
「道は狭いし、急だし……。でもあなたの車は四輪駆動だから大丈夫かも知れない」。
「昨日、メサ・ベルデに行って、この車で降りていって大丈夫だったんだけど、これが怖がってね……」と、助手席の奥さんが「もうだって、ほんとに恐ろしいのよ……」。
結局、モキダグウェイは諦めて、神々の谷へと車を乗り入れていった。
どこでも、夫が冒険したがり、妻が怖がって止めようとする……ものなのかも??
♪♪♪♪♪♪♪
われわれも彼らに続いて、走り始める。土の道。砂漠だけど点々と草が生えている。広い。
車を止めて、写真を撮ろうとドアを開けると、ダンナが「パーキングブレーキをかけるまで、ドアを開けないで」と。
ムカッときた。そんな細かいこと、いいじゃないか。
プンプンしながら、黙ってしまう。でも黙っていては、なにも伝わらない。そして気分が悪いまま。
むかついてると、言ってみる。そしたら「足をくじいたりしたらイケナイから」と。
口にしてしまえば、腹立ちはいつの間にか消えていく。いままで、人生の大半はそうした感情を口にできず、ひとりで抱えたまま悶々と過ごしていた。いまも在庫がたくさん……。
こんな簡単なこと(それが難しかったのだなぁ)を知らなかったばっかりに。
♪♪♪♪♪♪♪
モニュメント・ヴァレーの手前にメキシカン・ハット(Mexican Hat、そばにメキシカン・ハットという名前の岩がある)という小さな町がある。ここでお昼にしよう。
何軒かある宿と食堂のうちの一軒に入る(写真)。
あれ? ビールを売ってる??
ここだけビミョウにナバホ居留地の外なのだった。割と愛想の良い白人夫婦の経営で、ピザとフィッシュ&チップスを注文する。15ドル。トイレはカギを借りて、外の建物へ。
壁にステッカーが貼ってある。
「しあわせは……」
うむ、なんだろう?
「腰に銃があること!」。ゲロゲロゲー!
ほんとにいるんだ、こういう人! そしてこの人たちがそうなんだ! うむむ。
料理はまずくはないが、なははは……。
もうひとつのステッカー。「議論にはふたつの意見があるわけだが、わたしは聴く耳などもたない」。
うむうむ、そうだよね〜〜。おしあわせに〜〜(;^_^A。
♪♪♪♪♪♪♪
あとはモニュメント・ヴァレーにまっしぐら。
前回(2002年6月、猛暑だった)と違って涼しい。いくらでも車を止めて、景色を眺める。
そう、ここに来たかった。これを見たかった。夢にまで見た景色。呼ばれた!
予約していたグールディングズ・ロッジ(Goulding's Lodge)にチェックイン。どの部屋からもモニュメント・ヴァレーが見える。ベッドはひとつだけど、ソファもあって眺めがいい。冷房までついている。
チェックインのときに、夕方のツアーを予約した。一般車の入れないところにも、案内してくれるという。集合時間に集まると、白人ばかり40人ほどがいっせいに(?)こちらを見る。
ひえーーー、なんか怖い。ニコリともしない。冷たいカンジ。
な、なんか腹具合が……。やだなぁ、おなかピーピー??
改装したトラックの荷台に座席があって、風を受けて走る。さわやかに……と言いたいけど、あらまぁ、寒いわぁ。
まずホーガン(ナバホの伝統的な家)に。女性がひとり、糸紡ぎ、機織りの実演をしてくれる。参加者からひとり募って、伝統的な髪型に結ってくれる(写真)。神代の昔のミズラみたい。ヤマトタケルノミコトとかみたい。日本とナバホ、なにか関係が!?
乾燥したトウモロコシを軸から一粒ずつはずして、石で粉にひく。石臼の方が効率がよさそうだけど、ふたつの石ですりつぶす。
ナバホのガイドさんが解説する。「昔はこうやって食べていたんです。でもいまは伝統食から離れて、われわれも肥満や糖尿病、心臓病が増え……」。たしかに白人に劣らず、太った人が多い。
ビジター・センターで一休み。トイレに行って考えた。周りの人が冷たかろうと、わたしになんの関係があるのだろう。わたしの敵意に反応しているだけなのかも。いつも人の目を気にしてビクビクしてる。
いまもそうしていたいのか??
ただ、楽しめばいいんだ。
と、腹を決めたら、腹痛もどっかにとんでいってしまった。
いま外国にいて非日常だから、くっきりと際だって気がつきやすかった。ほんとうにいつも、人の目ばかり気にしてるんだ。
どう思われるか、ばかり……。そして基本は「わたしは悪く思われている」という被害妄想。その上、「悪く思われたら、おしまいだ。死んでしまう」とまで思い詰めてしまうほどの恐怖。
だからこその「よい子」だったのだものね。ほんとうに……。
うーん、かわいそう。
コントロールできない他人の思惑に振り回されているなんて、悲惨な徒労なのでは???
♪♪♪♪♪♪♪
こういうことに気がつくのって、けっこうショックだったりする。自分の見たくない部分。
その昔は、気がつくまい、受け入れまいとすごく抵抗して、落ち込みも酷く大変だった。気がついてから、この日記に書けるようになるまでの日数も数ヶ月単位。
いまはもっと楽に受け入れるようになった。少しずつ自分を好きになってきたからかな? なんども気づいて落ち込んで、だいぶ慣れてきたのかな?
♪♪♪♪♪♪♪
モニュメント・ヴァレーは広くて、いろんな表情があって、とてもうれしかった。大きくて、きれいで、静かで。花がいっぱい。りすも牛もトカゲも。なにかの背骨も……(なんだったんだ!)。
なんども車を降りて、写真を撮って……。日は傾いて、光の加減がスバラシイ。
ガイドさんが「あの岩は○○という名前で、××に似てるでしょう?」と解説。わかるときもあれば、わかんないときもある。もちろん英語がわかんなかったりする。でも英語をしゃべる人でさえ、「なになに? どれどれ?」と額を寄せて考えてるから、言葉がわかったってわかんない人もいるわけだ。
白人といっても外国人もいて、フランス人はやっぱおしゃれでかっこよかった。
♪♪♪♪♪♪♪
たっぷりアチコチ回って、ロッジで解散。ガイドさんにはチップを多めに渡す。
風に吹かれて、砂にまみれて、なかなかスポーツだった。疲れたーー〜っ。
そして楽しかった!
ロッジの食堂で晩ご飯。ナバホ揚げパンとビーフシチュー。鶏の揚げたの。おいしくって、どっさりあった。
夜、ちっちゃなシアターでスライドの上映があった。ダンナは爆睡。ナバホ的天地創造と大地、自然の物語。始まってすぐに出ていった人たちは、キリスト教保守派の人かしら?? どの神話も本質はおんなじなのに、と思ってしまう。
でも人それぞれ、なのよね。
2005.5.13(金)アンテロープ・キャニオン
時差ぼけで早く目が覚めてしまう。まだ5時すぎ……。
いっそ、起きて日の出を見よう。窓の向こうはモニュメント・ヴァレー。日はそこから昇る。
ベランダは寒い。砂漠は一日の温度差が大きい。くわえて今年は涼しいのかな? でもテレビで見ると、おなじアリゾナ州(正確にはここはユタ州)のセドナやフェニックスは90度(32℃)、100度(38℃)。うむむ??
空は少しずつ明るくなり、小鳥たちがさえずり始める。にぎやか。ロッジに仕事に来る人たちだろうか、時折、車のヘッドライトが闇を照らす。
日の出を拝むなんて何年ぶりかなぁ〜。
もってきた水晶とともに朝日を浴びて、ご飯を食べに行く。オムレツと揚げパン。
そしてギフトショップでお買い物。焼き物の人形を買ったら、アコマ族のだった。よほど好きなのかな〜、去年も知らずにアコマのを買った。
♪♪♪♪♪♪♪
ロッジ(写真←わかるかな〜? 岩の麓)の名前・グールディングはある白人夫婦の名前だ。ここが気に入って住み着いたふたり。でもナバホ族の貧しさを見て、ハリウッドに出かけていく。映画のロケ地にどうかと売り込みにいったのだ。
ジョン・フォード監督が気に入って、俳優ジョン・ウェインと一緒にここでたくさんの映画が撮られた。ここの博物館には「駅馬車」の日本語チラシも飾ってある。いまでもCMや映画撮りがしょっちゅうあるらしい。そういえば映画「ウィンド・トーカーズ」もそうだったなぁ。
グールディング夫妻は、ここに来る前はデュランゴに住んでいたそうだ。
コロラド州デュランゴ……今回の旅の始まった場所。うふ、ご縁。
♪♪♪♪♪♪♪
9時に出発して、10時ごろペイジ(Page、アリゾナ州、ナバホ居留地外)の町に着いた。時差があるので、2時間のドライブ。アンテロープ・キャニオンちゅうとこに行くのだが、ここもナバホのツアー。
三本の煙突がある発電所(写真←)の近く!
なんつーか、天井に割れ目のある洞窟とでも言えばいいのか。だから天井から射し込む光で表情が変わる。11時半のツアーがベストと「地球の歩き方」にもある。光が真上から降り注ぐから。
パウェル博物館というところで、ツアーを申し込む。
「え、日本から? 息子がヨコスカにいるの。まえはサシーボ(佐世保)でね。娘は小金井なのよ」と受付の白人のおばさん。息子さんは軍関係なんだろーな。戦争や武力は好きじゃないけど、こういった縁を創り出してるという面もあるんだよね。
こうやって日本に親しみを感じてくれる人が増える。知ったことで憎む人だっているだろうけど。
♪♪♪♪♪♪♪
お腹がすいたので、KFCに行く。ところがモタモタ……。ツアーの時間は迫る。ダンナがだんだん無口になっていく。イライラしてるのがわかる。
そうか、彼もわたしと同じで「遅れちゃイケナイ病」を患っているんだ! 仲間だ!
いや、充分間に合ったのだが、彼の傾向を再確認できたのは収穫だった。ちょっと嬉しい。わたしだけじゃないんだーーー。
♪♪♪♪♪♪♪
ツアーにはなぜか日本人がたくさんいた。少なくとも自分たちを入れて4組。NHKのトレッキング紀行でも石川さゆりさんが来ていたし、日本でブームなのかな?
なんつーか、海外で日本人に会うと敵愾心がめらめら、なんてことがある。瀬戸内寂聴さんもエッセイに書いていた。修行してる人でもそうなのね(^▽^。
なんでかなーー??
こんな時代でも海外旅行をすることに優越感を感じていて、「あたしって、スゴイ☆」と思ってるのに、同じような、いやもしかして我々より手慣れている人がいたとしたら!? むむ、「こいつは敵!」と認定……なのかな(;^_^A。
ははは。
外国に出ることはわたしにとってなぜか恐怖だったから、そういうのって強くあるんだろうな。こんな風に旅行できるようになるとは、思ってもみなかったしィ〜〜。
むかしから「波瀾万丈の人生だね」などと言われることがあったけど、ここ10年の変化には自分でも目を見張る。
♪♪♪♪♪♪♪
そういえば、ここは暑い。昨日まで涼しかったのに。車でちょっと来ただけなのにねー。
またまたトラックの荷台に乗って、ツアーに出発。舗装道路を10分、未舗装路を10分走って入口に(写真左上)。11:30のツアーは人気があるので、すごい混みよう。狭い一本道を複数のツアーが数珠繋ぎになって進む。みんな立ち止まって写真を撮るので、ガイドさんが「はーい、速く進んでーー」とせかす。ぞろぞろぞろぞろ……。
うーむ、よいところなのだろうけど、オモシロイ地形だけど、ひんやりと気持ちよいけれど……こう人口密度が高いと、ね。
終点で地上に出て、あとは引き返す。時間までに銘々トラックに帰ればよい。帰路は人数が減って、ちょっと良さがわかった。
実物より、よく撮れた写真のほうが神秘的かも。
風と水が創りあげた芸術。
♪♪♪♪♪♪♪
「一品香大飯店 Mandarin Gourmet」という中華を見つけてご飯を食べる。バフェだった。お店のご主人(?)がついてまわって、「これがおいしい、あれがおいしい」と教えてくれるが、アレコレ指示されるのは嫌い(>_<)。うっとおしい。
でも、とくにお薦めだった餃子をあとで食べたら、たしかにおいしかった。おいしい肉まんの味がする!
店の人はハングルをしゃべっていた気がする。
♪♪♪♪♪♪♪
ああ、暑い……。ううう、グッタリ。
グレン・キャニオン・ダム(Glen Canyon Dam、写真→)を見に行く。ビジター・センターは警備が厳しく、銃やナイフ類は持ち込み禁止。カバンやビンもダメ。ボディチェックされる。
うるさいなぁーーと言う私に「軍事上、重要な施設だからねー」とダンナ。そういえば、アフリカに行ったときは空港、橋の写真を撮って兵士に怒られた。詳細な地図もヒミツなのよね。
ここは観光地だし、カメラはオッケー。まだしも平和。
ダム湖であるレイク・パウェルはここ数年の水不足で、どんどん水位が下がっている。
そういえば、2,3年前にコロラドにいたとき、スプリンクラーは使用制限があって、毎日使ってはイケナイのだった。だけど、水不足になるかもってのに、アメリカ人は水をふんだんに撒いていてビックリしたものだった。
うむむ、これからどうなっていくんだろう。砂漠が広がるのは……やだなぁ。勘弁してほしい。緑が増えてほしい!
♪♪♪♪♪♪♪
今日の宿は決めてない。US-98を西に行けるトコまで行って泊まろう。明日どこを見るかも気の向くまま。決まっているのは、ラスベガスに泊まるってことだけ。
この先にある町と言えば、カナブ(Kanab)かマウント・カーメル(Mt. Carmel)くらいかな? まぁ、どっちでも構わない……。
けど、暑いし、疲れた! そうだ、朝早かったし……。大あくびを繰り返しながら運転する。クルーズにして速度は一定、単にハンドルを握っているだけ。地面に沈み込んでしまいそうな、重い疲れが溜まってる。ネムイし〜、無事着くかしらねーー???
ふああああぁぁ〜〜(-o-;。
あくびをすると、少ぅし目が覚める。眠りたいというカラダの要求に従うわけにはいかないが、せめてあくびは盛大にしよう。
カラダさん、酷使してすまんね。その土地土地のエネルギーに慣れるだけでも大変だ。
♪♪♪♪♪♪♪
景色はすばらしくて、それもそのはずグランド・ステアケース・エスカランテ国定公園内(そんなのあったんだ)を走っているのだった。元気ならもっと楽しめるのにね〜。でもまぁ、絶景絶景。
とてもマウント・カーメルまでもちそうもなく、カナブのベスト・ウェスタンに行ってみる。幸い部屋があった。会員価格で100ドル? ちょっと高いねぇ、田舎なのに? でも日本ならふたりで200ドルはかかっちゃうんだから、いいよね。
お部屋は広々。二階だけど、エレベーターはなし。冷蔵庫がないのは構わないが、時計がなくてビックリ。ボイスレコーダーを目覚ましに使おう。なぬ、電池切れ? 買ってこなくちゃ……。ひとっぱしり、スーパーに。
歩いていけるところに中華があった。ちょうど中国人のバスツアーが店を出るところ。おじさんおばさんがゾロゾロ。どこから来たのかな。目が合わないのは、われわれを日本人と見抜いてのこと? それとも目を合わす習慣がない?
店員さんは白人。店内は意外に立派。おいしかった。「ポリガミー(polygamy、一夫多妻:モルモン教は一夫多妻)なんとか」っていう地ビールがあった。ユタ州だなぁ。
帰るころ、日本人の団体さんが入ってきた。10人ほどのご年輩のグループ。どこかでとても楽しい一日をすごしたカンジだった。元気溌剌。楽しそう。よかったですね〜〜、と影ながら。
疲れ果て、10時ごろには深い眠りに落ちた……。
18時間は起きてた勘定かな?
2005.5.14(土)ザイオン、ベガス
ゆっくり寝て、6時半に起きる。たいていのベスト・ウェスタンの朝ご飯。ジュース、コーヒー、紅茶、シリアル、パン。バナナもあるけど、皮が青い。ちょっとね……。
9時前にホテルを出る。町でガソリンを入れる。いっつもダンナ任せで、給油ノズルに触ったこともなかったのに、にわかにやってみたくなる。初給油! む、カンタンじゃん。
ホテルにあったガイドでコーラル・ピンク砂丘州立公園(Coral Pink Sand Dunes State Park)というのを知った。ピンク色、オレンジ色の砂丘だって! そこに立ち寄ってから、ザイオン国立公園(Zion National Park)を抜けて、高速道路I-15(あい・ふぃふてぃーん)でラスベガスに行くことにした。シーダー・ブレイクス国定公園(Cedar Breaks National Monument)にも興味があったんだけど、ウェブによるとまだ雪があって閉鎖中だった。
US-89を北上し、枝道を左に折れる。一本道を行くとたしかにピンク……というかオレンジ色の砂丘が。そんなに奇異な感じじゃあないなーー。
入場料5ドルを払って車を止める。砂丘といっても植物が生えていて、名前や性質を記した標識が立っている。意外にいろんな種類があるんだねぇ。砂の上にはなにかの足跡も点々と(写真←)。へび? とかげ? 足跡の解説もほしーなー。
♪♪♪♪♪♪♪
数組の白人がいた。でもだれひとり、目を合わそうとしないんだよね。声をかけても無視。昨日のホテルからそうだった。
「ニコリともしないどころか、まったく無視だねーー。人種差別主義者なのかもねー」とダンナと日本語でフツウの声でしゃべってみる。「ユタ州に入ってから、なんかねー。モルモン教徒は差別主義者なのかなー?」「でも湘南台なんかの教会で、無料英会話教室やってんのもモルモン教徒(聖徒末日教会)だしねーー」。
母もよく私を無視していたし、差別主義者であれなんであれ、無視されれば傷つく。腹が立つ。悲しい。悔しい。
でも母には母の、この人たちにはこの人たちの事情と人生がある。憎しみや怒りを抱え続ける人生を体験中なのかも知れない。それがどんなものか、体験してこそわかることがある。
生まれ変わり何回もある人生でだれもが聖職者、娼婦、金持ち、貧乏、権力者、庶民、几帳面、不精者、誠実、詐欺師、従順、暴力的、理屈屋、直感、男、女、長生き、短い人生、明るい、ジメジメ、のんびり、せっかち、無責任、実直……いろいろと体験し味わう。
わたしは無視された悲しさや怒りを体験し、そこから少し成長中かも。無視するのはその人の都合であって、わたしが影響を受けることはないのかも。人目を気にして右往左往するのはそろそろヤメ、かも?
憎しみや怒りや優越感や劣等感を充分に感じて、体験してね。あなたの人生が幸多いものでありますように! 祝福を!
それに、わたしだって差別意識あるしね。「わたしなんか……」と自己卑下しちゃう自分が悲しくて、自分より「下の人」をつくりあげてホッとする。奥ゆかしさを演じてる分だけ、アブナイ。
♪♪♪♪♪♪♪
砂丘をバイクで走り回っている人もいる(写真→)。ついつい暴走族、と思ってしまう。そしたら幼い子をのせたおかあちゃんだったり。
凶悪な((;^_^A?)、屈強な、革ジャンな人を想像してたから、自分のヘンケンに笑っちゃう。
砂漠でも芽生えが見つかる(写真←)。育つといいなぁ。地球は砂漠化進行中。
♪♪♪♪♪♪♪
US-89に戻ってしばらく走り、マウント・カーメル・ジャンクション(Mt. Carmel JCT)のあたりで州道9号に入る。
11時前に、ザイオン国立公園の東入口に辿り着く(写真→は入口の手前あたり。たぶん……)。
去年5月に買った国立公園パスで入場。一年有効。5月に買うと、次の年の5月いっぱい使える。持ってきた甲斐があった。でも今回の旅ではここが最初で最後。
入ってすぐチェッカーボード・メサという碁盤の目模様の山がある(写真←)。うっかり通り過ぎた。引き返してほしいと、ダンナ。
え〜〜〜っ!
すごく交通量があるわけじゃないけど……例の「心配性」「不安」があたまをもたげる。Uターンしてる最中にほかの車が来て、待ってもらうことになったら? 迷惑になったら? ひーー。
あ、これか!
「この行動は愛から出てるのか。不安から出てるのか」。答えは「不安」だぁ!
愛から行動するとしたら? なんでも「できない」って言っちゃうね。やってみれば? やろうよ。
うーん、なんだできるじゃん。ちょっと自由になったカンジ。ガソリン入れてみたことと、なんか呼応してる。
♪♪♪♪♪♪♪
ここ、気に入った。こっちはどっちかというと裏口で、メインストリートじゃあないんだけど、ね。
岩岩山山っていうか。細い川が流れてて、緑も豊かで。山は白かったり、オレンジだったり。平目のエンガワ模様だったり(写真→)。
そこここで車を止めてすこし歩く。
トカゲが芋虫を食べる現場を目撃!!(←写真) ぱく。
小さなカワイイ花がいっぱい。蟻ンこの巣。鳴き交わす小鳥たち。ケンカして追っ払ってる小鳥たち。水の中でオールを漕いでるゲンゴロウ……いや、なんていうんだっけ? 図鑑でだけ見たことのある甲虫。
車は多く通りすぎるけど、とぎれると静か。風の音、せせらぎの音、鳥の声……だけ。
往復1時間ほどのCanyon Overlook というトレイルを歩く(写真はトレイル入口にして、トンネル入口。交通量を調整してる)。狭い一本道。ここではたいていの人が目を合わせ、「ハイ」「ハロー」ぐらい言う。さっきと違う〜。うれし。
日本人の家族連れ二組とも行き会った。ちょっと話したり、写真を撮ってあげたりもらったり。
のんびりと進む。岩だなみたいなところでは、アジアンタムが自生してる。水がしみ出してくるような、日の当たらないところ。岩の割れ目。こういうとこがふるさとなのか。うちのアジアンタムちゃんは元気にしてるかしら。
一歩一歩、景色がステキ。すごいなーーー。いーなー。写真(←)は終点からの眺め。
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車に戻ると、すぐにトンネル。1920年代につくられた狭いトンネルで、入口で入場車を制限してる。てっきり片側交互通行だと思ったら、対向車も来るじゃん。トンネル内の通行量が多くなりすぎないようにしてるだけかも。
トンネルを抜け、いろは坂みたいなくねくねを降りる(写真→)。さっき歩いていったオーバールックの終点が見える。
そしてバージン川とザイオン谷(Zion Canyon)に突き当たる。ここから右側がザイオンの一番賑わうところ。一般車は入れず、無料シャトル(写真↓)を利用する(4月〜10月)。川も水量があって、白く濁った水が怖いほどの勢いで流れている。
ビジターセンターの駐車場もばかでかく、しかもほぼ満車。人気の観光地なんだなー。
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西出口にはおしゃれな町があり、レストラン、お土産屋、スーパーなどいろいろ揃っている。おなかすいた。どこで食べよう?
ダンナが「あそこは、本に載ってた。引き返して! あそこに行こう」。またかい! でもいいや、はいはい。ぐるん。
Sol Food & Cafeというデリ。バファローバーガーと、ターキーサンドを頼む。どういう仕組みなのかな? 番号札をもらって、席に着いていると持ってきてくれるのかな? 席で待っているとまたまた不安に。
本当に持ってきてくれるんだろうか、とソワソワ。日本の行きつけないファストフード店でも同じようにいつも焦ってしまう。食べ終わってそのまま置いてけばいいのか、ゴミ箱に捨てるのか……まったく私の不安の種は尽きない。
いつものごとく歯ごたえのあるバファローバーガー。そして日本では未だ食べたことのない、だからアメリカでの楽しみターキーサンド。おいしー。パンはあまり好かないハズのダンナも「うまいな」。ふふーーん、そうだろう。
隣のスーパーでTシャツを買う。ビジターセンターのはいまいちだったからね。ココペリ(ネイティブ・アメリカンのお話に出てくる雨を降らせるひと……妖精?)模様。ん? ここもアメリカ・インディアンの遺跡や岩絵があるのかな?
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こっから先は高速に乗るので、運転交代。と、石屋さんがあるじゃないか! グレープフルーツほどの大きさのピンクや緑の石が地面になにげなく山と積まれている(写真←)。安い! でもこんなの持って帰れない〜(T_T)。
車を止める。田舎の素朴なお店。あまりめぼしいものはない。ステキな写真集を買うことにして、店員さんに声をかけたらタイミングが悪かった。ちょうどなにかを口に入れたところで、急いで飲み込もうと目を白黒。
「あ、いいから、ゆっくり食べて。急いでないから」と声をかける。恥ずかしそうに頬を染め、もぐもぐする彼女。かわいい笑顔。
ちょっと言葉を交わすことで、空気がふんわり暖かく、こころも暖かく。ちょっとした言葉で誰とも知らない、なに考えてるかわかんない人が、ぐっと身近になって安心する。
日本のコンビニやスーパーで、レストランで……注文する以外はほとんど無言だったりしちゃう……。人がひしめき合っていながら孤独な町。ご近所との挨拶も苦手だし。
気の利いたことを言わなくちゃ、なんて構えちゃうから、緊張して声をかけられないのかなぁ……。両親はそういうわれわれ世代を「変だ」なんて言うけれど。ちょっとしたことでありながら、なんだか重大な……。
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ハリケーンの町をすぎ、I-15に。北に行けば、ソルトレイク・シティー(ユタ州)を通ってアイダホ、モンタナ州に。南はラスベガス(ネバダ州)、ロスアンジェルス(カリフォルニア州)へと続く州を越えてのびる高速道路。
ずっと一般道(でもハイウェイだったりする)を走ってきて、今回の旅では初の高速。セント・ジョージ(St. George)の辺りで一瞬混んだ。
期待してなかったけど、ここも素晴らしい景色。こんないいとこだったんだ! 今度は是非、ラスベガス発でザイオンに向かって走ってみたい! 堪能。喜。
砂丘は寒かった。ザイオンはちょっとあったかかった。いまは山を下っていて、暑い!
ぼんやりとラスベガスが見えてくる。あれがそれかー(写真→)。砂漠の真ん中にポツン、って聞いてたけどちょっと違うかなー。
信号待ちをしていたら、建物からイキナリ、ジェットコースターが!! なんなんだぁ〜!
予約しておいたホテルにチェックイン。ベガス在住の友だちに電話して待ち合わせる。今日はラスベガスの100年(なんのだっけ??)記念日だそうで、どこも混んでいるとのこと。道理でなかなかホテルがとれなかったわけだ。
いろいろ見所など教えてくれたのだけど、こういう人工物はもういいや、という気持ち。でもアップルストアーには立ち寄ってみる。比較的空いているバフェに連れて行ってもらい、ゆっくりご飯。
彼女とはネットで知り合って、去年初めてセドナで会った。今回は二回目。つくづく不思議なご縁だな〜。
2005.5.19(木)自分自身でいるために
新聞の川柳欄をみて、「いろんな人がいろんな考えや感慨をもって、いろんな人生を生きているんだなぁ」と思った。
こういう感覚はわたしには新鮮だ。「人生いろいろ」を容認できるようになってきたのね! やったぁ!
親は子どもを自分と同じように仕立てようとする。それが、いつの間にか自分と違う考えや宗教、文化を受け入れない、攻撃する人間をつくっちゃうんだろーな。
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観光地に家族連れがいた。子どもはさして面白くなさそうだった。でもおとーさんは一生懸命、「面白かったね、面白かっただろう?」と。せっかく連れてきたのだし、面白いと言ってほしいのは人情だよね。
でも、こういう些細なことが、子どもの自主性や子ども自身の感覚を損なってしまうんだろーな。
親に気を遣って、「おもしろかったよ」とウソを言ったり。
「こういうツマンナイことを『オモシロイ』というものなのか??」と混乱したり。
「ありのままの自分」が失われていく……。
♪♪♪♪♪♪♪
暴力を振るったり、育児放棄をしたり、行き過ぎた躾だけが人間の尊厳を損なうワケじゃないのね〜。こういう小さな積み重ね。
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精神世界を知ってから(?)、けっこう咳に悩まされてきた。
いいたくても言えないことがあるのでは?
でもなーーー、言えない事ってなんだろー?? うーむ、わからん。
理性・知性で考えたってわかるわけないね。闇夜の烏。背景にとけ込んでて見えません!
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そういえば、母はよく「大人になったらわかる」と私の質問をはぐらかした。まったく無視されてしまうことも多かった。かすかな嫌悪の表情……。
これもまた「些細なこと」「よくあること」なのだろうが……。
無視される怖さ。聞いちゃいけなかったんだという罪悪感。己の存在を恥じ、消えよと念じる。わたしには居場所がない。
そうか……わたしには「聞いちゃいけないこと」がたくさんあるんだ。「言っちゃいけないこと」がたぁ〜〜くさん、あるんだ。
きっと「感じちゃイケナイコト」もね。
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言えるようになると、ウェストが細くなるって。楽しみだねぇ。
2005.5.20(金)心配性
母の姉(わたしの叔母)は妹たち(4人いる)の誰もが認める心配性。といいつつ、母を含むほかの叔母たちも心配性なように思う。本人たちは否定したりするが。
心配や不安は健康を損ねるのに、と他人事(ひとごと)のように思っていた。
♪♪♪♪♪♪♪
ある日、出かけてから気づいた。手帳を忘れた!
どうしよう!
訪問先の電話もダンナの職場の電話も誰の番号もわからない。なにかあったとき、わたしの身元は免許証でわかるとしても、ダンナに連絡がいくまで時間がかかってしまう。電車が遅れても、先方に連絡がとれない。
……と、焦って心配している自分に気がつく。ものすごく心もとない。
まぁ、無事に終わるだろう一日なんだけど。
叔母や母のことは言えない。わたしって、心配性じゃん。思いっきり!
♪♪♪♪♪♪♪
旅行に出る前は、生きて帰れないだろうと思ってしまう。毎度そう思って、無事帰宅する。
今回の旅行だって、心配のしっぱなし。
ひとけのない砂漠でパンクしたら? 車が故障したら? 事故にあったら? 駐車場でだれかを轢き殺しちゃったら? なんかの理由で警察に捕まったり、FBIやなんかに拘束されたら? 一年ぶりでも運転できるのかしら? すっかり忘れちゃってたら、どうしよう?
空港で預けた荷物がどっか行っちゃったら? 乗り遅れちゃったら?? 寝坊したら? スーツケースのカギは開けとくんだっけ? 窓側の席なのに、なんどもお手洗いに行きたくなったら? 旅行中、体調を崩したら? 砂漠で下痢したら?? トイレはないぞ。
飛行機や宿がオーバーブッキングだったら? キャニオン・デ・シェイやモニュメント・ヴァレーの宿がとれなかったら? 部屋数が限られてるんだから早く予約しなくちゃ。居留地内でアルコール所持が発覚したら? マグネット買って、カードの磁気がパーになったら? 留守中、家が火事になったら? 留守中、身内の誰かが死んじゃったら? ……
数え上げればキリがない。いつも、ありとあらゆる心配をしているのだった。
こうして書いてしまえば、我ながら狂気の沙汰だと思うのだが、意識と無意識のぎりぎりのところで当人は必死なの。
♪♪♪♪♪♪♪
外国旅行だから際だってるけど、国内でだって毎日毎日不安にかられている。気がつきたくなかっただけ。
母方の血も、父方の血も色濃くわたしに現れる。
イジワルで心配性で近眼で怒りをため込み、ほんとうを語れず、人生は辛いと思う……。ものすごくビクビクしてる。
筋金入りなの! よっぽどヒドイ目に遭ってきた人生ってカンジ。
んむ。
でもまぁ、いんでないの? ちょっと暢気なとこだって、もらってるし。
何百代(?)も受け継いできた血脈の負の遺産は、わたしで解消する心意気。神さまと一緒だもんね。
2005.5.22(日)苦しみは感情から
そうだ、思い出した。
幼いころ、なんだか苦しくて(生きるのが??)、よく意識的に息を止めていた。
息をしないと楽だった。
そのうち、酸素が必要になって呼吸を再開するのだが……。
♪♪♪♪♪♪♪
母方のおばあちゃんを見て、「感情がないと楽だろうな」と思った。どんな状況だったかはわからない。
叔母にいわせると感情がないどころじゃなかったそうだが……。
♪♪♪♪♪♪♪
息を殺すと、かんじょうを感じなくてすむ。そんなことをひとりで編み出して生きてきたんだ。
そんなに苦しかったんだなぁ……。
2005.5.24(火)悪人、罪人プロジェクト
中途半端になっているプロジェクトがあって、「やっぱりわたしって嫌われてるんだ」と思った。わたしを嫌いになったから、離れていってしまったに違いない。
でも、なにが悪かったのかなぁ?
そういうのって、自分じゃぁわかんない……。
♪♪♪♪♪♪♪
ふと思った。
わたしがメールを書けないとき、日記を書けないとき、人に会えないとき。
それは精神的に追いつめられて、アップアップしてるときだなぁ。とてもヨユウがないとき。自分では身動きとれなかったり……。
そういう可能性だってあるのでは? 相手がなにかせっぱ詰まっていたり、その人なりの理由や事情って可能性は?
♪♪♪♪♪♪♪
ああ、そっか。
無意識に自動的に「わたしが悪い」と思い、それがなにか探していた。なにが起きても常に「自分が悪い」と思ってしまうんだ。とても後ろ向きに……。
「悪い自分」は世の中からいなくならなくては……、人から遠ざかっていなくては……なんてどんどんこころが萎えしぼんでいく。
戦争や事故、災害で生き残った人がときに「自分だけ生きていて申し訳ない」と苦しむけれど、私もそういう人間なんだろう。
「こんなに悪い私なんかが、生きているなんて……」。惨めだと……。
♪♪♪♪♪♪♪
母はよく自分の不機嫌を子どものせいにしていた。
「美穂があんなことをしたから」「あんなことを言ったから!」。
弟にもおなじような言葉を投げていたかも知れない。
♪♪♪♪♪♪♪
生まれてこの方、わたしは「悪い人間」と思い込まされて生きてきたのだ。
なんてことだろう。絶望もやむなし……。人の目が気になるわけだ。
「自分は悪人」だと思う人が、ちっとでも「いい人」になるには「もっと悪い人」を見つければいい。だから常に「悪い」人やものごとを探している。批判的で非難ばかり、攻撃的になる。そうしていれば、相対的に自分は「正しい」から……。
母もだれかから、「悪い子」にされて生きてきたんだろう。その誰かも別の誰かから……。父も父方の祖母もそんなところがあったな。
♪♪♪♪♪♪♪
でもそうなんだ。
これは我が家だけの、我が血脈だけの、我が文化だけの問題じゃないんだ。
「ひとはみな生まれながらに罪人です」「彼はあなたの罪をあがなうために、自ら十字架にかかられたのです」。
そう教える宗教が、大きな勢力として影響力をふるっている。わたしの過去生にも、今生にも深く根を張っている。
理不尽……!
身に覚えもないのに「あんたが悪い」と言われたわたしは、ものすごく悲しく情けなく、生きている自分を呪ってしまったのだから……。
生命は喜びだというのに。
2005.5.26(木)庭の楽しみ
庭のレタス、パセリ、マスタードをスープに入れた。すると芋虫の姿煮がぷかぷか。芋虫さん、ダンナ(ショックを受けていた)、ごめんね……。
サラダじゃなくてよかった。生きてるのを、ブチッと噛み切ってしまったら……!!! うぎゃーーー。
♪♪♪♪♪♪♪
鍋底にこびりついたご飯粒。もったいないなぁと思いつつ、毎回ゴミ箱行き。
そうだ! せっかく庭があるんだし、誰かの役に立つかも知れない。
すぐに雀の親子がやってきた。ねだる子雀。口移しに食べさせる親雀。2,3時間できれいさっぱりなくなった。
昔の人は仏様にあげたご飯や鍋にこびりついたお米をこうやって鳥にやっていたらしい。一粒でもムダにしない。いいなぁ。
翌日。
くだんの(だと思うが)親子がやってきた。「あれ!? ご飯粒、ないぞ?? 変だな、変だな」と言ってるみたい。
うちは一週間に一回炊くかどうか。毎日はないんだよーーん。ごめんね。
それにしても、たったの一回でバッチリ場所を覚えてしまうとは。雀って侮れない。すごい。お利口なのねぇ。
♪♪♪♪♪♪♪
旅行から帰って、久しぶりに楽器を弾いたらうまくなっていた!
そんなのあり??
私だけなら錯覚かもだけど、先生もそう感じてるんだもんネ。うう〜、なんていうか……快感★ ぎゃぼー!
2005.5.28(土)ありのままは難しいけどもさ
ちょっと前の無気力がウソのよう。
たいしたことはしてないけど、掃除も片づけも庭も楽器も、前よりうんと楽しい。
自分的には無気力だったときに「やる気しない〜〜、でもこれでいいんだもーん」て認めて、ゴロゴロできたから、かしらって思う。
♪♪♪♪♪♪♪
いままた「認めるかどうかの山場」にさしかかっていることがひとつ。
好意でも何でも人の指示、示唆、忠告、命令が大嫌い。
でもこういうのって、成長の妨げになるだろうし、やなヤツ、未熟者、傲慢ってカンジがする。ああ、こんな私じゃダメだ……。直さなくちゃ。
♪♪♪♪♪♪♪
だけど「○○してください」というメールをもらって、やっぱり切れた。
憎悪と憤怒がジェット噴射。収拾がつかない。
うーーーーん、こんなものがこんなに出て来ちゃうんだ〜〜、わたし。
ああそうか。いままでこういう自分を嫌悪して否定してた。人の言葉に耳を貸さないのはデメリットも大きいかもれないけど、鵜呑みにすることなく、じっくり吟味して取捨選択するってメリットもあるかも知れない。
深く考えないでその場の雰囲気や流れで「イエス」と言ってしまう私には必要かも。
♪♪♪♪♪♪♪
耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、受け入れるのが第一歩なんだった。
ありのままの私を。
2005.5.30(火)他人は変えられない
「××してください」と言われて、出てくる怒りや憎しみ。そういえば、思い出した。
♪♪♪♪♪♪♪
そのむかし、物好きにも「好きです」と言ってきた親戚がいた。
好きって言われても、親しく語り合ったこともないし、そもそもそんなに会ったことない。わたしのいい子ぶりっこぶりにだまされたのだろうけど、一体どこを好きになったというんだ。
アイドルとかスターじゃあるまいし。うんざりしたというか、呆れたというか。
♪♪♪♪♪♪♪
その数年後、思いがけず会うことがあった。そして手紙が来て、「タバコはやめてください」とあったんだ。
うるさいっ! ブチ切れた。
この前のときとおんなじ感情だ。そうか、あの時だったのか。
♪♪♪♪♪♪♪
生身のわたし自身じゃなく、創りあげた「わたしの虚像」「理想像」を勝手に好きになって、てめーの理想と違うからって、わたしを矯正しようと?
わたしのなにを知ってる? 私の苦しみも喜びも悲しみも強さも弱さも、なにひとつ知らないくせに!
あの時感じた憎しみが、まだまだたくさん。悲しみも隠れてるかも。
でもあれは20代だったから、まだオリジナルの憎しみ・悲しみには辿り着いてないんだろうな。
♪♪♪♪♪♪♪
女の子を監禁して調教していた男が逮捕された。ひとは自分がされたことをひとにすることがあるから、彼も調教されて育ってきたのかも。
教育と調教。躾と虐待。どこに境界があるんだろう。……たばこをやめろなんてのも、調教の一種に思えた。押しつけ。お節介。
だいきらい! 傷が疼いているらしい……。
癒しに向かうためのありがたい痛みとはいえ、痛いことは痛い。