2005.6.30 更新

2005.6.3(金)安静期間

躾と虐待、調教と教育の境。

それって、動機が「愛」か「不安・恐怖」かで決まるんだろうな。心の傷が大きければ、深ければ、不安や恐怖が強いだろう。

そしてたいていの場合は「愛19%、不安81%」「愛2%、不安98%」なんて具合に入り交じってるのだろう。その割合も、時と場合によって変動したりして。

どうしたらいいか。

心の傷を認めて、受け入れて、許すこと。癒して、意識的に生きること……に尽きる。……って、いつもおんなじ結論になるのだけれど(;^_^A。

じゃないと関係のない人(究極的には必然のデキゴトであり、「関係ない」どころじゃないけど)に八つ当たりして傷つけて、自分の傷もさらに抉る(えぐる)ことになってしまう。

♪♪♪♪♪♪♪

セラピーの心得のひとつとして、"I message"(あい・めっせーじ)てのがある。日本語ではなんというのだろう? 「わたし」を主語にして話す。

相手の言ってることがわかんないとき。「すみません。わたしにはよく理解できないのですが?」と伝える。「あんた、バカじゃないの? もっとちゃんとしゃべんなさいよっ!」とは言わない。

やってみるとなかなか難しい。気がつくと「あなたはこうすべきだ」と命令・指図してる。それを常態としてきたってことだなぁ……。

ダンナが残業続きだと、つい「早く帰ってきてね」と言ってしまう。いやいや、そうじゃないんだっけ。えーと……「遅いと寂しい。それにからだが心配」。これでいいかな?

※主語は省略してあります(つい「主語は補って読んでね」と言いそうになる(>_<)。自分が言われたら、場合によっては「余計なお世話だ」と怒るくせに!)。

「わたしを主語に話す」は命令・指図・強制・支配その他を持ち込まない工夫なんだろう。実は指図・命令に反発する人は多いってこと?? むふ??

♪♪♪♪♪♪♪

引き金を引いてくれた人(地雷を踏んだ人、逆鱗に触れてしまった人、ボタンを押した人)に間接的とはいえ八つ当たりしたので、早く謝りたい、奥深いところでは感謝していると伝えたいと焦る一方、いざとなるとアタマが真っ白になってしまう。

こうやって日記は書いてるのに、メールが書けない。メール書くのって実は気力が必要なんだなぁ……。気力だだ漏れ? 備蓄激減?

もともとあったかなりの深手を再切開したんだから、せめて抜糸がすむまで、包帯がとれるまで待っていていいんだよ、と自分に語りかけてみる。

心の傷って目に見えないから、つい否定したり軽視したり無視しがち。そんなことじゃ、いつまでたっても治らないんだよーん。野生動物はじっとして治癒を待つと言うじゃない。からだの声、こころの声を聞くのが大事なんだよ。

目次に戻る


2005.6.9(木)不安定でもいいよ

すぐ傷ついたり動揺したり、不安定な自分。

不安定なときは自分だって辛いし、それ以上に「ヨクナイこと」なんじゃないか、なんてどっかで思っていたのだけど。精神安定剤なんてのもあるじゃない。安定してなんぼ、って思っちゃう。

でも、不安定だから変化するし、成長する。変化するときは不安定になる。

どっぷり安定していたら、変わろうなんて思わない。

ときには安定するし、ときには不安定になって変化するし。どっちみち諸行無常、万物流転だし。

それにまぁ、わたしは敏感すぎるのだから不安定になるのも仕方ない。いまフラワーエッセンスを選んだら、過敏関係のばかりだった(;^_^A。

不安定と過敏を愛せそう……かな。

♪♪♪♪♪♪♪

そのむかし、職場のある人の暴言に傷つき、嫌いになった。尊敬していた人だったのに……。

当時はなにが起きているかわからなかった。その人が近づいてくると、カラダが勝手に後ずさりをする。気分が暗くて、鬱状態。茫然自失。心神耗弱。

「あ、嫌いになったんだ!」と気がついたときのホッとした気分。自分を表す言葉をやっとのことで探り当てたのだ。

いまから10年ぐらい前のこと。わたしはなんて欠落していたのだろう。自分が感じてること、考えていること、していること……を、ほとんど知らなかった……。なにも見えてなかった。

そう考えると、大進歩だ。

傷ついた、ショックを受けた、苦手だ、怒っている、と気がつくようになった。もちろん時間がかかることもあるけど。しかも相手に伝えすらする。すごいことだ。

職場のその人は、なぜ自分が嫌われたのか、死ぬまで知らない。死んだときには、わかることだけれども。

♪♪♪♪♪♪♪

寝るとき、誰かに肩を叩かれた。だれだったのかな?

目次に戻る


2005.6.10(金)兄の帰還

分離の時代から、合一の時代へ。

わたしたちは分離の時代に生きている。「分離の時代」の一番最後、一番分離しているのがいまだ。

わたしたちは神から離れ、大地から離れ、太陽から離れ、自然から離れ、宇宙から離れ、ひとりひとりもバラバラだと思っている。

自然などなくても生きていけると思っている。土に触らずに生活できる。なんでも買ってこられる、と思っている。国と国はバラバラで、金持ちと貧乏人には接点がなく、庶民と政治家とマスコミはベツモノ。外来生物は殺せばよくて、もともとあった生態系を壊した責任は問われない。空気や水、土を汚してたくさんの生き物を殺してきたのに、それは不問。日本固有種を殺しておいて、次は外来種を殺そう、と。飢えた人がいる一方、アメリカや日本ではたくさんの食材を捨てている。や、国内にだって食べるのに精一杯の人がいるだろうに。

……でもどれも、わたしとは関係ない、と思ってしまう。犯罪者とも関係ない……。差別とも植林とも地雷とも関係ない……。遠い世界の話。

ホピの兄も行ってしまった。日本人やナバホの生活も自然から分離してる。先住民も含めたいろんな人たちが……。

夜明け前は一番暗い。末世だ。

一方で合一に向かう人たちが増えている。中高年の山登り、ハイキング。田舎暮らし。ガーデニング。自然農法。伝統の見直し。ホピの予言が広められ、宇宙や大地とのつながりを求め始めている……。

「白い兄」が戻ってくるのはじきだろう。でもそれは白とは限らない。黄色も黒も赤も白もいるのだろう。戻ってくる……それは「合一」という意味なのだ。

ひとりひとりも自分を統合していくだろう。ありのままの自分を受け入れることで。

♪♪♪♪♪♪♪

タクシー強盗をしようとした人が運転手さんの言葉で改心したんだって。乗り込んで10分、カッターナイフをしのばせて「金がない」と告げた。

すると運転手さんは「じゃあ、いいよ。お金ができたら、営業所に持ってきて」って。

「なに〜、なんだてめぇ! なんのつもりだっ!」とは言わなかった。罪を犯そうとしていた人は運転手さんに自分がしようとしていたことを告白し、警察に出頭。

厳罰・禁止主義で育ち、あんまり許してもらったことがないから、すぐに「畜生! 思い知らせてやるッ」と怒りを燃え立たせてしまうけれど……結局それがこんな殺伐とした暗くて苦しい世の中を創ってしまった。厳罰・報復・非難批判主義では、平和な世の中はできないんだなぁ。バラバラになるだけ……なんだ。

図書館はいまゆるやかで、返却が遅くなっても叱られたりしない。だから遅れてもキチンと返せる。もし「今度から気をつけてくださいねッ(~_~メ)!」と言われたら、怖くて利用をやめてしまうし、結局は返却に行けなくて本をガメてしまうだろう……気が弱いから……。

復讐主義からの脱却。つい報復を思ってしまう自分を、しっかり静かに見守ってあげること、受け入れること、からかな……。

目次に戻る


2005.6.11(土)恐怖政治

母は気がついてないだろうが、彼女は厳罰主義、絶対許さない、ものすごく怖いおかあさんだった。なにかのとき「子どもが中学生くらいになったら、親の目が届かないことも増える。そんなとき、周りの大人が注意してくれたら、とすごく思った」と言った。

そのときは、感覚や感情が麻痺して(自分では気がつかなかった)なんとも思わなかったが、だんだん感情が浮かび上がってきた。「あの調子で怒られ続けていたら、わたしはいまごろもう死んでる」。

むかしから「私は37歳で死ぬ」と友だちに言いふらしていた。

もし、ダンナに会わなかったら、アリス・ミラーを読まなかったら、コナン・ドイルのメッセージに出会わなかったら、瞑想や前世療法を知らないままでいたら、そうなっていただろう。

怖いから、恐ろしいから、人の言うことにしたがい、他人の望みを先取りする癖がついてる。

うんと小さいとき、男の子のグループに性的ないたずら(いま思うと)をされたことがある。意識できてないけど、私の人生はあれでうんと歪んでしまったのじゃないかしらん。

でも「なんかイケナイコトだ」と思いながら、断ることも逃げ出すこともできず、親にも言えず、いいなりになったのは、母との関係をただ再現したという側面もあるのだろう。

「言うことをききなさい!」という恐怖による支配が、カラダのスミズミまで染みこんでしまっていた。

容易に犯罪に巻き込まれそうだし、詐欺にだまされそうだし、宗教にはまってしまいそうだし、時代の雰囲気にのまれていままでの主義主張も忘れて「戦争万歳!」と言いそうだ。

支配される、搾取される、従わされると、怒りが生じる。だれだって、自由意志をもっているから。だけど、「女は親に従い、夫に従い、子に従い」みたいな価値観もはびこってるし、「あなたの色に染めてください」だし、そんな風に扱われてきた女はわき起こる怒りを子どもにぶちまけてきたのかも知れない。

母の支配・厳罰・不平不満・非難批判は、何千年もの文化の中で溜まりに溜まった女の、虐げられた者の怒りの噴出かも知れない。そしていまわたしが「××してください」と言われて、それが忠告・要請・励ましであってさえ怒りを吐き散らすのはそれなのだろう。

何世代にも渡って増幅されてきた「支配される側の怒り」をいまここで明らかにして、清算中?? いかにも大風呂敷だけど……(;^_^A。

♪♪♪♪♪♪♪

厳罰主義の恐怖政治はいったんは「いい子」を創りあげ、一見よいような印象を生む。でもその後、テロが生じる。「いい子」は自分を傷つけいためつけ、他をも傷つけ始める。犯罪の芽だって、ここにいっぱいあるかも。

「テロ」は直訳すれば「恐怖」だから、つじつまも合う。恐怖政治は恐怖を拡大増幅していく。

♪♪♪♪♪♪♪

子どもを犯罪から守るには……「つべこべいわず、言うことをきけ!」と恐怖で押さえつける「教育」や「躾」、支配をやめること。「おかしい」「変だ」と嗅ぎ取る能力をのばすこと。子どもが「おかあさん、それはおかしいよ」「この前言ってたことと違う〜」「変なことがあって、こわかった〜」と言える家庭をつくること……かな?

まぁ、親だって恐怖を植え付けられて傷だらけなんだから、やっぱ各自、自分の傷を直視して癒していくことしかないかな。

目次に戻る


2005.6.12(日)もしかすると

わたしは「汗をかいてはイケナイ」と思っているかも知れない。

目次に戻る


2005.6.14(火)ココロが支配する汗?

汗をかくことに、そこはかとなく恐怖を感じてる。ような気がする。汗をかきそうな暑さに怯えているかも知れない。

「あ〜、ムシムシしてやーね」「この暑いのにベタベタしないで」『みんなが汗を流している中、その人は汗ひとつかかず涼しい顔をして……』というような言葉たちや表情や表現から、汗をかいてはイケナイ、汗は汚いと思い込んでしまったのかも。

ちゃんと汗をかかないので、運動すると顔が真っ赤になる。熱がこもるカンジ。これは母もおんなじ。

でもバレエのお稽古ではダラダラ汗を流していた。汗をかく能力はあるはず。

「暑いときは汗をかいてもいいよ。服が濡れても大丈夫。汗は気持ちよいものだよ」と自分に許可を出してあげれば、ポタポタダラダラ、玉のような汗や滝のような汗やきもちのいい汗をかくようになるだろうか??

目次に戻る


2005.6.16(木)蛇足

外国から帰ってきた友だちに、「おかえりー」とメールする。

でもこれだけじゃイケナイ気がして、「日本になれるのは大変だから、焦らないでね」とか「ゆっくり自分のペースでお片づけしてね」とか添えたくなってしまう。

新米ママやショックなことがあった友人にも「無理しないで」とかなんとか余分な一言をついつい。

自分が言われたら「余計なお世話だ!」と目をむきそうなものだがのぉ。

自分がされたくないことを、ひとにしてしまう。

自分がしてほしいことが、なかなかひとにできない。

ココロの傷なんてものは、そういうもんなのかもしれない。

♪♪♪♪♪♪♪

命令されたり指摘されたり指示されたりが大嫌いなのだ、と自覚してきたら、いままで自分がしてきた命令・忠告・イジワルがしきりに思い出される。

あああああ〜〜〜(>_<)! なんてことをしてしまったんだ〜〜!

ココロがチクチク。

♪♪♪♪♪♪♪

目を背けていたって傷が疼くから、他を傷つけて仲間にしようとするのかもね。

傷ついてる人間は危険なのだ。狂気はいっちゃうし〜〜。手負いの獣。

そいでもって、誰だって傷をもっている。

傷に気がつくまでが大変で、気がついたらまたまた大変で……でも、そうやって少しずつ楽になっていく。

目次に戻る


2005.6.17(金)じつは逆

傷だらけ人の例に漏れず、わたしの世界は黒と白だけだった。中間のいろんなトーンの灰色ってもんがなかった。

世の中には「いい人/完璧な人」と「わるい人」がいる、みたいな単純な構図。自分のことも「かなり完璧かも」なんて勘違いしたり。そうでも思わないと生きてられなかったんだけど。

でもホントは「傷ついた人」がいるだけだった。傷の趣がいろいろあるだけで。

小心で卑怯だけど優しくて大胆なトコもあったり。上品だけど、ある瞬間下卑たトコが出てきたり……。世界はもっとフクザツだったのね。

♪♪♪♪♪♪♪

「時間に遅れると思って、すごく焦っちゃって……」と話していたら、相手が「それがフツー!」と断言。

彼女もお仲間だったのねーーーー。というより、学校でもどこでも「速く速く!」「もうッ、早くしてよっ」って言われて育つ日本社会だから、お仲間は数知れないのだろう。

これは尼崎脱線事故と無縁じゃあないだろうな。

楽器だって、全然弾けないのに焦って速く弾こうとしていた。そうではなく、弾ける速さでゆっくり丁寧に、繰り返し練習した方が上達が早いとわかってきた。

「はやくはやく」の呪いに縛られて、たくさん時間を無駄にしてきたのね……。一見逆のようだけれど。

急がば回れ。許すには憎め。受け入れるには怒れ。平安を得るためには、感情にホンロウされろ……。

完璧じゃない自分を見つけることで、成長する。デキゴトの完璧さが見えてくる。

目次に戻る


2005.6.24(金)破壊者「自分はダメ」ごん

「美穂は弟より役に立つね」と父が母に言った。うれしかった。

中学生だった当時は……。

認めてもらうこと、褒めてもらうこと。それが重要なのだった。「生きる価値がない自分」「ダメな自分」が生きていくためには。

役に立つか立たないか、そう認めてもらえるかどうか、は生死をわける(!!)ほどの問題なのかも……!!!

♪♪♪♪♪♪♪

通っていたミッション・スクールのモットーは「わたしたちは奉仕します、ほか」だったし、ジョイ・アダムソンのエルザ(ライオン)かピッパ(チーター)の子どもの中に「自己犠牲」の精神に富む子がいて、わたしもそうでなくては、なんて思っていたし。たくさんのデキゴトが「誰かの役に立つ人であれ」と語っていた。

セラピストという職業を選んだのも、当然なのだろう。

さまざまな要因が入り交じり、ここにやってきた。

♪♪♪♪♪♪♪

しかしながら。

全部じゃないにしても、「褒めてもらう」「認めてもらう」「賞賛してもらう」タメでもあるので、目に見える成果があがればハッピーだが、そうでないと、とーても困ったことになる。

「自分はダメだ」感が強くなる。
怒りや絶望感がわき出して、クライアントさんにむかってしまう。口に出しては言わないが、「あの人は努力が足りないッ!」などと苛立ったりする。
苛立つ自分はダメだと打ちひしがれる。

悪循環……。

かろうじて意識できるギリギリのところで、そんな動きがずっとあったと思う。

「セラピストやヒーラーの言動に傷ついた」と相談されることもあるけど、おんなじようなご同業があまたいるのだろう。

♪♪♪♪♪♪♪

エリザベス・キューブラー・ロス博士は、もう死ぬと決まった患者さんに対しては医者が冷たくなりがちだと指摘した。もう何十年も前のことだけど……。

「自分は役に立たない感」がひしひしと医者を襲い、敗北感・無力感に苛まれるから、そういう患者とは関わりたくない、見たくない……てことになるのかもね。

生命科学者の柳澤桂子さんは原因不明の病気にかかり、医師も診断を下せなかった。たくさんのお医者さんが彼女に辛く当たったようなのだが、それも「役に立たない自分」「無力な自分」をつきつけられたように感じてのことなのでは……。

♪♪♪♪♪♪♪

「自分の存在価値を自らが認められない」せいで、冷たさや怒り、憎悪、争い、絶望、人権侵害、戦争、殺人……までが起こりうる。

両親を殺してしまった15歳は、おとうさんにバカにされたからと言っているそうだ……。バカにされ、価値を認めてもらえなかった。その怒りや悔しさ。ココロの闇と不思議がらなくても、誰もが味わっていることなんじゃないのかなぁ。

「だからって殺すなんて……」と言われそう。いまは闇の勢力が強い。夜明け前だから……。

ともかくも日本の高校生の7割までが「自分はダメ」って思っていたりするのだという。大人だってきっと……。自覚できてない人もいるだろうし。

「神との対話」(文庫第3巻、p.146)で神さまはこう言う。

だが、いいかね。あなたには価値がある。誰にでも価値があるように。価値がないというのは、人類に浴びせられた最悪の非難だ。あなたは過去をもとに自分の価値を決めるが、わたしは未来をもとにあなたの価値を決める。

未来、未来、つねに未来だ! 人生、生命は未来にあるのであって、過去にはない。未来にこそ真実があるのであって、過去にはない。これまでしてきたことは、これからすることにくらべれば重要ではない。これまで犯してきた過ちは、これから創造するものにくらべれば何の意味もない。

あなたの過ちを赦(ゆる)そう。すべての過ちを赦そう。あなたの間違った情熱も赦そう。すべてを赦そう。間違った理解も、見当ちがいの意見も、有害な行動も、自分勝手な決定も赦そう。すべてを赦そう。

神さま!!

「ダメ」が私を破壊してきた。自分も他も破壊している。でもわたしには価値があり、赦されている……。そんな風に言ってほしかったんです。涙が出ちゃう……。

賞賛・承認に飢えかつえて、役に立たなくてはと焦っていた自分。ほら、今日もサイトを何人が見てくれたか、カウンターを気にしている。

たくさん泣いていいからね。涙で悲しみを洗い流そう、ね。

目次に戻る


2005.6.25(土)フツウだから

森内くんが名人防衛だ。おめでとー!

村中が初順位戦。初戦を勝利で飾った。おめでとー!

♪♪♪♪♪♪♪

石弘光氏のようなお金持ちに、サラリーマン増税なんて言ってほしくないなぁ。や、おにいさんとは面識がないけど、弟さんのご様子から察するにお金持ちなんだろう。よう知らんけど……。

♪♪♪♪♪♪♪

おしゃべりをしていて、「で、母がこう言ったの」。

すると「ミテさんのおかあさんて……」と、相手は絶句。

彼女の反応に、「母の言葉はやっぱ酷いよね、傷ついて当然なんだ」ってびっくりするやら、ホッとするやら。

母の物言いがわたしにとって「フツウ」「標準」だから、傷つく自分が変なのだと思っていた。自分や家族のこと、ひとの力を借りて見えてくるものも多い。

目次に戻る


2005.6.27(月)ホンモノは稀少なのかな

先週の「オーラの泉」(月曜日の深夜──正確には火曜日の午前零時すぎ──にやってるテレビ。美輪明宏さん、江原啓之さん、国分太一くんが出てる)でホンモノの霊能者は脅さない、って話があった。

たしかに「○×を買わないと不幸になる」とか「霊が憑いてる。お払いが必要だ」とか言って、大金を巻き上げるような人は困る。

でもひょっとすると、自分でも気づいてない深いところで人を脅してるケースもあるのだろうな。23%ホンモノで、あとは復讐と悲しみ、焦り、金儲け、なんてね。

自分の本物さ加減、偽物さ加減を知っているのが真の本物?

♪♪♪♪♪♪♪

脅すと言えば、マスコミや企業だって「個人情報が漏れると困ったことになるぞ」とか「そのままだとしわくちゃ婆ちゃんになる」とか「あなたはイケテない」とか、恐怖を植え付けるのが仕事みたい。

誰もが登録する住民基本台帳から個人情報を流れ出てることもあるらしいのに……。

♪♪♪♪♪♪♪

子育てでも、子どもを脅すことは常套手段だから、社会に蔓延してるのはしょうがないのかな。「置いていくわよっ」「おかあさん、怒るわよッ」「笑われるわよ!」「×○中学に行けなくていいのか」……等々。

母はよく「○○しないと、どうなるかわかってるんでしょうねッ!」と言っていたような気がする。ハッキリした記憶じゃないが。

なにをされるかわからない……!? これこそ最高の恐怖。

「ご飯、抜きよっ」って言われたら、想像できる。だいたいどれくらいの痛みなのか。でも「どうなるか!」……は怖いな。どこまで想像していいのかわかんないもの。最悪のもっと最悪のさらに最悪のことを際限なく恐れてしまう。

いつでもすぐ「殺される(>_<)!?」と怯えてしまうのは、そのせいかしら〜〜??

映画評のサイトで、ミテの好きな映画を「嫌い」と書いてあるのを見ただけで、「どうしよう、殺される」と思うなんて……われながら重症。

ここまでくると、「ありもしない恐怖」に怯えてるんだなぁ、とさすがにわかってくるけれど。

目次に戻る


2005.6.30(木)味わい尽くすと消える

「ウチはいくらからでも、配達しますよ!」と言っていた園芸店で、腐葉土の配達を頼んだ。すると「○×円以上のお買いあげでないと。サービスですから」と断られてしまった。

ショック、ショック、ショックう〜っ!!

気分を害して店を出た。

ほっとくと、気分を紛らわせて別のことを考えたり、自分を正当化したりしてイヤな気分から逃げようとしちゃうので、「ただただイヤな気分を味わうの!」と自らを励ました。イヤな気分……怒り、悲しみ、屈辱感……ううぅ〜〜。

以前ならその店には二度と近づかなかったし、「絶対赦さない!」などといつまでも憎んでいたものなのだが(;^_^A。うちのおかーさんやおとーさんのように。孫子の代まで祟ってやる〜〜!!!

でも気がつくと、「わぁ、キレイ!」なんて、その店先に並ぶ花に引き寄せられて行ってる。

イヤな気分を味わい尽くそうとしたことで、恨みや憎しみがあんまり残らずにすんでるみたい。これは新しい発見、新しい体験だ。

人についても、一生懸命怒りや憎しみを感じることで、「もう絶交だぁ」と思う回数が減っている。腹を立てたからって、つきあいをやめなきゃならないってことはないのね。

もちろん、こりゃアカン、身がもたん……と遠ざかっていくこともある。でも、自分が何を感じてそうしたのか、なにが起きたのかはかなりわかってきてると思うな。

すごい。

♪♪♪♪♪♪♪

そういえば「神との対話」(文庫第3巻、p.200)にこんな一節があった。なんてタイムリー!

さて、真の超能力者と「にせもの」とを見分ける方法に戻ろうか。真の超能力者は艦隊規約第一条(ミテ注:前ページにある「いかなる社会の正常な展開にも介入してはならない」)を知って、実践している。だから、「昔、別れた恋人」をとり戻してほしいとか、ハンカチや手紙から誰かのオーラを「読んで」ほしいと言っても、真の超能力者なら、こう答えるだろう。

「すみませんが、それはできません。他人が歩いている道をじゃましたり、ひとのことに介入したり、のぞき見たりはしないのですよ。他人の個人的、私的な情報をお教えするわけにはいきません」

そういう「サービス」をしてあげると言う者がいたら、それはあなたの人間的な弱点や欠点を利用して金をまきあげようとする「いかさま師」だと考えていい。

ふむふむ……わかるようなわかんないような。またまたのんびり考えていこうっと。

次に進む 目次に戻る

inserted by FC2 system