2005.11.2(水)踊る
バレエの体験レッスンに行ってきた。
バーはともかく、センターでは頭も体も動かない! 跳べない! 足も上がらないし、カラダの軸はぶれるし……。
でも、いきなりカラダが勝手になにか「パ(動き)」をやってしまったりもする。ああ、憶えてたのね。
ヘロヘロになったけど、面白かった。心の底から、楽しさが湧いてくる。
「できない」のに(^^;(そう思えるなんて、いい傾向だ★)。
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踊るために生まれてきた……なんて思って、舞い上がったりもする。踊るからだなんだわ、なんてね。
全身筋肉痛だっつーのに。
二十数年ぶりのレッスン。空白の時間がもったいない……なんて思いもする。なんで踊らなかったんだろうなぁ、と後悔。
大学のダンス学科の先生が「卒業しても踊り続けなさいね」と言ってくれたのに、なんて思い出す。もう取り戻せない……。
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わかったことがひとつ。
大学時代に通っていたバレエ学校。愛の鞭というべきか、センセイが厳しかった。
……んだけど、それをあんまり意識していなかった。厳しくされることに家でも慣れていたから、わかんなかったのかも。世の中はそんなものだと思っていたのかも……。
でも、それが本当は応えていたんだな。
辛かった。から研究室に入ったのを機に止めてしまった。……というストーリーもあったのだろう。
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私に暖かく接してくれる、向きあってくれる人たちにたくさん出会ったから、やっと見えてきたのかも知れない。
やっと、「辛かった」と意識できたのだろう。
2005.11.3(木)自そん心
とっつきにくい。くそマジメ。超のつく優等生、と言われていた。
授業中も背筋を伸ばし、先生が冗談を言っても笑わない。「厳粛」な授業で笑うなんて、そんな冒涜は許さない!
授業中に眠るなんて、もってのほか。死になさい! ……ってくらいの人間だった。
当然、失敗など許されない。「わたしはなんでも上手にできる(ハズ)」と突っ張っていたし、失敗したら恥ずかしくて「人生終わり」くらいに悶え苦しんだ。
プライドってやつ。気位が高い。自尊心が強い。
いや、自分を損ねる「自損心」といったほうが当たっている。
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だから、笑われるなんて心外。「バカにされた!」と怒りが湧いてくる。
馴れ馴れしくされるのも苦手。この私に向かってなんなの!? 下がれ、下郎! 控えおろう……てな感じ。近づかれるとボロが出る、という恐れもあるんだな。
往時より薄れてきたとはいえ、まだしっかりと残っている……。
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「ほぼ日刊イトイ新聞」の「言いまつがい」がお気に入りで、毎回アハハハと大笑いしている。
そう、いまは笑える。ヒトゴトだし。
言いまつがったとき、周りの人と一緒に大笑いできる人がいる。
一方、プライドが高くて笑えない人がいる。
まわりも気を遣って笑いをかみ殺す。わたしのように、失敗を死ぬほど恥ずかしいと思って、苦しみ悶えるタイプだな。
ことばを覚えまつがっている場合、はばかって誰も指摘しないから、実はなんども恥をかいたりするんだろう。恥を恐れるあまり、たくさん恥をかく……うーむ、人生ってやつは。
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人間は失敗する。言いまつがう。やりまつがう。
まつがったら、やり直せばいい。うまくいかなかったら、別のやり方を考えればいい。
「失敗を許さない生き方」で雁字搦め(がんじがらめ)になっていた私。
辛かったね。苦しかったね。みじめだったね。ずっとほっといて、ごめんね。気がつくのが遅くなってごめんね。こんなに長いこと待たしてごめんね。
失敗しないように、いつも緊張していた。肩が凝るし、歯ぎしりもすごい。とても疲れやすい。失敗が「見えない」ように、近視になった。見えないこと、見過ごしてしまうことがたくさんあった。失敗を悟られないように隠し事もたくさん。すごいあがり症で、失敗を笑った人や、自分自身にはげしい憎しみをため込んできた。もちろん他人の失敗も軽蔑するか、ひどく憎むか……。
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「英語でしゃべらナイト」で、イタリア人が怒っていた。「日本人は規則規則! しかも一度決めると頑固に変えない。おかしいとわかっても修正しない」と。
これも「失敗を恐れるあまり」だったりするんだろうな。
日本が息苦しいのは、わたしみたいな人が多いから、かもね。
もうちょっと楽になろう……。そう決めた。
失敗してもいいのだ。もう突っ張らなくていいのだ。いい人でなくていいのだ。
わかったかな、ミテクルさん?
2005.11.7(月)血筋ね
もっといろんなセミナーや教室で勉強すべきなのかな、と思うこともある。でも自分の体験と独学が多いかな。
父が「僕のパソコンは独学と読学(どくがく)だから」と言った。
なんだ。ここに似たのか。
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父は近視。「左はまだしも、右はひどく悪い」そうだ。「ぼくのオヤジもそうだったが」。
私の右目は0.02くらい。左はまだしも……。
なんだ。三代揃って、そうなのか。母は目がいいけど、弟はどうかな。
「近視で、とくに右が悪い」なんてのが遺伝するのか? オモシロイ。まぁ、血というか、家系っていうか、しっかり受け取ってるってことだ。
偏頭痛もいただいてるし……。
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2,3日、腰がちょっと痛む。でも、まぁ大丈夫。
するとこんどはダンナが大腰痛を起こして、身動きできなくなり、うちの親の家で静養中……。用があるので、わたしだけ帰宅。きっとこの前の私の腰痛に匹敵するほどの痛みなんだろう。あれだったら、とても長時間移動はできない。
なんとまぁ、夫婦二人、揃って腰痛もち……。仲良し?
今朝、鍼灸師さんに診ていただいた。その場で少し楽になったみたい。鍼って、すごいものだなぁ……。
「重症ですから、今日は安静に」と言われていた。
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治療中、母が何かと鍼灸師さんに話しかけたりして、気が気じゃなかった。……気が散るじゃないか。怒られたらどうするんだ。
かねがね「ガチャガチャした人」「ガサガサした人」を嫌うような発言をしていた母だが……あなたが「そういう人」だよ。
ひとは「自分が嫌う人」になっていってしまうものだろうか。
そんな気もするのぉ。
2005.11.12(土)伝わるもの
母は9人兄弟で、家は商売をしていた。病気がちな妹もいて、そっちに手が掛かる。寂しかったそうだ。親に認めてほしい、かまってほしいと思っていた、と。
そうだったか。
ワタシは弟が一人。二人兄弟である。
そして認めてほしい、かまってほしい、捨てないでほしい、嫌わないでほしい……と。
祖母にかまってほしかった母は、子どもをかまえなかったの。
情緒的なつながりをもつ能力がまだ開花してないのかのぉ。そうして代々、寂しい子どもが生まれて生きてきたのかのぉ。
2005.11.13(日)強要
実家にダンナをほって帰ってしまったのには理由がある。
用事があったからだ。
だけど、それは言い訳、合理化、正当化なんだなー。ほんとうは母から離れたかった。「理由」って目くらましで、あんまり意味ない……。
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みそ汁が苦手で残してしまった。いつもはダンナにこっそり飲んでもらっていて、母にはばれないんだけど、なにしろうんうん唸って寝ている。ご飯どころじゃない。
「子どものころから苦手で、でもいつも『飲め』と強要されていたから、今でもダメで……」と言い訳すると、「まーた人のせいにして」。
これが突き刺さってしまった。
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家に帰って新聞を読んでいたら、食べることを先生に強要された子どもがPTSDを発症し、裁判所がそれを認めたという記事が。
「あの辛さをわかってくれる人がいるんだ!」とビックリしたと同時に、毎日三度三度の恐怖が蘇って久々に死んでしまいたくなった。
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「死にたい」ってのは、「生きるのが辛い」というメッセージであると同時に、「ワタシがどんなに辛いか、全然わかってくれない。だけど、死ねばさすがに思い知るだろう」という復讐心が混じってるんだナーとわかった。
でもなー。
避難されることを恐怖して、「ちゃんとする」「きちんとする」「失敗してはイケナイ」と戦々恐々としてる人が相手だ。
「ごめんなさい。悪かったわ。辛かったのね、わかってあげなくてゴメンね」なんてセリフはまず出てこない、と知るべきだなぁ。自分自身を振り返ったって、そうだ。
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実家に帰ったあと、体調を崩したり寝込んだりする人たちがいる。わかるなぁ。わたしもなんとなく不調。
ひとは幼いころに傷を負って、そこから人生を始めるものだ。傷を付けた張本人ならば、正確にその傷をなぞることができる。この世で一番その人を痛め付けることができるのは、親なのかも知れない。
愛はまた別にあるのかも知れないが……。
そういうことがよくわかった体験だったなぁ。ダンナの腰痛に感謝。毎日お灸を続行中。
2005.11.16(水)気が滞る現代人
ダンナの腰痛が再び悪化。起きあがるどころか、横になっていても痛さに唸り、なにも食べられないし、鎮痛剤が効いてる間しか眠れない。
彼の痛みに、なんにもできないのは辛いものだなぁ。見てるしかない。
自分の腰痛の時、「痛みは耐えるしかない」なんて思ったのだった。自分の痛みは自分でなんとかするしかない、ほかの人にはなす術がないのだ……と。子どものころの偏頭痛にしても、当時は効く鎮痛剤なんてなかったし。耐えるのみ。
それを承知でも、見てる側は自分の無力さ・無策さが辛いもんなんだなぁ。
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電話帳で出張してくれる鍼灸師さんを探した。
いろいろとレクチャーしながら、施術してくださった。
現代人のほとんどは気がからだの上の方(頭や胸)に滞っていて、手足に流れなくなっているそうだ。そういえば「気ウォッチング」の片山先生もそんな風におっしゃっていたかしらん。
片山先生によると、ワタシは気的過敏体質なので、頭にばかり気が溜まり、ボーっとしてしまうって。あのころは特に、思考もままならない感じだったなぁ。「これでは仕事にならないでしょう」って、その通りだったっけ。
当時、ダンナは気的過敏体質とは言われなかった。けど、いま、似たような状態になっているらしい。
鍼灸師さんは、「気を手足にもおろして、循環をよくするように」「それには半身浴、手足の爪にお線香を近づけて熱で刺激する、青竹踏みなどがいい」と。
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鍼・灸・マッサージ施術の結果、ダンナは立ち上がれるようになった(ずっとは無理だけど)。それまではトイレにも這っていって、寝返りを打つにも布団が重くて泣いていたのに!
再び、
鍼灸ってスゴイ〜。
痛みに打つ手があるんだなぁ。
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先生が帰ったあと、お線香で爪刺激をやってみた。びっくりした。熱さを感じない……。
繰り返し近づけてると、ある瞬間、うわぁっと熱くなってビックリする。だけど、別の爪ではまったく感じない。麻痺してる……というか。
わたしの爪さん……気(栄養、エネルギー)が回らず、飢えてるのに、文句も言わず、必死で生きていてくれてたの? ごめんね、気がつかなくて。
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先生によると、鍼灸で逆子が治るし、パニック障害や鬱、多動にだって効き目があるということだ。
気の巡りがよくなれば、集中力が増す。楽器奏者が「細かい音符もヨユウで弾けるようになった」とか。
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まぁ、なんにでも合う合わないがあるし、どんな施術者と出会うかも「運」だから、誰にでも鍼灸がいいとは言えないのかも知れない。
でも、ワタシに関して言えば、もうちょっとカラダのこと、気のことを気にかけようと思ったのであった。
そういえばこのごろのセッションでは「頭はカラッポにして、カラダの感覚や感情に注目しましょう」なんて言ってるんだっけな。
2005.11.18(金)求める者ばかりなら
わたしも(たぶん)弟も、母に「生きていていいって言って」「存在を認めて」「話を聴いて」「ほめて」「受け入れて」「拒絶しないで」……ってすごぉく思って生きてきたんだと思う。
うちのクライアントさんにもそういう人が多いし、世の中、そういう人で満ちあふれてるような気がする。意識できてる人も、できてない人も……。
で、うちの母も実はおんなじ悲しみをもっている人なのらしい。父も、かな。
ってことは、だ。
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母がイキナリ自分の悲しみや傷に気がついて、イキナリ自らを癒す作業を始め、イキナリわたしたちに謝ったり、イキナリ包容力が大きくなったり、なんてことはまずあり得ないのだ。
自分が傷ついてると気がついて10年くらいのワタシ。だいぶ成長したとはいえ、まだ癒しの道の途中だもん。
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「おかあさんに優しく抱きしめてもらう」なんて見果てぬ夢は、キッパリ捨て去って、新しい道を歩き始めるのがよかろうか。
期待をもっていると、恨みももち続けちゃう。
子どもは親や家族、一族、地域、地球を癒すために生まれてくる。
こんどは「大人びた子ども(アダルト・チャイルド)」としてではなく、もっと周囲が見えている大人として、根本的な癒しの道を模索する。
2005.11.22(火)ひとも自分も一体だから
NHK大河ドラマでは、いよいよ源頼朝が義経を殺してしまおうと必死で行方を追っている。兄弟だっていうのに……。
平家の一族は結束していたけど、源氏は身内同士殺し合ってる血塗られた家として有名らしい。頼朝&義経の父・義朝は自らの父を殺している。従兄・木曾義仲を討ったのは義経だし、この前は叔父・行家が殺された。
その後も源氏である足利家で、尊氏が弟を殺しているし、甲斐源氏・武田信玄は父を家から追放、長男も信玄に殺されたようなものらしい……。
これこそ呪い……だよねー、やれやれまったく、なんて思っていたのだが。
そこに悲しみなど感じなかったのだが。
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今週の大河では、鎌倉幕府に捕らえられた静御前が義経の子を産んだ。運悪く男子だったため、子どもは殺されてしまう。
頼朝と北条政子。まったく残虐なことをする!! なんて冷酷なんだろう。憎い。
だけどこの夫婦の息子たちは、ことごとく非業の死を遂げてしまうのだ。
静と義経を涙の海に落とした彼らは、こんどは自らが泣くことになる。いや、泣くに泣かれぬことになる。
不意に涙が出てきた。
因果応報。親の因果が子に報い……。
「憎い」が消えて、なんだか哀れになってしまった。
これ、ほかの「憎たらしいヒト」にも応用できるかも。ワタシ、成長してるなぁ……(なんか「最終兵器彼女」みたい(;^_^A)。
2005.11.25(金)上がり下がり
わりと調子がいいと思っていたのに、いつの間にかどん底にいて、「なにもしたくない」「生きていたくない」とイライラ。
でも思い返してみると、書くメールの数が減ってきていた。イキナリ、じゃなくて、徐々に下降してきたんだな。
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「なにもしたくない」に関連して、「仕事なんかしたくない!」という言葉が飛び出してビックリした。そういう気持ちはあると思っていたけれど……。
「仕事」をどう思っているんだろう。すると……
「家族を引き裂く」「いなくなる」「からだを壊す」「寂しい」「こっちを向いてくれない」「わたしから奪う」……というネガティブな言葉が次々と出てくる。
父の単身赴任や夜間の緊急呼び出し、残業で帰りが遅い、などから、こんなイメージができあがっているらしい。また「ねぇねぇ、おかあさん」と話そうとしても、「いま○○をしてるから後でね」といなされてしまって、寂しかったらしい。「仕事」には、家事も含むようだ。
幼かったころに出来上がった思いが、こころの中に冷凍保存されたまま。
現実に経験してきた楽しい仕事も、このイメージを変えることはなかったようだ。きちんと気づいて向きあうまで、変更不可能な思い……。
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ニートと呼ばれる人たちも、こんな思いを抱いているのかも知れないな。
子どものころ、親から「お仕事だから」とガマンばかり強いられたら、「お仕事」を憎むようになるだろうなぁ。
2005.11.28(月)あんたが悪い
胃が痛い人に、母が「健康管理をしっかりしなさい」と言った。
ちゃんとしてないからイケナイ、自分が悪いんでしょう、と言っているように聞こえる。
そうだなぁ……。ずっとそう言われてきたんだろうなぁ、わたしも。
病気するのも、怪我も、離婚も、浪人もなにもかも「わたしが悪かった」んだ。
だからこそ、わたしもひとに対して、「それはあんたが悪い」と思ってしまうのだなぁ。
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でも、神経性胃炎で救急車を呼んでしまった(その節はゴメンナサイ(>_<))わたしとしては、「わたしが悪い」というより、ストレスをため込みすぎて、ガマンしすぎて爆発した感じだった(でも、なにがストレスだったんだろう……??)。
あのとき、母に言わなくて良かった。
「もっと気をつけろ」なんて責められたら、それこそ泣きっ面に蜂。さらに症状が悪化しただろう。
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「あんたが悪い」は「わたしは悪くない」というメッセージでもあるんだろうなぁ。「ワタシのせいじゃない!」って。
攻撃される前に、機先を制する。やられる前にやれ!
それだけ怖いんだ。なにかが……。
それになんだか「自業自得で、あんたが悪い」のは日本の文化(!?)でもあるようだ。「ジコセキニン」なんて言葉がはやる国だし……。人質になるのも、レイプされるのも「あんたが悪い」って言われてしまう……。
でもそれは、やっぱ、ちょっと変かも。
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「生きていて、『いいこと』なんてあったかな」とフト考える。なにもない。落ち込む。
ある瞬間には落ち込んでいることを忘れる。また思い出して落ち込む。
うつを出たり入ったり。どんなキッカケがスイッチになるんだろう。
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毎日泣くまで怒られて、「あんたが悪い」と責められて、「もう好きにしなさい」とおっぽり出されたら、やっぱり生きるのは辛いだろう。
あのころの「出来事」ではなく、自分の気持ちを思いだして理解してあげるまで、生き辛さは続くんだろうな。
あんたが悪いんじゃないよ、って言ってあげるまで。
そして「その子(わたしのインナーチャイルド)」がそれを理解するまで。