2006.1.3(水)おめでたい
わたし、エネルギーが底をついてたんだ。枯渇してたんだ〜、と悟った。
♪♪♪♪♪♪♪
生命力が溢れているときは、多少の問題もトラウマも勢いで乗り越えられる。「まぁ、いっか」「大丈夫」って、自然にそう思える。
でも最終ラウンドまで戦ったボクサーのごとく、ヘロヘロへとへとだったら、ちょっとした猫パンチでももちこたえられない。
皿洗いをするだけでも、ベルリンの壁を越えるような(越えたことないけど)難事業に思える。冬のアイガー北壁を登るような(登ったことないけど)不可能に感じてしまう。
グチャグチャ悩んで、辛くて当たり前だったんだわぁ。
♪♪♪♪♪♪♪
このごろ、自分同様、周りに具合の悪い人が多い。
昨年、大恩人が亡くなった。けど、腰痛でお葬式に行けず、遠くから冥福を祈る。連絡を回してくれた友人も、同じく腰痛で欠席だったとか。
ダンナも、職場に腰痛仲間をたくさん発見。ある人はひと月入院、ある人は3カ月休職。街でも「いや〜、腰痛でさぁ」なんて話してる声が耳に飛び込んでくる。テレビでも腰痛特集がふたつもみっつも。
国内外問わず、引っ越した先で馴染めずに悩んでいる人がなんにんか……。
「今年は寝込みがちだったの」「なんか落ち込んでいて」「風邪がずーっと治らなくてね」って人も複数。
平穏無事な人もいるけれど、状況がどんどん悪くなってみていて辛いひとも、ひとりやふたりではないし……。
一概には言えないのだろうけど、生命エネルギーが乏しい人が多いんじゃないかなー。
♪♪♪♪♪♪♪
どうしたら、エネルギーがわきあがってくるようになるんだろう。鍼を勧めてみようか、なんて考えていた。
でも、きっとそうじゃない! エネルギーを改善するのは二の次だ。
どん底状態だからこそ、トラウマやらみたくないトコやらがドンドン出てくる! 見つける努力をしなくても、あっちからアピールしてきてくれるんだ。
これは癒しの大チャンス!
なんておめでたい時期なんだろう。これがニューエイジの始まり。大転換期。
♪♪♪♪♪♪♪
隠す力が弱まるから、不祥事もたくさん発覚する。ヒキコモリやニートだって、もっと増えるかも知れない。悲惨な事故や事件も増えるのだろう。不安に惑うのも道理。
だけど、実は好機なのだ。自分自身や社会全体の改善すべき部分が浮かび上がってくる時期なのかも知れない。
やっとわかった。うれしい。
2006.1.5(木)素直になれない
慰められることがなにより苦手。
心の底ではうれしくて泣いているのに、それを出すまい、としてしまう。素直になれない。
で、不機嫌になったり、腹を立てたり、バカにされたと騒いだり……つくづくわたしって「抱っこ法」が必要なんだわ。
スキンシップ不足。あたたかいふれあい不足。
♪♪♪♪♪♪♪
母は眠れぬほど心配はしてくれても、優しい言葉で慰めたり、労ったりはできない人だ。かえって残酷な言葉でとどめを刺してくる。本人は心配しているつもりだから、気づいてないだろうけど。
わたしも、おんなじなんだろうなー。
素直に愛をうけとれるようになるまで……。
♪♪♪♪♪♪♪
素直になれないのは、悔しいから。意地を張ってしまうから。照れくさいから。引っ込みがつかないから。
かねがね弟のことを強情で頑固と思っていたけど、自分もなんだーーー。
2006.1.10(火)才能をつぶす?
子どものころ、毎晩母が枕元で本を読んでくれた。メアリー・ポピンズを読んでいたある日。
「『宙の一点をみつめる』なんて、できるわけないじゃないねぇ」と母。
いつもそうしていた私は「え、できないの!?」と、こころの中で驚愕。
でもそのときから、できなくなった。
♪♪♪♪♪♪♪
中学1年の音楽の授業で、ちょっとしたテストがあった。先生がピアノで音を二つ弾く。どっちが高い音か聞き取るのだった。
隣の子がわたしの解答を見て言った。「すごい〜。全部あってる〜」。
内心、「え、誰だってわかるんじゃないの!?」とビックリ。
そのときから、ときどき音の高低がわからなくなった。
♪♪♪♪♪♪♪
……という話をダンナにしてみた。
すると彼もこんな経験を話してくれた。
なにか球技をしていたとき、相手が「すごいですねぇ、次に球がどこに行くかわかってるみたいですよね」。
そう言われた後は意識しちゃうようになって、できなくなったという。
♪♪♪♪♪♪♪
これってなんなんだろう? 「ほかのひとにはできないの?」と思った瞬間、自分もできなくなる。
こんな風に能力をひとつずつ失っているのかのぉ。
♪♪♪♪♪♪♪
「ベティ 愛と裏切りの秘書室」を見ていて、パトリシア・フェルナンデスってなんてイヤなヤツだ〜とかねがね思っていた。
すると、彼女とおんなじイヤなトコが自分にもあることを発見。
やっぱり憎たらしい人って、自分とおんなじだったりするのね。
とすると、マルセラとも同類? 根拠がなくても最悪のことを想定して、憎しみを募らすとこなんか……そっくりかも。
2006.1.12(木)憎しみを理解する
その昔、咳がとまらなくて困っていたころ、「言いたいのに言えないことがあるのではないだろうか?」と思った。
でも、それがなんだかわからない。「わたし、けっこう言ってるし……」とまで思っていた。
5年も6年も経った今は「あ、あれも」「これも言えてない」とわかる。長いことテーマを追っているとイロイロと見えてくるものらしい。
「真実を見たくない」「見ないことにしたい」って仕組みがゆるんできたのかもね。
継続は力なり?
♪♪♪♪♪♪♪
わたしの中には、すごい憎しみがある。
いつも待ちかまえていて、わたしの「生存を脅かすもの」に牙をむく。「生存を脅かすもの」は「わたしの存在など必要ないのだ……」と思わせる事柄。
この憎しみはどこから来たかしら。祖母も母も嫁姑で憎みあってすごかったし、ふたりからももちろん来てる。激しい憎しみを抱えている人と出会うことも多い。
憎しみは人々に自然に備わっている……というと言い過ぎか。社会全体、人類全体で共有しているものであるのかも知れない。
祖母と母のように、憎しみをぶつけ合ってさらに増していくこともある。無視をして「自分の中にはない」と自分をだます方法もある。隠してもいい。
まぁ、隠したり無視したりしていると、だんだん大きく凶暴になるようだけど……。
そして自分の憎しみを自分が憎んでしまったら、これまた大きく凶暴になっていくだろう。憎しみが憎しみを生む。
自分の憎しみを認めて、許してあげていくと、だんだんおとなしくなるかしらね。
♪♪♪♪♪♪♪
憎しみ、敵意……わたし、いろいろもってるなぁ。
そして憎しみは、悲しさ、寂しさ、孤独感と密接な関係があるような気がする。
すごく寂しかったもの。自分でも異常だと思うくらい……。
「オーラの泉」で江原さんがオダギリジョーさんに「とっても寂しかったんですよね」と言った。聞いたとたん、「そうなの」と涙が……。わたしに言われたわけじゃないのにね。
♪♪♪♪♪♪♪
子どものころのスキンシップが少ないと、「自分は生まれてきてはいけなかったんだ」とか「自分はダメなんだ」とか思いがちな人間に育つらしい。
5人に2人くらいはそういう人なんだって。
わたしはそこから出発するわけだ。「それでも乗り越えられるだろう」と自分で設定して、この世に来たんだな。「6はクリアしたから、レベル7にチャレンジ!」みたいなことだ。「大丈夫、大変だろうけど、やってみせる」と思ったのだろう。
2006.1.13(金)ひねくれ者
いろいろなことをねじくれて受け取ってる、とわかってきた。
メールの返事がないと「相手が怒ってる!」と思う。まぁこれは、そう思う人もわりと多いみたい。最近は「きっとあの人もなんだか不調なんだろーなー」と思うようにもなった。
年賀状に「まだ回帰をやってるんですか」とあれば、「お前がこの仕事を続けるのは許さない」と怒ってるのだと解釈する。
宛名が旧姓で届けば、「離婚しろと呪いをかけてるんだ」と思う。
理性では「なんてバカな反応」とわかっているけど、これはある意味、わたしの真実なんだなー。
♪♪♪♪♪♪♪
そして、考えが飛躍する。
「わたしは存在していてはいけないんだ」、ってとこにヒュンと飛び、怯える。「生きていちゃイケナイんだ」ってとこまで一気に行ってしまう。
こんなにコワイ思いばかりしながら(自分で創り出してるとはいえ)、よく生きてきたなぁ。ほとんどすべての人が自分に襲いかかってくるのでは……と身構える人生。
逆に感心する。
2006.1.14(土)ともなり
ある会社の面接官がなんでも曲解するひとで、驚き呆れたことがある。
10年くらい経って「あの人がねじくれてるってことを、なぜわたしは確信したんだろう」と不思議に思った。わたし自身もおんなじくらいねじ曲がっていて、共鳴したからわかったのかもね。
♪♪♪♪♪♪♪
ヘリが飛んでいると、からだが共鳴してるってわかることがある。車も、エアコンなどのモーターも、冷蔵庫も……共振をさそう。
ここ200年かそこらに日常に入り込んできた振動。
こういう振動を経験するカラダって、おかしくなんないのかな。
2006.1.17(火)苦しむべし
なによりも試練、トラブル、障害がイヤで、「見ないフリ」「見て見ぬフリ」をしてきたのに、どうしてこんなに波乱万丈だったんだろう、苦しいんだろ……なんて思っちゃった。
いや〜、だからこそ、なんだろうけど。
(「見ないフリ」したかったから、近視なのね)。
♪♪♪♪♪♪♪
で、思った。
苦しみを途中で終わらせたり、軽くしたりなんて、できないんじゃないだろうか。
行くとこまで行くしかない。「お手軽に抜けだせた」と思うときには、おっとどっこい! 再試、再々試が待ち構えている。
そしてホントに乗り越えた時、自分が成長していることに気がつく。
♪♪♪♪♪♪♪
「こころが軽くなる」とかそういうテクニックは、ワークスペースをつくる……つまり、がらくただらけの部屋を片付けるために、とりあえず座る場所を作る、ってことなのかも。腰を据えて、さて、取りかかる。
自分を見つめる時、親のせいにしたりするけど、これもそう。
親を憎むのが目的ではなく、とにかくワークスペースを確保する。そこをとっかかりに自分を見つけていく。
誰かのせいにしてる間は苦しい。
でも、そうやって苦しみ抜いてはじめて、自分の傷を癒せるのは自分だけって、わかるのかもしれない。自分の責任なんだな、自分がやっていいんだなって。
♪♪♪♪♪♪♪
親を憎むのも、大事な通過点なんだろう。
なにがおきても、豊かな実りへ至るみち。
途中ではわからない、端のものにはわからないが……。
2006.1.18(水)三ツ子の魂、百までも
親とのスキンシップ不足の影響で、母親から離れたがらずよく泣く子は全体の2割もいるそうで、そんなにいるのかとちょっとホッとした。
……のもつかの間。
幼稚園にいる間中、泣いていて、先生をひとり独占していた子はほかにはいなかったと思い出した。なんにちくらい、泣き続けていたのかな〜。重症?
なにしろ、「母は私を捨てる」「わたしのいない間に弟をつれてどこかへ行ってしまう」と確信していたから……。
(でもなんで、そういう理由をおとなたちには話さないんだろう。「彼らが理解するはずない」と思ってる?)。
♪♪♪♪♪♪♪
ダンナがしばらく休職し、ほぼずーーーっと一緒にいた。
明日から会社という日、寂しくて心細くてたまらなくなった。幼稚園の時の、あの気分。
「寂しいよー、会社行っちゃイヤだよー、じゃなきゃ、会社に一緒にいっていい?」とまるで幼児返り。
こういう傷(性質?)は一生ついてまわるのかしらね。
「治る」とかそういうもんじゃないらしい。
♪♪♪♪♪♪♪
だけど、ただ泣きじゃくるんではなくて、気持ちを口に出して相手に伝えられるようになってる! 強い分離不安を自覚できてる。それを静かに見つめることもできてる。
成長してるんだ〜。
2006.1.19(木)だれのための
「母に捨てられる」とおびえ続けて(?)生きてきたモノの、母は健在。足腰、循環器をみれば私より元気なぐらい。
わたしは「捨てられていない」。むむ。
だけど……もしかしたらおばあちゃんは二人とも、「(それぞれの)おかあさんに捨てられた」と思っていたかも知れない。蒸発したり、会ったことがなかったり……。詳しいことはよくわからないのだけれど……。
わたしは「おばあちゃんたちの想いも生きるからね」と、二人に約束して生まれてきたのかも?
♪♪♪♪♪♪♪
母の無言の圧力に屈して、父方のおばあちゃんには冷たくしてしまった。嫁姑戦争。
二人が敵同士だと知らなかったころ、祖母の写真を見せてもらって「おばあちゃんって、むかしは美人だったんだよ!」と報告した時の、母の冷たい恐ろしい顔。
おばあちゃんに近付いてはいけない、と悟ったのだった。
隣人を「非国民!」と批難した人、ヒトラーに協力した人とおんなじ。生き延びるために、ひどいことをした。
付け加えれば、祖母も母に負けず劣らず冷酷だった(~~;。
似たモノ同士と言ったら、ふたりとも「いっしょにするな〜っ!」と、激怒するかもしれない。ははは。
♪♪♪♪♪♪♪
そうなの。誰かの怒りをかうのが恐ろしい。
「怒らせないように」。
それがものすごく強力な行動規範になっている。自分自身の思いは、二の次になっちゃってるんだよね。コントロールされまくり。
2006.1.20(金)うら・オモテ
なにかをやり遂げる一歩手前で、フッと投げてしまうことがある。庭仕事でも、掃除でもなんでも。
「ほどほどにしときなさいよ」という母の声が、こころの中(記憶の中?)から響いてきて、この声に素直に従ってるのかな、って気がした。
なんでそんな言葉を、額面通りに受け取ってしまうんだろうね。真に受けなくてもよさそうなもんだけど……。
♪♪♪♪♪♪♪
ひとの気持ちは言葉通りじゃないことがある、ってわからなかった。わからないことにしときたかった。
でも、「あの人ってね、こうで、こうで、こうなの。でも、わたし、気にしてないから」と誰かが言ったら、それはこの人がすご〜く気にしてるってことだよね。
気にしてなきゃ、そもそも話題にしないもの。
♪♪♪♪♪♪♪
言葉のほかに相手の気分や雰囲気を感じ取ってしまうわたし。でも、それは感じたくなかったのね。この人がヒドイことを考えてる、とか、ヨコシマなこころがある、とか……。
みんな「いい人」「フツウの人」って思いたかったんだよね。それも「カンペキな人」。
そしてまた、わたしがこんなヒドイことをされるはずはない、とか、人生がこんなに辛いはずはない、と思いたかった。
いやなことはぜんぶ否定したかった。
だから「オモテの意味」だけ受け取ろうとしたのかも。
「ありのままを見ない」ためなら、なんでもしてきたんだろうな。
2006.1.23(月)腎!
先端恐怖症が出てなかなか寝つけなかった。胃の中と目玉がワジワジいりいりして、無数の虫がはいずりまわっている感じ。ふりはらえない絶望感。
「無数の虫」なんてアル中みたいでやだな〜。でも鍼のぴっころ大王(仮名)が「そういう表現する人、多いですよ」とおっしゃったので安心する。
「けっきょくは腎なんだよね」と聞いた瞬間、
謎は全てとけた!
気分に……(大袈裟(^^;?)。
腎が弱ると、不安や恐怖が強くなるんだって。
♪♪♪♪♪♪♪
幼稚園で泣き続けていた「母に捨てられる」不安。ちいさいころからの先端恐怖症。給食を全部たべられるだろうかという不安(6時間目まで食べさせられたり、泣いて保健室にいったり。さいごには「学校に行きたくない」と登校拒否しかかる)。
ドライブ旅行で家族全員死ぬのではという不安。留守中に、家が火事になるのではという心配。
外国にいったら、殺される、レイプされるという恐怖。車を運転したらひとを殺してしまうという不安。笑われる、悪口をいわれる、陰口をたたかれてるんじゃないか。時間におくれる。子どもに近付いたら、その子を壊してしまうんじゃないか。うまくしゃべれない。大学院時代の登校拒否やひきこもり……。連れ合いが先に死んじゃったらどうしよう……。
それぞれ独立した事象だと思っていた。
そうじゃなくて、人一倍こわがりで臆病なんだ〜〜。恐怖と不安でいっぱいなんだ〜〜。みんな、そこから派生してるんだ〜〜。
♪♪♪♪♪♪♪
それで、タバコやお酒が必要だったのね。気を紛らわせて不安をおさえこむため。
なるほど。
わかったからってなにも変わらないけど、なんかホッとしたというかスッキリしたというか。
2006.1.24(火)継代曝露(けいだいばくろ)
恐がりといえば、母も大変な心配性だ。
いとこの息子(3、4歳のころか?)が歩いていたら「やだ、危ない!」、走ったら「危ないからっ」。坂道だったのだけれど、大袈裟。
「そんな心配なら、箱に入れて、押し入れにでもしまっとけ」なんて呆れたのだった。
ん、まてよ??
わたしって小さいころから、家でばかり遊んでいた。外遊びをした記憶があんまりない。たまに一人で外に出ると、年上のおにいちゃんたちの群れにつかまって、お医者さんごっこの標的にされたり、池に落ちたり……。
押し入れはともかく、箱に入って育ったのかも?? そのあいだにわたしの「恐いよ〜」は育っていったのかーー。
♪♪♪♪♪♪♪
恐がりは親子二代。伝えられてきたもの。
母の姉も輪をかけた心配性だというから、もっとかな。少なくとも三代は続いてる……?
親の世代は戦争の影響もあるのかも知れないね。
♪♪♪♪♪♪♪
幸いなことにうちには子どもがいないので、わたしの恐がりを受け継ぐ人はいない。
わたしが恐がりなのはヨシノブちゃん事件(誘拐事件)があったからで、「よそのひとは恐い」と思い込んだからかも、なんてちょっと思ってもいたのだが、連日のように誘拐や殺人、詐欺の報道があって「恐い世の中だ」「危ない」「気をつけなければ」と連呼されたら、次の世代はどうなるんだろーなー。
どんどん恐がりの人数が増えて、恐さも強烈になっていくのかな〜。
いやもう、そうなってるかな?
2006.1.25(水)さしかえ
ひとは私の悪口をいう、批難する、わたしのことを怒っている、見捨てる、冷たい目で見る、ばかにする、迷惑に思う、わたしをおとしいれる陰謀が、ほら、今そこに……と妄想している私。
根拠はない。
強いていえば、おかあさんがあんまり恐かったから……?
岸田秀さんじゃないけど、「母はほかの人から見たら、フツウのおばさん」かもしれない。そのひとを異常なまでに怖がってできた世界。すんごく狭い世界だけを写し出して、それがすべてだと思い込んでる。
自分で作った妄想に、自分でおびえてるんだなーーって思う。自縄自縛。
♪♪♪♪♪♪♪
どうせ妄想なんだし、根拠があるわけじゃないんだから、「みんな暖かく応援してくれてる」ってつくりかえたら、どうだろう?
暖かく包んで、見守ってくれてる。優しく導いてくれてる。愛してくれてる。
♪♪♪♪♪♪♪
……なんかよさそう(^o^)。
2006.1.26(木)お願い、ありのままを愛して
友人「美穂さんでも、ぼ〜っとするんだ〜! そうは見えな〜い」
ミテ「もともとはぼ〜っとしてるんだけど、母に怒られてテキパキした人のフリをしてるの」
友人「おねえちゃん(彼女もミテのおともだち)と一緒だ! すっごくぼ〜っとしてたんだけど、ママにこっぴどく怒られて優等生になったの。でも高校にいったら周り中ぼ〜っとした人たちばっかりで、大学ではもっとぼ〜っとした人たちばっかりで、ああなっちゃったの!」。
……という会話をかわして、同族がいたんだ〜とすごくホッとした。
♪♪♪♪♪♪♪
親はこどもに「こうあってほしい」と期待するし、こどもは期待に応えようとする。
短期間なら成功するかも知れない。すっかり変わったようにみえることもあるかもしれない。でもエネルギーが低下すると、地が出てくる。装うにはパワーが必要なんだよね。装いすぎると燃え尽きる。
「いいこ」が脱線する。
♪♪♪♪♪♪♪
子どもひとりひとりの本質なんて、そうそう変わらないんじゃないかしらーー。
むりやり変えようとするより、そのまま活かすみちを考えた方が、楽で楽しくていいかもしれないな〜。
だって、なにかをテキパキやろうとすると、恐怖感をおぼえちゃって、場合によっては手も足もでなくなるから……。無気力地獄に墜ちていっちゃうことがあるから……。
2006.1.27(金)自分と会話すればいいの
「うう〜、腰がいたい」と思った時、どこかで「気のせいかな」「だれかに同情してほしくて痛いと思ってるのかな」と、痛みを否定していることに気がついた。
具合が悪いと、さすがに母も優しくしてくれたから、気を引くために痛くなることだってあったんだな。
でも、度をこすとまた怒られるから、加減(?)がむずかしい……。
♪♪♪♪♪♪♪
「ひとにどうにかしてもらうため」じゃなくて、単に「痛いね」と自分に認めて、からだのどこがなにを言いたいのかな、って耳を傾ければいいんだね。
そしてつぼをおしたり、お灸したり、あたためたり、なでてあげたり、ストレッチしたり……。
すなおに自分に目を向ければいいだけ、なんだったなぁ。
ずいぶんゴチャゴチャとよけいな心配をしてたんだな〜。
2006.1.28(土)思い込みフィルター
同級生にいじめられていたとき、男の子たちにパンツぬがされた時(そうかー、だから男性クライアントさんを引き受けられないんだ〜。こわくて)、犬に襲われそうだった時、通りがかった大人は助けてくれなかった。
「誰も助けてくれないんだ」と、そう思い込んだ。人生とはそういうものだ、と思いきめた。
こういう思い込み(コアビリーフ)は幼い時にできあがって、一生を左右するといわれている。
♪♪♪♪♪♪♪
だけど、わたしも「たすけて!」って言えなかった。「いや」とも言えてなかったのね。
自分のふるまいがどうだったか、からは目をそらしていた。考えから欠落していた。
♪♪♪♪♪♪♪
だけど……そうだ、いままでたくさん助けられていた。思い出してきた。
編集長に泣かされた時、デスクがお昼に誘って慰めてくれた。
丸の内線で脳貧血起こして倒れた時、たくさんの乗客が助け起こして席に座らせてくれた。
入社試験をうけたときは、いろんな人が推薦状を書いてくれた。
線形代数がさっぱりわかんなかったとき、まちゃみがメモをくれて、それをヒントに単位をとれた。
翻訳でいきづまったとき、みうらさんが手を貸してくれた。ボブもチェックしてくれた。
写真部に怒られた時は、姐さんがかばってくれた。
渡米前はセラピーの部屋をうえのさんが提供してくれた。ひろみちゃんとたかひろさんが、部屋のペンキ塗りとか一緒にやってくれた。
腰痛で学生実習ができなくなったときは、助教授のなかむらさんが代わってくれた。
初講義でめちゃくちゃあがっていたときは、教授が学生に釘をさしてくれた。「真面目に聞くように」って。学生も「俺たちがフケるとあいつ泣くかも」と、最後まで聞いてくれた。
上司ときまずくなったときは、周り中の人がいろんな助けをくれた。金銭的な援助、物質的な援助も数えきれない……。
いつでもどこかで誰かが助けてくれていた。
♪♪♪♪♪♪♪
それなのに「誰も助けてくれない」という信念(思い込み、コアビリーフ)を守るため(変えないでいるため?)に、そういうことは記憶の奥底に封じ込めて、あんまり感謝もしてない。
「そんなことなかった」風を装ってる。
さしのべられた手をはねのけて、怒ったりもしてる……。
「見たいもの」しか見てなかったね。「ばかの壁」。
♪♪♪♪♪♪♪
この「信念」も差し換え時期だね。もう古いのはいらないね。
手放そう。
たくさんの人たち、いままでありがとう。そしてごめんなさい。
人間て、人生ってあたたかいんだ。
2006.1.29(日)ちょっと一息
コア・ビリーフ……core belief、核心となる確信。
ははは、しゃれだ。
♪♪♪♪♪♪♪
母をいびっていた祖母が夢に出てきた。
少し若返って(享年89)、髪をきれいに結い、晴れ晴れと笑っていた。
いじわるで気の強い、あのおばあちゃんには見えなかったな。もっとおだやかだった、おばあちゃんの妹かと思った。
光に還ったのかもね。よかった。
知らせてくれてありがとう。
♪♪♪♪♪♪♪
大型電器店に行くと、ヘロヘロになっちゃうのはなんなんだろう。
2006.1.31(火)しまりすくん?
ミテ 「こんど、夜でかけたいんだけど、いい?」
ダンナ「いいよ」
ミテ 「いいの!? 怒らないの?」
ダンナ「どうしてそう思うの?」
ミテ 「……(-_-;)。
あそこに洋服なおしのお店があるじゃん。このセーターの穴もなおるかな」ダンナ「お店できいてみれば?」
ミテ 「やだ、こわい! こんな穴つくって、って怒られるかも知れないじゃない!
……百会(あたまのてっぺん)にお灸するといいんだって」ダンナ「ぴっころ先生にやってって、言えば?」
ミテ 「でも、頼んで、怒られたらどうしよう!?(注:怒るような人じゃありません)。
ン?? なんだってすぐ『怒られる(>_<)』って思っちゃうんだろう?」。
♪♪♪♪♪♪♪
とんでもない怖がり。
で、ひとは恐い時に怒るものなので、実はとんでもない怒りんぼ。
いままでミテの理不尽な怒りの被害に遭った人たち(いっぱいいる(-_-;))、ごめんなさい。
うう、情けない。恥ずかしい……。
かといって、また怒っておんなじことをしてしまうかもしれないけれど。
♪♪♪♪♪♪♪
鍼にいったら、気分がとても明るくなった。
明るいところからふりかえると、それまで暗い気分だったんだとハッキリわかる。暗い時には案外自覚できないもんなんだな。
エネルギーが涸れてるときはしょうがないね。そんなもんだね。
辛抱強く待っていれば、必ず上向く。今回はぴっころ先生のおかげ。どうもありがとう。