2006.10.1(日)気落ち
楽器を弾く気が、ふっつりなくなってる。
いつからだっけ? なんだっけ?
そうだ、レッスンに行ってから、だ。
♪♪♪♪♪♪♪
のりのりでいっぱい練習していって、先生も「ここはこうしたらいいよ」といっぱい教えてくれた。やってみると弾きやすかったり、いい音が出たり。
その場ではうれしいな〜と思ったのに、家に帰って来たら、やる気が跡形もなく消えてしまっていた。
♪♪♪♪♪♪♪
もっと誉めてほかったんだな〜。
そして、どんなに頭/理性で「その通り」と納得していても、「○○しなさい」「××したほうがいいよ」「これはあなたのためだよ」などなどは、もう一切受け付けられなくなってるんだと気づいた。
そういうの尊重しすぎて、いっぱいいっぱいになって、忠告、批判、批評、ご意見、指図、ご指導、期待、心配……内容の如何に関わらず「なにか言われること」に過敏で、過剰反応、つまりアレルギーを起こしてしまうんだな。
叱咤激励なんかされたら、一気に気力を失って長いこと落ち込んでしまう。
うーん、そうだったのか。
批判に過敏だとはわかっていたけど、それだけじゃなかったんだな〜。
2006.10.2(月)地雷
「レッスンに行ってから全然楽器さわってないの」とダンナに言った。
「まだまだ行く道のりは長いのに、それじゃ駄目なんじゃないの」とダンナ。
ふしゅ〜〜〜。
カラダ中から活力、気力、生命力がいっぺんに抜けてしまった。涸渇。
歩く足がふわふわ。
♪♪♪♪♪♪♪
そーか、これは最悪の「トラウマ・ボタン」なんだ。それを押されると、こんな風になっちゃうんだ。
なんだか現実から引き剥がされた感じ。
♪♪♪♪♪♪♪
「これじゃだめ、もっともっと」と言われたことが引き金になったみたい。
「もっともっと」にのだめも切れてたなぁ……。
♪♪♪♪♪♪♪
それから真っ黒グルグル地獄、デススパイラル、マイナススパイラルが襲い掛かってきた。
もう死んじゃおう。
楽器なんて売って家出しよう。
別れよう。
……。
♪♪♪♪♪♪♪
こうなると自己破壊的なことばかり考えてしまうんだなぁ……。
あまりの勢いに翻弄される。引きずられる。抗えない。
こういうとき、人は自殺したり、放火したり、だれかを殺したりするんだろう。
断酒に成功してる人だったら、いきなりスリップしてしまうんだろうな……。
♪♪♪♪♪♪♪
とぐろを巻いた憎しみ悲しみ、怒り……。
いままで努力してきたこと、よいと思ってきたことがまったく馬鹿らしくて意味のないことに見えてくる。
自暴自棄。
2006.10.3(火)疲れちゃったよ
誰でもトラウマを心の底に封印してしまっている。ダンナの役割はふだん目につきにくいトラウマのありかを教えてくれただけ。ここ掘れワンワン。
ありがたい役割。
毎日の暮らしの中で、トラウマのにおいはいつもするけど、なかなか掘り当てるのは大変。しかもトラウマをほったらかしとけば、その脅威は日々大きくなる。
それだけにありがたい人物。感謝してもしたりないはず。
♪♪♪♪♪♪♪
でもついついその人を恨みがち。「敵」なんて思いがち。
わかっているのに、ダンナに憎しみを向けてしまう……。
♪♪♪♪♪♪♪
その日は晩ご飯も作る気力がなく、お弁当を買ってきてもらう。
♪♪♪♪♪♪♪
今回の破壊衝動、死にたい気持ちは「疲れた」ってことだとわかる。
努力してもしても、「もっと頑張れ」と言われて、人生は頑張らなくちゃだめなんだと思い込んで頑張ってきてしまった。
「これ以上どう頑張れって言うの? もう疲れちゃったよ……」。
どんなに努力したって「頑張れ」って言われる。もうな余力なんてないよ。
♪♪♪♪♪♪♪
そこまで疲れ果ててたのか、と改めて驚く。
ホームページを応援して「これからも期待してます」と言われると絶望感に襲われていた訳がわかる。
小学校の運動会でリレーの選手で走っていたとき、「どんなに声援を受けたって、これ以上速くは走れない」と思った訳もこれだ。
小学校の給食が食べられなくて、登校拒否しかけたのも関係ありそう。
浪人していたとき、ノイローゼになりかけたし。
大学院でひきこもりもしてたし……。
ときおり気力が涸れ果てるんだな。
ひとつひとつ「乗り越えた」と思っていたけど、「期待に応えて頑張らなくちゃ」という核までは辿り着いてなかったのね。それで同じようなことなんども繰り返してたんだな……。
無気力を解決するのに、「これじゃイケナイ、怠けてる、甘えてる」と自らに鞭打つようなことをしてきた……。
それよりガソリン補給しなくちゃ、なのに〜〜。
♪♪♪♪♪♪♪
パズルのピースがはまっていくような、個々の出来事のつながりがハッキリ姿をあらわしてきたような……。
♪♪♪♪♪♪♪
mixiをやっていたら、まんが「舞姫 テレプシコーラ」の中で千花ちゃんが自ら命を断ったことを知った。中学生ながらバレエ団の未来のホープと期待され、学校の成績もトップクラスの彼女。事故やいじめも重なっていたけど、期待も重かったかも知れない……。
自分の心配や不安も悲しみもなかなか語らなかった「しっかりした子」。
うう……千花ちゃん、わたしの姿も重なる……。
2006.10.4(水)お仲間多数?
NHKの朝ドラ「純情きらり」で(もう終わっちゃったが)、笛子ねーちゃんのダンナ・冬吾さんが岡崎に逃げてくる。東京で画家をしてるんだけど、家出してくる。
生活に不安を覚えている笛子ねーちゃんが、画商をいっぱい連れてきてとにかく絵を描けと迫る。それに耐えられなくなったのだ。
「描きたくて描くのと、描かされるのとは全然違う」と冬吾さんは言う。
♪♪♪♪♪♪♪
そう、そうなの!
自発的にやるのと、強制されてやるのとは天と地ほども違う!
やらされていると自発性もやる気も奪われて、怒りや悲しみが積もってしまう……。
成長を早めようとするのも、とても無理なこと。はいはいもできない子に、走れと言ったって無理……。ものごとには然るべき順序、スピードがある。
♪♪♪♪♪♪♪
そのころ「親力で決まる子供の将来」(発行者・親野智可等)というメルマガにこんな話があった。
成績優秀、品行方正、塾もお稽古ごとも熱心で頑張っている子どもがある日突然学校に行かなく(行けなく)なる。親にとっては晴天の霹靂(へきれき)。訳がわからない。
でも子どもは燃え尽きてしまっているというか、なんというか。
こういう事例が増えている、と。
うう、わたしは先駆者……?
不登校、ひきこもり、ニート、うつや自殺者の増加も無関係とは思えない。みんな似たような苦しみを生きているんじゃ??
♪♪♪♪♪♪♪
ついついダンナに冷たい態度をとってしまった。というか、混乱して動揺してたので、話すことができなかった。黙ってふて腐れているように見えるだろう。
でも、なんとか整理できたところまで説明してみた。
「ぜんぶはわからないけど、○○のことがあったとき、『これ以上がんばれっていうのか』とぼくが思ったのと、おんなじことかな」とダンナ。
そう。それなの。わかってくれてありがとう。
ダンナにも同じような体験があるんだね。
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Bejeweledという単純なゲームを見つけて、はまってしまう。パソコンに向かい猿のように繰り返してる。こういう精神状態のときってはまりやすいのかしら。
なにかする気力はない。けど、瞑想なんかしてがっぷり自分を見つめるのはゴメン。
……だから、手は動かしてるけど頭は麻痺しててもオッケーなゲームでまぎらす。
パチンコはお金っていう報酬もあるけど、こういう麻痺状態をつくり出す効果もあるかもね。あれも無気力仲間??
2006.10.5(木)自他ともに
ダンナに話すまで丸一日ちょっと時間がかかった。こんなことを話した。
- どの言葉、どんな態度に反応したのか。
- どんな気持ち、どんな状態になってしまったか。
- いままでに起きた類似の出来事。
- 関係するアビリーフ。
- これは私の問題で、あなたが悪いのではない。
- わたしの姿を写しだしてくれて感謝している。
自分になにが起きているか、自分が理解しないと他者にわかるように話せない。
♪♪♪♪♪♪♪
メルマガにあったいきなりくずおれる「いい子」「しっかりした子」。
その子たちも「いやだ」「辛いの」って親に伝えることができなかったんだな。だから親には突然のことにうつる。びっくりしてしまう。
そもそも自分が辛いってことさえ、自分でも気がついてないかもしれない。抑圧があまりに強くて。
♪♪♪♪♪♪♪
幼稚園に通っていたある朝、お布団を出て園服に着替えるとき「しっかりしなきゃ」と思った。裸のひざをかかえながら、なんだか悲壮な気分でそう思った。
……悲しかったな。
そのために刻苦勉励、自分を叱咤してきたんだな〜。
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でも幼稚園の子がいくら「しっかり」したところで、失敗やしくじりをするハズで、それを自分に許さないとしたら、「自分はなにもできない」「生きてる価値がない」と思いはじめるのも時間の問題。
ちっちゃい子に「おねえちゃんなんだからしっかりして」なんて親が言うのは日常的だけど、考えもの……。
無気力、燃え尽き、絶望人間に育てたいなら別だが。
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自分に厳しく叱咤してると、他者にもそれを押し付けてしまう。
意識的にしろ無意識にしろ、クライアントさんや友人にもそう要求してしまう。それをしない人、できない人を追い詰めてきた気がする。
しかも人を追い詰める自分にも気がついてはいて、「自分はなんて酷いやつだ」と責めてもいた。
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ひとの期待に応える自分は、ひともわたしの期待に応えるべきだと常に怒る自分でもある。
その結果は「立派な人」「成長した大人」ではなく、気力をなくし生きづらいボロボロな人になることを、なかなか理解できなかった。
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自分の苦しみを否認すると、他者に自分と同じ苦しみを与えてしまう。
とくにそれは弱い者に向かう。子ども、弟妹、生徒、患者、部下、妻、夫、下請け、後輩、下級生、障がいのある人、区民、市民、役人……。
人生が子ども時代から始まるのも巧妙な仕組みかも。課題をしっかり受け取ってから成長していくのね。
2006.10.6(金)あっさり
さて、レッスンの日が来て、先生(うんと年下。友だちの妹)に「いいことを教えてもらってるのに、やる気がなくなっちゃった。指導してもらってるのに、批判されたみたいに受け取っちゃうの……アレルギーみたい」といきさつを話した。
するとすんなり「そうなんだ〜〜。じゃあ、こうしたほうがいいかな? ああしたほうがいいかな??」と先生。
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うちの母やわたしなら、「わたしが悪いっていうのね!」と逆切れしちゃいかねない場面。
こんなふうに受け入れる人もいるんだ〜。感激。
とても嬉しい。有り難い。
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「やる気のなさ」を楽器で表現してみようと誘ってくれる。テキトーに弾く。
「ほんとにやる気ないんだね!! すっごくよくわかって、笑いをこらえるのが大変だったよ〜」と先生。
こんなふうに笑ってくれるなんてすごい!!
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なんでもかんでも「わたしが悪いっていうのね!」って切れてると、なんにもすすまないんだな〜。
ドラマ「シックスフィート・アンダー」でも、登場人物のほとんどがぴりぴりしててデイブとかリサとかおかあさんとか「私が悪いのねっ!」、ネイトやキースは「そんなこと言ってないだろっ!」とギクシャク。あそこにも私の姿が……。
我が家の文化は「だれそれが悪い!」と責めるものだった。すると「私が悪いのかも??」といつもビクビクすることになる。それがこういうとき出ちゃう。
「悪いやつ」を責め立てれば、そいつが改心して事態がよくなる……わけじゃなく、実際にはトラブルを大きく深くするだけなんだな〜。
悪いとこ……というか、うまくいってないところをハッキリさせて改善していくのと、悪いやつ探しじゃあ、全然結果が違うんだ……。
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わかって受け入れてもらうと、こんなにうれしいんだ……。大発見。ありがとう。
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それともうひとつ。
やる気がない人を怒るのは、どうしてなんだろう? やる気のあるときがあれば、ないときもあるし。やりたくないことはやる気しないし……でも許されないのかな? どんな場面でも?
2006.10.8(日)逃げる
先生に「こうして聞いてもらってうれしいの。すんなり受け入れてくれる人もいるんだね〜。友だちに『わたしはこうされるのが苦手』と言ったら、ショックだって返されて、友だちもわたしもふたりして落ち込んで、やっぱりそういうこと言うのは悪いことなのかなって、悩んじゃった」。
「美穂さんの場合は、そういう人とつきあわないほうがいいのかもね。わたしやおねえちゃんは、ぜーんぜん平気」。
そうなのか〜〜。
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先生との会話にだした友人とは渡米前に親しくしてた。
一緒にいると楽しいんだけど、なんだか傷つくことも多くて、でも友だちだから許さなくちゃ、仲良くしなくちゃと頻繁に会っていたら、わたしのカラダがいうことをきかなくなった。向き合ってお茶を飲んだのに正対できず、わたしのカラダはそっぽを向いていた。
アタマでは「わたしってば失礼な……」と焦るのに、どうすることもできなかった……。
♪♪♪♪♪♪♪
渡米してもう会わなくてすむと思ったらホッとした。それが正直な気持ちなんだとやっとわかった。
で、「一緒にいて辛かったです」と手紙をだした。当然ながら返事は来ず、お互い引っ越して消息不明に。
帰国することになって、もし町でバッタリ会ったらどうしようとビクビク。帰国したくなかった。(そんな理由で(^^;? そう、でも切実だったの〜)。
♪♪♪♪♪♪♪
それが会ってしまったのだった。
横浜の本屋さんで立ち読みしていたら、隣に人の気配。その人も本を手にとって読みはじめた。
ぎく。
ぎく?? そうなのだ。そっと窺うと、その友人。あっちは気づいてない。
どうしよう! 逃げようか。
……うう、諦めるか。これも成長の機会かもしれないし……。
♪♪♪♪♪♪♪
じぃっと見ていたら、彼女が気づいて驚愕。そりゃそうだ。ごめんね。
「あの手紙、悲しかった」。そりゃそうだ。ごめんね。
いきなりそんなこと言われちゃね。
友人「どうして会ってるときに言ってくれなかったの?」
ミテ「友だちだからなんでも我慢しなくちゃ、と思っていて、でもそれが限界に来ちゃったみたい。ごめんね」
友「これからは言ってね」
ミ「そうするね」。
♪♪♪♪♪♪♪
後日あらためて会う。
やっぱりちょっと辛かった。その場では言えなかったから、「なんでなんで、とつっこまれるのは苦手」とメールした。
そしたら「ショックです。どうやって接していいかわからない」。
わ〜〜、傷つけてしまった!! やっぱり言うべきじゃなかったの??? 自分の感じてることを伝えるのは、やっぱりイケナイことなのかも〜〜〜??? 混乱! 恥じ!
♪♪♪♪♪♪♪
また会おうとメールが来て、迷っていた。
正直な気持ちは……会うの怖い〜〜。でも人として逃げてはイケナイのでは!?
……でもそうか。先生の言葉を聞いて思った。
会わなくてもいいんじゃないかな……。
♪♪♪♪♪♪♪
そうか、そういえば、「苦難には立ち向かうべき、克服すべき」って思っちゃってるんだ。
あ、セラピーでは、「自分の気持ちを尊重しましょう」なんて言ったりしてるのに! 自分がやってないじゃん。自分をわかってないじゃん。
不登校の子どもに学校へ行くよう強要する大人と同じ。ひきこもりの人を引きずり出そうとする人と同じ。その人の気持ちを汲もうとしない……自分に対してそういうことをしてきたんだ。
苦難に立ち向かうべく、おみおつけを残さず飲むことを義務付けられていたわたしは、いまお味噌汁嫌い……。味はきらいじゃないと思うけど、おみおつけにまつわる記憶が苦すぎる。飲めと強要される苦しさをまだ引きずってる。
「苦難を克服」しようとしたのに、全然強くなってない。
自分から苦難を引き寄せて、飛び込んで「それで強くなる。それが人の道」って、もう卒業しようよ〜。
♪♪♪♪♪♪♪
友だちから逃げることにはなっても、自分の気持ちからは逃げてない。
2006.10.9(月)あなたのせいじゃない
友だちに「会えない、ごめんね」とメールした。
友だちもわたしも(母も)「わたしが悪いの!?」とショックを受けて落ち込んだり逆切れしたりするタイプだと身に沁みたので、「あなたは悪くないんだよ。わたしのトラウマに関することで、わたしの問題なの」と強調した。
そして「苦手なことを言われると、実はパニックになって固まっている」のだとも。
それでわかってもらえたみたい。
友だちを傷つけないように周到に用意した……のでもあるし、もし逆襲(?)されたら自分がダメージを受けるからそれを避けるため……でもあるし。
傷つく/傷つけるがほんとに怖いんだな。
♪♪♪♪♪♪♪
「わたしが悪いの!?」族は、身に覚えのないことで「あなたのせいよっ」とさんざん濡れ衣を着せられて育ってきたに違いない。
自分がしたことがいいか悪いか、それでは混乱してしまう。どこまでが自分の責任で、ひとの責任なのか、境界がわからなくなる。
♪♪♪♪♪♪♪
「子育てハッピーアドバイス3」に、子どもが親の矛盾や勘違いを指摘する場面が出てくる。
子供のいうことが図星だったとき、「そうね、あんたの言う通りだわ」と親が言えるかどうか。
親がかちんと来て「生意気言うな」とか、「うるさい!」とか言っちゃう。うちもそうだったんだろうな〜。子供は否定されたと感じる。正しいと思っていたこと、自明だと思っていたことが挫かれる。混乱する。
読んでいて、「そうなのそうなの、そうなのよ〜! わかってくれる人もいるんだ〜」と著者に感謝した。
そういう子どもは自分の間違いを素直に肯定できない大人になる。
なんでもないとこで、「わたしのせい? わたしが悪いの??」と怯える人になる。怯えるから逆切れする。単なる指摘や指導まで、批判や断罪に聞こえる……。
それが世代から世代へ継がれていく。母がそうだから、わたしもそうなのね。わたしの苦しみは母の苦しみのコピーでもあるんだ。
2006.10.11(水)堅牢な「建て前」
ショックを受けて動揺しても、極力それを隠し平気そうなフリをする。
それがあんまり自動的すぎて、自分でも動揺してることに気づかないできた。
やっと最近、「あ、パニックしてる」とわかるようになってきた。頭まっしろだったり、「どうしようどうしよう!?」と焦っていたり、周りが見えなくなっていたり、首の後ろが痛くなったり……。
「パニックになる」というわたしのメールに対して、友だちの反応は「知らなかった」だった。傷つかない大人(?)のふり、功を奏していたのね。パニックを完璧に隠しおおせていたのね。
わたしの隠蔽力、演技力(?)、すごいね……。
♪♪♪♪♪♪♪
知らないから、ひとは何度もわたしに対して同じことをする。
当たり前だ。
わたしが創った仮面をわたしと信じてくれるから。
その度にわたしが参ってしまうなら、言わないわたし、隠すわたし、外面(そとづら)をつくっているわたしは自虐的だ。
しかもほんとのわたしは傷つき凹んで、怒りや悲しみが募ってしまう……。相手を恨み憎む。
♪♪♪♪♪♪♪
「作られたわたし」「ニセのわたし」とのコミュニケーション。ほんとのわたしは身を隠している。
「わかってもらえない!」。
当たり前だ……。本人不在じゃ、理解しようがないもの。
♪♪♪♪♪♪♪
自閉症の東光(あずま・ひかる)くんのマンガ「光とともに・・・」を読んでいて思った。
光くんはパニックを隠せない。
パニックの光くんをはじめて見たらビックリするだろうけど(わたしだってマンガで知ってるだけ……)、周りは「彼はこういうことをすると驚いちゃうのね」「大きな音は苦手なのね」って段々わかってくるから、できる限りびっくりさせないよう、衝撃を与えない様に気をつけるだろう。
♪♪♪♪♪♪♪
光くんとわたし。
どっちがつくりものを生きていて、どっちが真実を生きている? 「外側をつくって、自ら苦しみを招いて、勝手に人を恨む人生ってどうなの?」と問われているような気がする。
素直に「苦しい」「辛い」「悲しい」って言えたら、人生が全く違ってくる……よね。
2006.10.12(木)こんなに痛いんだっけ?
母が小包を送ってくれた。お礼の電話をかけねば。しかし……ぐずぐず引き延ばしていた。
だって怖いんだもん……。また痛い思いをするのかってどうしても腰が引ける。
羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く。
弱ってるととくにね。
♪♪♪♪♪♪♪
母「元気なの?」
ミ「いや、あんまり」(昔は常に「元気」と嘘を言っていた)
母「どうしたの?」
ミ「いい子でいるのは疲れることだったんだと思って」
母「まぁた、そんなこと……」(いやそうに、うんざりって感じで)。
♪♪♪♪♪♪♪
ああ、言うんじゃなかった。失敗した。
まだ、わかってもらえるかもなんて期待があったのかしら。なんど痛い目にあったらわかるんだ。
ああ、でも痛い。苦しい。
それにしても……「わかってもらえない」痛みってこんなにすごいんだっけ!?
いままでは感じないように痛みをセーブしてたの? ほんとはこんなにひどい痛みなの!?
うう、すごすぎる。
♪♪♪♪♪♪♪
世の中にはいろんな家庭がある。
ギャンブル、暴力、暴言、育児放棄、宗教にはまってお金を貢いじゃう、貧乏、お酒、早くに親を亡くす、子どもの誰かを強烈にひいきする、性的なこと、無視……。
それぞれの家庭の苦しみを聞きながら、うちは殴られたり無視されたり邪険にされたりはあったけど、まだ「ふつう」の家庭なのに、わたしがこんなに傷ついてるのは申し訳ないとか、大袈裟なのかとか思っていた。
♪♪♪♪♪♪♪
でもハッキリ目が醒めたというか……なんという痛み、なんという残酷さ。やっと生で味わった。
そういえば、これも自殺願望の強烈な一因だったんだっけ。
「このくるしさ、悔しさ、悲しさをわかってくれないんだ。わたしが自殺でもすれば、少しは驚くんだろうか? 目を向けてくれるんだろうか?」。中学生くらいから、よくそう思っていた。激しい怒りとともに……。
♪♪♪♪♪♪♪
「こんな親で情けない」「親に謝ってほしい」「わかってくれない」「聞く耳をもたない」……さまざまなクライアントさんの言葉がよみがえる。
聞いたときは理解したつもりだった。でもほんとにはわかってなかったと思い知る。
いまは断言できる。わかる。100%わかるよ。
どれほど辛いことだったか……。
♪♪♪♪♪♪♪
ダンナに「おかあさんが、電話でこう言ったの」と訴えると、「そういう人だってわかってるのに、言う方が悪い」と一言。
そうだよね。
でも、強烈な感情を体感できたことは、いいことだと思うのよ……。しくしく。
2006.10.13(金)解除作業
「親には相談できない」って人は多い。
なんでだろう。
心配かけたくない。傷つけたくない。親の平安を乱したくない……。
そしてまたひとつ、今回、実感をもってわかった。
「気持ちをわかってもらえない」のがこんなに痛いからだ。
どうせわかってもらえない、逆に傷を逆なでされる。相手が切れて反撃してくる。ならば、子どもは何も語らなくなる。口を閉ざす。心の中から親を閉め出してしまう。少なくとも相談相手としては除外する。
そうだったんだなぁ……。大納得。
♪♪♪♪♪♪♪
「きもちをわかってもらえない痛み」をやっと生で感じたのは、ほんとに喜ばしいことだった。
親との間に生じるさまざまな痛み。子どもは逃れることができない。逃げるなんてできないし、家出もできない。なんとか我慢してやりすごすしかない。
だから痛みを感じない術を編み出す。
感じる痛みのレベルを下げる。からだから抜け出す。痛みがあることを否定する。忘れる。自分は関係ないことにする。こうやって強くなるんだと言い聞かす……。
わたしは感じないように、感情を抑圧して生き延びてきたんだ。
それをいま解除しかけてるから、鋭いナマの痛みを感じることができた。
♪♪♪♪♪♪♪
感情は魂の言葉、活力、生命力、エネルギーとも言われる。
感情を抑えることは、つまり生きる力を弱めること。
鬱は悲しみを抑圧した結果というし、またある人は怒りを抑圧した結果と言う。
わたしは落ち込むことも多いし、生きるのが辛いとよく思うし、死にたい気分に襲われることもあるし、「どんなことがあっても生きたい!」ってガッツに欠ける。カクジツに感情を抑圧してるよね。
でもそれが解けてきてる、って訳だ。
ブラボー!
これから先、生きる気力が充ちてくるに違いない♪
2006.10.14(土)正直に不機嫌
本に
「きもちをわかってもらえないことを、多くの人は「なんだそんなこと」と言うが、どんなに深い傷になることか」
というような言葉(うろ覚え。でもこんな主旨)を発見。たぶん「身体が『ノー』と言うとき 抑圧された感情の代償」(ガボール・マテ著、日本教文社)だったと思う。
ああ、やっぱり!? そうだよ、今ならわかる〜〜。
前に読んだときは響かなかったんだよね。わかってなかったから。
自分が体験したことを「その通りなんだよ、わかるよ」と承認してもらったような感じで、安心する。
♪♪♪♪♪♪♪
わかってもらえないことは、――アリス・ミラーじゃないけど――、「魂の殺人」だ。残酷な殺害行為だ。
子どもを殺した事件の裁判をやっていた。死刑判決が出たのかな。
肉体的に子どもを殺せば、こんなふうに裁かれる。でも、あちこちで起きている(日常茶飯事なんだと思う)精神的な殺人は野放しになってる。
なぜだ!!
痛みと悲しみと憤怒をもてあます。激しい感情。翻弄。
……疲れる。
♪♪♪♪♪♪♪
電話が鳴る。出ると母だった。
「きのう、元気がなかったから気になって……」。
不機嫌な声で対応する。いままではこんな声をぶつけることを避けていた。
心配されたくない、相談したくない、平気なフリをしたい。深入りされるのはイヤ。弱味(?)を見せるのはイヤ。「平和で明るく楽しい」偽物をつくってやりすごしたい。
そうした結果、溜まりに溜まった怒り悲しみイヂワル妬み憎しみ恨みが、思わぬときに顔を出す。そういうときは、自分をすごく恥じる。で、ますます偽モノのうわべを強化して、ネガティブなものをいっそう抑えつける。
で、強迫的に誰にでもいつでも笑顔――張り付いた笑顔(厩戸皇子が心を閉ざしているときみたいな)を向けていた。
♪♪♪♪♪♪♪
でも、できるじゃない。
こんな不機嫌な声を親に聞かせること。
2006.10.15(日)誤解と無知
母がなにか言ってるのを聞いて(内容は忘れた)、「ひどいっ」とかなんとか叫んだ。
あ、すごい。そんな抗議ができるなんて。
気がつくと、遠吠えと言うか、悲鳴と言うか、絶叫と言うか、この世のモノとも思えないすごい声をあげていた。ながくなが〜〜く……。
しまった、窓、全開だっていうのに! ご近所に丸聞こえじゃん。
♪♪♪♪♪♪♪
なぜか母はわたしの言葉を聞いてくれていた。
我が生涯で二回目くらいのデキゴト?
母「結局、わたしがやってきたことは間違っていたのね?」。
そうかもしれない。
寒いという子どもをあっためようと、子どもの着ている服に火をつけてしまう……みたいな。悪気はない(!?)んだけど、子ども、焼け死にそうだ。
ある行為がどういう結果になるか、フィードバックがなかったから。わたしがコミュニケーションをやめたから。
♪♪♪♪♪♪♪
驚いたことに、母はわたしと弟を殺そうとか、追い詰めて自殺させようとかいう意図はないのだ。憎まれてると思っていた。母の人生の邪魔者なんだと感じていた。よくそういうことを言っていたから(でも、母は無意識だと思う。こわいな〜)。
そうではなく、子どもによい人生を、幸せな人生をおくらせたいと思っていることを初めて感じた。
子どもがいる人は、親になってそういったことを知るのか? うちは子どもいないからな。
♪♪♪♪♪♪♪
そしてどんなにコミュニケートしてこなかったかもわかった。
「バレエやらせてもらって、発表会とかもあって、よかったでしょ?」。
そうか母の中では、わたしは喜んでバレエを踊っていたのね。「土曜日はお稽古」という縛りがいやだった。中学、高校とすすむと受験とかで多くがやめていった。ソロや主役を踊る人ばかり残っていく。そんな中で劣等感……。「なんで下手なのにわたしは辞めさせてもらえないんだろう」と悩んでいたことも知らないんだ。
本心を語ることを、ちっちゃいときに諦めちゃったからなぁ……。
母はわたしをほとんど知らないんだ。そしてわたしも母を知らない。しかも母は母のことをあんまり知らないみたい。
バレエをやりたかったのは母だろう。叔母(母の妹)が習わせてもらっていたのを、すごく羨んでいたから。
……バレエを望んだのはわたしじゃないんだよ。知らなかったんだね。
♪♪♪♪♪♪♪。
怒りとか悲しさとか、とめどなくぶつけてしまって、また信じられないことが起きた。
母がいった。「ごめんごめん、ごめん……」。
人生で初めて??
これは魔法の言葉なのか?
わだかまり、怒り、憎しみ……解けるのを感じた。
♪♪♪♪♪♪♪
抱っこ法で子どもが泣くとき、こういうことが起きるのかな。
♪♪♪♪♪♪♪
わたしの嘆き、悲しみ、怒り、憎しみは、母のものであるとも感じていた。母が感じるのを拒んでいたもの。溜め込んで大事に持ち運んでいるもの。
だから、こぼれてつい人を傷つけてきたもの。
2006.10.16(月)ここで食い止める
母が電話をくれたこと、耳を傾けてくれたこと、「ごめん」と言ってくれたことがどんなに嬉しいかを伝え、ありがとうと言った。
あのままだったら、もう一生会わなかったかも……。
♪♪♪♪♪♪♪
一方では罪悪感も押し寄せてきた。
親には迷惑をかけない、心配かけない、本心を見せない、弱味を見せないという自らの「掟」を破ってしまったのだから……。
年老いた母を傷つけたんじゃないか??
♪♪♪♪♪♪♪
真実を見せられると人は怒り出す。真実は辛い。でも真実を知ることはパワーになる。
こういうことを積み重ねれば、少なくともわたしがイキナリ自殺することはなくなる。そのとき家族が「ふだん通りでした。悩んでいたなんて……」と絶句することはなくなる。
少なくともわたしがイキナリ誰かを殺したり、放火したりということはなくなる。近所の人が「まじめそうな、会えば挨拶する人だったのに」と絶句することはなくなる。
……と、わかってはいるんだけど。
罪悪感の力ってすごい。ぐいぐい引き戻そうとする。
♪♪♪♪♪♪♪
だけど見方をかえれば、罪悪感は道しるべ。
今までためらっていた新しい道に、足を踏み出したしるし。
「新しいわたし」を生きてるよ、っていう励まし(?)だ。
♪♪♪♪♪♪♪
などと悶々、行きつ戻りつ、時間をすごす。
ときおりダーっと涙が流れる。幼いころからいままで、長いことこらえてきた涙だ。
この涙は正常な反応だ。どんとこい!
いくらでも流そう。悲しみを全部洗い流そう。
泣けば免疫系が活性化する。内分泌系、神経系、精神も調和を取り戻し始めるはず。肩凝りや腰痛も改善していくかも!?
♪♪♪♪♪♪♪
……と、メールが来る。
弟がやはり苦しんでいることを知る。「否定」を巡って……。
わかる。
同じだもの……。
母が持ち運びまき散らしている苦しみ。そこにあることを見たくなくて、拒絶している悲しみ。それは確実に子どもたち……弟とわたしに伝わっている。弟もわたしもまた、まわりのひとを巻き込んで苦しみをお裾分けしている。
もとを辿れば、母も誰かからもらい、その誰かも誰かからもらい、縦に横に、時間と空間を超えて拡散していっている。
♪♪♪♪♪♪♪
母との電話。本音を伝えること。ありのままの姿を見せること。
それはそれで苦しいものだけれど、「苦しみ汚染」「憎しみの伝播」「不条理な社会」を止める手立てなんだと感じた。
♪♪♪♪♪♪♪
「癒し」は厳しく辛いなぁ。
いままで信じていた社会通念や「常識」から外れることだし……。価値観をひっくり返すことだし。踏み迷うことばかり。
でも、できる。
不可能じゃないんだな。
2006.10.17(火)なにを怒っていたの?
テレビに江原啓之さんが出ていた。
もちろん見た。
「うちは『こどもが親を選んでる』『カルマの法則』で子育てしてますから」と江原さん。
ひょっとしたら「おとうさんはわかってくれない」って子どもは思うかも知れないな〜、なんて思った。
すごい人を見ると、「完璧な人」と思いがちな私。あれ〜、江原さんもカンペキじゃないのかも。
当たり前だ、完璧な人なんていないもん。
……やっとそれ、わかってきたね。喜ばしいこと。
それにトラブルが起きたって、「カルマの法則」だからいいんだ。蒔いた人が刈り取る。よそが口を出すことじゃない。
わかっていても、いろいろ他人のことあれこれ思っちゃうわたし……。まぁ、いまはそれでいい、いい。
♪♪♪♪♪♪♪
なんとなく弟の小さいときのことが頭に浮かぶ。
広島にいたとき、よく東京のヨン子おば(もちろん仮名)の家に泊まり掛けで子どもだけ遊びに来ていた。
その前に……うちの母は9人兄弟。男4人(いまは全員死亡)、女5人(みんな生存中)という構成。
母は次女で、三女以外の姉妹とはわりと仲良し……。ここでは便宜的に一子、二子(母)、三子、四子(ヨン子)、五子(イツ子)って名前にしとこう。
ヨン子おばんとこの従弟はわたしと弟の間にすっぽりはまる年齢で、3人で年子って感じだった。夏は従弟が広島に遊びに来た。
明日はなにをしよう、かにをしようと楽しく計画するんだけど、ときどき弟が梃子でも動かなくなってしまう。なにかを怒っている。でも口をきかないのでわからない。
うちでもそうだった? わからない。思い出したのはヨン子おばとすごした東京でのこと……。
♪♪♪♪♪♪♪
今日のメルマガ「親力で決まる子供の将来・・No712 」は『「人に迷惑をかけない子」や「どこに出しても恥ずかしくない子」が子育てのモットーになっている親たちは、「しつけ強迫神経症」である』の3回目。
このように、「○○してはいけない」「○○でなければいけない」「○○しなさい」などの言葉が多くなるのです。
そこにあるのは、その子の短所や欠点に注目してそれを直すという発想です。
(中略)
このような子育ては、減点主義の子育てであり、マイナス思考の子育てです。
子どものありのままを受け入れない子育てであり、目の前の子どもを否定する子育てです。
「あなたは今のあなたではいけない」と言っているのと同じです。
「今のあなたは受け入れられない」と言っているのと同じです。(後ろ略)
ひ〜ん、そうなんです! 我が意を得たり!
小学校教師だった親野智可等先生もたくさんそういう事例をみてこられたのですね。
以下はこのメルマガの情報です。
☆ ☆ ☆
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親野智可等のホームページ http://www.oyaryoku.jp
2006.10.18(水)新世界のトビラ
用事があって、イツ子おばと会う。一番近くに住んでいる親戚だけど、今年に入って会ってなかったかも??
子どものころには馴染みがなかった。でも近年、母のことを聞いてもらったり、けっこう仲良し。
早速この前の母との電話の顛末を話す。いや、それ以前の「疲れた」からはじめる……。
おばが「だめよ、美穂ちゃん」と話を遮る。
やーん、怒られるのかな〜、とビクビク。
おば「二子(うちの母)ちゃんが謝るわけないでしょ! ぜ〜ったい『ごめん』なんて言わないんだから!!」。
ミテ「それが〜〜、言ったの!! ごめん、って!」
おば「うそ〜〜〜!! ほんとにっ!? よかった、よかったわ。二子ちゃんにとってもいいことですよ」。
♪♪♪♪♪♪♪
うう、うれしい。
話を聞いてくれること。共感してくれること。
母は謝らない。
それはわたしの被害妄想じゃなく、実の妹にもそう映っていたのね。
そんな母が、ねぇ、謝った。
倍、嬉しい。
♪♪♪♪♪♪♪
おしゃべりの中で新情報(わたしには初耳)も。
★仲良し姉妹って言われるけど、飲み込んでることもあるのよ。それでなんとかうまくつきあってるのよ。
(母はともかく、ヨン子おばはいい人、優しい人なのに??)
★トラねーちゃん(兄嫁:嫁入りして同居)はそりゃあやりたい放題、酷い人で大変だったのよ。
(うーむ、あのおばさんが……? そういう人かもしれないな〜。あんまりいい印象ないし……でも、よくは知らないんだよね)。
★うちの姉妹はね、そんなにお互いいたわりの言葉とかかけあわなかったわよ。
(意外! はたで見てるのとは違うんだ〜〜)。
★ヨン子ちゃんは「やって」って頼んでも、なんだかんだ言って断ってくるのよね。
(わたしにはマメで優しくて、頼まなくてもやってくれるようなイメージだけど……?? 小さな疑問符)。
♪♪♪♪♪♪♪
まだまだ悲しみが溜まっているようで、テレビ見てすごい大泣き。
「大地の子」で、中国のおとうさんと日本のお父さんが会うところ。……中国のお父さん、こんなすごい、徳の高い人がいるのか??
涙なみだ。はなみず鼻水。
図書館で雑誌「ダ・ヴィンチ」借りて、「舞姫 テレプシコーラ」読みながら、滂沱の涙。
涸れ果てるにはまだちょっと。
2006.10.19(木)らしくないって残酷
母たち姉妹の話を聞いていて、そーか知らないことがいろいろあるんだ、……と。
あ〜でも、母とわたしの間にはコミュニケーション欠如があんなにあるんだもの、考えてみれば当たり前かも。
祖父母、曾祖父母、それ以前のご先祖のこと、知らないし。父方の親戚のこともよく知らないしね〜。
♪♪♪♪♪♪♪
そういえばヨン子おばとは一年ほど前に電話でしゃべったっきりかも。
そのとき、ちょっと悲しかったんだ。
「一時期、美穂ちゃんらしくないときがあったじゃない? もとに戻ってよかったわ」って言われた。
離婚したり、酒びたり(?)、たばこ、麻雀、カラオケ三昧だったりしたときのことなのかな。
「美穂ちゃんらしい美穂ちゃん」でなくちゃダメ……?
おばのイメージ通りじゃなきゃイケナイのね。そっからはずれるのは許されないんだ……。悲しい。
♪♪♪♪♪♪♪
わたしの嫌いな従兄とおなじ。従兄は勝手にわたしのイメージを作り上げ、「壊さないで」とか言いやがった……。よく知らないくせに! アイドルとかと違うんだ!!
20年も前のこと。まだ許してないんだなぁ……。
どれだけ深いダメージか、自分で気づいてないから、許すプロセスが止まってしまってるんだな。自分の感情をきちんと整理しないと、許すなんてできないんだ〜〜。
♪♪♪♪♪♪♪
そうだ、こういうことを飲み込んでしまうから!
ヨン子おばに、悲しかったって伝えなくちゃ……。
♪♪♪♪♪♪♪
「舞姫 テレプシコーラ」でも千花ちゃんが「千花らしくない」なんて言われてた。
飛び下りる直前のころ……。こたえるよね。
素の自分を出せなくなっちゃうものね、期待に応えちゃう種類の人間は……。
言う方は追い詰める気はないんだろうけどね。
♪♪♪♪♪♪♪
イツ子おばは家を建て替えたところで、引っ越しが控えていた。手伝いに行こうっと。
その前にちょこちょこ掃除とかしに行った。半分はおしゃべりだったけど。
話を聞いてもらうって、こんなに嬉しいんだなぁ。
むかしから、相談をもちかけられることが多かった。でも、相談するのは苦手だった。お酒飲んでたときは別かも知れないけど。
「相談しなくちゃ、心を開かなくちゃ、でもでも、いや〜〜、できない!」って葛藤を自然に越えられたみたい。ありがとう〜〜。
♪♪♪♪♪♪♪
「イツ子の引っ越し、わたしも手伝いに行こうと思って」。
ヨン子おばから電話!!
2006.10.20(金)逆切れ族同士だった
ヨン子おばは機嫌よくいろいろ話していた。こちらはちょっと緊張気味。
でも、優しい人だし、温かい世話好きな人だし、小さいときからわたしの、ある意味、理想の人だし。きっとわかってくれる。
ころあいを見計らって、切り出す。
「……って言われて、悲しかった」。
声が上ずったりして……。
♪♪♪♪♪♪♪
すると……「なんでそうなの??」と切り返しが。
理由を知りたいと言ってくれたのだから、経緯を説明……うん??
まだろくに喋ってないのに、遮ってなんだかベラベラ語り出す。
「悲しい」「そう、悲しかったの」で済むことなのに……??
♪♪♪♪♪♪♪
うう、この人、わからないんだな〜。
胸がドキドキする。怒りも湧いてくる。
受け入れてほしい……でもできないんだ、この人は。
言ってみればみるほど、ヨン子おばには「気持ちをわかる能力」「きもちを受け入れる能力」が欠如してるんだって確信が深くなっていく。
♪♪♪♪♪♪♪
と、いままで彼女からは聞いたことのないイライラした声で「どうしてそう、ひとを拒絶するのっ!!」という問いかけが。
わぁ、やっぱり。
わたしが叔母に感じて、もどかしがっていたことを、いままさに本人が自分の口から……!!
だれかを罵るときって、けっこう自分のことを言い当てているものだよね〜。不思議。
♪♪♪♪♪♪♪
いままであんまり罵りあったりしたことがないんだけど、母とのこともあったおかげか、つるつると「いままでなら禁句」が出てくる。
売り言葉に買い言葉っていうけど、実際より以上に怒ったフリをしたり、思ってるよりひどいことを言ったりするものなんだな〜〜。怒りを引き出されちゃうというか。
ふむふむ……。
♪♪♪♪♪♪♪
「なんでもおかあさんのせいにして」とヨン子おばが言い募る。
母とは叫んで話して、聞いて、和解し始めたところなんだけど。そのことも母から電話で聞いたらしいのに……。
でもこれはたしかに「母のありのままの姿」を見ることができるようになったから、してる会話ではある。
(思い出して書いてても、心臓ドキドキ、からだワナワナだわ……(^^;;)。
2006.10.21(土)お説教
「わたしはひとのせいになんか、したことないわ!」と叔母は言う。
そうなんだよね、それが立派なこととされているし、常識ではほめられるべきこと。
しかも「親のせい」なんて親不孝の極み!?
自分のインナーチャイルドヒーリングの中で、常に引っ掛かるところ。自問自答するところ。まだちょっと動揺するところ。
わたしの悲しみや怒りを理解することは、親のせいにしてる、親を悪者にするってことなのか???
♪♪♪♪♪♪♪
でも「だれかのせいにする」ことと「原因究明する」「全体像を明らかにする」ことを混同してないだろうか?
石綿が中皮腫を起こす。
ふぐ毒が呼吸を阻害する。
火がものを燃やす。火がいいとか悪いとか、石綿がいいとか悪いとか、ふぐ毒が悪いとかじゃない。そういう作用があるだけだ。それを知ってどう使うか。どう活かすか。
親が子どもにこう言うと、子どもは悲しい。子どもはびっくりする。
親がいいとか悪いとかじゃない。起こる現象を観察してるだけ。
悲しいならどうするか。びっくりするんだったら、どうするか、だ。
♪♪♪♪♪♪♪
「ひとのせいにしない」は、「自分さえ我慢すれば」と通ずる。でも我慢する苦しさは、積もりに積もって出口を求める。はけ口に殺到する。
我慢する苦しさに耐えかねて、ひとは感情を押し殺す。自分の中の怒りや悲しみが変質して、恨みや憎しみ、嫉妬にまでなっていっても気づかない。
そのうち、不平をならすようになり、厳しい毒舌、いきなりのよくわからない怒り、激しい批難、皮肉や当て擦りを言うようになる……気がする。元気なときは、そういうものを外に出さないようになんとか抑えつけておけるんだけど。
年とったり、体調悪かったりするとついつい本音が……炸裂。
自分自身を含めて、そういう知り合いは枚挙に暇がない。
こころのなかに抱えた悲しみや怒りに気づくだけで、癒しのプロセスは始動するんだけど……。
♪♪♪♪♪♪♪
いきなり叔母から「友だちが悪いんじゃないの!?」と突飛な発言が……。
わたしを「悪者」にしないために、別のスケープゴートをひねくり出したのかもしれない。
「ひとのせいにしない」人なのに、「友だちのせい」になってるなぁ。
友だちをけなされる、くさされるって、堪えるんだよね。自分が選んだ人だし、類友で似たようなとこがあるわけだし。私自身を「悪い、駄目」と言われてるように感じちゃう。
ヨン子ちゃん、もしかして息子(わたしの従弟)にもこんな調子で接していたのかなぁ。子どものころにこんなこと言われたら(母も言ったケド)、心がこわれちゃう……。
それに彼女はわたしの友だちをひとり知ってるんだよね。わたしの友だちのこと、そんなふうに意地悪く思っていたの……???
♪♪♪♪♪♪♪
こんどは「いい年して!」と言い出す。
くどくど説教を始める。内容? ちゃんと聞いてないから覚えてない。
いままでのわたしは「説教はわたしのためになる有り難いもの」と思い込んで(いい人を目指して、いい人を演じていたから)、慎んで畏まって拝聴していた。でも「いい人しすぎて疲れ果ててる」と気づいた今は、生の感情を味わった。
うざい!!
そ〜か、説教って、こんなにうざったいもんなんだ〜!! すごすぎる。
♪♪♪♪♪♪♪
昨日の毎日新聞夕刊「憂楽帳」(小国綾子記者)にこんな話が。
薬物依存に詳しい国立精神・神経センターの松本俊彦医師から聞いた話。治療に来た若者が家で嫌だった体験としてよく挙げるのが「父親の晩酌」だという。
(中略)
……「どうだ勉強は」と子供を質問攻めにし、「人生ってのはな」と語りがち。
(中略)
……日ごろの信頼関係のない親子間で一方的に価値観を押し付けるのは『虐待』と同じ」(後略)
親子でなくても、友だちでもなんでも価値観押しつけって、ありがた迷惑、大きなお世話なんだわ……。
♪♪♪♪♪♪♪
説教に畏まっていたわたしは、人の迷惑に気づかず、いままでだれかれにエラソーに説教してきたんだろうなぁ……。いまのヨン子ちゃんと同じように。
ああ、身が縮む……。
ヨン子ちゃん、貴重な体験をありがとう! でも説教はまだまだ続く……。はぁ……。
2006.10.22(日)イメージ崩壊
合いの手のように「なんで?」「どうして?」という疑問詞が出てくるが、説明を求めている訳ではないようだ。
わたしが一言いうと、ただちに十言くらい返ってくる。たまりかねて「だって、聞いてくれないじゃない!!」と叫ぶと、「聞いてるわよっ」。
こ〜んなにべらべら喋っているのに、自分が「聞いている」か「話している」かの区別もつかんのか……。
♪♪♪♪♪♪♪
説教にうんざりして「やめてよっ」と言っても利き目なし。
ヨン子おばは、よくものをくれる人なのだ。「これ、もらっても使わないから」と辞退しても、「いいから、いいから」と下さる。しょうがないのでもらって、たいていこっそりと捨てるか、リサイクルショップや古着に出すか……。
お説教も、「いいから、いいから」ってくれるんだ……。しくしく。
くれるというか、押し付ける、だったんだ。
♪♪♪♪♪♪♪
急に猫なで声になって、駄洒落などを言い出す。この状況で?? なにを考えてるんだろう。きもい、と思う。
でもこれは彼女なりの精一杯の努力なんだ。なんとか場をおさめよう、和ませ(?)ようとしてるんだ……。
幼いとき、おばが生きるために身につけた対処機構。
♪♪♪♪♪♪♪
弟が梃子でも動かない、かたくなな態度をとって困ったときも、なだめたりすかしたり、こんなだった。笑わせようとして(?)、「わからんちん」とか言ったり……。
あのときには弟の気持ちなんてわからなかった。
わたしはヨン子おばと同じだったから。
弟のこと、楽しい雰囲気を壊す厄病神みたいに思ってた。腹を立てていた。人の気持ちはおいといて、「空気よめよ!」「場を読めよ!」って人間だった。ひとりの人間をないがしろにしていた。
何十年もたった今になってわかる。
気持ちをわかってもらえないうえに、説教されてうざい。いきなり冗談に紛らわせようとされてきもい。なぜこんなに否定されるんだ!?
……という気持ちになっていたんじゃなかろうか。
弟、ごめん(>_<)。長いこと、わかってあげられなくて……。
♪♪♪♪♪♪♪
「引っ越し、行かないかも知れない。会いたくないから」と、電話をきったときは怒り心頭。
一方でわたしはこういう言い争い、喧嘩、怒りが怖くて、ず〜〜っと避けていたんだな〜と納得する。
どうだった? 怖かった?
思ったほど、怖くはなかった……でも、イヤ〜〜ん。
♪♪♪♪♪♪♪
それより、いろんな謎が解けた、と思う。
イツ子おばがヨン子おばについて言っていたこと。
おばと同居していた長男夫婦が家を出たこと。「あんないい姑さんなのに?」と疑問だったけど……。
その長男がひどい片頭痛をもっていたこと。わたしもそうだった(いまは完治?)が、うちの両親は「冷たい厳しいわかってくれない」だから、当然と言えば当然。すごいストレスだから(でも父も片頭痛。あのおばーちゃんだから)。でも、ヨン子おばのような優しく温かいいい親をもっているのに「なんで?」と不思議だったが……。
弟のこと。
ときおりヨン子ちゃんからぽろりとこぼれるイヂワルな発言……。
♪♪♪♪♪♪♪
いままでの「すてきできれいで、優しくて温かくて、まめで優雅で社交的で明るくて楽しくて愉快ないい人、できた人」のイメージで見ると「なんで?」「どうして?」だったことが、「なるほど」「そうだったのか」「ならば納得」。
納まるところにきちんと納まったカンジ。
要するに母とヨン子おば、わたしは同族だったんだ。
自分のこと価値がない、「わたしなんか」と思っていて、それを否定したり返上したりするために必死に「いい人」を演じて、だからなにか言われると「わたしが悪いの!?」と逆切れ、過剰反応しちゃう。いつも「悪い人だ」と言われないか、ビクビクしてる。
いい人であるためにも「わたしさえ我慢すれば」と無理する。「いい」ことに努め、「わるい」ことは排除する。意識で排除できても、「わるい」ことはそこにある。見ないぶん、どんどんたまる。
辛いこと、悲しいことに無感覚になっていく。だからひとのきもちもわからない。溜め込み抱え込んだ「わるい」ものが意地悪や怒り、憎悪となり、ときおりこぼれ、溢れる。
♪♪♪♪♪♪♪
「生きることはすごく辛い」「気を抜くとやられる」「用心しなくちゃ」族、なんだ〜〜。
2006.10.23(月)そうなんだ!
や〜ん、「引っ越し行かないかも」とか言っちゃった。
いろんなことが頭んなか、ぐるぐる。デススパイラル。真っ黒グルグル地獄。混乱。
イツ子ちゃんに引っ越しのこと、話さなくちゃ。ヨン子ちゃんとのこと、どう話そう。え〜と、え〜と、こうでああで。えーと……際限なくグルグル。
ヨン子おばに会いたくはないけど、引っ越しのお手伝いはしたい。でもヨン子おばにはフツーの態度はとれない……えーとぉ、ひーーーー、どうしたらいいのおぉ〜〜!!
♪♪♪♪♪♪♪
で、一夜明けてイツ子おばに電話。ああ、気が重い〜〜。
ミテ「○○日に引っ越しよね、朝早いんだよね?」
おば「あ〜、それがね、延期したの」
ミテ「へ!?」
やったぁ! 安堵。
ミテ「実はヨン子ちゃんから電話があってね、引っ越しの手伝いに行くって」
おば「へぇ〜、そんなこと言ってたの??」
イツ子おばにとって、ヨン子おばは「頼まれても断る人」なので意外そう。しかもヨン子ちゃんからは連絡きてないのかな??
ミテ「でね、実はかくかくしかじか」
おば「まぁ〜〜、ヨン子ちゃんたら、そんなこと言ったの!? でも、そういう人ですよ。ヨンちゃんはちっちゃいときからイヂワルだったわよ」
ぎゃふん。
そんなバカな〜っていうか、そんなら辻褄があう〜。
♪♪♪♪♪♪♪
うーむ、イツ子おばには見えていたのか〜。
ヨン子おばが必死に隠そうとしている一面を。わたしが四十数年も見抜けなかった側面を。
すぐ下の妹だからなぁ。ほかのひとに取り繕うぶん、ヨン子おばにとっては格好のはけ口になっていたのかも知れない。
きっと、うちのおかーさんは知らない……。姉だし。
♪♪♪♪♪♪♪
彼女にまつわるいろんな話が出てくる。「そういえば、こんなことが」「それって、こういうことなんじゃない?」「あ〜、だからか〜。納得!」……。
「きひひ、悪口って楽しいわね」とおば。
悪口ぃ〜〜……なのかな? 正当な情報交換と思いたい。なんちゃって。
でも楽しいというか嬉しいというか、気持ちがずっと楽に。
なにが起きたのか脳みそフル回転で整理して分析して(ぐるぐるするわけだ)、自分の気持ちを確かめて、でも「これでいいの?」「ほんとに??」となんだか不安で、それをだれかに承認/共感してもらう。
それって、こんなに安心することなんだ〜。
おしゃべりの中からも新しい情報が得られる。そのたびに全体像がさらに明確になっていく。あるいは修正されていく。
なんというスペシャルな体験!!
♪♪♪♪♪♪♪
おばも嬉しそう。やっとわかってくれる人間が現れたから??
……ヨン子ちゃんの凄まじい努力によって、みんな騙されてるから〜。わたしも同類だからどれほどヨンちゃんが無理してるか、わかる。その精進(?)には頭が下がる……というか、涙が出ちゃう。
イツ子ちゃんはいままでちょっぴり孤独だったかも? ヨン子ちゃんのこと、誰にもわかってもらえなくて。
2006.10.24(火)とけたんだ〜〜
ヨン子ちゃんのこと、そんなにショックじゃない……。
両親や祖母(父方の)の「いい人イメージ」がすでに大崩壊してるから? 親のイメージ崩壊はきつかった〜〜。
心のどこかでヨン子おばのこと、わかっていた気もする。
♪♪♪♪♪♪♪
なにをやっても気に入ってくれない母に鍛えられた(?)私は、ヨン子ちゃんに取り入るなんて朝飯前だったんだ。
なにをすればおぼえがめでたいか、なにをしちゃいけないか、手にとるようにわかっていたのだろう。お気に入りになるなんてお手のもの……。
自分でもそんなこと全然知らずに。
♪♪♪♪♪♪♪
無意識に知っていたこと……、でもそれは知らないこと。見えないこと。聞こえないこと。
見ないと決めたら、目の前で太鼓叩いてたって笛吹いたって見えない。聞こえない。
意識とは、こころとは、すごいことをする。
魔法。呪縛。洗脳。思い込み。刷り込み。常識……。
ヒーリングはそれを解くこと、か。
ありのままが見えるように……。
♪♪♪♪♪♪♪
わたしがわたしを正しいと思っているように、ヨン子おばは自分が正しいと思っていて、「美穂ちゃんはどうしちゃったのかしら」と悲しんでいるだろう。
話した直後はあんまり腹立たしくて、思い知らせてやる〜、おなじ苦しみを味あわせてやる〜、復讐するぅと思った。
でもね……。
わたしがこの出来事をイツ子おばとシェアして、魔法が解けたとむしろ喜んでいるのに対して、ヨン子おばはなにがどうなっているか、わけがわからず混乱しているに違いない。ひどい恥だと感じて、ひとに話せないかも知れない。
十分苦しい。だれかが復讐なんかしなくても、もうすでに苦しんでるんだ。
自分のトラウマをつきつけられて……。
受け入れれば楽になることだけど、無意識の領域に隠してるものを認めさえすれば楽になるのだけど……。
♪♪♪♪♪♪♪
ヨン子おばは見たくなかった私自身の姿を映し出して見せてくれた。わたしってこうなんだ〜、とわかった。
生きるのが恐怖だから、すこしでも楽になろうと「いい人」を演じる。実はそれがさらに生きにくさを生んでしまう。
いい人でいるために、自分の怒り苦しみかなしさ醜さに目をつぶる。ないことにする。
でもネガティブを含めて人間だ。人生だ。完璧な人なんかいないよ。「いい人」って、胡散臭い。つくりものっぽい。だから偽善者を嫌う人がいる……。
嫌われないようにいい人やってるのに、嫌われたりする。わけがわからない……混乱する。その人を憎む。
本音と建て前があるから、常にひとの言葉の裏を考えてしまう。「ほんとにそう思ってるの?」と猜疑心が深くなる。
いっつも怯えてる。ヒヤヒヤびくびくしてる。正体がばれたら? 醜い正体が……。
自分は醜いから汚いからダメだから、隠しておかなくちゃいけないことが多すぎる。心配でたまらない。心の平安は簡単に崩れ去る。弱い。もろい。傷つきやすい。
それなのに、平気なフリして生きる……。大変だぁ。へとへとだぁ……!(;_;)
2006.10.25(水)血脈
イツ子おばの引っ越しに押し掛けていったら、喜んでくれた。
来てねと言われた訳じゃないので、迷惑かな〜と気兼ねしつつ。すると「相手に迷惑なんじゃないと考えちゃって、ひとに頼むのが苦手なの」とおば。
それって〜〜、わたしもぉ……。
子どもの目には助け合ってる仲良し姉妹の印象が強いのだけど、「わりと自分でやれって感じだった」んだって。
きっと母もヨン子おばも頼むの苦手だろう。似てるんだよな〜。
♪♪♪♪♪♪♪
作業をしていて、ちょっとした失敗をするとおばは自分に向かって「阿呆ねぇ」と呟く。
その声の調子、母とそっくり。
母は自分にもひとにも「阿呆ねぇ」を言う。わたしは随分萎縮したのだが……さすが姉妹。
♪♪♪♪♪♪♪
イツ子おばがまだ実家にいたとき。トラねーチャン(兄嫁)の言動に傷ついて、おばあちゃんに訴えたのだそうだ。
「もう、酷いんだから!」
すると、おばあちゃんは「我慢するんだよ」と一言。
きっとそのとき、おばはわかってもらえない、ってショックだっただろう。
きっと、母にもヨン子おばにも似たような体験があって、「人の気持ちがわからない」人に成長してしまったんだな。
♪♪♪♪♪♪♪
もう一言「そりゃあ、酷いね」って言ってくれるだけでいいのにね。
兄嫁を追い出せとか、自分が家を出るとか言ってるわけじゃない。
どうせ我慢するしかない……。
そこに我慢させて悪いね、とか、ごめんねとか、その言葉はひどいね、とか、辛いね、ってそう言ってもらえるだけでいいんだよね。「わたしのこと、わかってくれてるんだ」って思うだけで、うれしい。強くなれる。
少なくとも、「あの人をひどいと思うなんて、わたしの方ががおかしーのかしら?」と悩むわりあいは減る。
でも、おばあちゃんもそう言ってもらったこと、なかったんだろうね。
みんな気兼ねして、頼みたくても引っ込めて、自分でなんとかしなくちゃと頑張って我慢して……生きるのって辛いって思いを飲み込んで生きてきた。
おばあちゃんもおかあさんもわたしも弟もおばたちもいとこたちも……みんな辛かったんだね。それぞれ色合いは違うけど、通ずるもの。
2006.10.26(木)直感
イツ子ちゃんとのんびり引っ越し作業や掃除をする。楽だな〜。
そうか……。
母はいちいち「そんなやり方じゃだめ」とか「こうしなさい」とか、うるさいんだ。マイペースでできるだけで、ずいぶん楽チンなんだな〜。
それともう一つ。
母はずっとセカセカ動いてないと気がすまない人で、忙しい人だから、こっちもおちおちのんびりできないんだ。急いで焦って仕事をこなさないといけない。
ついていけなかったんだな〜。
♪♪♪♪♪♪♪
傷つけたり、傷つけられたりにあまりに敏感なわけもわかってきたような気がする。
相手の逆切れも怖いし、自分の傷にも触れたくないし。
「この人は傷つきそう」って、みんな嗅ぎ分けるんだな。なんとなくわかるんだな。そういう相手に本音は言わない。建て前で押し通す……相手のためにも自分のためにも。
傷つきやすい私には、みんな本音を言えなかったんだろうな〜〜。
トラブル、避けたいもの。
♪♪♪♪♪♪♪
いい人を目指して生きてきたから、偽善者がどうして嫌われるのか、あんまりわからなかった。やっとわかってきたんだなぁ。
いままでも、いい人を胡散臭く感じることがあって、不思議だった。環境に優しいひとにたくさん取材してるうちに、いやんなっちゃったり。……でもそれって、ひとに説明できないんだよね。
どこから見ても正しくて、どうしてもほころびを見出せないのに、なんだか違和感をぬぐえないものってのもあって、なんでだろと首をひねったり。
そう、理性とか理詰めでは見えないけど、直感が教えてくれることって、あるんだな〜。大切なんだな〜。
♪♪♪♪♪♪♪
それにしても、なん連発だったんだろう。次から次にいろんなことが起きて……。すごい体験だったな〜。
誕生日近辺で、生まれ変わったというか、新生した気分。ぷち新生。……うにゃ、中 or 大・新生。
2006.10.27(金)みんなわたし
ヨン子ちゃんはわたし。
外から見るとわたしってこんななんだって、よくわかった。
ヨン子ちゃん(わたし)の姿にはすっごく腹がたつけど、そのおおもとは「自分はダメ、生きる価値ない」っていう悲しみや不安。
すぐに……じゃないけど、許せそうだ。
まぁ、ぼちぼち。
(あっ、ほんとうに「攻撃は悲鳴」だ!)
♪♪♪♪♪♪♪
長年、憎んできた従兄も許せそうだ。幻想の私をつくりあげて憧れてたひと。見えないもの、見たくないものが多いとそうなる。それはわたしもだ。
母が嫌っていたわたしの一面。「ひとの顔色を窺う」とか、「気兼ねする」とか……。それは母が嫌っていた自分だ。母は「自分を嫌い」なんだって、気がつかなかった。
そうか〜〜。
♪♪♪♪♪♪♪
嫌いな人、許せない人、いっぱいいる。わんさかいる。
でもな〜、それって、自分自身だったんだ。いまになってわかる。
「一番、ナンバー・ワンになりたい」ってひとを軽蔑した。だけど、わたしも一番になりたかったんだ。試験の順位発表でいい気分になってたもの。
「弱味を見せたくない」と言ったひとをふった。だけど弱味を見せられないのは、わたしだった。ずっと強いフリをしてたんだもん。
ひどい嘘つきを激しく憎んだ。あそこまで上手じゃないけど、わたしも身を守るために嘘をついてきた。池に落ちたのに、「シンちゃんが水かけた」って親に虚偽報告。
頑固者に呆れた。けど、彼に衝突した私って、頑固なんだ。譲れる人なら衝突しない。
♪♪♪♪♪♪♪
「嫌いな人」って、みんな自分だった。
あんたもこうだよ、こういうとこあるよって映してくれたんだ〜〜。
でも「あたしはこんなひどい人間じゃないっ!! 冗談じゃないっ!!」て、拒否してたんだ〜。否定しまくりだったんだ〜。
否定癖解除キャンペーン実施中。っていうか、おかげさまで解除プロセス進行中。
ありのまま強化月間。
2006.10.28(土)時がとく
むかしの職場の同僚とおしゃべり。この日記に書いた一連のできごとを話す。
職場にいた共通の知り合い「すごくいい人の聖人君(仮名)」のことが自然と話題に。職場ではだれに訊ねても、人格者でとおっていた。感じがよくて、(それなりに)きさくで、紳士で、二人とも尊敬していた。
それがあるときから、ちらちらと綻びが目につくように……。
いきなり不機嫌になったり。すねたり。
♪♪♪♪♪♪♪
あるとき、飲み会にお誘いしたら、気分を害されて怒り出して、びっくり。それまで、そんなことなかった。いままでとのギャップが大きくて往生した。
あんときは、なにが起きたかわからなかった。
♪♪♪♪♪♪♪
わたしはそれ一度きりの体験で、そのあとは元の「人格者」に戻ったが、友だちからは「こんなことが」「あんなことが」と出てくる出てくる。
巧妙な(少なくともご自分にとっては)嘘をついてまで、ご自分が「被害者」であると装おうとしたという。B氏についた嘘と、Cさんについた嘘と両方とも知ることができる立場だったので、友だちには全体がわかってしまった。
うそ〜〜、そんなことまで〜〜!?
「ちょっとあの人はね〜」と彼女は心底、愛想がつきた様子。
♪♪♪♪♪♪♪
同じ職場にいた困ったチャン「ひゃいひゃい(仮名)」の名前もなりゆきで出てくる。
思いきり不機嫌だったり、矛盾した指示を出したり、それなりに傲慢だったり、わがままだったり。「まったくもう!」とわれわれが舌打ちすることも多かった。
でもつくってないから、あれで自然体だったから、「ああいう人の方がいいのかもね」。
そうかも〜〜。十年以上というなが〜い時を経てわかった。
無理してるいい人は危ない。脆い。
「ひゃいひゃい」はこれからもずっと、あんな感じなんだと思う。「聖人君」みたいに化けの皮がはがれることはないのだろう。化けの皮、ないか、あってもスケスケだから。
わかりやすい。あんなでも、なんか憎めない。
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「聖人君」はときに入院するような疾患もあって、やはり凄まじい我慢や無理が祟っているように思える。自分にすごい抑圧をかけていい人をやってるから、からだが悲鳴をあげているように感じる。
「いい人を演じている」ことにすら、本人は気がついてないのかも知れないな〜。向上心や、前向きな努力……のつもりかも。
聖人君もわたしと同類だっったから、わたしは尊敬し、また気に入られてもいたのだろう。聖人君の無理をずっと見抜けなかったんだろう。
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聖人君にあんな一面がある、なんて、言っても信じない人の方が多いだろうな。「そんなこと、あるわけないよ」と一笑にふされそう。
それとも……いまの時代なら、「ああ、やっぱり?」って人もいるだろうか。隠されてきたもの、秘されてきたものが次々に明るみに出る、いまの時代なら。
2006.10.29(日)子どもはとかすから
義妹が姪のビデオをおくってくれた。思いがけず何回も見るわたし。
かわい〜〜。
1歳5ヶ月。とことこ歩く。はいはいする。なんかしゃべる。笑う。驚く。不安そう。
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小さい子を可愛いと思える自分に拍手。
あんなに怖がってたもんね〜。小さい子を避けてたもの〜。
王命とはいえ、前世で赤子殺しをしていたし……。
あ! それだけじゃないんだ。
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自分の涙や甘えたい気持ちや怒り、寂しさ。「いい子」「しっかりした子」でいるために封殺しているもの。
そういうの、誘い出されそうで怖かったんだ。
そういうの、素直に出しちゃうちっちゃい子が怖かったんだ〜!
それでわが子に辛くあたっちゃうおとうさん、おかあさんも……いるのよね。
2006.10.30(月)PからRへ
「心配じゃなくて、信頼してほしい」という言葉を聞いて、すごく共感する。
しんPAい、しんRAい。
ひらがなでもアルファベットでも一字違い。
しかもPに棒を一本足せばR。
心配に、棒を一本添えて、信頼にしよう。
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そうか、セラピーや人生にも当てはまることだ。
クライアントさんの体験をみまもりながら、「これって、どんな意味が!? なんだかわからん。どうなってるんだ〜」「来てよかったって、思ってもらえる体験になるのか? ダイジョーブか?」と心配したりする。
もちろん、よくわかんなくて終わるときもある。
でも、たいていは「あ、そういうことだったのか!」とわかってきて、ふたりでちょっと興奮気味に語って確認したりする。
クライアントさんにとって大事な気付きが、わたし自身にも必要なことって多いから。
クライアントさんに寄り添う役のわたしが心配したってしょうがない。
「必ず繋がる」「わかる」「必要なことが起きる」と信じて、プロセスを見守るほうが、精神衛生上いいよね。それにきっとその方がスムーズにセッションがすすむ。
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人生だって、なにが起きても信頼することができたら、気持ちが楽そう。
心配したって、自分を苦しめるだけだもんね。
とりあえず、心配をし始めたら、「心配し始めたぞ」と気がつく練習を始めよう。
2006.10.31(火)そのままでいい
ときどきスーパーの狭い通路などでうっかりぶつかったとき、相手が挨拶しなかったりして、「この人失礼だな〜」って思ったりする。
でも、そういえば、わたし、緊張のあまり思うように振る舞えないことがある。
「失礼なやつ」は、「緊張してて余裕がない」のかも。
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お酒の席でも、酔いが回るまではお酒を誰かに注いだり、食べ物を取り分けたり、そんな簡単なことができなかったっけ。酔うとなんてことない。
しらふだと緊張してギクシャクしちゃう。
そういう同類なのかもしれない。
これからは「失礼なやつ」を見たら、温かい気持ちになるようにこころがけようっと。
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そう、「心掛ける」「気をつける」。
どうするかっていうと、「失礼なやつ!」って思ったら、「あ、いま、わたし、この人のこと『失礼なやつ』って思ってる」って認める。
ただニュートラルに、「やってるやってる」と観察する。
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けして「ああ、失礼とか思うなんてダメだ、わたし!」「わたしってばまだまだだ、全然だ」と責めない。
「自分はダメだ」「存在してていいの?」「生きてていいの?」って気持ちが根底にあるから、「いい人」になったり、お酒やたばこに頼ったり、怒りを溜め込んだり、心配してビョーキになったりしてきたんだもの。
そうやって、生きにくさを創りだしてるんだもの。
もうその思いにエネルギーを注ぐのはやめる。えさをやるのはやめる。
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「自分はダメだ」と思っていることに気がついたら、「あ、いま『自分はダメだ』と思ってる」と認める。
そう思っちゃったんだね、よしよし、って。
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「生きる権利」「生きる資格」なんてものはない。
どんなひとでももっているものだから。ことさら言う必要なんかない。
権利とか義務とかじゃない。
生きてる。存在してる。それでいいんだもの。