2006.12.31 更新

2006.12.1(金)消すには

小さいころは社宅の団地に住んでいた。うちは鉄筋コンクリート四階建て。Aの8号棟。そういうのがいっぱい建っていた。そして課長住宅は一軒家だった。

子ども同士、家に遊びに行く。ここは課長さんだ、ってすぐわかる。課長さんがなにかはわからない。けど、課長さんの方が「偉い」とか「お金持ち」なんだと思っていた。

そして「偉い」とか「お金持ち」の人に、ひとはおべっかをつかうとか、長いものには巻かれろなんだとも、感じ取っていた。

でも、そのことを口に出すと、母が怒った。「子どもがそんなことを言うんじゃありません」とかなんとか。

事実なのに、みんながやってることを描写しただけなのに、なんで怒るんだろうとビックリした。

大人って「子どもは無邪気であってほしい」という願望があるよね。わたしはそんなに無邪気じゃいられなかったな……。

♪♪♪♪♪♪♪

「口にしちゃいけないこと」って、いっぱいあって、するとそれはひとを脅かす力をもってしまう。凶器になっていく。

誰だって人の好き嫌いがあるのに、「嫌い」と言ってはイケナイ。

だから「嫌い」と言われたら最後、ものすごく傷ついてしまう。すごく怯える。強烈なストレスになる。わたしなんか、しばらく立ち直れない。

だからますます「言うな〜〜」ってことに??

循環する。

♪♪♪♪♪♪♪

でも正気に戻って考える。

万人に好かれる人っている?

イエス様を嫌った人がいる。ダライ・ラマを煙たがる人がいる。

すべてのひとを無条件に愛する人は、ごく少数。

なのに、嫌いと言っちゃイケナイ? ……すこし変じゃない? ほんとにそう?

♪♪♪♪♪♪♪

なんでこんなことに……?

幼い子が言う。「○○ちゃんって、嫌い!!」。

「そんなこと、言うもんじゃありません! 誰とでも仲良くしなさい!」。

幼い子は「なんで言っちゃいけないの? 変なの……」と思いつつ、「嫌いというのは、とてつもなく恐ろしいことなのかもしれない」と信じ込む。そのときから「嫌い」は凶器になる。

そして否定された「○○ちゃん嫌い」の思いは心に固定される。

……のかな〜〜。

♪♪♪♪♪♪♪

「○○ちゃんって、嫌い!!」。

「嫌いなの?」

「だって、一緒に遊んでるとおもちゃとろうとするんだもん」

「おもちゃ、とられちゃったの?」

「でも、今日はあげなかったの。○○ちゃん、泣いちゃったの」

「泣いちゃったんだ〜」

「だから、ごめんねって言ったの。あしたまた遊ぶんだ〜」。

話を受け止めてあげれば、いつのまにか「嫌い」って思いが消えちゃうかもしれない。

♪♪♪♪♪♪♪

心って流動的。どんどん流れるのが自然なんだろうな。

ネガティブな考え、ポジティブな考え、どっちでもない考え、恐怖、喜び、悲しみ、悔しさ、気持ちよさ……どんどんさまよう。

ダメ、イケマセン、と否定されると、「え、そんなこと言っても……嫌いだも〜ん!! だれがなんと言ったって、いや〜〜。ママ、変っ」って風に「思い」が固定しちゃって、心の中で腐敗増殖しはじめる……のかもしれない。

♪♪♪♪♪♪♪

9月、わたしが母にぎゃ〜ぎゃ〜言ったとき、母は聴いてくれた。すると、うそのように悲しみや怒りが消えた。魔法かと思った。

数日して、同じようなテーマでヨン子叔母が「なんてこと言うのっ」などと説教を始めたら、怒りや憎しみが燃えあがって、自分でも驚くほどの暴言を吐いてしまった。

おかあさん、ありがとう。そしてヨン子ちゃんもありがとう。

答えはこんな簡単なことだったんだよ。ふたつの体験を並べてみるとよくわかる。

「受け入れると、受け止めると消えていく」「否定すると、抵抗すると相手は強くなる」。

「神との対話」その他で、耳たこになるほど聴いていたのに、また改めて実感。もうすこしこころの、からだの深いところまで浸透した?

♪♪♪♪♪♪♪

受け止めてもらったから、こんどは受け止めるほう。批難や攻撃や怒りも受け止めるのが、当面の目標だ〜〜。

その体験は意外に早くやってきた。実践講座!

見るとやるとじゃ大違い! アタマでわかってるのと、実践じゃ大違い! あっぷあっぷ。いっぱいいっぱい。でもまぁ、みっともない出来栄でも、なんとか完遂。

きっと、これから場数を踏めば踏むほど、度量も広がるに違いない!

……しんどそう。でも、新しい地平線って感じでうれしい。

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2006.12.2(土)自由万歳

アメリカでバフェ(ビュッフェ、ブッフェ、バイキング、食べ放題)を知って、好きになった。日本でもどんどん増えてきて、うれし〜な。

そうか、「好きにしていい」から好きなんだ。「好きなもの、好きなだけ、食べていいですよ」。種類も量も、自分で決められるから。

自由裁量だから、好きなのか〜。

よく考えたら、バフェってすこし高めのお値段だし、味はまちまち。おいしーとこも、まぁまぁのとこも、いまいちのとこもある。

ラーメン屋さんなら、いまいちのところには行かなくなる。でもバフェなら行っちゃう。

味やお値段より、自由! こんなに自由に惹かれるんだ〜。

♪♪♪♪♪♪♪

こういうこと、前にも日記に書いたような気がしてきた。

まぁいいか。「神との対話」とおなじで、繰り返すのだ。繰り返してるうちに身につく。とうことにしよう。

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2006.12.3(日)生命力

「美穂ちゃんって、生きる意欲があるように見えないんだよ。ほっとくと、ふぅっと消えていってしまいそうで心配なんだ」。

十数年前、職場のおじさんがこんなふうに私を評していたと、いまごろ知った。

生きる意欲は人生を通じて乏しいけど、そのころは離婚直後で著しく乏しかったんだろう。いまより数キロはやせていたし。

でも、自覚、……なかった。びっくり。

♪♪♪♪♪♪♪

それから数年して、そのおじさんが「美穂ちゃん、太ったね」と言った。

その人のすすめで西野流呼吸法に通ったら、離婚の緊張がほぐれたのか太り始めた。

「太ったね」は侮辱と受け取った。もう許さない。会いたくない、と。

♪♪♪♪♪♪♪

でも……、おじさんは、私に生きる気力が湧いてきたと嬉しかったのかも知れない。喜んでくれたのかも知れない。

心配していたと聞いて、そう思った。

恨んだりしてごめんね、飯塚さん。気にかけてくれていて、ありがとう。

♪♪♪♪♪♪♪

インナーチャイルドの講座を受けたとき、自分が1歳だか2歳だかで人生に絶望していたと知った。生きる気が希薄なわけだ……。

なにか困難なことが起きたら、死んでしまいたいと思う。生きる気力ないし。

生命力が乏しいと、些細なことが困難にみえる。

すぐ傷つく。

困難に対しては、腹をたてる。恨む。憎む。

静かに絶望しながら、怒っている。

わたしの怒りに感応して、怒りを投げかける人が出てくる。

怖いものがとても多い。いつも不安をかかえている。からだも緊張する。

困難や不安が多いので、ますます絶望して生命力を削ってしまう……。

そんな風に生きてきたんだな〜。

♪♪♪♪♪♪♪

うつ、いじめ、自殺の増加……。生命力の乏しい人、多いんだろうな〜。増えているんだろうな〜。

気力がみなぎって、健康なら、ひとをいじめようなんて思わないもん。

♪♪♪♪♪♪♪

そうか〜、生命力。

「なにかやるのが大変なのはなぜ?」と疑問だったけど、生きる力、生命力、元気の欠乏とは……思いもよらなかった。気がつきそうなものだが……、案外気がつかないものだ。

目からウロコ……。

♪♪♪♪♪♪♪

なんだっけ。

生命とは愛であり、自由であり、感情、なんだっけ。

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2006.12.4(月)思うつぼ

昨日はダンナが本番(三河正典指揮、小田原フィルハーモニー交響楽団)で、「白鳥の湖」を聴いた。

王子はオデットに恋をする。オデットは悪魔の魔法で白鳥になってるんだけど、だれかが永遠の愛を誓ってくれたら、呪は解ける。

張り切って愛を誓う王子。

だけど、オデットだと思った相手は悪魔の娘オディールだった。これまた魔法のせいで間違えちゃったのね。

嘆くオデット。許しをこう王子。戦い、そして心中……。

♪♪♪♪♪♪♪

「そうか、生命力か〜」とぼんやり思いながら、聴いていた。そして閃く。

王子とオデットも健康な生命力をもっていたなら、「あれ? オデットとまつがえちゃった! ごめんね〜」ですんだのでは? 「ほぼ日刊イトイ新聞」の「言いまつがい」のノリで……。

オデットも「も〜、そそっかしいんだからっ。でもいっか。これすごい魔法だから、あたしも未だに白鳥から抜けだせない。それにやられたんじゃ、しょうがない。王子が悪いんじゃないよ。許しちゃう」ですんだかも。

♪♪♪♪♪♪♪

悪魔が「でも王子、お前、誓ったろ? 誓いは神聖なんだよ」と言ってきたら……?

生命力が弱かったら、脅しに負けて「そうだ、間違ったボクが悪いんだ。誓ったのはボクだ。ボクには責任が……」と丸め込まれてしまう。

健康な判断力をもっていれば、「どんな契約にも○日間はクーリングオフ期間があるんだよ。ましてや脅されたり、だまされたりした場合、契約は無効だ。消費者センターか、警察に行こうか?」と相手を退けられる。

詐欺にあって、だれにも相談できず、ひとりで(ふたりで?)苦しんで、死を選ぶなんて……。王子、しくしく……。

♪♪♪♪♪♪♪

オデットも「だれだって間違うわ」って気づいたら、人生、違ったのに。

「愛を誓ってくれる人をただ待つなんて! わたしにだって、わたしの人生を創りだす力はあるはず! ほんとうの問題は、わたしが永遠の愛を誓うかどうか、なんだわ! これこそが『呪縛』だったのよ」と気づいたら!

その瞬間にこそ、悪魔は正体をあらわし、「よく気がついた。このときを待っていたんだよ」とニッコリするに違いない。

♪♪♪♪♪♪♪

怒られたり、いじめられたり、なにかの被害者になったとき、「自分が悪いから怒られた、いじめられた」「怒られる自分、いじめられる自分は恥ずかしい」と思ってることに気づいた。

母が不機嫌で話し掛けても返事をしてくれなかったとき。なぜかすごく恥ずかしかった。

相手にしてもらえないほど「悪い」存在なのかと思ったのかな……? いまでもMLで、だれも返事してくれないと、なんだか恥ずかしいこと書いちゃったのか、なんて悩んじゃう。

でも「わたしが悪いからなの??」は、悪魔の思うつぼ。

それは「盗まれる方が悪い」「レイプされる方が悪い」「騙される方が悪い」「いじめられる方が悪い」「病気になる方が悪い」「殺される方が悪い」「捕まる方が悪い」「こんな不幸はなにかの罰があたったんだ」「これはなにかの悪行の酬い」……につながっちゃうもの。

だれの人生も、成長するためにデザインされたもの。

それだけ。

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2006.12.5(火)深刻を笑い飛ばす

「白鳥の湖」は悲劇(ハッピーエンド版もある)だけど、「ああ、まつがった!、ごめんごめん」「もう、バカ〜」ですんだのに……と考えていたら、こんなことが「神との友情・下」(p.43、ニール・ドナルド・ウォルシュ著、サンマーク出版)に。

もう少し気軽になってもらいたいものだ。あなたがた全員にだよ。自分を笑いとばしなさい。誰かが「自分を笑えるようになったら、おとなだ」と言ったことがある。自分のことをあまり深刻に考えないことだ。気楽にしなさい。自分もだし、ひとにもそうさせてやりなさい。

ほえ〜、そうだなぁ。わたし、すぐ深刻になっちゃうの。王子、オデットと一緒なのよね。

そういえば、小学校のフランス語授業でシスターがみんなにフランスの名前をつけてくれたっけ。わたしはオデットだったんだよな〜。深刻病を象徴するようだわ。

♪♪♪♪♪♪♪

と、思っていたら新聞にこんなことが。(2006.12.5付 毎日新聞朝刊 発信箱 玉木研二論説委員「生きる」)

(映画「生きる」(黒沢明監督、1952年)の)主役は志村喬演じる市役所課長・渡辺勘治。無意味な忙しさを装って意欲も情熱も欠き、無為の日々を重ねていたが、……(略)

(とよは)貧困を笑い飛ばすような明るさとたくましさ。すべてを肯定的にとらえる思考。……(略)……

……(略)……無気力な渡辺に……(略)……期せずして命を吹き込んだのは彼女自身のひたむきに生きる姿だった。

無気力な人間を突き動かすのは百の難詰や法より、こういうことなのかもしれない。

う〜む、そういうことなのかもしれない。無気力なときに説教されても、ますます無気力のふちに沈むだけだものねぇ……。

♪♪♪♪♪♪♪

同じ面(総合 ニュースの焦点)にはシリーズ「大学淘汰 第2部」が。大学生の学習意欲低下対策の例(広島修道大学と高野山大学)が紹介されている。「遊びながら使える教材」を導入した、とか。

うう、小学生や幼児じゃあるまいし……恥ずかしい、と思う反面、そこまでこどもの意欲を削いできた教育や社会のこともみすごせないよね。

はっ!

またまた深刻になりすぎ!? いやいや、「自分を」笑い飛ばすってことは、こうやって深刻なる自分を笑い飛ばせばいいのか。

ははは、また深刻になっちゃった(^o^)!

♪♪♪♪♪♪♪

生きる意欲、なんかする意欲が低下すると、なんでも深刻に見えちゃうんだよね。いやもともと深刻癖があるから、ますます生きる気力が低下してきた……循環してるね。

気楽にして、自分を笑い飛ばす……か。それをすると自分の無気力も変わってくるし、まわりの無気力なひとも変わってくる?

うん、ヒントが続々やってくるねぇ。データベース構築中。

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2006.12.6(水)それもかんつがい?

だれかに怒られると、「ああ、わたしが悪いからだっ」と思って身が縮む。それはそれは深刻になってしまう。

親に怒られるときは「親が正しい、わたしが悪い」の図式だから、そう思っても無理はない……。

魔女狩りに遭って、火あぶりになったのも「わたしが誤解されるようなこと(ハーブをつかった治療とか)」をしていたから、「わたしが悪い」。

批難/批判にあって、捕まって殺されたのも、「目立ったから、わたしが悪い」「変だったからわたしが悪い」。

♪♪♪♪♪♪♪

こんなだから「不運もそのひとがなにか悪いことをした報い」って、心の奥底で思っている……ようである。

カルマの法則ってのはそういうものじゃないのに。

その人がわけあって、そう決めただけなのに。成長するために……。

♪♪♪♪♪♪♪

そこまで「わたしが悪い」って思ってるんだ〜。自分や人の怒りを恐怖するのは、それも大きいんだな〜。

♪♪♪♪♪♪♪

旧ソ連の収容所を描いた本をひろい読みした。

一応、「人民の敵」とか「働かない富農」とか、「罪状」がついていたりはするけど、逮捕される人に理由なんかなかった。手当りしだい。行き当たりばったり。

ナチスの場合は「ユダヤ人」「障害者」……などそれなりに理由(よく考えれば、全然理由なんかじゃないけど!?)があったけど、それすらもない。

わたしのショスタコーヴィチが逮捕されなかったのは、本心をすぐにはわかんないようにうまいこと曲におりこんで、スターリンを欺いたからだと思っていた。

でも……どうだろう。単に、幸運だっただけ……なのかも。

たしかに幸運。彼を捕まえようとした人は、ショスタコを尋問する前に捕まったか処刑されたかして消えていったんだもの……。

♪♪♪♪♪♪♪

いままでわたしが殺されたり、批難されたり、怒られたりしたのも、べつに「わたしが悪」かったからではないのかもしれない。

それに、そういう経験をなんどもしたけど、いまここにこうして生きてる……。

わたしが悪いとすれば、人間に「いい」「わるい」って種類があると思い込んでいたこと。「殺されて然るべき人」「批難に値する人」「怒りをぶつけられて当然の人」がいるなんて、思い込んでいたこと……かも。

ひとの尊厳は破壊できるものだと、思っていたことかも。

♪♪♪♪♪♪♪

そういうことを知るために、戦争や封建制、恐怖政治、大虐殺、人権無視、いじめを人間は経験してきたのかしら……ね。

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2006.12.8(金)言論封殺

大学時代の仲間のメーリングリストに入っている。ふだんは静かでほとんど流通がないんだけど、ここしばらく活発だった。

数人が教育論に花を咲かせていた。とくに子どものいる人は切実みたい。

ところが、いままで黙っていた一人が「みんなのメールを読んでいて、勝手に悲しくなりました」と書いてきて、やりとりがパタッとやんでしまった。

♪♪♪♪♪♪♪

一瞬、「わたし、なんかヤバイこと書いたっけ〜〜??」って焦った。

で、ハタと気づく。

お、また「私が悪い!? どーしよ〜!!」が顔をだしたな。

でも「勝手に」というのは適切な表現で、「悲しくなる」のは、そう書いてきた当人の問題。言われてあたふたすることはない。「そうなの?」、と受け止めればいい。

♪♪♪♪♪♪♪

それにしても、情報が少なすぎる。彼がだれの発言のどこに悲しくなって、彼自身はどういう意見なのか、よくわからない。

言ってくれれば「そういう意見もあるのか」って参考になるのにな〜。

いままでの流れと違えば、違うほど楽しいかも知れない。

でも彼はむかしからそうだった……ような気もする。言ってること、考えてることがよくわからない。当時は「わたしがバカだから、わかんないのかしら?」と思っていたけど(相手は天下の東大生だしな〜)、あんまり自分をクリアに表現しない人だったのかも……。20年たっても、そこらへん変わってないのかもね〜。

♪♪♪♪♪♪♪

……でも、そうなのよ。いままで、わたしは人と意見が違うと飲み込んできたんだった。

「変だ」と言われたらどうしよう! 攻撃を受けたらどうしようって、怖かったから。理屈じゃかなわないし、ヤな思いするのやだし。

自分と違う意見の人を憎んでた。いろんな意見が並立することを許せなかった。「自分が正しい!」と思いたかった。他を抹殺したかった。

「自分が悪いカモ?」と恐れているからこそ、「自分が正しい」にこだわるんだろうな〜。

でも誰だって、「自分が正しい」と思って、自分の「正しい」価値観にそって生きてるんだものね。ひとの価値観はひとそれぞれ。みんな違って、それでいいのね……、とやっとわかってきたかも。

♪♪♪♪♪♪♪

そうそう、罪悪感って、ひとをコントロールするのには都合のいいものなんだって。

「傷ついた」「悲しくなった」と言われれば、言われたほうはギクギクっと罪悪感を感じて、たじろぐもの。「わたしが悪い?」とびくびくしている人には特に効く!

出会い系のジャンクメールにも、罪悪感は上手につかわれている。

「あなたのこと、ずっと待っていたのに」とか、「嫌われてしまったのでしょうか」とか、あの手この手で攻めてくるから、感心しちゃう。

♪♪♪♪♪♪♪

「悲しくなっちゃった」彼は、こんなこと意識してないんだろうな。ひとの言論を封殺しようとも思ってないだろう。

でも、みごとにみんな黙ってしまった。みんなそれぞれ、ギクっとしたのかな〜。

おもしろ〜い♪♪ すご〜い。

♪♪♪♪♪♪♪

だれでも自分の意見を自由に言えて、それぞれの意見が尊重されるほうが、個人としても集団としてもメリットが大きいだろうな。

9.11の直後みたいに、だれでも「strike back!!(復讐を!)」と言わなくちゃいけないような社会はごめんだ。

そうそう、今日はジョンの命日だし。Give Peace a Chance! Imagine.

あれっ、でもあいつって……ジョン・レノンのファンだったよね?

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2006.12.12(火)それでいい

今日のほぼ日刊イトイ新聞の「今日のダーリン」(糸井さんが書いている)にこんな箇所があった。

偉大なる故小林秀雄先生(「ほぼ日」に連載してない人)もおっしゃっています。
「あてずっぽうに生きて行くのが人間じゃないんですか。
 計画をたててだめになる可能性と、
 計画なしでうまくいった場合と、どっちが多いですか」
ってね。

なんか最近、とみにそう思ってるんだよ〜。

♪♪♪♪♪♪♪

生きてればいろんなことが起きる。

ああしよう、こうしようと小細工するより、ただそれを体験していけば、いいんじゃないかなって。

「なるほど〜、わたしはこういうの怖いんだ。だから逃げ出しちゃうんだ。それでいいや」
「これは好きなのね、ふむふむ」
「こういうときは、プライドが邪魔して素直になれないのか〜。悔しさが強いのね」
「動揺すると隠そうとして、疲れ果ててるのね。ま、いっか」
「いまはやる気がないんだから、なんにもやんない。それでいいのね」
「忘れたら忘れたで、思い出すような出来事が用意されてるんだ〜」

そうやって自分自身を観察し、受け止めて肯定していく。

するといつの間にか流れに乗ってる。

そして、あるとき自分自身の意図に気づく。

「そうか〜、『どんなひとでも受け止める』を目指してるんだ。だから、こういう人とぶつかったり、ああいう人から逃げ回ったり、って経験をしたんだ〜。ナルホドね!」って。

♪♪♪♪♪♪♪

ちっぽけなエゴが脳みそふりしぼって考えだすより、タオはもっと複雑で精緻で面白いお膳立てをしてくれる。

お任せして、豊かに体験すれば、それでいい。

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2006.12.19(火)愛はかっこわるい!

「やまとなでしこ」を初めて見たとき、東十条司くんのこと、くそみそにけなしてしまった。

医者で大金持ちのおぼっちゃま。お人好しのボンボン。

愛する婚約者・桜子さんが次々につく嘘にころりと騙される。桜子さんがバージンロードから欧介くんのところに駆けていっても、「やりなおせないか?」ともちかける。

あなたじゃなく、あなたのお金が目当てだったの、と言われたのに!!

♪♪♪♪♪♪♪

桜子さんが欧介くんに会いに成田空港に向かうときには、すっと車を寄せて「乗って!」。空港で桜子さんの荷物をおろしながら「ぼくは日本一のアッシーくんだろう? まだキミのことが好きだから……」。

おいおい!! あり得ない! いい人すぎる! うそっぽい! めめしい! 未練たらしい!

わたしってば、悪口雑言ね。

♪♪♪♪♪♪♪

欧介と再会して、NYで結婚する桜子。お祝に駆けつける仲間たち。司くんも笑顔で祝福……。

3回目の放送をここまで見て、はたと気づく。

愛とは相手を自由にしてあげること。だけど困っていたら、求められたら、手を差し伸べる。

そして相手が浮気をしたから、うそついたからって、自分は揺らがない。相手にふりまわされることなく、自分の気持ちをもち続ける。

それが愛。

♪♪♪♪♪♪♪

よよよ?

ひょっとして東十条司くんこそ、無条件の愛の体現!?

そしてわたしは無条件の愛を見て、「いや〜ん、かっこわるい〜」と蔑んでいたの!?

あらまぁ……。未熟者でございましたこと!

そこに気がついて、ブラボーざんす。

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2006.12.21(木)痛いですよ?

「お友だちみんな、『オーラの泉』みたいに『あなたの前世は○○です』って言ってくれたらいいのにって話してるんですよ」とクライアントさんに言われた。

別のクライアントさんはセッションを受けて、「古傷をえぐられた!!」と怒った。

♪♪♪♪♪♪♪

後者のクライアントさんは正しい。前世療法もインナーチャイルドヒーリングも古傷を開いて、きれいに洗って、軟膏ぬって、ばんそこはるって作業。どうしても痛みを伴う。慎重さと覚悟が必要だ。

そして、「オーラの泉」もおんなじ。

「あなたも人を陥れた」「自殺した」……ふだんの会話だったら「ごめんね、辛いこと思い出させて」とあわてて話題を変えるようなところをつっこんでいく。

だから江原さんはすごく言葉を選ぶ。ためらうと美輪さんが「いいわよ、おっしゃい」と促す。

♪♪♪♪♪♪♪

「オーラの泉」に憧れる人たち、こんなに「怖い」ことだって、わかってるかな? いや、どこかでうすうすわかっているんだろうな。

幸いなことに、怒ったクライアントさんは、「でも必要なことだった」と自分で気づいてくれた。

痛いけど、勇気をだすといいことがある♪♪

痛み覚悟で自分と向き合おうって人が増えている……、かな!?

♪♪♪♪♪♪♪

ことしは春と秋に大落ち込みがあって、ほとんど無気力にすごした。大嵐がなんどもとおりすぎた感じ。庭も荒れ放題。

でもここ数日、やや元気になってきたかな〜?? とりあえず、春の花を植える気になって実行した。

鍼灸の効果が出て、ケアすべきツボが減った。足の形もへなへなだったのがしっかりしてきた。

カラダが微妙に変わってきて、姿勢のバランスが崩れ、再構築中。

そんなことも含めて、変化・成長が大きかった。

そして「もう苦しむ必要はないんだよ」というメッセージが繰り返しやってくる。やっぱり大きな大きな変化点なんだな。

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2006.12.23(土)愛が自由なら

人生を苦しくするものは、罪悪感と不安だという。悲惨な人間関係を維持するには罪悪感と恥の感覚が欠かせないという。

深刻がってしまうのも、罪悪感のなせる業かしらね。「ああっ、オデット、すまない〜!」って、真面目すぎるよ(それはわたしでもあるが)。

真面目で几帳面で責任感が強いひとほど、うつになり、摂食障害に苦しみ、片頭痛にのたうちまわる……。

罪悪感は人生を破壊する。反省は人を成長させる。

♪♪♪♪♪♪♪

「もう苦しむ必要はないんだよ」ってことは、罪悪感を手放しなよ、ってことなんだな。

いまのところ、ここまではアタマで理解してる。

さて、実践。

日々、イロイロと悩む。あーだこーだぐだぐだ考える。

かなり時間が経って、「あ、これって罪悪感だ!」と気づく。

まだ一瞬にして気づく域にまでは達していない。

♪♪♪♪♪♪♪

手放そうとすると、かえって罪悪感は「行かないぞ!」とばかり、わたしにしがみつく。

だから、「あ〜、罪悪感だったんだ〜」とただ認める。

そして胸を締め付けるような「なんてこと、しちゃったんだ!!」に苦しむ。ああ、苦しんでる、とただ認める。

するとふと楽になる。ああ、楽になった、楽なのはいいな〜、と楽しむ。

しばらくするとまた罪悪感が戻ってくる。ひ〜、苦しいよ〜、と苦しむ。やぁ、ホントに苦しいわ……とただ感じる。

また楽になる。また苦しくなる。

それをただ認めて、見つめてる。

その間にもいろんな雑念が来ては去る。思考もあちこち飛ぶ。

そうしながら、罪悪感が去来するのを優しく見守る。

なんとなく建設的な考えがやってくる。優しさを裏づける強さみたいなものが芽生える。

そして、少しずつ楽になる。一直線じゃないんだよね。

振り子が振れたまま、ちょっとずつ振幅が小さくなる感じ。

♪♪♪♪♪♪♪

ひとが(自分も)怒るのが怖いから、怒らせないように神経をすり減らしてきた。

相手が怒ったら、一刻も早くなだめようと躍起になった。

でもそれって、愛かな、って考える。

相手に自由を与えることが愛ならば、自由に怒らせてあげるのが筋。

相手が怒っても、わたしを嫌いになっても、「怒っていて、いいよ、嫌ってもいいよ」と認めて、わたしはわたしでその人を愛する。それが愛!

ひょえ〜、すごいことだね。強さの裏打ちがないと、できない〜。

怒りを恐れていては、愛せない。

♪♪♪♪♪♪♪

そ〜か。「愛は怖れをさば折りにする」とかいう本があったっけ。

このことか。

♪♪♪♪♪♪♪

愛ならば、だれかがわたしの命をとろうとしたら、その人に与えてあげる。

……と「神との対話」シリーズのどこかに書いてあった。

やられたらやり返す。

喧嘩は受けて立つ! 

……のがオトコで、まっとうで、かっこいいとされているから、それはやっぱり「かっこわるい」に分類されるかも知れない。

十字架にかけられたイエスさまに「ほんとに神の子なら、降りてみろよ〜」って、からかったんだもんね。ローマに反抗する旗頭になってくださいよ〜って、懇願したんだもんね。やっちまいましょうよ〜、パリサイ人をぎゃふんって言わせてやりましょうよ、って。

♪♪♪♪♪♪♪

2000年も経ったんだし、かっこわるいと感じるわたしの感覚を見直した方がいいんだな。

♪♪♪♪♪♪♪

だって、黙って命を与えるなんて、そんな勇気のある、そんな平和なこと、俗人小人にはできないもの。このうえなくすごいことだ。

セコムにも入らないし、防犯ブザーも持たないし、カギもかけないし、拳銃も保持しないし、ミサイルも核も軍事衛星も捨てちゃうし、入国時の指紋採取もやめちゃうし……。

そうか、そんなすごいことを日本国憲法はしちゃおうとしてるんだ。すごい愛だ。

でも、いまの政府には、ハードルが高すぎる? おそらくどこの国でも……。まだ怖れが支配しているから。

もうすぐ変わっていく、これが最後の足掻き……らしいけれど。

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2006.12.25(月)愛は自由なのね

罪悪感がなにをしているかというと、自分のことをネチネチと責めさいなむのだった。

「あーでこーで、まったく恥ずかしい」「みっともない」「だからダメな人間なんだ」「生きていていいと思ってるのか」「顔向けできない」といった類いのことを、意識下で自分に向かって浴びせている。

たしかにこれじゃあ、人生は辛くなるばかり。弱ってしまう訳だ。

自分からは逃げだせないし。

♪♪♪♪♪♪♪

ネガティブな人間関係を維持するために必要な罪悪感。そこから足を洗おうとすると、相手は罪悪感を抱かせて引き止めようとする。……と教わった。

それも実感をもって受け止められるようになってきた。

♪♪♪♪♪♪♪

やっと罪悪感というものを明確に捉えられるようになってきた、かな?

♪♪♪♪♪♪♪

同じ文章を読んでも、ひとによって印象や解釈が違う。

……という体験が立続けにやってきて、ちょっとびっくり。同じ日本語でも、ひとりひとり文法が微妙に異なっているというか……。

それも個性。

それでコミュニケーションがトンチンカンになることも。よくよく耳を傾ければ、相手のことがわかるようになるのかな。ちょっとした努力は必要なのね。

そして、そういうもんだって頭に入れといた方が、なにかとよさげ。

♪♪♪♪♪♪♪

昨日は田中角栄氏を書いた文章とテレビ番組に接した。同じ日に別々のメディアから。

彼はそういう人だったの、と見直した。

というか、母が彼をマイナスに評価していたのを鵜呑みにしてただけで、自分自身で角栄さんを評価していたんじゃなかったんだな。「わたし不在」だった。

♪♪♪♪♪♪♪

今日はマザー・テレサのことを二つのべつべつの文章で読んだ。

ひとつは「わたしはたとえ戦争でも、否定しません」。

なにごとも否定しないで受け入れる。でも受け入れることは、賛同することじゃない。

もうひとつは「あなたは神を信じなくてもいいのです」。

相手の自由を認める発言。愛。

ありがとう。なんだかとてもうれしかった。クリスマス・プレゼントね!

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2006.12.27(水)思うことと行為と

江原さんスペシャル「天国からの手紙」を見た。

殺人事件をなくすために、「思いの人殺しもやめよう」という江原さんの言葉、その通りだと思った。肝に銘じよう。

「思い」「言葉」「行為」は霊の世界ではおんなじこと、だから。

♪♪♪♪♪♪♪

歩きタバカー(歩行喫煙者)の煙りを吸い込み咳き込む。憎い。小声で「しね……」と呟く。

この憎しみは、もっと激しい憎しみを抱えている誰かのところにいってしまう。そのひとには、いろんな人の憎しみや怒りが集まりつもって、ひょっとしたら殺人をおかす。

社会的に裁かれるのはその人だけ。

でも実はわたしも、その犯罪に加担していることになる。思うことによって。

♪♪♪♪♪♪♪

だれかを憎み、排除しようとすると、その思いがまた別の殺人をおこす。

江原さんはこういうことを言ってたんだと思う。

♪♪♪♪♪♪♪

でも、気がついた。

わたしは怒っている人、憎しみをあらわにしてる人は苦手なんだ。こころの中で、瞬時に排除し拒絶してしまう。

そして、その人に怒りと憎しみを抱く。

無意識に自動的にこれが起きる。なんかそういう仕組みになっている。

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怒りの内容は関係ない。理不尽なものであれ、正当なものであれ。

だれかほかの人に向けられているものもダメ。

さんざん「ブッシュはバカだ、ダメだ」と自分で言ってるのに、ほかの誰かがもっと憎しみを込めて大統領をくそみそにけなし蔑んだら、ブッシュ擁護を始める……かもしれない。

だれかが犯罪者を憎む発言をしたら、その発言者を憎んでしまう。

これって理不尽な感情だとわかってはいても、強烈。

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そして、「そのひとを傷つけた!」と思って、自分に罪悪感を抱く。

思い出す度にぎゃ〜っと叫びたくなって、布団をひっかぶってしまいたくなるのは、そういうパターンが多い。

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厄介な性癖だな〜。

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ほんとはなにを憎んでいるのか、原因はなんなのか。「自分にはこういうことがあるなぁ」と気がついたから、これからきっと少しずつハッキリしてくることだろう。

そしたら「思いの殺人」をやめることに、一歩近付く。

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2006.12.31(日)贈り物

なにもしたくない、場合によっては息をするのもイヤ……という状況から少し変化が起き始めているかも。

テレビ東京で以前、一月10万円以下で暮らしているひとを紹介する番組があった。

コンビニや加工食品がないとやだな〜という私にはデキナイな〜と思った。味噌も漬けものも作ったことないし。魚もさばかないし。

NHKでアメリカ・バージニア州に住んでいるおばあちゃんを紹介してた。広大な庭を世話し、季節の行事を楽しむ。お菓子もお料理も人形も手づくり。行事の飾りも、キャンドルもぜんぶ手作り。

彼女を手伝う孫のお嫁さんが「すべてを一流にしなくてもいいんだ、と学んだ」って。カンペキでなくても、楽しんでやればいいのかも。そうかも。

完璧、上手、すばらしいを初めから目指すから、なんにもしなくなっちゃうところ、あるな。

「食品の裏側――みんな大好きな食品添加物 」(安部 司 著)という本を読んだ。

手軽に食べられる食品を提供するために、どんな添加物が使われているか。どんな利点と懸念があるか。

読んでみて、手間ひまかけてつくるのも、いいものかも、と思った。「食べる」ことはなんだか嫌いだったし、つくるなんて考えたくもなかったけれど。

「ニューヨークの恋人」という映画をテレビで見た。19世紀から現代NYにやってきたイギリスの公爵さま。効率優先で嘘をついてもお金が儲かればいい現代。対照的に、ゆったりと優雅に食事を楽しむ公爵。

気持ち一つで生活を楽しむことは可能なのかも知れない……。

これもテレビで「博士の愛した数式」。流れるゆったりとした時間。家政婦さんがつくる食事。「たんぽぽ」「チャングム」でも料理は楽しそうに見える。

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「なにかやる」「仕事(料理、掃除、洗濯、裁縫なども含む)をする」のは、イヤなことで、辛くて面倒で、下品で卑しい……という思い込みは間違い、なような気がずいぶんとするようになった。

楽しむこともできるかも??

きざしというか、芽生えというか。

アタマではうんと前からわかっているけど、こんどは心の底のほうで変化してきた。

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話は変わって、やっぱり心のそこに「わたしはだから、人を傷つける迷惑な存在」という思いがある。なくなりそうに見えて、一朝一夕には消えないものなんだな〜と、なんども思い知る。

だから、ひとと関わってはイケナイ、迷惑をかけてはイケナイって、いろんなところで行動を規制する。

でもそうやって悩んでいると、こんな文章を目にする。

誰もが何かを教えてくれる。何かを贈り物として与えてくれる。そして、誰もがあなたから贈り物を受け取る。これが偉大な秘密だよ。

あなたは彼らにどんな贈り物をしただろう?

迷って誰かを傷つけたと思っても、それが贈り物ではないと思わないように。それも大きな宝物だったかもしれない。あなたの公園での生活のようにね(注:著者はホームレス生活をした)。

あなたは、いちばん楽しかったことよりも、最大の苦しみから大きなことを学んだのではないかな? とすれば、あなたの人生で誰が悪人で、誰が犠牲者だろう。(「神との友情・下」p.145)

そうだな〜。

今年もいっぱい迷っていろんな人を傷つけた。だけど、たしかに贈り物はいっぱいもらった。わたしも贈り物ができた……ことにしよう。

今年も、みなさん、ありがとう。

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