2006.6.8 更新
サイキックな精神科医、啓子先生の体験談。ミテがやっている前世療法とは違いますが、カルマの仕組み、人生のからくりがよ〜くわかる本です。難病、冷え性、閉所恐怖症、家族との葛藤、選んだ職業、行きたくてたまらない場所……それぞれにみんな意味があるんですね。「そうだったのか、ならこんなに悩まなくていいんだぁ」、って気が楽になること請け合い! 読みやすく暖かい文章もすてきです。ほんとに不思議なクリニックですねぇ。実は啓子先生は……下にある「不思議クリニック」の美香先生です。いまは沖縄に住んでいらっしゃるそうです♪ (00.5.27)
「人生でのできごとは、生まれてくる前に自分が決めたもの」とあります。「好きな人、嫌いな人との出会いも、自分が組んだプログラム」「不幸や苦しみは、あなたの夢実現のために起きていること」。だから、「すべてはうまく行っている!」。おお……勇気が出てくるね。
そうなの、最近のミテは「笑い」を忘れているなぁ、って思った。ヨユーがなかったからねぇ。いいなー、余裕があるって。笑えるなんて。と、しみじみ思った。
そういう啓子先生もスランプがきっかけで沖縄に行かれたそう。人生は螺旋でワッカで落ち込むときもよいときもある。それに「ボケた老人や抑うつ状態の人も重要な『光の仕事』をしている」。
ああ、よかった。読んでヨカッタ! 「すべてはうまくいっている!」(2004.7.20)
別のページでも紹介していますが、ここにも載せちゃいます。主人公は精神科医で、超能力者です。必要なときには患者さんの過去生が見えるのです。そして患者さんにその過去生を説明すると、本人たちには思い当たることがあって、快方に向かいます。漫画だけど実話なんですよね! どんなことにも原因があるのです。身近な人との関係がすごくまずくなっても、こわくて狭いところに入れなくても……。起きるべきことが起こっているだけだから、罪悪感を感じることも、じたばたすることも必要ない。「わたしはこのままでいいのね……」ってすごくほっとします。そして人の話を聞き、共感する大切さも教えてくれます。書店の棚にあまり並んでいないのが残念。
なんだか心の中で、抵抗して抵抗して、なかなか手に取ることができませんでした。でも、「お、今だ」と思って読んだら、やっぱりよかった。
忘れていたことをたくさん思い出させてくれました。それは数ヶ月前は知っていたのに、いつの間にか忘れたこと。いったん思い出していたのに、そのうち忘れてしまった過去生。その過去生の影響が、いま現れて、なんとなくドン詰まっていたりもして。
忘れても忘れても、マスターやガイド、天使、神さま、お友だち、敵……が必ず思い出させてくれるんだなぁ。安心したし、ありがたい。
それと、著者もいろんな批判に疲れちゃったりするひとりの人間なんだな……というのがとても心にしみた。こんな超有名になっても、だからこそか批判の矢面に。読みながら、かれが「科学者の目」を大切にするワケもわかったし、わたしが読むのに抵抗していたワケもわかった。すべては深いところからやってきて、理解することは大きな力。
超能力について、霊能者についての言及も参考になる。そして私たちが、うちに向かい、家に帰り着きますように。誰も死なないのだと、真に納得しますように。(2004.6.28)
女子高生(?)向けのまんがです。とっつきやすくていいかな、と思って。けっこうエッセンスもつまってるし、入門書のひとつとして推薦♪ (00.7.4)
1977年10月9日。チャネリングをしていた著者にオリン(マスター)が現れました。この本はサネヤを通じて私たちに贈られたメッセージでいっぱいです。自分を愛する、自分を大切にする、ハートを開く、感謝する、内なる平和を感じる、今生の目的を知る……。どれも大切なことばかり。それも人生の瞬間瞬間に役に立つ具体的な教えです。「読む」のではなくて、「実践する」ための本。オリンはダベンというマスターとともにライトボディについても教えてくれています。興味があったらホームページOrin and DaBen along with Sanaya Roman and Duane Packerも見てね。続編もあるので、読んだら順次ご紹介します。(00.11.14)
上の本に出てくるオリンとダベンがライトボディを教えてくれました。新しい時代(水瓶座の時代、アクエリアス・エイジ)に向けて、地球も人間もどんどん変化しています。ライトボディもかなりの速度で目覚めます。すると体や心のアチコチに不具合も出てくるのです。風邪ばかりひいたり、筋肉痛や頭痛に悩まされたり、惚けたみたいになっちゃったり……。「でも心配することはないんだよ」って安心させてくれる本です。どうしたらいいのか、教えてくれてます。変化をスムーズに乗り越えるためのポーションの説明もあります。そして圧巻は「お祈り」。変化の流れに任せることができるよう、たくさんのお祈りが載ってます。ミテは声に出して読むのが好き♪ (00.11.14)
ある人がメールで教えてくれました。デーヴァやパン、そして(グレート?)ホワイト・ブラザーフッド、ハイアーセルフとつながって、ヒーリングをするんです。ヒーラーもセラピストもいらず、一人でできちゃう! え〜っ、そんなことできるの? ……って思うでしょ? 誰もが抱く(だろう)疑問に事細かに答えが載っています。信じようが信じまいが、面白そうと思ったらチャレンジしてね! (01.4.3)
学びの本。いわゆるオベンキョウではなく、バランスよく生きるための学び。偏った考えに陥ったり、独りよがりにならないために。誰かにすっごく腹が立ったらどうする? 毎日は単なる繰り返しでつまらないだろうか? 食べ物がなくなって、みんながお腹をすかせていたら、次の食事はどう分けたらいい? あるデキゴトをこのように解釈したんだけど、正しいかな? ほんとうの知恵をちょっとでも身につけたい! って思いました。(00.11.14)
月の満ち欠けが、人間に影響してるってことはどっかで知ってますよね。でも、具体的には……。チロル地方ではその教えがまだ生きているのだそうです。ドイツでベストセラーになったというから、ほとんど滅びかけていた知恵が復活したことになるのかな。ダイエットしたいときは、欠けていく月の時に。カラダの場所によって、治療や手術に適する時期があって、お医者さんや看護婦さんなら知ってるとか。食事の仕方の注意から、美容、風水まで。そしてこれはやっぱり実践の書なのです。書いてあることを鵜呑みにせず、自分のカラダと仲良くお話ししながら暮らす。知恵が詰まりすぎてて、読んだだけじゃほとんど役に立たない……。末永くおつきあいする必要がありそうです。 (00.11.14)
「聖なる予言」「第十の予言」の続編です。こんどはチベットが舞台。そこで中国軍に追われながら伝説の理想郷シャンバラを探すのです。ここでも大切なのは、思いの力。否定的な思いは否定的な現実を創りだし、肯定的な思いは肯定的な現実を創りだす。思いがどんなに大切か、わかりやすく描かれてるよ。仮に、苦手な人がいたとする。「あの人、いつも意地悪なことを言うの」。その思いは「あの人」をさらに意地悪な人にさせてしまう。え〜、そんじゃ〜どーしろいうの〜? その人だって、高次の聖なるエネルギーと繋がることができる、と確信すること。その人の光を信じればいい。うーむ、これはすごいことだなぁ。
自分の中の否定的な思いとどうつきあえばいいか、は各自の宿題ってとこかな〜。ミテとしては、その思いを肯定してあげる・認めてあげる・受け入れることかなって、わかってきたところ。 (02.2.10)
ほんとうは二つの感情しかないんだ。つまり愛と怖れ。そしてやすらぎの感覚をもって人生を生きたければ、愛を実践しなさい、と。その方法が書いてあるワークブックだね。
この本は「奇跡の学習コース」(A Course in Miracles)という本のエッセンスをわかりやすくまとめたものらしい。で、「奇跡の学習コース」には「著者」がいない。1965年、ヘレン・シャックマン博士に聞こえてきた文章を書き取ったものなんだそうだ。いまなら「神との対話」みたいなもん? ってすぐにわかるけど、当時は大変だったみたい。しかも、ヘレンも協力者のビル・テッドフォード博士も医療関係者。とくにヘレンは内容を読み返すのもイヤなほど抵抗を感じたらしい。
それを思うと時代は変わってきてる、ってすごく思う。ミテには愛を実践するのにまだ抵抗する部分もたくさんあって、耳の痛いこともある。まぁ、ゆうるりと参りましょう♪ (02.2.11)
カウンセリングは聴くこと。アドバイスすることじゃないぞ〜。うーむ、すごく難しそうだ、と改めて感じた次第。もっと前に読んだときにはわかんなかったことが、ビンビンと響いてくる。ちっとは成長したんだわね。正直であること、臨機応変であること、言葉の裏を読むこと……でも先生、一番の秘訣はしゃべってないんじゃない? なんて思ったりもしたのです。(02.3.10)
どう生きたらいいのか。人とぶつかったらどうしたらいいのか。無条件の愛ってなんなのか。自分にできるんだろうか……。そんなことに答えてくれます。いままで考えてきたことは断片だったけど、なんかひとつになっていく。そんな感覚があります。
でもまだ一部しかわかんないな。ゆっくり自分と取り組んでいってるところ。(02.5.30)
関連する日記 2003.7.9
ああ、すごい! いまこそ必要な本。
人間は完璧な存在とデビーは言います。なに〜、カンペキぃ〜!? そう「欠けるところがない」のだと。神はカンペキです。つまり寛大な面も狭量な面も、優しい面も厳しい面ももってる。「全てが神」ならそういうことになる。それなら人間だってそう。いろいろなことを「悪い」「ネガティブ」ととらえて隠すのに汲々としてるけど、それはあって当たり前なんです。
そういう「影(シャドウ)」(嫌いな部分、見たくない部分)を見つめるのが大変なのは、自分を責めてしまうから。たとえば「ケチはいけない」と思っているとする。すると自分のケチな部分を嫌い、「自分はそうじゃない」と信じ込むのにエネルギーをかたむけ、ケチな他人を憎む。「なんであんなヤツがいるんだ」と嫌悪してしまう。人生振り回されちゃう。
でもなんでそう思いこんだ? そんなに悪いこと?
子どものとき、おとうさんが「おまえはケチでいかん。バカなヤツだ」と言ったのを鵜呑みにしたのかも。なぜケチがいけないのか、実は自分でトコトン考えたことなんてないはず。
大事なのは、無自覚でいるのをやめること。「ケチってすごく悪いことだと思ってる」と気づくこと。「小さいとき、そう思いこまされちゃったんだ」。それに気がつけば、影を見つめることも死ぬほど怖いことではなくなる。
腹がたつ言葉・行為は、自分の中の影を知るヒントになるとあった。……ってことは私が大嫌いなあの人は、自分を知るための鏡!? えええ〜、やだなぁ。……でも当たってる。
ギクっ、ムカッ、どきっ、ビクッ……それはとても大切な瞬間? じゃあ、ミテの言葉に誰かが怒ったとしても、それはその人の問題? ミテが悪いんじゃないんだ。そしてミテが怒ったときはミテの問題。実践するためのワークも載っているし、これはお薦め。(02.7.22)
心理学の本って、なんか違う気がしてあんまり読まないんだけど、これは「あらま!」という感じ。スピリチュアル、とかソウル、とかも含んでいる。
そうじゃなくちゃ! だって、人間ってスピリチュアルな存在なんだし、縁起かついだり、迷ったり、宗教に惹かれたり、宇宙人に誘拐されたり……。そこらへんもみーーんな含めて、こころのことを考えなくちゃ、変だよね。
わかりやすくて、いい本だと思うよ。(2003.9.16)
なんとなく道教ってのがいままでチラチラしていて、ドゥ・クリスタルもいくつかもっているし、Tao指圧のワークショップに出ているし。
で、見つけたのがこれ。
「クマのプーさん」は小さいころ母が寝しなに読んでくれた本で、懐かしかった。
老子のことばなども引用しながら本は進む。
ホピの予言など有名だけど、老子も予言みたいだなんて知らなかった! びっくり。
国が道にしたがうとき、馬は田畑で肥車を引く。国が道を見失うとき、馬は戦車を引いて城壁を越える。……
いま 人は慈しみを捨てて
大胆になろうとする
つましくすることをやめて
派手に浪費しようとする
謙虚になることを拒絶して
だれより先に出ようとする
これは 死に至る道だ……
朝廷はきらびやかだが
田畑は雑草だらけ(ミテ註:休耕地、多いんだよ)
穀物倉はからっぽだ(日本の食料自給率は……!!!)
有力者は高価な衣服
立派な剣をつけ(軍事費!!)
食べ放題 飲み放題(わ、バイキング好き……)
うなるほど財産を蓄える(ビル・ゲイツもホリエモンも……!)
これらは貴族でも君子でもない
盗っ人の親玉だ (老子 p.243)ああ、まさにいまの状態!!??
ぼくたちの惑星が動きだして人間がつくった毒をふり落とし、人間が原因の傷を癒そうとし始めると、少なからぬ人間住民がきっとおそろしさにわれを忘れてしまうだろう。
……
でも、ほんとうは、ぼくたちは……もっとも幸運な世代なんだ。なぜかって、必要な浄化がすんだら、まわりの世界が地球自身の力によって魔法のような変貌をとげるのを目撃することになるのだから。(p.276)
おお……!
出しゃばって頑張って、暴力で領地をひろげて、敵を倒して……の方が、派手で目立って「人生、勝ちぃ〜」に見えるけど、これからはタオに戻っていくんだぁ〜。
いつの間にかわたしも知らないで、タオに寄っていってたんだね。でも、みんなそうなっていくんだな。(2006.6.8)
阪大でインド哲学の教授をされていた著者は、退官後にヨーガに出会ったそうです。それまで健康に恵まれなかった著者は、ヨーガを始めてから信じられないほど健康になったとか。説明が丁寧です。なにより60過ぎて始めた方もいるんだから、カラダがかたくなってても、「大丈夫、できる!」って思えるから、うれしい。(00.9.26)
片山さんは気的整体をされている方です。子どもたち、障害者は現生的、世俗的な意味では役に立たないように見えますが、気的には大きな役割をもっているそうです。場の雰囲気をなごませたり、人の緊張を解いたり。たくさんの人の整体をしているうちに、片山さんは子どもでも障害者でもないのに、同じような作用をしている人たちを発見し、「気的過敏体質」と名付けました。彼らはちょっとボーっとしていたり、存在感が薄かったり、「有能」「切れる」「テキパキ」とは縁がないかも知れません。でも、全てが加速し、変化していく時代に、実は大切にすべき人たちなのです。
人の体を通して、気的に世界を見る目は新鮮です。合一と分離という精神世界のテーマも読みとることができて、びっくりしました。また整体がうまくいって、術者と依頼人がうまく共鳴すると、両方とも具合がよくなるそうです。セラピーでは共感しすぎて疲れてしまったり、カウンセラーがクライアントさんの話で傷ついたりということが起きます。でも、両者とも元気になるという可能性もあるのですね! ちょっと難しいのですが、興味深い本です。
気的過敏体質の人は、もしかしたら自分のことを欠点だらけだと思って悲しんでいるかも知れません。でも、「そういう人なんだ」「自分だけじゃないんだ」「こんな役割があるんだ」と知れば、気が楽になるんじゃないかな。かく言うミテも片山さんに気的過敏体質と太鼓判((^^;?)を押していただきました。だから大事にしてね〜o(^o^)o。(00.10.11)
医者に逆らわず、看護婦の手を煩わせない「いい患者」は早く死ぬ! 「行ってらっしゃい」のキスをしてもらえないダンナさんは、事故を起こす可能性が高い! 医学的にはとっくに死んでるはずなのに、気力で生きてる人が何人もいる!
どうして〜? それは人間には自然治癒力があり、心の力(マインドパワー)が自然治癒力を左右するからです。どうしたら自然治癒力を強めて生きられるんでしょう? そのためのヒントが満載♪
しかし! よく考えるとそれは、自分を見直すこと、自分の生き方を見据えることに他ならない。やっぱり「ヒーリング」じゃん〜。すべての道がヒーリングすなわち神と共に生きることにつながってるんだな〜。「わたしが目標で良かったね。あなたは道を外れることがない」と神さまがおっしゃるとおり。すばらしいワークブックです♪ (02.2.22)
痛みはイヤなもの。たいていは嫌われるよね。だから鎮痛剤を処方してもらったり……。でも、じゃあ痛みはなんで存在するの? なにかのメッセージなんじゃない? という本。自分が目を向けられずにいることが、あるよね。見たくないもの……心の闇。それが言う。「目を向けてほしい」「こっちを見て!」。
プロセス指向心理学の本。シスター鈴木の「愛と癒しのコミュニオン」などの核になっている考え方なんだな。そうか、こういう分野があったのか。ミテには新しい感じだった。エッセンスは今までやってきたことと一緒だと思うんだけどね。(02.4.8)
大学生のころ(もう20年以上も前だ!)にはこういう世界を知らなかった。その後、免疫学を仕事で囓ったり、論文を探していてみかけたりして、断片を見かけることはあった。でも、断片を纏めるのは苦手だから、まるごと精神免疫学の本と出会えてハッピー。
自己免疫疾患の起こる仕組みも前よりわかったし。記憶の仕組みの解説もあるし。前世療法のプロセス中にはこういうことが起きてるのかなーー、と想像できそうだった。こころと密接な関係にある病気も書いてあるし。知っていたのも、初めて知ったのもあってびっくり。
ときどきムズカシくて、アタマが真っ白になっちゃうけど、面白い。体だけに注目して病気を考えるのではなく、こころだけに目を向けるのではなく、ぜんぶあって人間なんだ、って思えたよ。(03.9.1)
友だちがハコミ・セラピーのお勉強をしていて、さいきん読んだ「トランスパーソナル心理学入門」にもちょびっと出ていて、「これはなんなんだろうーー??」と思っていた。そうか、自分のからだと繋がるための、からだを大切にするための、からだからのメッセージを聴くための方法なんだね。
ミテもそうだけど、からだを大切にしてない、ちゃんと意識してない、って思う。せっかく生きてるんだから、もっと面白がって、労ってあげよう。
こころの傷を癒すには、いろーーんな方法がある。体からのアプローチもその一つ。自分が「これ!」と思うものと、誰でもいつかは出会う。なんたって、世の中はよくできているから(自分の意識が創っているのだが……、だから、なんだよ)。
セラピーにおいて、セラピストの役割はほんの20%なんだって。残りの80%はクライアントさんがやっていく。そして、セラピストの役割のなかで技術的なものは、20%のなかのほんの2%にすぎない、のだそうだ。98%はセラピストの人柄が果たすのだ!!
驚く、というより、なんだか納得ってほうが強いな。
ミテは自分が出会った方法を使って、自分を知り、自分を癒し、あるがまま自然なままでいいんだ、って気がついていく。ミテの役割はその気づきを、広げていくこと……なんだなーー。(2003.9.26)
心臓移植を受けたら、食べ物の好みが変わった!? 「なんで私、ピーマンを炒めてるのかしら??」。ピーマンは移植された心臓の、もとの持ち主(ドナー)の好物だったのです。
臓器移植を受けた場合、ドナーが誰であるかは明かされません。そういう決まりになっているのです。でも移植を受けた彼女は夢を見て、糸をたぐり寄せ、ドナーの家族に巡り会います。記憶は脳にだけあるのではなく、心臓にも!? 実話だけどまるでミステリーよ。(02.7.24)
熱も咳も痛みも薬で散らせ〜〜! というのがフツウなのかもしれないね。医者にかかれば、どっちゃり薬を買わされるし……。
それでいいのかっ!? という本なのです。熱は病原菌を退治しようとするからだの反応。せっかく鬼退治がはじまったのに、熱を下げられちゃぁ、病原菌の思う壺じゃないかぁ! 痛みやかゆみは滞っていた血流が戻ってきた証拠。血液さえやってくれば、傷んだ組織や細胞は自分を癒す作業を始められる。それなのに痛み止めを飲まれちゃあ、またまた兵糧攻めかよ! これではカラダの立つ瀬がない。
と、ここまでハッキリ言ってくださるのが、一級の免疫学者。臨床の先生と協力なさっていて、ただ理屈だけを並べてるんじゃないんだよね。うーむ、おもしろい。がんは治る病気なんじゃないか、とも。抗ガン剤は発ガン性もあったりするんだって。なんだかなぁ。事実は小説より奇なり、と言ってる場合じゃないか。
白血球が自律神経支配を受けているなんて、知らなかったよ。てゆーか、著者が96年に発見した事実なのだけれど。それでお天気によって気分が変わる訳ね!! 免疫、脳、神経系、内分泌……人体ってすごいわぁ。
とにかく今の薬の用い方、要再考。それも薬が高度に精製されたモノだから……かな。大金もからんでるし、権力と癒着しちゃってる?? 部分もあんだろうなぁ。(2004.1.8)
「○○ちゃんとこ、赤ちゃん産まれるんだって」という類のことをダンナに言うと、彼はひとこと「プリッ」と言う。
「実際のお産はそんなもんじゃないわ!」と多くの経験者は思うだろうけれど、本来のお産はわりと「プリ」らしい。そのためには、あっさりした和食をちゅうしんに食べること、妊娠中は一日3時間歩くこと、拭き掃除など家事をやって体を動かすこと、などの注意点がある。
便利で体を動かさずにすむ生活。でもそれがトラブルのもとになってる。本来の、自然なあり方から遠く離れているんだなぁ。
そして産科医療。分娩台に仰向けになって産むと、会陰に負担がかかって切れやすくなる。だから、会陰切開はどこの産院でも当たり前に行われる。赤ちゃんは血まみれになって産まれてくる。だけど、重力のむきと赤ちゃんの出てくるむきを揃えれば、それほど切れることはない。会陰切開、剃毛、浣腸、長時間の分娩モニターは必要ないと、大野さんは根拠を揚げて説明している。帝王切開も、必要じゃないのに切られることもあるらしい。まして、鉗子分娩、吸引分娩なんて、残酷なことは母子両方を著しく傷つける処置で、著者自身、鉗子分娩で産まれてきたからこそ、いま自然な出産を追求してるのかも、とのことだ……。
おかあさんのカラダは子どもを産むようにできていて、赤ちゃんは産まれてくる力をもっている。
いまは自宅出産専門の産科医だが、もとは一般の病院勤務をされていた大野さん。新生児ICUである発見をした。母親から離れてひとりでさびしく保育器に入り、痛いのから辛いのからいろんな処置をされる赤ちゃんたちは、人と目を合わさない。意識的にそらすという。生きる辛さ、痛み、大人への不信感をしっかりと味わってしまう赤ちゃん。
フツウの赤ちゃんだって、産まれた直後からおかあさんの手の届かないところに連れて行かれてしまう。人間不信、対人恐怖、コミュニケーションが下手な人間の原点はこんなところにもあるのかもしれない。大野さんは、一般病院で産まれる子どもと、自宅分娩で産まれる子どもとの両方を体験されている。そして自然なお産のあり方がどんなに崇高で神聖で優しくてうれしいものか、と教えてくれる。
いまの世の中では、産まれるときも死ぬときも、病気になったときも、効率を優先した冷たい機械的な経験をすることが多いように思う。
ほんとうは、人生ってもっと豊かで優しいもの……なんだろうな。
この本を読んだ後、町で母子を見かけると「この人も非人間的で屈辱的で寂しいお産に耐えて、この子が産まれたのか〜〜」なんて思ってしまうのでした。(2005.6.29)
あちこちで著者のお名前をお見かけするので、読んでみました。整体師さんなのかな。
東洋医学は西洋医学とは違う考え方、見方をする。そして東洋医学の考え方のほうが「うんうん」とわかる気がすることもある。「そうなのか」とは思うものの、腑に落ちないこともあるけど。それはこれから観察していこう。
施術中に患者さんが昔のことを思い出すこともあるらしい。「そういえば、こんなことが……」みたいな。で、経験し直す、痛みを感じ直すと軽くなっていく。「思い出す療法」と原理はおなじね。
痛みを麻痺させたまま忘れていると、どうしてもユガミやしこりとなって現れるというか……。
痛みや苦しみと向きあって通過しちゃえば、終わっていく。カラダからのアプローチでもおんなじなんだなー。
東洋医学系のサイトを漁っていたら、「最近、ひとのカラダが脆弱になっている」みたいな言葉を見つけた。自分を省みても、まわりの腰痛・ぎっくり腰の多さを見てもわかる気がする。
もう少しカラダに目を向けようと、改めて思ったのでした。(2006.1.12)
鍼の先生が「よく触ったり、マッサージしてあげるといい子に育ちますよ」と言って、なんだかすごく印象に残った。直感的にそうだろうなぁと感じたから?
母子関係には3つのタイプがあるそうで、わたしは「第二のタイプ」にドンピシャリ! 曰く「不安におびえてよく泣く。そして母親の反応を信頼できず、少しでも母親が離れると分離不安を示し、母親から離れて探索に出かけることも少ない」。幼稚園で泣き叫んでいたわたしそのもの。5人に1人はこのタイプなんだそうだ。
母とのスキンシップがちょっと足りなかったらしい。
もうひとつ「母から距離をとろうとする」タイプがやはり5人に1人。残りは健やか。
6割のひとが自然に身につける「人への信頼」を、自分で創り出していかなきゃなんないのね。……「できる」と思ったから、そうしたのだろうけれど。
また「身体への接触や触れ合いの不足は、抑うつや自閉的な行動、多動、暴力、攻撃、性的逸脱などの感情の障害の原因になる」(プレスコット、1971年)という研究もあるようだ。
「抱き癖がつく」とか自立を妨げると考えて、抱っこを避ける風潮もあったみたい。そして抱っこされなかった人は、自分の子供でも心理的な原因で抱っこできなかったりもする。
だけど、もっと抱っこできるといいね。夫婦間でも、手をつないだりできるといいね。
それだけで、社会全体が変わっていくような気がする。カラダへのアプローチは、いまこそ必要なんだなぁ。いろいろな目新しいことが満載で面白かった! (2006.1.14)
腰痛で文字どおり動けなくなったダンナのとこに、鍼灸師さんが来てくれた。治療をしたその場で、なんとか立ち上がってトイレくらいは行けるようになった。
そんなことが二回あった。
二人の鍼灸師さんの治療は、それぞれで、ちょっと違うみたいだった。でも、堪え難い痛みが軽くなって動けるようになる……。
鍼灸……自分には関係ない、古臭いものと思っていたのに。
だって、お腹がいたいとき、下痢の時、肩凝りのひどいとき、本に書いてあるツボを押したってなにも改善しなかったし。
そんな初心者にも、鍼灸の奥深さ、不思議さを教えてくれる本でした。出てくる鍼灸師さんはやっぱりそれぞれ。いろんな流派があって、いろんな解釈がある。
でも、近視が、逆子が治ったり、妊娠できたり、ぽっくり逝けたり、アレルギーだの難病が改善したり、うつや心身症がよくなったり……長い長い歴史は伊達じゃない。
いまや中国や日本だけではなく、世界中に広まり、アメリカでは保険も利くのだそうな(日本では制限つきの保険)。西洋医学を学んだ医者が鍼灸を取り入れる、こともあるのだという。
こんなすごい世界を知らなかったなんて! 面白いよ〜。
わたしはただいま鍼灸の治療にせっせと通い、自分でお灸や爪あぶり、半身浴、腹式呼吸をしているところ。こころが前向きになってきた感じ。(2006.3.25)。
近代医学が悪いわけじゃないけど、得意な病気と不得手な病気がある。治らないというか、治せない病気ってものがある。ダンナの腰痛も、レントゲン撮って、鎮痛剤とコルセットをもらっただけ。「無理しないように」って、病院来んの、大変なんですけど。
でも、それだけなんですね〜。お医者さん、お手上げなんだな。
……ということに、気づいたお医者さんもいる。
もともとからだに備わっている免疫力に目を向けた人もいる。
病気は「生き方に無理があるよ」、というメッセージと捉える人もいる。
もっと体全体を見よう。人生全体を見直そう。そして自分の免疫力を強くして、生きて行こうという本。こういうお医者さんが増えてきてるなんて、すごい希望。(2006.4.3)
鍼灸の本を探していて、なんとなく手にとった。
指圧も鍼灸とおんなじ東洋医学くらいに思っていた。鍼灸師さんの7割(?)が経絡を疑問視している、とあって、のっけからビックリ。そういえば鍼のぴっころ先生も「鍼灸師といっても、頭ん中は西洋医学の人間が多い」って言っていたっけ。
著者には、あるときから経絡が見えるようになったと言う。それは共感によるものだそうだ。共感!? それが関係あるの? またビックリ。
経絡が見えるからといって、ひとの前世が見えるからといって、霊性が高いとか悟りを開いたとかとは関係ないんですよ、と釘が刺してあって「やった〜」って感じ。
人に出る症状は時代によって変化すると聞いてまたビックリ。いまニューエイジを迎えるときであり、地球規模で大変化が起きているとなんとなくわかった気になっているけど、それがひとのからだにも現れていると言う。
からだに出る歪みは「邪気」によるもので、いわゆる業(カルマ)かもしれず、ときには前世からもちこしたもので、しかしそもそもそれは仏性なのだと聞くと、どっかで聞いたような、とまたビックリ。
前書きにこうある。
だから医療の中心は、いずれは、心を含めた有機的な「気の医療」へと、徐々にシフトしていく。(略)人類の曙のきざしが、ここにもあると言えるのかもしれない。
とてもビックリしたので、この人のほかの本も読むつもり。鍼灸は現代医療にくらべて、使う器具は圧倒的に少ない。けど、指圧って道具すらいらないんだよね〜、なんて感心してしまった。(2006.4.3)
「自分さえ我慢すれば……」と思っている人。すぐ人に譲ってしまう人。献身的な自己犠牲の人。怒りや悲しみなど生き生きとした感情を麻痺させている人。
……どれもわたしに当てはまったりするんだけど(^^;;;。
そういう「感情」の状態が、からだに影響をおよぼすというのだ。あんまり続くと病気すら起こす。それも強皮症、慢性関節リウマチ、潰瘍性大腸炎、全身性エリテマトーデス、アルツハイマー、がん……などなど、いろんな種類の病気。
もちろん食生活、運動、生活習慣、遺伝的素因などの危険因子も絡んでの話だけども。
「神との対話」に「そろそろあらゆる病気は本人がつくり出していることがわかっていいんじゃないか」みたいな言葉があったような気がする。それを裏付けるかのようだ。
病気は「おいおい、そんな生き方でいいのかい? 自分のパワーをちゃんと保ってるかい? 『誰かの人生』を生きてるんじゃないのかい?」というメッセージなんだな。
かなり長い間、「わたしは37歳で死ぬ」と公言していた。そのときは自分が怒りを異常に抑圧していることを知らなかった。あのままなら本当に37歳で死んでいたかも知れない。
怒りの抑圧に気づくことができて、いま生きている。
いまは「『ノー』と言うこと」に取り組んでいる。頭ではこれでいいんだとわかっているつもりでも、相手への罪悪感、こちらも拒絶されるかも、相手を怒らせるかも、傷つけて傷つけられるかも、批難されるかもという恐れでヘトヘト。
この罪悪感や恐れを避けるために、あらゆることをしてきたんだものね、自分。
いまこれを感じてるってことは、「新しい自分」に一歩踏み出してる、って証明よね。自分のパワーを誇示することも、だれかに明け渡すことも、歪めることも隠すこともなく、しっかりと保ってほんとの自分を生きるために。
本の結びから引用。
魂の声に耳を傾けないまま、心理学的なワークをしてきた人はたくさんいる。そうかと思えば、自分を発見し育てることの大切さに気づかないまま、霊的な手段だけで――神や宇宙の本質を追求することで――病気を治そうとしてきた人もいる。だが健康は、からだと心と魂のつながりという三本の柱に支えられているのだ。そのうちのひとつでもないがしろにすれば、バランスがくずれて、病気(disease)つまり安楽でない状態(dis-ease)を招くのである(p.408)。
そして「神との対話2(文庫版)」から引用。
じゃあ、どうすれば魂の声が聞こえるんですか?
魂はあなたの感情に語りかける。だから、自分の感情に耳をすましてごらん。感情に従うこと。感情を大切にすること。
だけど感情を大切にしたせいで、いろいろとめんどうなことになったような気がするんですが。
それは、成長を「めんどう」だと考え、停滞を「安全」だと思っているせいだよ。いいかい、感情のせいで「めんどう」なことになったりはしない。あなたの感情、それはあなたの真実なのだから(p.48)。
そしてお友だちのメールから引用。
ゲリー(ボーネル)は、辛いことであっても真実をしることがパワーになるといっていました。
おお、これで完結!? しかも簡潔? 全くその通りだ。成長をめんどう、って「めんどうなことになった」って思っていたよ。成長、してるんだよね!
神さま、みんな、タイムリーな言葉をありがとう!(2006.8.2)
天使体験、天使学についての本です。なんか冷静! ミテ自身は不思議体験をしていませんが(全然? どうなんだろ??)、天使だって守護霊だってご先祖さまだって、なんだっていいんじゃないんだろうか、目に見えない世界はあるんだから……と考えるようになりました。超能力がほしいよぉ、霊能者になりたいよぉ、と思っていましたが、別にいいじゃん。そうじゃなくたって……。その思いには「そしたら注目の的になって、有名になって……o(^o^)o」って動機もかなりあったんですから。読んでるうちに心境が変化したのかな。天使に導かれてるんだ! うん。それでオッケー♪
小さい可愛らしい本なので「これなら英語でも読めるかな?」と買ってしまいました。いつも見守ってくれている天使。でも、人間からお願いしなければ、天使は手をさしのべることができません。お祈りの仕方と、どの天使に何を頼めばいいのかが書いてあります。ミテは平和の大天使ウリエルに惹かれます(^_^)
16もの人格をもったシビル。ウィルバー博士は20年の歳月をかけて、原因を探り、人格を統合します。原因は母親との関係にありましたが、父親をはじめとする周りの人たちの「見て見ぬふり」も重大な要素でした。見て見ぬふり……。してしまうこと、結構あるよなぁ……と考えてしまいます。遠い昔に読んだ「イブ」の話は、人格が別れっぱなし、原因もわからない、未来もわからない感じだったので、これはハッピーエンドでよかったな。
著者は小さいころから「変な子」と言われていて、成長してから自閉症とわかった。自閉症でもhigh function(高機能?)なので、大学も卒業し、この本を書いた。彼女はいろいろな症状(というか問題点)を抱えている。私が驚いたのは、そのうちのいくつかが自分によく当てはまってしまうことだった。たとえば字は読めるのに、文章の意味がわからない。実は大学に入ったころからある時期まで、私は本が読めなくなって、ひそかに自分が馬鹿になったと悩んでいたのだ……。自分だけじゃないんだ! すごく嬉しかった。
自閉症についてはまだよく分かっていない部分が多い。もしかしたら、自閉症的要素って、誰でも多かれ少なかれ抱えてるもんじゃないかしら、と思うんだけど。続編「こころという名の贈り物――続・自閉症だったわたしへ」(1,900円)とあわせてどうぞ。関連する日記 2003.1.30
継父にレイプされ、殴られ、生き埋めにされるというすさまじい虐待を受けたビリーは多重人格者になり、女子大生を強姦して逮捕されます。多重人格障害であることを認め、治療しようと手をさしのべる人たち。逆に多重人格なんて芝居だと決めつけ、なにがなんでも断罪しようとする人たち。映画「カッコーの巣の上で」みたいに、患者を薬漬けにして、電気ショックで廃人にしてしまうような時代なんです。アメリカに来たばかりの時に読みました。「犯罪の多いとんでもない国に来たんだ」とおののいていたので、複雑でした。まず自分が疑われたとして……「なにを言っても耳を傾けてもらえなかったら?」という恐ろしさ。自分が犯罪被害者になったとしたら、本に出てくる人のように「こんなヤツは死刑にしてくださいっ」って憎しみに凝り固まってしまうかも知れない……。未だに自分の中にものすごい恐怖をかかえているんだなぁ……って思い知りました(~_~メ)
母親とサタン崇拝の教団からすさまじい虐待を受けたジェニー。身体のアチコチを怪我したり、病気になったり、病院やカウンセラーと縁が切れません。でも、多重人格と気づいたのは30歳をすぎて出会ったセラピストの夫婦だけ。セラピストたちは手探りでジェニーと向かい合います。
でも、セラピーは山あり谷あり。ジェニーは人を信頼できないから、セラピストを試します。操作しようとします(またそれがうまい!)。治って全人格が統合されたら、未知の世界。怖がるジェニーは治療に抵抗します。いっぽうで、セラピストにすがりつき、まとわりつき、セラピーの時間を制限されると、あちこちのカウンセラーを渡り歩き、「あの人たちに拒絶された」と言いふらす……。
しかも多重人格(解離性同一性障害)を扱うアレクザンダー夫妻(セラピスト)に同僚も冷たかったり。彼らはあるときは怒り、不安になり、焦る。ジェニーの悪口で自分たちの評判に傷が付くと恐れたりもする。それでも、向き合っていく。すごいな〜。
この本は全部の統合まであと一歩かな、ってとこで終わっている。統合が果たされても、道のりは長いかもしれない。でも、きっといまもいい方に向かってるよ!(01.4.20)
誰でも絶望にとらわれることがあります。なにをする気もおきない。生きているのが苦痛だ。わたしはダメだ……。死んでしまいたい……。自分ではどうしようもないところまでいってしまい、病院の門をたたくこともあるでしょう。著者は精神科医です。宮沢賢治や太宰治、光太郎と智恵子など歴史上の人たち、また彼が出会った患者さんの例を挙げて、どうしたらいいのか教えてくれています。親切で暖かそうな先生。ミテが抑鬱でかかった精神科医は「てめえ、それでも医者かよ」って感じだったので、こんなお医者さんもいらっしゃるのか、とびっくり。(00.10.6)
家庭内暴力と虐待に耐えかね、母は子どもたちを守るために、自分を守るために父を撃ち殺した。やっと訪れた平和な日々。楽しい青春、幸せな結婚。だけど子供がうまれてから、恐怖の日々がやってきた。自ら望んで入った精神病院はまるで地獄。入退院を繰り返し、自殺未遂を繰り返す。ビリー・ミリガンやシビルのような多重人格ではないみたい。もうちょっと「正常」に近いかな? 二つを結ぶ境界線上にある感じ。優秀なセラピストに出会って、楽になっていくんだけど……。アメリカのセラピスト、精神科医、みんながみんな温かい心をもってる訳じゃないのね、ってちょっとため息もでてきた。(01.1.30)
著者はアメリカの精神科医であって、病気に関しては専門家である。そして分裂病の家族を抱えている。だから、家庭の中で患者がどうふるまうか、そのとき家族はどのように接したらよいか、具体的でわかりやすいメッセージが盛り込まれている。
驚いたことに、アメリカにおいてさえ分裂病患者をめぐる待遇はよくないんだそうだ。偏見も根強いし、家族も恥と感じたり罪悪感を抱いたりする。病院に閉じこめるのはヨクナイという意見が強く、それが患者を守るのならいいけど、かえって医療から切り離す方向になってしまっているらしい。たしかに「カッコーの巣の上で」みたいな病院じゃ恐ろしい。なら、いい病院をつくってけばいいじゃん、と思うんだけど、実際には病院縮小、退院奨励とは。うーむ。
著者が力点を置いていることは、「分裂病は脳組織の病変によるものであり、親の育て方に責任はない」「投薬は非常に大切である」「精神療法は害をなす」。精神療法で、家族が罪の意識をもつことがあって、さらに苦しみが大きくなる……ようなことが書いてある。きっとご本人が苦い経験をされたのだと思うの。かなり冷静で親切な方と思われるのに、精神療法を目の敵になさっている。ほんとに役に立たないんだろうか、それともよっぽどひどいセラピストに当たったんだろうか……?
というようにひっかかるとこもあるけど、すばらしいレビューだと思う。欲をいえば、霊的な意味なんかも知りたいな〜。(02.2.11)
優秀なヒプノセラピストが書いた本。無意識にある思い。その力の何と強いことか。ほんとに面白い本です。最後に「催眠療法を受けるのなら、ちゃんと訓練を積んだ医師を選ぶこと」とありました。たしかに変な人にかかったら、大変なことになる。でもね、最終的には資格や免状よりも、人間性と相性だと思うのよね。自分が安心できる、納得できるセラピストを見つけてね!(01.3.1)
多重人格という症状がまだ知られていなかったころ、手探りで治療法を探した草分けの精神科医。患者が自殺したこともあり、そのときの経過や自分の気持ちまでとても率直に語っている。まるで彼にひきよせられるように、多重人格の患者と出会う著者。どういうわけか、彼は直観に導かれてシャーマンのようなこともするし、患者の中にIHS(inner self helper, 内部の自己救済者)を発見する。これは人格のひとつではなく、患者の生育歴(生まれる前も含む!)を知っており、彼はしばしばIHSと相談して、患者の治療に当たる。こうなると、ほかの精神科医はついていけないらしいけど、もしかしてハイアーセルフなのかしらん、と思う。
ほかにも、霊の憑依と思われる体験もする著者。前世療法の養成セミナーでは、そういう場合の対処法も教わるのだけど、独自に到達してしまった著者は凄いなぁと思う。説明がつかないことも、事実として受け入れる姿勢は真の科学者なんだな、と思わせる。わくわくして、一気に読んじゃった。(02.3.10)
実際に自閉症の人と親しく接したことはない。でも、著者が「一般の人にも興味をもってほしい」とおっしゃっていて、うれしかったな。著者は自閉症の人は「自分で行動のプログラムをつくれない」という。そうなのか〜と読みつつ、自分にも当てはめて考える。プログラムはあるのに、中断してしまうことがよくあった。大学院生になって引きこもっていたときは、そうだったなぁ。スイッチが切れちゃうの。部屋の中で、なにもできなくてただ座っていた……。辛かったなぁ。それと関係があるかどうか、なんてわからないけどね。なにかヒントがあるかも。
人間の脳、心は不思議だらけ。もしかしてワタシはその不思議をもっともっと知りたいのかもしれないね?(02.3.14)
精神科とか精神病とか実態をよく知らないので、救急病棟があるということも知らなかった。救急病棟は全然少ないらしく、多くは長期入院がフツウらしい。あんまり「治る病気」とも思われていないらしく……。しかもびっくり。精神病棟のスタッフは、外科や内科などほかの科より少なくていいらしい。むむ?? そりゃ、ホント?
男性が入院してくる。差別主義者ではないのに、「あいつは××」と差別用語が心に浮かんでくる。その声と戦っていて、おとなしい人なのにときどき暴れる。ええ〜、その声は私にも聞こえるよ。理由はわからないけど、自分も人種差別してるんだ、と肝に銘じてるの。でも、彼は入院しちゃうんだ……。
ある女の子が妹の首を絞めて運ばれてくる。超早期教育を受けて、優等生だったのにあるときから爆発。医師に対しても皮肉ばかり言い(しかも論理的)、母親を激しく攻撃する。あんたのせいで自分は人工人間になった、と。「だまして入院させ、薬漬けにされた」と怒っている。医者にも「薬を飲んで見ろ!」と言う。
そうだよ、医者も飲めよ! どんなに苦しいか、体験して見ろ! ……と私も思う。彼女の激しさにはたじろいでしまうけど、狂ってるなんて思わない。ひどい人とも思えない。だけど、彼女は自殺してしまう。
どっちが? 誰が狂ってる? それってどういうこと?
精神病棟につめていた著者が電車に乗る。そこにいる人を見て、彼は思う。「これでは、精神病院の中と変わらない(!)」。ある犯罪を追った続き物の新聞記事は、こんな言葉で終わっていた。「おれたちみんな狂ってるんじゃないか」。
自分のなかの差別意識、狂気、卑怯、怒り、恨み、恐怖、不安に気づいていこうと思うのだった。(2004.3.21)
関連する日記 2004.3.21
子どものころのピアノの発表会のことは覚えていないのだが、過去2回あったバイオリンの発表会ではあがりまくり。もうやだ〜というカンジだった。NHKの番組づくりに協力したときも、ライトに照らされて声がうわずってしまうし……。
私ってダメなんだわ、ばかばかばか! ……みたいな。
ほかの人はちゃんとリラックスして、実力を発揮できるだろうに、わたしったら!
ところがアマオケでコンミスやってるお友だちは「ソロのトコ、めちゃめちゃ緊張した〜」と言うし。テレビでは「ベルリン・フィルのオーディションはすごいプレッシャーでした」といまは団員になった人が言ってたし。この本を読むと、ベテランのアナウンサーが毎回膝が震えて困っていたり、名優とだれもが認める人が、舞台初日には必ず足が震えると言っていたり。
てことは、緊張したりあがったり、からだが震えたり、声がうわずったり……って多くの人が体験してることなの? わたしだけがみっともないんじゃないの? なんだかほっとしちゃう。
著者によると、「あがっちゃダメ」「震えちゃダメ」「赤面しちゃだめ」「視線を気にしちゃダメ」……と思えば思うほど、そこに意識が集中してあがりや赤面がひどくなっていくのだそうだ。
なんかわかるような……。ふとそこから気がそれたら、いつのまにか震えがとまったりするかも。
自分の状態……「あがってる」とか……をあるがままにして、もっと大きな目標、たとえば「講演では具体例をたくさん挙げて、わかりやすい話にしよう」とか……を達成しようと意識する。それが解決策なのだ、と。
ミテは対人恐怖があるなぁと気づいて、だからひとりの時間をたくさんもってるけど、そこから一歩進んで「怖いけど、豊かな人間関係を築きたい」と邁進する。怖さはそのままにして、まぁ行動しようというのがよい、と。……そうだよねぇ。ちょっとやだけど。
♪♪♪♪♪♪♪
こういったドツボにはまる人を神経質者と言っていて、教条主義的(かくあるべし、がいっぱい)な家庭に育った人が多いという。本によれば、親が警察官、学校の先生、国家公務員であったりするようだ。それ以外の職業でも、あまりにも厳格な親の子どもがなりがち。我が家はサラリーマン家庭だけど、やっぱ厳格だったと思う。厳格……というか恐怖?
余談だけど、ある割烹の女将さんが酒癖ワースト3を教えてくれた。10年ぐらい昔の話だが……警察官、学校の先生、お役人だそうだ。そういえば酒飲んで壊れる友だちはふたりとも公務員だなぁ。
「かくあるべし家庭」は親子とも辛い?? 「気楽に生きる」「おおらかでいられる」ことは、世のため人のためになるのかも。いや、「かも」じゃーないなー。実感として。(2005.7.1)
あはは、漫画です。グラン・ローヴァとはさすらいの大賢者。何ものにもとらわれない。何も制限しない。ムズカシイかもしれないことを、なんてほのぼの描いて下さってるんでしょ。こころが潤います。もちろん涙も……。
またまた漫画です。癒しとはなにか? エレメンタルとはなにか!? インナーチャイルド・ヒーリングのお話だわぁと一人で合点。
歴史音痴のわたしがにわかに興味をもってよくわかんないけど、図書館で借りてみた本。著者は斑鳩にある法隆寺のお坊さんなのだそうです。法隆寺はやっぱり古いんですねー。探すといろいろなものが発見されるそうで、そのなかに「藤ノ木古墳は崇峻天皇陵」というような書類があったそうです。著者はいまでもそう信じていらして、その説明を読むとそうなのかぁ、と思います。
生物や医学だってわかんないことだらけだけど、歴史もそうなのねぇ、と感心。(2004.10.22)
飛鳥に行くにあたり、欽明天皇から持統天皇までの歴史をちょっと調べた。ちょうどそのころをわかりやすくまとめた本。現地に行ったことはまことに強力で、「ふむふむ、あそこかぁ。なるほど!」なんて興味もいや増すというもの。
昨年出版されたばかりだが、驚いたのはここ数年の間にも、いろいろな発見がなされているということ。斉明天皇が大土木工事を好んだことはわかっていたようだが、それを裏付ける遺跡が実際に見つかったりして、何年も飛鳥を愛している著者でさえも「へぇ〜!」と認識を新たにしたりしているらしい。水時計で時を知り、石と水を組み合わせ噴水を贅沢に使ったお庭!? これからまたさらに新しい事実が出てくるのだろう。ワクワクする! (2004.10.24)