過食、拒食、非行、不登校……そんな「困ったこと」が、実は家族のそれぞれが「真の自己」に向かうために必要な過程だった。そして人は皆、どんな人も……あなたも私も……自分のペースで、そして自分の力で成長している。何が起きても、それがどんなことであっても、それはその人の成長のステップなんだ。過食してゲロ吐いてを繰り返しても、タバコをやめられなくても、ウソばかりついていても、誰かを殺しても、「あなたはそれでいいんだ。そのままで良いんだ」。……と、実生活でも言えるかしら? ははは、全部の人を受け入れる度量がなくても、嫌いな人がたくさんいても、ミテはそれでいいんだよ! うんうんo(^o^)o……なかなかそう思えないときもあるけどね。
児童虐待、性的虐待を受けた人にはなにが起こり、どうすれば癒されるのか。記憶を取り戻し、語ったときに癒されていく。……と言えば簡単だけど、現実にはなかなかそうはいかない。前世療法的に言うならば、そのとき感情の解放が伴ない、かつ客観的にその意味を理解することが必要。
著者はお医者さんだから、脳で起こっている生理学的な説明も詳しく書いてある。でも飛ばして読んだ(^^;。なるほど、物質的にもそういうことが起きてるのね……と思っただけ。ついでに言うと、カルシウム・イオンは2価の陽イオンだよ、なんてそんなことにばっかり目がいく。これは枝葉末節。
著者がひらいているグループはとても意味のあることだと思う。同じように虐待されてきた人々が集まって、自分の体験を語り合う。セラピストと1対1で語るより、効果があるそうだ。(01.4.20)
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家族機能研究所
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「よその子」「愛されない子」などを書いたトリイ・ヘイデンが来日して講演した記録です。家族機能研究所の斎藤学さんとの対談もあります。お二人はこの時初めて会ったということですが、とっても意気投合されていて、それがまた面白い。一番印象に残っているのは、トリイの次の言葉。「わたしだって確かに子どもたちの人生をよくしてあげたい、そういう気持ちはあります。しかし、それがわたしの目標ではないんです。私の目標、それは毎日毎日をどう過ごすかということなんです。……『子どもたちのことをよくしてあげたい』……、そういうことに目標としてこだわってしまうと、やがては……燃え尽きてしまうのだと思います」。
トリイは、子どもたちとの時間を楽しんでる! それはなかなかにショックな発言でした。すごいな〜と思ったのです。「大変な人生だね」と眉根にしわをよせて、心配したって、相手の人生がどうなるもんでもない。そうじゃなくて、その人と一緒にいることを楽しむ。そっちのほうがいい!「神との友情」で神さまも言ってた。「すべてを楽しみ喜ぶことだ」と。(01.5.31)
自分には生きる価値がある、愛される価値がある。そう思えない人は過酷な人生を選んで生きることになります。子どものとき、自分をそのまま認めて愛してもらえなかった人はそうなります。そして斎藤さんのいう「親教(世間様教)」信者になってしまうのです。
親教信者とは……(1)行動が周囲の期待に縛られる (2)適正な自己評価ができない (3)適正なNOがいえない (4)嫉妬深く、相手を束縛する (5)被害妄想におちいりやすい (6)自分の感情が感じられない (7)寂しがり屋で、愛されたがり屋である (8)自分で自分をいじめる (9)離人感がある (10)親にほんのり「申し訳ない」と思っている。どうです? そういう人は特殊? いいえ、たぶん日本人のほとんどが親教信者と斎藤さんはおっしゃいます。そして精神世界の本を読むにつけ、西欧文明圏全体に蔓延してるのでは……とミテは思います。
本音を言うこと、100%自分であること、そして「完璧なんかない」とわかること。それが大切みたい。まぁまぁ、そこそこ、てーげー。親教から脱しないと、世界平和もないぞ! さぁ、レッツ脱洗脳!! 頑張るのはやめましょ〜!<特にミテ。ね。(02.1.8)
起きること全ては、たまった歪みを解消するため……。苦しみや混乱があっても、さいごには本来の姿に戻す。地震がプレートの歪みを放出するように。
しかも歪みはそれが消失するまで、確認され認められるまで、辛抱強くそこにある。いくら隠しても、逃げようとしても、待っていてくれる。血統の世代を越えて、あるいは生まれ変わりを待っても、そこにあってくれる。ほんとうに解決されるまで。すごくやさしい……。
アメリカ人の5人にひとりは精神的なトラブルを抱えている、なんて言われる。日本でも学校に行かない子は「どこか悪いから、治さなくちゃ」だし、外出しない人は「ヒキコモリはいけない」みたいな。「学校に行くことはよい」「外に出て、人と接することはよい」という前提からすればそうなんだろうけど、学校制度が変だったら? 行かない人のほうがマトモなのかもしれない。人里離れて暮らしていても、昔は「隠者」「仙人」「修行者」ですんでいたのかも。
「いい」とか「わるい」とか「変」とか思うから、苦しい。「モンダイだ!」ってことになる。それで苦しんでるのはある意味、自傷行為だよね。自分を虐めるより、自分とお友だちになったほうが楽……。
さまざまなセルフヘルプグループの連絡先が盛り込まれてます。(2004.1.28)
道徳というものは、とんでもない役割を果たしているんじゃないだろうか……。と、この本を読んで思う。常識……と言いかえるべきか。「親にとって子どもはかわいいものだ」「女性には母性本能がある」「兄弟は仲良く」。ところが子どもが憎いと思う親はある。いつもではなく、そういう瞬間がある人もいる。どうしても兄弟と折り合いの悪い人もいる。
その人たちは、声を挙げられない。「我が子に嫉妬してる」「憎んでる」とは口が裂けても言えず、またその感情を認めることを自分に許さない。結果、憎しみや嫉妬は無意識に沈み、そこから影響力を振りまく……。親の無意識から出た攻撃が、子どもを襲う。親も子も、そこに攻撃があることに気づかない。そして子どもの人生は苦しみに満ちたものとなり、破滅さえする。あるいはまたその次の世代に引き継がれていく……。
親が行う無意識の攻撃? 読み終わってから丸一日。「謎が解けた」という思いが強くなってくる。私が苦しんできたのは、それではなかった? 母は自分でも気づかず、折にふれ子どもを攻撃してきたのだ。そして私は攻撃されること、拒絶されることに過剰反応し、また他を攻撃しているのだ……。そうだったのか!
「私は子どもが憎いことがある」「おねえちゃんに嫉妬しちゃうの」。その感情を素直に認めれば、それは消えるものだという。誰かを嫉妬しても、誰かを憎んでもいいんだよ。そのままのあなたでいいんだよ……という言葉はこれだけの重みがあったのだ。(02.1.11)
大阪にある「淀屋橋心理療法センター」では家族療法Family Therapyを行っている。不登校の子どもがいたら、親や兄弟姉妹も一緒にセラピーを受ける。離婚寸前のご夫婦の場合は、実家の両親が呼ばれることもある。仕事に行けなくなったサラリーマンは、妻と両親とともにセラピーが進められた。家族の中にあって語られない問題が、誰か一人に出てくる。その人だけ対象にしてもダメ。家族全体が問題に取り組むようにし向けていくのだ。
収録されている話は面白くて、推理小説を読むように隠れた問題が浮かび上がっていく。紆余曲折を経て、子どもは学校に行き、サラリーマンは生きる意欲を取り戻す。夫婦も本音を語るようになる。
すごいなぁ。こんなアプローチもあるんだ。でもどっかでわだかまっているのは、「すごいセラピー」に対する嫉妬なんだろうか? 書いたのは朝日新聞の記者。なるべく自分の感情を交えず、不偏不党の精神で書いたのだろう。でも心の問題なのに、書き手の感情を排除してしまうと、なんだか無味乾燥、無機質に感じてしまう。
渡米前は毎日新聞を読んでいた(内情をのぞかせてもらった朝日新聞には愛憎渦巻いちゃってるのかもね〜)。子どもの虐待や親の介護の特集(続き物)には、記者の年齢や名前があり、生の感情が生き生きと描かれていた。この本は古いし、書き手もご年輩。時代が変わり、社会が経験する問題もどんどん変わっていく。マスコミも変わっていって生き残るんだろうなぁ。(02.6.9)
頼まれもしないのに、ひとの世話を焼いてしまう。でも感謝されるどころか、うるさがられ、いやがられる。「自分のことだって後回しにしてるのに……! なによっ」と怒りが募る。相手には「こう変わってほしい」「私なら、あの人をいい方に変えられる」と思っている。でも、相手は変わらないし、どっちかというと泥沼にはまってしまい、毎日気をもむばかり……。心配と不平不満まみれ。しかも「私なんて……」と自己評価が低い。うーん、人生辛そう……。
……というような人を共依存症という。たいそうな名前が付くと、特別な人たちのようだけど、中身を見たら私でありあなたであり、あの人もこの人も……。斎藤先生のおっしゃるように、みんな大なり小なり共依存症。他人事(ひとごと)ではないのだ。
共依存症が悪いとかいいとかではない。苦しかったら、楽にならなくちゃ。心配するのを減らして、人のことより自分の欲しているモノを自覚して、自分の人生を生きなくちゃ。イエスさまはおっしゃったのだ。「あなたが自分を愛するように、隣人を愛するのだよ」と。自分を愛していなくては始まらない。
それにはどうしたらいいのだ? 「この薬を飲めば一発」なんて特効薬はない。人それぞれに四苦八苦、七転び八起きして自分の道を探していく。でも、この本は指針になる。自分が陥っている罠に気づくかもしれない。怒りとの付き合い方にヒントを得られるかもしれない。なにかホッとするかもしれない。ゆっくりと、一生かかっていいから、気楽になる道をすすみましょう♪(02.1.21)
幻聴のある人、分裂病と診断された人、離人症の人は治らないんだろうか? 引きこもりの人は一生家にいるしかないんだろうか? 精神科や心療内科にかかっても、薬をくれるだけ。話なんか聞いてくれない……という訴えが多いのです。そしてこの本に出会ったのです。
治る、とある。治った実例が示してある。母子関係だけに焦点が当たっていて、「ほかにも原因はあるだろう」とも思うんだけど、説得力がある。生き生きと暮らすには、感情を感じること! 改めてその大切さを思い知りました。アトピーで悩んでる人も、おかあさんとふれあえば治るとか! うーん、すごい!(01.5.29)
閉じこもり、幻聴、恐怖、不安について治療を受けたい人、研修、訓練を受けたい人は下記に連絡を。電話相談もあります。
心理社会療法研究所
〒600-8029京都市下京区寺町五条上ル西橋詰784 デリード903
電話・FAX075-352-3432
アダルト・チャイルドという言葉はどれくらい浸透してるんだろう? この本はとてもコンパクトにまとまってるし、実用的だと思う。でも、以前読んだときは、あんまりよくわかんなかった。自分がある程度癒されたから、わかるようになったのかもね。いままさに渦中でもがいている人には、意味がわからないとか、読みたくないとかいうことになるかも。アダルト・チャイルドと接することの多い人にはすごく参考になる。(01.5.31)
著者はレーガン元大統領の娘です。作家として何冊か本を出していますが、日本語訳はこれが初めてだそうです。なにかのはずみでおかあさんが怒り始めます。「あなたはどうしていつもそうなの!?」。 何をどう説明してもわかってもらえない娘は答えます。「知らない」。そして平手打ち。「おかあさんがわたしをぶつ」と父親に言っても「どうしてウソを言うんだ?」と言われるだけ。自分もあんな母親になるのだろうか……無意識にしろそう恐れた彼女は24歳の時に不妊手術を受けます。彼女は自分を深く深くみつめてこの本を書いています。読みながら何度も涙があふれてきました。気づきと癒しをたくさんもらった気がします。
著者の体験記です。暖かく優しかったおかあさんが、兄弟のなかで彼だけを虐待し始めます。兄弟と遊ぶことはおろか、いっしょに食事することもできません。皿洗い、フロ掃除は彼の仕事。でも時間内にできなければ、食事は抜きです。おとうさんは疲れ果てて家を出てしまい、孤立無援……。そのときそのとき、どんな気持ちだったのか、何を考えていたのかが書かれています。"The Lost Boy"という続編もあります。日本語訳が出ているのでどうぞ。
副題の通りの内容です。ものすごい傷をかかえて、他人はもちろん、自分もまったく信じられなくなってしまっているクライアント。実際に目の前にいたら、とてもつきあいにくい存在かも知れない。「なにあの人?」って思わず非難したくなるような言動ばかりするかもしれない。でもそれは「彼女たちがこんな風に傷ついていて、こんな風に感じるからなんだよ」ということをとてもクリアにしてくれています。そういうクライアントさんたちと向き合うための細心の注意は、どんなカウンセリングにも有効なんじゃないかなと感じました。実践するのはとても大変そうだけど、ね。
ヘイデン先生は小さな町に引っ越した。受け持つことになったクラスには、しゃべらない女の子がいた。前任者は自殺……。まわりの先生方も気をつかってくれる。女の子は少しずつうち解けて、しゃべるようになるのだが、言ってることの意味がわからない。でもやがて、全体像がおぼろげに浮かび上がってきて……。まるで推理小説のよう。「こんなこと、実際にあるの?」とびっくりします。でも、あるんだろうな。著者は自分の感じてることを率直に文章にしてる感じ。すごいなぁと感心してます。(00.8.9)
ヘイデン先生はまた新しい学校で新しい生徒に会います。助手がいたらなぁ、と思っても知り合いもいない。すると生徒のおかあさんがボランティアで助手になってくれます。でも、彼女自身が子どもたちと同じように問題を抱えてる。さぁ、大変! アメリカではセラピストの種類もいっぱいあって、扱う問題もはっきりと区別されてるのかな。「私は結婚セラピストじゃないのよ」ってセリフがあった。ある程度の専門性は必要だと思うけど、厳密に区別しなくても……。北アイルランド・ベルファストから来たジェラルディンはどうしたかしら。いまでも「敵」への復讐心を抱えているんだろうか。(01.2.4)
今度の子どもたちは自閉症傾向のあるブー、暴れて大変なトマソ、脳損傷があって字が読めないロリ、ローティーンで妊娠したリビー。トリイは毎日、手探りで彼らとの関係を作っていく。泣いたり、怒ったり、笑ったり……。
でも、視察に来たお偉いさんは聞くんだよね。「なんというメソードを使ってるの?」。そんなものない、万人に効く方法なんてない。だけど、その人にはそれがわからない。脳損傷があるから読めないのに、「あの子は怠けてる」と決めつけて、幼い心を叩きのめす老教師。「自閉症の子は痛みを感じない」と麻酔もせずに傷を縫合する医師。当の子どもは痛くて泣き叫んでいるのに……。
そんな変な人たちもいるけど、理解者もいて、毎日がすぎていく。トリイは先生で、あとの4人は生徒だけど、みんなそれぞれ影響を与えあって、ちょっぴりずつ成長していく。読んでよかった〜って思うんだ。(01.8.22)
トリイが初めて書いたのがこの本。6歳のとき、4歳の男の子を焼き殺そうとして、精神病院に収容されることになったシーラ。でも、病院に空きがなかった。それまでという約束で、トリイの教室に来ることに。乱暴でくさくて(家に水道がない)、大変な思いをする。
でも、シーラがそうなるには理由があった。両親が離婚したとき、母親が彼女を高速道路に置き去りにしたのだ。弟は連れていったのに……。アル中で薬中のおとうさん。極度の貧困。たぶん、トリイの教室がシーラにとっては初めての安全な場所だったんだね。
徐々にだけど、心を開いていくシーラ。いつもながら、正直で率直な描き方に感銘を受けました。おとうさんはどうしようもない男に見えるんだけど、トリイが彼に共感する場面があるの。この人にも抱きしめてくれる人があったら、こんな風にはならなかっただろう……って。でも、ホントにそうなんだろうな……。(01.9.10)
「シーラという子」のときのシーラは6歳。数ヶ月を一緒に過ごしただけで、あとは離ればなれになった二人。でも、トリイはいつもシーラのことを気にかけていた……。そして、再会。シーラは13歳。まオレンジに髪を染め、ちりちりパーマをかけたシーラ。服装もパンク風で奇抜……。
「これがシーラ??」となかなか実感がわかないトリイ。当時、彼女は先生を辞めて、クリニックに勤めてた。夏休みの間、トリイはシーラに仕事の助手になってほしいと申し出る。トリイに対するシーラの態度はきまぐれで、トリイはビックリ。しかもときには猛烈な怒りを爆発させて、トリイに迫る。もうもう、ドキドキの連続なの。そんなシーラにトリイは戸惑いながら、困惑しながら、でも本音で相手をしていく。自分が悪いと思えば、素直に謝る。すごいなぁ……。
ものすごく危なっかしいシーラだけど、最後はハッピーエンド。ああ、ほんとうによかった〜。(01.9.10)
買い物で気晴らしする人は多いと思う。うれしくなったり、スカッとしたりするよね。ときどきならいいんだけど、時には買い物がとまらなくて破産してしまう人もいる。依存症になりうるのね。
著者自身も買い物依存症気味のカウンセラーというのが面白い。気負わず、理屈に走らず読める本になった。依存症になっちゃうのは原因がある。焦らず、気長に原因を見つけて、楽になっていきましょう。(01.11.1)
犯罪にまきこまれた人、大きな災害に遭った人が目の前にいます。どうしてあげたらいいでしょう? なんとかしてあげたい、って思ってるのに、その人は期待してるような反応をしてくれません。話しかけてもちゃんと聞いてくれないし。そんなにショックを受けてるふうでもなくて、拍子抜けしちゃう……。逆に気が狂ったみたいに見えるかもしれない……。彼らにどんなことが起きていて、どうすればいいのか。専門家にも、そうでない人にもわかりやすく説明してくれています。話を聞く側も心に傷を受けてしまい、燃え尽きちゃうことがあるともはっきりと書いてあります。とても実際的、実践的な本です。(00.10.6)
犯罪被害者相談室案内(本書に載ってる情報です)
東京医科歯科大学難治疾患研究所社会医学研究部門犯罪被害者相談室
電話03-5280-8058 月〜金 10時〜16時 面接要予約 無料
ファックスは24時間受付 ファックス03-5280-8057大阪被害者相談室
電話06-871-6365 月〜金 10時〜16時
アメリカでは女性の3分の1が、性的虐待を受けています。この数字には「嫌らしい目つきでねめ回されイヤだった、こわかった」という体験も含まれます。日本より定義が広いので、数も多いのでしょう。それにしても……ですが。そのうちの60%が顔見知りによる犯行です。父親、祖父、兄、近所のおじさん、母親……。犯人は必ず言います。「誰にも話すな。だれかに話したら、殺してやる」。この脅しはすごく効力があります。その人から逃れて遠くに住むようになっても、その人が死んでも、被害に遭った女たち、男たちは体験を語ることができません。怖いのです、ものすごく。本人たちが悪いのでも、落ち度があったわけでもないのに! 語ることから癒しが始まる……勇気を奮い起こして体験を言葉にし出した女性たちの本です。原著は1982年に出版されました。日本には統計もないようですが、表に現れていないだけで、家庭内性暴力はあると思うのです。安心して話せる場所があれば、話を聞いてくれる人がいれば、ちょっとでも重荷を降ろすことができるのに……と切に思います。(00.10.6)
知り合いに紹介された人だから、「トイレを貸して下さい」と言われて、信用して部屋にあげた。そしてレイプされた。犯人は犯罪とも思わず、「また会おうよ」なんて言ってくる。でも、彼女は塗炭の苦しみをなめる。眠れない。食べられない。人と会うのが怖い。身体が勝手に動く。自分は汚いと感じる。何度も何度も、レイプのシーンがありありとよみがえって、そのたびに打ちのめされる。なにもできない。いつも恐怖に怯えている……。最低限、仕事は続けても、平静に装うのに必死の思いをする。自分を支えるのに精一杯で、警察への届け出もできない。
いったいなにが起きているのか、わからない。気が狂うのか? どうなるのか? 人にも話せない。そしてやっとPTSD(心的外傷後ストレス障害)だということがわかる。ちょっと安心できる。「私だけがこんなにおかしいわけじゃないんだ」……。なにが起きているか、理解して、人は怒ってもいいんだという気付きも得て、時間も経ち、少しずつよくはなっていく。でも、ものすごい時間とエネルギーがかかる。レイプはまさに殺人。徹底的な破壊。
なぜこれほどまでのことが起きるのか。生理学的なことは、かなり調べて書いてある。でも、そうじゃなくて、もっと別のこと、魂とか、感情とか、そちらの方が重要かもと考えてしまった。(01.5.4)
会社帰り、家への通い慣れた道で、2人組の男に捕まり佳恵さん(仮名)はレイプされた。気丈な彼女は、警察に届ける。でも、対応した男の警察官は被害者の彼女を傷つけるようなことを平気で言う。「いったい、どういうことですか」。彼女は怒ることができる人だった。当時、できたばかりの性犯罪捜査係に怒りの手紙を送る。
読んだのは板谷さん。「こんな体験をしたんだ……」。同じ警察官として申し訳ない、怒りを受けとめなくては。いろんな思いがあって、すぐには返事ができなかった。佳恵さんから、電話がかかってくる。読んでもらえたのか、知りたかったのだ。板谷さんは電話に出て、泣いてしまう。佳恵さんも。2人で泣く……。
この本は板谷さんと佳恵さんの往復書簡。2人の寄り添う心に何度も涙が流れた。
被害届から、捜査、裁判まで応対するのは男が中心だった。被害者はなんども男性の前で、微に入り細にわたり、事件を説明しなくてはならない。性に関することを。しかもなかには「あんたが誘ったんじゃないの?」「スキがあったんだろ?」と、被害者をおとしめるヤツもいる。ときにはレイプ以上に残酷な場面になることもあり、セカンド・レイプと呼ばれる。そういったことを、警察はやっと考慮し始め、全国に先駆けて女性警察官が応対する性犯罪捜査係が神奈川県警にできたのだった。
板谷さんはとても誠実で、大きなあったかい人だ。佳恵さんを思いやりながら、励まし、告訴までもっていく。レイプされた女性は死の恐怖を味わい、また世間の偏見もあるから、泣き寝入りしてしまうことが多いという。勇気のある佳恵さんが、大きな励ましを受けたから、そこまで行けたのだろう。でも、いつか、すべての被害者が安心して事件を訴えられるような社会になって欲しい。
そんな彼女も、さまざまな後遺症に苦しめられる。会社の上司に話すことができていたので、仕事も続けられたが、ほんとうに大変だった。いまはだいぶ回復されただろうか?
犯人は何人もの女性をレイプし、お金を奪っていた。判決は懲役20年。本の帯によると、これはまれにみる有期最高刑なんだそうだ。レイプは殺人と同じ凶悪な犯罪。佳恵さんたちのおかげで日本でも、こういう認識が深まっていくだろう。(01.5.4)
大人になってからのレイプでも、これほど苦しむものなのに、子どものときから繰り返し家族に性を犯される人がいる。子どもは安全な場所で、守られ、愛され育つはずなのに、そのすべてを奪われる。
結果、彼らは自分も他人も信頼できない。人との距離を測れない。自分の境界線をもてない。イヤなことをされても、イヤといえない。怒れない。怒っていいと知らない。しゃべっていいと知らない。好き嫌いも、心地よい悪いもわからない。だから人間関係を結ぶことができない。自分は穢れていると思う。生きているのが苦痛。自分は価値がない。いつも自分が悪いと思う。世界は脅威でしかない。カラダの感覚がわからない。自分がわからない。現実感がない。……ありとあらゆる機能が麻痺していると言ってもいいかな。
ここで、思い当たる。そこまでじゃないけど、自分にも当てはまることがある。虐待とまで言わないけど、子供時代が辛かった人は、多かれ少なかれ同じような症状をもっているのだ。そしてそういう人は自分を責める。「わたしはヘンだ!」「価値がない」「生きてちゃいけない」。自分いじめの悪循環に陥ってしまう……。そしてその痛みにのたうち回っている人は、ほんとうに多い。それもひどく孤独な中で。
なんて惨い! かわいそうに! 正直、はじめはそう思った。でも、純さんの見方は違う。「それでも生きてる。なんてすばらしい!」「なんて強いの」。
そうか! そう思ったとき、自分の中の劣等感が変化した気がした。私だって生きていていいんだ! そしたら上から見下して「かわいそうに」なんて哀れんでいた気持ちも消えてきた。どんな人も、苦しみながらも、もがきながらも生きている、勇気ある存在なんだ。上だ、下だ、差別だなんだって、なんだ〜。くだらない! ひとりひとり尊い存在だ。そういう基本的なことが、やっと、すぅーっと腑に落ちた。純さん、ありがとう。
話を元に戻すと、この本は被害者がなにをどう感じてるか、考えてるかが書いてあって、回復への道をもがきながら進んでいく様子がわかる。日本には被害者を支える専門家もほとんどいない(当時は)。まわりになにができるか、も難しい。苦しみの日々はまだまだ続き、次の本「解き放たれる魂」(高文研、3,000円、1999年)まで読んで、一息つける。
読みながら思ったの。「許す」って「ガマンする」「憎しみに蓋をする」と取り違えてる人が多い。だけど、とことん相手を憎んで、恨んで、怒り狂って、ある時ふと「もういいや。飽きた」。それが許しじゃないのかな? 許すためには、逆説みたいだけど、怒る。そう思っていたら、まったく同じコトを純さんが書いていた。ね、そうだよね、って言いたかった。
純さんが心のよりどころにした本が紹介してあります(下記)。読んでみたいんだけど、高い……。うーん、英語で読むべきか……。(01.5.4)
生きる勇気と癒す力 ── 性暴力の時代を生きる女性のためのガイドブック
エレン バス、ローラ デイビス著、原 美奈子、二見 れい子 訳 \5,500The Courage to Heal : A Guide for Women Survivors of Child Sexual Abuse
Ellen Bass, Laura Davis
The Courage to Heal Workbook : For Women and Men Survivors of Child Sexual Abuse
Laura Davis
17歳の少年がバスジャックをした事件は去年のことでしたっけ。それ以外にもたくさんの少年犯罪が起きてきました。「どうして」「なぜ」「どうしたらいいのか」にある程度答えてくれている本だと思います。ただ、「愛情」「甘やかし」の定義がないので、読んでいて混乱することもあるかな。「欲しいものはなんでも買ってもらえた甘やかされた少女」ってのが出てきますが、甘やかされたのではなく、「愛情ではなく、モノしかもらえなかった」と言った方が正しいかも。家族という閉鎖社会の恐ろしさ、そしてその家族も社会の色に染まっている……少年犯罪を考えるには、自分自身の心の中をしっかりと見つめなくちゃ。(01.3.2)
あるひきこもりの人が自分のことを書いた本。読んでみるとどうしてひきこもっちゃうのか、わかる気がする。それはミテが変人だから? うんにゃ、そうではあるまい。自分の感情を誤魔化すことに全精力を傾けている人以外なら、いろんなことが見えて来るんじゃないかな? (01.11.1)
著者は臨床心理士。ひきこもる人たちと接している。そして言う。「そういう人たちも普通の人なんだよ」「自分の中にもそういう部分があるよ」と。人と人が出会うとき、真っ正面からぶつかっていけばいいってもんじゃないらしい。時には横からすーっと入っていく。そしてコミュニケーションが始まる。相手とテンションをあわせて、コミュニケーションが成り立つ。コツがあるんだよね、きっと。それを知っていれば、ちょっと楽になる。
頑張って頑張って、ムリを重ねて、ボロボロになってる人がたくさんいる。もっともっとコミュニケーションが上手な社会になれば、ムリすることも減るだろうに。(02.5.1)
実際にいろんなケースを見ていらっしゃるので、すごく説得力がある。子どもがこうなり、親がこうなると、こう。ひきこもりは子どもだけの問題じゃなくて、家族全部が関係しているんだなぁって思う。
日本……狭い国土にこんなにたくさんの人がいるのに、独りぼっちがどうしてこんなにいるんだろう。「対話する関係」が結べない……それがひきこもりという現象の底にあると著者は言う。そうかもしれない。親が、連れ合いが自分と向き合ってくれない。話を聞いてくれない、という訴えがミテにもたくさん届く。自分自身もその悲しさを知っている。
学校でも、会社でもコミュニケーションって教えてくれない。でも、とっても大切なことだと思うんだ。(02.5.14)
どんな人だって、誠意を尽くせばわかってもらえる、愛を注げば変わるはず……。そう考えていたんだけど、そんなもん通じない人がいる。筆者はそれを「自己愛的な変質者」と言い切ってしまう。そういう人にかかると、彼らが加害者であるにもかかわらず、はためには被害者が加害者に見えてしまう。責任逃れの天才なのだ。口達者だし、とてもそういう「変質者」には見えない。被害者も「まさか……」と信じられないほどの悪意に満ちているという。
被害者になる人にはタイプがある。いつか変わってくれるんじゃないか、と期待を抱いているので、その関係から抜け出せなくなっちゃう。実例が豊富なので、ウソじゃないんだなぁってわかる。そんな人にかかったら、逃げるが勝ち。うーむ、そういうこともあるんだなぁ。「そんなこと、あるんかなぁ?」と疑問に思った人にお薦め。(02.3.10)
むかし、女子パウロ会のホームページで映画が紹介されていて、ダンナと見に行った。それが「デッドマン・ウォーキング」だった。死刑囚を見舞うシスター。死刑に反対する人、賛成の人。死刑執行を見に行く被害者の遺族にショックを受けた。実話をもとにした映画だった。
著者はその実話の被害者(いまは被害者ではなく、生存者survivor)。事件から、「許し」に達するまでの長い道のりの話だ。許し、と一言でいうけれど、これほど誤解されてる語もないかも。「抑圧」「諦め」と間違われてることも多いと思うんだ。自分に向き合うことなしには、なしえないことなんだな……。しかも許しへと続く道は、ほんとうに人それぞれなんだろう。せかすことなく、判断することなく応援できるようになりたいな〜。自分自身も含めて。
許すと自分が楽になる。ひっかかりも、つっかかりもなくなるから。わかっちゃいるけど〜! いいの、自分のペースで行こうっと! (02.3.14)
子どもいないし、産むつもりも育てるつもりもない私が、育児の本を読むなんて。自分でビックリ。
キッカケは「トランスパーソナル心理学入門 ── 人生のメッセージを聴く」にハコミセラピーの紹介があったこと。それで「マイボディ ── ハコミ・セラピーがおしえる心とからだのなおり」を図書館でみつけて読んで、そこで抱っこ法のことを知ったのだった。おもしろそうだわ、と思っていたところ、友だちが「ベイビー・マッサージ」の話をしてくれて(彼女も子どもはいないのに)、二人で情報交換。こういう「意味ある偶然:シンクロニシティ」……そう言ったのはユングで、いまでは「必然」と言うけれど……にまたも導かれたのでした。
セラピー中、涙をこぼすクライアントさんは多いのです。小さいころから、「泣いちゃイケナイ」って我慢していて、涙のダムが決壊寸前。決壊させちゃうのが、この仕事の醍醐味でもあるのだけど、そもそも幼いころから思い切り泣けたら、インナーチャイルドはすくすく育ち、オトナになってこんなに悩むこともない。
……というセラピストとしての私の思いが、もっと具体的に・ステキに・実用的に・わかりやすく、すでに本になってる!!
子育てって、苦行なんだろうなって思っていた。だから子どもなんてほしくなかったし、妊娠がわかって喜ぶ人や、子どもがほしくて苦しんでいる人はとても不思議だった。でもね、この本でわかった。子育ては、親が自分を癒す大きなチャンスなんだ。親子共々、二世代がハッピーになれる体験なんだね。
しかも、「癒し」ってべつの自分になることではなく、余分なモノ(恐怖や不安、悲しみ、苦しみ、義務感、制限、禁止)を削ぎ落として、「本来の自分」になること。これは最近考えていたことで、ここでも「そうそう、そうなの!!」って、もう諸手をあげて賛成!(2003.10.12)。
抱っこ法については、こちらを見てね。 癒しの子育てネットワーク
毎日新聞の家庭欄にある投書欄「女の気持ち」。人前でもところかまわずご主人に怒鳴られるという女性が「怒鳴らないで」と投稿し、すごい反響があって本になった。
「うちも」「わたしも父が」「離婚しました」「経済力があれば」「私も怒鳴る男です」「甘えています」「主人が怒鳴らなくなりました」……。
いろんな人がいろんな立場から、思っていることを書いて、きっと読む側もいろんなことを考えたんだと思う。
怒鳴られて育ったら、自分も怒鳴るようになっていた、という人もあるし、「怒鳴られる人がそんなにダメージを受けているとは思わなかった」という人もある。自分ちだけじゃないんだ、とわかることはホッとすることでもあるらしい。
うちの父も怒鳴って殴った。たったの数回ではあったけど、トリシアの講座を聴いているときにそのことを思い出して、動揺した。トリシアにもわかっちゃったらしく「大丈夫?」と声をかけられた。……そんなにダメージを受けていたなんて、自分でもビックリ。これが日常茶飯事だったら?
結婚して豹変した、内面(うちづら)と外面(そとづら)のギャップがすごい、外ではいい人、だったりもするらしい。いい人を演じるためのストレス? 女性蔑視というか、弱いものに当たり散らすということでもあるらしい。
怒鳴らなくても、威嚇だの冷たいダンマリだの、怒りの雰囲気が家庭にあるのはほんとに……イヤですよね。安心できないから。怒鳴ることも含めて、それは全て暴力だと思う──。
バカの壁はあっても、怒鳴るより話した方がわかる。ペンを執ってくださったすべての方にありがとう。(2004.7.9)
怒鳴る方にしても、タバコやお酒と同じで意志だけではやめられないのでは……と思う。一方的に非難するのもなんだなぁ、と同情もする(ってことは見下してもいる)んだけど、NHK大河ドラマ「武田信玄」(時代劇専門チャンネルで放送中)の信玄を毛嫌いしてしまう。
このオヤジは都合が悪くなると怒鳴り、それでも形勢が不利になると手を挙げる。とんでもないDV野郎だ、とほとんど憎んでいる。卑怯で理不尽で身勝手! とうとう息子が暗殺を企て失敗する。これこそ「自業自得」じゃ!! くそーーーっと思う。死んでしまえばよかったのにっ。
……ここまで信玄を憎んでるってことは、数回にしろ殴られた痛手がまだまだ疼いてるってことなんだろうなー。はあああ……。(2004.7.15)
人の役に立ちたい……と思っていても、つい期待してしまう。見返りがあることを。
金品だって喜んじゃうが、なにより相手が変化すること、成長すること、なにかに気づくこと……。それもさっさか、スムーズに。
待つのは……苦手だなぁ。信じきれないからなんだろうか。そこらへんが未熟、というと厳しすぎるかなぁ。凡庸というのか。
でも著者の成田さんは待つ。「待ったあとには必ずいいことがある」とご存じ……いや、なんども体験されたからだそうだ。知的障害をもつ人たちが成田さんに安心するまで、ピアノに興味をもつまで、自分で音を出してみるまで……たくさんの工夫をこらしつつ、待つ。
すごいなぁ……暖かいなぁ。
音楽の専門家でもなく、教育の専門家でもなく、福祉の専門家でもない、サラリーマンだった成田さん。もちろんたくさんの縁に導かれて、ここまでいらしたのだけれど、なんてステキな方だろうと思う。読んで良かった。(2005.10.9)
ゴリラ、オランウータン、チンパンジーのうち、一番人に近いのはどれでしょう?
20年ぐらい前まで論争があったそうなので、わたし(1980年生物学科入学(^^;)がわかんなくても恥じゃないな。よかった……。それにうち、京大系じゃないし。こんな面白いことやってたんだなぁ。
答えはチンパンジー。500万年前くらいに別れたそうです。次はゴリラ、一番遠いのはオランウータン。1200〜1300万年くらい前になるのかしら。
で、不思議なことに、この本を読んでティッシュを3枚消費してしまいました。涙と洟が垂れてしまった……。とくにおかあさん(アイ)と息子(アユム)の関係のところ。
アイちゃんは文字や数字を理解するチンパンジー。テレビで見た覚えがある。彼女に子どもが生まれて、その子育ての様子を著者・松沢さんが一緒にすごして参加しながら観察する。
チンパンジーの親子を見ていて気づくことは、親が子どもを叱らない、叩かない、邪険にしない、無視しないということです。そうした親密なきずなの中で、親やまわりの仲間を手本として、子どもは自発的に学びます。(p.160)
ああ、そうあってほしかった! と涙が出たのです。
友だちの子どもを見ていて、「人間ってすごいな」と思いました。毎日聞こえてくるとは言え、複雑な言語を耳から聞いて、自らの中でコトバを整理分類し、使ってみてフィードバックをくり返し、ついに言語体系を構築し、使いこなすようになる。
大人にできるのは、頻繁に話し掛けたり、安心できる環境を用意することぐらいで、この構築はほとんど自力でやってるんじゃないだろうか……。子どもの中にはそれだけの力がある。
言葉をしゃべらない子でも、こころの中にはしっかりと言語が入っていることでしょう。耳が聞こえない子であれば、音以外の様々なサインを読み取って世界を理解しようとしている……。
ヒトとはなんて高性能なんだ、と舌を巻きます。
でも、ヒトはときに子どもを叩き、邪険に扱い、無視する。なにかを強要し、嘲り、笑い者にし、世話を焼きすぎ、まっすぐ伸びていく芽をねじまげ、摘んでしまう。
知性が発達すると、意地悪になっちゃうの? 余分なものにこころを奪われるすぎるのかしら……。ずっと見守り、必要なときには手を貸す。そういうアユムくんのママを心から尊敬します。そういうものを取り戻したいよ〜。(2006.3.9)
夏休みだから、あちこちでおかあさんの怒鳴り声や子どもの泣き声が聞こえてくる。
「なんど言ったらわかるのっ!!」
なんベん言ってもわからないのだったら、これから先も言うこと聞かないだろうな〜と第三者は考える。いや、そのおかあさんだって、わかっているけど、どうすればいいのか困っているのだろう。
そこで親野 智可等(おやのちから)先生の出番。長く小学校の先生をなさっていた体験に裏付けられた言葉に重みがあります。
感情的になって怒鳴っていると、「この人はこういう人だ」と評価されてしまう。一度だけでも、その人の評価はがた落ち……わたしも覚えがある。
一貫した物言いでないと、見すかされてしまう。その通り! しかしながら一貫した態度をとれる人とは、「マスター」。……親をやるってことは、著しい成長を必要とされる……こと!!?
育児本だけど、もちろん大人どうしでも使えるヒントが一杯。わたしも活用して、もうちょっと大人になろう!(2006.8.14)
2006年9月に体感した「つくづくわたしはいい子」で、それは血族に代々伝わっていて、かなりの弊害をもたらすってことを、「その通り!」と裏付けてくれたような本。
著者によると
「イイコ」とは、「思ってることを安易に口に出せない」「人の顔色や言動が気になる」「自分の感情を抑えてしまう」「人の期待にそうように努力する」……(略)人である。
……(中略)……
イイコの度合いが強くなるにつれて、抑うつ症状や神経症症状が強くなることがわかっている。
……(中略)……
わたしが実施した調査では、都市部では80%、郡部では、実に90数%もの日本人が「イイコ」という結果が出ている。(p.29-30)
なんですって! ほとんどの日本人がいい子だったんだ〜。
それでいま、各種さまざまな問題が大噴出してるのね。
♪♪♪♪♪♪♪
この方は大学の先生なのに(偏見?)、目次に「直感力こそ生きる力」「親が嫌いな人は、自分も嫌い」「母なる自然が癒しの舞台」なんて言葉が並んでる。精神世界の人みたい(偏見?)で、ちょっとビックリ。
や、でも嬉しい。
学級崩壊した教室の担任、子どもが不登校やひきこもりになった親も、それは自分の人生を見つめなおすチャンスなんだと説く。
ほんとにそう思う。一見凶事だけど、成長、大転換の大チャンス。
人間にはいつでも「ほんとの自分」に気づくよう促されてる。人生は優しい。……とちょっと思ったりして。(2006.11.4)
むかし弟が岸田秀の本をくれた。長いこと読まなかった。あるとき、ふと読む気になった。親子関係がその人の人生に大きな影響を与える、と初めて知った。
今回は岸田さんと原田さんの対談。ふたりとも、親との葛藤に目覚めてる人。親の影響の出方はふたりで違う。当たり前だけど。
親とのどんな出来事がどんな風に影響しているのか。自分の行動はどういうことだったのか。いろんなエピソードがある。自分に当てはまることも、まったく新しいことも。
重たいな〜。親から抜け出るのは簡単じゃないな〜。
……というか、抜け出なくていいのか。自分なりに転換していく。手放す。付け加える。ひとつづつ気づく、自分のものにする。それしかないものね。
1回や2回のインナーチャイルドワークでできることなんて、多寡が知れてるな〜、と悲観的な気分。逆に言うと、もっとすごいことができる、かもと勘違い(期待?)していた訳だな〜。反省。
「親の影響」という考え方はまだマイノリティーなんだろうか。
なんとなく、もう多くの人が知ってると思っていた。(2007.1.18)
「認知症のひとは、ぼけてることもわからないから幸せなんですよ」というようなことをおっしゃる方もあるけれど(知り合いがそう発言していると知って、憤っているのデス。まぁ、彼なら言いそうだよ)、そうじゃなくて不安で恐いんだなぁとよくわかる。
「こいつがお金を盗んだ!」「女房が浮気してる!」と妄想して、相手を攻撃するひともいる。
うわぁ、やだなぁ。そんな場面に遭遇したらどうしよう? 攻撃されたら傷付くし、仕返ししてしまいそう。わたしって、そんななのよ……。
でも、なぜそんなことをするのか、認知症者のこころの動きを解説してくれる。その攻撃の仕組みって、わたしも密かにやってるような、思ってるようなことだな……と納得。
こころの動きの観察は、他人のこころが対象であっても結局は自分と向き合うことだし、ミステリーを解くみたいな意外性と不思議さ、面白さもある。ステレオタイプの決まり文句、「常識」から距離を置く訓練も必要だ。
でもそれは、わたしが目指している方向に、みごとに合致してる(!)。
「世間体などにはとらわれず、失敗してもとがめられない場」「暖かな人と人とのつながりが満ちている」場であれば、認知症を患っていても、安定した生活を送れると著者は言う。認知症に限らず、自閉症、育児、人材育成……にだってあてはまりそうだ。
でも、現実の世間ではそれは「虚構の世界」であって現実とギャップがある、とも。その上で、こういった「虚構の世界」をあちこちにつくりだしたいと。
たしかに「虚構の世界」と言えるのかも。「あり得ない〜」と言う人もあるかも。なんだかサツバツとしてる、などと形容されることが多いものね、昨今の社会は。
でも、それをファンタジーではなく実現可能で、自分がその起点になり得るという決心はアリだと思うし、そのためにいま現在生きてるのかも……とも思う。
最近はそういう「妄想」が好きなんだよね〜。ちょっと楽観して。
だって、現実にそういう方向を示す道しるべがいっぱい見えるんだもの。(2007.7.17)