2005.2.3(水)テレパシーていうか
食べすぎがぎっくり腰の原因になることがあるそうだ。整体に通っている人から聞いた。
ひとは長い歴史の中で常におなかをすかせていた。こんなに食物がある状態はむしろごく最近のこと(と言っても、現在、飢餓状態に苦しむ人間は地上にいっぱいいるだろう)。
一日3食はホントは食べすぎなのかも。そう言えば、最近のミテはほぼ2食。調子がいい。うちの両親もいつの間にか自然に2食になって、それを続けているらしい。
「なにを食べるとからだにいい」「これはイケナイ」と情報が錯綜してるいま、ほかでもない「自分のカラダ」のいま欲するモノを正確にくみ取れるといいよねぇ。
食べ物だってクスリだってヒーリングだって、あの人に効くから自分にも効くとは限らない。今日効いたからって、あしたも効くとは限らない。
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ある人に腹を立ててしまい、さんざん悩んだ末、「これこれで怒っています」と伝えた。その人はここんとこ、私とやりとりするのが辛かったということだ。
ほんとうは、私はずっと相手を面白からず思っていたのかも知れない。それを自分自身にもその人にも隠そうとしていて、だけどなんとなく伝わってしまい、辛い思いをさせていたのかも。
「なんだかあなたはやだ」と言ってはイケナイ、傷つけてしまう……なんて思っていただろうし、いまだに自分自身の怒りを禁じているのだろう。つい「いい人」を演じる。
でもそれがかえって相手を苦しめていた。
ほんとのことは伝わってしまうんだなぁ。ごめんね。
はじめから自分の気持ちを正直に伝えればよかった。「嫌いなの」、と。
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怒るには、理由が、しかも「正当な理由」が必要だと思っているようだ。
怒りが湧いてきたら、単に怒ればいいんだ。ああ、わたしは怒ってるって自分を認めればいい。それからその原因を探ればいい。
怒りの取り扱いが未熟だなぁ。でも前よりずいぶんマシにはなってきてる。それはいいことだ!
嫌いな人がいてもいいんだ。相性ってモノもある。
……なかなかそう思えないけど、そう自覚できたのは収穫。
時間をかけて、ゆっくりじっくりワークを重ねていくしかない。
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悩んで悩んで葛藤したおかげで、なんだかとてもすっきりして軽くなった。また重荷を一つ降ろした感じ。鎧をひとつ脱いだ感じ。
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ある精神科医の本を読んでいたら、人間にとって人間はもっとも情報量の多い存在なのだろうという一文があった。だから深く関わると、膨大な情報を受け取ってしまい疲れる……らしい。
セッションの後って、すごく疲れるんだよね。ぐったりしちゃう。それがわかってきたから、一日ひとり。
「ほんとーは心の奥底では、セラピストという仕事を嫌っているのだろうか、抵抗があるのだろうか」と密かに怖れていたのだが、そういうことかも! (って、「情報」とはなんだ?)
しかもわたしは気的過敏体質。片山先生の本には「こういうひとは情報を受け取りすぎる」みたいなことが書いてあったような(ないような)。だから「ひとりでボーっとしてるのが一番楽」なんだったっけな。
そっか。気的過敏体質のわたしが深く誰かと関わると、疲れるのは当たり前! それでいいんだなーーー。そして疲れることがわかっていても、やっぱセラピーは楽しいし不思議だし面白いんだもん。好きなんだなぁ。
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「情報の渦」に飲み込まれるから、人混みも本当に苦手。うっかり日曜日に「唐招提寺展」に行った。黒山の人だかりを見た瞬間、ノックダウンって感じ。気分は悪くなるし、からだはだるいし、あちこち痛くなるし。脳貧血寸前。
ああ、日本て、とくに首都圏て人口密度高い……。
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情報……ひとの気分とか気とかエネルギーとか思い、のことなんだろうな。
からだをゆるめるような体操をしたり、楽器を弾いたり(ヘタでも!)すると、重苦しさがすこし消えるようだ。
2005.2.4(金)手探り足探り
「ホンモノの大人」は10人にひとりいるかいないか、とインナーチャイルド・ヒーリング講座で教わった。すると、いま一緒に勉強してるひとが、「そんなにもいないかもしれない!」と。
たしかに知り合いの誰も彼も、それぞれ傷ついたインナーチャイルド満載で生きているように思われる。ほんとの大人は100人にひとり? それとも1000人にひとり???
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だから我々はほとんどお手本なしに「ほんとうの大人」になる道を探らなくてはならない。
同様に、「怒りを上手に扱っている人」に親しく接したこともないかも。怒りを抑圧して、不適切にまき散らす、自分にむけて苦しむ……たいていはどちらか。
怒りについて、いまの指針は神さまの「愛をもって相手に怒りを伝えなさい」って言葉。これと「どんな感情も感じていい、……どころか感じよう」をこころにとめて試行錯誤。
だんだん上手になってきたんじゃないかと自画自賛してるけど、まだまだ道のりは長い。でも当たり前だな〜〜。
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だってもし、本読んだだけで、ピルエット(バレエで行う回転のひとつ)しなきゃいけなかったらどおだろぉ。
1番か5番から横にタンデュして、4番プリエからパッセ、ルルベして〜〜、その前にお尻締めてアンドールにして、おなかひっこめて、肋骨ひっこめて、肩おとして、お首なが〜く、あご引いて、からだの軸はまっすぐ! 加えて、ルルベかポワントをしっかりできるようになって、プレパラシオン……そーれ。
先生がお手本を見せてくれて、「ここはこうしなさい」って教えてくれて、それだってできるようになるのは大変。モデルがいなかったら? 不可能かも知れないし、できたとしてもすごく時間がかかる!
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怒りの取り扱いに熟達するのだって、おんなじだ! 気長に気長に歩いていけばいいんだわ。失敗したら、やり直せばいい。
それに、実はガイドや守護霊やハイアーセルフが導いてくれているものね。
2005.2.5(土)PPT
前向き、ポジティブシンキング、プラス思考って聞くと、なんかやだなぁって思っていた。
「落ち込んでちゃイケナイ」「いつも明るく楽しく」という意味なのか思っていたからだ。現実を否認してるんじゃないのか? それは逃避だろう。「自分を知る」とは正反対の態度じゃないか! けしからん!
でもそうじゃないんだな。
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どんなときにも、なにが起こっても「これはわたしが成長するために起きていること、最も成長を促してくれる舞台・出来事なんだ」って捉えることが、ほんとうの「前向き」なんだ。神さまの言う「ギャングにレイプされている最中にも完璧をみなさい。神の栄光をたたえなさい」(だっけか)ってことだ。
なにがあっても、それがどんなに不幸に悲惨に見えても、「起こるべくして起きている必然なんだ」って祝福する。津波も地震も、9.11も殺人もレイプも……。
これがポジティブシンキング。つまり「すべてはうまくいっている」だ。
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「うまくいってる」んだから、現状をそのまま受け入れる。その人の現実はその人の思いが創りだしているものだから、現状をそのまま受け入れる。
そのうえで、悲しいなら素直に泣き、怒りがわいてくるなら怒り、笑いたきゃ笑う。とことん体験する。
現状が気に入らなかったら、そのおおもとである「思い」をただ選び直せばいい。
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ミテがやだなぁって思っていたのは、いわばシュード(pseudo:ニセの、似非、インチキ)・ポジティブシンキングだな。PPTと名付けようか?
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「嫌われたらどうしよう」という怖れ・不安をもっているとき、ひとは自分もだれかを嫌ってはイケナイ、そんなことを言ってはイケナイと思うのだろう。
好き嫌いなんて理屈じゃない。まれにはわたしを好きな人がいる。ラッキー! たまには嫌う人もいる、って理解していれば、こんなとこで悶々汲々としなくてすむんだろうな。
みんながわたしを「好き」な状態……わたしが暴君だったらあり得るかも。表面的に。
逆らったら殺す、お家断絶、一生牢獄と脅して、恭順を強制する。
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「嫌われたらどうしよう」「みんなに好かれたい」はある意味、とっても不自然な思いなのね……。
それに本当のほんとの本音の本質は「みんなに」じゃなくて、「おかあさんに嫌われたらどうしよう」「おとうさんに好かれたい、認めて欲しい」ってことなんだろうな。親に嫌われたら、子どもは生きてけないもの。ものすごい恐怖。この恐怖が解消されないままだと、それはさらにふくれあがり歪み変質し大暴れする。
スターリンもヒトちゃんも、家康も秀吉も、こんな要素もあったのかのぉ。
2005.2.6(日)だれがクック・ロビンを
「イライラして誰かを殺そうと思った」……火をつけようと思った、もあるけれど、どうして殺そうと思うんだろう。
わたしも腹を立てると、「殺してやる!」「死んじまえッ」なんて思う。子どものころ弟とケンカして、よくそんなことを言っていた。おまえが憎いから「くすぐってやる!」「足を痺れさせてやる」「喜ばせてやる」「改心させてやる」ってことにはあんまりならないのね。
死ぬ、殺す……が「究極の罰」っていう意識なんだろうか。だから昔からひとを捕まえては殺してきたんだろうか。いまでも「極悪人」は死刑にする。日本や米国などにおいては(やっぱふたりは仲ヨシね?)。
テレビやマンガや小説や、いろんなメディアで「殺す」「死んじゃえ」って言葉をフツウに毎日、見聞きする。前世から今生へ、親から子へそれは伝わり、世間にはびこり、文化として定着してる?
この意識があるうちは死刑も容認されるし、誰かに殺されるひとが後を絶たないのかも。安城市のスーパーで殺された赤ちゃんのように……。むごい。
そして私も含め社会のすべての人にしみこんだ「殺す」「死ね〜っ」って意識が、この事件を起こしたのかも……。
故意に命を奪うのはやめようや、死刑もおしまいって時代になったら、殺人も自殺も減っていく??
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ブッシュはエール大学の秘密結社「Skull and Bones:どくろと骨」の一員である、とTBSテレビでやっていた。権力の中枢にメンバーが多数いて、ヒトラーを礼賛してて(?)、世界制覇(人々から自由を奪うこと)をたくらんでいる、とか何とか。
おお、ブッシュを追い落とすよい材料か!? 秘密結社とは! テレビでも親ブッシュ派の自民党員が「こんなの反則だ」ってムキになってたから、相当ヤバゲなんだろう。
でもまぁ、アメリカのテレビ局CBS(大統領選前に報道していた)によると民主党のケリーもメンバーなんだってさ。うーむ、政治家とか権力者とかいうのは結局は同じ穴の狢(ムジナ)なのか?
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選挙ではイメージが大事(CMだって、ゲイノージンだって、野菜だってそうなんだろうけど)。アメリカの国旗を意識して紺のスーツ、白いシャツ、赤いネクタイ。マバタキは少なく。
「民主主義の国」アメリカでも親が共和党びいきだから、子どももなにも考えず共和党支持……ってケースが多いようだ。政策や実績よりイメージで踊らされている……踊っている有権者。庶民。
でも、イラクに送られた米兵が、現状を目の当たりにしてアンチ共和党、アンチブッシュになったりしているようだ。公約、イメージ、言葉より、体験はずっと重い。
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でもねえ。
「あんたはまばたきが多すぎます!」なんて怒られて、自然な自分を否定されてるブッシュも哀れだね。「強い強い」なんて言いすぎだし、まばたき多いし、小心者なのかもしれない。
好きでやってるんだろうけどね……。そうね、好きでやってるんだから、かわいそがることはないし、批判することもない。
ただ、ブッシュのイメージは嫌い。
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そうは言ってもわたしも似たようなもんかな。場のエネルギー、ひとのエネルギーにすぐ左右されてしまう。踊らされる。
楽器屋さんで「いい楽器にしようよ」と言われるとそうかな、と思う。靴屋さんで手入れの仕方を教わると、これからはちゃんとやろうと思う。本屋さんではこの本を買おうって気になる。本を読んでると、著者の考えに賛同しようって気になる。ぜんぜんカンケーのない分野でも鼻の先につきつけられると、興味をもたなくちゃ悪いみたいな気分に……。
余計なものを買わされるパターンなんだな。
相手に共感して賛同しないとイケナイ、シツレイだ、みたいな意識なのかな。
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父は子どもと遊ばないヒトだった。仕事では電気の専門家らしかった。小学校2年生くらいのとき、授業で電池と豆球を使った実験をした。電池直列だと明るい、並列では明るくならない……ってやつ。
それを聞いた父は熱心に「ボルトが、アンペアが」と教え始めた。授業ではそんな言葉、出てこなかったけどね。
「いつも遊んでくれないおとうさんが、こんなに熱心に説明してくれてるんだから、謹聴せずばなるまい。ありがたい」と思って必死だった。猛烈に眠かった。さっぱりわかんなかった……。
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おそるべし。8歳にしてすでに獲得した態度なのね。相手の思いを察知して、できるだけこたえようとする……。
後年、これは望まないセックスにつながったりもした。相手にわるいと思って断れない。で、傷つくが、傷を徹底的に否認する。わたしはこの人が好きだからいいんだ、と自分を誤魔化す。愛じゃないから破綻する。
苦しいはずだ。
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ほんとうに自分が望んでるのか。望んでると錯覚してんのか。
すこしは区別がつくようになったかな。相手の意を汲んでも、イヤならやらないってことも試している。「自分自身になっていく」ためには大切だもんね。
区別が難しいときは、時間が教えてくれる。多くのものは抜けていく。忘れちゃう。1週間で忘れはてることもある。数年経って消えていくものもある。2秒ととどまらないものもある。
長く残っているものが「わたし」なんだろう。
忘れても忘れても、「必要なこと」だったら、また来てくれる。去る者追わず。来るもの拒まず。目の前において好きか嫌いか吟味を重ねるうちに、だんだんわかってくる。
いらんものをしょいこむ必要なんか、ないんだ〜。
2005.2.7(月)比例とガス抜き
「困った人だけど、楽器はうまいんだよねーーー」「逆に楽器さえ弾かなきゃいい人なのに、ってのもいるんだよねーーー」。
なんだか、「いい人」と「楽器の上手下手」とは関連があるような会話をして、苦笑い。そんなのカンケーあるわけないじゃん。独立事象なんだから!
梨園の御曹司が、大虎を演じたって話の取り扱いも、「家柄(芸?)」と「人格」は比例するって意識があるみたいで笑っちゃったことでした。
結婚相手が高学歴ならおんなは幸せになれる……と同類(?)の大きな勘違い!
学校の成績とヒトガラはまったく関係ないのにねぇ。
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だれかがなにか言ったら、できるだけこたえてあげなくちゃ、って意識が根強くあるような気がする。
話を聞いて、相手の望むことをしてあげなくちゃ!
だから、逆に自分のキモチを飲み込んじゃって、なにも言わずにすまそうとすることがある。
でもカウンセリングでは、その人の話に共感することが大切。現状がなにも変わらなくても、気分が変わる。収まる。たしかにそうだ。
役所ではそれを知っていて、利用する(悪用(;^_^??)。反対運動などが起きたとき、集会を開いて住民の意見を聞く。なんでも言ってもらう。ひととおりしゃべると、気が済んでしまうので、反対運動のエネルギーもしゅるるるっ……としぼんで、お役所はことなきを得る。
「ガス抜きって言うんだよ」とお役人が教えてくれた。むむむ。
知恵が回りますこと! いや経験則か。
ひとりで抱え込んで悶々とするより、言いたいことは言えばいいんだな。でもこのことこそを、怖れていたんだよねーーー。
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なんで自分の傷を認めたくなかったんだろう。否認するのがくせになっていたんだろう。
ひとを傷つけるのは悪いことと思ってきた。傷があったら、だれが傷つけたか、ってことになる。それが母だったら(そういうケースは多い。母子は密着してるもんね)、母が悪者になってしまう。あるいは父が……。
子どもにとって、親は「ぜったいにいい人」「正しい人」でなくてはならぬ。そう思いたい心の仕組みがある。
ゆえに、「傷ついてなんかいない!」と否認に否認を重ねてきたんだろうな。
目の前の現実を否認するには、ものすごいパワーとエネルギーがいるだろう。なんたる浪費であったことか。
2005.2.8(火)いたのね、こんにちは!
雑用をしているとき、「なんで私がこんなこと……」と思っているのに気がついた。そんなシモジモの者がやるようなこと、というニュアンス。
自分から「あ、やるよ」「それ、もつよ」と言ったときでも、心の底からブツブツいう声が聞こえる。
笑っちゃうな。あなたはナニサマ(;^_^A?
でも、そこにいるのね。こんにちは! 気がついたから、ね。いままでほっといてごめん。なかよくしようね〜〜。
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そっか。それで会議事務局次長だの、教授秘書だの、究極の雑用係遍歴をしてきたのねーー。
この子に気がついて、ケアしてあげるために。存在を認めて、受け入れて、許して、暖かく迎えてあげるために。
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レジでうしろにいたオヤジがうるさかった。奥さんに「だからああしろって、言っただろっ」なんてブツブツブツブツ。
こいつのいる職場も家庭も雰囲気わるいだろうなーーー。あ、でもそうだった。ガス抜き、ガス抜き。言いたいだけ言わしちゃるんだっけ。
……でも、……できそうもないなぁ(~_~メ)。
だって、むかつくんだもん……。
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ガス抜きをはばむもの、聴き手の怒り。ガス抜きが必要な者、怒っている人。
つまり怒りのデッドロック♪ なかなか解消しないわけだ。
♪♪♪♪♪♪♪
佐藤愛子さんの本をすごい勢いで読んでいる。図書館で借りて、一日3冊読了ってことも……。収蔵庫にある本をリクエストすることも覚えた。
だけど、なんでこんなに読んでるんだろ? わかんない。憑かれたよう……。
買ったまま手つかずだった、シャーリー・マクレーンの「カミーノ」も原語で読んでる。アメリカにいたとき、本屋Barns & Noble で雰囲気に染まって買った。それはわかる。でもなんで手にとって読んでるんだろ。なんでだろ? わかんない。
まぁいいや。
2005.2.9(水)電話不親和
「携帯替えたから、わるいけどメールとワンギリして」と言われ、すぐメールした。
でもワンギリとやらをしたのは30時間後くらい。ダイヤルしてどきどき。彼女が出たら、どうしよう!?
……って相手は親しい友だち。出たらしゃべればいいんじゃん。それだけのこと。
わかってるよぉ、そんなこと! でも電話はやなの。苦手なの。
そーか。そこまで苦手だったのか。悪かったよ、いままで認めてあげなくて。ごめんね。
あ、それでかぁ……。
セッションに来る人が道に迷って電話してくると、我知らず不機嫌になっていた。電話で話す、って状況にイライラしてたのね〜。ほかにもあるけど、とりあえず納得。
♪♪♪♪♪♪♪
「きのうつくった肉じゃがもおいしかったけど、なんかほかにおいしーもん食べたいと思っちゃうの」とダンナに言った。
「いいんじゃない? ぼくも中華街に行きたいなぁ、と思うし……」。
はっ、そうか!!
「現状に満足しないで、ほかにほかにって思うのはどうよ!?」って自分を責めてたんだ〜。そんなゼイタクはいかんぞ、みたいな。満足してこそ、感謝してこそ、みたいな。
またしてもこころの中の「かくあるべし」を掘り当てたのでした。
このカクアルベシはもういらないわぁ。手放します。さよーーなら。いままでありがとね。
2005.2.10(木)わたしはわたしなの
アスファルトやコンクリで舗装したとこしか歩かない。地面に直接さわらない。虫もいじらない。雲も見上げない。花も摘まない。
大地の気、生きるエネルギー、生命力の輪ッかにふれない。
案外そんなことがアレルギーやストレス病や精神疾患や自殺を増やしてるんじゃないか、なんて思うようになった。なにも根拠があるわけじゃない。直感。
佐藤愛子さんが対談でそんなことを言っていた。わぁ、やっぱり?
♪♪♪♪♪♪♪
でも「いまの人は我慢しないからダメ」っておっしゃるのには、反対!
むかしの子どもたちとおんなじくらいガマンしてるんじゃないかなーーー。だけど、生きるエネルギー、生命力がひからびていて、大変なことになっちゃうんじゃないかなーーー。
♪♪♪♪♪♪♪
生命力。いのち。愛。神。喜び……どれもおなじもの。
ここから人間を引き離そうとする力がとても強く働いている。ここに戻そうとする力が萌えだし、広がり始めている。
ような気がする。
♪♪♪♪♪♪♪
佐藤愛子さんはときどき(?)、アホの真似をなさるようだ。人のいないところで、訳のわからない奇声をあげ、おかしなふるまいをする。むかしはお嬢さんに「指導」したりして!
実はミテはしばしばアホの真似をする。ひとりでいるときは、し放題!
えへ、お仲間、だ。
子どものころ、「バカみたく口をぽかんと開けてんじゃないの!」とよく怒られた。
「口ぽかん」は私にとっては自然だったのかもしれないなーー。いまもそうなのかもしれないなーー。
♪♪♪♪♪♪♪
バカのように見えようが、お利口さんに見えようが、わたしは私。わたしに変わりないのにな。
しわがあろうが、シミがあろうが。勉強ができようができまいが。奇人だろうが、変人だろうが。足が速かろうが遅かろうが病んでようが健やかだろうが。太かろうが細かろうが。
……いや、やっぱ細い方がいいな(^^;)。
2005.2.12(土)セルフ〜♪
「ハイアーセルフとつながりたい」と言われ、おお、そう思う人は多いだろうなーーー、ごく自然な感情だろーな〜と思った。
最近、どっかでハイアーセルフは守護霊、守護天使、潜在意識でもある、ってのを目にした。宇宙も神もそうかも……っていうか、「すべては一体」なんだから、そーなんだ。
つまりハイアーセルフ(より高い自己)もロウアーセルフ(より低い自己)も自己……自分だし。自分の中に全て、宇宙があるのだし。
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ハイアーセルフとつながるってことは、自分を深く知るって事なんだろうな。
自分の中にあるさまざまな声……ハイアーセルフの声、内在化した親の声、憑いてる霊の声、ロウアーセルフの声、なんども聞いてるうちに刷り込まれた声、「常識」などなど……を区別できるようになればよいのだ。
そして究極的には、すべてが自分。つまり「セルフ」。
「クソ婆ぁっ」なんて誰かを罵る自分を愛して許したとき、その自分はほんとにわたしになるのだ!!
2005.2.15(火)あつものに懲りて
おとといはダンナのオケ(オーケストラ・ダスビダーニャ)本番。早起きして、午前9時池袋の東京芸術劇場に集合。わたしは裏方で、買い出し係などいたしました。
「なんでわたしがこんなシモジモの者がするようなこと……」とブツブツ言っていた「女王様」は出てきませんでした。「はろーー、そこにいるのね!」と認めたから、満足しておとなしくなったのかな。消えたかな。
演奏は客席で聴き、レセプション(打ち上げ、宴会)は2次会まで参加。
淡々とすぎていく日常に、これはホント「ハレ」の日、祭りでした! エネルギーが噴出して、いろんなものが吹っ飛んでった感じ!
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すばらしいソロを弾いた人たちに「よかったよ!」と伝えると、「すごく練習したの。大変だった」「プレッシャーがすごかったーーー」って。
悠々とヨユウで弾いているように見えたけど、みんないろんな思いをして、苦しい思いも辛い思いもして、人生を生きているんだなぁ……と。そうなんだよね。
それを知って余計、「いい演奏だったよ」って思った。
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年1度の演奏会がもう12回目。はじめは大学生だったメンバーも30代。
「Nクンが初めて乗ったのって、11番だった? そのとき、大学3年でしょ? それが『おとうさん』なんだもんねぇ」なんて会話も。
大学の時はオケの部室で何時間でもたむろってたんだろうけど、いまは人生で仕事が一番忙しいお年ごろかも知れない。練習時間も少ないし、子育てで休んでる団員も……。
これからどんな風になるかな。どんな風になっても、「いいよ!」って暖かいキモチ。
みんなありがとう! 札幌から青森から新潟から福岡から……みんなが集まって、ありがとう!
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ひとを警戒しちゃったり、悪く悪くとってしまったり。
まぁ、魔女狩りに遭ったから、殉教したり、迫害されたりしたから……人が怖い。うむ、前世もカンケーあるんだろうけど。
いや、ひょっとして!?
ワタシは母を警戒している。いつどんな言葉で胸をえぐられるか。こころを刺し貫かれるか。怖くてたまらない。いや、最近は軽減されてきたと思うけどなーーーー。
でも世界中で一番「おそろしい人」なのかもしれない。あれほどわたしをズタズタにするひとはほかにいない。
その「おそろしさ」をほかのすべての人に投影して、怯えているのかも!???
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親子ちゅーのは、近いだけに遠慮会釈がないし、一番の凶器(狂気!?)になりうるのよね。そっか……かーちゃんの影におびえて、なますを吹く、か。
あれっ?? ことわざがなんか違う!
2005.2.16(水)平安
「そっち、柱があるから気をつけて!」と奥さんに注意をうながすと、車はスルスルと柱に吸い寄せられていく。あああ、ぶつかるぅ!
……と、ゲリー・ボーネル(予言者)がなんかに書いていた。
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「お産なんて自然なこと」とどーんと構えている人は、いろいろ雑誌や本を読んで不安解消につとめている人より安産が多い。
……と、知り合いの産婦人科医が言っていた。
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ひとの不安は現実化して、不安な出来事を引き寄せる。車はぶつかり、難産になる?
アタマで考えると、対処法を手に入れ、万全の備えをすることでトラブルを回避できるように思うのだが、実際には逆なようだ。
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ひとのこころから不安や恐怖が減れば、不安な出来事、恐怖を引き起こすデキゴトは減る。
「凶悪事件」が起こるたびに思う。この事件で不安や恐怖が増えれば、またおなじようなことが起きるだろう。そしてまた不安や恐怖が大きくなり……雪だるまのように大きくなり続けるのだ。「犯人」たちもおなじ大きな不安や恐怖を抱えているのだろうから。
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9.11のすぐあと、ヴァイオリンのレッスンがあった。
ヴィクトリア先生はマンハッタン在住。レッスンの順番を待っている間、ドア越しにいつもと変わらぬヴィクトリアの快活な声が聞こえてきた。
その声にものすごく安心した。「あんな悲惨なことは起きなかったんだ……大丈夫なんだ。なにごとも昔どおりなんだ」。まぁ、否認なんだけど……すごくホッとした。
「いつもどおりの声」があんなに恐怖と不安、落胆を拭ってくれるとは思わなかった。
生徒が幼子だったので、彼女は努めて明るい声を出していたのだった。わたしたちだけになると、「ああ、酷いことが起きた……すごいニオイなの……」と彼女は不安を口にした。憔悴しているようだった。
わたしも現実に引き戻された。ほんとうにWTCはなくなり(来る途中、まだ煙の上がるその現場を目撃していたのにもかかわらず、認めることができなかった)、大勢が亡くなったのだ……。
抜けるような青い空、雲一つない晴天の日の惨劇。
♪♪♪♪♪♪♪
「どんなときも、なにが起きても平安でいるようにしなさい」。
彼女のいつもどおりの声に感じた安心感。あれは言ってみれば、無理に平静を装ったものだったけれど、それでもすごかった。
不安と動揺、恐怖に伝染して自ら増幅するのではなく、平安・平静をもって恐怖を和らげ消し去る側にいようと思う。
そのためにも、いつも自分の恐怖や不安と向き合い、語りかけ、認める。
不安や恐怖と戦ったり、否定したり、抑圧したりすれば、テキはどんどん大きくなり、猛々しくなる。でも、静かに見つめていれば、一歩踏み込んでしまえば、消えていくものだから。
自分をクリアする! むふふ、水晶のように!
♪♪♪♪♪♪♪
クリアになればなるほど、「見たくない自分」が見えてきて、キリがない感じなんだけどね〜。ははは。
♪♪♪♪♪♪♪
そっか、「クリアでいよう」「もうクリアでいていい」ってどっかで思ったから、タバコと縁が切れたのかなーー。もう煙に巻く必要がないから……。
♪♪♪♪♪♪♪
タバコといえば、もう煙がほんとに苦手。ダンナに至っては海外移住まで考えているよう。
歩きタバカーとすれ違うときには、息を止める。なのにニオイを感じることも。生理学的にあり得ない!? もう超能力の域なのか!?
もう日本脱出しかないのかねぇ。はぁ〜〜。
2005.2.20(日)ちがうけどおなじ
「人のためにやってることは、疲れない」っていう一文を目にした。
わたしは疲れる。
ダメだぁ〜〜って思ったところで、ハッとした。
♪♪♪♪♪♪♪
人それぞれ。疲れる人も、疲れない人もいるだろうよ。
だいたいあんたは少数派なんでしょ! 「大多数」「フツー」に当てはまらないんでしょ! Macユーザー。おんなで、理系四大。国立女子大なんて超レアものじゃん。離婚、再婚。ダンナは超年下……。携帯、もってないし。
まだまだひとの言葉に右往左往しとるのぉ。
疲れたっていいっしょ。
それに「ひとのため」にやってるのか? そういう気負いや偽善性もプンプンしとるが、「なんだか面白いから」とか「不思議だから」とか、そんなもんだ。
人のためかも知れないが、自分のためってところもあるし、渾然一体。で、いいんじゃないかなーーー。
♪♪♪♪♪♪♪
セッションにクライアントさんの守護天使が出てきて、いろんなことを教えてくれた。
ひととどんなに違っても「これが自分なんだ」と胸を張っていなさい、みたいなこと。
クライアントさんにとっても、私にとっても「いま一番必要なこと」だった。
♪♪♪♪♪♪♪
ね、人のためとか自分のためとか、こういうとき、あんまし関係ない。ひとも私。宇宙も私。神と私はおなじもの。あなたもわたし……。17歳少年もブッシュも、ダライラマも、どっかわたし。
2005.2.24(木)鎧ストリップ
ここ数日、激しい感情に翻弄されてアップアップしていた。目に見えないこころのことだけど、言ってみればバッサリ流血の惨事、昏倒、意識不明……みたいな大波。
「いい」「悪い」なんてないのだから、どんな感情も感じよう。とにかく味わい尽くそう。「なんとかして鎮めよう」としない。プロセスに棹さそうとしない。ただ流されよう……とわかってるつもりでも、その激しさと恐ろしさはやっぱり大変だった。
スゴイ怒りがやってきて、クッションをソファに投げつけて、叫び声をあげてみた。滂沱と涙を流してみた。恐怖にすくんで、目の前が真っ暗になった。自分をありとあらゆる言葉で罵倒した。こころのスゴサに感歎した。もう生きていたくないと落ち込んで、「もう死んじゃおうよ」とダンナを誘ってみた。どうせ私なんか、と焦り、人を恨み呪い、ひねくれ、ジメジメ、一生、穴の中にこもっていようと思った。
本を読んで気を紛らわせようとしたり、ボンヤリしたり。
グルグルと堂々巡りする思考。
大切なことに気づけば止まる。知っているくせに、なんとかブレーキをかけようと懸命になっていたり。地を這うような、じたばた、泥沼の中で自由が利かない!
♪♪♪♪♪♪♪
眠れない日が続いて、「もう誰かの人生を背負うのはイヤだ〜〜〜」と悲鳴をあげた。すべての人の生と死がのしかかってくるような恐怖と錯覚。閉塞感。息苦しさ。
境界線があやふやだからこうなるのだ、と自分を叱り、コントロール・ドラマに巻き込まれてふがいないと自分を責めた。自分は諸悪の根元なのでは、と恥の感覚に満たされ悲鳴と悔恨。
でもふと気がつくと、ある夜は眠れていた。
グルグルがやんでいた。気づかぬうちに穏やかな気持ちに近づいていた。
夜明け。曙光……。
まだ引きずっているが、満身創痍って感じからは抜けた。とりあえず血が止まり、カサブタができてきた……ような感じ。
うむむ、数日でここまで来るとは! 以前なら何週間も何ヶ月も悶々としていたようなこと。天晴れ!
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そうしてなんだか、生まれ変わったような……またひとつ自由になったような感じ。
息を切らせて、なんでこんなに苦しいのとブツブツ言いながら山を登り、眼下に美しい新しい世界を見たような、感じ。
ヴァイオリンのレッスンに行ってわかった。前より少し自由になって、前よりいっぺーこと楽しさが増していた。
鎧を脱いではじめて、「鎧、着てたんだ〜」と気がついたような感じ。
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苦しんで落ち込むことで、こんなご褒美をもらった。
巻き込まれて初めてわかる、苦しんで初めてわかることがいっぱいある。成長するとき、必ずしも苦しみは必要じゃない。だけど、苦しんだときは必ず成長する。えーーーと、十分条件と必要条件……だっけ??? ひーん、どっちがどっちかダンナに訊かなくちゃ。
すべてが実りにつながるんだね。
まだ残っている恐怖心だって……ね。いいこちゃん♪
容易じゃないけど……これしかないから。感情を自由に流して、全て感じて、そして平安がやってくるから。
2005.2.25(金)傷ついておめでとう!
友だちんちで、赤ちゃんを抱っこしながらおしゃべり。撫でたり、話しかけたり、笑わせたりしながら、思った。
つい最近まで赤ちゃんが恐ろしかった。
きっと素の自分、傷だらけの自分を見たくなかったからだ。彼らは不思議な力で鎧を脱がしにかかるからねぇ……。
こんな日が来るなんて……やっとちょびっと自分に正直になれたのね。
やはり子どももたない主義だった弟のとこにも、このたび産まれることに。彼にもなんかの「準備」ができたのかもね。
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こころの傷の大部分は子ども時代に刻みつけられる。大人になってからは、新しく傷つくよりも、はじめの傷つきを「再現」するってことなんだろう。なんども繰り返すパターン。
「傷つけられた!」という言葉を使うけれど、現実には「昔つけられた傷が呼び出されちゃった!」なのだろう。
「ひとりだけ甦れ!!」みたいな感じ? アイアン・シェフ! 料理の鉄人!
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で、たいていはその相手を憎むんだけど、本来は傷を自覚する好機なんだ。
傷があるってわかんなきゃ、治療にとっかかろうと思わない。どんな傷かわかんなきゃ、どの薬が効くかわかんない。
「傷つけられて」はじめて、「わたしに傷が!?」と気づく。そしてすべてが始まる。ビリビリに千切れた自分を拾い集めて、つなぎ合わせる。すこしずつ自分をとりもどす。力をとりもどす。
人生ってそーゆーものかも。
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苦しかった数日。こころのうんと奥底をグチャグチャにかきまわされ、ヘドロが大量に巻き上げられた感じ。
わけわかんなくて、混乱した。はじめは怒って、相手に「思い知らせてやるっ」と思った。で、これは「復讐心」なんだなーと気づいた。自覚してない傷が疼いて、憎しみが燃え上がる。
なーんだ、まだまだ傷だらけなんだ。当たり前だけど……。
憎しみを感じてると、すこしずつ薄れてきた。
次々に出てきた怒り、憎しみ、恐怖、不安、悲しみ……心に吹いた風が少しずつどっかに運んでいった。巻き上げられないで、沈殿したままだったら、こいつらはずっと居座り続けていたよねぇ。
「傷つけられた」から、浄化と癒しが起きた。パワースポットの町セドナと同じ効果では!?(ひとによって効果は違うんだけど、ミテは行くたびにその後おおはばに落ち込んで、自分を見つめざるを得なくなる)。
セドナに感謝するのだから、傷つけらたことに感謝。傷つけてくれた人に感謝。
……や、正直まだ半分くらいは怯えてるけどね。
そして、「赤ちゃん、恐い(>_<)」が消えていったように、いずれは「傷つけられるのも、大歓迎よ!」に変わっていくんだろう。セドナにはまた行くだろうし……。