2005.8.29 更新

2005.8.3(水)海老フリャー!?

名古屋駅で「えびフリャー弁当」を買って、弟一家に会いに行った。姪っ子と初対面。

弟たちには奈良のお弁当と東京のお弁当、われわれは名古屋名物の、と思ったの。

すると!!

地元で海老フリャーなんて言う人はいない、と!

びっくりぃ。

しかも弁当の海老は尾頭つき。海老フライといえば、アタマはとってあるもの。名古屋は違うのか……と思ったら、またもや「頭付きの海老フライなんて見たことない」と義妹。じゃ、じゃぁ、この弁当は!?

真実というものは……。

♪♪♪♪♪♪♪

日本にいる間に(移住予定があるわけじゃないが)、日本を旅行しよう。

伊勢神宮に行ってみる。お社が古代日本ってカンジで面白かった。

ご祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)。女神さまだよね。

太陽神は男性、って神話が多いかも知れないのに、ここでは月は男性。逆なの。

古来、女性が社会の中心にいたのに、男性がとって代わったといわれている。「敵が来るぞ! 女神さまをお守りせねば!」と叫んで、人々に恐怖を植え付け、望みの権力を手に入れた……。

うーん、日本はその前の女神さまがご健在なのか……と、「ダビンチ・コード」を読みながら思ったことであった。だけど天皇は男性だけ? ははは。

♪♪♪♪♪♪♪

わたしたちと弟たちは、大地震が予想される地域に住み、親は大噴火が予想されるトコにいる。そっか、湘南は富士山噴火も可能性がある。二重苦だね。

弟、義妹、姪ッ子と一緒にいながら、ひょっとしてもう会えないかも、とどっかで考えていた。だから、会える機会を大切に……。

お友だちだって、ほかの親戚だって……そうなんだよね。

死んだからって、消えてなくなるわけじゃないし、これまでもこれからも何度でも会うのだけれども。

目次に戻る


2005.8.4(木)創造者にして被造物

ダンナが昼寝をしてるあいだに、楽器の練習をした。あんまり長いこと寝てるので見に行くと、いつもは開いている寝室のドアが閉まっていた。

このひとつの事実に対して……

わたしの演奏が下手だから、うるさかったんだ!
ヘタなくせに弾くなんて、迷惑なんだ!
ヘタで迷惑だと思うなんて、わたしのこと、嫌いなんだ!
こんな風に嫌われるなんてひどい!
もう生きてるのはイヤだ!
生きるなんて辛いことばかり!

……という具合に、モーソーがどんどん展開していった。

極端な例ではあるけれど、一事が万事。

わたしの毎瞬毎瞬は、主にこんな風な「頭の中にすでにある思いこみが参照され、そこからイジワルな解釈や不安・心配が新たに生み出される心象活動」であり、余分な苦しみを自ら創り出して勝手にのたうちまわっている……なんてことなんではなかろうか。

だんなが言うには「うとうとしてたら、大きな音がしてびっくりしたから」とのこと。なーんだ。彼は故あってビックリしやすい人なのだ……。

たしかに、わたしの人生を創っているのはわたし、なんだなぁ。

しかも現状はちょっとアホらし。

目次に戻る


2005.8.7(日)罪の意識

ここんとこ、原爆・戦争関連の新聞記事やテレビ番組が多い。

被爆者だけではなく、原爆製造に携わった科学者、エノラ・ゲイの乗組員、実験で被爆した米兵の話……。

「被害者」だけでなく、「加害者」にも涙が出てきてしまう。

そういえば、わたしも加害者であったから……。ある人生では、ある文明を滅ぼした。今生でもたくさんの人を傷つけた──故意の場合もあるし、怒りのあまり仕返しとしての場合も、思いがけずの場合も……。

罪の意識に、悶え、のたうちまわることもある。なかなか自分を許すのは容易じゃない。

♪♪♪♪♪♪♪

今日は「ダモイ」という芝居を見た。シベリアに抑留された日本兵。どういう裁判でか、25年の刑を言い渡されたりしている。ダモイ(帰国)を赦された人々を見送る。自分はいつ帰れるかわからない。

主人公の山本幡男さん(実在の人、平田満さんが演じた)は「僕はね、このシベリアへ送られて尽尽良かったと思ってるんですよ。……人間が生きると云う事はどう云う事なのか……このシベリアで学んだ様な気がするんです」と。

家族に宛てた遺書で、しあわせに健康にすごしてほしい、と願う。

いまの当たり前の毎日。なんとなくすぎていく日々……。あたりまえのありがたさを、あらためて考える。つい忘れてしまいがちなこと。

世の中に不幸せな人がいるかぎり、自分は幸せになってはイケナイと思う。子どものころからのクセだ。

でも、そうではなく、自分が幸せになって幸せを広げていったほうが、よりたくさんの人に平和をもたらすのではないかしら?

そのために、自分の中の被害者も加害者も許し、抱き取ろう……。

目次に戻る


2005.8.10(水)排膿

戦時中、兵隊にとられた野球選手が復帰したものの、成績が芳しくなくクビになった、という話をテレビで見ていた。そのとき、お子さんはまだ幼い。

てことは、「この子さえいなければ」とこの人は思ったんだろうな、と考えていると、ナレーションは「この子だけが生きる望みだった」と。……そんな!?

わたしのココロには「子どもは邪魔者」という思いが、深く深く根を下ろしているらしいとわかった。

♪♪♪♪♪♪♪

なんとなくイライラと無気力。「わたしなんか……」という気分が強い。

なんでだろう、と思っていると「ほんとに気が利かない。役に立たないわね。いないほうがマシ」という言葉が浮かんできた。しばらくすると、「あんたなんか産むんじゃなかった」と。

まだこの言葉が突き刺さったままなんだなぁ……。こどもが邪魔なわけだ……。

なにかに(父? 祖母? 近所の人? 社会?)に追いつめられて出てしまった言葉なのか……。追いつめられた人は、他者を破壊する。テロ。きっと、あちこちのお家で、職場で、社会でいまも毎日起きていること……。

♪♪♪♪♪♪♪

お腹がすいたとき、ついついお菓子に手が伸びる。甘いモノが好きだから、めんどくさいから……と理由は考えつくが、いまひとつ腑に落ちない。不思議だった。ちゃんとご飯を食べればいいのに、と頭では考えているのだから。

でも、わかった。

甘いモノ、お菓子類は買ってきてすぐ食べられる。母の手を煩わすことなく食べられる。

ご飯では、母に面倒をかけてしまう。産まれてこなければよかったような私に、母の世話になる資格なんかないんだ……そういう思いもあるらしい。あまり奥深くにヒッソリとあるので、いままで気がつかなかった。

♪♪♪♪♪♪♪

家事が母を追いつめていた……部分もあったのなんだろう。完璧主義みたいなとこ、あるし……。マジメでキリキリしちゃって。目を三角にして、髪振り乱して……。

て〜げ〜な(アバウトな、おおらかな、寛容な、いい加減な、ゆとりのある)人だったらどんなによかったかなぁ。

胸と喉と鼻と首のうしろあたりが重い。ここで、インナーチャイルドがなにか訴えている……。

目次に戻る


2005.8.12(金)つながり

母の「あんたなんか産むんじゃなかった」発言に関連する感情を感じていると、死んだふたりのおばあちゃんが出てきた(気がした)。

もう勘弁してやって、と。ふたりそれぞれに責任を感じてるようだ。

ひとりのおばあちゃんは、母親(わたしの曾祖母だな)に置き去りにされた。あまりに横暴な夫に耐えかね、曾祖母は家を出てしまったのだ。長子だった祖母は15,6歳かな。乳飲み子だった末っ子の世話までしなくてはならなかった。

祖母の筋金入りのイヂワルさには、こんな背景が……。悲しみや怒り、憤り、憎しみをたくさん抱えていたのだろう。

もうひとりのおばあちゃんも自分の両親を知らない。事情はよくわからないが、祖父母に育てられ、恩返しをするために早くから家を出て働いていたそうだ。秋田から北海道を経て東京へ……。「おばあさんは苦労ばっかりして……」と母は言う。祖母もいろんな思いを胸にしまっていたんだろうな。

そういうおばあちゃんたちの「思い」……未消化・未浄化の悲しみや怒りや辛さをわたしも受け継いでいるのだろう。

そして戦争。終戦の年、母はいまでいえば中学か高校くらいかな。鬼畜米英と云っていた大人がハズカシゲもなく、掌を返したように、米国に媚びるのを見ている。若い柔らかいこころに刻まれた人間不信。

わたしにも母を通じて色濃い影を落とす。「戦争を知らない子ども」だけど、あの悲劇と無縁ではあり得ない。すべてはつながっているのだから。

おじいちゃんのことはよく知らないけど、そういった諸々が「産むんじゃなかった」と母をして言わしめたのだ。一族の、民族の、社会の闇。

♪♪♪♪♪♪♪

とはいえ、わたしは生きている。

それを云ったとき以外の母が、わたしを生かした。母以外の存在が、宇宙が、神が、わたしが、人々が社会が、生きることを許してくれた。

いろんなことがあるけれど、やっぱり愛されてる。許されてる……んだなぁ、と。

なんだかんだあっても、ここにいていいんだ……なぁ、と。

目次に戻る


2005.8.19(金)自分いじめの弊害

「ああ、あの人を傷つけてしまった……」と罪の意識に苛まれる。「わたしはなんてことをしてしまったんだろう……」といつまでも自分を責める。

で、「あの人」とひょっこりまた出会う。

今度こそ、思いやりをもった態度で臨めるか……と思いきや。

やっぱり以前と同じような剣呑な気分に。しかも、前になんで腹を立てたのかも思い出せないと云うのに(-o-;。

♪♪♪♪♪♪♪

罪悪感というやつ。

「罪悪感はものごとをいい方には運ばない」「かえって悪化させる」とあちこちで読み、聴いてもいたが、いまいち腑に落ちなかった。

でも、やっぱりそうだった。罪悪感があるからこそ、相手を理不尽に恨んだりもしていたのだ。

自分自身を許して初めて、さっぱりと水に流すことができ、あらためてよい関係を築くことができる。

♪♪♪♪♪♪♪

罪悪感があるからこそ、なんど後悔しても相手をひっぱたき、傷つけ続ける。しかも自分も血を流しているから、のっぴきならないことになる。

罪悪感があるからこそ、相手に会うことができない。でも、お相手はあなたに会うことを心待ちにしているかも知れない。強い罪悪感が死ぬまでふたりを引き裂くのかも知れない。

罪悪感があるからこそ、悲惨な体験が語り継がれないで消えてしまうのかも知れない。罪悪感が学びを妨げ、おなじ歴史を繰り返す……要因になるのかもしれない。

♪♪♪♪♪♪♪

では罪悪感から抜け出すには? 自分が罪悪感を感じている、と気がつくこと。苦しんでいると認めること。気がつき、認めることができたと感謝すること。罪悪感の苦しさをたっぷり味わうこと。

ある日、気がつく。罪悪感が消えてしまったことに……。

「抵抗し、戦うと相手は強くなる。静かにみつめると、相手は消えていく」。

面白いことに「やめなくちゃ」「抜け出さなくちゃ」と頑張ると、敵は強くなる。「わたしは罪悪感なんか感じてない」と否認すると、敵は強くなる。

♪♪♪♪♪♪♪

またまた実践。練習だ。

目次に戻る


2005.8.29(月)居場所はつくるものかも

年々、お米が柔らかめになっていくと米屋さんが言っていた。気温が高くなっていることと関係があるんじゃないか、って。そんな身近なところに変化が……!

自分では炊き加減の変化に気がつかなかったけれども。

♪♪♪♪♪♪♪

「居心地の悪さ」「居場所のなさ」は、つまり「どこにいっても意地悪な人ばかり」と思っていたことの反映なんだな……。人間が怖い、嫌いという意味だったんだな。

♪♪♪♪♪♪♪

見知らぬ人からメールが来て、数時間経つと「無視しないでください、心を開いてください」と返事の催促が……。

不愉快で、ほとほと疲れてしまった。

なにかに抵抗して疲れたのだろうけど、なんだったんだ。

わきあがる悪感情を抑えようとして? その人の図々しさを押しとどめようとして? 不気味だ、なんだこいつという不安な気持ちを「いけないわ、そんな風に思っちゃ」と消そうとして? どんな風にいい人を演じようか、と悩んで? なんとかやめてもらおう、と思いあぐねて? 「他人は変えられません」と、いつもセラピーで言ってるくせにねぇ……。

分析しないで、なんとかしようとしないで、解釈しないで、「ただ感じる」というのはまだ難しい……。

ジョナサン・ケイナーの星占いには「不愉快な思いをするが、喜びに変化する」とあった。むむむ……。そうなってほしいよ!

次に進む 目次に戻る

inserted by FC2 system