2006.5.1(月)伝えよう
朝起きると、あちこち筋肉痛。腰痛もちょっと悪くなっていた。
もみかえしってやつかな?
もうマッサージは頼まない!!
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……昨夜のマッサージ師さんを恨んでることに気がつく。
やれやれ。
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生まれて初めて全身マッサージをしてもらった。
宿泊先で頼んでみた。
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結構痛かった。
わたしは痛がりなのかもしれない。「痛い」と伝えて、加減してもらえばよかったのに。
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誰かになにかをしてもらっているときに、こちらの都合を言ってはイケナイという思いがある。
この場合「痛い」と言ってはイケナイと思ってしまう。
気兼ね?
幼いときからそうだった。父や母に対しても。それで家の中でぶっ倒れてしまったことも……。
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それですめば気兼ねしてたって別にいいんだけど、あとで相手を恨んじゃうわけね。憎しみとかネガティブな思いを溜めこんじゃう。
それは……あんまりいい感じじゃないよね。
相手だって、恨まれてるなんて夢にも思わないだろうし。
それはわたしの責任だ。
2006.5.19(金)太平洋を越えて
夢でうなされ、起きるとぐったりと疲れている。
肩も凝ってるし、腰も痛い。
見ていたのは……咸臨丸の夢。
「咸臨丸 海を渡る」(土居良三著、中公文庫)という本を読んでいるからなのだが、覚えているのは「うう……咸臨丸がアメリカに行ったのは1845年(どこから出てきたんだ、この年号は??)ではなく、1860年……100年経って、わたしが生まれた……日米友好通商条約から100年……」という内容。
うなされる要素はないんだけど……うう、疲れる。
2006.5.20(土)おしえと相性
なにかに取りかかる前には、よく考えなさい。
と、言われてきたような気がする。軽はずみなことはしなさんな、ってことなんだろう。
それなりにありがたい大切な言葉なんだろうけど、わたしにはあんまり適切な注意ではなかったかも知れない。
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なにかをしようとする。あれこれ考える。悩みだす。心配になったり、とてつもないだいそれたことをするような気がしだして不安になったり、やっぱり相手に迷惑かもとも思い、結局やめてしまう。
お出かけも、落ち込んでいるときには掃除や洗濯なんかもできなくなってしまう。金縛りにあったみたいに……。
わたしに必要なのは、「下手の考え、休むに似たり」ってやつなんだわ。
考えんと、動こうよ、って。
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よい諺(?)も万人向けってわけじゃないのね。適材適所っていうか、適言葉適人だといいね。
2006.5.23(火)のろくてよくてよ
そういえば、リラックスしたことってあるだろうか?
もしかしたら、そんな経験ないのかも???
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いつも「速く、早く」と焦っているような気がする。
トイレにいるときも、レジでお金払うときも、自販機でなにか買うときも、炊事や皿洗い、庭仕事、ゴミ出し、出かけるとき、電話に出るとき、いつでもなんでもかんでも。
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早くしないと怒られる。
人並みのはやさで給食を食べられないから、掃除時間も授業中もみんなのなか、ひとりだけ給食を食べさせられてた。
小学二年生、H嶋先生のとき……。
あれって、すごいショックだったんだろうな……。この思い出に感情が出てこないもの。泣けるようになったらトラウマも解消しはじめるのだけど。
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世の中は「はやく」「手早く」「さっさと」「迅速に」「てきぱき」「飲み込みがはやい」「ちゃっちゃと」「早急に」「早速」「要領よく」「速食い、はやグソ」「無駄なく」「ちゃんと」だもんね。
おかあさん方のお小言第一位は「はやくしなさいっ!」だとか。
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でもきっとわたしは「マイペース」でしか、できない。
しかもこのマイペースはけっこう「のろい」のだ。
人並みはずれてユックリ。小一の担任H島先生(こうして書くとお二人とも似たような表記だわね)が感じた通り。
マイペースが一番わたしの健康によいし、リラックスできるし、魂の成長を促すのかも知れない。
マイペースと違うところで無理を続けたから、ここ数年いろいろと不調気味? 人並みのはやさを保ちつつ、健康に生きるのは不可能なのかも?
このところ、ゆっくりとした動作しかできないのは(歩いてるとおばあちゃんに抜かされたりする)、そういうことに気づくためかも。
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スローライフ、スローフードじゃなくて、マイペースライフ、マイペースフードね。
2006.5.24(水)疑ってかかる
腰が痛いとき。お腹が痛いとき。
「ほんとうか?」と思ってしまう。
気のせいじゃないのか? 「痛い」と訴えてだれかの関心を引きたいだけなんじゃないのか?
う〜ん、自分の感覚を全然信じていない。
……そうだったのか。
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ダンナが「痛い」というとき、心のどこかで「ほんとか?」「大袈裟じゃないの?」と思ってる。そうか、自分を信じてないんだから、ましてや他人。
だれの痛みであっても疑ってるんだ。
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小さいとき、だれかが「お腹が痛い」というと、わたしのお腹も痛くなった。
すると母が「嘘ばっかり」と取り合ってくれなかった。そりゃそうかもしれないが……。
自分を信じてもらえなければ、自分を疑うようになるよね。そのまま暮らしてきたんだ。そして、きっと母もそう言われてきたんだろうな。
先祖代々、自分を疑うように育てられてきたのかも。
でもそれは可哀想だ。自分ぐらいは自分を信じてあげよう、って決めた。
2006.5.29(月)葛藤、そろそろ終了?
ダンナの腰痛がふたたび悪化して、立つのも辛い日があった。
あるとき、ふっと立っていたので、「おお、立った!」と喜んだ。
するとダンナが「痛くて立てないっつってんのに、『クララ、立って、立って』とか言いやがって(~~メ! かわいそうじゃないか〜!」。
そうそう、応援してるつもりで相手を追い詰めてしまうこと、あるよね。
余力があるときには努力できるけど、自分でもどうしようもないとき、もうぎりぎりいっぱいいっぱいなとき、そういう応援は糞食らえ、だ。
本人が一番辛い、って〜の。
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こういうのは、体験して「そうか〜」ってわかる。
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こういうとき、心配したり不安になってもなんにもならない。前回はずいぶん不安になった。
だけど不安や心配が、イライラをうみ、痛くて辛い思いをしてるダンナにミテが八つ当たり、いじわるしちゃうことがわかってきた。
心配のあまりと言っても、いじめまで加わったら治るもんも治らないだろう。
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「人生は自他の魂の成長の場である」。
最近、出会って気に入ってる言葉。
だからつまり、これもダンナとわたしの成長に最適な状況、自分のなにに気づくか、なにか思いを変えた方がいいか、どう変えるか、という機会なんだ。
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「はやくよくなってほしい」「よくなって、毎日会社に行けるようになってほしい」なんて期待をしなくなったら、すごく楽。
期待ってのも、相手と自分、ともに苦しみをつくりだすなぁ、って身に沁みた。
「こうしなきゃ」「ああでなきゃ」「こうあるべき」「こうしなさい」なんて縛るのは自他ともに苦しみの素、自由って楽なんだ。
すると彼は在宅勤務が認められた。
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いまの状況……いま習っているタオ指圧も、ダンナのからだで実践できる。
家の掃除や片づけもすすむ(お仕事の邪魔をしないようにしてるから)。家にいるからお金もかからないし、気に入ってる……かんじ。
これで自分の体調がもすこしよければ。
や、ま、これも魂の成長のため♪♪