2006.7.6(木)庭の宇宙
庭のダンゴムシはなにをしてるんだろう。
よく見ると、枯れた植物や死んだ動物を食べている。この人たちは分解者なんだ。
物質循環を担っているのね。いとおしいなぁ。
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アリンコはなにをしてるんだろう。
アブラムシさんの面倒をみてる。「甘い汁(甘露)」をもらう代わりに、外敵から守ってるんだって。でもアブラムシさんが増えすぎると植物が弱っちゃうから、アブラムシさんを食べて数を調整してる、とも言う。
アリンコ付きアブラムシは目の仇にしなくていいのね。
アリが地面に巣を掘ってくれれば、土の通気性があがるだろう。
いろんな動物の死骸を分解してもくれる。広島にいたころは、カエルやバッタの死骸を、たくさんのアリさんで力を合わせて掃除してくれていたものね。感心してみてたっけ。
アリの巣観察キット「アントクアリウム」の説明によれば、「ミミズも住めない酸性の土地を有機的に改善し生き返らせてくれます」とも。
♪♪♪♪♪♪♪
庭にはいろんな生き物がいっぱいいる。
ナメクジ、ゲジゲジ、てんとむし、蟷螂、バッタ、カメムシ、ケムシ、アオムシ、チョウチョ、甲虫、ミノムシ、蜘蛛、蜂、虻、蠅、蚊、ミミズ、蜥蜴……。
みんながいて、物質が循環して、いのちが循環して……。
害虫と決めつけられてるものだって、その一員。
みんなで「ひとつなるもの(ワンネス、一者、all that is、etc.)」なんだなぁ。いのちがあふれて、豊かだなぁ……。
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虫や動物でなく、嫌われもののあの人(たち)も、「ひとつなるもの」の仲間なんだ……ろうなぁ ( ←ちょっとイヤイヤ)。
2006.7.7(金)恐いのはなに?
ダンナとお散歩をしていたら、近所の人と立ち話になった。
むちゃくちゃ緊張した。「逃げ出したい!」と焦っていた。ダンナによると外目には「おしゃべりに慣れてる」ように見えたそうだ。
……落ち着いて話してるように、装っているんだよね。むかしから。
でも恐くてたまらない。恐い? なにが……? 「その人が」じゃなくて、誰に対しても。じっくり話せば、落ち着けるようになる、こともある。
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ぴっころ先生とはしゃべれる。マルコさんもかきみも平気。もちろんダンナも……。
いや、まてよ。
そうは言っても胸にしまうことも多い。言っちゃいけない、傷つけたら、怒らせたら……と思ってる? 「下手なことを言っちゃいけない……」。
なんなんだろう。
まだわかんない。
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小学校のときの年賀状。担任の先生から。
「必要なときに、必要なことを、必要なだけ話すあなた。でも、おしゃべりもいいもんだよ」とあった。
そのころから苦手項目? 数十年たっても変わらないのね。
「装う」術は身につけても……。
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無理にしゃべらなくてもいいと思う。
だけど、「恐い」のは探っていってあげよう。怖がってるインナーチャイルドが待っているだろうから。
2006.7.12(水)自分で辛くしてた
お風呂って、きもちのいいものなんだ。
……ってわかってきて、うれしい。
入ってるお風呂は毎日おんなじなのに、気持ちが変わってきたんだな〜。
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でも、いろんなことがそうだ。
おなじ演奏、おなじ舞台、おなじ環境でも、悪いとこばっか探して、不平をならすか、いいとこを見て楽しむか。
いままでは、あら探しばっかしてたなぁ……。
それって自分に還ってきて辛い(だから、楽器の発表会とかすごくあがっちゃうわけね)。「楽しい、素敵♪♪♪」と暮らした方が楽そうだし、からだにもよさそう。
2006.7.14(金)「わかって!」なのかも
サンガ指圧を習っている。おしてるときは「我(エゴ)をおさえなさい」と言われる。
セラピーのときもおなじで、我にはいったん脇にのいといてもらったほうがいいと感じる。2時間、3時間ずっと……というのはとても無理だけれど。
セラピー中は想定外のことがしょっちゅう起きる。
わたしの「我」が想定することなんて、ちっぽけなんだな、多寡が知れてるんだな〜と思い知る。
世界はもっと広くて大きくて、びっくりでおかしくって、厳粛で精妙だったりする。
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だれかとやりとり(会話でも、メールでも)していると、いろいろな感情を感じる。
楽しかったり、愉快だったり、ほのぼのしたり……はいいけれど、腹が立ったり、悲しくなったり、暗くなったり……なんてとき、自分に「傷ボタン」があるからイケナイんだ、自分のキズの介抱してあげなくちゃ、と思っていた。
それは一面、あたってると思う。
で、さらにもうひとつ。
相手の人が「わたしはこんなことをされて、こんな風に感じたことがあって苦しいの」とメッセージを送って寄越して、相手が感じたその気持ちをわたしが感じるようにしむけられてるのかも、と思った。
相手に侮辱されて、傷つき、腹が立つ。
でもそれは、侮辱してきたその人が、あるとき誰かに侮辱されて、すごく傷ついた、腹が立ったという、「ねぇ、これ、ひどいでしょ? 助けて」っていう悲鳴……なのかもしれない。
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腹の立つ相手、実は傷だらけの人。
母や父、祖母……そうね、傷だらけそう。あたってそう。B○さん、小○さん、××さん、あの人、この人……ほんと、そう。
そう思うと、腹も立たなくなる。……かな? ちょっとね。ほんと、ね。
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ってことは、ジダン選手に頭突きされたイタリアのなんとか選手も、だれかに酷いこと言われて辛い思いをしたことがあって、その傷を抱えてる?
そうかもしれないね。
2006.7.16(日)いのちっていいかも
日曜日は教育テレビの将棋を見る。NHK杯。
予選があって、テレビに出るまでに3連勝しなくてはならない。
今年はよい意味で(?)意外な人がけっこう出ている。しかも「○○さん相手じゃ無理かな〜」と思っていると、勝ってしまったり。
すごいぞ。うれしいね。
でも、なんだか異変? 思いの実現化が速くなってる、とか?
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近くのたんぼで合い鴨農法をしている。お散歩の人たちが足をとめて、しばしなごむ。
たんぼに生き物がいるって、いいなぁ……。
ん?? それだけ命の気配のないたんぼが多いってことか。
蜘蛛の巣にかかったとんぼを救出。蜘蛛、不在だったし。蜘蛛の糸の頑丈さと粘着力に感心する。生き物ってすごいな〜。
わたしも生き物♪♪♪
2006.7.25(火)追い詰める
米国在住のお友だち。毎年6、7月に里帰りして、その間だけ子どもは日本の学校に通う。
友だちが気になってるのは、日本の女の子の言葉遣い。男の子より乱暴で、語彙が少ないんだって。「む・か・つ・く〜」ばっか言うとか……ね。
うーん、そうなんだ。
町で、幼子をすごい言葉遣いで叱り飛ばしてるおかあさんを見ることも多い。きりきりして、余裕のよの字もなくなっちゃうのかな。おかあさん、辛そう。
シンガポール育ちの女優さん。新聞のインタビューで「日本人は暗い」って。
日本人、ギスギスして暗い? 余裕がない?
なんだか追い詰められてる? そうかも?
♪♪♪♪♪♪♪
近所の人がわたしの悪口を言ってたらどうしよう、みたいな被害妄想が心のなかにあって、落ち込んでいるときにはほんとに怯えたりしてしまう。妄想であって、実態はないんだけど。
そんなわたしが、もしマスコミに書き立てられたら?
……恐怖のあまり自殺しちゃうかも?
恐怖のあまり、攻撃的挑戦的なふてぶてしさを装い、「わるミテ」になっちゃうかも?
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誰かをおいつめる。
なにもいいこと、ないみたい……。
ああ、でも、この前、あの人を追い詰めてしまったかも……。ごめんなさい。
追い詰められた人は、だれかを追い詰め、その人がまた誰かを追い詰め……ところてん式に……あれ? 違う、雪だるま……じゃないし、核分裂反応式に……? むむ? なんていうんだっけ。
2006.7.26(水)そのまま活かす
そうだ、暗くてジメジメしてる人は、その持ち味を活かせばいいんだ。
明るくて賑やかな人は、その持ち味を活かせばいいんだ。
暗い人を明るくしようとしたり、明るい人をジメジメさせようとしたり、どんな人もおんなじ型にはめようとするから、歪む。ひねくれる。ねじくれる。辛くなる。大変になる。
人それぞれ。そのまんまで、みんな大切。
そして、これはとても省エネ。
わたしの持ち味……はて。なんだろう?? のろいこと?
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そうか誰かの不平不満にまいっちゃうのは、その人に自分は受け入れてもらえないと感じるからだ。あんな厳しい基準に受かりっこない、よね〜。
でも不平不満に参ってしまう私は、自分も不平不満を言ってるだろう。そして言われて。
不平不満を巡る戦いにどっぷり漬かってるんだろうな〜。
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感情を麻痺させてる人ってとても多い。わたしもひとのことは言えないが……。
熱さがわからないと、自分が火傷しても気がつかない。自分が焼け火ばしをにぎって、誰かに押し付けて火傷させてても気がつかない。
感情を麻痺させた切実な理由がそれぞれにあるんだけど、自分にも他人にも危ない人になっちゃう。
感情の抑圧は病気を呼び込む素因にもなる。
もとは自分を守るためだったのに……。
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腰痛以来、ダンナは体重が減ってきていい感じ。
腰痛のせい? 鍼治療の効果?
わたしは日本に帰ってきて以来ダラダラ体重が減ってるんで、これまた鍼の効果かどうかはわからない。
鍼のぴっころ先生によると、治療していて体重の減る人はいるそうだ。だけど、やせたいからと受診を希望する人はお断りなんだって。
2006.7.31(月)陰極まって
なんにでもかんにでも傷ついちゃう、繊細な困ったわたし。
だから、まず傷つくまいと踏ん張る。
あ、その前に「わたしにトラウマなんてない!」とずっと否定してた。否認してることに気づいてからも、傷ついたときには、隠そうとした。相手にもまわりにも自分にも。
人を傷つけないように、さまざまな工夫(?)をする。「これを言っちゃ、これをしちゃ、相手を傷つける。イケナイ」と全部飲み込む。「ノー」と言わない。いい人のフリをする。
ストレスがたまる。
自分の傷はますます深くなる。心の中にどろどろした不平不満批判批難怒り憤り恨みが渦巻く。抱えきれなくなると、相手に投げつけて傷つける。
不特定多数に「ネガティブな波動攻撃」もしてたんだろうな。いるだけで気が重い、みたいな。
……そういうグルグルの仕組みの中で、超もがいてきてたんだ〜って、だんだんわかってきた。
ここまで、十年ぐらいかかってるのかな。
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友だちを傷つけてしまったことを本人から聞いて、悶え苦しんだ。
もともとは「『どうして』とつっこまれると、逃げ出したくなる」と自分の傷ついた気持ちを伝えたから、なんだけど(^^;。伝え方がなってなかったな。
結局、傷つけあいなのか、やっぱり傷は隠すべきものか、とも悩む。
「どういうこと?」「どうしたらいい?」と眠れぬ夜をすごし、朝、ダンナに愚痴こぼしてたら、ふと違う視点が見えてきた。
友だちは正直に自分の気持ちを伝えてくれた。わたしを信頼してくれてる?
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わたしが傷ついて、相手に伝えるときは、「そうだったの、ごめんね」と言ってほしい。相手を責めるというより、ただわかってほしい。
でも「あなたの言葉に傷ついた」と言われると、責められてると感じて防衛してしまう。言い訳をくどくど繰り替えして、相手の気持ちなど斟酌しない。
だけど、そんなことに意味はないんだな。
防衛庁や地球防衛軍、国防省を見るまでもなく、「防衛」って攻撃することだもんね。攻撃(防衛?)しあえば、犠牲や被害はどんどん大きくなっていく。いま世界中で、防衛合戦が起きてたくさんの人が死んでいる。
「そうだったの、悲しませてごめんね」で、いい。
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「あ、ごめん、それって傷つく」は、攻撃じゃなくて現況報告。そこを理解して、気軽に言えるようになったらいいかもね???
どんな人も傷ついて隠してて苦しいのかも知れないもの。隠すことで、みんなで「傷」を深刻に捉えすぎているのかも〜。
正邪か、善悪か、どっちが正しいか、じゃあないのにね。
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どっちかというとずっとネガティブな気持ち優勢で生きてきたのに、このごろポジティブな気持ちがひょいと顔をだす。
なんでだか、わかんないけど……楽だな。
ポジティブなときって、気持ちが広くて視点が高い。
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なんでポジティブになったかわかれば、ほかの人にもヒントになるのに、残念。
鍼灸? 気と心の学校? どんなネガティブな気持ちも肯定しようと努力したから? 怒りと向き合ったから? 出会った人とはなんらかの学びがある、と考えることを知ったから? すべては偶然じゃなくて必然だから? 「神との対話」のおかげ? 人生は自他の魂の成長の場だと理解したから?
それとも、陰極まって陽になる!?