2001.2.4 更新

2000年12月1日(金)見たくないわけ

車のタイヤを交換した。これで雪が降っても安心!?

ライトボディの瞑想。深かった。身体の細胞ひとつひとつまでエネルギーが輝いているような気がした。からだにぽっかりと穴が開いている部分を探す。目のまわりだ。なぜ?

ティーンエイジャーの女の子が家事に追われている。小さいたくさんの弟妹。母親はいない。ひとりでぜんぶ家事をする。「ひとつに集中してるヒマなんかない!」と怒っている。細かいこと、面倒なことは見ないようにする。見てしまったら、やんなきゃいけない。見て見ぬ振りはちょっと良心が痛む。でも、この忙しいのに、これ以上やってらんない! だから見ない!! ああ、つまんない。これが人生なの! こんな類の体験がいくつかあって、目のあたりに穴があるようだ。

この体験をする前の、本来のエッセンスを探す。きれいな水色の光。これを体中に満たす。のんびりとおだやかな波動。落ち着きを感じる。……うーん、いい瞑想だった……。

次に遠隔ヒーリングをやってみる。対象の人がペンネームだからか、なんのイメージも浮かんでこない。うーん、本名じゃなくちゃいけない、と思っているせい? 不思議。もうひとりの人をすることにした。胸に悲しみがあったので、それを出してしまうように……。

ホームページをみた方からメールが来た。その人のホームページを見てみたら、手の親指関節のしわが2本あると霊媒体質って、書いてあった。あれ〜、やっぱりミテは霊媒体質!? 疲れやすいのもそのせいか。気的過敏体質と同じことかな?

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2000年12月2日(土)フィラデルフィア・サウンド

母から洗濯石鹸と酸素系漂白剤が届く。合成洗剤は使いたくないので、アメリカでも探していたんだけど、なかなか「これだ!」っていうのがなくて。ありがたいなぁ。

今日はフィラデルフィア(フィリー)で演奏会。途中のプリンストンまで、ミテが運転していく。「高速じゃいや?」というダンナに「いいよ!」と答えて、I-78に乗る。助手席に座っているときは、「高速で運転しても絶対右車線キープ(追い越さない)」と思うけど、実際に運転するとついつい追い越してしまう。でもちゃんと冷静に周囲の状況は見ている(つもり!)。

プリンストンで似せ日本食(中国人のお店?)を食べて、フィリーを目指す。約1時間で到着。会場のそばに駐車し、町を歩く。寒くて10分とは外にいられない。タワーレコードに入る。クラシックが充実していて、楽しかった。

最古のホール会場はThe Academy of Music。アメリカで最も古いコンサートホール。ミラノのスカラ座がモデルで、音響も世界のトップクラスとか。客席も豪華(写真)。ゴテゴテと彫刻がしてあって、なんか格式を感じる。

もうひとつ新しいホールもあるのだが、「やっぱりこのホールが好きだわ」というファンも(トイレで話してたのを盗み聞き)。「なにしろストコフスキーの時代から、ここに来ているんですもの」。それって3代目首席指揮者レオポルド・ストコフスキー? 任期は1912年から36年。うーむ、ホールも聴衆も歴史的!

今日は常任指揮者サヴァリッシュではなく、ボルチモア響のテミルカーノフ。フィラデルフィア管弦楽団は、38年から80年までのユージン・オーマンディーの時代にオーマンディー・フィラデルフィア・オーケストラ・サウンドと言われる黄金時代を築いたという。わくわく。

前プロはラフマニノフのピアノ・コンチェルト。第一音! あれ? なんか下手!? オケとピアノが合ってない。そういう曲なのかな〜??? 難しいのかなぁ。ピアニストが下手なのかなぁ??? 途中からマシになってはきたけど……。どうして「ブラボォ!」と叫んでる人がいるんだろう? 本当にいい演奏だったのかなぁ????

そしてお馴染みショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」。うん、ラフマニノフに較べたら、全然いい。でもスタンディング・オベイションをするほどじゃぁ、ないなぁ。うーむ。まぁ、どんな演奏だって、曲がいいから……。

帰りはずっとダンナの運転。助手席から、ときどき星を見上げていた。田舎をずっと走ってるせいか、星がとってもキレイ

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2000年12月3日(日)ゲルギエフ

前ほどじゃないけど、相手が怒ってると思うとまだドキドキしてしまう。インナーチャイルドを見たら、手足ばかりニョキニョキした13、4歳の女の子がいた。やせて細長い。裸で膝を抱えてる。毛布でくるみ、たき火をして温かい飲み物を渡す。ろうそくで明るくして、暖房も入れ、ベッドに寝かした。窓から満月が見える。「呼んだらすぐ来るからね」と一人にする。

カーネギー今日は初カーネギーホール! きのうのThe Academy of Musicに較べると、派手な装飾もなくシンプル。こっちの方が好きだな。お客さんは毛皮もばんばん。でもみんながみんなコートをあずける訳じゃない。手に持ってる人も多い。メット・オペラのオケがゲルギエフの指揮で、ショスタコの交響曲第4番を演奏する。ゲルギエフはパワフルなロシア人。おおっ、演奏も生き生きしていていい! やっぱショスタコはロシア人の指揮でなくちゃ……? あれ? テミルカーノフもロシア人だっけ。

演奏後、入り口ホールにリチャード(ヒューストンで会ったニューヨーカー)の姿が。ダンナがメールを書いて待ち合わせをしたのだ。「ああ、終わった終わった。これからシャンペンを片手に、演奏家や指揮者と話をしよう……ってヒューストンではできたのになぁっ!」とリチャード。「ヒューストンの日々が懐かしいよ」。そうそう。夢のような日々だったね。近くのコーヒーショップでお茶を飲む。ゲルギエフはメット・オペラの指揮をしてるので、今日は彼目当てオペラファンが多かったとのこと。それで、毛皮族があんなに! そんな人たちが4番を聴くなんて! さぞかし驚いたことでしょう(^◇^;)。

ダンナとリチャードは「第1楽章のあそこが……!」と盛り上がっている。「4番の演奏はどこが一番いい?」「ベルリン・フィルがハイティンクの指揮でやったやつ」「え? そんなCDあったかな?」「いや、日本のテレビで放送したんだ。CDじゃない」「あ〜そうなんだ。道理で……」。うーん、リチャードもだいぶオタク。話してるうちに、彼はベジタリアンであることがわかった。そういう人に初めて会った! またどこかの演奏会で再会することを約束して、「ダ・スビダーニャ(またね)」!

初めて「鬼ヶ島」という店に行った。居酒屋さん風でなかなかよかった。頼んだビールが空になったら、店員さんが「なんか飲む?」。顔ではわかんないけど、日本人じゃないんだな。思いっきり友だち言葉だもん(^◇^;)。

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42000年12月日(月)シンボル

起きていることをシンボルとしてとらえ、シンボルを変えていくテクニック。

誰かが怒っていると怖くなる。それをイメージ、シンボルとしてとらえると口と牙をもった黒い玉が私の体にかみつき、ボロボロにしていく。では、シンボルを変えてみる。玉が羽根に変わり、ふわふわと漂う→羽根が雪の結晶に変わる。ひとつひとつ違うきれいな形を楽しむ。そして雪は消えていく。

リーディングとヒーリングは違うみたい。リーディングは思いがけないときにイメージや言葉で入ってくる。ヒーリングの時は見るというより、掌で探るとうまくいく。遠隔ヒーリングを1件やった。

冷蔵庫に入れといたキャベツに芋虫(?)を発見。生きてるけど、弱ってる。

ミテもちょっとがあるかな?

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2000年12月5日(火)Amazon.com

Amazon.comで本を注文する。ハーブスわきやまさんに教わった"The Healing Energies of Trees"。本屋さんでも探したけど広いし、英語だし、なかなか見つからなかったの。ウェブだと検索できるから便利。それに定価より安くなってるから、送料込みで定価と同じぐらい。こりゃお得!

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2000年12月6日(水)批判

今の時代を一緒に生きているライトワーカーたちをついつい批判してしまうことがある。自分と似たレベルにいる鏡だからなんだな。自分に近い存在だから、我が身と較べて焦ったりしちゃう。わかっちゃいるけど……。批判しないで、認めていけたらいいな。批判は自分に返ってくるのだし。

だるくてだるくて昼寝した。ヒーリングのやり方になんか問題があるのかなぁ。

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2000年12月7日(木)めまい

起きたときからめまい。今日は仁神術の7番をする(26番まであるので、日にちと同じ番号をすることにしてる)。なんと7番はめまいに効くところだった! めまいは午後から徐々に薄れていった。

「ライトボディの目覚め」によると、めまいもライトボディの変化に伴うものなんだよね。心配じゃないけど、ちょっと不便。

「愛に生きる」(鈴木鎮一著)を借りて読み始めた。

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2000年12月8日(金)「愛に生きる」

Amazon.comから本が届いた。注文してから3日目。速いじゃん! とても満足。

朝、ちょっぴり雪が積もった。凍結しないように道路や駐車場には塩がまいてある。ローマ軍は占領した土地で作物が育たないように、塩をまいたという。そんなことして大丈夫? と、ふと思う。

愛に生きる」を読み終えた。スズキ・メソードを始めた鈴木鎮一さんの自伝。読み始めから、涙があふれる。「才能なんてない。どの子も伸びる」。その愛と優しさ。いい演奏を聴き、楽譜を覚え、まわりがのばせば、子どもはのびる。どれだけたくさんの人が救われただろう。「育てたように子は育つ」のだ。

楽譜を見ないようにして、ヴァイオリンを弾いてみた。あれ? いつもより間違えずに弾けた? なんかすごく進歩したような感じ! やればできる!?

2年前、前世療法セラピスト養成講座でグループ退行をしたとき、選んだテーマが「楽器を弾くのが怖い」だった。2年かかって、怖さを見つめることができた。いまは楽しんで弾ける(下手なのはあいかわらずだが)。人生ってなんて壮大な物語なんだろう!

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2000年12月9日(土)すぐやる

「愛に生きる」で鈴木先生は「すぐやる」ことを大切とおっしゃっている。それはわかる。でもね……。大学生のころのことを思い出した。

なにをするにもSTOPがかかって、すごく苦しかった。スーパーでなにか買いたい、と思う。でもできない。「禁止」という呪いがかかっている感じ。1日くらい「行きたい、行きたい」と考え続けて、やっと外出する。行ってみるとなんでもない。「どうしてこんな簡単なことができないんだろう?」と自分でも不思議。でも、次の時もできない。意志の力ではどうしようもない、なにか。だんだん減ってきたけど、いったいなんなんだろう?

今日もフィラデルフィアで演奏会。ロストロポーヴィチがショスタコを振る(最近はチェロ弾くより、指揮してる)。演奏会前にはロストロのお話もある。希望者はただで聴けるので行ってみた。ロストロもソビエト共産党と戦った人なのだ。作家ソルジェニーツィンを匿って、国籍を剥奪されたこともある。祖国に帰れなかった間に、恩師ショスタコ親友プロコフィエフも死んでしまった。

今日のプログラムはプロコフィエフの「ロミオとジュリエット」ショスタコ10番。そうか、そういう組み合わせだったんだね。先週聴いて、フィラデルフィアは下手なオケかと思ったけど、今日はずいぶんよかった。ロストロの熱い思いがオケに伝わったのかな。

夜、芋虫さんが死んでいた(;_;)。

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2000年12月10日(日)危険地帯

サミットの町によって、ミツワに買いだしに。サミットで馬車を見た! 車道をかっぽかっぽ歩いてる! クリスマスの余興? 馬糞も落ちてる……(^◇^;)。

高速でミツワに向かう途中、勘違いして「危険だから、絶対降りちゃイカン」と言われているNewark downtown ヌアーク・ダウンタウンに降りてしまった。いつもは合流の少ないエクスプレスを走るのだが、今日はローカルを走っていたので、間違えたんだな。まばらな住宅。幸い人影は少なくて、すぐ、無事に高速道路に復帰した。でも、ダンナはじっとりと手に汗握っていた。

実態はわからないけど、ニューヨークより危険と言われている地域。危険だから、人口がどんどん流出しているとも。だけどいい演奏会ホールもあって、小澤指揮のボストン響も来る。「行っても大丈夫?」と会社のアメリカ人に尋ねると、「演奏会の日は警官がいっぱい出て、ホールを守ってるから大丈夫」。うーん、それは大丈夫のうちに入るんだろうか(^◇^;)?

ちなみにニューアーク空港Newark Airport は安全なので、安心してコンチネンタル航空に乗ってね。

右足の内くるぶしが痛い。矢が刺さってるみたい。最近、頻繁に感じるんだよね。

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2000年12月12日(火)自分でいる

遠隔ヒーリングと、愛と光を送ることと、インナーチャイルド・ヒーリングは区別した方がいいのかな。ヒーリングはセラピーと違って、クライアントさんの気付きがなくてもいいのかな? などなどいろんな疑問が出てくる。

今日は同じコミュニティに住むお友だちの家でお昼とデザートをご馳走になった。わぁ、間取りが全然違う〜。かっこいいなぁ。4人でおしゃべり。人といても、ずいぶん自分でいられるようになった気がする。

そこできいた話。数年前、間違えてヌアーク・ダウンタウンに降りた人がやっぱりいたんだって。するとその人の運転する車の上に、人々がとび乗ってきて、すごく怖かったんだそうな。無事に脱出したらしいけど、それは怖そう……!!! ああ、おととい、なにごともなくてヨカッタ〜。

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2000年12月13日(水)尾てい骨

ここんとこ、尾てい骨が詰まったような感じがときどきする。3秒くらいでふっと消えるんだが。

"Personal Power through Awareness"を読んでる。「リビング・ウィズ・ジョイ」の続編。誰かといるとき、自分がどう変化するか、観察しなさいって。気持ちとか、感じとか。

遠隔ヒーリングを1件やる。

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2000年12月14日(木)クリスマス・ツリー

Jさんのお家にツリーを見に行った。背丈より高い、生の木なんだよ!!!

彼女の家には1度行ったことがある。そのときはQさんの車に乗っけていってもらったの。その人はもう帰国していない……。どうやって行こうか?? もう一人のRさんは車が使えない日だったし。電車に乗ろうか、という案もあった。んんん、でも。地図とにらめっこして、イケルと思った! 昨日の夜、ダンナを会社に迎えに行ったついでに、Jさんの家までと、Rさんをピックアップする場所までと運転してみた!! うーむ。こんなこともできるようになったんだなぁ。しみじみ。

Jさんはピザとケーキをご馳走してくれた。具が乗ったピザも売ってるけど、自分でトッピングするのもあるんだって。簡単そうだし、今度やってみようかな〜。冷凍でもオイシー! ケーキも、アメリカのものにしては甘さ控えめでグー。聞いてみたら、会社のそばに新しいスーパーマーケットができて、そこで買ったんだって。是非とも行かねば……!

クリスマス・ツリーは家のそばで買ったそうだ。年末の日本で「しめ縄屋さん」が忽然と出現するように、あちこちに臨時ツリー屋さんができるのよね。近距離なので、車のトランクに入れて運んだ由。ツリーが大きいから、もちろんトランクの蓋は閉まらない。開けたまんま走る(なにかで押さえはすると思うけど……)! アメリカらしくワイルド! この時期は屋根にツリーをくくりつけて運んでる車も多い。大きさや種類によるけど、30ドルくらいからあるんだって。安い! 用が済んだら、捨てるのかと思ったら、ちゃんと回収業者さんが来るらしい。

帰り、Rさんを乗っけて走る。そう言えば、彼女はもうすぐ日本に行って、結婚式をするんだった! 花嫁さんを乗せてる……と思ったらちょっと緊張。無事に送り届けて、ほっとした!

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2000年12月15日(金)宇宙の瞑想

ウェンディがクリスマス・ツリーを見せてくれるって言ったのに、まだ連絡が来ない。悲しくなって「やっぱりアメリカ人だから……」と思ったり、いい人だけど、今後トラブルだってあるんじゃないか、なんてイヂワルに疑う気持ちが出て来ちゃう。

まだ中国でのことを恨んでいるみたい。子どもだった私が異民族にさらわれていくのを、お母さんだったウェンディは助けてくれなかった! 敵だった異民族と結婚させられ、敵の子ども(いまのダンナ)を産んで生きるしかなかった。誰をも憎み、頑なに心を閉ざしていた人生だった。

いまならわかる。連れ去られたとき、同族の大人はみな殺されていたのだ。子どもたちを助けようにも、助けることはできなかった。殺された後も、母はいつも愛情を注いで、見守っていてくれたのに、恨みと憎しみに凝り固まった私にはわからなかった。おかあさんまで逆恨みしてたんだ。……ごめんなさい! ごめんなさい! 涙があとからあとから頬を伝う。大きな感情の解放……。

瞑想した。宇宙の永遠の広がり、無限の時、無限の空間。そこにいつもいる私。永遠に存在する私……。気持ちのいい感覚。そうか! なんにも焦ることなんかないじゃない。このからだ、この地球、このときを、もっともっと味わってみればいいだけ。こんな体験は2度とないのだから! いま、このとき、このままでいいのだ。とても静かな気もち。

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2000年12月16日(土)WASABI

久々に中国系日本料理店「水車」に行ったら、「WASABI」という店になっていた! 居抜きか、名前だけ変わって元の店なのか? 残念ながら、営業時間ではなかった。こんどぜひ確かめに来なくては。大ニュースよん。

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2000年12月17日(日)あ〜、だめ。

ミツワの美容院に行った。いつもより自分でいて、普通にお話しできたみたいで嬉しかった。

その後、お昼を食べに喫茶店に。普段は飲まないんだけど、二人ともコーヒーを注文した。ダンナが半分でギブアップ。ミテが1.5杯飲むことになっちゃった。ガマンして飲んだら、なんかヘロヘロに弱ってしまった。左腰がにぶく痛んで、立ってるのも辛い。それでもミツワ、ホールフーズ、大道で買い物をして帰る(余談だけど、大道前の駐車場が使えるようになってた。こりゃ便利。タダだし)。

帰って昼寝して、夕方に起きて、テレビを見ながらゴハン。

うーん、だるい〜。疲れた〜。気分が重い〜。なにかもらったのかな〜?? ばったり。

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2000年12月18日(月)思いつく

「屋根裏の恐竜たち」を読み終わった。面白かった〜。「小さな宇宙人アミ」を読み始めた。

夜にはお皿を洗う元気があった。ちょっと回復?

相談メールの返事を書いてると、自分でもハッとするほどいい言葉を思いついたりする。おっと、うぬぼれてはいけない! ミテに授けられた言葉なんだもんね。

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2000年12月19日(火)常時接続

郵便局に行ったら、窓口の人たちがサンタさんの帽子をかぶってた。こういう遊び心って好きだな。

いまのプロバイダはアメリカからのローミングサービスが無料で、アクセスポイントもトールフリー(フリーダイヤル)だから、選んだのに、来年から課金するとお知らせが来た(同じ理由で選んだ知り合いは、さっさと解約した)。ダンナと相談して、夜、DSL(日本ではADSL?)に申し込んだ。いまなら初期費用なし、モデム無料(ただし1年以上使うこと!)。月額40ドル。1月から常時接続だよ。

フォトショップでホームページの背景を作ってみた。全ページ統一! すっきり〜。

夕方から熱。だるい〜(;_;)。

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2000年12月20日(水)ジンジャー知らない?

ある日、アメリカ系スーパーでエノキダケをみつけた! シイタケはどこにでもあるけど、エノキは珍しいので喜んで買った。レジで「これはなに?」。エノキダケって言って、おいしいんだよ、と力説。きっと見たことも、食べたこともないんだよね。また別の日、ショウガを買った。レジで「これはなに?」。なにって……ジンジャーだよ? し、知らないのぉ???

家の中があったかいせいか、2回も鍋を腐らせちゃった。夜に作ったものが、次の日の昼には腐ってる。早いなぁ。ものごとの変化が速くなって、どんどん手放す……ともとれる。うがちすぎか〜?

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2000年12月21日(木)怒っていると伝える

友だちにメールを書いた。「私は腹が立った」と伝えたら、「いつ、なにがあったときか知りたい」と言ってきてくれたのだ。でも、書くのが怖かった。眠れなかった。きっと傷つけてしまうだろうし。

いままでは腹を立てたら、メールをやめるか、それとも内心すごく怒りながら、さしさわりのないやりとりを続けていた。自分も相手も誤魔化していたのだ。

だって相手が怒るかも知れないようなことは、すごく言いにくかった。それに自分が怒ってると伝えたら、「セラピストのくせに、自分の感情も処理できない」って思われるかもってのもあった。怒りは魂を汚す、という言葉を信じていたし、怒るのはすごく悪いこと、って思いこんでた。だから昨日は心配で寝付けなかった……。事実・反応・気持ちをセットにして、できるだけ素直に書いたつもり。

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2000年12月22日(金)クリスマス・パーティー

気がついた。「カンペキでなくちゃいけない」って思い込みがあるのだ。「間違わないこと」にこだわってた。そして他人に同じような部分を見ると、「あの人は間違いを認めないよね」って批判したりして。「アミ 小さな宇宙人」のアミがペドリートに言うよね。「やれやれ、完璧な気でいるよ!」。

完璧じゃないから、間違いもするし、非難されることだってある。でも、それでいいんだ。そういうことがなかなかわからない……。

会社でパーティー今日は午前中、会社でクリスマス・パーティー。食べ物を持ち寄って、会社の廊下に並べる。家族も来て、子どもたちはサンタさんと写真を撮ったりする。明日から元日までクリスマス休みだから、「一年間、ありがとう」ってご挨拶をする日なのね。

ふと見ると大きな黒い犬がオフィスを吹っ飛んで歩いてた! 家族同様、ワンコも連れてきていいのね! ボールを投げてあげると、全速力で追いかけてとってくる。みんな笑いながら、相手をしている。彼チャールズはもう夢中になってて、カーペットの床にだらだらよだれ垂らしてる(-o-;。でも、誰も気にしてない。ワイルド〜。アメリカならではだよね。

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2000年12月23日(土)クリスマス・ギフト

精神世界にはいろんなレベルの情報がごっちゃになってあるから、今の自分にどれが合うのか、みつけるのに時間がかかったりする。レベルが違うと同じことについて言ってるのに、矛盾して見えたりする。その整合に気づくまで、混同したり、混乱したり。

怒りについてはアシジの聖フランシスコが「魂を汚す」とおっしゃったので、悪いものと思ってきた。ほんとうは表面だけじゃなくて、心のどこも怒りに曇っていない状態でいるようにということなんだ。でも、誤解して「表に出さない」ことを第一にしてしまった。だから、内側にたまるたまる! そして怒りを上手に表現する人に会ったことがないので、モデルなしでやっていかなくちゃならない。まだまだ右往左往しそう。

昼ごろ、大家さんちの次男クリスからメールが来た。「ママがツリーを見せたいと行ってます。今ウェンディちのツリー日夕方、来られますか?」。わーい、行く行く! 急なことだったので、プレゼントが用意できず、和菓子を持っていった。ウェンディからは、お箸のセット(ホームシックにならないように(*^_^*))と、ツリーの飾りをもらった。「来年はなにか飾りをプレゼントしますね」と言ったら、「まぁ、いいのよ、全然。あなたたちがギフトだわ! 本当にいい人たちに住んでもらってうれしいのよ!」。なんてステキなことを言ってくれる人だろう……。感激! ウェンディ、ジョン、どうもありがとう!

ウェンディが「日本ではクリスマスをどう過ごすの?」。「チキンを食べて、シャンパンにケーキに。若者はデートしようと待ちかまえてるし……。でもキリストの誕生日だって知らない人もいるし」。ジョンが「アメリカでも一緒だね。子どもたちはプレゼントをもらえる日だとしか思ってないよ。商売人だけが儲けるんだ」。ええ〜そうなの? 意外!

クリスマスはわりと静かにすごすみたい。大晦日に浮かれ騒ぐんだって。お酒飲んで、メチャクチャ酔っぱらって。飲酒運転も増えるというから、注意!

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2000年12月24日(日)知識が価値?

クリスマス・イブ

知っていることを教えられるとバカにされたと感じて怒りがこみ上げる。知らないことを聞かれると、バカにされたと感じて怒る。始末に負えない……。知識こそ存在価値という思い込みがある。父は子どもが「役に立つかどうか」が判断基準だったし、「へえ、こんなことも知らないの?」が母の口癖だったし。それに傷ついたから、ずっとイイコ、優等生を演じてきたんだもんね。しょうがないか。

テレビはイブらしい番組でいっぱい。バチカンを始め、いろんな教会のミサや礼拝の中継。クリスマス・ソング番組。シャルロット・チャーチの番組があって、延々とクリスマス・ソングを歌っていた。一緒に歌う。気持ちいい〜。

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2000年12月26日(火)またまた怒り

名乗らないメールが来た。ハンドルもないから頭に来た。しかも「メキシコの××を送って下さい」とあった。なんで見ず知らずのあんたに、そんなことをしなきゃいけないんだ? 「怒ってます。物を送るということもしてません」と返事した。でもホームページには「気軽にメールしてね」と書いてある。名無しのゴンベだからといきなり怒られたのでは不公平かな。反省してトップページに「ハンドルでいいから、名前を教えて下さい」と書き加えた。

先日の「怒ったよ」メールに返事が来た。謝ってくれた。もうわだかまりはない。もうなにも隠すことはない、ような気持ち。

おむすびの祈り」を読んだ。篤い信仰をもっている古い人は立派すぎて怖い。厳しすぎる。もっと落ちこぼれに優しくしてほしいなぁ。洗礼を受けなくても、神の子じゃないの? 読みながら、ときどき自分が責められているように感じた。読み終えたけど、あっちこっちでひっかかってしまった。

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2000年12月27日(水)ベツレヘム

昨日の怒りメールに返事が来た。「ごめんなさい」と書いてあった。相手が怒ったらどうしようとか、ほんとうにこれでよかったのか、とかウジウジ考えてたからホッとした。

今日はベツレヘムにいった。ホントのベツレヘムはイスラエルにあって、イエスさまが生まれた町。こちらのベツレヘムはペンシルヴェニア州にある町。名前にちなんで、クリスマスのイベントをするので有名なのだ。

会社のJ夫妻、黒川さん(仮名)と5人で1台の車に乗ってお出かけ。はじめに、開店したばかりのWASABIで腹ごしらえ。あ、板さん(オーナー?)が日本人! なんかうれしーな! ちらし寿司を食べた。おいしかった! このお店は当たり!

で、お腹が膨れたところでI-78(高速道路)をひたすら西へ。「えーと、WEST はお茶碗をもつ方ですよね?」と黒川さん(仮名、超一流大学卒。頭いいのだ)。気持ちはわかるけど、ずっこけてしまう……(-o-;。彼はどこかにバグがあるのかもしれない。

1時間? 2時間? それくらいで町に到着。小さな町なのだ。メイン・ストリートも短いし。お店をちょっとひやかして、教会の方へ歩いていくと、古い町並みがあった。この町は中部チェコスロバキアのモラビア移民が1732年に入植してできた。当時の建物がそのまま残っていて、博物館のようになっている。5ドルほどで、建物内のガイドツアーに参加できるのだ。

教会布教(ユニタス・フラトラム派。プロテスタント)を目的の入植だったので、かなり厳しい戒律のもとで集団生活をしていたらしい。服装も決まっていて、女性は服のリボンの色で未婚、既婚、寡婦って区別されていた。いまなら訴訟もん?

音楽が盛んで、アメリカで初めてハイドンの「天地創造」が演奏された町でもある。当時のポスターが飾ってあった。そして建物内のあちこちにドイツ語の表記が。きいてみると、みんな語学が堪能で、4,5カ国語はしゃべれたとか。あ〜あ、羨ましいなぁ。

教会で無料の演奏会が行われる。今日は子どもたちの合唱というので、行ってみた。かなり古いと思うんだけど、非常にシンプルな教会。白い壁にロウソクが灯っている。寒いところだからか、分厚い壁。祭壇の上にはベツレヘムの星が飾ってある。お御堂の後ろがわ2階にオルガンがあって、子どもたちが控えていた。われわれが到着したときには、まだ練習中だった。アメリカ人らしく賑やかなこと! お世辞にも上手ではなかったけど、聴衆も一緒になって歌ったり、楽しくすごした。

晩ご飯はガイドブックに載っていた「サン・イン」で。メイン・ストリート沿いにある、小さいががっしりとした建物。小さい看板があるっきりで、やってるのかやってないのか、わからない。ドアを開けるのに、勇気がいった。その昔は宿屋で、ジョージ・ワシントンやサミュエル・アダムズなど著名人がいっぱい泊まったらしい。入り口に「訪れた有名人リスト」がある。

古い建物で、雰囲気も申し分ないんだけど、席に案内する、注文を取りに来る、料理が来るってタイミングも昔のママなのか、のんびり。日本人はせっかちだなぁって痛感。でも、なかなかおいしかったよ! ダンナが食べた「ジョージ・ワシントンのなんとかステーキ」(メインディッシュには人の名前がついている)はよかったなぁ!

ものすごく寒い日で、5分と外にはいられない感じだったけど、すっごく楽しかった。

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2000年12月28日(木)鍵あいてたの?

うちの玄関、ホテルのドアみたく外から閉めたら、鍵がかかって開かなくなるって思ってたの。普段、たいていはガレージから出入りしてるんだけど、昨日は玄関を利用。で、気づいた。ただ閉めただけじゃ、鍵はかかんない! ドアを押せば開いてしまうのだ! 引っ越して10ヶ月、開けっ放しで外出してた!?

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2000年12月29日(金)修理もアバウト

最近、車のエアコンを修理したのに、また動かなくなったので修理に出した。夕方にはできるというので、それまでマンハッタンに出かけた。すごく寒い日で、超厚着。もう半端じゃなかったです。防寒用にチベットの帽子を買った。

夕方、車を受け取る。修理伝票には「エアコンの配線が焼き切れてた」とあった。まったくもぉ。この前、配線まちがえたんじゃないのぉ? いい加減なんだから……。それで車が焦げ臭かったのね。

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2000年12月30日(土)大雪

大雪一日中雪。大雪。飽きずにずっと降り続いてた。

今日来たメールマガジンに、自分に不安や恐れがあるときは「ああ、あるんだな」って認めるだけで消えていくってあった。なんかすごくいいなぁ。ヘンに追っ払おうとか、なんとかしようとすると、逆に力を与えてしまうんだって。

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2000年12月31日(日)年越しの風邪

夕方から具合が悪くなって寝る。でも年越しそばは食べた。生麺のパックだったんだけど、後味が悪くて……。化学調味料に過敏になっちゃったのかな? そうだとしたら不便……。

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