2007.1.1(月)新しい
大晦日にはDVDで映画を観ることが定例だそうで(ダンナがそう定めていた!)、なにかラブコメを観ることになった。
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選んだのは「コールド・マウンテン」。
アメリカ南北戦争で引き裂かれた恋人同士の物語。殺戮、残虐、卑劣、恐怖、不安、悲痛、悲嘆、美しい自然、非情……。
重たい〜! ラブロマンスじゃないじゃん!
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でももちろん「偶然」ではないわけで。
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牧師の娘として優雅に暮らしてきた主人公。突然父親が死に、戦争が始まり、貧乏のどん底に。
そんな暮らしなのに、なにもできない自分を呪う場面がある。
「実用的なことはしちゃいけない、と育てられてきた」。
刺繍はできるけど、裁縫はできない。ピアノは弾けるけど、ラテン語は話せるけど……木工も畑仕事も家事もできない。鶏を絞めることもできない。
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あ、これ!
働くことを、蔑むというか、下品で苦痛でイヤなものだと思う自分の気持ちにぴったり。
こんな人生をおくったことがあって、そのシッポをまだもっているのかも。
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そしてその人生って、実は歓びや楽しさが半減するような人生だったに違いない。
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最後のほうでは、やっと出会えた主人公と恋人が気持ちを確かめあう。
だけど、次の日、彼は殺されてしまう。ちょっと離れたすきに、ならず者と戦い、死んでしまう。
この恐怖もわたしにはある。昨夜も、買い忘れたねぎを求めて、ダンナがスーパーまでひとっぱしり行ってきてくれた。
「ありがとう! 行ってらっしゃい」と見送りながら、途中で車にはねられでもして、死んじゃったらどうしよう、と不安だった。
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この映画のような体験をしたのかもね。
あれは昔のこと……いまは違うんだよ、と自分に言ってあげよう。
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相変わらず、「働くのは楽しいよ」「自分の手であれこれ作ったり、したりするのは面白いよ」というメッセージがあっちこっちからやってくる。
この映画からも……。
新しい年はそういう年? 楽しそう。
2007.1.5(金)先祖代々
「ひとを傷つけちゃイケナイ」って意識はどこから来てるんだろう、とこころの中を探っていたら、おばあちゃんの声がした。
親を悲しませちゃ、いけないよ。
うわ、これ……! これっぽい!
「親」と聞こえたけど、ここは誰でも入れ替え可能だ。
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わたしに言われたことなのか、祖母がほかの誰かに言ったのをはたで聴いていたのか。
激しくこころが揺さぶられて、涙が溢れてくる。
わたしは? わたしの悲しみは? 親にはいいかもしれないけど、わたしのことはどうでもいいの?
ちいちゃいワタシが絶望して悲しみにくれていた。
ほんとはこんなに泣いていたのに、オカシイと感じていたのに、それはぜんぶ封印して、この言い付けを守ってきたんだ。で、言い付けに背くと罪悪感に苛まれてきたんだ……。
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母や叔母たちの姿も浮かんでくる。モロモロ抱え込んで気丈に振る舞うけど、苦しんでる。いぢわるになっちゃったり、ガンコになっちゃったり……。ひとと深いつながりを築くのが苦手かも。
おばあちゃん自身も誰かにそう言われて、おなじように悲しかったんでしょ?
代々続いたこれを、もう終わりにしようと思って、いま思い出させてくれたんだね。
2007.1.11(木)大きなシステムの中で
親から子への影響って大きいとわかってきて、それが単純に「ある母-子」、「ある父-子」に留まらず、一族血族に伝わるものだ、と実感するようになった。
叔母たちはひとりひとりみんな違う。が、やっぱり共通した同根の悩みがある。
一番はじめは母を恨んでいたけど、母は祖父母から受け継いだものをわたしに引き継ぎ、祖父母は曾祖父母から受け継ぎ、曾祖父母はその父母から……。
誰か一人のせいにできるようなことじゃないのね。
わたしはP家とQ家の結びつきで生まれたけど、祖父母の代を考えるとP家Q家R家S家という4つの血脈、曾祖父母の代ではPQRSBCDF家という8家の末、その上の代だと16、32、64、128系統……の血を引いている。
「わたし」というのは……なんだろうね。
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好きなBさんや嫌いなGさんや、赤の他人のKさんともどこかで血脈がつながっているのかもしれない。
前世的にもBさん、Gさん、Kさんと繋がっているのかもしれない。
わたしが「わたしの問題」「わたしのやなとこ」「自分の許せない部分」と思っている問題も、わたしひとりが単独に抱えているのではなく、先祖代々それぞれ受け渡されて悩んできたものかもしれない。
そしてどこかでつながっているBさんGさんKさんも、やっぱり悩んでいることなのかもしれない。
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「身体が『ノー』と言うとき――抑圧された感情の代価」(ガボール・マテ著、日本教文社)にこんな文章を見つけた(p.321)。
たとえば大恐慌は何百万もの人々にとって困難な時代だった。しかしそれぞれの家に何世代にもわたる歴史を背景に、その時代にうまく適応し対処できた家庭もあれば、同じ経済的困窮に直面して精神的に打ちのめされた家庭もあったのである。
……(略)……。
ある疾患が進行するうえでの重要な変化要因は、その人の適応力の高さである。ある人の適応力の高さは何世代も引き継がれてきた精神的なプロセスによって決定されるから、身体的疾患も情緒的疾患と同様に、個々の「患者」の領域を超えて広がる人間関係のプロセスの一症状なのである。言いかえれば、身体的疾患は、その一族の現在および過去(を含む)世代の情緒システムの疾患なのである。
これは病気に関しての記述だけど、病気の背景になることがらも同じように代々伝わる。
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システム、つながりの中のわたし。
みんなが悩んだ(悩んでる)ことだ、と思うと気が楽になる。
わたしがここで問題に終止符を打てば、わたしにつながるすべての人がホっと息をつく。
よしよし。
根が深いんだから、急いで焦ってなんとかなるもんじゃない。ゆっくりじっくり取り組めばいいんだ。
問題と向き合うツールもパワーもスキルも、必要に応じて与えてもらえる。すでに手にしている。
大丈夫なんだ〜〜って、気分になる〜。
2007.1.18(木)抵抗
楽器を弾くとき、右手のちからを抜くと、響きが全然違うことがわかった。
先生と顔を見合わせ、「ぜんぜん違うね!!」。
「どーして、もっと早く教えてくれなかったの??」
「え〜っ、言ってたよ〜」。
そうかも。
やっぱり「時期」というのがあって、そのときがこないとわからないのだ、という結論になった。
単語の意味、字句の意味はわかるんだけど、真意が伝わらないと言うか、大事さがわからないというか……。
だからって、いつ時期が来るのかは、本人にもわかんないし、ましてや他人には……。難し〜〜。
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新しい考え方、生き方に気づいたとき、すごく抵抗して落ち込んでしまう。
それまでの自分を「なんてひどい、悪いヤツだ!!」と責めてしまう。いままでの人生を否定してしまう。悔しい。
そーか!
だから母もなかなか謝らないんだな〜。
おんなじなんだな〜、わたしも。
自分と違う考えをすんなりと認めないのも、おんなじ。その考えを認めてしまったら、自分が否定されるように感じてしまうんだな〜。
そうじゃないのにな〜。ちょっとわかってきたかな〜。
そろそろわかる時期になってきたかな〜。
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本棚の「親の毒 親の呪縛 岸田 秀 + 原田 純 著 大和書房」に行く
2007.1.19(金)仲間はずれ
誰かと二人で会う約束のとき、相手が無断でもうひとり友だちを連れてくると、ものすごく不機嫌になってしまう。
自分でも変だと思う。
わかっているけど、怒りが噴出するのをどうしようもない。あまりの剣幕に(隠そうと努力はするんだけど)、3人目が退散したことも一度ならずある。
小さいとき、見知らぬ男がうちに押し入って居ついた(実際には、単身赴任していた父が帰国した)。その影響があるのかな〜と、ながいこと思っている。でもあんまり解決してない。
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ふと、思い出した。
母に仲間はずれにされた記憶。
「美穂ちゃんて汚い。ね〜?」と弟に同意を求める。「美穂ちゃんって、変。ね〜」と弟に言う。母は弟が好きで、わたしは仲間はずれなんだ。……と感じていたのを思い出す。
(弟は弟で「おかあさんは美穂ちゃんが好きなんだ」と思っていたので、母は弟にもおんなじことをしていたのだろう)
仲間はずれにしてる意識なんかなかったのかもしれない。「仲間」や「味方」がほしかったのかしら……??
母もだれかに仲間はずれにされたことがあるんだろうな。
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そういえば、小学生の時は仲間はずれにされていじめられた。
だれかと3人でいると、「仲間はずれ」を意識するのか、自ら浮いてしまったり、過剰に気を遣ったりする。逆にいじめたこともある。自分の気がついてないところで、もっといじめてるのかもしれない。
きっとわたしも母と同じことをしている。
ひとは自分がされたことをひとにするから……。自覚して癒すまでは。
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「仲間はずれ」は大きなキーだけど、「3人」もキーなのかな〜? 4人なら2人ずつ話したりもできるし……。
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こどもをもちたくないのも、夫婦にひとり加わって3人になるのを避けたのかもしれない。
弟がこどもをもたないと決めていた(いまは娘にめろめろ♪♪)のも、そうだったのかな。
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いま必要なのは、母に仲間はずれにされたと感じたときの当時の感情を感じること。
向き合って感じきれば、それは消えていく。
母や、母を仲間はずれにしただれかや、そのだれかにおなじことをしただれかの悲しみも消えていくだろう……と期待してるの。
2007.1.31(水)こりこり狐狸狐狸?
幼稚園くらいのころ、「バカになれたらいいのに……(ため息)」と切実に思った。
このこと、いままでとは違う角度で見えた。
そうか〜。
周囲に気を遣って、頑張って無理して、もう疲れきっていたのね。
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柔道整復師の友だちが肩凝りを診てくれた。
手から脚から触りながら、「うわ〜、やばいっすよ〜〜!!」。
えええっ、やばいって、なにが(^^;;!? い、痛いよ〜。
もうね、こりっこりに固まってるみたい。すごいみたい。
幼児のころから、常に気を遣ってればね。
無理ないっす。
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夢を見た。
いままで分裂するだけ分裂してきて、こんどは統合に向かう夢。
いいぞ。
また夢を見た。
人生は8(だったかな)の階乗なのだが、それではきつすぎるので、8×7×6で割るといいとかなんとか。
目が醒めて考える。じゃあ「5!(5の階乗)」でいいんじゃん?
これはまだよくわからん。
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幼い弟が父の手首をかじった。ふざけてた。
すると父が「殺されるところだった」とかなんとか言った。血管が切れて血が吹き出したら死ぬんだぞ、とかなんとか。
……ということを眠れない夜、唐突に思い出した。すごく不安だった。怖かった。
ふざけてただけなのに……、父のこの理不尽な恐怖はなんだろう。この恐怖は、わたしを縛っている気がする。
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完璧な人などいない。
……ということを、まだまだ完璧には理解してないようだ。
わたしの親に対する怒りには、彼らが「完璧でない」という理由も混じってるみたいだな。
肩凝るはずだ。
人間もっと「いい加減」でいいんだぞ〜。失敗するのが人間だ。
それを理解するために生きてる。